第16話 一難去って

 驚愕はほんの僅かな間だけ。瞬きを終える頃には動揺も消えていた。


「……忘れ物とは、具体的にはなにを忘れられたのだろうか」


 この一言でライナルト以外の人たちも、いるはずのない侵入者の存在に気がついた。ライナルトの後ろからモーリッツさんが顔を覗かせると、目元が厳しく細まったのを視界の端で捉えていた。ただ、このときの私はライナルト以外を見る余裕がない。


「腕、かざりをなくしたんです。そこに、落ちてないですか」


 「聞くつもりはなかった」なんて言い訳をするべきか迷ったが、ばればれの嘘をいっても意味がない。左手首を持ち上げて指をさした。たどたどしい言葉になってしまうが、口内全体が痛いので仕方ない。


「あなたもご存じの、姉さんからもらった品物なのですが。……さがしたい、だけなので」


 部屋の方へ進もうとすると、片手をかざし制止をかけられた。


「いまこちらに来られては障りがあるので、それ以上近寄らないように。……誰か、女性物の腕飾りは落ちてるか」


 ライナルトの一声で探します、と誰かが返事をして捜索が始まった。想像以上の人数がいたらしく、こちらが恐縮してしまう有様だ。

 そういえば真っ先に地下へ降りてしまったが、この上の部屋に落ちてる可能性もあるのだよね……。


「ありました」


 などと思っていたら男性が駆け寄り、ライナルトへ繊細な輝きを放つ腕飾りを差し出した。離れているからわかりにくいけれど、ファルクラムじゃ滅多に見かけない意匠と薄青の宝石は間違いない。


「奥の牢の前に落ちておりました」

「わかった」


 奥といえばスウェン達が捕まっていた牢屋のあたりか。あのときにすでになくしてしまっていたらしいが、まったく気付かなかった。

 ライナルトはハンカチを取り出すと腕飾りを載せ、私の前に持ってきてみせてくれる。


「こちらで間違いないですね」

「はい、これです。よかった……」


 鎖が途中で千切れていたから、何かの拍子で落ちてしまったのだろう。修理にいくら掛かるか不明だが、無くすよりはずっとよかった。


「ところで一つお尋ねしたいが、貴方が暴行を受けたのはこの小部屋かと考えていたのだが、なぜ奥にこれが?」

「たぶん、スウェンを見せられたので……牢屋におしつけられた、ときかな?」


 この質問、私はてっきり何時なくしたのかという意味だと受け取ったのだが、後々考えてみるに、他に暴行を……突っ込んで言ってしまうと、女性の尊厳が傷つけられてはいないかを確認したのではないかと思う。この時点じゃ被害者側の聴取が終わっていないだろうし、この手の問題はかなり深刻だから遠回しな言い回しにもなるだろう。

 けれど私が平然とまではいかなくても自力で立っていたこと、まるきり違う回答をしていたから、懸念で済んだのだろう。


「なるほど。では、無事に見つかりましたし上に戻りましょうか」


 ハンカチに腕飾りを包んでしまうと懐に仕舞い込んでしまったのだ。てっきり返してもらえると思っていたので、素っ頓狂な声をあげてしまう。


「へ? あの、それ……」

「行きましょう。ここは空気も悪い」


 くるりと反転、背中を押されて追い立てられるように上へと登っていく。いやいやいや、まって、それを返してもらわないとこんな陰鬱な牢屋に来た意味がない。


「その前に、返してもらえませんか。それ、直さないと……」

「仰るとおり、修復せねば使い物にならない。だがこれを作らせたのは私ですので、職人に渡すとなると預かるほかないでしょう」


 うん?

 私が作らせた……?


「お詫びもかねて元通りにさせると約束しよう」


 私はこれは姉さんから結婚祝いとしてもらったんだけど、どうしてライナルトが作らせたことになっているのだろうか。言葉の意味を理解するのに時間がかかったせいか動きが鈍くなったのだが、ライナルトは「なるほど」と呟いた。


「失礼、靴がないのに気付かなかった。……ニーカ、カレン嬢を運べるか」


 後ろに向かって声をあげるが、返答は狼狽だ。


「は……! 申し訳ございません。服が血で汚れておりますゆえ、自分がお運びするにはいささか障りがあるかと。……エレナ!」


 ハイ! と元気な女の人の声がして駆け寄ってきたのは、確か最初にここから退散する際、毛布をかけてくれた女の人だった。くりっとした目が特徴的で、青がかった不思議な髪の色をしている。身長は私よりちょっと高いくらいの美人さんなのだが……。


「失礼します!」


 言うや否やまた横抱きに抱えられた。ねえこの子、よく見ると私と大して年齢も変わらなさそうなんだけど、ほとんど同い年の女の子に抱えられるって!? というかここ数日で一生に数回経験すればいいくらいの横抱きを!!!

 しかしエレナと呼ばれた子はまったく気にしていないようだ。それどころか、華奢な見た目とは裏腹に、彼女もまったくぶれる様子もなく歩き出す。


「自分で、自分で歩けますから……!?」

「いえいえ、怪我をされてるのですから駄目ですよ。運んでしまいますから動かないでくださいねー」


 この場にそぐわない太陽の如き笑み。大変逆らいがたく、申し訳ないのと恥ずかしい気持ちでいっぱいなのだが、彼女の笑みで全身の気怠さと芯から真綿で締めるように襲いかかる痛みに、もう無理をしなくてもいいのだと観念した。


「…………ごめんなさい。やっぱり無理そうなのでお願いします」

「はぁーい」


 もう恥ずかしくて顔を覆っちゃうよね。なんで私は自分で取りに行こうと思ったのだか、少し前の自分の言動がわからない。

 けれど男性に運ばれるよりは気持ち楽でいられるから、ニーカさんを呼んだライナルトと、この人を指名したニーカさんの心遣いはありがたかった。

 背中に羽でもついてるんじゃなかろうかという足さばきで上へ運ばれると、私を探していたヘンリック夫人には叱られかけたが、ライナルトが取りなしてくれたおかげで回避された。


「現場はこちらで押さえるので、皆様方にはひとまず当家の所持する館でお休み頂きたい」


 休めるのならどこでも構わなかったが、若干難色を示したのはヘンリック夫人だ。


「ローデンヴァルトのお屋敷でございますか。しかし、お言葉ですが当家の奥様とは……」

「コンラート伯の侍女殿。無論、当家とキルステンに浅からぬ縁があるのは承知している。貴女の懸念ももっともではあるが、ここは怪我人の治療を優先させてもらいたい」


 ヘンリック夫人は迷ったようだが、スウェン達が休んでいる馬車と私を交互に見やる。いくらか葛藤があったようだが、ライナルトの意見に同意した。

 本当は私がその辺りをちゃんと考えなければならないのだが……はい、さっきも述べたとおり、とにかくもう横になって休みたい。応急処置ということで、医学の心得のある者がそれぞれの馬車につくようだ。


「奥様はそちらで運ぶと?」

「ええ、無論、こちらは女性の配下を同席させます」


 これは頭の働きが鈍った私も驚いた。馬車は二つ用意するというのだが、確かに全員が一つの馬車に詰めるのは不可能だ。だからスウェンとニコと夫人、それに彼らの治療を担う人物でひとつ、私はライナルトと同じ馬車でという内訳になった。ローデンヴァルト所持の館に向かうのは承知した夫人だが、これは承服できないと、私の手当を買って出たのだが……。


「じゃあお運びしてしまいますね~」


 傍で待機していた青髪の女の子。この場から動かないと不思議だったのだが、私を持ち上げながら馬車に置いて隣に座ってしまったのである。


「目立つ汚れを取りますね。あ、見える部分だけですから毛布はそのままでお願いします」


 中には長方形の箱や濡れた布巾が既に置かれており、私の手を取るなり指の汚れを拭いだしたのである。


「応急処置とはいえ本当なら服を脱いでもらって、その上で診断するところなんですが、ライナルト様も同席されますし、いまはこれだけで許してくださいね。……どうしても痛む場所があればご遠慮していただきますが」

「……つらいのは口の中が痛いくらいだから、だいじょうぶ、ですよ」

「よかったです、このくらいで済んでなによりでした」


 ……さらっと言われてしまったが、この人も相当アレだね?


「痛かったら言ってください」


 とはいうものの彼女の手つきは丁寧で、損傷した爪先には触れないよう注意を払っているから痛みはない。

 ……そういえば爪先の痛みってすごく辛かった記憶があるんだけど、案外平気なものだなぁ。

 しばらくするとライナルトが乗り込み、御者への合図と共に馬車が動き出す。ヘンリック夫人が納得したのか心配だったが、問わずとも察したらしい。


「侍女殿は話をしたらわかってくださった。貴方をしきりに心配されていたようですし、コンラート伯は良い侍女をお持ちだ」


 それは力強く同意する。ヘンリック夫人は単に口うるさいだけじゃない。あの時は間に合わなかったが、男に押さえつけられた私を助けようと、敵うはずのない相手に飛びかかろうとしていた。直前に護衛が殺されているのに、ああいう選択をできる人はなかなかいないのではないだろうか。

 伯の侍女だろうと、夫人が褒められるのは嬉しい。護衛の二人は……考えてしまうと気が滅入ってしまいそうだが、せめて夫人が無事で良かったと改めて安堵したところに、さらっと言葉が割り込んだ。

 

「さて、貴女はどこまで聞かれただろうか」


 前置きもなくいきなり本題だった。

 組み分けを提案された時点で予想していたから驚きはしないが、ライナルトが「なにを」とは付け足さないのはわざとだろうか。

 ……こういう裏側の事情とやらを知ってしまった場合、漫画じゃ相手の雰囲気がガラリと変じて殺気も露わになるとか、人格が変わってしまうというのが展開としてはオーソドックスなのだけれど、いま目の前にいるこの人の雰囲気はまるで変わらない。珈琲に砂糖はいるか、くらいの気安さで尋ねられていた。

 隣に座る女性は口元の微笑を崩さぬまま、相変わらず丁寧な手つきで汚れを拭っている。張り付いた笑みではなく、ごくごく自然な穏やかさを保っているのが不思議だった。

 

「どのくらい話されていたかは、知りませんし、そちらが想定されている、範囲、というのがどこまでかはわかりませんが……」


 喋り方がおかしいし、口内を切っているのは知っているだろうに止めないのだから、これは彼らにとって相当大事な話なんだろうか。


「……たぶん、うーん……だいたいは?」

「ふむ。貴女の接近に気付けなかった我らに落ち度があるのは認めますが、聞いて良い内容でなかったのは理解されているだろうか」

「……そうなんだろうなあ、くらいは」


 自分でも頭の悪い回答なのは自覚しているが、正直どういう言い回しが正解なのかはわからない。どうせきっちりした口上を述べても噛むだろうし、痛いし。


「申し上げておくと、いまのところ貴女に危害を加えるつもりはありません。そこは安心して頂きたい」

「かくにん、ですよね?」

「ええ、一応は必要ですので。あまり長引かせて無理をさせても傷に障る。故にお尋ねするが、カレン嬢、貴女が聞いた話をご夫君や実家に話すつもりはおありか」


 やっぱりそこが気になるよね。でも、あの地下室で同郷であった男達を斬り捨ててしまったのを知ってしまうと、これまでとは見方が変わってくる。だってこの人、ちゃんと「いまのところ」って付け足していた。


「いまは、ないですけど」

「ふむ。そう仰るからには、話す機会もあると」

「ええ、まあ。伯や、兄や姉達に帝国絡みで……あなたからなにかされた、とあれば、黙っているのは、無理があるでしょう」

「正直なことだ。その素直さは美徳でもあるが、時に良識の欠如を招く場合もあるでしょう。ご自身を大事にしたいのならもう少々警戒された方がいい」


 そう言われても……。大体その言い方だと、注意しているようにしか聞こえない。

  

「……うそ、お求めですか?」


 このときライナルトはちょっと目を見張って、やがて機嫌良さげに頬を緩めたと思う。


「失礼した。いや、貴方相手であればその愚直さは好ましく映るものだ。下手な応酬を交わすよりはよほど気楽に喋れる」

「元々、そういうのは得意じゃ、ありませんので……」

「では今後も良い関係を継続していただけると考えてよろしいか」

「……? 断る理由はない、ですよね。ローデン…と、キルステンが、交流があっても……」

「……安心しました」

 

 なんだろうこの会話は。初期に抱いていた胸のつっかえは取れていたが、相手の性格が掴めないせいか手探り感が強く、なんとも言えない気持ちでいっぱいだ。


「いたっ」

「あ、すみません」


 ライナルトとの会話に集中していたが、女の子に任せていた指先に痛みを感じると、汚れを拭っていた手がぱっと離された。先ほどまで余裕を浮かべていた面差しが、驚愕と混乱の入り交じった表情になっている。

 ……かなり丁寧に拭いてくれたし、ミスしたくらい怒ってないのにな。


「綺麗になってる、ありがとう」

「い、いえいえ……」


 じくじくと傷む爪先は本格的な治療を待つしかなかった。指と爪の乖離、意外と平気なんだなっておかしな感想を抱いていたのだけど、うん、撤回する。

 痛くないのではなくて、脳がバグって痛みに鈍感だったのだ。

 おかしくなった原因は熱。そういえばここに来る前、私は寝込んでいたわけだが……あれってどう考えても風邪の症状だった。

 熱に怪我とコンボを決めれば、こうなるのも当然だ。

 寄りかかれそうなのは側面くらい。壁に身体を預けると、少し身体が楽になった。


「…………なんか、疲れたみたいで……」


 馬車の振動は大きいし、そうそう寝入ることはないだろう。ほんの十分程度休むつもりで目を閉じたのだが、これが案外気持ちいい。

 ああ、ええと、そういえば、もっと大事なことを言っていない。


「帝国の人であろうと……助けてもらったのは、事実ですので」


 暴漢に襲われた所を救出してくれたのはニーカさんで、その彼女を従えて駆けつけてくれたのはライナルトだ。どのような事情であれ、傷だらけの私を抱えながら大丈夫だと言ってくれたあの人の言葉に嘘はなかったと思う。

 そもそも違う国、外国人というだけで毛嫌いする理由はないのだ。日本人だった頃は海外にテレビや音楽に映画という形でお世話になっているし、様々な知見を経た上でわざわざ喧嘩を売る必要がないのを私は知っている。

 大体、だ。そのくらいで彼らに助けてもらった事実を覆すつもりなんてない。ただ、帝国とこの国の関係については、改めて勉強し直す必要がありそうだけれど。


「――カレン嬢?」


 ライナルトが私の名を呼んだ。返事をしようと思ったが、重い身体はずぶずぶと泥の中に沈んでいくようで、声も段々遠ざかっていく。

 ……疲れたなあという思考を最後に、ぷっつりと途切れるように意識がなくなった。

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