第5話 内縁の妻


 話しかけたのにも関わらず、スウェンはこちらを無視するようだ。エマから何か言い含められたのだろうか、怒りをぐっと堪えつつ顔をそらし、私を視界に入れないようにするようだ。たった二日目なのに、とんだ嫌われようである。


「兄ちゃん、この人は誰?」

「気にするな。喋っちゃいけない人だ」

「わ、酷い。私たち昨日が初対面だったでしょう。ただ話しかけただけなのに、あんまりではない?」

「お前みたいなやつと話す理由なんてない。このぶ……」


 ブス、もしくは不細工って言おうとしたのだろうか。少年は改めて私の顔を見たところで怯み、悔しそうに顔をそらした。私の顔面の勝利である。


「ねえ、別にこちらを嫌うのは構わないの。けどね、私はあなたに嫌われる理由がまったくわからないの。理由だけでも良いから話してくれない?」

「嫌だ」


 さすが微妙なお年頃。話が通じない。弟君を引っ張り足早に去ってしまったわけだが……。


「ニコ」

「は、はいぃ」

「あなた、あの子が私を嫌う理由はご存じ?」


 勢いよく首を振る少女である。視線を庭師にずらしてみたが、こちらは視線をそらされる。あたりをうろついていたらしい剣士らしき男性はこちらを遠巻きに眺めるだけで頼りになりそうにない。


「……まあ、まだ二日目だものね」


 さすがに性急すぎたか。大体職場といった新しい環境に慣れるのは三日目、次に一週間、人となりが見えてくるのが一ヶ月で慣れるのが三ヶ月目くらいだろうか。一月くらいどうっていうことないが、お爺さまの反応からして一週間も待つのは……という気もしている。

 それでも館の者に挨拶をして、話を聞いてみたところ、コンラート伯カミルの人となりについての情報は入った。こちらは噂で聞いていたとおり、おおむね良好というか、相当な好かれ具合である。国から示された以上の税は課さないし、領民の声にも耳を傾け、田畑を荒らす獣への対応にも余念が無い。エマといった医者以外にも出資している医師や芸人がいるようで、特に後者は定期的にコンラート伯領を訪ねて公演しているようだ。また過去においても多方面に出資をしており、いまなお交流がある貴族も多い。キルステンもその縁で繋がりがあったのだろう。

 ごく当たり前の対応と言うかもしれないが、その当たり前が難しい貴族が多いのである。特に辺境ともなれば都の目も行き届かず、たとえ勇気を振り絞って告訴しても途中で握りつぶされるパターンも少なくない。重罪にならない範囲であればと私利私欲を満たす領主は多いし、告訴に失敗すれば公認の村八分だ。……というのを、学校時代、実際に地方から逃げ出してきた学友に教えてもらった。

 このあたりはどんな世界も一緒、万国共通の悩みなのだろう。特にこちらは電話やネットなんて便利なものはないのでさらに逃げ道がない。魔法なら遠くの人と会話できる便利ツールもあるらしいが、基本そんな便利道具はないのが前提である。

 結局、二日目、三日目と成果はコンラート領について教えてもらっただけだ。伯は忙しいからと新妻の部屋を訪れることなく、私は早寝早起き超絶健康優良児の毎日である。

 ……思ったより暇で、余所の噂話に目を輝かせるおばさま方の気持ちがわかってしまったくらいだ。精神年齢的に洒落にならないため、早急に暇つぶしを見つけなくてはならない。      

 四日目、火傷の存在など忘れてしまったくらいだ。包帯も取れたし、痕も残っていない。

 あいかわらず夜は平和で、ニコは毎朝挨拶に来る。本格的にあたりをつけなくてはならないので、少し具合が悪いと言って横になった。もちろん嘘なのでこのあとこっそり部屋を出て、目星を付けておいた部屋に突入。本を読みつつ使用人の噂話に聞き耳を立てる。隠れ続けるのは案外心臓に悪く、おまけにしんどいので、二度とやりたくない。私を探したニコに泣かれたので言い訳が大変だった。

 五日目、おじいさまから手紙。その内容と使用人の会話から状況について確信を得た。

 六日目はエマがこちらに来ていると聞いたので、いよいよ「話し合い」である。


「お忙しいところにごめんなさい。お二方、ちょっとよろしいでしょうか」


 家令や秘書に護衛が止めてもひるまず割り込みである。二人は真剣な表情で話し合いをしていたようだが、驚きつつも私を通してくれたので、話がある、と笑顔で切り出した。


「大事なお話です。それがどのような内容なのかは……見当ついていらっしゃると思いますけれど」


 ここで家令ウェイトリーと使用人頭ヘンリック夫人のリアルスキル「空気を読む」が発動である。秘書等は素早く撤収、私たちは商談向けのさほど広くない一室に通された。

 椅子に腰掛けた私の向かいにカミル氏、エマが並び座れば、誰も私の方がコンラート伯夫人だとは思いもしないだろう。

 ただ、並びはこれでよかった。夫人が茶器を持って入室したあたりで、カミル氏が口を開く。


「それで、話とは何だろうか」

「……喧嘩をしにきたわけではないですので、どうか固くならないでください。私はエマ先生やスウェンに怒っているわけではありません」


 私が訪ねた時点で予測がついていたのだろう。二人は深くため息を吐く。特にエマは天に祈りを捧げるような面持ちだ。


「ごめんなさい。隠すのは悪いと思っていたのだけど、どう切り出せばいいのかわからなくて……」

「言ってくれてよかったんですよ? 公然の事実だったのですから」

「……私は平民ですから」

「間違えば、私の機嫌を損ねてスウェンの身が危ういと。…………ごめんなさい、意地悪な言い方をしました」

「カレン嬢。エマやスウェンに関しては私に責がある。彼女は正式な妻ではないが、隠し立てもせずいたのでね。長年それでやってきたものだから、すっかり呆けてしまったよ。当然キルステンも知っている前提で相手をしてしまった」

「ええ、お二人に他意がないのは承知しております。これはどちらかといえば、調べてなかったというか、私に教えなかった人たちの問題でしょう」


 この縁談を作った人、本当に知らなかったのかなあなんていう疑問はともかく、怒っていないよ、というポーズも込めて苦笑気味に笑う。

 さて、もうおわかりかと思うが改めて説明しよう。

 エマはカミル氏の内縁の妻、スウェンとその弟……は、どうか知らないが、少なくともスウェン少年はカミル氏とエマの息子である。


「うちのお爺さまが怒って戻ってしまったのは、その件ですよね?」

「ああ、貴女にも手紙が届いていたはずだね」

「はい。あのご様子では、本当に知らなかったんですね」

「彼には申し訳ないことをしてしまったよ。あの日は、内縁の妻と息子がいるがよろしいかと改めて確認をしていたのだが」

「改めて、というと……」

「キルステンの本家……ご当主はご存じであるはずなんだ」


 わーお、ご本家がやらかしているのか。

 お爺さまとは事前に手紙のやりとりがなかったんだろうかと疑問が残るが、していなかったんだろうな。それからカミル氏に話を聞いたが、どうにもキルステン側の押しが強く、おまけに私がノリノリで来てしまったので上手い断り方を探しているうちに決まってしまったということだ。


「陛下のご側室の妹君となれば、こんな田舎領主では慎重にならざるを得なくてね」

 

 お爺さまは内縁の妻子の存在を知らされておらず、当日知って大爆発というわけだ。性急な婚約だとこんなドタバタが起こるのである。

 さて、ここからは個人的な、さらに突っ込んだ話になってしまうのだが。 


「あの、そこのお二人に外していただくわけにはいかないのですね?」

「ヘンリック夫人にウェイトリーは信頼できる人物だ。ここに住む限りにおいて、私とて彼らに隠し事はできないよ」

「わかりました。その判断に否をとなえるつもりはございません」


 夫人と家令の同席も、あくまで確認だけのつもりだ。二人も壁際で静かに息を潜めているし、しばらくこの二人の存在は考えないものとした。

 夫人の淹れてくれたお茶を一口、唇を潤して本題に入る。最初に、私は二人に謝らねばならなかった。

 

「まず、お二人には謝罪を」

「謝罪、とは……」

「もちろん、エマ先生という伴侶がいるにも関わらず力任せで嫁いできたことについてです。コンラート伯が長い間独り身であったと伺った時点で、考えられない可能性ではありませんでした。これは私が浅慮であったとしか言い様がありません」


 二人に告げたのは心からの本心だ。身分違い故に籍を入れられなかったとはいえ、子供まで作ったのだ。ましてカミル氏もいい歳なのだから、お互い、とっくに夫婦のつもりで過ごしていただろう。そこに訳ありとはいえ小娘が嫁いできたとなれば心騒がずにはいられない。彼女の本心はどうあれ、そんな私に対して悪心を起こさず笑顔を振りまいた心根は、彼女の人となりを証明するだろう。私であれば、同じように笑顔でいられるか定かではない。


「それは……彼女のことを知っていたのなら、嫁ぐつもりはなかったということかな」

「いえ、迷いはしたでしょうが……やはり同じ選択はしていたでしょうね」


 あのライナルトを選んだ場合、ほぼ詰み確定である。

 訳ありそうだと悟ったカミル氏は髭を撫で、エマは驚きに目を見張っていた。

  

「お詫びした上で、私はお二方にお願いしなくてはなりません。どうか、あと三年……いえ、一年でもいいのです。私をコンラート伯夫人としてこちらに置いていただけないでしょうか」


 もちろん、カミル氏の子を望みはしない。財産が欲しいわけでもない、跡継ぎのいない氏の後継としてスウェンを望むのであれば喜んで公文書にサインをしようとも告げた。


「あー……出て行くときには、しばらくやっていけるだけのお金を都合していただけると……」

「出て行く、ですって」


 エマは驚愕の声を上げるが、彼女の懸念はわかっているつもりだ。


「そのあたりについては、そちらに迷惑がかからないよう理由を考えるつもりです」

「お待ちなさい、カレンさん。私には貴女が何を言っているのかわからないわ」


 驚きのあまり素になっているが、エマのような人から敬語を使われる方が違和感があるので問題ない。反対にカミル氏は何か考えるように瞳を沈めていたが、ふと顔を上げると私をまっすぐに見つめた。それは私人というよりは公人としての貌である。


「実を言うと、貴女がこちらに嫁ぐつもりだと聞いたときから、人手を使っていくらか調べさせてもらっていた」

「あなた?」


 十六の小娘が自ら嫁いでくるなど不思議だっただろうし、調べなかったという方がおかしいだろう。彼女の様子から鑑みるに、カミル氏は裡に留めておいてくれたようだ。

 

「……はい。では、キルステンの醜聞もご存じですよね」

「そちらは有名だったからね。これを他の者に話して良いのか迷っていたが……」

「構いません。というより、エマ先生にも知っておいていただいた方がよろしいでしょう。今後に差し支えます」


 カミル氏は私に関して調べた話をエマに話して聞かせる。キルステンの奥方が記憶を失い、真ん中の娘の存在をすっかり忘れ去った。それに伴い娘を家から追い出し、市井の身に落としたが、姉が国王の側室になったのをきっかけに再び家に戻されたのだと。

 その間、周囲をそっと窺ってみたのだが、どうやら家令は事情を知っていたようだ。夫人は……カッと目を見開いてるあの表情……知らなかったのだろう。


「そこで何故か私との縁組が浮かんだようだが……」

「そこなのですよね」

 

 カミル氏との縁組については完全に家人の嫌がらせである。本来市井の娘に持ちかける話だったが、姉が原因でより良い殿方との話が持ち上がってしまったのである。この辺りは完全にボタンの掛け違いだが、私にとっては明暗を分けた掛け違いだ。


「私は、エマもいるし断るつもりだったのだがね……」

「……断られる前で助かりました、本当に」

「その様子では、ローデンヴァルドのご子息では納得できなかった理由があると考えて良いのだろうか」

「端的に申し上げると、そうです」

「ふむ」

「まず申し上げておきたいのは、ローデンヴァルドに非はないということ。それに、キルステンの方も……恨む、とは少し違いますね。ええ、大変だと思いこそすれ、恨んではおりません」


 だから単なる反発心を起こして自棄になったわけではないと言っておかねばならないし、なにより誤魔化してはいけない部分だ。

 私は市井の身に落とされたが、その後一人暮らしをしていた、という私側の事情を説明した。これに助力はなかったという点、カミル氏は眉を顰めたが聞き役に徹してくれるようだ。大事なのは、私はその生活に馴染んでしまったという部分だ。


「こう言ってはなんですが、元より貴族としての意識が欠けていたのでしょう。それほどに、私にとって市井の暮らしは悪いものではなかったのです。キルステンに戻るつもりもありませんでしたし、姉の件がなければ学校を卒業した後は働いて国を出るつもりでした」

「国を……」

「そうでなくては、私はいつまで経っても家を追い出された哀れな娘のままですから。伯も、そういう噂を少しは耳にされたのでは?」


 カミル氏は無言、というのなら肯定とさせていただこう。

 同情が欲しいわけじゃないのだ。一番欲しいのは自由気ままに、誰にも咎められず麦酒と丸焼きをお腹いっぱいに貪っても問題ない環境である。


「ですから、言い方は悪いのですが……伯とライナルトを秤にかけました」

「何故?」

「どちらに嫁げば先に自由の身になれるかをです」

「ああ……年の差か。確かに、若人よりは年寄りが先に逝く」

「はい」

 

 不敬この上ない発言だ。即刻機嫌を損ねて追い出されても仕方が無いが、カミル氏ならば問題ないと考えて素直に言わせてもらった。氏と親しい人たちの雰囲気は固くなったが、本人は平然としている。

 ゆっくりと髭を撫でるカミル氏を、エマは心配そうに見つめている。流石に私も緊張を隠せず口を閉ざしたが、やがて老人は低く言った。


「それは随分と無謀な賭けだ。やるにしてももう少し人を選び、慎重に動くべきだったね」

「仰るとおりです」


 自覚はしていただけに、こうもはっきり言われると肩が落ちる。時間がなかったとはいえ、計画が無鉄砲すぎた。

 

「あなた、彼女にも彼女なりの事情が……」

「わかっているとも。悪いとは言わないさ。だが、それでもよくやったねと褒めるわけにはいかないよ、エマ。我々が大人であるなら尚更そうだ。……先に届いた手紙からして、姉君の名を使ったね?」

「はい、その方が確実でしたので」

「その時点では、貴女はまだ親の保護下にあるべき立場だった。下手をすれば周りの者に害が及んだかもしれないのは理解しているだろうか」


 それも理解……しているつもりだ。ただ、年長者から改めて念を押されると、改めて禁じ手を使ってしまった罪悪感が強い。頷く私にカミル氏は何を思ったのか、深く頷いた。

  

「うん。……なら、いいだろう」


そう言うと老人もお茶を一啜り、ふう、と息を吐いて背もたれに身を預けた。

 ……それだけ、だろうか。

 説教を拝聴するつもりでいただけにちょっと拍子抜けだ。

 

「自らの行いを省みている人にそれ以上叱る意味はないからね」


 苦笑気味に漏らす姿に、公人としての貌はすっかり隠れた。代わりに人好きのする顔立ちでほっそりと笑みを零す。

 

「すまないね。だが、若い娘さんが危険な目に遭うかもしれないとなれば、やはり見過ごすことはできないのだよ。……うちだったからよかったかもしれないが、これが別の領主であったなら、うまく運ばなかったと覚えておいてくれると嬉しい」


 これにはしっかりと頷いた。

 ……地域によっては領主が若い娘の処女権を有しているところがあるし、それほどまで横暴なのだ。老人はそういった話も込めて言っているのだろう。


「さて、話を戻そうか。どうやら私たちには話し合いが必要なようだから。……嗚呼、その前に、ヘンリック夫人」


 一歩進み出た夫人に、領主は机を指して頼み事をする。


「僕と彼女達にお菓子を用意しておくれ。込み入った話には、甘い息抜きが必要だからね」


 夫人は恭しく一礼すると、私の視線に気付いて照れくさそうに頭を掻いた。きっとこの人はこちらが素なのだろう。


「許しておくれ、カレン嬢。長い年月閉じこもっていたせいか、どうも保守的になってしまったようだ。この六日間、僕は貴女との話し合いを放棄してしまっていた」

「私の方こそ、色々と警戒してしまっていました。お詫びいたします」


 ……ああ、なるほど。

 若人に対しこうも容易く頭を下げるこの人は、だからこそ領民に好かれているのかもしれないな。

  

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