第26話 知るほどわからなくなる

「え、ええっと……どうしてこんなところにいらっしゃるのかしら」

「人気のない場所で休んでいましたら、なにやら慌てた様子のカレン嬢が駆け込んでいらっしゃったので、黙っているのも悪いかと思い声をかけさせていただきました」

 

 く、状況説明どうもありがとう。つまりライナルトは私がここに駆け込んでからの一部始終をずっと見ていたわけである。

 相変わらず何を考えているのかわかりにくい涼やかな顔だ。取り繕うにも予想外の再会が多すぎて心が追いつかない。

 ……なんかこの人と会う時っていっつもこんな感じなんだけど、どうなってるの。


「建物の陰をお借りしたのは申し訳なかったが、まさか誰か来るとは思わなかったので」

「あ、ああ……まあ、そうですね。庭師くらいしか使わないですし、今日はその庭も開放してますから、わざわざ通り抜ける人はいないでしょう」


 ライナルトの視線が正面の垣根に逸れたので、私も彼に並ぶように建物に背を預けて立つ。向こう側は悪口が盛り上がっているようで、出て行くのはまだ難しいだろう。

 ……あー……っと、マリーのことで動揺していたから忘れそうだったのだけれど、そう、この人には用事が……。

 

「彼らはキルステンの栄光が羨ましいのでしょう、このような場所で他人を貶めることしかできないのだから、貴方の時間を割いてまで考えてやる必要はない」


 静かで平坦な声だった。興奮している向こう側と違って、このくらいの声量なら聞かれる心配もないだろう。一瞬、この人はなにを言っているのかしらと思ったのだけれど、すぐに思い至った。そして、少し意外だった。


「心配してくださってるのですか?」

「聞くに堪えない醜い声ですからね」

 

 ああ、なんか向こう側、熱が入ったのかヒートアップしてきてるものな。


「……ありがとうございます。けれど、あの人達のことは気になりません。実家に戻る以上、ああいう方が紛れるだろうことは承知してましたし、キルステンが順調なことを気に入らない人がいるのもわかってましたから」

「貴方が強い人で安心したが、口さがない者はどこにでもいる。今後もあのような輩は出てくるでしょうし、過信するのは禁物だ」


 それに、とライナルトは続ける。


「悪し様に言われ傷つかないわけではないでしょう」

「そう、ですね」

「失敬、説教をしたいわけではなかったのですが、貴方には無理に強がる必要はないと伝えたかった」

「……いいえ、仰るとおりですから」

「ならば、よかったのですが。我が家も敵が多いので、多少ならば気持ちもわかりますよ」

「どこも似たようなものなのでしょうか。……難しいものですね」

 

 異世界転生の始まりだー! だなんて喜んでいたのは最初だけで、人なんて結局どこでも変わらないと嘆いた頃を思い出す。


「それとダンスト家の令嬢と遭遇していたようですが、何か言われましたか」

「マリーのこと、ご存知だったのです?」

「先ほど婚約を迫られたばかりでしたので」

「そうなんで…………?」


 いま、おかしなこと言わなかった? と固まってしまったのだが、ライナルトがこちらを見ることはない。


「泣かれていたのはわかっていたのですが、何を喋っているのかは聞き取れなかった。彼女は貴方になにかされましたか」

「…………あの、マリーに交際を迫られたと仰いました?」

「その通りです。求婚を迫られたが、理由もないのでお断りさせてもらった」


 そのとき、髪からするりと髪留めが外れ、背中と壁の間に挟まった。綺麗に髪型を作ってもらったのだが、締め付けがきついのが嫌で緩くまとめてもらっていたせいだろう。マリーからの幾度とない叩きつけの衝撃による揺れと……壁に後頭部を押しつけたせいで取れてしまったらしい。はい、最後は自業自得です。


「取りますので動かないように」

  

 髪留めを取ってもらい、壊れていないかを確認する。幸いどこにも欠けは見当たらなかったが、元通りにならないのは髪型だ。今日のような場で髪飾りもなしに歩けば、目敏い人にはすぐに失笑されるだろう。こうなると、誰にも見つからぬよう屋敷に入るか、それか人を呼んできてもらう他ない。

 自分で直せないのかって? 

 ……紐と髪留めを駆使してボロっとした仕上がりで良いのなら、なんとかなるというレベルである。ドレスに合わせた髪型など一本結びで対処できるようなものではないし、人に直してもらった方が早い。


「あの、ライナルト様。本当に申し訳ないのですけれど、会場に戻られましたら兄か姉か、それかコンラート伯に私がここにいることを伝えてもらえないでしょうか。もちろん、休息が終わってからで結構ですので……」

「それは構いませんが」


 ライナルトは私の頭髪をじっと見つめると、手で顎をなでつけながら言った。


「私で良ければ結い直しましょうか」

「なお……はい?」


 直す、ってライナルトが、私の髪を?


「職人ほどではないが、髪結いの経験は私にもある。庭を横切る間くらいなら問題なく誤魔化せるでしょう」

「え、ええ? ライナルト様が女性の髪を結われる……?」

「貴方の髪は癖もないし、すぐ終わるでしょう」


 背中を向けろという指示に思わず従ったが、意外な特技に困惑を隠せない。

 だって髪結いって、専門職人がいるくらいの技術ではあるけれど、貴族の子息が覚える特技ではないからだ。女性の髪を触るのが大好きで……という理由ならわかるが……。

 ふわりと髪が持ち上げられると、頭部や耳の後ろを指が触れる。その手つきは迷いがなく、慣れている風でもあった。


「あの、髪結いの経験があると仰いましたが……」

「大した理由ではありませんよ。幼い頃は職人の真似事をして小金を得ていた。子供の頃に身につけた技術というのは存外覚えているものです」


 ……小金を得ていた?

 それは彼ほどの身分の人が明かすには大した理由なのではないだろうか。


「それは、また。……失礼ですが髪がお好きだったのでしょうか」

「いいえ。子供の頃に預けられていた家が貴族とは名ばかりの商家でしたので、必然的に食い扶持を稼ぐ必要があった。ローデンヴァルトに迎えられるまではそこで……カレン嬢、動かずに」

「はいっ」

「……大人になったら髪結いにでもなって生計を立てれば良いと思っていたので、子供なりに真剣に取り組んだ。ゆえに多少の心得があるのです」


 淡々と語る声に嘘をついている様子はない。おそらく真実なのだろうが、だとすると彼の過去がわからなくなった。


「ところで」


 と、質問するより早く先制を取られた。


「これはダンスト家のご令嬢が原因でしょうか」

「あ、はい……。そうです、ね」


 こうもはっきり聞かれてしまうと否定しにくい。なんとなしにマリーと遭遇するなり、何度か叩かれてしまったと説明する。


「彼女は泣いていました。誰かと勘違いしていたのではないかと思うのですけれど……」


 語尾が段々と小さくなってしまったのは、自信がなかったためだ。なぜなら彼女の友人達ははっきりとこちらを見据えていた。勘違いにするにはあまりにも難しい。

 そんな会話の間、あっという間に髪が作られてしまった。軽く触ってみたが綺麗にまとまっているし、少なくとも私の下手な腕前よりよほど上手だ。髪留めもきっちり固定されている。


「すごい……」

「傍目にはそうおかしく映らないはずだ。早めに直してもらうのがよろしいでしょう。……それと、カレン嬢」


 振り返るとライナルトは……何故か、ほんの少しだけ済まなさそうな顔をしている。


「迷惑をかけるとはお伝えしたが、まさか彼女が貴方に手をあげるとは思わなかった。私の思慮不足だったとお詫びする」


 その言い様は、まるで今回の原因が自らにあるような口ぶりである。それは理解できたのだが……迷惑をかける?

 姉さんの館で散歩した日の会話だ。


「もしかして、以前おっしゃっていた迷惑をかけると言うのは」

「その通りだ。……といっても、私としては特に何か行動を起こしたわけではないのだが……」

「お待ちください。ライナルト様がマリーの求婚を断ったというのはわかりました。けれど、それがどうして私に繋がるのです」


 髪のお礼は後だ。詰め寄る勢いで尋ねると、今度こそライナルトはあの日の言葉の意味を教えてくれた。

 

「それを説明するにはいささか長くなるのだが……。そう、まずは貴方との婚約の件だ。あれはやむを得ぬ事情で承知しただけであり、もし貴方と婚姻していたとしても、いずれ離縁する予定だった」


 などとあっさり暴露したのである。

 それは彼なりの罪悪感だったのか、思った以上に話をしてくれるようである。

 ふと周囲が気になって耳を澄ませてみたのだが、男性達の話し声はとっくに聞こえなくなっていた。


「ええと、結婚の意思はなかったと聞こえたのですが、合っております?」

「合っています。私は妻を持つつもりはありませんでした」

「……不躾ながら、理由をお伺いしてもよろしいですか」

「身は軽い方が好みなのです。妻がいては枷をはめられる」

 

 彼ほどの人が二十半ばにもなって妻子を持っていない理由がやっとわかった。なんてことはない、独身でいたかったのだ。

 再び腕を組んだライナルトは、遭遇時と同じように壁に背を向けた。


「事情は多々ありますが、貴方が私を振ったのはこちらにとっても都合が良かったということです。ただ、それで納得してくれないのが我が兄ザハールです」

「ローデンヴァルト家のご当主ですか」

「まだ会ったことはないはずですね。でしたら兄には気をつけた方がいい。……婚約を了承した相手がキルステンだけだったせいか、兄もまた諦めていないようだ」


 普通に怖い話を聞いてしまった。

 でも待って。ライナルトの語る話が真実だとしたら、もしかしてあのまま婚約していたら円満に別れられたのだろうか。

 ただ、とライナルトは語る。


「貴方のおかげで婚約の話は流れてくれたのですが、それまで縁組を断っていた私が妻を持つ気になったというのは、他家にとって願ってもない話だった。今度は他家からの話が舞い込むようになっていましてね」


 嫌な記憶でも蘇ったのだろうか。言葉の中に僅かな煩わしさがあった。

 彼が何をしでかしたかわかってきた気がする。正確に述べてしまえば、彼は何もしていないが……。


「縁組をすべて断ったのは……サブロヴァ夫人の館でお会いした少し前あたりでしたか」


 とてつもない話に巻き込まれている気がするのは間違いではないのだろう。行儀は悪いけれどその場にしゃがみ込み、語る言葉に耳を傾けた。今度は髪を乱すような真似はしない。

 ……姉さんが見立ててくれたドレスの色、派手すぎない濃赤が素敵だなぁ。色で重く感じすぎないよう袖は透ける素材で作られていて、とてもバランスがいい。


「噂が流れたのです。私が貴方を好いている故に、いまだ他家の縁組を受け付けないのだと」

「……いかにも話題に飢えた方々が好まれそうな噂ですね」


 ライナルトが作ってくれた髪型と合わせ、純粋に楽しい気持ちで鏡を見られたらよかったなぁ……。

 …………はい。

 そういうことか。わかった、やっとわかった。マリーが私を敵視し、なおかつキルステン家についてからやたら注目された理由。

 ローデンヴァルト家の次男がいまだ恋い焦がれている意中の娘はどんな相手なのかなどと、噂を耳にした方々が好奇心で目を光らせていたのだろう。


「…………噂を否定されなかったのですね」

「そう、都合が良かったので利用させていただいた」

「……私は滅多に社交界に出ませんから、他家との交流はないといっても等しいですものね」


 実際、前回都にいた際はそんな噂、まったく耳にしなかった。徐々に噂は広まっていって、今回に繋がってしまったのだろう。


「そのうえ住まいは遠方ですから噂は耳に入りにくく……住んでいる場所も違うのだから片思いで片付けられて……。それ以上の噂は立ちにくいですね」

「随分とお詳しい」


 ライナルトが笑ったような気がしたが、顔は見ない。視線は地面に落としたままだ。


「ただ……噂といえど、よろしかったのですか。たとえば兄やコンラート伯の耳に入ってしまうのは、ライナルト様にとって都合が悪いのではないのですか」

「それで周囲が大人しくなってくれるのであれば歓迎です。それに噂は噂。私はなにもしていませんし、たとえ陛下や兄といえども追及はできませんよ」

「それは……ええ、ライナルト様の秘密を知っている身としては……容易に否定できませんが……強気でいらっしゃいますね」

「キルステンと縁を結ぶという一点においてのみ了承しましたからね」


けろっと言ってのけてしまうあたり、いい性格をしている。

 ただ、彼はマリーの行動が不可解だったようだ。私が叩かれたことについては自分の責任だと認識しているが、その理由がわからないらしい。

 ……こちらにしてみれば、だ。理由が判明したいまとなっては、彼女の行動はある一点にしか絞れない。

   

「……噂も広まってくれたようですし、こちらに婚姻の意思がないのはわかっていたはず。ダンスト家には資金の援助もできないと兄から通達もしている。だというのにご令嬢がなぜこうも拘られるのか……」


 疑問を口にするライナルトは、不可解だと言わんばかりに小さな息をこぼす。

 その姿は大変絵になる。絵になるのだが……。

 ふと思った。思ってしまった。理由ははっきりとしないが私の中の第六感が働いたのだ。


「つかぬ事をお伺いしますが、もしかしてマリーとは以前から交流があったのではありませんか?」

「ご存知でしたか。実は今回以外にも何度かお会いしている。馬や剣術に興味があるのか、よく質問をされていた」


 それはおそらく剣や馬というより、あなたと共通の話題を探していたのだ。


「彼女はあまり積極的な人ではなかったはずなのですが、もしかして、お茶会に誘われませんでしたか」

「……ああ、そういえば。ダンスト家と交流を持つ必要はないのでお断りしていますが」


 質問してようやく思い出したといった口ぶりだった。

 もしかしてこの人、周囲が考えている以上に自分自身について興味がないのではないだろうか。

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