第28話 企む人たち

 ローデンヴァルト家の当主はほっそりとした目元が特徴的で、理知的な雰囲気を併せ持った人である。男性にしてはやや細すぎる印象だが、佇まいは凜としており独自の威圧感があった。とうとうこの人を紹介されたか。Uターンしたい気持ちを抑えて立ち返り、ドレスの裾をつまみ膝を折って挨拶した。


「お目にかかれて光栄に存じます、ザハール様。コンラート辺境伯の妻カレンでございます」

「夫人ご自慢の妹御にお会いすることができて嬉しく思いますよ」


 半分は血が繋がらないとはいえライナルトとは似ても似つかぬ兄弟だった。私にも好意的な眼差しを向けており、ドミニクとは別の意味で貴族らしい人である。


「あなたの話は夫人や弟から伺っています。ご苦労があっただろうに、弟にもよくしてくださって感謝しています」

「とんでもございません。わたくしの方こそライナルト様には親切にしていただいております」


 ただまあ、脳裏に過ぎるのはつい先ほど聞いたライナルトの台詞だ。ただ暢気に笑っていれば良いというわけでもなさそうである。

 

「サブロヴァ夫人、キルステンのご兄弟は皆様が目を引くような方々ばかりですな。このように聡明なお嬢さんが姉妹であれば可愛くて仕方ないでしょう」

「妹ですから可愛いのは当然ですけれど。ザハール、わたくしの前でそうも褒められると拗ねたくなってしまうわ」

「これは失敬。ですが、我らが陛下の薔薇が美しいのはいつものこと。ただでさえその眩さに心身を潰されそうなのです。うっかり口に出してしまえば、その尊さに耐えきれなくなってしまう」


 こうもすらすらと口が回るのも凄いといえば凄い。ローデンヴァルト候は姉さんの好みの言い回しを把握しているようで、言われた側もまんざらではなさそうだった。弁が立たなければ当主なんてやってはいられないのだろうけど。

 とりあえずにこにこと笑ってお声がかかるのを行儀良く待っているわけだが、視界の端にライナルトがいるのは見逃さなかった。彼が相手をしているのは私の小さい弟エミールである。


「先ほどコンラート伯にもご挨拶させていただいた。いまは前当主殿と話し込まれているようでカレン殿も暇を持て余しているかと思いましたな」

「まあ、お気遣いいただいてありがとうございます」

「弟とはまだお会いになっていないはずですな。……ライナルト!」


 だよね呼ぶよね! 知ってた!

 彼を呼びつけておいたのはこのためか。ローデンヴァルト候に呼ばれてやってきたライナルトとも、まるで今日初めて会ったような顔で挨拶を交わす。


「ライナルト様とはお姉様のお屋敷以来でしょうか、またお会いできて嬉しく存じます」

「カレン殿もお変わりなくなによりだ。この度はご結婚おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 ……ってことでいいのよね。あの事件は非公式にしたいわけだし。その前の盗み聞き事件は……まあどちらでもいいかな。言葉的に姉さんの館であるのは変わりないから嘘にはならない。


「一度面通りはされているようだが、このような晴れの日となればやはり別だろう。ライナルト、我が家はキルステンと懇意にさせて頂いている仲だ。その親族になられたコンラート伯夫人とも交流を深めるべきだと思わないかね」

「兄上の仰る事はもっともですが、突然私のような者を押しつけられてもカレン殿とて困るでしょう」

「自慢の弟を恥ずかしがる兄がいるものか」


 ははははは、と明るく笑うローデンヴァルト候。現在夫がいて、しかも目の前にはほんの一瞬とはいえ婚約候補だった相手がいる身としては言葉控えめにしているのが正解だ。


「あなたたち、並んでいたらとてもお似合いなのにね」


 追い打ちの姉さん。陛下の側室と侯爵相手には困ったように微笑むしかない私、小さく肩をすくめるライナルト。

 なぁにこの地獄絵図。

 兄さんは賓客対応に追われているし、一応アヒムが待機していたけれど口を挟めるわけがない。エミール! ……と思ったけど、ライナルトの方にきらきらした視線を向けている。


「そういえばコンラート夫人は、明日の夜会には出席のご予定だとか」

「はい。せっかくこちらに戻ってきたのだからと、お兄様やお姉様にもお声がけいただきました。夫も良い機会だからと是非にと……とても楽しみにしております」

「しかしコンラート辺境伯は随分長く登城されていない様子。明日は城に来られるということでよろしいのだろうか」

「そのつもりだと聞いております」

「ふむ。陛下主催の夜会は、あの御方には常にお声がかかりますからな。……さぞ陛下もお喜びになることでしょう」


 ……陛下主催の夜会には伯に常に声がかかっている?

 てっきり兄さんや姉さんのおこぼれに預かっての出席かと思っていたのだが……。聞いたことのない話だった。コンラート領を発つ前夜、夜会は出席しないと手を震わせていた老人の姿が浮かんだが、それを顔に出すわけにはいかない。それにローデンヴァルト候の話も続いている。


「しかしながら、辺境伯は近年体調が思わしくないとも伺っている。コンラート夫人、もし急用の際は是非ともライナルトを呼びつけてやってほしい」

「ありがとうございます。ですが、もし夫が体調を崩したのであればわたくしは……」

「夫人が名代として出席されれば問題ありませんよ。キルステンと交流のある我が家です、有事の際は是非頼っていただきたいのです。付添人としてどうぞ指名いただきたい」


 伯の話題が出たから安心していたら、思わぬ軌道修正である。ローデンヴァルト候の瞳に確信めいた光すらあったのは気のせいではないはずだ。

  

「……兄上、私は明日は出席の予定はありませんよ。それにそのような話、辺境伯やカレン殿に失礼でしょう」

「もしもの話だ。コンラート夫人の付き添いくらい問題なかろう。お前の部下も優秀だと常日頃言っているではないか」


 ライナルトはいなしてくれるが、ローデンヴァルト候に公の場でここまで言われてしまうと「お断りします」とは言えない。

「コンラート夫人、如何だろうか」と直接返事を求められてしまえば尚更だ。

 

「ローデンヴァルト候のお心遣い痛み入ります。有事の際は、ライナルト様を頼りにさせていただこうと存じます」


 なんだろうこの嵌められた感は。

 大満足な姉さんの笑顔、諦めていなかったのね。あなた方は一体私をどうしたいのだろう。黄昏れたい気分になっていると向こう側から姿を現したのはコンラート辺境伯こと私の夫(仮)である。渡りに船とはこのこと、夫を迎えに行く体で場を外れ、早くも疲れ気味のご老体にそうっと話しかける。

 

「顔色がよろしくないようですが、もしや父と母となにかありましたか」

「想定していたよりは順調だったよ。……ああ、僕は大丈夫だから、君は気にしなくてよろしい。……向こうにいるのはご家族とローデンヴァルトの若君かな?」

「若君というのがご当主のことでしたら、はい」

「では挨拶をしていかないとね」


 伯に手を貸すべく付き添い戻ると、ローデンヴァルト候は自ら椅子を用意してコンラート辺境伯の席を用意した。


「コンラート辺境伯、お久しぶりでございます。父の代では大変お世話になりました。……顔色が優れませんが、医師をお呼びしましょうか」

「いいや、それには及ばないよ」


 などと、恭しく礼の形をとる始末である。そりゃあ年齢を考えれば妥当な対応だが、位的にはローデンヴァルトがずっと上である。座りながらでは不遜になるだろうに、どちらも意に介していないようだ。

 

「こうしてお会いするのは何年ぶりか。昨今のローデンヴァルトの活躍は聞き及んでいるとも。ザハール君も随分立派になられたし、天上にて亡きご両親も胸を張っておられるだろう」

「ありがとうございます。父には遠く及びませんが、日々邁進してございます。もちろん、陛下の右腕としてその人ありと謳われたコンラート伯の栄光にもあやかりたいと……」

「ローデンヴァルト候、その話はよそうじゃないか。いまは君のような若人が輝く時代だ。年寄りの昔話など若者にはつまらない話だろう」


 そして姉さんに対しては、柔らかく微笑んだ。


「年寄り故、座ったままのご無礼をお許しいただきたい。西方の国境を預かります、コンラートのカミルと申します。こうしてお会いするのは初めてでございますな」


 こうして公の場に出てきたコンラート辺境伯には、場を包み込むような不思議な貫禄がある。同じ圧でもローデンヴァルト候とは違い、ふんわりと柔らかな出来たてパンみたいなぬくもりだ。拍子抜けしたのか、力が抜けてしまったらしい姉さんも深々と挨拶の形を取っていた。伯は順繰りに声をかけるようで、次いで目を合わせたのはライナルトである。ただ、このときの伯の様子は少し変わっていた。


「……貴方がライナルト殿か」

「お初にお目にかかります。コンラート辺境伯のお噂はかねがね……」

「はははは、ろくでもない噂だっただろう。……それよりも、だ。貴方は覚えていらっしゃらないだろうが、私は貴方がお母上の腕に抱かれていた頃の姿を覚えていてね。……ああ、本当に立派になられた」


 他愛ない会話だが、伯の様子が普段と違っていたのに気付いたのは、この場では私だけだった。苦々しい記憶を思い出すような、悲しそうな瞳である。

 

 来客の対応をしていたアルノー兄さんとエミールも駆けつけたので一気に場は騒々しくなった。今日の主役は兄さんなのだ、皆でお祝いの言葉をかけているうちに普段通りの伯に戻ったのだが……。

 結局、コンラート辺境伯の体調が思わしくないという理由で私たちはあれからすぐに引き上げた。伯の指示もあり、あれから最低限挨拶をしなくてはならない人たちには顔見せも完了したので問題はないだろう。

 伯が引き上げるとなるとスウェンやニコも退散となるようで、挨拶回りに励んでいたスウェンは帰りの馬車で安堵の息を吐いたのである。


「舌を噛むかと思った……」

「でもでも、長ったらしい口上を噛まずにちゃんと言えてたんですよ。ニコは半分もわからなかったのに、スウェン様はご立派に役目を果たされました」

「お……前は、気楽でいいよ、なぁ……」

「いいじゃないか。女の子を守るのは男の子の誉れだよ、スウェン」

 

 ニコは頬を赤くして興奮気味で、伯はそんな様子も微笑ましそうに眺めている。

 はっきりと確認したわけではないのだが、ニコを咎める様子がないから、伯はスウェンとニコの仲が良いのを悪く思っているわけではなさそうだ。そもそも問題に感じるようなら、彼女を着飾りスウェンの傍に置きたいと申し出た時点で反対されているだろうしね。

 このときもせっかくの特別衣装でめかし込んだ娘二人に悪いと思ったのだろう。


「せっかくだから夕方までそのままでいなさい。こういう機会は滅多にないからね」


 夕方、となったのは、私が明日の準備を控えているからだろう。明日の件がなかったら多分夕餉もそのままでいいよって言っていたに違いない。


「じゃあ戻ったら一休みして、そのあとお茶をしながら何かつまみましょうか。……キルステンのご飯は美味しいのに、全然食べられなかったのよね。ヘンリック夫人のお菓子でも食べてないとやってられない」

「お前はお前で食い気かよ……」

「でも本当に美味しそうでしたよ。あんなにたくさんのお菓子と料理、絶対余るでしょうに……。使用人の皆さんで食べるにも大変そうです」

「ニコ、あれね、残念ながら廃棄なのよ……」

「なぁ!?」


 わかるー。勿体ないのすごくわかるー。

  

「……うちだったら客に見られないように厨房を領民に開放してるところだな」

「スウェン。わかっているだろうが、余所に他言しないようにね」

「わかってますって。けちくさいって言われるんだろ」


 微笑ましい会話に、ようやく肩の力が抜けた心地だった。


「そういえば奥様、髪型が違うようですけどどなたに直してもらったんですか。ヘンリック夫人が不思議がってましたよ」

「あ、ああ、それはね、偶然だけど親切な方がいらっしゃって……」

「手先が器用な方がいらっしゃるんですねえ。似合っておいでですよ」

「あ、り、がと……う」


 ヘンリック夫人は別の馬車にいる。今頃は明日の準備についてあれこれ考えているだろうが、あとで同じように伝えておかねばならないだろう。崩れやすい髪型は今後却下される運命にある。


「伯、戻ってからですが、少しお伝えしなくてはならないことが……」

「では、あとでこちらにおいで。エマも同席して構わないだろうか」

「大丈夫です。では、お時間をみてお伺いしますね」


 さしあたって、大事なのは明日の夜会である。ローデンヴァルト候に返事をしてしまった手前、付添人にライナルトを指名しなくてはならないのは決定であった。

 

 ……結果としては、彼にエスコートを頼むしかないという結論になったんだけどね!

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