第27話 没落するということは
「きっと、ダンスト家のマリーは……」
「カレン嬢?」
「……いいえ、私から申し上げる話ではないのでしょうね。どうぞ戯れ言と思って聞き流してください」
突っ込むのは野暮だからあえて問いはしないが、ダンスト家の令嬢から個人的なお誘いを受けて、好意に気付かないのも不思議な話だし……うん、いまはこれくらいでいいのだろう。
なんだか意外だった。この人程の容姿なら人々からあらゆる賞賛を受け、羨望の眼差しを浴びただろうに、本人の自覚が薄いとはおかしな話である。独身でいたがる理由もわかるが、この国の社会では変人扱いもやむを得ないだろう。
「ライナルト様はおかしな方ですね」
「それを申し上げるならカレン嬢も相当だと思われる」
「褒め言葉として受け取らせていただきます」
ああ、でもそうだな、確かにそうかもしれない。先ほどもそうだが、この人は私がどれだけ令嬢らしくない姿を晒しても動揺すらしないのだ。軽口に怒りもしないのだから、どうでもいいのか、さては興味がないのか、拘りがないのか。どれにしてもありがたい話だ。ライナルトはこちらを見るわけでもなく無言で立ち尽くしているし、私もしゃがみ込むだけ。兄さんがこんな光景を見たら卒倒するかもしれない。
この人といるときは妙に安心してしまうような気がするのが不思議だ。それにいまの話を聞いて感じたのだが、もしかしたら、縁組なんて形じゃなければ良い関係を築けたのかもしれないなとすら思ったほどだ。……縁組がなければ知り合うことすらなかっただろうけど。
「そうでした、公庫利用権をありがとうございました。それにあれほどの大金、本当によろしかったのですか」
「モーリッツの失礼を詫びる意味もある、好きに使われると良いだろう」
「……返却を求められるのであれば、お返しする用意があったのですが」
「必要ないでしょう。モーリッツにとってははした金です」
モーリッツさんって何者? という疑問はさておき、いまの言い方だとライナルトの懐から出たお金ではないとも受け取れる言い方だ。
……もう少し彼と話をしていたい気持ちがあった……というか、聞きたいことがいくらかあるのだが、呆けている場合ではなかった。エルの姿が脳裏に浮かんで立ち上がり、驚いたライナルトと目が合った時だ。
「ライナルト様、いらっしゃいますか」
この冷たさすら覚える声音はモーリッツさんか。彼の主は私と並んでいるわけで、見つかると面倒だなと思った直後である。ライナルトが人差し指を立てて唇の前で押し立てながら、こちらに「出るな」と制して出て行った。
「モーリッツ、ここだ」
「そこにおいででしたか。休息中に申し訳ありません。ザハール殿が探しておいでです、なんでも明日の警備についてご相談があるとか」
「またか、私は出ないと申し上げたはずだが。……まあいい、聞き分けの悪い兄を説得するのも仕事のうちだ」
「……閣下」
「ここでは名で呼べ。……誰の耳があるとも知れないからな」
私とは遭遇しなかった。そういうシナリオの方がお互い都合がいいということなのだろう。
……しかし、なあ。なんとも言えない気持ちでため息を吐いた。
彼、変人なのは確かだがやっかいな御仁でもあるのは確かだ。
なにせ噂の件、謝りこそすれ「撤回する」とは言ってくれなかった。……わざとだろうか?
まあ、それに関しては真相も判明したし、正直どうでもいいという気がしている。噂を信じてしまったマリーの私に対する偏見は悲しいが……。噂は噂、広まってしまったものはどうしようもない。いまさら慌てたところでどうにもならないだろう。下手に立った噂など、火消しに躍起になるほど燃え広がる恐れがあるし、問題があるのはライナルトの側だ。私は何も知らない振りでも貫かせてもらうほかない。常に都に住んでいるわけでもないし、皆が噂に飽きるのを待たせてもらうとしよう。
この前提条件で私が気にかけなくてはならないのは、噂に尾ひれを付けるような行為をせず、なおかつ伯達の名を傷つけないよう、どこでエルについて尋ねる機会を得るかである。
……やはりこの後で少し時間を取ってもらうべきだろうか。正直、夜会で会うのは避けたい。
「シスが見つかれば一番なのだけど……」
伯か兄さんに力を借りればなんとかなったかもしれないが、シスを探すとなれば理由を尋ねられるから、当然、誰にも話していなかった。彼とエルを繋げた理由と状況に問題があったためである。
本音を言えばもう洗いざらいぶちまけたい。
コンラート領での夜の話など「夜、シスが怪しげな様子でうろついていた」と言えればどれだけ楽だろう。
ライナルトが去った後、時間をおいてから私も移動を開始した。彼と同じ方向から出てこないよう多少隠れて移動しつつ、素知らぬ顔で人の流れに紛れるのである。あとは屋敷に入って、使用人控えで待機している夫人を呼び出せば髪も直してもらえるだろう。
こちらに話しかけようとしてくるご婦人を笑顔で躱しつつ、流し目で伯を探していたが姿は見当たらない。
まだ父と話をしているのだろうかと思ったときだ。
「売女か」
こちらに届くか届かないかくらいの小さな呟き。つい先ほど聞いたような言葉を、男の声で聞いた。
足を止め声の方向に顔を向けると、こちらにむかってにこやかに笑う二十代程の男性が佇んでいる。にこやかといっても、それは形だけ。目は薄気味悪いくらいに濁っている。
「やあカレン、久しぶりじゃないか。元気にしてたかい」
「……ドミニク」
そして何食わぬ顔で話しかけてくるのはマリーの兄であり、ダンスト家の当主である青年だ。数年ぶりに再会した親友に接するかのごとく近寄ってくる姿、大人しいマリーの外見とは対照的に社交性に溢れている。
相手にするかは一瞬迷った。だが、いまの発言は少し気にかかる。
ドミニクの好きそうな対応は……。
「……まあ、お久しぶりね。あなたもお元気そうでなによりだわ。しばらくお顔を見ていなかったから、ずっと心配していましたのよ?」
「仕事が立て込んでいたせいさ、君のことはずっと気になっていたのに、会いに行けなくてすまなかった。田舎の空気は私には合わなくてね」
「ふふ、わたくしのことなんて忘れていたくせに、ひどい従兄弟ですこと」
「そうつれなくしないでくれよ。忘れてなかったのは本当なんだからさ」
周囲は……うん、私からドミニクに向かっていったのもあって、そこそこ距離は取れた。これならよほど頑張って聞き耳を立てない限りは会話を聞かれることもないだろう。ただ、周囲との距離を測っていたのは私だけではない。
「たとえ汚らわしい血だろうと、半分でも一族の血が流れてたら気をかけてやるのが僕の仕事さ、そうだろう?」
茶目っ気たっぷりに片目をつぶってくる青年。本当にドミニクは相変わらずだなあ、と懐かしい気持ちで微笑んだ。相変わらず、彼の考え方は好きになれない。
「そうね、あなたの慈悲深さには頭が下がる思いだわ。いつもキルステンを気にかけてくれてありがとう。素晴らしい従兄弟がいると、わたくしも誇り高い気持ちでいっぱいです」
ちょっとおだてれば鼻の穴を膨らませるのも相変わらずだ。
キルステンといったやんごとなき家々を複数束ねる宗主のダンスト家。その当主であるドミニクは物語に出てくる典型的な貴族の代表例ともいえる。
「は、それほどでもないさ。アルノーはいつまで経っても気の弱い腑抜けだからね、私がこうして参じてやらねば何もできやしない」
「さすがはダンスト家の当主、とても頼もしいのね」
姉さんがするように鈴の音を転がすような笑い……を真似てみせる。大口を叩くのならこんな所で話してないで、中央で話してみろと言いたいところだ。
ドミニクは、要は貴族至上主義なのである。なので半分であろうと庶民の血が混じる私のことはとことん下に見ているし、そんな自分を信じて疑わない人物であり、褒め称えられるのを当然だと信じている。
本当にこんな人物がいるのかと疑う気持ちもわかる。私も思った。だが実際いるのだから仕方がない。彼はそういう風に育てられ、大人になった人間なのである。
さて、それにしてもドミニクは何を話したいのだろうか。最初は悪口を言ってくるだけかと思ったのだが、どうもそれだけではなさそうだ。ドミニクは細い眉を顰め、こちらを咎めるように囁いたのだ。
「それにしても、だ。アルノーが頼りないのはお前も知っているだろう。叔父上が引退されるのは早すぎるとは思わないか」
「……そう言われても、困ってしまうわ。わたくしはコンラートに嫁いだ身ですし、キルステンにしてもお兄様の判断に従うだけですから」
「まあ、お前のような女ならばそれも仕方がないが……なにか聞いているんじゃないか」
「なにか、とはなんでしょう?」
「それは、だな……そう、今後の方針とか、事業についてを……」
ごにょごにょと口ごもる姿に、なるほどと納得した。ドミニクは今後のキルステンの動向が心配なのだろう。彼には再度、コンラートに嫁いだ自分が知る由もないと伝える。
「なにぶんこちらのお話もほとんど耳に入ってきませんから、わたくしではなんとも。ああ、でもお父様は引退ではなくお兄様を支える身となって働かれるのだと話していましたから……」
「……そういう話じゃない!」
小声でいるだけ自制は働いているのだろう。その態度で、こちらも見当が付いた。
つまり彼、とっくに兄さん達の事業からつまはじきにされているのだ。
「そういう話じゃないと言われても、私は本当になにもしらないのよ、ドミニク」
そういうわけなので猫かぶりもおしまいだ。こちらも元々、彼と話をしたかったわけじゃない。気になったのは私の足を止めた例の発言だ。
にっこりと笑顔を形作り……周囲にはあくまでも、いとこ同士がにこやかに挨拶しているように見せかける。ドミニクも先ほどの失態に我に返ったのか、ややぎこちないながらも口元をつり上げていた。
「すこしはましになったかと思っていたら相変わらずだな」
「なんとでも言って。そんなことよりもドミニク、あなた、私の夫に借金を申し入れしたのですってね。ダンスト家についてはそれだけじゃないとも、色々耳に入ってきているのだけれど」
「……それがどうした、お前には何も関係ない話だ」
「関係ない話? あなた、夫を説得できるのは私だけだというのを忘れていない?」
ひくり、とドミニクの頬が引きつった。
こういう手は好きじゃないが、ドミニク相手は強制的にでも主導権を握らないと話ができない。
「……あなたと長話をしたいわけではないから聞くわね。あなた、マリーになにを吹き込んだの」
断言するが、マリーは兄であるドミニクとは違って誰かに毒を吐くような人間ではなかったはずなのだ。とはいえ数年で彼女が変わってしまった可能性も否めないから、内心首を傾げていたのだが、先ほどのドミニクの発言でなんとなく得心した。
「マリーとそのお友達よ、彼女達に何を言ったのか教えてくださらないかしら」
「はぁ? マリーがお前になにを言おうが、私の知ったことじゃ……」
「……私、彼女に頬を叩かれてしまったの。名誉を傷つけられたと訴えてもいいのよ」
「あの馬鹿がお前に何をしようと……」
「ここは意地を張るところ? 素直に話した方が身のためだとわかっているでしょう」
ドミニクはどうしようもない差別主義だが馬鹿ではない。現在のダンスト家が置かれている状況で私……もといコンラートに悪感情を持たれて良いわけがないのは知っているはずなのだ。実際、名を呼ぶと青年は黙り込んだ。こちらはかつて仲の良かったマリーを訴える気など毛頭ないが、ドミニクは到底私を信じられない。だからこんなこけおどしすら通るのだ。
「……聞いたことのあるお前の噂を教えてやっただけだ。あいつがお前を殴ったかまでなんて知ったことではない」
その噂、の種類がいかほどなのかまでは聞くつもりはない。きっと良い気分はしないだろう。
「…………そう。では、このことは夫や兄さんには黙っておいてあげる」
「いや待て、コンラート伯に取り次ぎを……」
「けれどあなたが私を売女呼ばわりした件は別。夫への面通りなら自分でなさってくださいな。……それでなかったことにするわ」
「あんなの冗談に決まってるだろう」
「知らないわ。それとお仲間を集めての悪口大会は、もう少し場所を選んでなさった方がよろしいのではないかしら。……私以外にも人がいたことに気付かないくらい熱中されていたようだしね?」
……マリー達の後にやってきた複数人の男性達。あの中には間違いなくドミニクの声もあったのを覚えている。とびきりの笑顔で教えてあげると、さあ、と笑顔を引かせたドミニクの顔から血の気が失せていった。私はともかく、誰に話を聞かれたかを焦って聞き出そうとしたドミニクだが、ここで間に入ってきたのはアヒムである。
「ドミニク様、カレン様。ご歓談中申し訳ありません」
たったこれだけだったのだが、ドミニクはアヒムを見るなり目元をぴくぴくと痙攣させると「失礼する」といって踵を返した。確かにドミニクは昔から彼を苦手としていたが、ここまで極端だっただろうか。一方のアヒムは本家当主の行方など気にする様子もなく、こちらへ心配げな顔を向ける。
「笑顔で対応されてたようでしたけど、大丈夫でしたかね?」
「絡まれてただけだから問題ないわ、ありがとう」
「いい笑顔でしたよ……。にこやかすぎて、何かあったんだとすぐにわかりましたけど。……やれやれ。坊ちゃんは相手しないと言ってあるんですから、帰っていただきたいんですけどねえ」
「……キルステンの隆盛は、ドミニクには耐えられないのでしょうね」
「それもありますが、ドミニク様は最近特に悪い話しか聞かないし、うろついて欲しくないんですよ。」
「……噂って? ……大丈夫、誰も聞いていないから教えて」
「いや、ここで話すような話じゃ……」
「一部でいいから」
ここでアヒムは周囲に目を配ってから、私にしか聞こえない声音で囁いた。
「たとえば妹のマリー嬢。なんでも借金のカタに遠方に嫁がされるとか。その相手がとんでもない好き者の爺だそうで……」
…………ああ、うん。
「……そういうことね」
「はい? お嬢さん、そういうことって……」
「それよりも、何か用事があったのではないの。できれば一旦屋敷に戻ってからにしてもらいたいのだけど……」
「あ、はい。そうでした……向こうでゲルダ様がお客様とお待ちです」
姉さんからの召喚となれば待たせることはできないだろう。
「お嬢さん、どこにも姿がみあたらないと思ってたら髪型を変えてたんですね」
「あ、うん、ちょっとね」
「似合ってますよ」
「……ありがとう」
……なんだろう?
何故だか少し照れくさいのだけれど、自分の心に耳を傾けている暇はない。アヒムに案内され向かった先で姉さんに引き合わされたのは、三十頃の黒髪の男性である。
隠れる前、姉さんと歓談していた男性だ。一体誰だろうと挨拶すると、礼服をすらりと着こなしたその人はこう名乗った。
「お初にお目にかかる、コンラート伯夫人。私はローデンヴァルト家が当主、ザハールと申します。以後お見知りおきを」
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