第63話 あなたに賭ける+イラスト

彼ほど足を組んだ姿が似合う男性もいないだろう。


「ライナルト様にヴェンデルの後見人になっていただきたいのです。どうか引き受けてはいただけないでしょうか」

「……後見人、ですか」


 流石にこの申し出は意外だったのだろう。わずかに深みのある碧色の双眸がこちらの思惑を探ろうと細められた。彼の感情を読むのは得意な方かもしれないが、頭の中まで知るのは到底不可能だ。


「これはまた予想外のお願いですね。理由をお伺いしても?」

「もちろんです。ライナルト様はいまのコンラートの状況をご存知でしょうか」

「多少なり、といった程度ですね。残ったご子息が辺境伯の実子でない程度ですが……。残されたのは次男殿でしたね。キルステンが後見人を任せられるのかと」

「そこまでご存知なら話は早いですね。ええ、その方法が一番穏便に済む手段だとは考えております」


 ここで下手な隠し事は悪手だ。現状ヴェンデルを跡継ぎとして考えていることを説明した。その際にヴェンデルでは当主就任に難色を示されるであろうこと、彼の養育権を巡って争いが起こるであろうことを説明する。無論、表舞台に立ったことのない私ではたいして力になれないであろう実状もだ。


「兄は信頼できる人です。多少頭の固い人ですがヴェンデルの教育を任せても問題ないでしょうし、コンラートの資産を使い込む心配もないでしょう。もし伯がご存命で信用できる人物を問われたら、きっと兄を推していました」

「確かにあの方は貴族にしては珍しく誠実が服を着て歩いているような方だ。未来のないコンラートを任せても保護してくれるでしょう」

「ええ、兄なら保護してくださいます」


 これは私が借りを作る作らないを抜きにして自信を持って断言できるだろう。ただ、と続けた。ライナルトもとっくにわかっているじゃないか。


「……保護はしてくださるでしょう。ですがライナルト様の仰ったように、未来があるかは別です」


 懸念がある。

 杞憂かもしれないが大きく分けて二つだ。一つは私の願望にも関わる点であり、いま彼に話す必要はないから割愛させてもらう。それにこちらはどちらかというと保険である。

 ライナルトに説明するのはもう一方の理由であった。


「正直なところ、私はすぐにコンラートの再建に取りかかれるかと言われたら疑問を唱えます」


 本家が置かれた領地は壊滅状態。ウェイトリーさんの指示を受けた人たちがあちこち走り回っているが指揮系統は乱れきっており、コンラート保護下にある村のために派遣した兵が戻っていないと聞く。兵が逃げてしまっていた場合、村々は自衛を始めるしかなく他家を頼ることになるだろう。国力が不足しているいま、わざわざ国から兵が出るとは考えにくい。こればかりはいくら陛下の命があろうとも、村人の心はコンラートから離れていくだろう。頼れていた現当主がいなくなった現状ならなおさらだ。これはどこから兵を借りても同様だろう。


「ラトリアの脅威がいつ解決するかはわからない。万が一ですが、戦争になってしまった場合はコンラート領付近が戦場になるのは目に見えています。地理的に考えても、いまどうなっても文句が出ないのはあそこしかないでしょうから」

「当然ながらどの領主も自領が荒らされるのは嫌がる。とくにコンラート近辺の領主達は今頃冷や汗をかいているでしょう」

「彼らも間違いなくコンラートを差し出します。そうなれば人は離れ、土地は荒れるばかり。人心はコンラートから遠ざかるでしょう」


 すぐにラトリア問題が終結してくれるなら問題ない。もっと言うならかの国が大人しく引いてくれたら万々歳だ。ヴェンデルとウェイトリーさんはコンラートに戻り、私も何年か手伝いをしてコンラートを再建するのだろう。

 しかし果たして領民がほぼ全滅、なんて目に遭った縁起の悪い土地に移り住みたい人々がどれだけいるのだろうか。再建には何年かかるのだろう。なによりその間の資金はどこが提供してくれる。ウェイトリーさんは今回の件で金が相当動くはずであり、国がすべてを保証するのは難しいかもしれないと不安を口にしていた。大元はコンラートの財産から、或いは他家から借りて賄わなければならないのは必須。私が資産を提供したとしても一時的な措置であって解決には至れない。


「もっと言ってしまえば、コンラートは財源を断たれたのです。いくらかは徴収もできるでしょうが、お金は無尽蔵に生み出されるものではなく、これからは減る一方。そして新たに投資や事業を始めようにも、人手が減った私共が介入するのも難しい」


 以前も述べたが、市場や商売はそれぞれの貴族が総合管理しているようなものだ。秘書官がいくらか残っているとはいえど、弱り切ったコンラートが新規事業を始めるのは難しい。

 ぶっちゃけ、コンラートが確実な財源を獲得できなきゃ詰みなのである。いくら辺境だろうとコンラートの土地を欲しがる人は必ず出てくる。陛下は私たちを助けてくれるだろうが、ヴェンデルが成人する頃に陛下が元気だとは限らない。それどころかダヴィット殿下が王位を継いでいたとしたら、頼りないコンラートより他の優良貴族に土地を渡す危うささえある。

 いままで伯のおかげで保っていた伝手だって、伯自身の手腕あってこそだ。当主が若造となってしまえば見限る者は必ず出てくる。信頼があるからこそいまは悪い報もさして入っていないが、金と未来があってこその関係も存在するのだとウェイトリーさんは語っていた。

 ライナルトは膝の上を人差し指で叩きながら思案に耽っていたが、おもむろに顔を上げた。


「私を通じて帝国との貿易を望まれると?」

「はい。もちろん簡単に成功するとは思っておりません。すぐには難しいでしょうが、いつか活路を開けるかもしれませんから、その手がかりをいただきたいのです」


 私がほしいのは可能性だ。これは理由その一に掛かっている部分も大きい。


「お話はわかりました。そういうことでしたらあなたが兄ではなく私の元に来られたのも納得がいく。しかしカレン嬢、そのお願いごとは無理があるのはご承知だろうか」

「もちろん、ただお願いするだけでは難しいのも承知しております」

 

ライナルトだって馬鹿じゃない。いくら家名を背負わない身だからといって、知り合いだからという理由だけで、お荷物になるのが目に見えているコンラートを背負う義理がないのである。

 むしろただで助けてあげると言われる方が困る。困るというか警戒する。


「私があなたの申し出を受けるに足るだけの益を提示してもらいたい」

「本来なら金銀と申し上げたいところですが……」


 先ほども述べたがコンラートには余裕がない。そもそもライナルトがお金に困っているとは思えないのだ。なにせ金貨五千枚をはした金といえる部下がいるし、彼の金銭感覚も飛び抜けていると踏んでいる。

 これはウェイトリーさんと散々相談して出した結論だ。ライナルトの興味を引けそうなものは一つしかない。

 

「人材を提供します、それにコンラートという名前と彼らが培った人手です」

「ほう。それはいかほど役に立つのだろうか」

「例えば私と共にいた家令ですが、あの方は三十年ほど前、帝国に赴き戦争を終結させた外交官の補佐を務めておりました」


 この一言は効いたらしい。考え込んだライナルトにもう一手、と踏み込む。


「幸いにも王都に残っていた秘書官達はコンラートでも忠誠が厚く気が利く方々です。特に情報収集も長けておりますし、多方面に顔も利くでしょう。……もちろん、それなりの後ろ盾があればのお話ですが」

「それなり、と私の存在を重くみてくださるのは光栄だが、ご存知の通り私は次男坊であり家名を持たぬ身だ。ローデンヴァルトやキルステンでは駄目だと?」

「駄目とは申しません。ですがあなたがコンラートを一番高く買ってくださると信じて参りました」


 ライナルトが何をしようとしているかは知らない。けれど彼が告げたとおり、ライナルト個人は立場上ファルクラム貴族、とりわけ長く続いた家とはうまくいっていない身のはずだ。そのうえ帝国と繋がりがあること自体はあまり隠していないのだ。知る人は知っている、という存在なのである。ファルクラム国内に知り合いが多いウェイトリーさんたちの存在は助かるはずだ。


「私とコンラートでは縁といえるほどの繋がりはない。それはどうされるおつもりか」

「縁ならすでにございます。夫は最後にあなたを頼られ、事実私たちが救われた。これを縁といわずなんといたしましょう」

「それを言われてしまいますか。ならば貴方の風評は悪化する一方だろうが、表向きは問題ないでしょうね」


 そこは大丈夫。噂程度で倒れるほどやわじゃない。本当に死んでしまうより何千倍もましだ。だがライナルトはまだ気に掛かる点があるようである。

  

「なぜカレン嬢は私を候補に挙げられたのだろうか」


 聞かれなきゃいいと思ってたけど、やっぱり聞かれるよね。

 

「コンラートがキルステンを頼れば、周囲はやはり、というでしょう。そうするしかないから。ライナルト様も考えられていたとおりです」

「いまのキルステンならば安定していますからね」

「ええ。それに正直に申し上げますと、私にはライナルト様が何を企んでいるかはわかりません。いまも薄氷を踏む心地でこの場に座らせていただいているのも事実です」


 この人は絶対安心、大丈夫と言える相手ではないが、私は先も述べた「やはり」を想像したのだ。何度も何度も考えた。兄さんにコンラートの舵取りを任せて、ヴェンデルが成人して、コンラート領も苦労しながら最盛して……考えていると、ふっといいようのない不安が襲った。果たしてこの国はそこまで持つのだろうか。

 誰にも話すことができない憂いが心をかすめたのだ。杞憂だと笑って流すには難しく、いつまで経ってもこの時の不安が忘れられない。……本当は、ここに到着するまで自問自答を続けていたのだけど、ウェイトリーさんは私の考えを了承してくれた。

 ありがたいことに、あの人は私がキルステンに貸しを作るのを望まなかった。もう一つのある可能性を考慮してもそうだ。お互い存分に利用しあえる相手なら気兼ねなくていいとまで言った。 

 ――彼の存在を取ったのだ。


「ライナルト様ならこの先の未来も勝ち取れるお人なのだと信じました。あなたに賭けてみたくなったのです」


 笑ってくれていい。馬鹿にしてくれてもいい。私の予想が合っているならライナルトの帝国における立場は相当なもののはずだし、帝国公庫利用権をぽんと発行できる配下を持っているのは看過できない。

 それきり会話は止まった。人差し指で膝を叩くライナルトは思索にふけっている。もちろん、すぐに結論が出る問題ではないだろう。こちらも返答に時間を要するつもりで押しかけたのだから――。


「よろしい。申し出をお受けしよう」

「――え?」

「意外そうにされているがご不満かな。後見人を引き受けさせていただくと申し上げたのだが」

「……あ、い、いえ。そうではなくて、もちろん嬉しいお返事なのですが、こんなに早く返答いただけるとは思わず。……よろしいのですか」

「もちかけられたのは貴方だろうに、異なことをおっしゃる」

「そ……れは、そうなのですが」


 判断が早すぎて逆に驚かされた。ライナルトはすまし顔で言ったのである。それはある意味彼らしいと感じた言葉で、驚きはしなかった。


「ただし気をつけていただきたい。私は血の繋がりよりも役目を担うだけの実力があるかを重視する。今回引き受けたのは辺境伯の残された人材あってこそ、跡継ぎにと定められた次男殿にその器がなければ見限ります」


 ある意味厳しい条件なのかもしれない。このあたり、あの地下牢での出来事が効いているんだろうか。彼はこういう人だ、とすんなり受け入れることができた。

 

「かしこまりました。こちらとしてはヴェンデルが成人するまでと考えております。そこから先はあの子が努めねばならないのでしょうから、こちらは教育に力を注ぐのみです」

「結構。ならば仔細は今後詰めさせていただこう。他にはなにかあるだろうか」


 ある。もし将来においてヴェンデル自身が当主としての器でないと自らその地位を降りた場合だ。だがこれは二つ返事で了承されたので、こっちが拍子抜けしたくらいである。

 

「では最後に、今後のとりきめは公文書として纏めさせていただけますか」

「……了解した。今後、良い関係を築けると信じたいですね」


 公文書のところでちょっと間があった。タイミングを見計らったかのようにお茶のお代わりが運ばれてくるのだが、彼の秘書はよほど優秀なようだ。

 ひとまず彼がコンラート襲撃を黙っていたことは置いておこう。いまは悲しみよりも達成感で安堵している。

 それにしても、とライナルトは含み笑いをこぼす。公人としての貌はすっかりなりを潜めているようだ。

 

「カレン嬢は厄介事になるのはわかっていながらコンラートに残られるのですね」

「そうですね。コンラートには力を貸すつもりですし、そういうことになるのでしょう。……変とお思いになります?」

「いいえ。ただ、コンラートを捨てる手段もあっただろうと思いまして。彼らがどうなるかは不明だが、良くはなくとも最悪は免れたはずだ」

「…………もちろん、それも考えましたが」


 言うつもりのなかった本音がもれてしまったが、まぁいっか。

 はい。懺悔してしまうと、私には荷が重すぎるってコンラートを捨てて逃げるのも考えました。……けど、結局は逃げなかったから、どうか見逃してほしい。私は百戦錬磨の猛者じゃなくて、ちょっと精神的に長生きしてる程度の人間なのだ。

 本音を見透かされたようなのが恥ずかしくて、本音もへらりと笑って誤魔化した。

 

「きっと寝覚めが悪くなる。将来ああすればよかったと後悔して生きるなら、いまできることを尽くしてから後悔しても悪くないはずです」


 …………ご、誤魔化されてくれない?

 ライナルトはうっすら微笑を浮かべたまま瞑目した。呆れられていたら悲しい。

  

「私にはできない生き方だ。貴方が自分自身に首を絞められないことを祈ります」


 しかしライナルトこそよかったのだろうか。こちらは人材を提供できると言っても、ほぼこちらが有利なだけの条件だ。馬鹿正直に訊ねてみると、ライナルトは茶化したように笑う。この頃になると張り詰めた空気はすっかりなくなっていた。


「私はまだどこにいても微妙な立場でしてね。それだというのに私に賭けるとまでいわれてしまっては、これは口説かれたくもなるでしょう」

「精一杯考えましたから、功を奏したようならなによりです。ところで、私はここから出してもらえるのでしょうか」

「帰さなかったとあっては問題に問われるでしょう。他言しないと誓ってくださるのであれば、お戻りいただいて結構ですよ」

「騒ぎ立てるつもりはございません。……ところで、なぜコンラート領近くにいたかは教えていただけないのですね」


 これには確固たる返事はなかったが、ある一つの回答は得られた。


「間に合わなかった事実は変わらない、それだけです」


 するとライナルトは話題を変えるように忠告してきた。


「カレン嬢こそ私を選ぶ意味を考えられた方がいい。公文書を作成する前なら撤回も受け付けますよ。無論、その場合は多少不便になるでしょうが」

「そのことですか」


 苦笑がこぼれたのは、彼なりの気遣いだと感じたからだろうか。それに関してはさっきも述べたとおりである。きっと私は後悔する。これはキルステンを選んでも、ライナルトを選んでもいずれどこかで「ああすればよかったのではないか」と、ふとした瞬間に悩み続ける。そもそもコンラートが襲撃された時点で悔しさばかりだ。


「あの日、あの夜の中で生かされました。その時に伯の望みだけは叶えようと決めたのです。ですから、ヴェンデルを養育するのは私のためでもあります」

「難儀な性格をしていらっしゃる」

「自分でも面倒な性格だと実感してます。……でもしないよりはいい、悔いが少ない方を選びます」

「それが私と」

「……ご不満?」

「光栄ですよ」


 この賽がどう転ぶのかは誰にもわからないが、いまは二人で熱い茶を啜るだけ。奇妙な縁を経て、ただの知り合いから共犯者へ変わった日であった。





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イラスト:https://twitter.com/airs0083sdm/status/1284323398353448962

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