第61話 少年の意思

部屋に入れてくれるか心配だったのだが、すぐに杞憂であったと知った。目の下にくまを作った少年はだいぶ体重を落としてしまったようだが、その双眸はまだ輝きを消していない。私たち二人がやってきたことで何かを察したのだろう。無言で耳を傾けたヴェンデルの望みは単純だった。


「コンラートを継ぎたい」


 その一言に様々な想いが込められていた。胸の内で言葉を纏めているのだろう、たどたどしく思いを綴るのだ。苦悩に溺れながら自身の両手を見つめるヴェンデルの頭を抱き寄せ、つむじに頬を寄せる。ウェイトリーさんは主の言葉を聞き逃すまいと耳を傾けていた。


「僕が家を継ぐなんてありえないって思ってたから、ほんとはすごく迷ってるんだけど、でもさ、父さんは僕に残したいって言ってたじゃん?」

「うん」

「おじさんとおばさんに渡ったら、たぶん、僕には何も残らないと思うんだ」

「だから継ぐ?」

「それが最善だと思う」

「……もし残したいものがあるだけなら、私たちで都合はつけられると思う。ですよね、ウェイトリーさん」

「まだ混乱の最中ですから、旦那様の私物やスウェン様の持ち物はなんとでもできるでしょう」


 間違えてはならないのは、ヴェンデルの意思だ。私たちとしては伯の遺言をかなえたい気持ちがあり、そのつもりで行動しているけれどこの子に無理は強いたくない。コンラートを継ぐということは、これから必ず苦労が待っている。私たちが力を尽くしたところで、ヴェンデルにしか超えられない苦難の壁が立ちはだかるのは目に見えているのだ。

 ……まだ十一の子供に決めさせるにはあんまりな質問だが、それでもこの子を置いて勝手に決めるような真似はしたくなかった。


「こんな聞き方になってしまったのは本当に申し訳ないけど、継がなくちゃいけないなんて義務感で決めなくていい。あなたや残った人たちは私が面倒みます。だからもっと、ヴェンデルのやりたいことを考えてみて」

「……ありがと。でも、僕はできるならあの土地を再興させたいんだ。お墓もちゃんとしたのを作り直したい。人の手じゃなくて、自分の手でだ」

「わたくし共は、その御言葉がヴェンデル様自身の選択だと信じてもよろしいのでしょうか」

「僕だってここにきてから、父さんが残したものはどうなるんだろうってずっと考えてた。……でも僕は子供だから、ウェイトリーやカレンの力がなきゃなにもできない」


 だから、と少年は私たちから離れ、それぞれを見据えた。


「もし二人が助けてくれるっていうのなら、お願い。僕に父さんの残したものを継がせてほしい」


 ヴェンデルなりの決意があったのだろう。頭を下げる少年の姿にウェイトリーさんは固く目を閉じている。少しだけだけど、長年ヴェンデルを見守ってきたこの人の気持ちはわかるつもりだ。


「伯の遺言だもの。協力を惜しむつもりはありません。……だけどひとつ条件があるの」

「……なに?」

「ウェイトリーさんか、私か。もし将来、ヴェンデルがコンラートを継ぐ以外にやりたいことができたら、それを包み隠さず話すこと」


 ヴェンデルは不思議そうにこちらを見上げる。いまはまだ、ヴェンデルにはわからないだろうけれど、これは言っておかねばならない。


「これから学校に通って、たくさんの人と関わる内にヴェンデル自身がやりたいことが出てくるとも思うの。それをちゃんと話して」

「それは……」

「いいの、いまはまだわからないと思うから。だから約束してくれたらいい」

「……話すだけなら、構わないけど」

「絶対よ?」

「わかった」


 いまはコンラートがなくなったばかりだから、選択肢が少なくてこんな道しか選べない。けれどこの子に伯の遺産を残すのは、あくまで伯の遺言を成し遂げるための過程に過ぎないのだ。


「……旦那様はヴェンデル様には好きに生きてもらいたいと考えておりました。難しいとは思いますが、どうぞ気負わずお過ごしください」

「そうそう、苦労は大人の役目だしね」

「カレンだってまだ十八じゃん。僕と七つしか変わらない」

「もう十八といってちょうだい」

 

 これでヴェンデルの意思は確認できた。あとは私たちがうまく話を進めれば良い話なのだが、これがなかなかネックである。

 ひとまず後見人候補として挙げたライナルトに面会を願うべきだろう。幸いにも傷の治療のため派遣された魔法使い経由で面会の約束は取れたのだが、当日になって場所が変更されたのである。

 これはライナルトに会うため、王城に向かう馬車内での会話だった。ウェイトリーさんに同行願ったのだが、ヴェンデルを跡継ぎに据えると決めてからは私の補佐的な役割をこなしてくれている。本来なら彼に表立って動いてもらいたいのだが、悲しいかな顔を利かせられるのは私なのだ。


「……では、ハンフリーの処遇はヒルに任せると?」

「それが一番妥当じゃないでしょうか。ヒルさんが監督すると言っているし、ヴェンデルも彼のことを気にかけてる」

 

 登城するだけなのだが、少しばかり良い服装で身なりを整えていた。窓枠に肘をつきながら、先送りにしていた問題の人物の名を挙げる。

 ハンフリー。コンラート脱出の際、ヴェンデルの居場所を叫び逃げだそうとした青年だ。


「ヴェンデル様にはこのまま伏せておくのですか」

「家族を亡くしたばかりで傷ついてる。このうえ味方すべきだった護衛が裏切ったなんて話したら立ち直れないかもしれない」

「……左様ですね。ヴェンデル様はお優しい。気にしないといいながら気に病むでしょう」


 まず生き残った護衛の一人、ヒルさんだが、この人は片腕を失ってなお剣を取る道を選んだ。庭師のベン老人の元で働くことを勧めたのだが、本人が片手があれば剣は振れる、肉盾くらいにはなれるといって拒んだのだ。彼は弟子であるハンフリーの助命を嘆願していたのだが、そのまま彼と共に復帰を許可した。ただし、ハンフリーは敵前逃亡の実績があるため、彼一人にヴェンデルや私の護衛は任せないという条件付きだ。

 もし次に裏切るそぶりを見せたらヒルさんはハンフリーを斬ると宣言し、青年もそれを了承したのである。


「これからの働きで信用を取り戻してくれると良いのですが」

「次はないと本人も理解しているから、大丈夫だとは思うけど……彼も今回の騒ぎで家族を亡くしてる。これ以上与える罰もないでしょう」

「ヴェンデル様が彼を信用しております。応えてくれることを願いたいですね」


 ハンフリーはヒルさんと共にコンラートの屋敷に戻していた。青年は罪悪感に苛まれているようだが、彼には裏切ったことをヴェンデルに喋るなと厳命している。ヴェンデルの中では、ハンフリーは命を賭して敵に立ち向かって囮を買って出た恩人なのだ。

 甘いとはわかっているが、私たちはこうして生きているのだから良しとした。結局、私はこれ以上コンラートの者を殺すことも追い出すこともできなかったのだ。過ちがあったのならやり直せる機会を与えようと望んだ結果である。


「……しかしカレン様、ライナルト様は引き受けてくださるでしょうか」

「相談するだけならタダですよ。これでだめだったら別の方法を考えましょう」


 ライナルトは現在多忙のため家に戻らず、王城近くの宿舎で寝起きをしているそうだ。先方は後日にしてもらいたそうだったが、今回は無理を通させてもらった。それというのも巷では帝国によるファルクラムへの派兵が決定したとの噂が流れているためだ。この話が事実なら対ラトリアに備えて諸将は戦に備えるだろうし、いっそう会う機会がなくなってしまう。


「にしても、王城へ出入りする人が多いですね」

「戦争が始まるかもしれませんから、慌てている者が多いのでしょう」


 王城に詳しいわけではなかったが、私たちを含めひっきりなしに馬車や人が出入りしている。一部では列を成して待機している人たちがいたのだが、おそらく彼らは陛下への目通りを願っている人々だろうと教えてもらった。


「ああして並んではいますが、それなりの伝手がなければ二日三日と待つことになる者もいます」


 馬車を降り、ライナルトが待機しているという区画に向かうのだが、その道中で人だかりを発見した。市街地ならともかく、王城で人だかりというのは珍しい。観衆には市民や衛兵のみならず貴族も多数おり、何事かと背を伸ばしていると、近くで噂していた貴族の話し声が耳に入った。


「ダヴィット殿下とジェミヤン殿下だそうだ」

「あの二人、またやらかしたのか」

「ジェミヤン殿下がダヴィット殿下をからかったらしくてな。普段ならダヴィット殿下も鼻で笑うだけなんだが、このご時世だ。嫌みを真に受けたらしくてな……」


 どうやら二人の不仲は、ある程度の人々には周知の事実らしい。

 確かに耳を澄ますと、聞き覚えのある声が言い争いをしている。わざわざ人だかりに飛び込もうという気にはなれなかったが、どうやらダヴィット殿下がジェミヤン殿下に手を出したらしい。


「父上たっての願いもあって貴様を補佐役に任命したというのに、この俺を差し置き裏で策謀を巡らすとは何様のつもりだ!」

「策謀!? 次期国王でありながら自覚も足りぬ兄上になにが任せられましょうか! 大体兄上が部下に任せるばかりで何も考えないから私が苦労しているのですよ!!」

「兄に向かって口答えするか!」

「私共の努力を、浅はかにも策謀などと決めつけるからでしょう!!」


 二人ともとっくに冷静ではないらしい。それぞれをたしなめる人たちの声も聞こえるが、まるで聞く耳を持たないようだ。二人の罵り合いはしばらく続いていたのだが、どうも口げんかではジェミヤン殿下に分があるらしい。しびれを切らしたダヴィット殿下が大声で叫んだ。


「貴様、俺に不服があるというのか!」

「不服!? ……当然でしょう、兄上のような者が次期国王とあれば民が哀れで仕方がないというもの」

「よくぞ言った! ならばお前は俺に楯突こうというのだな!!」

「貴方のような恥知らずが王冠をいただくのは承服しかねる……!」


 止められる者がいないから喧嘩は白熱するばかり。やがてダヴィット殿下が「決闘だ」と声高に叫んだのである。


「普通であれば、お前のような痴れ者を相手にするのも恥となろうが、仮にも弟だ。父上や先祖たちの前でどちらが正しい継承者であるか照覧いただこうではないか!」

「望むところだ、この短絡思考め!!!」


 決闘、という言葉に場がざわついた。兄弟は肩を怒らせながら人だかりを抜けるのだが、ジェミヤン殿下の後ろを追いかけるのは四十頃の中年男性である。姉さんの館でも見かけた、あの男性だ。


「ジェミヤン殿下、どうかお考え直しを……兄上様にあのようなことを言ってしまったとあっては、陛下もお怒りになりましょうぞ」

「やかましいぞ、ジェフリー! あの痴れ者にはほとほと愛想が尽きたわ……!」


 ……あの男性、ジェフリーという名前らしい。様子からして、ジェミヤン殿下お付きの者らしかった。夜会の日、馬車を止めたときの面影はすでに消え失せており、立派な風采の騎士といった感じだが……。ふとウェイトリーさんに振り返ると、血の気が失せていた。周りを見渡せば、貴族の中でも年配の方々が似たような形相に変じている。


「なんと……両殿下は本気で仰っているのでしょうか」

「ウェイトリーさん、決闘ってなんですか?」

「古い……古いしきたりです。王位継承を決定づける儀式と申しましょうか……」

「……王位って、生まれた順で決まるのではなかったでしたっけ」

「基本的にはそうです。ですが、ファルクラムにおいては王位に相応しい人物を選定するための儀式がございます」


 それが決闘による神前試合だとウェイトリーさんは言うのだ。次期王位継承者に挑むことができるのは王の血を引く者のみだが、決闘は長年行われていなかったらしい。直近で行われた試合も二代前の話らしい。


「いくら兄弟といえど、試合に負ければ耐え難い辱めを受けるでしょうに……」


 なんとまあ、口喧嘩一つで大層な話に発展したものだ。呆れはするが、以前からの仲の悪さを踏まえれば納得である。この国と、いずれ生まれるであろう甥か姪の将来が不安である。陛下や王妃がうまく取りなしてくれればいいのだが。


「……しまった。約束の時間に遅れる」


 早めに到着していたからよかったものの、目的の場所までは距離がある。急ぎ足で向かったのは多くの兵が詰める一画だ。到着を待っていたのか、案内役のヘリングさんが待機していたのである。

 

「お待ちしておりました。ちょうどライナルト様の手が空いたところです。既にお待ちいただいておりますよ」


 ……

 ウェイトリーさん協力のもと、コンラート繋がりで他にも後見人となってくれそうな善良な人々はピックアップされていたが、親戚筋一同に文句を言わせないほどの人物となると候補は彼しかいなかった。

 正直あまり頼りにしたい人ではないけれど、一応は打算もあって今日の会談に挑むのだ。


「ライナルト様、コンラート辺境伯夫人をお連れしました」


 「入れ」という声のあとに中に通される。久々に顔を合わせる金髪の男性は悠然と腰をかけながら、向かいの席へと手を差し向けたのである。

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