第79話 知るための一歩

「あの、もう決定なのです……か」


 ニーカさんがにっこり微笑み、その笑顔の意味するところを悟った。

 うん、逃げられないな、これ?


「ニーカさん、いつもよりなんだかお元気ですね……?」


 これに対し彼女は考え込むように俯いたが、やがてそうかもしれない、と頷いた。


「少し……気を抜いてしまったのかもしれません。やっと帝都に帰れると……父と母に会えるのだと思うと嬉しいのです。……いけませんね、まだ仕事は続いているのに」

「いいえ、御家族と会えるのを喜ぶのは当然です」


 突如、彼女はなにか気付いたようにはっと顔を上げたが、私の表情で察してくれたのだろう。謝罪の口を噤んでそっと気を落ち着けたようだった。


「……お身内にラトリアの方がいらっしゃるとのことですが、お父上かお母上がラトリアの方なのですか?」

「いえ、私の場合は父母ではなく祖父がラトリア人でした。ラトリアは祖父の時代に大きな改革があって、そのときに多くの者が国を離れたのです」


 昔々、ラトリアは狂王と呼ばれた王が権威を振るい、国が滅茶苦茶になったのだとニーカさんは語る。その影響は色濃く残っているらしく、彼の国からは多くの人々を国元から離れさせたようだ。


「腕が達者な者が多いですから、その身一つで生計を立てようと奮起した方々が多かったようです。流れの傭兵団を営む者にはラトリア出身という人物も多いですよ」

「ニーカさんのお爺さまの場合は、帝国だったのですね」

「ええ、戦働きを認められ家名をいただいたのだと、幼い頃は何度も聞かされましたね。おかげで我が家の歴史なんかは嫌でも頭に入っています」

「お家の根源を絶やさずにいるんですね、素敵じゃありませんか」

「……とはいえ、そう考えられるようになったのは大人になってからですが」


 はあ、と悩ましげな溜息。祖父母世代の話を子供が煩わしく感じるのは、どんな世界や国でも共通らしい。大人になってからだと、ありがたみも感じるのだけどねぇ……。


 しばらく雑談を愉しんでいると、ライナルトの会談が終わったらしいと伝わってきた。ニーカさんとは大体一時間くらい話し込んだだろうか。ニーカさんに案内されて向かったのは、王族が使うような豪奢な部屋ではなく、ライナルトが普段使っているという軍に与えられている部屋だった。部屋は移動していないのかと問えば、苦笑交じりに返された。


「あの仏頂面はもっと良い部屋に移るよう勧めたのですが、殿下は派手なことを嫌いますし、警邏の手間が増えるからとお断りになられました」

「……派手なのはお好きではない、ですか」

「ご自身にはさほどお金をかけられませんね」

 

 それとファルクラム国民の感情を考慮して……かな。それにしても無愛想の次は仏頂面と、モーリッツさん言われ放題である。周りの人たちも咎めてないし、もしかしたらこれがニーカさんの日常なのかもしれなかった。

 ライナルトの待機する部屋につく前に、モーリッツさんやその配下の人たちと遭遇した。


「サガノフ、殿下は皇女殿下と会談を終えお休みになられている。この上客人を連れて来られても、心労が増すばかりだと考慮できないかね」

「素性の知れないものならともかく、キルステンの令嬢なら問題なかろう」

「そういう問題ではない。すでに皇太子としての地位を約束されたも同然なのだ、これまでのように勝手に割り込みをされては困ると言っている」

「親しいご友人なら話は別だ。職務を全うしようという姿勢は買うがね、日がなお前の堅苦しい面を見続ければならない殿下のご苦労も察して差し上げろ」

「堅苦しい顔は私も君もお互い様ではないかね」

「自覚があったようでなにより。だが私はお前よりはいくらか、いや大分ましだ」

 

……仲、いいのよ、ね?

 モーリッツさんはニーカさんに辛辣な態度を取るのだが、ニーカさんはまるで物怖じしなかった。周囲の人々にも「またか」といった雰囲気すら漂っている。

 先に折れたのはモーリッツさんの方だった。もしかしたら忠告が目的で、本気で止めるつもりはなかったのかもしれない。軍服だらけのなかを進む勇気はなかなかのものだったけれど、軽口を叩いてくるようなものはいなかったから前だけを向いていた。

 ライナルトの休んでいるという部屋で先に対応してきたのは、以前ライナルトの小さな別荘で会った侍従の少年である。ニーカさんが少年に用向きを伝えた数分後、部屋に入る許可が下りた。

 休んでいた、というのは本当だったのだろう。上着のボタンを閉めながら現れた男性は僅かばかりといえど驚きに目を見張っていた。


「これはカレン嬢、本日はどういった用向きだろうか」

「殿下。私は用意するものがあるので一度下がります」

「え? ちょっと、ニーカさん」


 なんとニーカさんが逃げた。いや逃げたとは違うのかもしれないが、さっさと私をおいて部屋を出て行ってしまったので、そう表現するしかない。

 ライナルトも困惑を隠せない様子だが、ここでいつまでも戸惑っているわけにもいかなかった。ニーカさんに失礼にならない程度に事情を説明した上で、そっと頭を下げる。


「此度につきましては、ライナルト様にとって喜ばしい出来事であったと存じております。私の立場からこう申し上げるのはおかしいでしょうが、おめでとうございます」

「斎言はひとまずいただいておきましょう」


 こうしてライナルトと二人で言葉を交わすのは何度目になるだろうか。会うたびに立場を変えていたのは私の方だが、今回は彼の側に変化が生まれたのである。急におしかけて気を悪くしていないか心配だったが、彼は以前と変わりなく、普段通りの態度なのだがありがたかった。実は皇族に格上げになるのが決定したから、追い返されるかもしれないと考えていたのだけれど……。


「これからはライナルト様ではなく、殿下とお呼びした方がいいのでしょうか」

「お好きなようにしていただいて結構だが、私としてはこれまで通りでも構わないと思っていますよ」

「よろしいのですか?」

「皆は口々に祝辞を述べてくれていますが、陛下から正式な沙汰があったわけではありませんからね」

「……皇女殿下がお認めになられたのだとお見受けしましたけれど」

「あれの言うことを真に受けてはいては身が持ちませんよ。調子に乗ればすぐに寝首を掻いてくるのがヴィルヘルミナという女です」

「ご兄妹ですのに、随分なおっしゃりよう」

「兄だからですよ、あれは厄介な相手ですよ。カレン嬢も気をつけられた方がいい」


 溜息を吐く様は辟易しているようにも、楽しんでいるようにも感じる。


「でも楽しそうでいらっしゃいますね」

「ヴィルヘルミナが相手ならば退屈はしないのが保証されていますから」


 ……ライナルトは喜んではいるのだろうが、思っていたのとはどことなく反応が違っていた。


「……ライナルト様は、皇族となられるのをあまり喜んではいませんか?」

「おや、なぜそうお思いに」

「なんとなくですが……。こう曖昧な表現を使うのもどうかと思いますけれど、特にみなさんお祝いするわけでもなくて……。いつも通りだなと感じたので」


 彼相手だと、突っ込んだ質問になるのも毎度のことだ。ちょっと慣れてしまったといっては失礼だろうか。でも、実際彼となにを話して良いかわからなかったから、特に考えることなくぽんぽん喋っているのは否めない。

 ここでライナルトは考え込むように沈思し、膝の上で人差し指を叩いた。この仕草、彼の癖なのかもしれないな。貴方にならいいか、と呟いたのは聞き逃さないし、私も彼の信頼を掴めるようになったんだなあと実感した瞬間である。


「喜んでいないわけではありませんが、私にしてみれば皇族は通過点の一つにすぎない。先も申し上げたがヴィルヘルミナがいる上に、私を快く思わない者も多いのでね」

 

 で、これは一瞬だけどう返答するか悩んだ。ほんの僅かな間だったのに、ライナルトは目敏くこちらの戸惑いに気付いたようで、そうなると私も答えざるを得ない。


「薄々感じてはいましたけど、私が考えていた以上に権力をお望みになるのだなと」

「そうですか? 私はこれでも随分欲深いですよ」

「こういってはなんですけれど、あまりそういったものに執着なさる方だという印象がなかったのです。ですから、あらためて目の当たりにすると少し意外でした」


 彼はこれまでも二度、母親の復讐という言葉を否定している。だとすれば皇族になりたい、というのはつまるところ、目的は一つだ。


「ライナルト様、皇帝の座を目指されるのですね」

「……そういうカレン嬢は、恐れもなくずけずけとお聞きになる。もしこの会話をヴィルヘルミナや皇帝の側近が聞けば、卒倒していたでしょう」

「いまは二人だけですし、よろしいじゃありませんか」


 流石に率直すぎただろうかと危ぶんだが、後の祭りである。だが心配には至らなかった、ライナルトはこの会話を楽しんでいる、と肌で感じ取ったからだ。


「この国でそのように率直に聞かれるのはカレン嬢くらいだ」

「不愉快でしたら、失礼いたしました」

「いや、回りくどく聞かれるよりはいい。貴方の場合は本当にただの疑問なのだろうし、気持ちいいくらいだ」


 帝国の皇族にこうまで言ってもらえるのは、結構なことなんだろうなあ。とはいえ、お言葉に甘えすぎて不興を買いたくないので、節度は心がけさせてもらうけれど。


「だが私の口からそれを聞いてどうなさるおつもりかな」

「なにぶん他の皆様に比べ新参者ですので、ちゃんとライナルト様のお考えを知っておきたいなと。……それだけです、と言いたいのですが個人的な興味もあります」


 口角をつり上げたライナルトは、悪戯っぽい、それはそれは質の悪そうな顔を作ったが、それもわずかな間だけだった。


「お考えの通り、私は皇帝の地位を望んでいる。そのためにこれまで研鑽を積み上げてきたといっても過言ではないだろう。……これでよろしいか」

「……はい。たしかに聞かせていただきました」

 

 話をしながら、彼に確認したいことはまとめあげた。ここからは真面目な話にも移っていく。

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