第6話 理解の早すぎる人たち
幸いだったのは、私の境遇に対しエマ……エマ先生やカミル氏が比較的同情的だった点だろう。
「カレン嬢、貴女の望みを教えてもらえるかな」
「キルステンを離れ、国を出ることです」
「それは本心だろうか」
「ええ、まごう事なき本心です。二年前、キルステンを追い出されたときにはうっすらと考えていた程度でしたが……一人で暮らすうちに、決めました」
「……今回、そうせずにおとなしく嫁がれたのは何故だろう」
極端な話、家を出ればよかったとカミル氏は言いたいのだろう。貴族の娘のありようとしては口にしてはいけない話だが、老人はあえて問うている。その表情は決して茶化している様子はなく、むしろこれから私とどう向き合うべきか模索しているようにも思われた。だから、私も偽らざる本音をもって向き合う。……実際、この人の言うことはある程度的を射ている。
「恩があるからです」
「恩、とは」
「仮に、とはいえ、一四年間育ててもらった恩。それに、もめ事は起こりましたが祖父母や兄弟は私を気に掛けてくれていたようです。キルステンを出るときも、結構なお金を包んでくれましたし、おかげで不自由なく学校にも通えました」
だから、何かの形で良い。彼らに一度はちゃんと報いておこうと思った気持ちも存在した。いかに無茶な話だとしても、これを無視して出て行ってしまえば……キルステンは放っておいても構わないとしても、姉が恥をかくかもしれなかった。故に、すべてを捨てて逃げるという選択をしなかったのだ。
私が淀みなく答えたからだろうか。氏はふう、と息を吐きながらこめかみをもみほぐす。
「……子を育てるのは親の義務でもある。そう気負わずとも……いや、これは僕が口を挟む内容ではないね」
「それに、たとえすぐ働き出したとして……ろくに経験のない身です。雇ってくれる所は知れているでしょう」
「ああ、そうだね。たとえ国を出たとしても山の向こう……大国ラトリアは我が国と折り合いが悪い。まともな働き口は得られないだろう。可能性があるとしたら反対の帝国だろうが……」
私たちが住まう国。いまさらながら国名を述べさせてもらうとファルクラム国という舌を噛みそうな名前である。資源に富み、土地も豊か。比較的潤っているのだが、それ故に大国ラトリアと、強大な軍備を備える帝国に挟まれ領土を狙われている難しい立ち位置である。ここ三十年ほどは帝国と交流が盛んで、両国を行き来する商人や旅人・傭兵が落とす金銀でも経済が回っている。
「帝国については詳しくないのです。後継者争いもしょっちゅうあると聞きますし、情勢も不安定です」
「……若い身空で単身暮らすには無謀だろうね」
国で働き続けるとなれば、いくら貴族と関係ない場所で働こうとしても、向こうが関わろうとしてきた時点で噂がつきまとうだろう。
なるほど、とカミル氏は顎髭を撫で撫で。改めて私の立場を考えてくれたらしく、頭痛を堪える面持ちだ。
「学校を卒業して働く予定だったのです。ある程度経験を重ねた上でなら国を離れても問題ないだろうと思っていたのですが……」
「そこに姉君の結婚か。……貴女がサブロヴァ夫人の名を使った件については、なにもいってくる様子がない。姉君は、よほど貴女に甘いようだ」
確かに。今回手紙も何も送ってこなかったけど、姉はお怒りの際は黙って座っているような人じゃない。なんなら馬車を飛ばしてでも私を叱り飛ばしにくる性格である。
「サブロヴァ夫人が貴女の名誉を回復させてあげたかったというのは本心だったようだが、互いに空ぶってしまったのだろうね」
「あはは……」
二年間、意思疎通が図れてなかったからなぁ……。
夫人がもってきてくれたお茶菓子。エマ先生がわざわざ取り分けて渡してくれたのはバターをたっぷり使った甘い焼き菓子にたっぷりのジャムをのせたものだ。特に赤い果物のジャムはこれでもかってくらいに上乗せしてくれた。
「あ、美味しそう。……ありがとうございます」
「ヘンリック夫人の焼き菓子はみんなに人気なのよ。普段はもったいないからとジャムは少ししか出してくれないけど、奮発してくれたのね」
「なんのことでしょう。傷みそうだったから出しただけですよ」
エマ先生は意味深長に夫人を見やり、夫人はそらとぼけてお茶のおかわりを用意する。腐るのを防ぐために砂糖をたっぷりつかう菓子は甘かったが、それでも渋めのお茶によく合っていた。たまにはこういうのも悪くない。
「美味しい」
思わず出た言葉にエマ先生は笑顔になり、ヘンリック夫人もどこか自慢げである。
甘味は嗜好品なせいか、値が張るからなかなか買えないんだよねえ。たとえちょっと甘すぎようが、久方ぶりの甘味は美味しいのである。
ここらで全員お茶に舌鼓を打つことになった。意外にもカミル氏は甘党で、甘い焼き菓子もぺろりと平らげてしまったから驚きである。その間にも自己紹介を兼ねて色々話をしてみたのだが、予想に反してこちらに親切にしてくれる。これからについて二人で相談を始めようとして、どちらもすでに私を受け入れる前提で話を進めようとしていたからこちらが驚いたくらいだ。
「あの、こう言っては何ですが、私は結構なお荷物である自覚があるのですが……」
「でもキルステンのお屋敷にはいられないのでしょう?」
特にエマ先生。領の人々にどのように対応するか考えていたようだ。「皆の前ではどう振る舞うか」をカミル氏に問うていた。
「それはそうですが……ええと、たった少し話しただけで……」
「そうねえ、でも、貴女が困っているかいないかくらいは、わかるつもりですよ」
「もう嫁いできてしまっているしね。……エマ」
「はいはい。私は正妻の立場にこだわりはありませんから、このままで構わないわ」
……え、二人とも状況受け入れるの早いな?
特にエマ先生。どんな理由であれ私が正妻でいることに難色を示すと思っていた。二人はあれこれと話を進めるうちに結論までたどり着いてしまったのだ。
「カレン君がどうしたいかについては、これから考えるとして、いまは周囲の目もあるからそのままにしようか」
「そうねえ、皆への根回しは私がしておきましょう。ああ、でも、しばらくは変につっかかる人もいるかもしれない。そこはどうか堪忍してちょうだい、何かあったら教えてちょうだい」
「あ、はい。それは構わないのですが……」
「……じゃあ僕は、彼女のご家族に手紙を書かないとだ。ウェイトリー、考えるから一緒に来ておくれ」
「畏まりました」
カミル氏は席を立ち、家令もそれに随従した。エマ先生も仕事があるとかで早々に席を立ってしまったし、「ゆっくりしてね」という言葉と共に残された私は残った菓子とお茶を平らげ、しばらくの沈黙の後に天井を仰ぐ。
「………………あれ?」
……ここは、深刻そうな顔をした私が二人に頭を下げてコンラート領に置いて欲しいという話になるのではなかったか。
首をひねり続ける私に、ぽん、と肩に手を置く人がいた。ヘンリック夫人である。私の戸惑いを見抜くようにまっすぐな……そして、何かを悟ったような表情で言った。
「あのお二人は、一人一人だとそうでもないのですが、ご一緒になると驚くべき早さで物事を決断なさいます」
「え、でも長年連れ添った立場とかそういうのが……」
「エマは旦那様を愛していらっしゃいますが、本妻になる気がありません」
これは恐ろしい早さで断言された。こちらが驚くくらいの確信に満ちた言葉だったから声を出せずにいると、我に返った夫人が咳払いで誤魔化す。
「……旦那様の心が奥様に移ることはないとわかって安心したのでしょう。それに、元々エマも旦那様も困っている人には手を差し伸べられる方々。奥様は、当家の保護下に入ると思っていただいてよろしいですよ」
「それはありがたいのですけど……えと、だとしても奥様呼びは……」
「外の目もございます、しばらくはこのままにいたします」
心なしかヘンリック夫人の対応も柔らかくなった。……そう同情されるような身の上じゃないんだけどなあ。
「……あ、お菓子美味しかったです。ありがとうございました」
「それはよろしゅうございました」
その後も夫人は何かを言っていたが、想像よりもあっけなく説得? は終了してしまい、なんだか一気に気が抜けてしまった。ぼうっとしたらとっくに翌日だ。挨拶に来たニコは胸のつっかえがとれたような晴れ渡る笑みである。
「夫人、ニコに話してしまいました?」
「いいえ。あの子は良い子ですが口が軽いのが玉に瑕なのです。ですから奥様とエマが争うようなことはないとだけ教えました」
なるほど。ニコは私とエマの女の闘争が始まるのを恐れていたらしい。
「ただ、昨日ご許可を取りましたように、スウェン様には事情を話してあります」
「それは仕方ないかも。お母さんとお父さんが取られると思ったわけだし」
『昨日』のご許可の内容を実は覚えていない。そんなことを言っていたような気がするが、そんなこと正直に言ったらお叱りをうけそうなのでそつない顔で同意した。
や、なんか、できの悪い娘をしつけるような雰囲気がヘンリック夫人から……。
「奥様には酷い態度だったと聞きましたが、元来優しく正義感の強い子です。早速謝りに来るかもしれませんね」
これはヘンリック夫人の予言通りになった。早々にスウェンの来襲を受け、出会い頭に頭を下げられたのである。目元を赤くしたスウェンは「すまなかった」と言葉を添える。
「事情も知らないで軽率に罵倒した。本当に悪かった、ごめん」
「んー……私も態度悪かったしなあ」
「こっちが当たり散らしたからだろ。……母さんから話は聞いた」
「あーうんうん。そういうわけなのよ、だからよろしくね」
目元のつり上がっていないスウェンは物腰が柔らかな、人当たりの良い少年である。髪はやや長めで肩まで伸ばしており、利発そうな坊ちゃんという印象だ。どうも心底反省しているらしく、正直こっちが恐縮してしまいそうな勢いである。被害被ってないし、心情的にもわからないでもないから怒ってないのだけどな。
カミル氏は早速行動してくれたらしく、ここから馬で六日ほどかかる都まで手紙を出してくれたようだ。ただ、このあとカミル氏からこう言い渡された。
「カレン君、もう少し落ち着いたら姉君に会いに行ってきなさい」
「姉に?」
「名前を使ってしまったことへの謝罪をしておいた方がいいと思ってね。僕の見立てでは、
貴女の後見人にはサブロヴァ夫人が一番良さそうだ」
「兄……やお爺さまでは駄目でしょうか」
「貴女の話を聞く限りでは、心情的には味方だろうが……キルステンは分家だろう。本家から圧をかけられれば否とは言い難いよ。それに比べ、姉君はサブロヴァの家名をいただいたからね」
キルステン側であっても、別個権力を持っているし、場合によっては本家より強い発言力を有する。ある程度自由が利くだろうとの判断だ。
「僕もできる限りは貴女を保護するが、やはり他にも繋がりを作っておくべきだからね」
「わかりました。では、身辺が落ち着いたら都に向かおうと思います」
「うん。そのときは良かったらスウェンも連れて行ってあげておくれ」
「はい、では二人で観光でもして参ります」
夫婦というより先生と生徒といった感じの会話である。実際、エマ先生も私への接し方が若干変わった。私が市井で暮らしていたのと、普通に喋ってくれて大丈夫だと話すと口調もくだけたものになったし、ニコやヘンリック夫人を通して薬学の本を渡されるようになった。勉強しろというメッセージだと受け取り学んでみると、小さな子供にするように頭を撫でられたのである。基本的にこの人、根が良いおばちゃんなのだろう。私は相変わらず奥様、などと呼ばれるがカミル氏との会話はまるで夫婦のそれではなく、老人の内縁の妻との関係も良好だ。十日も経ち、何か事情があると察した使用人達の態度も軟化しはじめた頃だ。
「もうそろそろしたらお爺さまが来る? ……あ、じゃあ都に行きます」
激怒のお爺さまの来襲を予見したカミル氏により、私は姉に会いに行く準備を整えた。下手を打てば無理矢理連れ帰られる可能性があったし、私からはお爺さま宛に手紙を渡すようお願いしたのである。
「厄介事は大人に任せて、子供は遊んできなさい」
子供が持つには大金過ぎる小遣いをもらい、スウェンやニコにお目付役のヘンリック夫人、そして護衛の兵を伴って都へ出発である。
こんな短期間で帰省できると思わなかったからちょっと複雑だな。
私は馬車に揺られながらゲルダ姉さんへの謝罪を考えるため頭を捻らせていた。姉さんにはアポが取りにくいだろうと思い事前に早馬で知らせていたのだが、それがあんな面倒くさいことになるなんて考えていなかったのである。
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