第13話 ライナルトという人は.Ⅱ

 当然ながら男の子とは知り合いだ。私にとっては親しい身内の一人、キルステン兄妹の末っ子エミールである。うちの兄姉じゃ一番男の子っぽい顔つきだろうか、将来は勇猛な青年になるであろう体格だが、素直な性格もあってかまだまだ子供っぽい印象は抜けない。まだ十三だから大人びてても寂しいのだけどね。


「カレン姉さん、帰ってきてたんですか」

「兄さんに用事があってね、立ち寄らせてもらったの。エミールはお出かけしてたの?」

「はい、もう少ししたら学校に入学できるので、友人と一緒に下見にいってました」

「ああそっか、もう学校に入学できる年齢だものねえ」

「僕は十五になってからでもいいかなと思ってるんですが、父さんや母さんが行けとうるさくて……」

「……十五じゃだめだって?」

「早く社会性を身につけてこいと言われました」

「兄さんや姉さんが学校に入ったのは十五の時だったのにねえ」

「そうなんですよ、だから僕もそうしたいっていったのに……友人が一緒だからいいですけど……」

 

 確かに、二人とも自分が決めた年齢で学校に入ったからなあ。エミールは乳母や使用人達に面倒をみてもらった上の三人とは違い、末っ子と言うこともあって母が重点的に教育を担っているから制限が多いのだ。私は例の事件で市井の学校に入ったが、それでも兄や姉同様に自由にやらせてもらった方。兄姉と違って選択の自由がないのが不服らしかった。


「あっ、愚痴を言いたいんじゃなかった。姉さん、帰ってきたのなら一緒にお茶をしませんか」


 非常に悩ましいお誘いだった。私も弟が好きだし、母の「カレンは姉ではない」というお小言にもめげず、出て行った姉を慕ってくれる姿に後ろ髪を引かれる思いなのだが、残念ながら首を縦には振れない。


「ごめんね、今日は用事があって、もう行かなければならないの」


 断ったときの寂しそうな面差しといったら、捨てられた子犬のそれだ。罪悪感に駆られながら目線を合わせて抱きしめた。

 

「今日は無理だけれど、まだしばらくこちらに滞在しているの。だから今度、兄さんと一緒にコンラートのお屋敷に来てちょうだいな。そのときならたくさんお話しできるから」

「……こちらにいるのにコンラートのお屋敷に泊まられるのですか? うちではなく?」

「それはそうでしょう、嫁いだのだから当然よ」


 エミールは私がコンラートに嫁いだのを良く思っていない一人だ。私の手前何も言いはしないが、難しそうに眉を寄せている。

 ……いやね、できれば私だって嫌がる弟を無理に呼びたくはない。だけど、あまりこの家に滞在したくない理由があるのだ。


「エミール」


 どこからともなく弟を呼ぶ声。声音は柔らかく、優しさに満ちているがとっつきにくい感覚は……。


「母上」


 エミールが出てきたのなら来ると思っていたが、案の定である。侍女を連れて弟を出迎えにやってきたのは四十頃の女性だ。やや痩せ型、一分の隙もなく衣類を身に纏っており、いかにもな貴婦人といった佇まいである。いつの間にかアヒムは私たちと距離を取り、使用人よろしく気配を殺して待機していた。

 逃げたな、とは思うが責められまい。この間にエミールは母の出現に驚きつつも抱擁を交わしている。


「……迎えにきてくださったのですか?」

「学校の見学、あなたの感想を聞きたくて待っていたのよ。カレンさんもいらっしゃい、こちらに来るのはどのくらいぶりだったかしら」

「母さん、姉さんは……」

「何日ぶりだったかは忘れましたが、お久しぶりです奥方様。元気そうで安心しました」


 エミールに言わせる隙は与えない。私も形ばかりの礼をして挨拶するが、目に見えるわけではないが、その場に居合わせた者達の体感温度が下がったのはわかった。


「ご結婚、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「ふふ、うちにいらした頃はまだお嬢さんだと思っていたけれど、時が経つのは早いものね。……息子とのお話は終わったのかしら。よろしければコンラート伯の話をうかがいたいのだけれど、エミールと一緒にお茶はいかが?」


 無邪気な笑顔で誘われるが、おそらく彼女としても返答がわかっていてのお誘いである。わかってないのは……まだ、家族が元通りになれると期待しているエミールくらいだろう。母と私の仲直りを期待する心を折るのは心苦しいが、申し訳ない、と頭を下げた。


「お申し出はありがたいですが、先約があるので……」

「あら、では引き留めてしまってはいけなかったわね、ごめんなさい」

「とんでもない。また、よろしければお誘いください」


 とまあ、止められもしないので本当に形ばかりのお誘いである。……うーん、エミールと抱擁してたの見られてたのかな。牽制が入ったとしか思えないタイミングだった。

 残念そうなエミールには申し訳ないが、母がいる手前、私もこれ以上の滞在はしたくない。あとは見送られて出て行くだけ、というだけだったが、母からアヒムに声がかかった。


「カレンさんを送っていくのかしら」

「はい。アルノー様に、カレン様を家まで送り届けるよう仰せつかっておりますので」

「アルノーから……。そう、気をつけてね」


 母に恭しく頭を垂れ、共に玄関を潜るアヒムだが……。送るって、家までって意味だっけ。兄さんは話を聞いたら途中で帰って来いってニュアンスを含んでた気がするんだけど。

 玄関が閉まったのをいいことに、昔馴染みはにっと口角をつり上げた。


「……親族会議はおれがいても意味ないんで、話が長引いたってことにしましょうよ」

「まだ何も聞いてないのだけど」

「手間が省けていいでしょう。ま、おれはもう少しお嬢さんと話したいんですよ、大目に見てください」

「んー……それなら、ちょっと大通りを歩きたいのだけどいい?」

「もちろんお付き合いします。護衛はお任せください」


 馬車を置いていくわけにはいかないから、途中までは乗っていく。送ってもらった後は近くで待機してもらうようお願いして出発した。馬車の中では使用人の耳もない。アヒムはやれやれと言わんばかりに肩をすくめていた。


「おれ、見事にエミール坊ちゃんに無視されてましたね」

「あの子もねえ、自分が悪いってわかってると思うのだけど……ごめんね」

「いえいえ、エミール坊ちゃんはまだお若いですからね。アルノー坊ちゃんもあの年頃までは似たような感じでしたし、人前で罵倒がないだけお利口さんですよ」

「なんか、本当にごめんなさい」


 ……昔、エミールは興味に駆られ火遊びをしようとしたことがある。これは文字通り炎を使った遊びだったのだが……。火の手が上がる寸前でアヒムが止めてくれたのだけれど、その際、強く叱責された記憶が苦手意識を生んでいるようである。


「平民に叱られるのは屈辱だって思うのはしょうがないですよ。そういう教育受けてるんだから、とっとと気付いて改めてくれるんならいいんです」

「そうかしら……。だとしてももうちょっとちゃんと教育しようがあると思うのだけど。無視はやめなさいって何度も言ってるのに……」

「なあに、エミール坊ちゃんもアルノー様に似てるんです。そのうち向こうから謝ってきますよ」


 姉として弟に寛容でいてくれるのは助かるが、その基準はどうかと思うけれどアヒムは本当に気にしていないようだ。それよりも、と悪戯っぽく笑ってこちらを見つめる瞳が柔らかい。


「おれから言わせれば、小さい頃から一貫して態度が変わらないのはカレンお嬢さんくらいです。本当、全然変わりません」

「…………おばさんくさかったってこと?」

「なんでそうなりますかね。嬉しかったって言ってるんですよ」

 

 墓穴を掘りそうだからやめておこう。話題を切り替えて、馬車にいる内にエルのことをアヒムには伝えておいた。私が知っている情報は少ないから伝えられる内容は微々たるものだったが、彼にはそれでも十分だったようだ。

 やがて大通り近くに到着したと御者が教えてくれたので、外套を脱いで馬車を降りた。見上げた空は曇り模様、まだ空気はひんやりとしており、ヘンリック夫人に用意してもらった外套を脱ぐのは気が引けたが、これから向かう大通りは貴族が大手を振って歩いては目立つ場所だ。


「で、なんで大通りなんですかね。宝石商や仕立て屋ならイチョウ通りでしょうに」

「買い食い」

「ああ……」

 

 なんだろうその「納得した」みたいな感じ。しょうがないじゃないか、確実に買い食いを許してくれそうなのがアヒムしかいないのだから。

 固められた土の地面から石でできた街路にさしかかると、段々と人が増えてきた。もしニコがこの場にいれば、田舎から出てきた少女は大変な活気に目を見張っていただろう。煉瓦でできた建物が建ち並び、街路や店先には人が溢れていた。一般家庭のベランダには色とりどりの花が飾られて目を楽しませたし、ちょっとした隙間を縫って大道芸人が風呂敷を広げてご自慢の芸を披露し、音楽を奏でたりしている。

 道を行き交う人々はゆったりと過ごす市民だけではなく、異国の衣装を纏った他国の商人や観光客もいた。そういった人々は物珍しさに露天商をのぞきこむのだ。

 豪華とはいかないが仕立ての良い服を着た私もしきりに声を掛けられた。その中を突っ切って目指したのは円形となった噴水広場で、食べ物を売る出店がある。観光客より地元住民に人気の出店は、小腹を満たすのにぴったりな食べ物を売っている。目的の店を理解したアヒムは懐を探り尋ねてきた。


「……奢りましょうか?」

「やった、ありがとう!」

「んじゃそこで座って待っててください、買ってきます」

 

 小遣い程度で買えるから高い買い物ではない。しばらくして、アヒムが代わりに並んで買ってきてくれたのは挽肉の腸詰めを衣で包んで油で揚げた……ぶっちゃけるとソーセージが豪華なアメリカンドッグみたいな食べ物だ。衣は甘くないしケチャップやマスタードもないけどスパイスが効いてて、味が濃いめのいかにもジャンク! といった味がする。冷めると味は落ちるが揚げたては美味しく食べられるB級グルメである。

 本当は散策しながら食べたかったのだが、流石に歩き食いは許してくれないらしい。隣で足を組んで座るアヒムは自分の分も一本買っており、記憶を辿るような目をしながら衣を囓っていた。……火傷しないんだろうか。


「……お嬢さん、よくこれを立ち食いしてましたからねえ」

「うぇ……そんなところまで見てたの」

「仕事でしたから」

「声かけてくれたらよかったのに」

「そうしたかったですけど、おれも一応気にしてたんですよ」

「気にしてた? 何を?」

「なにって、おれも一応キルステン側です。無様にも止められなかったんですから、怒っててもしょうがないって思うじゃないですか」

「なんでそう勘違いするかな……」


 アヒムとは違って、火傷を恐れず食べる勇気は私にはない。彼は味わうようなそぶりも見せず大口で平らげていくのだから魔法のような食べっぷりだ。


「カレンお嬢さんに嫌われたら、おれだって立ち直るのに時間かかりますよ」

「嫌う理由がないんだけどな」

「だったらもうちょっと思ったことを表に出してください、ちゃんと助けになりたいんですから」

「身にしみてるところなので、善処してみます」


 想像以上にアヒムからの好意が高めだったから、どう返事をしたらいいかわからないだけなんだけども……。わかりにくい、というのは若干身に覚えがあるので要課題だ。


「ところでアヒム、雑談ついでに知ってたら教えてほしいのだけど……」

「はいはい、知ってる範囲でよけりゃ答えますよ」

「ローデンヴァルトのライナルトってどんな人?」


 すっっっごい顔された。

 なに言ってんだこいつって険しい形相で見下ろされたのである。


「……え、なんですか。振っといていまさら興味持ってるんですか」

「うん、まあ興味といえば興味は持ってるかも」

「聞いてどうするんです。もうコンラート夫人でしょ」

「変な意味で聞いてるわけじゃないからね? 単純に気になったから知りたいだけ」


 他に理由なんてないのだが、アヒムは疑り深かった。


「これまで特定の人に興味示したことないじゃないですか。特に男なんてその辺の雑草と変わらないみたいな態度で、お茶に誘われても無視してたくせに」

「そんなことないし……って、ほんとにどこまで知ってるの!?」


 何を伝えたいのかいまいち理解できない。興味あることを調べるのは当然ではないだろうか。なのにアヒムは食べ終わった後の串を歯で噛みつつ、難しい顔をして腕を組んでいる。



「……お嬢さんだから、妙なことにはならないか」


 謎の呟きをこぼされた。私のあずかり知らぬ所で奇妙な評価を下されている。


「教えてあげてもいいですけど、あんまり気持ちいい話じゃないですよ」

「え、なあに、そんなに評判悪いの」

「評判は……いいと思います。表向きは……」


 ここで頭を掻いて何やら言いづらそうに口ごもった。そんなの余計気になるじゃないか。


「なに? 兄さんに言われて調べたりしたんじゃないの」

「そりゃもちろん調べたし報告もしましたよ。そらもう経歴も血筋もご立派で、おまけに二十半ばで騎兵隊の将格だ。お偉方の評判も上々、将来有望すぎて雲の上の人って感じでしたからね。この人ならお嬢さんを任せても安心だろうって話でしたが……」

「でしたが?」

「ちょいとお耳を拝借」


 ここでアヒムは声を潜めた。周囲を探るような目つきで耳元に顔を寄せる。端からはちょっと内緒話をしているくらいに見えるのではないだろうか。


「ちと経歴が綺麗すぎると思いまして、いくらか手持ちを突っ込んだんですよ。で、やっぱり出てきたわけです。黒い噂が」

「……それ、兄さんに話した?」

「まさか。ここからはおれが勝手に調べただけなので内密にお願いしますよ」


 私が食べ終わるのを待つと席を立ち、行こう、と親指で合図される。人の往来が激しく雑音に紛れてくれるのではないかと思うのだが、どうやらそれでは納得してもらえないらしい。

 ……まだ大通りは歩き足りないのだが仕方がない。

 戻った先は馬車だった。思ったより早い帰りに御者が慌てたが、アヒムは街外れに向かうよう指示すると、馬車が動き出すのを待って口を開いた。


「ちょいと調べたらすぐ出てきた話なんで、そう隠してたって感じでもなさそうでしたがね。ローデンヴァルトの次男殿が騎兵将ってのはさっき話しましたが、その配下がどんな連中かは知ってますか」

「んー……寡黙で生真面目な兵って感じかしら」

「そうそう、お嬢さんの印象に違わず、他の連中もいかにも軍団めいた輩ばかりなんですよ」


 ただ、とアヒムは付け加える。


「お嬢さんは兵隊の駐屯所に行ったことはありませんよね。この国の軍隊をよく知らないからわからないんでしょうが……。ああいういかにもって手合いは、あんまりうちの国にはいないんです。巡回の兵士だってもうちょっとにこやかでしょ」


 うちの国、という話し方が妙だった。この話しぶりでは外で話をしたがらなかったのも納得だ。ただの世間話にしたって誰かの耳に入ってしまうのは恐ろしい。


「数十年前ならいざ知らず、いまは長い間国内で紛争なんか起こっちゃいません。一応兵力だって確保しちゃいるが、武人の質は下がる一方だと商人には噂されてる。戦らしい代物があっても国境の小競り合いがせいぜいで――言葉は悪いが、平和ぼけってやつを起こしてる」

「あ、そっか。……観光や通行料に資源でお金を稼いでるんだっけ」


 国内の教養レベルが高いのも内政に集中したおかげだと言われている。いくら外が危険とは言っても生まれたときから平和な環境で育ってきたから、紛争という言葉はいまいちピンとこなかった。それにしても彼は商人達からも情報を仕入れているのか。言葉を選んだようだが、自国の兵が弱いと言い切る眼差しはなんとも苦々しげである。


「……ええと、じゃあ傭兵でも雇ってるとか?」

「いやぁ、傭兵なんかじゃあんなにお行儀よくできやしないですよ。もちろん礼儀正しい連中だっているが、傭兵連中はもっとガサツで品がない」


 まるで見てきたかの言い様だ。不思議に思っていたのだが、おや、という様子で驚かれた。


「坊ちゃんに聞いてませんでしたか。おれの実父は流れの傭兵で、祖父母は国外の内紛で死んでます。生き残ってる親類はお袋だけだ」

「え」


 初耳だった。思わず固まってしまったのだが、平然と喋る様子は特に気負っている感じでもない。

  

「お袋は幼いおれを連れてここに逃げてきて、旦那様に雇ってもらったんですよ」

「……そうなの?」

「そうなんです。だからお袋に多少なりとも学があったとはいえ、難民を雇ってくれた旦那様にうちは大恩があるんですよ」


 意外な過去だった。少し横道にそれてしまうが、アヒム曰く、元難民で父に世話になった人は多いそうだ。


「話を戻しましょうか。ともあれ、あの色男の下にいる連中は人を斬るのに躊躇しないし、むしろ慣れてるって話でした。一応気になったんで直に見に行きましたが、たぶんその話は間違ってないでしょう」


 ここで馬車が停止すると、アヒムは御者にゆっくり走るよう指示し、私にはレースを張った馬車の窓から外を見て、と言った。

 そうっと外をうかがうと。道路はいつの間にか年季の入った石畳になっており、道幅の狭い通路の両側に建物がびっしりとくっつくように並んでいた。


「わかりにくいでしょうが、奥の方です。ライナルト旗下にある第三歩兵隊の詰所に通じる通路が見えるでしょ。両側に人が立ってる」


 アヒムの言うとおり、黒っぽい軍服に身を包んだ兵が数名立っている。高い鉄柵と木々の向こう側に無骨だが頑丈そうな建物が健在していた。先ほどまで陽気な喧噪にいたせいか、眼光の鋭い兵士の佇まいは異様に映る。


「あんな堅苦しい連中、この国じゃここくらいにしかいませんよ。……で、その堅物共ですが、多少はローデンヴァルトの兵が混じっていたり、この国出身の連中もいますが……大半は違う。別国の出身です」


 話の雲行きが怪しくなってきた。予想外の話の流れに驚きが隠せないが、一応は頭を働かせてみる。家庭教師と学校で習った歴史のおさらいだ。


「……同盟国といったら……いえ、でも親交があるだけで同盟は交わしてない、わよね」

「いや合ってます。帝国ですよ帝国、連中はあの全方位に万年戦争ふっかけてる帝国出身です」

「…………それはちょっと無理がない?」


 職業軍人といわれてしまえば、行方不明のパズルのピースが嵌まったようにすっきり納得できるが、私が見たライナルトの配下の態度からして、彼らが偽りの忠誠を誓っているという風には見えなかった。いくら近年戦争がないとはいえ、帝国兵がこの国の兵になれる道理がないし、そもそも彼らとて他国の兵になるなど……母国を捨てるような真似をできるわけがないだろう。その考えを伝えたのだが、アヒムの答えは否だった。


「ところがライナルト個人に従って働くなら正当な理由があるんですよね」

「なに、どういうこと」

「奴さん、いくらか黒い噂があるわけですが。その一つに兄である現当主と父親が違うという話がありました。曰く、実父は帝国のお偉いさんだってね。その上ローデンヴァルト前当主や国王陛下も容認しているとまできたもんだ」

「実の父親が息子のために兵士を寄越したということ?」

「言い方は悪いですが、ファルクラムは帝国に媚び売ることで生き延びてますからね。事情はわかりませんが……」

「受け入れるしか、なかったと……」


 つまりこの国は帝国の要請を断りきれないまでに弱体化していたという話になる。

  

「実質、彼の兵はすべて私兵なわけです。もしかすると個人が持つ兵力としては異常だからそれを隠すためにあえて地位を与えたかと等……色々推測できますが、どちらにせよ帝国出身の兵がいて、しかもそれは国家容認なわけです、国際問題どころの話じゃない」


 本当だとしたら黒いどころの話ではないだろう。もちろん他にも兵を率いる将はいるし、騎兵隊がライナルト一人の元に集中しているわけではないが、彼の旗下が国ではなく個人にのみ有されるというのは些か恐ろしい話である。ローデンヴァルトほどの貴族になれば自衛や領地運営のための兵を所持しているだろうし、ぞっとしない話だ。


「一国に自国の兵を割り込ませる権力者って相当だわ、恐ろしくないかしら」

「同じ事を思ったんで調べたんですけどね、残念ながらそこはわかりませんでした」


 なにせライナルトの配下は口が堅いから話が漏れないらしく、おまけに帝国は遠すぎてアヒム一人では調べきれなかったらしい。


「あ、でも……そうか」

「うん?」

「なんでもない、関係ないことを思い出しちゃっただけだから気にしないで」


 ライナルトとの会話を思い出したのだ。彼は確か私に母をどう思っているかと聞いてきた。妙なところに興味を持つと思っていたがこの話を聞いてしまうと、彼の出自に関連していたのかと疑ってしまう。


「ま、恐ろしいのは本人の実力も嘘じゃないってあたりですか。……だからお嬢さんがコンラートを選んだときは……喜ぶべきかちょいと悩みましたね」


 ライナルトは先ほど述べた国境の小競り合いに何度か参加しているそうだ。また数年に一度は不自然な外泊期間があり、その間、彼がどこに消えているかは不明らしい。随分きな臭い話を聞いてしまったせいか、頭痛さえ覚えはじめている。


「大体、国境の戦にしたって……」


 他にもあったようなのだが、はっとした表情で私を見ると苦笑気味で話を切り上げた。

 

「……そろそろやめときましょうか。ともかくローデンヴァルトに警戒するに越したことはないですよ。うまく隠しているようですが、郊外の予備詰所にいる連中は彼の部下でもひときわガラが悪いって評判だ。間違っても近寄らないでくださいよ」

「行く予定はないから大丈夫よ、ありがとう」

「それでも心配なんですよ。……お嬢さんの顔色も悪そうですし、ここらで切り上げましょう」


 ライナルトの話を聞いて気分を害したと勘違いされたのだろうか。……寒気を感じ始めたせいだから違うのだけど、横になった方が良い気がしてきたので帰るのは賛成だ。

 このあとは何事もなく館まで送ってもらったのだが、ニコとスウェンはまだ外出中である。アヒムはちゃっかりヘンリック夫人の機嫌取りに成功すると馬車を断って館を去り、私は調子が悪いので寝台へ直行だ。

 布団に入るなりぐっすり寝入ってしまったのだが、夕方頃になると夫人に起こされた。


「お休みのところ申し訳ありません、奥様に急ぎ耳に入れたいことが……」


 窓から差し込む朱の日差しがまぶしい。目を擦りながら身を起こすと狼狽したヘンリック夫人の顔がそこにあった。……昼時より頭痛が酷くなっている。


「どうしたの……」

「スウェン様とニコが戻ってこないのです。夕方までには帰るよう言い含めていたのですが……」

「まだ二回目の外出でしょうし、はしゃいでるわけじゃなくて……?」

「そう思って待っていたのですが……。護衛や御者もいますし、流石に遅すぎるかと。他の者と探しに行くか相談していたのですが、先ほど詰所の兵士からこんな書状が送られてきたのです」


 震える声で差し出されたのは盆に乗った一枚の手紙である。すでに封は開かれており、中身の用紙が広げられていた。

 寝起きで鈍い頭でもヘンリック夫人の状態がただごとでないのはわかる。手紙を取り内容を読み進めると、眠気が一気に吹き飛んだ。


「出かける用意をします、夫人はお金を用意して」

 

 頭が痛いと寝ている場合ではない。中身はスウェンが人に怪我を負わせ、現在拘留中であるとの文であった。

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