第45話 黒い噂

スウェンの帰省に護衛を分けたはいいものの、多少なりとも変更は余儀なくされた。まずヘンリック夫人はスウェンの行動には静かな怒りを見せており、スウェンの監視がてらコンラート領へ引き返すようだ。私は姉さんの様子見が主だし、やっぱりいまのコンラート領も気になるからね。

 そしてニコなのだが、この際彼女も帰すと決めた。スウェンが気になるようで手元が疎かになっているし、伯に彼女との仲を認めてもらうなら当事者抜きで話を進めるのは論外である。自分のことは自分で、と言いたいけれど立場上そうもいかないし、いざとなったら他の使用人さんの手を借りればいいのである。二人や護衛さん達は結局長旅になってしまうわけだが、そこはスウェンが皆からお説教をもらうだろう。

 この三人を帰すとなるとヴェンデルも……となるわけだが、これは本人に却下された。


「兄さんとは話すことがたくさんあるけど、それは戻ってからでもできるから」

「……ヴェンデル、兄ちゃんと帰らないのか?」

「欲しい物があるし今回はカレンがいるからいい」


 今年十一歳になるヴェンデル少年の成長に、スウェンは微妙に寂しそうな面差しであった。前から思ってたけど、スウェンは結構な兄馬鹿だ。

 王都までの道のりは特に問題もなかったので省略させてもらおう。

 到着後は私たちだけ兄さんの元へ直行した。案の定キルステンは大騒ぎで、捜索隊出発手前でスウェンの行方を伝えたことで、兄さんとアヒムは安堵のため息である。


「いやあ、坊主にはお仕置きが必要だなぁ……?」


 アヒムの目が笑っていなかったので、スウェンが戻ってきたらきっと凄いことになる。助けは出さないので頑張ってほしい。


「カレン、僕もサブロヴァ邸に行くの?」

「できれば一緒に来てもらえると嬉しいかな。ヴェンデルにはエミールと会ってもらいたいし、私よりも薬学に精通してるでしょ?」

「……僕なんかが行ってもいいのかな」

「なんか、なんて言わないでよ。ヴェンデルなら大丈夫よ。礼儀正しいし、私の義息子にもなるんだから問題ありません。……ねえ、どうして鼻で笑うの?」

「別にぃ。義母って柄じゃないよなぁって思っただけ」

 

 微笑ましい義親子の会話なのに、何故兄さんやアヒムまで微妙な顔をしているのだろう。

 

「まあいいや、付き合ってあげるから小遣い増額してね」


 エマ先生からあまり甘やかすなと言われているのに、足下をみてくる。ちゃっかりしているのは誰に似たのだろうか。兄さんとヴェンデルも改めて挨拶を交わしたところで、肝心の姉さんについての話である。


「念のためヴェンデルはうちで着替えていきなさい。エミールの昔の服が残っているだろうし、支度は使用人達が手伝うから心配しなくていい」

「え、めんどくさ……」

 

 い。とは言わせない。口元を押さえ、素早くキルステンの使用人頭にパスである。

 こうしてお子様に聞かせたくない話題は無事シャットアウト。完璧だった。ヴェンデルの去った室内で兄さんは感慨深げである。


「……義理とはいえ甥がいるというのも奇妙な気分だな」

「あら、そういう意味でならとっくにスウェンがいるじゃありませんか。面倒見てくださってるんですし」

「あの子は弟という気の方が……いや、それよりもゲルダだ。ここのところは特に荒れ方が酷くてな、お前が帰ってきてくれて助かったよ」

「そこまで酷いのです?」

「毒味が二段階方式にまでなった。夜は不安で眠れないようだし、そろそろエミールが限界だ」

「ご本人は大丈夫と言ってますが、ねぇ……」


 アヒムが意味ありげに呟く。


「エミール坊ちゃん、学業もあるのに頑張ってるんですが、流石にそろそろ休ませてやらなきゃならないと話してたんですよ。坊ちゃんも毎度は泊まれませんからね」

「使用人も疲れている。エミールが注意してくれるが、ゲルダとエミールではどうしたってゲルダの意見が勝つからな」

「努力してみるけど、毒を盛られたって言う話はどうなったの。信頼していた侍女が盛ったって書いてあったけど本当なの」

「詳しいのはアヒムだ。情報収集を任せた」


 使用人さん達から詳細を聞き出したらしく、相変わらず人の懐に入り込むのが上手い。ただ、これに関してアヒムは発言までに多少の時間をかけた。念のためと言おうか、周囲に人がいないのを確認してから囁いたのである。


「ゲルダ様が信頼していたというように、忠義に厚いお嬢さんでしたよ。ゲルダ様に対しても献身的で、おれみたいなのにも気遣いのできるいい人でした」


 などと、引っかかる物言いをしたのである。


「その言い様だと、違うのね?」

「少なくともあの人が毒を盛ったなんて俺は信じられませんし、あそこで働いている侍女連中は疑ってますよ。彼女達の中じゃ誰よりもゲルダ様を気にかけてた人です」

「その人は、いまどこに?」

「本人は否定してましたが、もう処刑されてます。そこそこ良い家の出でしたが、お家ごとお取り潰しに。僅かに残された家族の行方も知れません」

「…………姉さんはその侍女と仲が良かったのでしょう、信じたの?」

「現行犯だったらしいんですよ」


 件の侍女が淹れた茶に毒物が混入されていたらしい。普通であれば兄さんが介入なりして調査に当たるところだが、その事件現場、運が悪いことに陛下が同席していたらしく、陛下が大激怒したようだ。陛下の命を受けた第二王子のジェミヤン殿下預かりとなってしまったのである。


「はじめこそゲルダも侍女が濡れ衣を着せられたのではないかと疑っていて、救出を願っていたんだ。私も直接その侍女から話を聞こうとしていたんだが……。その前に、ジェミヤン殿下から言質が取れたとかで報告がなされてしまってな。ただでさえ不安と不調で弱っているところだったから……」

「腹の子を守らなきゃならないと周囲から圧力がかかってたんです。ほとんど恐慌状態ですよ。全員が慰めている間に処刑が終わっちまいました」

「否定してたのでしょう。良家の子女なら裁判でもっと長引いたのでない?」


 あっさり言ってくれるが、いくら第二王子預かりの事件でも、お家取り潰しは一大事だ。証拠や陰謀論などよく調べもせずに簡単に処刑したなど、早計が過ぎる。質問に対し、アヒムは当然といった様子で頷いた。


「よくぞ聞いてくれました。その通りですよ、坊ちゃんが申請してもその侍女に会えなかったどころか、拘留してから処刑までの間、ジェミヤン殿下関係者以外は誰も会っていません」

「……言質を取ったと言うのは?」

「陛下の前で申し開きがあったそうです。ただ……小耳に挟んだ話だと……」


 アヒムは言いにくそうだが、ここまでくれば彼の言いたいことも予想できる。


「拷問された?」

「正解です。襟首から覗いた肌が赤く爛れていた……と」

「兄さん、ジェミヤン殿下は知っていたと思います?」

「……知らないはずはないだろうね。ジェミヤン殿下はダヴィット殿下と違い周囲の評判はよろしいが、罪人に厳しいので有名だ。噂では専門の酷吏を……。だから知らなかった、とは言えないね」


 難しい顔で腕を組んだのである。


「……その侍女が犯人でなかった、もしかしたら脅されて実行に及んだかもしれないにせよ、真相はわからず終いなのですね」

「おや、おれの話を信じてくださるんですか」

「姉さんに四六時中付き合っていられる侍女なんて滅多にいません。それこそよほどできた女神みたいな人に決まってるわ」


 それにしてもアヒム、聞いた話と本人は言うけれど、よくぞここまで情報を集めたものだ。いつのまに宮中に詳しくなったのだろうと思っていたら、これには裏があったらしい。


「最近じゃローデンヴァルトやコンラートって伝手ができたんで、痒いところに手が届くようになったんですよ。それで知ったんですが、辺境伯はたまに陛下の様子を確認してるみたいですね」

「じゃあコンラートの関係者に聞けばなにかわかるかしら。その、ジェミヤン殿下の酷使とか……」


 伯がジェミヤン殿下について語った際、渋い顔をしていた理由はこれだろうか。……伯は裏で色々とやっているようで、私が手伝っている仕事など、本当にごく一部なのだろう。


「もう探れなさそうなのはわかった。あと私にできることと言えば姉さんを慰めるくらいよ?」

「それで構わないよ。こちらに来るのも遅かったし、忙しかったんだろう?」

「うん、合間を見て一度向こうに帰りたいと思ってる」


 答えると兄さんは困ったように笑い、出発の準備に取りかかるべく部屋を後にした。不思議に思っているとアヒムがそっと耳打ちしてくるのである。


「帰る、なんて言うからですよ」


 自分でも驚いたのはいつの間にか自然に「帰る」と言っていたことだ。前から言っていたようにも思えるけど、私はいつの間にか、当たり前のようにコンラートを帰る場所だと定めている。


「……あ、おれも寂しいですよ」

「とってつけたようにありがとう。でもそうね、私もアヒムになかなか会えないのは寂しいかも」

「んっ?」

「なんだかんだでわがままに付き合ってくれるもの。……あなたたち四六時中一緒だし、兄さんはアヒムがいなかったら行き倒れてそうよね」 


 本当に頼りになる存在なのだが、アヒムが伴侶でも見つけてしまったら兄さんは大変だろう。女の人の影もないようだし、妹としては心配である。


「ま、おれはお二人のお兄ちゃん代わりですから」

「格好良くて素敵なアヒムお兄ちゃん。宝石買ってくださいな」

「兄ちゃんいま金欠だから飴で勘弁してくれな」


 それからヴェンデルが準備を済ませ、館に到着する頃には夕方になっていたのだが、以前訪ねた時とは違い、館にはいくらかの変化があった。まず見慣れぬ、しかしやたら豪奢な馬車と、武装した人々が館を取り囲んでおり、それを見た兄さんが呟いたのである。


「警邏を増やしたのは伝えていなかったな。だが、あれは……陛下がいらしているな」

「うえっ」

「……間違ってもその態度を出すんじゃないぞ」

「いつまで子供と思ってるの、そこまで失態はおかしません」


 ヴェンデルの前だし、みっともない姿はさらせない。しかし陛下、と聞いたヴェンデルは流石に表情を強ばらせているし、兄さんも眉をひそめ気味だ。


「……今日来られるとは聞いていなかったし、突然いらしたのだろうな。まあ、ゲルダの懐妊は相当喜んでいたし、仕方あるまい」

 

 ってことは挨拶とか考えなきゃなあ。口上を考えるのは苦手なのだ、玄関を潜るまでかなり頭を悩ませていたのだが、到着直後にその心配はなくなった。

 なぜならちょうど出て行こうとしている陛下とばったり出くわしたからである。

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