第60話 頼みの綱は
ウェイトリーさんは重々しいため息を吐いた。
「カレン様もご存知の通り旦那様には弟妹がおり、その家族含めた方々がコンラートの資産を狙っております」
私がこの話を明かされたのはコンラートに住んで一年目くらいだったか。伯に呼び出され、親類との関係はあまり良好でないことを聞かされた。その主たる原因はスウェンである。実子といえど貴族ですらないエマ先生との間に生まれた彼を疎んじる者は多く、自身の血筋の者を養子として迎えさせたがっていた。
「旦那様はスウェン様を跡継ぎと定めましたが、その際、反対意見を出す者はほとんどおりませんでした。その理由はおわかりでしょうか」
「もし私に子が授かればその子が嫡子となるからね?」
「そうです。カレン様はまだお若いうえに、どうあがいても先に亡くなるのは旦那様だ。正妻、そして血筋を口実にスウェン様を当主の座から引きずり落とすのは容易いでしょう」
「……私を言いくるめて舵を取りたい、といったところでしょうか」
「もしくは、血の重要さを説き、自らの血筋の者を夫としてあてがうという手もございますね」
「どう落としてくるのかは置いといても、難儀な話ですね。嫁いだ頃なんて、婚姻に異を示して顔見せにもいらっしゃらなかったのに」
「すぐ離縁すると思われていたのでしょう」
彼らは、私が思いのほかコンラートでうまくやっていることを意外に思ったに違いない。まあ、この仮説が真実だったとしても構いはしないのだ。なぜなら私と伯は家族愛はあっても、男女愛は存在しなかった。期待させておけば向こうが勝手に自滅してくれるだけの話だったのだ。
ところがそうはいかなくなった。問題は先の襲撃の通り、コンラートの正しい血を引く者がいなくなったからだ。もちろんヴェンデルは伯の息子だ、たとえ血が繋がっていなくてもコンラート家一同、私やウェイトリーさんもあの人の息子であると断言する。
けれど対外的には、いくら第二夫人と謳おうともエマ先生はただの内縁の妻。ヴェンデルは彼女の実子ですらない連れ子である。
「ヴェンデルの養子入りはスウェンの当主就任と合わせる予定だったんですよね」
「その通りです。その方が、障りも少ないだろうと旦那様が……」
なるべく穏便にすませたかった思いがここに来て裏目にでてしまったのだ。このままではヴェンデルを嫡子として据えるのは難しい。伯の手紙を陛下に届けたこと、そしてその際の反応を伝えた上で尋ねた。
「陛下は名誉を保証してくれると言っていましたし、この言葉に期待するのは難しいでしょうか」
「尽力はしてくださるでしょうが、頼りにするばかりでは危険です。貴族社会は血を重んじる。私たちはヴェンデル様を知っていますから、将来においても良き領主になると疑いもしませんが、彼らはそうもいかない。おそらく周りの貴族も同調するはずだ」
「……騒ぎ立てられると陛下も無視できませんね」
「コンラートの血を引いていない。それだけで彼らにとっては罪なのです」
私からすれば、あの子ほど伯に似た子もいないのだが……。異議を唱える連中がいたら啖呵を切ってビンタしてやりたいが、それもヴェンデルの評判を落とすだけだ。
せめてちゃんと養子入りさせていれば、伯の遺志を汲んでいるのだと声高に宣言できるのだが……。
「ウェイトリーさん、いまのコンラートにおいて、私の立ち位置はどうなっているのでしょう」
「いまは騒ぎが起こったばかりですから大人しいでしょうが、キルステンにお戻りになるのを期待しているといったところでしょうか」
……うん、まあそうなるよね。私は伯との間に子を成したわけじゃないし、まだ十八だ。キルステンに戻ると考えるのが普通だろう。
「その場合、ヴェンデルはどうなりますか?」
「ご親族のどなたかの家に引き取られるでしょう。世間体を踏まえると……まずは後見人としてヴェンデル様を養育しつつ、コンラートの実権を握る。あとは折を見てヴェンデル様を後継から外すのが順当でしょうか」
「……残ったとしても横やりは入るでしょうね」
「カレン様、貴女様がキルステンに戻されるという可能性もご考慮ください」
「…………そうでした」
放って置いてくれないかなあと思うのだが、うん、あり得ない話じゃない。貴族において婚姻は政治の駆け引き、まだ十八の娘なら充分価値はある。
ぬるくなった茶を煽るのだが、そんな私にウェイトリーさんは少しばかり顔を曇らせた。
「ただ、このようなことをお尋ねするのは失礼と承知しているのですが……カレン様は、コンラートに残ると考えてもよろしいのでしょうか」
それも重要な話だ。私は元々、あの土地で生かした経験を元に独り立ちする予定だった。このままコンラートに関わればそのチャンスは遠のく。キルステンに戻ってもまたいいように扱われるのだろう。
「機会はいくらでもありますもの。少なくともヴェンデルを放っておくほど薄情ではないつもりです」
伯は、自分のすべてをヴェンデルに残すと言ったのだ。あれはヴェンデルに、なにより私たちに告げた言葉だった。なぜならヴェンデルを養子に迎えていないこと、誰よりも理解していたのは伯自身だったからである。「あとを頼む」と言外に託されたのに、無視を決め込むほど冷酷ではない。
「……それを聞いて安心いたしました。いくらわたくしが家令と言えど、あの方々と争えるだけの力はございません。対等に渡り合えるだけの発言力を持つのはカレン様だけだ」
「姉が側室っていうだけで、私自身はなにもないのですけどねぇ」
困ったことに貴族に友達もいない、というか縁も遠いから横の繋がりもない。王都に残されているコンラートの財産目録を指で弾いていた。
「色々考えたのですが、望ましいのは私がコンラートの実権を握りつつヴェンデルを養育するといったあたりですか。……後見人まで望むのは難しいですよね?」
「そうですね、後見人としてはいささか心許ないですから、そちらは別の方を立てるべきでしょう。それにヴェンデル様はまだお若いですから、家族が必要です」
はっきり言われてしまったが、事実なのだから仕方ない。保護者兼後見人として立候補する案は真っ先に考えたが、社会的立場を考えると現状ただの未亡人なのだ。職を得ているわけでもないし、監護はともかく財産管理まですべてを行うとなれば信用が足りない。若すぎるし心許ないだろう。
「一番は両方を兼任できる方にヴェンデルを託すのが一番ですが……」
……ここは少々個人の主張が入るのだが、ヴェンデルの養育には私やウェイトリーさんが関われるようにしたい。両方を兼任してくれる人がいるなら万々歳だが……。
「実年齢はともかく、正妻であった事実を踏まえればカレン様が養育者として立候補するのは問題ないでしょう」
「……私が頼むとなれば兄さんか姉さんしかいないわけなのですが、それでもよろしい?」
「確実ではあるでしょうね。ただ……」
ヴェンデルの保護者兼後見人として、確実に信頼できて、なおかつ私たちが彼の養育に関わるのを許してくれる人物はいる。キルステン当主である兄さんなら確実だが、ウェイトリーさんが言わんとしていることは理解できた。
それは後日、この話を兄さんに持って行った時も同じ事を言われたからである。目を閉じながら私の話に耳を傾けていた兄さんは、人差し指で膝を叩きながら言った。
「引き受けること自体は構わないよ。おそらく反対意見も出ないだろう。いまの我が家なら後見人、あるいは養育者も兼任してコンラートの管理もできるはずだ。けれどそれをキルステンに頼むのであれば、我が家に大きな借りを作るのだと理解しているね」
コンラートほどの家を管理するとなれば、兄ではなく当主としての側面を出さざるをえなくなる。
「お前はまだ若く、贔屓目なしにも愛らしい女性だよ。だからキルステンの末娘が欲しいと名乗る家も出てくるだろう、そしてその中には我が家でも断れない家があるかもしれない。いくら一人でいたいと言われても、どうなってしまうかわからない」
「……覚悟を決めろと?」
「コンラートを我が家に任せるのなら、お前は家から離れられなくなる。……コンラートが特別お前に理解があっただけで、他の家々はもっと厳しいよ」
一瞬、もしや兄さんは私の目的を知っているのかと思ってあせったが違ったようだ。いくら兄妹といえども、すべて願い通りにはいかないと忠告しているのだろう。それでもヴェンデルのことを考えればここで頷くべきだろう。わかった、と言いかけたところでウェイトリーさんが間に入った。
「しばらく考えましょう。これは簡単に決めていい問題ではございません」
答えは一旦保留となったのだが、その日の夕方になると新たな問題が発生した。いや、この場合はやってきたと言うべきか。客が来たとの報せを受けて降りてみると、老年の男女がいたのである。彼らは伯の弟妹で、弟はギード氏、妹はグリーム夫人という。兄の訃報を聞いて駆けつけたと言われたのである。案内した応接室でコンラートの全滅、伯やスウェンの訃報を改めて話すと、二人は涙を流しはじめた。妹であるグリーム夫人は目元を真っ赤に腫らしたものだ。
「兄達が亡くなったと知らされたときは、まさかと思ったのです。私共はちょうど遠方にいたものですから、知るのが遅くなってしまって……」
「カレン様だけでもお救いになったのですな。さすがは我が兄だ、お救いせねばならない人を理解していたのでしょう」
「…………そうですね。いまの私があるのは夫のおかげです。皆が逃がしてくれたからこそ、私もヴェンデルも生きています」
ヴェンデルの名を出すと二人は痛ましいと言わんばかりに眉を寄せる。
「あの子も可哀想な子です。実の両親だけでなく、育ての親まで亡くすとは。……それで、いまヴェンデルはどうしているのでしょう」
「部屋で休んでおります。呼んでも塞ぎ込んでいる状態で……。突然のことでしたから、無理もないでしょう」
「怪我などはしていないでしょうか」
「擦り傷があった程度でしょうか。熱を出しましたが、いまは下がっております」
ギード氏の質問に答えるのだが、その問いには単純に甥っ子を心配しているというよりは、焦りが含まれていたように感じられる。伯の親族である二人にはコンラートの現状などを説明するのだが、どうも右から左へ流されている様子だった。一通り話し終えると、グリーム夫人はおそるおそるといった風に口を開く。
「……兄はなにか遺言を残したりはしていなかったでしょうか」
「遺言状は確認しております。後事はすべてスウェンに託すと記された書面を確認しました。後日、しかるべき場にて公開する予定です」
一年前から寝込むことが増えた伯は、もしもに備えて遺言状を作成し、それを大事にしまい込んでいた。今回持ってこれた書類の中に埋もれていたのだが、その内容は先ほど述べたとおりである。スウェン亡きいま、遺言状はほぼ無効とになると考えていいだろう。
二人があからさまにほっとした表情を見せたところで付け足した。
「ですが、私共を逃がす前にご遺志は伺っております。伯の築かれたすべての財産はヴェンデルへ託すようにと仰せつかりました」
これに二人は大変驚いた。これでもかといわんばかりに目を見開き、わなわなと唇を震わせたのである。
「ヴェ、ヴェンデルに……それは、つまりあの子にコンラートの名を?」
「はい」
この返答に、相手は見事に狼狽した。
「しかしあの子はあの女の……! 失礼、内縁の妻の連れ子で……!!」
「実子ではございませんわ!」
……この様子だと、まずヴェンデルが跡を継ぐとは考えてなかったのだろう。なるほど、こんな小娘にやたら下手に出てくるなと思っていたら、私が遺産を総取りすると思っていたのだろう。
「承知しております。ですが辺境伯自身のお言葉です、聞き違いはありません」
「兄はきっと錯乱していたのだ、そんな馬鹿な話があってたまるか!!」
「家令のウェイトリーも立ち会っておりました。それに夫は最後まで役目から目を背けることなく立ち向かっておりました、錯乱などされておりません」
ここからは泥仕合だ。相手は私の頭を疑っているらしく正気に戻そうと躍起になったが、こちらとしてもヴェンデルに遺産を残すのは大前提である。
「ヴェンデルに会わせていただきたい、あの子の意思を確認せねば……!」
「ヴェンデルは家族を亡くしたばかりです。傷も癒えていないというのに、資産の話をするのですか」
「大事な話です、そのようなことを言っている場合ではない!」
「……まだ決まったわけではありませんし、これではお互い納得いく形で話をおさめるのは難しいでしょう。本日のところはお引き取りください」
屋敷の護衛に協力願い、彼らにはお引き取りいただいたのである。隣室で話を聞いていたらしいウェイトリーさんは、顔を合わすなりため息を吐くばかりだ。
「あの方々も相変わらずですな」
「伯が近づけたがらなかった理由がわかった気がします。二人とも、泣いてはいたけどヴェンデルの心配はしていなかった」
兄である伯が亡くなったことには……本気で悲しんでいる風に見受けられたのが不思議だったが、こればかりは本人達にしかわからないのだろう。
「それに私が言ったことも信用してないのでしょうね。きっと財産を取られるんじゃないかって心配してそう。……世間的にはそう考えるのが妥当ですね」
「そんなことは……」
「年の離れた夫婦が、世間ではどう見られるかは理解してるつもりです」
しかし困った。あの二人にはああいったけれど、私たちはまだ肝心のヴェンデルの意見を聞いていないのである。落ち着いたら話をしようとタイミングをはかっていたのだが、この様子ではあまり時間はなさそうだ。
「もしヴェンデルが跡を継ぎたいと言ったのなら、やっぱり身分のしっかりとした後見人が必要ですね。後々口出しされないような、しっかりとした方が」
「はい。しかし、それではカレン様が……」
「…………キルステン以外のあてといったら、私にはあと一人くらいしか浮かばないのだけど」
「後見人を引き受けていただけそうなお知り合いがいらっしゃると?」
「いるもなにも、ウェイトリーさんもご存知の方です。複雑な関係ではありましたが、コンラートも今回で縁が生まれました。申し込む理由には足りるはずです」
引き受けてくれるかはともかく、だけれど。ウェイトリーさんは仰天したようで目を丸く見開いている。
「……ひとまずヴェンデルと話をしましょう」
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