第43話 彼らの勝負所

 演習はおよそ三十日間に渡って実施されるらしい。長い期間を設けられているようで、本格的な演習になるようだ。ウェイトリーさんは彼らの動向を気にして逐一情報を更新しているが、なにより気がかりはなのは、視察の折に見せた彼らの反応にあるようだ。


「大森林を気にしていたのが気がかりです。定期的に人を送り確認しているので、そちらは問題ないと考えますが……」


 ラトリアが迂回路を使わず、森林を越えまっすぐコンラートを目指すのなら、深い渓谷に橋を架けてやってくる必要がある。いま現在橋はすべて壊されており、渡ってくる気配は無いと語るが、しかし大森林は広大すぎて、長年この土地に住んでいる彼らでも把握できない場所があるかもしれないと語るのである。


「探索範囲を広げたいところですが、いまは鹿の増加と、人里には姿を現さなかった熊の出現が気がかりです。領民との会合もありますし、いまは本格的な冬に備えている最中ですから……」


「どのくらいの準備があれば人を派遣できそうですか?」

「よくて十日ほどはいただきたい。ライナルト殿が騎馬隊を連れてこられたことで不安に駆られた住民もいますので、領内の見張りを増やすべきだという声もありますし」

「……そうですね。領内の安全が優先されますもの」

「塀から見渡す限り、森に異常はありませんからな。それに一度見てきておりますし……」

「でもウェイトリーさんも、反対ではないのですね」

「むかし、ああいった方々の意見は無視してはならぬと教わりました。己が知識だけで総ての物事をわかったように推し量るなと。……以来、気をつけるようにしております」

「……良い言葉ですね?」

「そうでございますね。言ってる本人は大変な糞野郎でございましたが」

「……うん?」


 などとやりとりも混ぜつつ、ウェイトリーさんや伯の秘書官さんたちと仕事にあたっていった。数日も経った頃には伯も普段通りの調子を取り戻したのだが、エマ先生曰く、無理をしているのは変わりないらしい。

 ライナルトの語る伯の人物像が気になったので、こっそり尋ねてみたのだが、エマ先生はそのあたりを語りたくないようである。ただ、ため息交じりに興味深い話を聞かせてくれた。


「私はあの人の武人としての顔はよく知らないの。けれど、昔のことは一応聞いているわ。だけどそんなときはきまって気鬱になって……翌日にはけろっとして姿を見せるのだけど、前日のことを尋ねると話があべこべになっているのよね」


 それ以来、エマ先生に触れないようにしている。ウェイトリーさんにも確認してみたが、昔の話と言うよりは、特にライナルトの母親がタブーのようだ。その人の話になると記憶の混濁が見られるといった話を踏まえると、罪悪感による逃避の一種ではないかと推測していた。

 これらに関しては思うところが多々ある。あるけれど、現実を突きつけるまでにはいたらない。というより、そんな権利が自分にあるのだろうか。

 それにライナルトがコンラート辺境伯を処断しなかった。彼がうなだれる老人を憐れみ、告げたのだ。「惨めに朽ちていくがよろしい」と。結局、罰も与えず死なせるのがライナルトの判断だったと考えると、老体に現実を直視させるのは伯にとって救済になるのか、はたまた新たな苦しみを与えてしまうのか。どちらにしても、頭を抱えたくなる気分だ。


「けれど、なんとかこの程度で済んだのは幸いだった、のよね……」

「奥様、何か言いました?」

「なんでもなーい」

「だったら荷造り手伝ってくださいよう。今回は荷物多くて大変なんですから」

「……あなたも堂々と私を使うようになってきたわよね」

「だって働かないとやりにくいって言ってたの奥様じゃないですか」


 ライナルトはどれだけの人に罪を問うのだろう。彼の目的がなんであるのか、いまだ計りかねている部分があるけれど、その目的の中に陛下は混じっていそうである。

 さて、気がかりな点だが他にもある。こちらはコンラートの問題なのだが、最近国から国へと旅をする商隊の数が減っている。理由はようとして知れず、現在国境などに人を送って確認している最中だ。売り渡したい交易品も溜まってきており、これには伯も眉を顰めておいる。今年の冬はどうにも全体の空気が張り詰めている。

 ニコが鞄に荷物を詰めながら、窓の外を見た。

 

「今年は天気の悪い日も続きますね。冬が近づくと晴れが続くのに、ここのところ雨ばっかりです。霧が深くてまともに外に行けないって皆さん嘆いてます」

「ちょっと離れただけでなにも見えなくなっちゃうものね」

「子供達なんてすーぐどこかに行っちゃいますからねえ。冬になったら迷子が減るーって衛兵さん喜んでたのに、忙しいままですよ」


 子供たちは遊んでいるだけなのだけど、下手すると「どうしてそこまで行ったの?」ってレベルで遠くまで行って迷子になっている。コンラート領の周りは木々すらないゆるやかな斜面だから見つけやすいと思っていたが、歩き回ってみると案外背の高い草も生えている。大きな岩もゴロゴロ転がっているし、領の裏手側は思ったより視界が利かない。徒党を組んだ大人ならともかく、子供を見つけるのは実は不便というのが住んでからの感想だ。


「荷造りを終えたら、都でやっておかなきゃいけないこと確認しなきゃ」

「都でくらいお休みになったらいかがです。お姉様の様子も見なきゃならないんですよね」

「そうだけど、全部任せきりっていうのもねえ。一度こちらに戻ってきて、領内の様子も見るつもりだし……」

「長期滞在はしないんですか?」

「合間に何度かは帰ってくるつもり。ニコはスウェンとどこか行く約束でもしたの?」


 いままではスウェンのことを尋ねても特に反応すらしめさなかったのに、今回に限ってみるみる間に赤くなっていく。……これは面白い反応だ。つい嫌らしく笑ってしまう。


「……な、なにもありませんよ!? こ、今回の王都行きはなにも話してませんし!」

「へえ? 話せないようなことでもあったの?」

「知りません!!」


 ニコとスウェンが頻繁に手紙を交わしているのは知っている。スウェンも婚約者を考えてもいい年頃だし、とうとう進展があるかもしれない。

 そうなるとニコが未来のコンラート辺境伯夫人だし、作法を覚えてもらったほうがいいのかな?

 赤面するニコが可愛くてからかっていると、遠慮がちなノックが響く。入ってきたのはヴェンデルで、少年は私たち以外に誰もいないことを確認すると、声を潜め、相談を持ちかけたのである。深刻な顔をした少年の相談はこうだ。


「ちょっと相談があるんだけど」


 二人して顔を見合わせ、奥の部屋に移動した。深刻そうな顔をした少年の相談はこうだ。


「最近父さんの元気がないんだ。母さんも浮かない顔をしているし、ウェイトリーやそこの意地悪義母もなにも教えてくれない。館の空気が重苦しいんだ」

「ちょっと? 意地悪義母って私のこと? ヴェンデルくん?」

「奥様黙って」


 ここからが本題。そろそろ伯の生誕日が近く贈答品を探したいが、しかしエマ先生にも元気になってもらいたいそうで、いっそ夫婦にお揃いの品でも贈ろうかと至ったらしかった。


「恋人や夫婦ならそういうのやるって聞いたんだ。二人ともお揃いって持ってないから、喜ぶかもしれないと思って」


 この国、結婚指輪の風習はないものね。で、ヴェンデルは私に資金援助を求めてきたのだ。


「僕が持ってるのはこのくらい」

「あら、意外と持ってる」

「そりゃあ、小遣いもあったし、母さんを手伝ってた分はお金ももらってたし」


 服の中に隠して持ってきた革袋には片手いっぱいの金貨が詰まっている。


「父さんから贈り物はもらってるみたいだけど、派手だからって遠慮してさ。眺めるだけで満足しちゃうんだ。その辺の商隊が持ってくるのじゃ、これだ、ってくるものがないし、父さんが身につけるには安すぎるし」


 二人とも息子の贈り物なら値段なんか気にしないだろうが、ヴェンデルが気にするのである。


「エマ先生や伯が揃って身につけるなら派手すぎるのは避けるでしょうね。なるべく地味だけど良品でとなると、王都で見繕った方が早いかも」

「だろ。だからカレンが探してきてよ。あと足りない分を出して」

「まあヴェンデル坊ちゃんたら直球だこと。もうちょっと円滑にお金を出したくなるような言い方を考えなさいな」

「でもカレンは出すじゃん?」

「当然でしょ」


 出さないって選択肢はない。


「せっかくだからスウェンにも一枚噛ませましょうよ。全員で贈れば箱にしまっておけなくなるわ」

「で、ニコも出すでしょ?」

「もちろんでーす。お二人ほどは出せませんけど、先生たちにはお世話になってますから!」

「そうそう、将来の義母で僕の義姉だもんね」

「坊ちゃんまで変なこと言う!!」

「もう両思いなのばればれなんだから堂々としてればいいのに。知ってるヴェンデル、ニコったら王都は可愛い女の子が多いから心移りされるんじゃないかって心配してるのよ」

「兄ちゃん一途なんだから心配いらないじゃん。僕は僕で悪い虫がつかないように頼まれてたんだけど。……面倒だなあ」

「なにそれ! そんなこと言われてたの!?」

「あーー! あーー!?」


 もはや叫ぶしかできないニコの悲鳴を音楽に、ヴェンデルから渡された袋の中身を数える。

 王都ならいくらかあたりはつけられそうだから問題ないだろう。問題は私の眼鏡にかなう品があるかどうかだけど……。ヴェンデルが装飾品に詳しくないだけで、普段使いできるようなシンプルなデザイン、かつ私も納得するような「そこそこ」の品となると、たぶんその辺の店では難しい。高額すぎてもなんだから、なるべく値段はおさえたい。


「そうだヴェンデル。妊婦にいいお茶とかあったら包んでくださいな。気分が休まりそうなやつとか、よく眠れる効果があると嬉しい」

「りょーかい。色々持って行って調合しよう」


 今回の王都行きは私にニコ、ヘンリック夫人にヴェンデルとなっている。ヴェンデルの用向きは両親へのプレゼントだが、そちらはあくまで隠れミッション。主目標は自分の読みたい本集めである。

 準備はつつがなく完了し、エマ先生の見送りを受けての出発である。正直、馬車に乗りっぱなしの数日間は辟易するが、旅をしているという感触があるだけましだろう。ただし今回は雨が続いていたせいか道がぬかるみ、また霧に行き先を遮られたりと散々な日程だったのは記しておこう。冬の雨続きは滅多にないらしく、休憩に立ち寄る村々では苦労しているそうである。

 不測の事態が発生したのは、最後の休憩所となる村に寄ったときだ。宿に入ったところで意外な顔と出くわした。


「なんでスウェンがここにいるの?」


 ちょっと見ない間に背の伸びたスウェンである。顔つきもどこか大人っぽくなっており、一瞬これが本当にスウェンなのか迷ってしまった。


「なんでここにいるんだ? 王都に来るって話は聞いてなかったけど……」

「それはこちらの台詞。……見たところ一人みたいだけど、護衛はどうしたの?」


 ヴェンデルやニコも本来いるはずのない少年の姿に驚いた。ニコは夫人に報告してくると言って去ってしまったが……。スウェンは一瞬目を見張ったものの、質問にはばつが悪そうに頭を掻いている。


「あー……その辺の商隊にいくらか支払って、途中まで乗せてもらう予定だった」


 聞けばスウェンも帰省の最中で、服装も安価な装いだ。一人で出てきたようだし、いくらコンラート領は治安がいいとは言え道中は危険だ。スウェンを連れて戻ると、まさかの事態にヘンリック夫人はぎろりとスウェンを睨んだ。


「コンラートの嫡男ともあろう御方が、護衛も付けず一人で旅などなにをお考えですか」

「いや、旅といってもただの帰省だし、こうでもしないと一人で行かせてもらえないだろ」

「許すとお思いですか!」


 夫人のお説教が飛び、スウェンの身柄は回収である。

 このまま王都に連れて行くつもりだったが、問題はスウェンがどうしても領に戻りたいと言ったことだ。何故か私だけが外に呼び出されたのである。


「父さんの具合もよくないみたいだし、できればいま向こうに戻っておきたいんだよ」

「戻っておきたいって言われても、そもそも学校はどうしたの」

「そっちは長めの休みを取った。成績の方も問題ないし、次年度の進級は約束されてる」

「しんきゅ……待って、早くない?」

「真面目に取り組んでるんだ、このくらいは当たり前だろ」


 当たり前だろといわれても、さらっととんでもないこと言わないでほしい。


「だからって商隊に戻すのは夫人が賛成しないわよ。大体、あなた兄さんの持ち家に下宿してる形になるのよね。なんて言って出てきたの」

「それは……その、なんというか」


 あの兄さんとアヒムが護衛も付けずにスウェンを帰すなんてあり得ない。問いただすと、嘘をついた、と白状した。


「うちから護衛を送ってもらったって……」

「兄さんがそれで納得したの?」

「あーいや……仕事で忙しそうだったから、寝こけてるときにさらっと……」


 これはスウェンがいないのに気づいたら間違いなく叫んでる。スウェンも悪いことをした自覚はあるようで気まずげにしているが、実家に戻るのは諦めないようだ。


「頼む、どうしても戻っておきたいんだって」

「帰りたい気持ちはわかるけど……せめて理由を教えてくれない? なんでそんなに慌ててるの。一旦王都に行って護衛を付けてからでも問題ないでしょう」


 ここでは新たに雇えそうな人たちは見つからないし、ならば日程や順路的にも問題なさそうな私たちから護衛を割くしかない。幸い荷馬車も余裕はあるから詰めれば一つ渡せるが、スウェンの必死さが気がかりだった。


「ニコには言うなよ」

「了解。絶対言わないから安心して」

「理由は二つだ。さっきも言ったけど父さんの体調が気がかりだ。これは母さんから一度帰ってこいって言われてたからそうしたのもあるんだけど」

「ふむふむ。もう一つは?」

「ニコに手紙を送ってだな……。あー、その、つまり……将来の伴侶に……まてまてまて、あー、なんだ。端的に言うと告白したんだ」

「こっ……」


 告白はともかく伴侶!? などと慌ててしまったが、貴族社会じゃおかしい話じゃなかった。


「……返事は?」

「父さんが許してくれたら受けるって」

 あー、そういえばニコは、スウェンを見るなりUターンしてた。今回の王都行きの件も伝えてないって言ったし、そういうこと?


「それっていつあたりに告白したの?」

「なんでそんなことまで……ああもう、十日くらい前に返事をもらった」

「つまりそのために学業に励んで休みをもぎ取ったと。……あらぁ、青春」

「うるさいよ」

「で、それがなんで一人で出ることになったの?」

「それは……いつも護衛されっぱなしだから、ちょっとくらい冒険してみたかったというか。無茶なんていまのうちにしかできないだろ」

 

 つまり熱意に乗っかって自分の野望も叶えてみたかったようだ。恩人達の子息を放置するなどできないし、首根っこ掴んで王都につれて行くつもりだったけど、スウェンはとうとうニコに告白したのだ。それにこの時期に進級を確定させる難しさは私も知っている。このまま連れ戻したら兄さんやアヒムのお説教はもちろん、コンラートに帰ろうにも時間が掛かるだろう。


「私の立場であなたを一人行かせるわけにいかないのはわかるわよね?」


 スウェンはあからさまにがっかりとした様子だけど、早い早い。


「けど、自由になりたい。いまのうちに好きにしたいって気持ちは、少しわかる」

「なら……!」

「兄さん達からのお説教を後回しにしてあげるだけよ。私たちの護衛を割くから、それでコンラートに帰って。……ウェイトリーさんに叱られてきなさい」


 ここのところ不安が募るような話題ばかりだったせいか、少年少女の青春を見守るのも、たまには悪くないのかな、とも思ったり……。

  考えなしに護衛を割くつもりはない。私たちは王都に近いし、残りの道中は安全が確保されているから、道を逸れない限りまず野盗は出ない。他の旅行客や商隊で賑わうのを知っているからこんなことができるのである。

 結局、二人がかりで行った夫人の説得は大変だったと記しておこう。

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