第59話 動き続けるわけ

陛下のいる部屋から退出した私を待っていたのはライナルトだ。柱に背を預けていたらしく、こちらに気付くとわずかに口角を持ち上げるのだが、どこか軽薄に感じるのは気のせいだろうか。


「用件は終わりましたか」

「帰っていてくださってもよかったのに」

「ご冗談を。その怪我で置いていけるわけないでしょう」

「……それもそうでした」

「ご理解いただけてなによりだ。支えは必要ですか?」

「大丈夫だと思います。……よく考えたら傷口が開いたのはライナルト様のせいでしたね」

「おや、ゆっくりと走っていた方がよかったですか」

「ですからそういう意地悪はやめてくださいと……。これでも傷が痛んでるのです、なんであなたにまで苛められなければならないのですか」


 ああもう、やっと帰っていいのだと思えると改めて痛みがぶり返してきた。彼はこの脂汗が見えないのだろうか。差し出されたハンカチで額を拭っても、気持ち悪さは一向に消えてくれない。


「先ほどの武官が医師を手配すると言っていました。間もなく到着すると思いますが……」

「……いいです。それよりうちに帰ります」


 あの女性の心遣いは感謝するが、一刻も早く王城から立ち去りたい。それよりヴェンデルやウェイトリーさんが帰ってくる場所で、静かに休みたいのだと告げれば、ライナルトが上着を脱ぎ肩に被せてきた。


「いっ……!」

「治療をせず帰りたいのならそのままでいることだ。そのような状態で歩けば他の者が貴方を放っておかない」


 よたよたと歩き始めるのだが、どうにも私の歩みは遅い。極力周りは見ないようにしているけど、人の往来がないわけではないのだ。着の身着のまま、全体的にぼろぼろの私とライナルトではどうあっても目立つのだろう。女官が声をかけるか戸惑っているようだったが、ライナルトが断ってくれたようだった。

 

「……先ほどの続きですけれど、もし次に何かある際は、一言でもいいですから事前に教えてください」

「覚えていたら善処しましょう」


 ……返事の軽さ的に、これは期待できないな?

 しかしライナルトはなにがおかしいのだろう。ただでさえ出口が遠くてうんざりしている私とは違い、ご機嫌なようにみえる。


「随分嬉しそうですね、怪我をしている私がそんなに面白いですか」

「そこまで意地が悪いつもりではありませんが。……いえ、そうですね。面白がっているわけではないが、いささか不思議な気分なのは事実だ」

「不思議?」

「カレン嬢は度々無茶をされるが、その姿が興味深い。それに貴方やアルノー殿を見ていると、本来の兄妹というものは互いを想い合える存在なのかと考えることがあるのですよ。……失礼、やはり腕を貸します。怪我人をひとり歩かせるのはどうも気持ちの収まりが悪いようだ」


 結局ライナルトを杖代わりにさせてもらう。何度も足代わりにするのは申し訳ないが、抵抗する気力はなかった。


「好きで無茶をしているわけではありません」

「気に障ったのなら謝ります」

「気に障ったというより……。常々思っていましたけど、ライナルト様って優しい方ではないですよね」

「よく言われます。ところで熱があるように見受けられるが、いつからですか」

「……さぁ。大分前からなので」


 大半の原因は緊張感からの解放と疲れからで、熱と言われても今更だった。ここのところずっと微熱続きである。

 しかしここで兄妹とは……ライナルトにしては珍しく個人的なことを自分から話し始めた。


「ライナルト様は弟の立場でしたか。もしかして弟か妹がほしいとお思いになったことがあるのでしょうか」

「思う、というよりも……」


 ……やっぱり支えがあった方が歩きやすいな。なんとなく聞いた質問だったが、後々思うとデリカシーのない質問だった。けれどライナルトは気にした様子もなく会話に応じる。

 

「一応ですが妹がいます。仲が良いわけではありませんが」

「へ?」


 驚きすぎたせいか、変な声が出た。見上げたライナルトは愉快そうに笑っている。


「ああ、カレン嬢の想像される兄妹とは違います。父親が同じというだけで、互いに違う環境で育てられたから兄妹といってもほとんど他人だ。跡目争いで血も頻繁に流れている家系ですし、兄妹という自覚はほとんどありません。おそらく向こうもそうでしょう」


 だからキルステンのような仲睦まじさとはほど遠いとライナルトは言う。父親、という言葉で熱にやられた頭も少し冷えた。


「……ローデンヴァルトとは違う家族の話ですよね?」

「ええ、ご存知かと思っていましたが」

「詳しいわけではないので……」

「蛇足でしたか。ああ、妹については気にしないでください。カレン嬢に比べたらとんでもない輩だ」


 ……どんな妹さんなんだろう。

 ライナルトの父親が誰なのかを実際耳にしたわけではない。状況的にもしやと考えている人はいれども断定は避けているのが本当のところだ。

 ……この話題は触れるのをやめておこう。そしていまは重い話も避けたい。


「……ライナルト様はずっと私をカレンと呼びますね」


 以前から不思議だったのだ。人前では夫人と呼ぶが、そうでないときはカレン嬢と呼ばれることが多い気がする。そう呼ばれるのは嫌いではないし、なんとなく聞き流していたがずっと疑問だったのだ。試しに尋ねてみると、彼はなんてことはないと頷いた。


「難しい話ではありませんよ。単に……」


 単に、なんだろう。言いかけたところで女性の悲鳴が轟いた。カレン、とよく通る声が私の名を呼んだのだ。声の方向に視線を向けると、いまにも泣き出しそうな顔でこちらに駆け寄る姉さんがいた。後ろから兄さんやアヒムも追いかけてきている。


「カレン、カレン……!」


 ……この様子からして、コンラート領で何が起こったかは知っているのだろう。柔らかな両手が頬を包み込み、やがてくしゃりと顔を歪めて泣き出した。姉さんがこんな風に泣くの見たのは何年ぶりだろうか。兄さんも私が予想以上に弱っていたためか、表情は厳しめだった。


「ライナルト殿。カレンは……」

「傷口が開いたようだから、急ぎ連れて帰られるとよろしい。王城での治療は本人が拒まれた」

「傷が? いえ、だとしたらそんなことを言ってる場合では……」


 私の身体はアヒムに預けられた。身内が傍にいるし、ようやくもう眠ってもいいのだと思えると瞼も自然に降りてこようというもの。兄さんは治療したがっている様子だったが、睡魔に呑まれながら首を振った。


「元々治療はしてあるの。だから兄さん、お願いだから家に帰らせて」


 今日の私は頑張った。とても頑張ったのだ。色々足りなくはあったけれどもう家で眠る権利くらいはあるはずだ。本当はヴェンデルやウェイトリーさん達を出迎えたいけれど、彼らの到着を待つまで持ちそうにない。ライナルトなら領の皆を無事送り届けてくれるだろうし、少し眠るくらいなら大丈夫だろう。深い息を吐いた次の瞬間、睡魔は全身を覆っていた。

 次に目を覚ましたとき、隣で寝息を立てていたのはエミールだった。反対側では椅子に腰掛けた兄さんが間抜けな顔をさらしながらよだれを垂らしていて、風邪を引くんじゃなかろうかと呆れた記憶は新しい。

 額から落ちた布は湿っており、それでまた熱を出したらしいと思い至った。今度はどうやら丸二日眠っていたらしく、その間にヴェンデルやウェイトリーさんも到着し、各々身体を休めていたようだ。

 最後まで寝込んでいたのは私だと、果実の皮を剥きながらアヒムが語ったものである。


「お嬢さんのことだから気を張り続けてたんでしょう。そうやってため込むから倒れちまうんですよ。ほどほどって言葉を覚えてください」


 彼は私がコンラートに戻るのを反対していた一人だ。盛大なお叱りがあると覚悟していたのだが、意外にもアヒムの声は淡々としていた。ついに本気で呆れられてしまったのかと心配したところで、力なく笑われたのだ。


「言いたいことはたくさんあったはずなんですが、顔を見たらどうでもよくなった。……こうして目の前にいることに感謝してます」

「…………ごめん」

「いいんです。お嬢さんは頑張った」

 

 ウェイトリーさんは回復の兆しを見せているようで、意識もはっきりしている。残った領民達についても兄さん達と手配を進めているので問題ないという。ヴェンデルは体は回復したものの、伯達の遺品と共に部屋で塞ぎ込んだままだ。私はまだ会っていないが、エミールやアヒムが頻繁に顔を出して様子を見てくれている。風邪が完治するまで部屋から出るのを禁じられてしまったので、事細かに経緯を確認していた。

 本当はコンラートの屋敷で休ませてほしかったのだが、人手が足りないという理由で姉さんの館に運ばれていた。当然召使いや警護の手も行き届いており、世話人には事欠かない。怪我と風邪の治療を行う私の部屋に館の主人が立ち入るのは禁止されたため、再び姉さんと顔を合わせたのはごっそり体重が落ちてしまってからである。


「な、何か食べなさい。ちょっと、誰かカレンに食事を用意して!」

「食べてるんだけど……」

「ゲルダ姉さん、カレン姉さんはいまお肉がだめだから、それ以外にして」

「エミールに言われなくたってわかってるわよー!」


 私の顔を見るなり果物と食事を運ばせたのだから余程顔色が悪かったのだろう。……慌てる姉さんの騒々しさが救いになっていたのは秘密の話だ。その日から私に用意された部屋には軽食と果物が目立つところに置かれるようになった。

 この館に運ばれたのはヴェンデルと私と、そしてウェイトリーさんだ。ベン老人や、領民でも身寄りがなく、うちで働くつもりのある人はコンラート邸に移ってもらった。

 家令であるウェイトリーさんは伯の政務を手伝っていたこともあり、私が寝込んでいる間、寝台の上であれこれ指示を飛ばしていたようだ。兄さんもそれがわかっていたから、この人を私たちの傍に置いたのだろう。

 サブロヴァ夫人の館においてはウェイトリーさんも客人である。彼は主人のスケジュールの把握やティーポットの代わりに筆をとり、私が寝入っている間に行った業務を細かく記していた。

 兄姉への説明や、自身の心を落ち着けるのにいくらか時間を要した。やっと落ち着いた状況でウェイトリーさんと顔を合わせたとき、お互いから漏れたのは形容しがたい微苦笑である。


「コンラートで働きたいと残ってくれた者は多くありません。ほとんどが金貨を選び離れていきました」

「十人もいないのね。思ったより少なかったけど、無理もないか。皆、目の前で家族を亡くしていった」


 仕事や住処がないのは苦だ。行き場のない者はほぼ全員残ると思っていたから、どう仕事を割り振るかすら悩んでいたくらいだ。残念でなかったといえば嘘になるけれど、言葉通りの気持ちでもあった。ウェイトリーさんも同様だ。


「……毎晩あの日のことを夢に見るの。いい目覚めってどんなものだったかしら」

「わたくしも同じです。毎晩魘されては起きるの繰り返しです」


 寝れば悪夢ばかりだ。所謂、心的外傷。別名トラウマ、PTSDというやつだったか。そんなものとは無縁の生活をしていたから、いまだにどう対処していいのかわからない。


「エミールから聞いたのですが、夜中、ヴェンデルの部屋から悲鳴がするのですって。あの子が気にかけてくれてるから、変な気は起こさないようだけど」

「エミール様に感謝せねばなりませんね」

「本当に。完治したらなにかお礼をしなきゃ」


 アヒム曰く、エミールは実家に戻っていないようだ。姉さんの世話があるからと断り続け、今度は私たちが大変だからと居座りを決め込んだらしい。学校もここから通い、帰ると勉強と平行しつつヴェンデルの様子を見てくれている。

 ウェイトリーさんは怪我を押しつつ事後処理、私もようやく病明けとあって余裕がないのだ。ヴェンデルをあまり見てあげられず、感謝してもしきれないだろう。本来世話を焼かれるはずだった姉さんは、コンラートが襲撃を受けたと聞いてから憑きものが落ちたように覚醒したようで、自分がしっかりせねばと言い張っている。いまじゃかつての力強さを取り戻しつつあるようだ。


「ヴェンデル様と話すことは多々ありますが、いまはこちらが優先でしょうな」

「そうですね。……寝込んでいる間、お手数おかけしました」

「礼をいわれる必要などありません。わたくしが寝込んでいる間、すべて請け負っていてくださったのは奥様……カレン様です。わたくしも成すべきことをしたまでです」


 こぢんまりとした部屋。誰にも立ち入らせず私たちだけで向かい合うのは、机の上に重ねられた紙類を確認するためだ。これらはコンラートが所有する財産目録含めた記録、私が伯の書斎をひっくり返し持ってきた書類の数々だった。


「時間が足りず、わたくしもすべてに目を通せたわけではありません。残った秘書官達も根回しに駆け回っておりますので……」

「伯がもういらっしゃらないのですもの、仕方ありません。一つずつ当たっていきましょう」


 ウェイトリーさんが生き残ってくれただけ、随分仕事が楽になったというものだ。私一人では彼らに仕事を割り当てるのは時間がかかった。


「……ひとつ確認しますが、その秘書官達を信用してよろしいのですね?」

「もちろんですとも。幸いにも旦那様は信頼できる者を王都に残していました。数十年にわたりコンラートに尽くしてくれた者もいます。声をかけたのはそういった者達だけですよ」

「……よかった」

「後日、カレン様とも会う機会を設けましょう。信頼に値する者達だとご理解いただけるはずです」

「期待してます。仲良くやっていきたいもの」

  

 こう言ってしまってはなんだが、やることがあるのはいいことだ。少なくともいまは夢見が悪いからと枕に頭を押しつけ続けなくて済むし、肉の焼ける臭いを思い出して吐いても立っていられる。


「……さ、はじめましょう」


 特に相談していたわけではなかったが、お互いやるべき事は定めていた。きっとウェイトリーさんも伯の言葉を忘れられなかったのだろう。

 目下、私とウェイトリーさんの目的はただ一つ。伯と血の繋がらないヴェンデルに、できる限りコンラートの財産を託す手筈をととのえるのである。

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