第42話 なぜか耳まで赤くなっていた

 ううむ。言葉だけじゃ説得にはまだ足りないか。

 この密接状態、けっこうきついものがあるから早く離れたいのだけれど。

 

「……カレン嬢は不思議なことをおっしゃるようだ」

「そうですか? 私、あなたがお怒りでない、という点に関してなら全財産を賭けても良いと思っていますけれど」

「随分と自信がおありのようだ」

「……本気でお怒りでしたらとっくに命令を下して、あの時のように斬り捨てているでしょう?」


 ……間違ってないはずだけど、なぁ。

 思い出したのは、地下牢で助けられた際の出来事だ。あの後、ラングの言い訳を無用のものとして唾棄したライナルトは彼を不必要な存在だと認識した。伯とラングを比べるなんて伯に対し失礼極まりないけれど、そんなライナルトにとって身分など障害にはならないはずなのだ。

 うん、それに、これはいつか抱いた感想だが、この人はまかり間違っても正義のヒーローではない。

 

「あなたが不要と見なした相手に慈悲を持ち合わせているとは思っていません」


 視線を逸らしたら負けだろうから、がんばれ私の表情筋。

 十数秒に及ぶ無言の格闘戦。幸いにも折れたのはライナルトだった。

 腰に回していた手を離すと、降参とでも言いたげに手のひらを広げる。


「過大評価というものですが、その称賛は悪くない気分だ」


 賞賛したつもりはなかったけれど、機嫌を損ねずにすんだ。おかげで晴れて私は自由の身である。

……いい石鹸使ってるのだろうなあと呑気な感想を抱いたのだが、そんな気分は長続きしなかった。ライナルトは怒りの演技を引っ込め、ご老体を敬う貌を取り戻している。


「コンラート辺境伯。貴方には失望させられた」


 慈悲すら込められていただろうか、なんとも優しい微笑であった。


「もっと期待できる答えを用意いただけたのなら、首を落とす用意もあったのですが。……いや、これは私が貴方に期待を寄せすぎたせいでもあるのだが、なんともままならないものです」


 伯はいまだに呆然としている様子であった。席に回り込み、肩をたたいたところで正気に返ったようだが、ライナルトの態度には狼狽している。


「君は、僕に復讐しに来たのではないのかね」

「申し上げたでしょう、私は遺言を伝えに来たのです。首は……気が乗れば、といったところでしたが、その気も失せました」

「だが僕はツェツィーリエ殿を、君の尊厳を守ろうともせず……」

「母が貴方をどう恨もうが、母の怨讐は彼女だけのものですよ。私が貴方に期待したのは、かつての傲慢なまでの非情さです」


 言い切ってしまったライナルトに、伯は長い息を吐く。


「哀れですな、ご老体」

「ライナルト殿、君は……」

「老いさらばえた豪勇の士よ、もはや貴方には刃を向ける価値もない。そのまま惨めに朽ちていくがよろしいだろう」


 気が緩んだところに追い打ちをかけるのがえげつない。伯が心臓のあたりを押さえながら歯を食いしばったのを見て、ここらが潮時だと判断した。


「……伯はお疲れのようですから、もうお下がりください」

「しかし、だね……カレン君」

「その顔でお客様の対応をされるのですか。……おやめください、そのような顔色で働かれても、皆、気が気ではないでしょう。医師からも無理は禁物だと言われていたのをお忘れですか」


 伯はライナルトの手にかかってもいいと簡単に言ってくれたが、実際問題、そんな事態になったら困るのは私たちの方である。伯はエマ先生の存在を匂わせたところで、ようやく自己を取り戻してくれたようだ。ライナルトも引き留める様子がないので、ここでコンラート伯は退室となる。

 残された私はお客様の相手をしないといけないが、ひとまず行ったのはお礼だ。


「伯を失えばコンラートは内乱に陥っていたでしょう。思いとどまっていただき感謝します」

「たまたまですよ、礼を言われるようなことはしていない」

「それでも、です。私はこういったことに詳しくはないのですけど、たぶん、あなたにはあの方を討つに足る理由がありました。血を見ずにすんで、本当にほっとしているんです」


 百を超える騎兵を見たときから、なんて交渉をしなきゃいけないか悩んでいたから安心した。

  

「キルステンとしてはその方が得をしたでしょうに」

「……随分酷いことをおっしゃいますね」

「事実でしょう。ご老体がいなくなれば貴方がコンラートを掌握すればよろしい。カレン嬢がお望みなら支援して差し上げるが……」

「その気はありませんし、意地悪はよしてくださいと先ほど申し上げました」

「伯には止めたでしょう」

「私にもやめてください。心臓に悪いです」


 なんて物騒な発想だ。私にそんな意思はないので尚更である。


「少なくとも当家内においては、伯の跡取りはもう一人の夫人のご子息であるスウェンで意見が一致しています。私が継ぐものはなにひとつとしてありません」

「……これは意外だ。コンラートが所有する資産をご存じではないのだろうか」

「存じています。ですから、なおさらスウェンが継ぐのがよいのです。私はコンラートの財産に興味はございません」


 たとえスウェンが「やっぱりやーめた」と言ったとしても、跡継ぎ候補にヴェンデルがいる。血のつながりがないのに、何気ない仕草までいまの義父と似通っているあの子なら後継ぎとして問題ないだろう。


「貴方は財産に興味がないのですね」

「そのお言葉はいささか心外ですね。いまさらではありません?」

「失敬、なにか気に障っただろうか」

「気に障るも何も、金銀宝石に興味があったのなら、もとからライナルト様を選んでいましたよ。わざわざ田舎まで嫁ぐ理由なんてありはしませんでした」


 そんなこと、ライナルトが一番わかっているじゃないか。私たちの最初の接点を彼は忘れていたのだろうか。

つい呆れてしまったのだが、相手はそれのどこかがつぼに入ったらしい。くつくつと低く喉を鳴らして笑いはじめるものだから居たたまれない。笑う要素なんてどこにもなかったはずだ。

 ヘリングさんに救いを求めてみるけれど、なんともいえない表情をこちらに向けるばかりで助けにはなりそうにない。モーリッツさん……は怖いから見るのは止めとこう。


「……ところで、コンラート領へのお話はこれで終わりでよろしかったでしょうか。私も皆様に圧倒されてうまく喋れないですし、差し支えなければ広い場所へご案内したいのですが」

「辺境伯への用事は終わりました。すぐに失礼させてもらうつもりだったが……。そうですね、カレン嬢、よければ領内を案内していただけないか。コンラート領へは滅多に来ることがない、できればこの目で噂の大森林も見てみたいのです」

「わかりました。しばらくお待ちください」


 ようやく息苦しい状況からの解放である。ライナルトには一旦移動してもらったのだが、戻った私を待ち受けていたのは青ざめて詰め寄ってくるヘンリック夫人である。


「奥様、ご無事ですか。なにもされなかったですか!?」

「大丈夫ですよー。それより、伯の様子はどうですか」

「い、いまはエマに任せています。薬を処方したのでよくお眠りになっているようですが……」

「でしたら大丈夫ですね。そんな心配しなくても、変なことはされてませんってば。ところで……ヴェンデル、ちょっとちょっと」

「……なに?」


 ウェイトリーさんの影に隠れこちらの様子をうかがっていた少年。我ながら不審すぎる猫なで声に、うさんくさいと言いたげに近寄ってきた。


「いまからお客様を案内しなきゃいけないのですけどー……あなたにお願いがあって」

「奥様? ヴェンデル坊ちゃまは……」

「夫人は黙ってて。……いいよ、なにしたらいいの?」


 流石はヴェンデル少年。察しが早いのが素敵である。

 ライナルトへの道案内には直接私が出向くのだが、その補助、というか場のなごみ役としてヴェンデルの助けが欲しかったのだ。他の人に案内を任せるか迷いもしたのだが、ライナルトの発言を思い返すと私との対話を望んでいたようにも思えたのである。支度を整えると、既に彼らの準備はできていたようだ。


「領内を見学されたいのことでしたが、見所といえばご希望の大森林くらいしかありませんけれど……」

「畑や水源といった些細なもので構わないのです」

「……ヴェンデル」

「屋敷を出て左沿いにぐるりと回ればいいと思う。そちら側はちょうど収穫期だし、増設したての倉や森を監視できる物見櫓だ。それから外に出て猟場にいけばいいんじゃない?」


 救いを求めてみたところ、すぐさまルートを提案してくれたので大助かりである。

 ……それにしても、ラトリアへと繋がる大森林人気だなー。

 道中の説明はヴェンデルが行ってくれるのだが、意外にもライナルト達は熱心に耳を傾けてくれた。農業の知識はそれなり……だと思うけれど、他国の農法まで詳しいわけじゃない。興味を引く説明があるのかが謎だったのだが、やはりとりわけライナルトの興味を引いたのは大森林である。

 ヘリングさんは先にこの景色を見ていたのもあったからだろう、森の方にも多少興味があるようで、ヴェンデルが猟師のおじさんを捕まえると、猟師用の道から中に踏み入ってしまった。

 モーリッツさんは……ライナルトが行かないなら離れないんだろうな。とりあえず私の知ってる限りの説明はさせてもらうが、長々とした説明ができるわけでもない。すぐに話題は尽きたし、やることもないので彼の視線と同じ方角を見つめるだけだ。

 森林はいまも青々とした葉を茂らせているが、所々紅に色づきはじめている。朝は光がキラキラと降り注ぎ、風がすがすがしい涼気を運んでくれるたびに自然の素晴らしさに感動するが、実際は踏み入れば羽虫の飛び交う昆虫パラダイスだ。少し道を外れたら足下は腐葉土で柔らかく、間違っても気取った靴やスカートで入り込みたくない場所である。


「昔は森林内にラトリアへ繋がる道があったと聞きました。商人達がよく利用していたようですが、そこはどうなっていますか」

「潰れたと聞いています。森を迂回するのでかなり遠回りにはなりますが、安全な道が開拓されましたからね。昔よりは立ち寄る商隊も減ったと聞きます」

「森を利用する不届き者はいないと」

「領民以外では聞きませんね。ご覧の通り広大ですから、土地勘と知識がなければすぐに遭難するでしょう。それに森に入るのに最適な道は、監視のすぐ横を抜けなければなりません」


 私は行くのを禁止されているが、切り立った崖もあるようだし……。

 本当、昔の話といえど、よくあの森を越えて攻めてこようと思ったものだと感心する。ライナルトは落ち葉を拾い、指でくるくると回していた。


「ところでカレン嬢、私はわかりやすいのだろうか」

「……わかりやすい?」

「伯がいらした際の話ですよ。貴方は私が彼に落胆したと言われていたが、何故見抜かれたのかいまだにわからないのです」


 ……もしかして気にしてたの?


「……そう言われましても、ねえ。見ていたらなんとなく伝わって来てしまったと言いますか」

「なんとなく、などという不確かなもので見破られましたか。……残念です。正直、この手のやりとりに関してはモーリッツにも引けを取らない自信があったのですが……」

「それはモーリッツさんの方が上手そうですけど」


 あっやば口が滑った。モーリッツさんに聞かれ……たと思ったけど大丈夫だったみたいだ。お供の方が数名残っているものの、肝心のモーリッツさんは物見櫓や監視塔の方がきになっているらしく、そちらに集中している。


「言い当てられたのは運が良かっただけですよ。私も緊張していましたから、必死だったのです。普段でしたらこうはいきません」


 なんて言ってみるが、実際はいくらか確信があってのものだ。

 兄さんの就任祝いを覚えているだろうか。偶然だがライナルトの幼少期について話を聞く機会があったのだが、彼の言葉に恨み辛みといった響きがなかったのが印象的だったのだ。もちろん感情を殺していた、というのも考えられたが。……あの時のライナルトは過去をあるがままに受け入れ、事実をそのままに話していた。あの時感じた印象は間違っていないように思えるのだ。


「ご自身まで恨みがあるように話されていたので、そこも不思議でしたね」

「貴方は私を聖人のように思ってくれるようだが、意趣返しをしてやりたいと思っていたのは事実ですよ。いまも成果なしに帰るのは悔しいと思っているところです」

「……なにか企んで帰られるのですか? そうなると、対策を練らないといけないので、できれば告知していただきたいのですけれど」


 パニックを起こして右往左往したくない。本心から出た言葉だったのだが、ライナルトは肩をすくめて誤魔化した。

 

「参考までに、たとえばどのような対策を考えていますか?」

「…………教えて頂けないのですからなんともいえませんが。とりあえず泣いて叫んでみましょうか。膝をついて地面に頭を擦りつければ満足してくださいます?」

「やめておきましょう。カレン嬢の無様な姿など、気分がいいものではない」

「よかった、やれと言われたら軽蔑しなくてはならないところでした」


 なごやかに会話に花を咲かせているときだ。森の方から「ぎゃあ」とヒキガエルを潰したような悲鳴が轟いた。思わず身構える一同、すると森から飛び出してきたのはヘリングさんだ。なにやら慌てているようで、彼の腕にはヴェンデルが抱えられている。彼らに続くように猟師が飛び出していた。

 叫んだのはヴェンデルの護衛と猟師の両方だった。


「近くに熊が出た! 誰か弓ぃ持ってこい!!」


 との叫びに、全員が彼らの方に注目を向ける。もちろん私も例外ではない。場は一気に慌ただしくなり、私たちは邪魔にならないよう引き返す必要があったのである。

 さて、本来であればここいらで一緒に食事を……となる筈だが、主たるコンラート伯は伏したままである。ライナルト達も長居する気はないようで、早々に引き上げる旨を伝えられた。残念な気もするが、猟場の近くに熊が出現した上に、門前に兵士が待機していては領民も気が気ではない。引き留めるわけにも行かず、見送りに出ていた時だ。

 最後の挨拶の折、ライナルトから不思議な質問をされた。

 

「カレン嬢、どうやら私は顔の造形が優れているらしい。皆にはよくそう言われるのだが、貴方も同じように思われているだろうか」


 なんとも奇妙な質問だが、そういえばこの人、自分への興味が薄いのだ。ならば容姿へのこだわりも少なそうである。

 この質問には迷う必要もなかった。


「美しいお顔立ちをされていると思いますよ。容姿で差をつけたいわけではありませんが、私もライナルト様は好ましいと感じます」


 答えるとなにやらしばらく考え込んだようだが、次の瞬間には髪を一房掴まれていた。

 別れの挨拶? 指じゃなくて髪? と疑問に感じる暇もない。流れるような動作で顔が近づくと、黒髪に薄い唇が張り付いていた。まともにぶつかった挑戦的な瞳が悪戯っぽく笑っている。彼の薄青の瞳は間近で見ていたから覚えがあったはずなのに、こんなのは――。


「想定していた収穫にはほど遠かったのですが、貴方のその顔で良しとしておきましょう」


 それでは、といつも通りの顔に戻って踵を返す。遠ざかっていく背中にかける言葉は何一つ浮かばなかった。

 …………あ、なるほど。

 もしかしなくても、彼、負けず嫌いでもあるのだろうか。とんだ意趣返しがあったものである。ああ、ちょっと顔が熱い、はやくおさまってくれないだろうか。

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