78話 帝位争奪レース

 年若い二人に案内された部屋はすでに茶器類が用意されていた。案内をしてくれた褐色の肌の青年が給仕を、女の子の方が入り口に立ち外を警戒している。ニーカさんは私に遅れて登場すると、慌ただしく剣を置いて詫びてきたのだった。


「お呼び立てしたのに遅れて申し訳ありません」

「私もいまきたばかりですから。お忙しそうですけれど、ニーカさんが席を外されて良かったのですか」

「モーリッツがいれば大事にはならないでしょう。それよりもお住まいにこちらの人間が大勢押しかけました。残ったヘリングではあまり気が利かなかったのではないですか? 皆様に圧力をかけてしまったのではないかと案じていたのです」

「あー……ええと、でもその、皆さんもお仕事でしたので……」


 兄さんが思いっきり圧されてたなぁ……というのが顔に出ていたらしい。ニーカさんが肩を小さくして詫びてしまうので、こちらの方が恐縮してしまう始末であった。


「ご苦労おかけしました。まだ心安まりはしないのでしょうが、些末ながらこちらを用意させていただいたので、よろしければお召し上がりください」


 円形の机の上には、腹ごなしにはちょうどいいであろうパンやチーズといった軽食が盛られていた。ニーカさんも一緒にテーブルにつくようで、茶の他に二人分の食器がセッティングされていたのである。


「ここは私共の他は近寄らせないようにしています。私が作法に詳しくありませんので、お見苦しいところをお見せすると思いますが、ご容赦いただけると助かります」

「私も堅苦しい場は苦手ですから、気軽に食べさせてもらえる方が嬉しいです」


 朝食を抜いてきたせいか、お腹が空いていたことにようやく気付いたのである。お互いパンとちぎったり、茶器を傾けながら食事をはじめたのだが、世間話から入った話題は自然と帝国について移り変わっていた。


「帝国の皇女殿下はヴィルヘルミナ様とおっしゃるのですね。初めてお見かけしましたが、勇ましそうな御方でした」

「初めて皇女とお会いになる方は大抵驚かれますね。あの方は宝石や絹よりも馬で駆けるのを好まれます」


 ヴィルヘルミナ皇女は御年二十三歳の独身。結婚はしておらず、恋人の影もない。そのためか求婚者は後を絶たず、男性から贈り物も絶えないのだともっぱらの噂である。彼女に関して流れる噂で面白いのは、とある帝国貴族から宝飾品を贈られた際に告げた一言だ。彼女は大粒の金剛石を眺めながら「ほう」と呟きを放ち、礼を述べて贈り物を受け取った。手応えあり、と喜んだ男性だが、数ヶ月後にある真実を知る。


「皇女殿下に差し上げた宝飾品が別の宝石商の手に渡っていたそうです。なんでも皇女殿下から高値で買い取ったとかで、その金は私兵の給金に宛がわれたとか」

「はー……贈り物をそんな風に扱われたんですか」

「男性は後日文句を言われたそうですが、贈られた物をどうしようが勝手だ、とにべもなく振られてしまったようですね」


 あの登場時から深窓の令嬢といったイメージはなかったけれど、そこまで強気になれるのはいっそ羨ましい気もする。


「それもあの方が帝国で唯一の皇位継承権を有している御方であったからなのですが……いえ、そうでなかったとしてもヴィルヘルミナ皇女なら変わらないでしょうね」

「立派な方でいらっしゃる?」

「ええ、自ら率先して政務改革に乗り出していらっしゃいますし、同性からの人気も高い。ご自身が軍務経験がおありですから、軍属の女性の苦労も知っている。お陰で私たちのような者も随分恩恵を賜っています」


 ニーカさんの話し方からでも、彼女が皇女を嫌っている様子はない。そこが少し意外だったのだが、ここで多少突っ込んだ質問に踏み切ってみた。


「……あの、でも、ヴィルヘルミナ皇女はライナルト様のことを兄上とおっしゃいましたよね」

「はい。その点について、貴女にはお話ししておこうかと」

「御国の事情ですよね、よろしいのですか?」

「知りたいでしょう?」

「是非」


 ニーカさんはパンにチーズとハムを挟んで、手製のサンドイッチを作り皿に置いた。……どことなくだが、これまでの彼女と違って雰囲気がどこか柔らかいのは気のせいではないはずだ。私の知っているニーカさんは、常に気を張り詰めようとしていた人だからである。


「気のせいでなければ、皇女殿下がライナルト様を兄上とおっしゃった際、お供の皆様方がとても驚かれたように感じたのです。あれはいったいなんだったのでしょうか」

「よく見ておいでですね」

「嫌でも目に入ってしまったと申しますか……。ニーカさんたちも喜んでいらしたので」

「……隠していたつもりなのですが、顔に出ていたのでしょうか」

 

 苦笑するニーカさんは少し照れくさそうだった。軽く息を吐いた彼女は、いずれファルクラムのみならず帝国にももたらされるであろう真実を教えてくれる。


「これまで帝国において、皇位継承権を有しているのはヴィルヘルミナ皇女ただ一人でいらっしゃいました。ですが閣下、いえ……もう殿下とお呼びするべきでしょうか。ライナルト殿下がファルクラムを落とされたことで、ライナルト殿下も継承権を有することになります」

「皇女が口にされていましたね。陛下が望まれた条件を果たしたと」

「そうなりますね。しかしその前に……帝国の後継者事情はどこまでご存知でしょうか」

「ほとんど、なにも」


 無知を晒したも同然だったが、ニーカさんは笑いもせずに頷いた。


「先ほど皇位継承権を有しているのはヴィルヘルミナ皇女ただ一人と申しましたが、実を申しますと皇帝陛下のお子は他にも数名いらっしゃいます」

「……ライナルト様以外にも?」

「はい。老いてなお盛んと申しますか、現在の側室は二十名以上いらっしゃいますから」


 ヴィルヘルミナは皇妃の娘。皇妃との間には彼女しか授からなかったが、皇帝は色好みらしく、あちこちの女性に手を出しているようだ。基本的に皇帝の子を授かった女性は「何故か」堕胎してしまうらしいが、ライナルトのように産み育てられた子もいるのだという。

 いつかウェイトリーさんに聞いた話は噂でも何でもなく本当だったというわけだ。

 この皇帝陛下、女好きであると同時に結構な享楽者であるらしい。ライナルトの他、自身の血を分けた子達に対し、堂々とこう語った。

 

『余の関心を引きたくば、それに見合うだけの成果を挙げよ。皇位を望むのも結構、欲しければ国でも土産に持ってくるといい。成し遂げればお前達を余の子として認め、皇位を与えてやろうではないか』


 これは当然ライナルトにも向けられた言葉であった。いつ皇帝と対面したのだろうと思っていたのだが、彼は数年置き、あるいはファルクラムを離れる際に帝国へ足を運んでいたかららしい。

 帝国は三十年以上前からファルクラムを諦めていなかった。ライナルトは皇子以前に間者としての役割を与えられていたらしく、そのための顔見せもあったようだ。

 

「裁可を下されるのは陛下かと存じていましたが、ヴィルヘルミナ皇女自らがライナルト様を兄上と呼ばれました。皇女自らお認めになられたのであれば、陛下がその判断を否というはずはございません」

「もしかして、初めて兄と呼ばれたのですか?」

「そうです。あの御方は他のご兄妹を名前でしか呼ばれませんので、あの場で殿下の功績をお認めになったのを知らしめたのでしょう」


 あの一言はライナルトが正式な皇族になるぞ、と教えるためのものだったらしい。それはお付きの方々も驚くはずだが、あの態度はもっと裏があるはずだ。

 

「……ですがこれまで皇位を継ぐのが確実だった御方が、いきなり目上の出現を認めるだなんて簡単に認められるわけはありませんよね?」

 

 ニーカさんはここで初めて疲労まじりの微笑みを浮かべた。疲れてはいるが、嫌気がさしているというわけではないらしく、喜色の方が勝っている。


「皇帝陛下は御子方に皇位を与えるとはおっしゃいました。言葉通り、殿下には皇位継承権が与えられるでしょうが、かといって皇帝の証たる冠が約束されたわけではありません」

「ヴィルヘルミナ皇女と帝位を争う権利を得た?」

「そうです。生まれた順番ではライナルト様が、家柄ではヴィルヘルミナ皇女が利を得ておりますね。それだけでは無力に近い状態でしたが、ほとんど無血に近い状態でファルクラムを押さえましたから。殿下の価値を認める者も出てくるでしょうし、民意も傾くでしょう」

「……ああ、そっか。帝国からすれば魔法使いみたいな手腕でしたものね」


 ヴィルヘルミナは次代の皇帝ではなく、競争相手が出現したから「最悪な状況だ」と言うだけで済んだのだ。

 もしかしなくても、ライナルトがファルクラムを欲しがった理由はこれか。皇位レースに乗っかるためにファルクラムをおとしたのだ。そうなってくると、ラトリアの件含めていくらか周りが見えてくる。モーリッツさんの言葉などを吟味すると尚更だ。


「ライナルト様が動かれなくとも、ファルクラムの侵攻は決まっていたのですね」


 ニーカさんの表情は、声よりも雄弁に答えを語っていた。


「……どうしてラトリアが出てきたのでしょう」

「そればかりは私にもわかりかねます。陛下か、もしくは皇女とラトリアの間で話が進んだとしか申し上げられません」


 思ったよりニーカさんは私の質問に答えてくれる。一度ライナルトに確認したあの質問を繰り返した。

  

「コンラートの襲撃、ライナルト様は知っていても、乗ってないのですね?」

「かの領地については我々も決定後に知らされた側ですので、乗る乗らない以前の話だったのではないか、とだけは……」

 

 彼女の瞳はほんのりと悲しみに沈んでいる。人となり的にも、演技をするような人ではないから嘘をついているとは考えなかった。

 そうか。時間がない、とはそういうことか。

 少し前まではライナルトを帝国という輪の一括りの中に入れていたけれど、ライナルト対ヴィルヘルミナという図式が見えれば話は違ってくる。

 元々ファルクラムの侵攻は決まっていて、その陣頭指揮をとっていたのはヴィルヘルミナ皇女。こちらはラトリアと手を組んでファルクラムを奪う予定だった。これはコンラートの様子からして派兵要請も視野に入れていたのだろう。そうでないと軍の動きがありのままに伝わり警戒されてしまう。彼らのもくろみ通りなら確実にファルクラムはボロボロになっていただろうが、帝位争いに参加したいライナルトはこの計画が成功されては困る。

たとえ強引だろうと、ヴィルヘルミナが到着する前にファルクラムを陥落させ、彼らを堂々と正門から引き入れることで自身の手腕を示し、手柄を立てる必要があった。

 なお、ニーカさんも皇女に任せていてはファルクラムはずたぼろだっただろう、という疑問は否定しなかった。


「こんなことを聞いては気を悪くされてしまうかもしれませんが……。ニーカさんはヴィルヘルミナ皇女を悪く感じてはいらっしゃらないようですけれど、それでもライナルト様の陣営に?」

「私はあの方に命を救われています。それはここにいるハサナインも同様なのですが」


 不躾な質問にも気を悪くした様子はない。ハサナインとは、褐色の肌の青年のことらしかった。給仕に努めていた青年は斜め四十五度のお辞儀をしてみせ、ニーカさんは自身の赤毛を摘まんで笑うのだ。


「私のようにラトリア人混じりの混血では、皇女の元ではいささか過ごしにくくあるのです。……殿下は人種で差別されることはありません。実力さえ伴うのであれば機会を与えてくださいますから、それだけでもお仕えしがいがあるのですよ」


 多少細かいところが抜けているが、以上がニーカさんから聞き出せたおおよその概要である。


「かなり深いお話まで伺ってしまいましたが、よろしかったのです?」

「ええ、このあと殿下はヴィルヘルミナ皇女と会談を終えて戻ってこられるでしょうから、その際はいくらかでも事情を把握していないと難しいでしょう。特にあの無愛想は殿下の近くにいる以上、言われなくても理解して当たり前の考えが染みついてますから」

「んん……?」


 無愛想とは……モーリッツさんのことか?

 ライナルトが皇女と会談を終えるのは、四六時中一緒にいるわけでもないし、そりゃそうだろうっていう話だが、なぜ私がこの時点で理解してないと、なんて話になるのだろうか。そこでニーカさんに思いも寄らぬことをつげられた。


「殿下にお会いしてください」


 などと軽々しく言われてしまったのである。

 今日会う予定はないよと言いかけたのだが、ニーカさんの中ではすでに決定のようだ。


「ここしばらく働き詰めなのです。殿下の健康を疑うわけではありませんが、お疲れでしょうから、お相手していただけると助かります」


 ……もしかしてこのために呼び止められたのだろうか、と疑った瞬間だった。

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