第44話 幕間、彼の妹+新表紙とアヒム&アルノー

 アルノーの妹は、一言で表すなら変な娘だった。


 ある日の話だった。遠方に嫁いだ妹の十八回目の生誕日に向けて贈答品を選んでいたのだ。疲れが目にきたのか、こめかみを揉み解したところで乳兄弟のアヒムからストップが入った。


「坊ちゃん、疲れが溜まってるんです。そこまでですよ」

「とは言ってもなあ。やることが山積みなんだ、そうそう休むわけにはいかないだろう」

「休むのも仕事のうちですよ。坊ちゃんが倒れちまったら、キルステンはお終いだ」

「まだ父上も元気だ…………アヒム、坊ちゃんと呼ぶのはよせと言っただろう」


 この幼馴染みはたった数歳年上なだけで、いい歳をした大人を「坊ちゃん」と呼ぶ。一応人前ではわきまえてくれるようだが、長年の癖なのだろうか。アヒムのこの癖がアルノーは恥ずかしく、事あるごとに止めろと言っている。

 しかし当のアヒムは羞恥心などまるでないらしい。意地の悪い童のように口角をつり上げると、いやらしく口元を歪めながら笑うのである。


「止めてほしかったらとっとと休憩するんですよ。あんたが休まないとおれが休めないでしょうが」

「好きに休んでいいと言ってるだろう」

「気分の問題なんですよ。まったく、部下を大事に思うならもっと考えてほしいもんです」

「これでも充分安らいでるさ、なにせ口うるさい秘書官がいない」


 他の秘書官がいればアヒムの無礼な口の利き方に渋面を作っただろう。しかしこの場は二人しかおらず、この家に普段住んでいる少年は現在学業に励んでいる時間である。避難所として購入した家は、アルノーの精神的休息所として順調に機能しているようだった。

 自称アルノーの忠実な下僕は主の目の前に置かれた書類を手に取ると、呆れたようにぼやく。


「ったく、お嬢さんへの贈り物はいいとしても、ダンストはお父上に任せておけばいいでしょうよ」

「ドミニクやマリーについてはお爺さまに直接頼まれてしまったからね、無下にはできないよ」

「つっても……マリーさんはともかくあの野郎は毒にしかなりませんよ。金だって貸せないんでしょう」

「まあね。だからせめてマリーくらいは離縁させてあげたい」


 ドミニクとマリー。二人ともアルノーの従兄妹であり、いまや落ちぶれたダンスト家の兄妹である。現在この家はドミニクの背負った借金により、閑古鳥が鳴いている状態だ。妹のマリーは遠方の地に嫁がされ、その対価で得た金によってなんとか体面を保っているという状態だ。アルノーの代になってから、キルステンは表向きダンストと縁を切る形となった。


「しかし離縁させてどうするんです。戻ったところであの家にはなんにもないって話だ。給金が払えなくなって使用人には逃げられる、家の中にある物はほとんど売り払った。残ってるのは屋敷くらいのもんでしょうよ」

「そうだね、付け加えるならドミニクの数々の醜態も噂になっている。爵位返上も時間の問題だろう」

「……どう決着付けるつもりなんです」

「お爺さまは、ドミニクや叔父上達がその気ならご自身のところに引き取っても良いお考えだ。何もかも捨ててもらう形になるかもしれないが、このまま首を括るよりはいいだろう」

「……拒否したら?」

「…………お爺さまには、私の持っている荘園でも管理していただこうか。孤児が多い地域だ、やることがあれば気も紛れるだろう」

「さいですか」


 アルノーとしては何がなんでもドミニクを救援するつもりはない、ということなのだろう。


「最近はコンラートについてもなにも言ってきませんね。諦めたんでしょうか」

「カレンは強情だからね。それにうまくやっていると聞いて、ほとんど諦め気味だ」


 妹をコンラート領に送り届けたものの、結局は結婚に反対すると意気込んでいた祖父なのだが……彼女が祖父の意思に反してコンラートに残ったのがわだかまりとなって残っているようだ。それにコンラート辺境伯にも要望をはね除けられたこともあり、以来、カレンの話は没交渉である。


「孫娘なのに、ちょっと我が儘言っただけで冷たいですねえ」

「……お爺さまとしては善意のつもりだったのだろうからね、仕方ないさ。そういう意味では頭が固い人だから……」

「可哀想な孫を助けようとしたらはね除けられたんで矜持が傷つけられた、と言えばいいものを」


 アヒムは彼が口にしにくいことをずばり言ってしまう。それが若き当主にとっては心地良いこともあったが、この時は苦笑を零すばかりである。


「頼むから、皆の前では言わないでくれよ」

「言えるわけないでしょ。俺だって職を無くすのは御免です」

「……お爺さまとて悪い方ではないんだ。お前もわかっているだろう?」

「もちろんですとも。俺が坊ちゃんの近くにいられるのは、あの方の口添えもあったからですしね。非難してるわけじゃありませんよ」


 この家に使用人は置いていない。数日に一度清掃人を入らせるだけだと知ったら父は眉を顰めるだろうか。コンラートの大事な一人息子を預かっておきながら不用心ではあるのだが、これはスウェンの希望もあってわざとそうしていた。この家における料理や簡単な掃除に洗濯はすべてスウェンが担っているといっても過言ではないだろう。現在アルノーが座っている書斎が綺麗に片付いているのも、少年のおかげである。


「しかしスウェンは本当に気が利くな。この間まで散らかっていた本棚が片付いている」

「母親の手伝いでなんでもしてたみたいですよ。ずっと周りに人がいたようだし、いまは半一人暮らしが楽しくてしょうがないんでしょう。いまは友達も増えたみたいだ」

「……悪い友達じゃなければいいが。まあいい、お前が一人暮らしをしていたら、自堕落に過ごすだけだったな」

「坊ちゃんなら料理できず空腹で倒れていたかもしれませんね」


 ここにキルステンの次女がいたのなら、似たもの同士と嘆いていただろう。

 スウェンに対する気遣いが少年の独立心や自尊心を高めてしまうことを、このときのアルノーはまだ知らない。冬を前にした頃、護衛も付けず家を飛び出すなどとわかっていたら、まず少年専属の護衛を雇っていたはずだ。


「……ま、好き勝手できるのもいまのうちくらいでしょうから俺は良かったんですが、正直、坊ちゃんがこの状態を認めたのは意外でしたよ」

「そうか?」

「そうですよ。せっかくの避難所なのに、てっきり使用人で固めてがちがちにするのかと……」

「お前、私のことを堅物だと思いすぎじゃないか」


 いまはまだ自由を夢見る少年の姿に、かつての自分を重ねたのかもしれない。

 首を傾げる幼馴染みに、アルノーもまた意外そうな顔になった。


「お前風に言えばだ、私とて嫡男に定められる堅苦しい生活を糞食らえ、と思う時もある」

「珍しく愚痴ですか」

「こう忙しくては愚痴も吐きたくなる。多少はマシになったが、まだまだ人が足りていないんだ」


 人々が揶揄するように、キルステンはただの中流貴族から突如として成り上がってしまった家である。長女であるゲルダのおかげで格式高い家々とも繋がり、新たな領地を得るにも繋がった。税金を管理し特産物を貿易するのはよかったが、明らかにこれまでの仕事量を超えていた。つまるところ人手不足に悩まされたのである。

 父も裏方に回り、人も育ってきたから負担は軽くなったが、もう一年はこの状態が続くだろう。逆に言えばあと一年で楽になれるのだが、油断は許されない状況だ。


「張り切るのは結構ですが、また痩せ細るのは勘弁してくださいよ」

「わかっているよ。カレンに怒られたくはないからね」

「理解してるんじゃないですか。じゃ、酒でも飲みましょう」


 ソファの裏に手を回すと葡萄酒の入った瓶を取り出す。他にもナッツ、チーズ、干物と手際よくつまみを取り出す様に、キルステンの若き当主は呆れかえった。


「いつの間に持ち込んだんだ。ちっとも気づかなかったぞ」

「酒ならこの間から置いてましたよ。いい加減消費したいと思ってたんです」


 木製のカップになみなみと液体を注がれる間に書類を横に片付ける。こういうときのアヒムが止まらないのは知っていたし、なにより彼自身、酒は好きである。グラスで飲もうがカップで飲もうが、葡萄酒の味は変わらないと言っては酒に失礼だろうか。つまみを囓りながら、ふとこんなことを言っていた。


「そういえば、このあいだ帳簿を確認していたんだがな。少し気になる出費があったんだ」

「へえ、たとえば裏金とか?」

「鋭いな、正解だ」


 まさか当たるとは思っていなかったのだろう。真顔になった青年にアルノーは続ける。


「結構な金が出ていたから辿ってみたら、使っていたのは父上だった。渡した相手は誰だったと思う?」

「さぁ……裏で商売してたとか、女に貢いだとか……いや、あの人はあり得ないか」

「その方が気は楽だったな。……カレンの父親に渡していた」


 カレンの父親、という言葉にアヒムが閉口した。言葉通りの意味なら、アルノーの母の浮気相手である。青年は身を乗り出し、今度こそ真剣に話を尋ねていた。


「ちょっと待ってください。そっちの方は、お嬢さんを引き取らせた時点で養育費として結構な額を渡しているはずだ。それに再引き取りの時も……」

「ああ、かなりの額が渡っている」

「それとは別なんですね?」

「そうだ。カレンが嫁いでしばらくしてからだから、辻褄が合わない。私は何も聞いていない」


 アヒムは難しい顔をして黙り込む。この後、彼が何というかも見越していたから先手を打った。


「探しても無駄だ。いま、彼や彼の家族はファルクラムにいない。大分前に遠方に発ったそうだ」

「……国外に?」

「カレンの実父といえど、関わりたくないと思っていたのが裏目に出た。気づいたときには遅かったな」


 アルノーはため息まじりに呟くが、母の浮気相手など知りたくないというのは当然の感情ではないだろうか。 

 

「醜態も晒したようですし、普通なら居辛いんじゃないですかね。だから国を出て行ったとしたら……それならお嬢さんを渡された時点で出て行ってますか。あのときは面の皮が厚いにも程があると思ったもんですが」

「……金を積まれて出ていった、と考える方が妥当だろうな。問題は、なぜ三度目も金を渡す必要があったか、だが」

「お母上はどうなんですか」

「どうももなにも、エミールの教育に力を注ぐのみだ。相変わらず、平和な世界で生きておられるよ」


 空になったカップに、再び葡萄酒を注ぐ。酒の力を借りずにはやっていられないのだろう。この時、彼の脳裏に浮かんだのは二番目の妹の姿だ。


「……瑪瑙の胸飾りも付け足すか」

「またそうやって高いのばっかり送ろうとする。本人に実用性の高いものにしろって言われてたでしょ」

「しかしそれではカレンの資産にはならないだろう」

「…………酔ってます?」

「酔っていない」

「……まーだ気にしてるんですか。本人に言ったって、あらそう、くらいで終わりますって」


 アルノーがカレンに負い目があることをアヒムは知っている。きっとカレン本人が聞いたら、それこそアヒムの言うとおり五秒も経たずに話を終わらせてしまうような内容だ。


「妹を妹のままでいさせたかった、他人にはしたくなかった。……おれは悪いことじゃないと思いますよ。仲のいい兄妹だったんだ、切り捨てたくないって気持ちはわかります」


 ゲルダが妹の名誉回復を願った際、本当は止めるべきだともわかっていたのだ。

 アルノーは天井を仰ぎ、いまもこの選択が正しかったのかを自問自答している。


「カレンがいま楽しそうなのは、辺境伯がカレンの自由さを良しとしているからだ。おそらくだが、あの子は貴族そのものが向いていない」


 一人暮らしを始めてからの方が生き生きとしていると報告を受けて知っていた。不倫の末にできた娘を実父に引き取らせたのだ、そのままにしておけば、多少生きづらいかもしれないけれど、余計な注目も浴びずに生きていけるはずだったのだ。


「あのまま離してやるべきだったんだ。けれど母上はキルステンの遠縁だ、カレンには多少なりともキルステンに通じる血は流れている」

「血縁関係だったのは幸か不幸か、どっちだったんでしょうねえ」

「どうなのだろうな。大事なのは、私もゲルダも、それにエミールもあの子が好きだったということだよ」


 いまおもえば妹は兄姉全員をよく見ていたと思う。アルノーの体調を気遣い、根気よくゲルダの話し相手をつとめ、末っ子だからか母の愛情を独り占めするエミールでも可愛がった。長男長女がすでにいて、第三子という微妙な立ち位置の彼女が一番目をかけられていない子であるのにも関わらずだ。誰かが悩みに追い詰められているときは、それとなく傍にいることも多かったように感じる。

 だから、なのだろうか。ゲルダはカレンを可愛がったし、他人になってしまうのが認められなかった。アルノーもその気持ちは同様で、ドミニクあたりはそれも気に食わなかったのだろう。


「……昔っから変な子でしたからねえ」

「そうだなあ、いつだったか。カレンは言葉を覚えるのが遅くて、父上や母上は相当心配していたな」

「ほんとに昔の話ですね。いやでも、あの頃は成長が遅くないかって噂がありましたね。坊ちゃんはすぐに否定されてましたが」

「知恵遅れとは違う感じがあったし、皆を観察して、それに合わせて動いているような節があったからね」

「わかるような気がしますが、おれはそれがちょっと不気味だったなあ」

 

 などと、青年は意外な事を口にした。驚くアルノーに、彼は向かいのソファに寝転がりながら語るのだ。


「ゲルダお嬢さんの時と違って、おっそろしいくらいに手がかかりませんでしたからね。便所関係なんてほとんど失敗しなかったんでしょう。お袋達はお利口さんだなんて言ってましたが、おれにしちゃあ何考えてんだこいつって気分でしたよ」

「……そうか? それにしては、世話を焼いていたようだが」

「ああ、それね。いつだったかな、ドミニクがお嬢さんに言ってたんですよ、お前はよくわからんし気持ち悪いって」

「あ、あいつ……いつの間にそんなことを……」

「そしたら翌日から甘えるようになってましたね。ちょくちょくわがままも言うようになりました」


 当時のアヒム少年は、やはりそれも気持ち悪かったらしい。しかしそこは将来仕える主の妹、大事にせねばと接しているうちに考え方も変わったらしい。別に悪い子じゃないと少年なりに思ったそうだ。酒瓶に直接口をつけながら青年は笑っていた。


「アレが欲しいコレが欲しい、綺麗に着飾りたい……年頃のゲルダお嬢さんが激しすぎたのもありますが、カレンお嬢さんはあまり変わりませんでしたからね。台所から塩漬け肉をかすめたときや、多少の悪さも見逃してくれましたし」

「それは後半が本音だろう」

「十代の若造には普通の飯じゃ量が足りないんですよ」


 だからアヒムなりに彼女を可愛がったのだろう。実際、成果もあってカレンはアヒムを頼ることが多い。

 

「おれの知る限り、エミール坊ちゃん以外は育て方も一緒だったはずなんですがねえ。……育ち方が違ったのかな?」

「さてね。……そういえば五、六年前かな。一度問われたことがあるよ。王室が政権を握っているのは怖くないのかとね」

「……そりゃあまた随分ませているお子様だ」

「まったくだ。でもカレンが難しい顔をしてたから、聞いたのだよ。お前は怖いと思うのかいと。そうしたら、なんと答えたと思う」


 アヒムは肩をすくめ、無言で二本目の瓶を開ける。

 

「いまの王様が優しい人ならいいけど、怖い人になったら誰が止めるのと聞いてきたんだ。私は慌ててしまってね、我が国には王室を助ける忠実な家臣がいらっしゃるから問題ないよと言ったが、あれはまるで納得してない顔だった」

「お父上あたりに聞かれたら数日間は部屋から出してもらえませんね」

「だろう? 幸い私しかいなかったから二度と口にしないよう約束したけれど、あれは焦った。それ以来、政治に関しての質問はなくなったけれどね」

「雨具を作ろうとしてみたり、使用人の仕事がしてみたいと言ったこともあったっけか。変わった子でしたからねえ。……なんです、変な顔して」

「否定はできないのだが、なぜだろう、そうしみじみ言われてしまうと無性に腹が立つ」


 アヒムは呆れかえり、そういえば相手が結構な兄馬鹿でもあったのを思い出す。からかってやろうともしたが、脈絡もなくこんなことを言い始めた。


「カレンと辺境伯は夫婦には見えないな。せいぜい孫と祖父のような印象なのだが、そんなことを言ったらカレンは怒るだろうか」


 途端、アヒムは瓶を置いてアルノーに背中を向ける。


「空きっ腹に流し込んだせいか、ちっと酔いが回りました。おれはここで休むんで、坊ちゃんも酒はほどほどにしてちゃんと休んでください」


 酒を持ち込んでおきながらこの言い草だが、それ以上はアルノーの呼びかけにもうんともすんとも答えない。アルノーは寝息を立て始めた背中をじっと見つめながら肉を囓り、時間をかけて咀嚼すると、最後の一杯を飲み干し呟いた。


「難儀なやつだなあ」

 

 まあ、彼の複雑な心境について自分がとやかく言うつもりはない。ほどよく酔いが回ってきたところだし、一眠りさせてもらうとしよう。


 大の大人が酔っ払って眠りこけ、帰宅したスウェン少年に叱られるのは数時間後の話である。




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