第62話 いまは進むだけ

「お忙しいのに時間をとってくださり感謝します」

「なに、ちょうど休みたいと思っていたところです。寝込んでいたと聞きましたが、お体の方はどうですか」

「ゆっくり休みたいところですが忙しいばかりで……。周りが落ち着いたらやすませてもらいたいですね」


 挨拶する間にウェイトリーさんやヘリングさんは退室している。向かいの席に座るとすぐさま熱い茶が運ばれたのだが、香りの高い茶が鼻腔をくすぐった。


「ライナルト様こそ最近はいかがですか。今日はこちらに詰められているようですが、お忙しくていらっしゃる?」

「それはもう、どこを歩いてもコンラート陥落の話ばかりだ。辺境伯は都を離れたとはいえ、数十年前は重鎮といっても差し支えのない御方でしたからね。特に年配の方々が重い腰を上げられているようですよ」


 おかげで若人が振り回されていると肩をすくめる様は、いつかのようにつまらない、といった風ではない。


「そういえば先ほど、両殿下の喧嘩の場に居合わせました。これも皆様の気が立っている証拠なのでしょうね。周りには目もくれず、公衆の面前で派手に言い争いをなさっていて……」

「両殿下が?」

「ええ、決闘を行うとかなんとか。きっと誰かが止められるでしょうが、あれでは周囲が不安になるだけでしょうに……」

「ほう、決闘を。それはそれは……なんとも王室の方らしからぬ言動だ」

「……ライナルト様は決闘をご存知で?」

「もちろん知っていますよ。ファルクラムの愚かしき伝統というやつです」


 彼が何を楽しみにしているのかはわからないが、浮かれているというのは理解できた。……なぜだろう。彼が愉しむ分だけ、私にとってはよくない不安の方が募るばかりだ。ひとまず先のコンラートの件について礼を述べると、ライナルトは鷹揚に頷いた。


「それで、カレン嬢の要件とはなんでしょうか。さぞお急ぎかと思い予定を空けさせてもらったのだが、まさか世間話をするためだけではないでしょう」

「……お話が早くて助かります。ただ、その前にいくらか聞かねばならないお話があるのですが……」

「どうぞ、私に答えられる内容であれば」


 気付かれぬようそっと息を吐いた。本題はコンラートの件であり、この場にいないウェイトリーさんにもそのために彼を訪ねるのだと伝えていたが、実を言えばこの疑問を解決したくてライナルトの前に座ったのである。

 

「では、まず質問から。……これは私のささやかな疑問です。ですからまだ誰にも話していないのですが……」


 念のため前置きは忘れない。ウェイトリーさんは無関係だと伝えるためだった。


「ライナルト様は今回のコンラートの襲撃をご存知でしたか」


 ああ、聞いた。聞いちゃったよ。

 暑くもないのに汗が噴き出てしまいそうだ。

 わかってる。この人にこの質問をするのは危険だというのは承知している。本当は恩人にこんな質問するべきじゃないけれど、避けていい話題じゃない。こちらは緊張に体をガチガチにしてきいたのに、相手はまるで動じなかった。


「知っていた、とはどのような意図を持たれた質問だろうか」

「言葉遊びはいたしません。私共が襲撃を受ける以前、もっといえば陛下やローデンヴァルト候より報せを受ける以前からコンラートの襲撃を察知されていたのかとお聞きしました」

「ふむ。……私はあなた方の救援依頼を受け味方を助けに兵を動かしたはず。お互いのためにもそうなっているはずなのですが、どうしてそのような質問をされるのだろう」


 ……もっと話術を磨くべきだろうか。

 その一言に出方をしくじったのを悟った。すぐに両手を軽く持ちあげ空手である証明をする。喧嘩しに来たわけではないと態度で示したのだ。


「誤解なさらないでください。私はあなた方と言い争いをしに来たわけでも、まして糾弾しに来たわけでもありません。本日はただお話を持ってきただけ、そのために必要な話をしているだけなのです」


 こちらの意図を探るような視線がおそろしい。……やっぱり普段の態度を当然として考えてはだめなのだと思い知らされた。


「恩人にこのような不躾な質問をして申し訳ないと思っています。ですがどうかわかっていただけませんか。襲撃前にコンラートを訪れたあなた方はラトリア側を異様に気にしていらっしゃいました。それだけでなく、都合よく私共の近くに兵を置かれ、斥候まで放たれていたのです」


 運がよかったといえばそれまでだが、神に感謝して両手を合わせ続けるほど呑気ではない。


「命を救われたことには感謝しています。私が疑り深い性格だからでしょうか……偶然にしてはあまりにも都合がよすぎたのだと、気になってなりません」


 これがあの日、偶然近くにいただけの諸将だったら間違いなくこんな話はできなかっただろう。これはライナルトが完全に国内の人間ではないから、なによりある程度とはいえ彼という人物について知っているからできた質問なのだ。


「ライナルト様は帝国側にも繋がりがある御方だとお見受けしております。此度の件、なにか聞いていたのではありませんか」


 もし激怒されようものなら追い返されても仕方ない質問だ。けれどライナルトは怒らない。それどころか態度も変えず言った。


「知っていた、といったらどうされますか」

「それは……」


 ……だとしたら、後見人の話はできない。それでは死んでしまった人たちが浮かばれないし、私は肩を落として帰るしかないのだろう。言い淀んでしまったところで、ライナルトは茶器を手に取っていた。


「……冗談ですよ」

「では、知らなかったと?」


 よかった。なら、単なる勘違いだったのだ。ただの恩人であればこちらも……。

 

「コンラートが襲われるであろうことは聞いていた」


 今度こそはっきりと心臓が凍り付いた。まさか、と思っていた予感が当たってしまったのだ。同時に、知らなくても良い事実を聞いた自分の今後について深く考えていなかった、その浅はかさにも凍り付いた。……きっと、心のどこかで否定されることを期待していたのかもしれない。

 口内が乾いていく、思考を止めようとする自分を叱咤した。


「……知っていて、襲わせた、と?」

「誤解しないでいただきたい。私が聞いていたのはコンラートが襲われるかもしれないという不確かな話だけだ。こちらとしてはラトリアがあのように早く動くなどとは予期していなかった」

「では、いつ頃と……」


 聞こうとして、はたと気付いた。そういえばコンラートで伯とラトリアについて話をしたのだ。冬頃にラトリアが仕掛けてくる可能性は低いと言っていたではないか。


「……春、ですか」


 正解を引き当てたのだろう。眉がぴくりと動いたのを見逃さなかった。

 深く、深く息を吐いて頭を下げる。

 どくんどくんと心臓が高鳴っているのだ。悪い方の可能性を引いてしまった、頭では様々考えていたのに、いざとなると混乱ばかりが襲ってくる。

 冷静になれ、考えるのを止めてはいけない。コンラートで教わったことを無駄にしてはいけないのだ。

 

「私もカレン嬢に伺いたいな。貴方がその話をしにきたのであれば、返答によってはお帰しするわけにはいかなくなった。ご自身がおかれた状況は理解されているだろうか」

「……口封じ、と言いたいのでしょうか」

「無抵抗の者を殺めるのは好きではない。しばらく拘束させていただく程度でしょう」


 だったら命は奪われない。それがわかると少しだけ気が楽になった。顔を上げるとライナルトの目を見据える。


「……襲撃を知っていた、というのは理解いたしました。でしたらひとつ確認させてください。ライナルト様は、コンラートの襲撃をどうするおつもりだったのでしょうか」


 あの日私たちを助けてくれたように救援をくれるつもりだったか、それとも襲わせるままにしていたか。彼が演練と称し兵を近くに置いていた理由はなんだったのだろうか。けれどライナルトは率直な言葉を避けた。


「私の返答は以前あのご老人にお伝えしたとおりだ」


 以前。以前という言葉でライナルトと伯の会話を思い出した。

 ――そのまま惨めに朽ちていくがよろしい。

 かつてライナルトは伯にそう伝えた。惨めに、という言葉はラトリアに殺されればよろしいという風にも取れるのだが……。それは違うように思えた。ライナルトは本心からあの言葉を放ったのだ、伯のあの死に様を許容していたようには思えない。


「……コンラート領で老いて死に逝けと言われた。襲撃を認める気はなかったと、そう受け取ってもよろしいのでしょうか」


 返事はない。何も反応がないけれど、涙が滲んでいくのは許して欲しい。この人が知っている情報を陛下や、せめて伯に渡してくれさえしたのなら、あの全滅はなかったかもしれないのだ。

 何度目かもわからない深呼吸をした。私にだって知らないことはたくさんある、彼にも彼なりの事情があったのかもしれない。けれど、それらすべてを差し置いても、その澄ました顔を引っぱたいてやりたい。

 ……コンラートは滅んだ。これはもう覆らない事実であり、相手を責め立てたところで「もしも」なんて仮定の話はやってこない。私の気は晴れないし、ヴェンデルの両親は帰ってこない。優しい使用人も、可愛らしい恋人達も思い出の中に消えたのだ。

 いまは現実を受け入れた上で相手の立場を見極めなければならないときだ。


「いえ、失礼しました。あなたにもあなたなりの目的があると知っています。これ以上はお話できないということなのでしょう」

  

 私が普通の人と違うのは、少しだけ人生経験を重ねているという点だ。少し発言力がある程度の小娘が騒ぎ立てたところで、実力が伴っていないことを知っている。

 だから間違えてはならないのだ。私が行わなければいけなかったのは事実確認。相手をなじり、感情のままに騒ぎ立てることではない。日本人であったときと一緒だ、真実を突きつけたところで神様が手を差し伸べてくれる世界ではないのだと認めるしかないのだ。

 この人を相手に涙を武器にするつもりはなかった。目元を拭うと背筋を伸ばし、姿勢をととのえる。


「…………本題に入りましょう。本日はライナルト様にお願いがあって参りました」

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