第12話 昔馴染みの青年もいる


 自室で介抱をされた兄さんはすぐに目を覚ました。はじめ私が部屋にいるのを訝しんだが、段々と記憶が蘇ったのか頭を抱え込むようにうなり声をあげたのである。


「どうしてカレンがここに。そんなばかな、あれは夢だろう、そんなはずは……」

「現実です兄さん」

「よくわかりませんが、正気に戻ってください坊ちゃん」


 私に続いて言い放ったのは兄さんの乳母兄弟のアヒムである。目上の人がいないときは兄さんのことを坊ちゃんと呼ぶのは覚えていたが、いまだに続いているらしい。彼には兄さん同様可愛がってもらっており、昔はよく遊びに連れて行ってもらっていた。昔語りに花を咲かせてもよかったが、残念ながらそんな時間はないようだ。


「アヒム、悪いのだけど兄さんと話をしたいから外を見張っててもらえないかしら」

「……おれ、下がってなきゃだめですかねえ?」

「あんまり聞かせたい話じゃないかなぁ。それに他の人に聞かせたい話じゃないもの」

「そんなこと言わずに、おれとお嬢さんの仲じゃないですか。それに坊ちゃんの寝室は聞き耳立てられるような場所じゃないですって」

「それはわかってるんだけど……」


 寝室の位置的にも別室を経由しないと入れないのはわかっている。だが、それでもアヒムに聞かせたい話じゃなかったのだ。


「坊ちゃんが倒れるほどの内容なんでしょ。胃痛持ち一人で抱えられる話じゃないですし、お嬢さんのことだって心配なんですよ」


 くすんだ茶髪を後頭部で束ねた青年が私の手を取って可愛らしく「ね?」と尋ねてくる姿、どことなく女慣れしているのは気のせいではない。彼は兄さんに夜遊びを教えた張本人である、早い時期から女遊びもそれなりにこなしていた。こう記してしまうと不真面目な印象を与えてしまうが、昔っから兄さんが本当に嫌がるようなことはしなかったし、見極めはできるタイプである。妹の私が言うのもなんだが、なにより彼はこの世の誰よりも兄さん第一主義だ。

 アヒムを振り払った手で駄目だと制した。


「そうやって顔と雰囲気で押し通そうとしても、だめなものはだめ。私は姉さんじゃないのだから、騙されてはあげない」

「ええ、おれはいつだって本気ですよ。坊ちゃんとお嬢さんのことはいつだって大事に思ってますって」

「姉さんとエミールが漏れてるわ」

「ゲルダお嬢さんはおれの手の届かないところに行っちまいましたし、エミール坊ちゃんはおれを嫌ってますから」

「……あの子、まだあなたを敵視してるの?」

「そうなんですよ。ことあるごとにお前は近寄るな、なんて厳しい言葉を……。だからお嬢さん、おれを遠ざけるようなことしないでくださいよ。可愛いお嬢さんにまで離れろなんて言われたら、寂しくて泣いちまいます」

「手を離して訴えるわよ」


 ここで初登場の名前。エミールとはキルステンの四兄姉、最後の末っ子である。アヒムは隠そうとしたが若干渋ったような物言いになったのは、エミールがアヒムを好いていないためである。

 

「……お前達、相変わらず仲がいいのは嬉しいのだが、じゃれるのはそこまでにしてくれないか」

「じゃれてないですし」

「なんだ、もう立ち直ったんですか」


 アヒムの兄さんに対する素っ気なさは親しいが故の態度なので問題ないが、兄さんの目は節穴だろうか。大体、貴婦人よろしく倒れるのがいけないのではないか。


「アヒム、一度だけ廊下を確認したら戻ってきてくれ」

「兄さん」

「……カレン、どのみち私の手足となるのはアヒムなのだから、ここで話を聞いてもらった方が早い。それに私一人で抱えるのは……無理だ。頼む、同席させてやってくれ」


 必死の形相で懇願され、アヒムは小さく「やった」と呟きながら廊下の様子を見に行き、私は半泣きで棚から薬を取り出す兄さんの姿に仕方なく諦めた。この件以外にも色々抱えてそうだし仕方ない。

 廊下には誰もいないとのことだが、念のために人払いもお願いしておいた。私が聞き耳を警戒するからか、アヒムは扉に背を預けて聞く体勢のようである。薬を飲んだ兄さんは胃を押さえつつ、それで、と話題を切り出した。


「……ゲルダがダヴィット殿下と…………仲良くされていたとの話だが……」

「ええ不倫をされていて」

「っぐ」

「言葉くらいで揺らがないでください。私は生声まで聞いてしまったんですよ」

「す、すまない。……どうしてお前がそんな話を知ってしまったのか、あれからなにがあったのかを話してもらえるか」


 兄さんに請われ、ようやく事のあらましをすべて説明できたのである。話を聞き終えた兄さんはもう胃痛や頭痛を堪えようともしていない。寝台の上に横たわって脱力していた。


「……以上が、私の見てきたすべてです。信じてもらえますか?」

「信じる信じないも……お前はこんなときにまで嘘をいう子じゃないだろう……」

 

 寝室で話を続けたのはこのためだ。二年の間に逞しくなったと思っていたが、玄関先で倒れた瞬間に変わってないのを悟ったので、いつ横になってもいいようにしたのだ。アルノー兄さんはメンタルが弱いが人前で取り繕うのは上手である。

 起きると胃が痛むためか、仰向けのまま目頭に腕を押し当てていた。


「ゲルダは一体なにを考えているんだ。母上の不義をあれだけ怒っていたというのに、よりによって……ま、まだ十六のお前に……」

「びっくりですよね」

「妹よ。いやに冷静だな」

「昨日の間に動揺は終わらせましたから。……で、お話ししたとおり、ローデンヴァルトにいくらかはご協力いただけるかもしれません。うちはどうします、報告しますか」

「あ……いや、それか……」


 私から父や母に話をしに出向くことはない。流石にこの問題はキルステンも本気で取り組むだろうから相談するのかと尋ねてみたら、意外にも兄さんは渋る様子を見せた。


「……父上と母上に話すのはやめておこう。ひとまずは私が赴き、止めてこようと思う」

「あら意外。話さないのですか」

「父上は最近心労がたまっているからな。……こういう話はあまり耳に入れたくない。ゲルダがどうしてもダヴィット殿下と切れたくないというのならお出ましいただいて、道を説いていただこう」

「私は行かなくてもよろしい?」

「いま顔を合わすのは気まずいだろうからやめておきなさい。……カレンだって気乗りしないだろう」


 気乗りしない、とは私の出自を気にしてるのもあるのだろう。確かにあまり良い気はしてないが、兄さん一人に任せてしまうのは不安だ。


「どうせなら一人より二人で説得した方がよろしいのではない?」

「……カレン。お前、胃痛持ちの私では頼りないと思ってるだろう」


 思ってます。

 顔に出していたので丸わかりだっただろう。兄さんは気弱ながらも笑みを浮かべるが、その面差しには、二年前にはなかったふてぶてしさがあった。


「なに、末の妹を嫁がせてしまった頼りない兄だが、苦労をかけさせるほど不甲斐ないわけではないよ。…………ゲルダが反発したら頼むかもしれないが」

「……わかりました。では兄さんに任せますけど、必ず結果を教えてくださいね」

「約束するよ。しばらくはコンラート伯の館に滞在するのだろう?」

「ええ、スウェン……伯の息子さんが学校に編入する関係でまだ残ることになりそう」

「伯のご子息にも挨拶せねばならないな、数日内に使者を送って挨拶に伺おう。それとローデンヴァルトにも渡りをつけておくから、安心してくれ」

「……任せていいのね?」

「もちろん。カレンはその様子ではろくに休んでないだろう。いいから私に一任しなさい」

「無理はしないでね」

「家の一大事だ、無理を通さねばならないときだよ」


 ここまで言ってくれてるし、一旦は兄さんに任せるべきだろう。横たわる兄さんと抱擁を交わすと、もう一つのお願いを口にした。


「姉さんとは別件なのだけど、アヒムを少し借りたいの。仕事の邪魔にはならないようにするから、用事を頼んでもいいかしら」

「アヒム」

「はいはーい。お嬢さんの頼みならなんでも引き受けますよ」

「……とのことだ。明日なら好きに持って行って構わないぞ」


 兄さんもアヒムには遠慮がない。とはいえ、別に彼をつれて歩きたいわけじゃないのだ。

 

「どちらかというとアヒムの顔の広さが頼りというか……」


 どうせアヒムからお願いの内容も伝わるだろう。私の友人であるエルとその両親がいなくなったこと、彼らの行方を追って欲しいと頼んだのである。コンラート伯にも人手を借りるつもりだが、現地の知り合いに頼むだけはしておきたい。

 そりゃあ私だって自らの足で情報を得たい気持ちはあるが、餅は餅屋という日本のことわざがある。

 肝心の話題が終わったからか、アヒムは扉から離れて私たちの近くに腰を下ろした。座っているのは兄さんの寝台なのだが、二人とも気にしている様子はない。


「エルっていうとお嬢さんとよく遊んでた子だね。わかったわかった、早急に調べてみようじゃないか」

「アヒム、エルを知ってるの?」

「そりゃあ知ってるとも。お嬢さんの身の回りの調査して坊ちゃんに伝えてたのおれですもん」

「あ、そっか。なら話は早いわね」

「うんうん。そこで怒らないお嬢さんがおれは好きだよ。ゲルダお嬢さんやエミール坊ちゃんなら顔を真っ赤にして怒ってるところだ」


 調べられて困るような生活を送ってないだけである。


「ところでカレンお嬢さん、おれはとても気になっていることがあるんですが」


 アヒムの両腕が伸びたかと思えば私の頬を包み込んだ。昔っからだが、アヒムはわりと人との距離感がない。


「坊ちゃんが言わないんで聞いちまいますよ。……コンラートに苛められたりしてませんね?」


 アヒムも顔がいい部類なので、こういうときの真面目な顔が使用人の女の子達に受けがいい理由である。


「アヒム、おい」

「坊ちゃんは後ろめたさがあるから聞けないようですが、もしそうだったらちゃんと言うんですよ。おれも旦那様に逆らえなかった身ですが、お嬢さんを助け出すくらいはできますからね」

「ん、ありがとう。でも伯はいい人だし、皆も親切にしてくれるから大丈夫よ」

「……そうですか」


 待て、なんでちょっと残念そうだったんだ。心配してくれるのが嬉しくてほっこりしたのに台無しである。やや呆れた様子の兄さんが身を起こし、アヒムの手を剥がしてくれた。


「相変わらず、アヒムは私とカレンには甘い」

「甘くはないですよ、おれの中で二人の優先順位が高いだけです」

「…………カレン、アヒムが結婚したら奥方が苦労しそうだと思わないか」

「無理じゃないですか。おれ、いまなら女の子だとカレンお嬢さんがいいなって思ってますし」

「もう嫁いだけどね」

「生涯独身が決まってしまったんで家庭は諦めます」


 兄さんの世話を優先してしまう人だ。このようにはぐらかすのが好きな性分なので、彼が本気になる女性というのは簡単に見つからないのではないだろうか。


「……カレン、本当に苦労はしていないな」

「してませーん。うまくやっていけそうなのでそこはご安心くださいな。私としてはそれよりも、ライナルト様と一緒にしたがる殿下をなんとかしてほしいです」

「あー……うん、それは、言ってはいるんだが、私の意志ではどうにもならないというか……」


 あからさまに目をそらされた。本当に逆らえないんだな。アヒムも申し訳なさそうである。


「坊ちゃんもそのあたりは苦心されてるんで……。もう放っておいてくれとはそれとなく言ってくれてるんですが」

「ま、まあライナルト殿自体は話のわからない御仁じゃない。無理強いをするような方ではないから、うまく聞き流してくれ……」

「……そこはなんとなくわかるのだけど、ローデンヴァルトの方はどうなんですか。乗り気なのはライナルト様の方じゃないですよね」


 ライナルトと話をした感じ、私がコンラート伯に嫁いだのなら諦めるといった雰囲気があった。彼も殿下に従っている感じはあったが、それだけにしてはうまく躱せていないというか、あの人にしては不器用すぎる気がしたのだ。


「ご当主の方が、なぜか我が家と接触を持ちたがるんだ。いや、ありがたい話ではあるのだけどね……」


 兄さんは納得いかないようだが、なるほど。これがライナルトの言っていた、本家よりキルステンを推す理由だろう。ライナルトも兄の意志とあっては逆らいがたいというわけだろうか。

 そしてこの様子では兄さんじゃダンストについては知らなさそうである。下手に話をしても混乱するだけなので、いまは黙っておくことにしよう。陰鬱な表情を隠そうともしないし、胃痛も継続中なのだろうから。


「ゲルダの側室入りから、我が家はほとんど休みなしだ。ローデンヴァルトといった名家にお声をかけていただくのは名誉ではあるが、ほとんど見向きもされてこなかった私たちには荷が重いよ」

「兄さん」

「……落ち着いたらコンラート伯にも挨拶に伺わないとな。いまは代わりに詫びておいてほしい」

「それはもちろん……」

「ただ、伯が良い方だったというのは置いといても、兄としてはせめて愛することのできる普通の夫を持ってほしかったけれどね」


 おっとここでそうくるか。

 そういえば聞き耳軍団の一人だったか。都合良くその部分だけ記憶をなくしてくれないだろうか。目を泳がせる私に、兄さんはふかーいため息を吐いて言った。


「次は相談してくれると嬉しい。もし何かあったら力になるし、その頃には正式な当主にもなってるだろう。今度こそ本家の勝手にはさせないから」

「……ん、そうね」

「それとゲルダが謝ってきたら、できればでいい。許すよう考えてはくれないか。あれでお前を大事に思っていたのは本当だよ」

「理解できないだけで、まだ怒ってはいないから大丈夫」


 愚行を改めてほしいと願っているだけだ。姉さん側の事情も聞いていないし、むやみやたらと怒り散らすつもりはない。


「ところで坊ちゃん、そろそろ叔父上方が来る時間ではありませんか」

「む……。カレン、すまないが……」

「はいはい、叔父様方は私も嫌いだし、会ったら大喧嘩ね。退散しますとも」

「ゲルダの所には今日中に行ってみるよ。……アヒム、カレンを送ってもらえるか。ついでにカレンの友人について話を聞いてくるといい」

「畏まりまして。……胃薬は効きましたか?」

「あと少しだ」


 起き上がれるくらいには回復したのだろう。兄さんは父さんと打ち合わせがあるからと廊下の途中で別れることになる。父さんと会うかと聞かれたが、すっぱりと「いらない」と断っていた。寂しそうに微笑まれたが、会ってもろくな話はできないので無理といったら無理である。廊下の奥に消えていく背中を見送ってから、アヒムと共に歩き出した。


「坊ちゃん、ちょっと寂しそうでしたねえ」

「悪いとは思うけど仕方ないわ。私たちが会話をした方が胃を悪化させてしまうし」

「本人もわかっちゃいるんですが、聞かずにはいられないんでしょう」

「寂しいと思う気持ちはわかるけどね」

 

 もうかつての仲良し一家は帰ってこないのだ。これでも昔は数日に一度は茶室に集まって、心から談笑していた家族だったというのに。


「……どうしたの?」


 おかしなことを言っただろうか。アヒムからの相づちがなかったのが不思議で顔を上げると、意外そうな目でこちらを見ている。


「……いや、カレンお嬢さんも寂しいと思ってたんだな、と」

「…………私をなんだと思ってたの? 普通に悲しい寂しいとくらい感じるけど?」

「それにしては全然強がらず、泣かないし……。随分豪胆にお育ち……いや一人暮らしを満喫されてたなと」

「変なこというのね、やらなきゃいけない状況に追い込んだのは父さん達じゃない」

「えー……おれ、あのときは可愛い妹分に胸と軒先を貸す用意があったんですけど」

「……そうなの?」

「はい。お袋も説得して、最悪うちに預けてもらうよう話も進めてたんですよ」

「……ありがと」

「どういたしまして」


 …………存外味方は多かったようで、周りが見えてなかった私は、自分ではそうと思ってなかっただけで、ずっとずっと慌てていたらしい。

 いくつになっても気付くことはあるようだ。内心反省をしている最中、玄関口にさしかかったところで息せき切った少年の声がかかった。


「姉さん!」


 ……昔は「お姉ちゃん」呼びだったのだが、いまじゃすっかり姉さん呼びである。振り返ると十代前半の男の子が両目を輝かせて立っていた。

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