第41話 ライナルトとカミル
「奥様、物見から報告が来ました」
想定外だったのは、規模が思ったよりも大きかったこと。馬車と、あとは護衛がいくらかだろうという予想は覆された。先行してきたのはヘリングさんとそのお付きの人だが、都の人間の来訪には既に人だかりができはじめていた。
私の姿を認めたヘリングさんは顔をほころばせた。
「これはコンラート辺境伯夫人。わざわざお出迎えいただけるとは恐縮でございます。私のことは覚えておいででしょうか」
「もちろん、お久しぶりです。ヘリングさんはお元気にしていらっしゃいましたか」
「名前を覚えてもらえていたとは感謝に堪えません。夫人におかれましてはご壮健でなによりでございます」
「ありがとうございます。ところで、お客様がいらっしゃったと聞いて参じたのですけれど、他の方々はどこにいらっしゃいますか?」
礼儀正しいヘリングさんの姿に、どこからか「あれまあ」とおばさま方のため息が聞こえた。
「いま向かっているところです、もうじき来られるでしょう」
「先行視察お疲れさまでした。ところで結構な大人数のようですが、コンラート領は治安に問題はなかったと記憶しています。なにか問題がございました?」
「とんでもない! 辺境伯の領内は、他の領に比べても稀にみる治安の良さを誇っております」
まあ、うん。そう言わざるを得ないでしょう。
「お恥ずかしい話、これは私たちの癖です。あのお方の御身をお守りするのが我等の使命、どうか誤解なされませぬよう……」
「ちょっと意地悪を言ってみました。ヘリングさんのお仕事にけちをつけるつもりはございません」
「……これは、お手厳しい」
「あなたのお立場を考えれば理解はして差し上げたいところですが、私とて辺境伯の妻ですから。大軍で来られますと領民の心が乱れます。どうかお許しくださいな」
「こちらこそどうかお許しを。どうにも記憶力が拙いせいか、貴方様が辺境伯夫人ということを忘れてしまいがちなのです」
「コンラート辺境伯夫人とおっしゃっておいでではありませんか」
「口にしていないと間違えそうなのです。なにせ、御身は美しいお嬢さんだ」
人に見られていると話しにくい。門の外へ誘導すると領民も遠ざかり、端からはライナルトの迎えのために出たように見える。コンラート領は小高い丘に存在しているから、周囲がよく見渡せるが、防風林が存在しないため強い風が吹きやすい。冷たい風が髪や、カートをはためかせると、肩掛けを押さえるように強く握りしめた。
「ヘリングさん、人払いしたのは他でもありません。私の友人は元気にしているでしょうか」
「エルネスタ、でしたか。確かシスやココシュカのお気に入りですね。……ええ、元気にしていると聞いています。昨今は若くして、周囲の注目を集めています」
「そうですか、元気にしているのならなによりでしたが……」
……あのぼろぼろの手紙は、彼女が密かに寄越してくれたものなのだろうか。
「人払いされたのは、ご友人の件で?」
「ええ、あまり聞かれたい話ではありませんから」
「気になるようでしたら手紙を預かりましょうか。必ずお届けするとお約束します」
「ありがとうございます。ですがエレナさんにお任せしていますし、ヘリングさんもお仕事中でしょう。お手を煩わせるわけにはいきません」
ヘリングさんとはろくに話したこともないが、ライナルトの部下だし、エレナさんもこの人を信用している。エルのことを聞いても問題ないだろうと判断したのだ。
「ライナルト様はどのくらいかかるのでしょうか。まだ時間がかかるのでしたら、皆さまに休める場所をご用意します」
「配慮に感謝いたします。ですが問題ないでしょう、本日はわが主も馬でお越しです」
馬車ではないらしい。それならさほど時間はかからないだろうし、屋敷に戻るのもひと手間だ。散歩がてら一緒に待っていようかと思ったが、ここでヘリングさんが申し出た。
「出迎えは部下に任せたいと存じます。夫人、よろしければラトリアに繋がるという大森林を見渡せる場所を案内してはもらえませんか」
「それは構いませんが、雑多としていますし、人様に披露できるほど整ってはおりませんよ」
「無理を申し上げるのはこちらの方です。見せていただけるのでしたら、状態は問いません」
隣国が気になるのだろうか。この申し出を断る理由はない、というかできないだろう。森を見渡せるとなるば猟場と物見が一番だろう。外壁沿いに慣れた道をたどると、見渡す限り広がる森にはヘリングさんも感嘆した。
猟場で作業していた人たちは、見慣れぬ軍人にぎょっと目を剥いたが、構わず仕事を続けるようお願いすると納得してくれた。
「これは……想像以上に広大ですね。一面が森とは……」
「視界が続く限りの森と山脈ですからね。、信じられない話ですけれど、昔のラトリアはこの森でも構わず抜けて侵略してきたと聞きます」
「越えるだけの価値があったのでしょう。ファルクラムにはいまだ多くの鉱物や資源が眠っているといわれている。コンラート領にしてもそうです、この一見乾いたようにしか見えない土地で作物が多く収穫できるのも、わが国では信じられない話です」
「土が豊か、というだけではなく?」
「それもあるでしょうが、シス曰く精霊の加護が強いそうですよ」
精霊。この世界に生まれて、剣と魔法の次にまともにファンタジーらしい新鮮な単語を耳にした。
「……絵本で聞いたような話です」
「精霊信仰など、小さな教会でわずかに残っている風習なようなもの。精霊自体が途絶えたに等しい世ですから、無理もない話でしょう」
「その割に、お詳しいですね」
「むかし精を大々的に祭っていた国を帝国が統合した歴史があります。帝都を歩けば、かつてその国に住んでいた者、彼らの子孫といくらでもすれ違いますよ」
滅ぼされたらしい。さすがに伯からの話だけじゃ帝国が統合、もとい呑み込んでいった国の一つ一つまでは把握しきれない。
森林を眺めていると、ライナルト達がじき到着すると知らせを受けた。ちょうど戻ったところで彼らが到着したのだが、その数にはいささか、どころか普通に混乱した。
「カレン嬢ですか、お久しぶりです」
太陽の下、その美貌を惜しげもなく振りまく人はいまはどうでもいい。問題は、彼の背後にある見渡す限りの兵士だ。軽く数えるだけでも百はくだらない。それもほとんどが馬を連れており、武装状態である。まともな余所行きの装いはライナルトと、それに随従する十名程度だろう。つまり、これから屋敷に来ようという人数だ。
軍勢は丘で待機するらしいが、衛兵がすっかりびびっているのが手に取るようにわかる。
ここで臆するな、と拳を握りしめた。
「……お久しぶりです。辺境伯は屋敷で皆様をお迎えするために待機しております。近年の不調が祟っておりますため、わたくしが参りました。どうかお許しくださいませ」
「貴方が出迎えてくださるだけでも充分すぎる配慮をいただいている。つい大所帯になってしまったが、どうか気になさらないでほしい」
なんて言われてはいそうですかと頷けるほど馬鹿ではない。
「……本当に、大勢でいらしたのですね」
「良い馬が手に入ったので、つい走らせたくなったのです」
「みなさまをおもてなしするつもりでいましたが、これでは難しいようです。……このあたりは、夕方から特に冷えるのです。皆様には薪と食料をいくらか配らせましょう」
「感謝します」
この分では、武装理由もまともに答えてくれる気はないのだろう。ライナルトを屋敷に案内するのだが、随従には、久方ぶりのモーリッツさんの顔があった。
やはりと言おうか、ぞろぞろと移動すると彼は注目を集める。コンラート領にはない垢ぬけた雰囲気は、群を抜いて異質なのだった。
今日ばかりは伯も玄関で客人を出迎える。エマ先生はいないが、傍らにはヴェンデルも控えており、緊張しながらもなんとか挨拶を終えたようだ。
伯は大広間に案内したかったようだが、これは客人の方に断られた。
「あまり広くなく、話しやすい部屋を用意していただきたい」
「それだと粗末な部屋になってしまうが……」
「問題ありません。大事な話ですので、あまり公にはしたくないのです。当然、ほかの方はご遠慮いただこう」
私とウェイトリーさん、そしてヘンリック夫人だけが、老体の指が微かに震えていたのに気が付いた。
もう少し間をあけてくれると考えたのは、思い違いだったらしい。伯とライナルトは、以前私とウェイトリーさんが利用した談話室へ移動し、そこにモーリッツさんといった随従たちも付いていった。なのにウェイトリーさんの同伴は断られたのだから、こちらとしては気が気ではない。伯の秘書官が苦言を呈したようだが、彼らは始終強気な態度であるのに加え、伯が彼らに従うよう命じてしまえば、これ以上は手を出せなかった。
「旦那様が一人きりなのです。どういたしましょう」
「ヘンリック夫人、お茶道具一式の用意をお願いします。私が居座ってきます」
約束した手前、ライナルトたちの中に伯を一人きりにはできない。
お茶を運んだのが辺境伯夫人だったのもあり、中に入るのは成功した。お茶を淹れる間、ライナルトと伯はごくごく普通の会話をしていたと思う。
「ライナルト様がいらっしゃると聞いて、夫が特別に茶葉を取り寄せていましたの」
などと割り込む間、モーリッツさんがあからさまに「出ていけ」という目をしているが、知らんぷりである。両手を合わせて「まあ」なんて笑う自分は厚顔無恥にも程があった。
「ところで辺境伯、演習の件なのですが……」
「そうだったね。一応、陛下から賜った書状を確認させてもらってもよろしいだろうか」
「もちろんです。しかし、奥方が……」
ライナルトは私を下げたいようだが、うん、私もそれはできない。ぐさぐさと刺さる視線は鋼の心で弾き飛ばす。
「ああ、彼女は構わないよ。最近は私も調子を崩していてね、いくらか手伝いをしてもらっているのだよ。……陛下の書状を見るだけなのだ、構わないね?」
「…………そういうことでしたら」
ナイスです、伯。
ライナルトの指示で渡されたのは、陛下直筆のサインが入った書面だ。伯は中身を改めている。ライナルトはそんなご老体をじっと見つめていたのだが、この瞬間から、雰囲気が変わった。
「お恨み申し上げる、だそうです」
「……うん?」
聞こえていなかったのだろう。伯が顔を持ち上げると、ライナルトは顔から感情を消し、静かな瞳で老人を見据えていた。
「母からの伝言です。たとえこの身が朽ちようとも貴方を一生お恨み申し上げる。そう言って亡くなった」
しばらくの沈黙。老人の指から零れ落ちた書状を、メッセンジャー役を果たした男が拾い上げる。伯は固まってしまったようだが、構わなかったようだ。
「お一人で聞く勇気がなかったようでしたから、仕方ありますまい。私もこのようなことで二度も訪問するのは御免ですからね」
「……それは、ツェツィーリエ殿のお言葉、だろうか」
「そう申し上げた」
言葉の意味を受け取るのに、だいぶ時間がかかったのではないかと思う。伯は天井を仰ぎ、被っていた偽りの強さを捨てた。
ツェツィーリエ。初めて聞く名だが、彼女が誰なのかはライナルトが告げたばかりである。
「……やはり、お恨みか」
「私としては一応母であった人の遺言だったので、訪ねておこうと思っていただけなのですが」
何故かライナルトは私を見て嘆息をこぼす。はたから見れば怒りを堪えている……ように映るのだろうか。
…………うーん?
「私は貴公を覚えている。たしか、私が生まれた後も幾度か母を輸送されたのだったか。泣き叫ぶ母の腕を引き、父の寝所に放り込まれていった」
「覚えて……」
「他のことはあまり覚えていないが、まあ、あれは強烈でしたからね。あの頃は貴公も屈強な将だったが、いまでは……」
伯は……言い訳はしないつもりらしい。額に汗を浮かせ、固くこぶしを握り締めている。そんな状態だから返答は期待できないのだが、ライナルトは言葉を望んでいるわけではなかったらしい。
「君の言うとおりだ。私は……」
「辺境伯、私はひとつ確認をしに来たのです」
ライナルトが遮る。わずかな間に会話の主導権を奪われていたが、異をとなえることはなかった。
「確認?」
「当時、私の記憶が正しければ貴公は笑っていた。それは楽しくて笑っていたのだろうか」
「それは……いや、そんなわけは」
「……覚えていない、と。ええ、しかしそうなるのでしょう。落胆はしません、私たちが虐げられた上に貴公らの幸福があった。ならば記憶などいくらでも都合よく書き換えられるようだ」
淡々と述べていく様は、まるで他人事であり、過去のおさらいのようでもあった。
そして、ここでライナルトの興味が私に移った。
「あぁ、カレン嬢。手を出してもらってもよろしいか」
「え? あ、はいどう……!?」
考えなしに従ったものだから、突然引っ張りあげられた力に抵抗する余地はなかった。勢いあまって机に激突するかと思われたが、寸前で体ごと持ちあげられたから、カップが倒れる程度で済んだのは幸いだった。
なんでライナルトの顔が至近距離にあるの?
「確認はこれだ。その様子ではいくらか覚悟がおありだったようだが、このように貴公が大事にしている御方を私が奪っても、それを当たり前だと受け入れる覚悟が貴公にはおありなのだろうか」
ライナルトは顔色も変えず伯を見つめたまま問いかけていた。
驚きすぎて声もでなかったが、この状況はよろしくないだろう。拘束を解こうと思ったが、腰に手が回っているせいか引き剥がすのも難しそうである。
伯が腰を浮かせ叫んだ。
「その子は関係ない!」
「関係ないとは異なことをおっしゃる。彼女は貴方の奥方の一人のはずだ、大事にされているのは知っていますよ」
「それは、そうだが……。彼女はキルステンからの大事な預かりものでもある。その身に傷をつけようものなら……!」
「私の母も、誰かから託された大事な娘だったはずなのです」
「そんなことは知っている。だが、君が恨みを向けるのであれば私であるべきなのだ。その子はただの……」
「何故私が貴公に配慮せねばならないのか。私たちに配慮してくれる者は誰一人としていなかったというのに」
声とは裏腹に責める様子はなかった。彼が何を問いたいのか伯は理解できず、はくはくと口を開閉していたが、やがてがっくりとうなだれる。
「……望むのであれば首でも財産でも差し上げよう。ただ、どうかその子と……願わくば、我が子らだけは見逃してもらいたい。すべては私たちに咎がある……領民たちに罪はないのだ」
痛々しいまでの声には悲哀が含まれているが、誰も手を差し伸べようとはしなかった。
冷たい視線が伯の身に刺さっているのだが、私もここで動いた。
「ライナルト様」
場が静まり返っていたためか、小さな声でもやたら響いてしまう。皆の注目を浴びたが、肝心のライナルトと目が合ったところで少し考えた。
こういう時、相手の意表を突くにはどうしたらいいのだろう。喧嘩をしたいわけでもないのである。
仕方ないので、相手の片頬をぎゅっと摘まんでひっぱった。
「本気でもない意地悪はそろそろお止めになっては」
意表はついたみたいだけどやるんじゃなかった! モーリッツさんから殺気が漂ってきてる!! ごめん、ごめんて!! 急いで手をはなすけれど、ライナルトから視線を外してはいけなかった。
「……本気ではない、とは不思議なことを言われる。貴方は我が家の事情をご存じの上でおっしゃっているのだろうか」
ぞっとしそうな笑みなのだが、不思議とこの時は恐ろしくもなんともなかった。というより、さっきから不思議でならなかったから、その疑問が勝っていたと表現する方が正しい。
「もちろん聞いておりましたし、先ほどのお話で大体の事情も把握いたしました」
「でしたら……」
「複雑な事情が絡み合っています。ですから心からお怒りのようでしたら、立ち合いこそすれ、私ごときが口を挟むべきではないと思っていました」
「……心から怒ってなどいないと?」
「だってライナルト様、先ほど……というより、このお話になってから、ずっとつまらなさそうにしていらしたでしょう。怒ってもいないのに怒っているふりをしている。夫が肩を落とした際は、あからさまにがっかりされましたね」
水に青を溶かしたような瞳が驚きに見張られた。相変わらず綺麗な瞳だが、あまり感慨深くなっている余裕はない。
「……つまらないのに、興味もないと遊ばれているだけなら話は別です。意地悪はやめていただけませんか」
先ほど感じた疑問はこれ。
どうしてこの人、怒っていないのに怒っているふりをしていたのだろうか。
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