第64話 もうひとりの家族
陛下から届けられた手紙が偽造されていた件だが、ライナルトは私が陛下に報告しなかったことに軽い謝辞を述べた。……こうなってしまったからには陛下に報告しなくて本当に良かったと思う。本当はあの時、かなり迷っていたのだ。
「真実を述べたがらない輩は多い。それで見渡せる情勢もありますからね、私としては助かりました」
「嘘を想定していらっしゃった?」
「想定していたわけではありませんが、もしそのような不届き者がいたのなら、陛下の忠実な僕としては見過ごすわけにはいきませんが」
……はぐらかすし、本心じゃないのによく言うよ。
ただ共犯者となったからには、これを聞いておかねばなるまい。先ほどの話の続きだ。
「ライナルト様、ひとつお聞かせください。あなたが何を考え、思惑を張り巡らしていらっしゃるかは、教えてはいただけないのですね?」
「言葉にするのは簡単でしょうが、しかし貴方にこれを話して良いのかは別問題です」
「……信用いただけていないと」
「カレン嬢個人については信頼はしていますよ、ただ信用に足るかは……」
「わかりました。しつこくはお聞きしません。あなたのことですから、自分で見定めろと仰りたいのでしょう」
「せっかく協力を申し出てくれたのです、そこまで意地悪はしませんよ」
するとライナルトは突然ダヴィット殿下とジェミヤン殿下の名を挙げた。あの二人の喧嘩、もとい決闘の話題を始めたのである。
「ダヴィット殿下の横暴はいまに始まった話ではないが、気位の高いジェミヤン殿下は年々不満を募らせ、近年においてはかなり仲を拗らせている。おそらく御前決闘が行われるのは間違いないでしょう。そしてこの決闘、サブロヴァ夫人も無関係ではない」
「姉が? ……あ、いえ、そうでした。お腹の子ですね」
「そう。おそらく勝者は敗者に王位継承権の放棄を迫るでしょう」
男女どちらかは不明だが、いずれにしても王位継承権をもつのは間違いない。生まれてくる予定の甥か姪は継承権が繰り上げられるわけだ。
「妊娠中のサブロヴァ夫人に決闘を見せるわけにはいかないが、観戦するくらいは可能でしょう。口実が必要なら私の名を出しても構いません」
「私に血なまぐさい決闘を見に行けとおっしゃる」
「どちらでもよろしいが、おそらく直に見た方が貴方は納得する」
ライナルトなりのヒントを提示しているらしい。まったく回りくどい人だが、時折ちらつく鋭い眼差しに品定めの意を感じた。ならばポイント稼ぎは必須だろう。
「……言ってませんでしたが」
でもそのまえに言わせてほしい。以前から思っていたのだけど、この人、私に厳しすぎじゃないだろうか。気のせいじゃない、ないはずだ。腹立たしいとお腹の前で握った手に力を込めた。
「あれから血なまぐさいのは苦手なんです。倒れたら責任とってきちんと送り届けてくださいませ。放置したら恨みます、本気ですからね」
齢十八の小娘……うんまだ小娘のはず。小娘を夫の前で人質に使おうとするわ、怪我をしているのに馬で引っ張り回すしで散々だ。現状、そりゃあ自業自得の部分だってあるけれど、いくらか優しくしてくれたってバチは当たらないはずなのである。
しかし本気の忠告にもかかわらず、失礼なことにライナルトは口元をおさえて咳払いした。笑っている。本当に失礼だねこの人!?
「……あの?」
「…………失敬」
――?
「……私、か弱い乙女ですが」
あっ露骨に目をそらしたぞこの男。
待てこら。どこからどう見ても完璧にか弱い美少女だぞ。もしくは美乙女。
「乙女は人を餌に交渉などしに乗り込んではきませんが」
「多少香辛料なり特徴がきいていた方が味があるでしょう。可愛いだけではやっていけません」
「毒ともとれますね。貴方のような人は一見無害だが、気付かず飲み込むと腹を壊す恐れがある」
「害をなす気はありません。身を守る……せめて薔薇の棘程度になりませんか」
「生憎、その程度ならば興味の対象外だ。コンラートの再興をお望みならば毒程度は扱い慣らしていくべきでしょう」
「……こわいこわい。こちらとしては平和に暮らしたいだけなのですけれど」
うっかり本音がもれた。
ああもう、どうもさっきから調子が崩される。コンラートについてもう少し話を詰めたかったけれど、今日の所は後見人を引き受けてもらえただけでも良しとすべきだし、これで退散させてもらうとしよう。この人相手だと、どうにも調子が狂わされる。ライナルトはすっかりくつろいでいるようで、肘をついて微笑んでいた。
「慰みになるかはわかりませんが――」
「はい?」
「もしそういった言葉が必要ならば伝えておくべきかと思いましてね」
もう真面目に話をする気がなさそうだ。席を立ったところで視線が噛み合った。
「以前の話の続きです」
「……なんです?」
「名呼びです。私が貴方をカレンと呼ぶ理由だ」
はいはい、そんなのありましたね。変にはぐらかされるからもう答えてくれないと思っていた。
「その名の響きが実に貴方らしく似合っていると感じたからですよ。カレンという名は実に凜として可愛らしい」
「まさかそれが理由ですか?」
「他に大層な世辞でもつければよろしかったか」
「……いいえ。自分でも意外ですが、ライナルト様らしいかなと」
嘘を言っている……とは思わない。なんとも奇妙な話だが、どうもこの人なりに誠実さを通そうとしているのが感覚で認識できたのだ。
……いや、しかし、でも。
拙い、言われ慣れてないためか少し頬が熱かった。
「仔細はまた後日詰めていきましょう。あまりお時間を取らせるのは申し訳ありませんし、本日はここでお暇させていただきます。ひとまず身内に、今日は有意義なお話ができたと伝えねばなりません」
「互いの信頼が崩れないよう願いたいですね」
「まったくです。こうなった以上、ライナルト様には期待しておりますよ」
「頑張らせていただくとしよう。気をつけてお帰りください」
私よりあなたが気をつけろと言外に含めて部屋を出る。そう時間は経っていないはずなのに、ひどく疲れた気がしてならないのだ。
別室で待っていたウェイトリーさんを連れて城から出るのだが、馬車に乗ってようやくライナルトとの交渉が上手くいったと説明できた。もっとも、ウェイトリーさんは雰囲気で察していてくれたらしく、とっくに今後について考えを巡らしていたようだ。
「兄上方への報告がすみましたら、住まいをコンラート邸に移すべきではないでしょうか」
「……兄さんの反応次第ですが、移るにしてもヴェンデルが気がかりです。エミールのおかげで大分助かっていますし、いま離してしまうのは……」
「すぐにとは申しません。様子を見つつとなるでしょうが、我々もそろそろヴェンデル様と向き合わねばならない時が近づいているかと」
ヴェンデルの意思は確認したが、あの日の襲撃、少年の家族については未だ深く語り合ってはいなかった。無意識なのだろうか、お互い避けている節もあったのである。
いまは別のことに集中していられるから平気でいられるが、ひとり落ち着いた時間を設けられてしまうと駄目だ。馬車の窓から外をのぞくと、自然と息が漏れた。
「……もしもなんて口にするのは好きじゃないのですけど、いま、とても不謹慎な気持ちなんです」
「不謹慎、でございますか」
「たいしたことじゃないのだけど、もし伯が生き返ってくれたのなら、私、助走をつけて殴ってしまいそうだなって。お年寄りに暴力なんていけないのにね」
「そうでしょうか。もし旦那様が目の前にいらっしゃれば、わたくしも同じことをしていたと思いますよ」
「……これだけ会いたいと思っているのに、化けてすらきてくれませんしね」
コンラート辺境伯は良い夫、良い師であったがこの点だけはいただけない。マイナスとは言わないが減点である。文句は湯水のようにわいてくるもので、きっと私たちはこんなふうにいなくなった人たちを懐かしみながら悪口を言って、この先も過ごしていくのだろう。その中にいつかヴェンデルが加わることができたらいいと願って瞼を下ろした。
肝心の兄さんだが、私と顔を合わせるとすまなさそうな表情をしていた。ちょうど姉さんの屋敷に戻ったころで、ウェイトリーさんはヴェンデルの様子を見に行くと離れていったのである。姉さんはつわりで調子を崩して寝込んでいる。話すのならいまだとアヒムと一緒にテラス席に呼び出したのだが、どうやら兄さんは後見人の話を気にしていたらしい。
「すまなかったね。厳しいことを言うつもりではなかったのに、あんな話を……。あれから父さんと話をしたのだが、お前が頼れる相手は実家しかなかったはずだと諭されてね。……だから、なるべくお前に被害が向かない方向で……」
「……気にかけてくれたのね。でもせっかく考えてくれたのにごめんなさい、その件について話をしたくて兄さんをお呼びしたの」
「うん?」
「後見人よ」
……父さんが兄さんを説得してくれたのは意外だった。いまは裏方に徹しているようだが、本当によくわからない人だ。私が会うのを避けているせいなのもあるのだけれど……。
「後見人ですが、ライナルト様にお願いしました。今日は本人にも了承をいただいたと報告したかったんです」
兄さんとアヒムの反応は面白いくらいに特徴が出ていた。兄さんは目を大きく張っていたし、アヒムは信じられないものをみる形相でぽかんと口を開いたのである。立て直しが早いのはもう一人の兄とも呼べる青年の方だった。
「はぁ!? ちょ、お嬢さ……なに、なに考えてるんですかあんたは!!」
「なにをって、当てにできそうな後見人を探していたら彼に行き当たっただけじゃない」
「それが問題なんです、あんた俺の忠告を覚えてないんですかっ。何年か前に伝えましたよね、ローデンヴァルトには関わらない方がいいって!」
「覚えてる。あとお願いしたのはローデンヴァルトじゃなくてライナルト様個人の方ね。流石にザハール様にその話をするほど親しくないから」
「なおさら悪いわ!!」
激昂……するだろうな。ライナルトの名を出せばアヒムがどう反応するのか予想はしていた。彼は私に権力抗争や醜い争いに関わってほしくないと願っているのは明白で、ここで怒るのはその証明なのだろう。
気持ちは嬉しい。けれどもとうに賽を振って掛け金を支払った後だ、ここで引くことはできなかった。一歩前へ出ようとしたアヒムを制したのは兄さんだ。
「いまは怒るときではないよ、アヒム。……カレン、ライナルト殿に後見人を頼んだとこうして話してくれたからには、お前なりの考えがあるのだろう。聞かせてもらえるかい」
はじめ呆然としていた兄さんも乳兄弟の叫びですぐさま立ち直った。本当、兄さんとアヒムは二人そろって舵が取れているバランスの良い組み合わせだ。
「全ては話せませんけれど、私なりに将来を憂いた結果です。このままキルステンにばかり負担を負わせるよりはと考え行動しました」
「そうか。言葉通り、既にライナルト殿の了解は得たのだね」
「その通りです。まだ公文書は交わしていませんが、今後コンラートはライナルト様のお力を借りて再建をはかっていきます」
「…………なるほど。その言い様なら、彼の後ろ盾も承知のようだ」
兄さんも彼の部隊については知っていたのだろう。
「……念のためですけど、誤解しないでくださいね。兄さんを案じたのも確かですけど、この決定はコンラートの総意でもあります」
「わかっているとも。お前だけであの家を動かせはしないだろうし、ライナルト殿も慈悲深いだけの方ではないのは感じていたさ」
だからそれなりの理由があるのだろうと、兄さんなりに私を理解しようとしてくれているのが見て取れた。しばし口を閉ざしていたが、視線を交わらせるとこんなことを訊いたのである。
「……お前の懸念は王室かい?」
「それも含まれています。……正直キルステンの保護下に入るかとても迷いましたが、こちらはこちらで人脈を作っておくべきだと判断しました」
私、ひいてはコンラートが兄さんの保護下にある限り、もし兄さんになにかあっても後ろで守られているしかないが、独自のコネを持っておけば手を取り合うことができるかもしれない。有事の際はキルステンはコンラートを、コンラートはキルステンに手を差し伸べられるような体制を作っておくのは悪くないのではないだろうか。
「……言いたいことは無数にあるが、もう決めてしまったとあってはね」
「坊ちゃん」
「凶事と捉えるかは別として、原因を作ったのは私だ。もとより受け入れるほかないさ。それにファルクラムが帝国に派兵を請うた以上、今後さらに帝国の干渉は深くなるのだからね。彼の伝手を考えれば駄目とは言い切れない」
「許してくださいますか」
「許すもなにも、断れという理由がないよ。私だって凡人なりに生き残っていきたいからね。いまできることを受け入れてやっていくしかない」
兄さんが自分を凡人と称するのはともかく、怒りのまま拒絶されないのは助かった。しかし兄さんがこんな調子だったからだろうか。アヒムはその場から離れてしまい、兄妹だけが残されてしまった。
「すまないね。アヒムは多分、お前には静かに暮らしてほしかったんだ。ただでさえこの間の襲撃で気が滅入っていたようだから、厄介事に首をつっこんだと思ったんだろう」
「わかってますって。ほんと、兄さんはアヒム贔屓ですね」
「あいつがいないと私も立ち回れないからね。……こんなこと知られたら調子に乗るだろうから、黙っていてくれよ」
「……アヒムも同じことを考えてそうですけどね」
私たち兄妹にはアヒムのように真っ直ぐに怒ってくれる人が必要なのだ。兄さんもそれがわかっているから彼を外さないのだろう。
「お前達には仲良くしてほしいよ、追いかけてやってもらえるか。」
「言われなくても」
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