第3話 嫁いだ
あの時、二つの肖像画を見比べながら考えていた。頭の中では複数の自分が意見を交換し合って、どちらが私にとって有利に働くかをずっとずっと考えていた。
まず、第一に重視したのは私の目的だ。
ライナルト。言わずもがな乙女たちが頬を赤らめ、うっとりとため息を吐き、羨望のまなざしを送る絶世の美男子。物語で主人公を張れる花形になるのは正直悪くない未来だと思う。お金もあるし都住まいの人だから生活に苦労はしないだろう。なにより次男だから跡継ぎに男の子を望まれる可能性も……低いと思う。多分。
次にコンラート伯カミルで辺境の田舎領主。かつては都に住んでいたものの、何を思ったか田舎に隠居。御年六十を超えており妻子もいたが、いずれも病気と戦で亡くなっている。
最初にもたらされた情報はこれだけ。これだけで将来を左右されるとなれば、当然若いライナルトを取るのが若い娘だが、私の選定基準は単純だった。
ぶっちゃけ、爺さんの方が先に死ぬ。
普通に考えればあと十年二十年は生きるだろうと考えるかもしれない。が、それはあくまで日本基準。この世界基準で考えると長生きしても七十がせいぜいだ。しかもこれは彼が貴族だからであって、市井あたりになってくると充分致死圏内。
対してライナルトはまだ二十半ばであり、健康な成人男性だ。まだまだ長生きするだろうし、私だって夫となった人の戦死を期待するほど非情じゃない。
要は、だ。私はこの国を出たい。ひいては他国を自由に歩き回りおいしい食べ物を満喫したい。ついでに文化の違いも見てみたい。
……このあたり、やっぱり根っこは日本できままに育ててもらえた、生まれ変わる前の私が影響しているんだろう。そりゃあファンタジーな世界、貴族と生まれお金に不自由せず、しかも働かず生きて良い環境は魅力的だ。……政略婚があるのは置いとくけど。
ともあれ、ともあれなのだ。
「ああ~……世の中世知辛いわぁ」
貴族の令嬢生活は、どうしようもなく「面倒」なのだ。
働きたくないしだらけたいしわがまま放題に遊びたいけど、それを続けるとどこかで「あれ?」と首をひねる自分がいる。元々ただの一市民なので大変気が小さいのだ。小さいんだってば。ほんとだって。
強く実感したのは家を追いやられ、一人暮らしに入ったときだった。学校でちょっとした手紙の代筆を行い、お金を得たことがある。小遣い程度の金額だったけど、帰りに買って食べたお肉はとても美味しかった。
その日の夜は感動に胸を詰まらせた。つまるところ私は、誰かのお金だとか憚らず自由に過ごしたいのである。もっと具体的に述べると人目を気にせず発泡酒と一緒によく焼いた鶏の丸焼きにかぶりつきたい。扉の向こうで使用人が歩く音を気にせずぐうたらしたい。けれど貴族の令嬢にそんな無作法は許されないので、この望みを叶えるためには貴族って身分を諦めるしかないなと至ったわけである。
下手に自由だった頃の体験と知識があるのだ、社交界に出席し美容と教養に身を入れ使用人に気を配りつつ旦那の支えとなる生活なんて無理無理。私には荷が重すぎる。
なので、コンラート伯を選んだという次第だ。
田舎なので多少人付き合いが必要だろうが、都ほど作法を気にしなくても良いはずである。カミル氏の人となりが多少不安だったが、そのあたりはほとんど賭けだ。実体はといえば嫁ぐまでの間に集めた噂で、なんとかいけるかもしれないか? という算段を立てたところだ。
氏の人柄については後ほど述べさせてもらうとして、ひとまず辺境までの道中を語らせていただこう。
辺境まで送迎はわりと地味だった。なぜかといえば私が派手にしないでくれと頼んだからである。
道中はキルステンより派遣された護衛に囲まれながら馬車数台分の荷物を伴って移動し、途中でコンラート伯の衛兵とも合流し、ようやく一安心だ。
カミル氏の統治する領地は……こう、ひたすら地味だった。馬車でとっとことっとこ移動する間に外を見ていたが、娯楽的なものは何もなさそうだってくらい。途中、畑から腰を持ち上げ馬車を見上げる農民は目を丸めて口を開けていた。超絶ド田舎、いやいや牧歌的で長閑な場所に向かっているという実感が増していく。
数日かけて移動するコンラート領の要となる館は、森と草原を抜けゆるやかな斜面を登った場所にあった。思ったよりも標高は高く、周りは木々すらないため風が強そう、という印象。人家の周りはすべて塀で囲まれていて、一見殺風景だが、その代わり物見からの見渡しは抜群だから賊の侵入は難しそうである。
……私の想像する辺境領主って、緑に囲まれた長閑な田舎町ってイメージだったんだよね。これはなんか違う。田舎の領にしては、思ったよりがっしりしっかりした戦闘向けって感じである。
私を送り届けるまで同席していたお爺さまに訊いてみる。
「……お爺さま、こちらの領は随分物々しいのですね」
「うん? ああ、それはそうだろう。ここは隣国との境界が近いからね、侵入されてしまえば真っ先に被害に遭うのは間違いない。隣国に異常がないか伯は都に報告をする義務があるし、なによりご自身の領民を守らねばならないのだよ」
「へー……すごい方なのね」
「……カレン。お前はもうコンラート伯夫人なのだから、夫を支える立場としてしっかり勉強せねばならないよ」
「お爺さまは心配性ねー」
「心配もするさ。お前が、今度はもっと遠くにいってしまうのだから……」
「やだわ、恨んでないって言ったじゃありませんか」
「その軽々しい態度も人前では改めなさい」
孫娘に言い聞かせる祖父だが、その表情はどこか苦々しい。孫が自分より年上の人に嫁ぐなんて……私でも卒倒するもんなぁ。
それでも送り届けてくれたのは、昔、私をキルステンから追い出してしまった罪悪感があったからなのだろうか。
馬車が門に近づくにつれ、人の気配が増えてきた。馬車は飾りの少ないものを選んでもらったつもりだが、こちらじゃこれでも派手で目立つのだろう。しばらくすると馬車が止まり、遠くから見かけた装飾の少ない実用一辺倒の門が開く音がする。再び馬車が動き出し……ゆっくりとした速度で動かしていたのだろう。これまた結構な時間を掛けて移動し、ようやく馬車は停止すると、外からお爺さまの補佐官が声を掛ける。
「旦那様、準備が整いましてございます」
先に外に出るのはお爺さまだ。私はその間に自分で髪の毛や衣装の崩れを直し、にっこり笑顔の練習を試みる。今回の婚姻にあたり私は侍女の同伴を断ったので、自分の世話は自分でしなくてはならない。
……お爺さまにはしつこく粘られたのだけどね。こちらで侍女を見つけるわって断固断ったのだ。
しばらくするとお爺さまが孫の名を呼び、私は、それはもう精一杯の猫をかぶって出て行くわけだ。扉を開けばお爺さまが手を差し出してくれているので、掌を乗せ、早すぎない速度でゆっくり降りていく。ただし、この段階ではまだ声を出さないし相手の方は見ない。
「伯、こちらが孫のカレンだ。……よろしく頼む」
「いらっしゃい、カレン嬢。遠いところからよくいらしてくださった」
「はじめましてコンラート伯。どうぞよろしくお願いいたします」
伯とお爺さまは知り合いなのだろうか。ともあれ、お爺さまから紹介を受けたので俯きがちだった顔を上げて、伯を含む使用人の皆さんを視界に収める。
うん。やはりというか、結構な大人数でいらっしゃる。これ二十人は軽くいるね? なんなら背後からもざわめきがしているし、塀の方によじ登ってこっちを見ている市民の方々もいる。
…………田舎の爺さんに嫁いでくる若い娘なんて格好の噂の的だろうからなあ。
はいはい余計な意識はポイ捨てして、中央に立っている、身なりの良いご老人に向かって微笑んだ。ぱっと見だけど、柔和なおじいさんという感じだろうか。やや痩せ型でふさふさの白髪に、ちょこっと蓄えたひげが威厳付けに一役買って……いるかなあ? とても優しそうな雰囲気の人で、ひげが無ければもう少々若く見えるはずだ。
コンラート伯は私に手を差し出す。ここで私がお爺さまから手を離し、伯と手を重ねてご挨拶は完了だ。
馬車に揺られて疲れているだろうってことで私は用意された部屋へ。お爺さまと伯はしばしお茶を共にするそうだ。私を案内してくれたのはいかにもベテランって感じと、同い年くらいの若い女の子の使用人。後者は年齢が近い子を探しておいてくれたんだろう。案の定、私の所用はその子がメインで行ってくれるそうである。
……田舎田舎と言っていたけど、使用人さんのきびきびした感じを見るとけっこうしっかりしているなあという印象だ。
「奥様の部屋は旦那様の部屋から三つほど離れております。こちらにいらしたばかりでまだ慣れていらっしゃらないでしょうから、時間をかけていただきたいということで……」
「まあ、お気遣いありがとう。……わあ、部屋も広くて綺麗ね」
「若いお方のお気に召すかはわかりませんが……」
「変にごてごてに飾られるよりよほど良いわ、過ごしやすそうでよかった」
ベテランさんの「若いお方」というあたりのニュアンスが微妙だったが、そこはあえて無視である。ずかずかと部屋に乗り込んで窓を開くと、レースのカーテンを揺らしながら風が流れ込む。
コンラート伯の屋敷は広めの三階建て。中庭を囲むコの字形といえばわかりやすいだろうか。私にあてがわれた部屋も三階で、伯の寝室も三階のようだ。親族縁者が住まい、時に泊まったりするのが三階。二階は客室が主となり、一階が食事をしたり、来客を迎えたりといった施設となる。使用人は一階から二階にかけて部屋があると教えてもらった。
「詳しい点は追々、こちらの者に確認くださいませ。ひとまず、今日のご予定ですが……」
女の子は緊張の面持ちで一礼。部屋をぐるりと見渡しながらベテランさんの話を頭に流し込む。……部屋は飾り気が足りないんじゃ無いかと思うほど質素! だがそれがいい! 嫁いできた娘にあてがうにはいささか地味いや朴訥すぎて、普通なら不満を垂れるかもしれないが、よくよく見れば調度品はほどよく年季が入っており、意匠も凝っているので、決して安物ではないはずだ。派手さはないが、花瓶一つからしても趣味がいい。
「良い部屋ね」
思ったままを呟くと、女の子はきょとんと目を丸めてこちらを見ていた。ベテランさんもやや驚いたようだが、説明を止める気配はない。
「ご婚礼の儀ですが……ご親族の到着が遅れているのもあり、本日は奥様方と旦那様のみの会食となっております。お気を悪くされたのならば……」
「構いません。ご親族の心中を思えば無理もないもの」
非常に言いにくそうにしていたのだが、こちらがあっさりと頷いたので何故か驚かれた。……流石にそのくらいはわきまえてますって。そうそう歓迎されるわけないだろうってくらいは。
ついでに言えばこの婚礼、普通なら新妻のために行われるであろう結婚式もない。それもこれもぜーんぶ私が後妻として入るためである。せめて気を遣い親族を集めてパーティくらいしてもよさそうだが、それもないというのだから拒否反応を示した親族がいたんだろう。到着が遅れているというのも誤魔化すためじゃないだろうか。
もとより強引に通した話なのだから、そのくらいは想定してしかるべきだ。
「それより、よければお茶をもらえないかしら。……長時間揺られっぱなしで、もう喉がからから」
「あっ……す、すぐ用意します」
「ニコ、そう慌て……まったく……」
ぺこり、と頭を下げた女の子は部屋を退出。ベテランさんが呼び止めても気付く間もなく出て行ってしまった。これにはベテランさん……もとい、夫人もため息である。
「……教育が行き届いておらず、申し訳ありません」
「元気があっていいですね。あ、これからよろしくお願いしますね」
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします。……都ほど洗練されたおもてなしはできませんが、奥様が気持ち良く過ごせるよう努めさせていただきます」
「ありがとう。私も知らないことがたくさんあるから、いろいろと教えてもらわなくてはなりません。夫人を頼りにさせてもらいますね」
夫人はコンラート伯の家令と並び、館の顔役である使用人だ。ニコと呼ばれた私の世話役の子も合わせ、使用人の面倒を見ているらしい。
……ま、いまはあれだ。
おそらく想定と違ったお嬢さんが来て、夫人は面食らっているのだろう。澄ました表情の中に多少の戸惑いを感じたが、そこは美少女スマイルで適当に流す。
…………今更だが、私の容姿は美少女と分類してもいいものだと思うよ。あの絶世美男子ライナルトには及ばないという事実はともあれ、少なくともザ・日本人だった頃よりは数万倍は可愛らしいと自信をもって言える。なぜなら我が家は何代も続いてきた家柄。ある程度えり好みが可能な貴族が掛け合ってできた血筋、そりゃあ美人も生まれやすい。
「さてと、これからどうしようかしら」
夫人には聞こえないよう呟いた。窓は出窓となっており、庭を見渡せるようテラス席も設けられている。実際そこからの景色は美しく、庭のみならず柵を越えて町側が見渡せるようになっていた。
「奥様の部屋が一番景色の良い部屋ですよ」
「本当に良い景色だわ。……都から来たときは緑が少ないって思ってたけど、向こうはすごく広い森があるのね」
「山師たちの狩り場ですね。ただ、その更に向こう側は切り立った崖になっています。さらにその奥をこえてしまうと、隣国の領内に入ってしまいますね」
「行くのは禁止されてる?」
「いいえ、途中の湖面までは領の者もよく行きます。春から夏にかけては大丈夫ですよ」
館は人は少ないが、警邏がいないわけではないらしい。衛兵に加え帯刀した男性が時々見受けられる。
どうも彼らから見られている気もするが、そのうち慣れてもらうしかないだろう。 ほんっっとにいい部屋用意してくれたんだと感慨深くなりながら、森の方を眺め続ける私を、夫人はどう思っているのだろうか。
辺境に逃げ切れたからといってこれで終了ではない。私にはまだやるべき事が残っており、ここで思考を停止していいわけではない。
それになにより、直近でどうにかしなくてはならない問題がある。こればかりはあれこれ考えを巡らしても、相手次第なのでどうしようもない問題。
ずばり初夜。
えーわたし子作りなんてわかんないこわーいやだー。なんて誤魔化すほど馬鹿じゃない。……やってもいいけど、それやったらただの間抜けである。今後のイメージや活動においてあまり間抜けで通すと後々疲れる、という点や私の性格から鑑みて、やはりお馬鹿さんを通すのは無理がある。
仕方ないとなれば覚悟はしているが……。できれば避けたいのだけどなあ。コンラート伯が話が通じる方であればいいけど、こればっかりは運次第。
とりあえず情報収集といきますかねと背伸びしたところで、ガチャリという音と共に私の侍女、ニコが戻ってきた。
「お、おおお待たせしました! お茶でございまひゅ」
噛んだ。
苦虫をかみつぶしたような夫人はその場で叱るわけにもいかず、本人も耳まで顔を真っ赤に染め上げている。私は素知らぬ顔で室内に戻り、彼女の名誉を守る方を優先した。喉の渇きを癒やしてからじっくり質問していこうではないか、と席に着いたところで「あっ」という声がする。
「ぎゃあ!?」
およそ可愛らしくない声をあげたニコはすっころび、茶器類が宙を舞う。誰も彼も即応なんてできず、中身のお茶ごとあたりにぶちまけられる。その一部は私の腕にかかり、咄嗟のことに服を剥がそうとするも、ぴったりくっついてる型の服なんだよね。これ。
「ニ…………奥様っ!?」
「いったぁ…………あ、あ、ああああああ!?」
夫人の驚愕、続いてニコの悲鳴が室内に響き渡る。
私は額にじわりと浮かぶ脂汗と痛み出した腕を押さえながら、面白い初日になったなあと頭の片隅で考えていた。
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