大いなる意思

@genjin

第1話 大いなる意思


大いなる意思(梗 概)


定年退職後に保護司となった主人公ジンは、保護観察処分者の暴走族に殺害される。しかし、調和と秩序を司る宇宙意識体ハモニーと邂逅して人間界に復活する。そして、ジンはハモニーから託された調和と秩序を維持する仕事を託される。

宇宙は、物質と反物質の二元(正・負)世界からなっている。ハモニーは、この二元世界の調和と秩序を維持する役目を持つ宇宙意識体である。

正の世界の人間は、死ぬと負のエネルギーとなって負の世界に生まれ変わる。逆に負の世界の人間は、死んで正の世界に生まれ変わる。

ハモニーは、この二元宇宙の接合点である賽の河原で死者の魂(正・負のエネルギー)を転生輪廻させることで二元世界の調和と秩序を維持している。

しかし、死んで負のエネルギーとなったまま正の世界に留まる魂が増え、同世界が膨張し続けている。このまま放置すれば両世界ともに滅んでしまう。かといってハモニーが賽の河原を離れれば、それもまた二元世界の崩壊を招く。

そして、ハモニーの力を持ってしても自由意思を持つ精神エネルギーを無理矢理転生させることはできない。そこで、ハモニーはジンに負のエネルギーである魂を賽の河原へ送り込む仕事を託した。但し、自由意思を持つ魂を成仏するよう説得、あるいは納得させなくてはならない。

ジンには五人の仲間がいる。ジンの体となった地蔵尊のクウ。銀河系内全人類の祖先たる創始者が創造した移送機のトラン。

人類の信仰心のエネルギー集合体が擬人化した神たるミカ。

ジンの長女でクウとの同化で霊媒師的能力に目覚めたミコ。

伊勢神宮内宮の巫女でテレパス能力を持つキコ。

危険予知能力を持つ大学生のメグ。全員、創始者と同じ精神感応能力を持っている。

ジンたちは生活基盤としての神定プロダクションを設立し、日夜ハモニーの仕事に従事していた。

ある時、複数の負のエネルギーを取り込んで不死身となった人間が大量殺戮を企てるが、ジンたちがそれを阻止する。

しかし、創始者の遺伝子を受け継ぎ、かつ、精神感応能力を持つ者以外は負のエネルギーを体内に移入することはできない。

ジンたちは、彼らの精神感応能力とは違う悪魔のような能力者が鬼人化した人間を使って大量殺戮を企てていることに気がつく。

しかし、それが誰で何のために大量殺戮を企むのかが分からない。ジンたちはハモニーから託された仕事をしながら、この卑劣な悪魔を見つけ出すことを決意する。

そして、物語の舞台は地球に留まらず広大な宇宙へと広がっていくのである。




主要登場人物


宇宙意識体:宇宙の調和と秩序を司る神的存在。通称、ハモニー。

神定  人:数奇な運命に導かれて、ハモニーから宇宙の調和と秩序を維持する仕

     事を託される。通称、ジン。

ク  ウ:北海道空沼岳の沢に落ちていた地蔵尊。ハモニーの力でジンの体とな  

      る。

神野ミカ:人の信仰心が生み出す膨大な精神エネルギー体。ジンの力によっ

     て人間として具現化する。

神定  命:ジンの長女。高校卒業後、ニートとなり家に引きこもる。クウとの精神

      融合により、霊媒師的な能力に目覚める。通称、ミコ。

ト ラ ン:銀河系中心域で栄えた創始者の創造物。移送機の本体ゼロとコアのトラ

      ンとしてジンの仕事に協力する。

神宮司 恵:皇學館大学神学科の学生。危険予知能力を持ち、ジンの仕事を手伝う。

      通称、メグ。

神宮司清子:伊勢神宮(内宮)の宮司。テレパシー能力を持つ。メグ同様、ジンの仕

      事を手伝う。通称、キコ。

鈴木 翔太:ジンが保護司になって、最初に担当した少年。

アイリーン:アクエリアス星の代表

アイリス:人工惑星アクアの代表



参考文献   ひまわりブックス①わかりやすい更生保護

                  「更生保護便覧第7版」

          ㈱ニュートンプレス創刊30周年

「大宇宙前編・後編」

          幻冬舎新書 素粒子物理学で解く宇宙の謎 村山 斉著

                  「宇宙は何でできているのか」


保 護 司


わたしの名前は、神定 人。三十年余り勤め上げた仕事を定年退職し、第二の人生をどのように生きていこうかと思い悩んでいるうちに、早、半年が過ぎてしまった。

 この間、無趣味で何かすることを見つけなければと思いつつ、燃え尽き症候群とでも言うのか、何ひとつ手に付かずに家では粗大生ゴミと化していた。まさしく居場所がない状態であった。このままでは、娘と同じく老人の引きこもりになってしまう。普段は仕事でいない宿ろくが家に居座っていたのでは、かみさんも息苦しかろう。現に定年退職後の親父の所為で、かみさんが鬱になるという話を聞いたことがある。これではいかんと思い人との繋がりを求めて家の外。つまり、再就職しようと決心し、仕事を探すことにした。ところが、そうは言ってもこの不況下、団塊世代の老人を雇う会社は皆無に等しい。何の資格もないおっさんを雇う酔狂な会社があるわけもない。そんな時、在所の寺の住職に保護司にならんかと言われた。 


「金にはならんが人助けにはなる。それに社会との繋がりも持てて一石二鳥や。」

「ボランティアみたいなものですか。で、どんな仕事ですか。」

「ちょっと言い難いんだが、すねに傷持つ輩の面倒さ。俗に言う前科者の自立更生を手伝う仕事じゃよ。」

「どうだ。人のためになって社会にも貢献できるぞ。」

「ちょっと待ってください。」

「犯罪者と関わる仕事ですか。」

「危なくないんですか。」

「百パーセント安全とは言えないが、今まで更生を支援している前科者から危害を受けた保護司はいないと聞いておるぞ。」

「本当ですか。」

「まあ、急ぐ話じゃないし、考えてみたらどうだ。」

「分かりました。かみさんにも相談してみます。」


どうしようかな。経済的には今までの蓄えで十分だし、後、数年経てば年金も貰える。ボランティアで良いかな。だけど犯罪者の面倒を見るとなると、何か怖いし大丈夫かなあ。何よりも自分が更生の手伝いをできるんだろうか。でも、世のため人のためにもなるし、自分の性格にも多少合ってるかも。このまま家の粗大ゴミでいるのも気が引けるし。迷うなあ。


「なあ、保護司って知ってるかい。」

「反古紙。秘密漏洩を防ぐために裁断機にかける書類のことですか。」

「違う違う。」

「その反古紙じゃなくて、人を守るの保護に司令官の司を付けた保護司の方。」

「えっ、そんな言葉ありましたっけ。」

「見たことも聞いたこともありませんわ。」

「で、どんな仕事なんですか。」

「罪を犯して保護観察になった人たちの更生を手伝う仕事だよ。」

「また、分からない言葉が出てきました。保護観察って何ですか。」

「私も分からないので、本を貰ってきたんだけど。良いかい。」

「この本(更生保護更生保護便覧)によると保護観察って、罪を犯した者や非行のある少年を地域社会の中で通常の生活を営ませながら、保護観察官と法務大臣から委嘱を受けた民間篤志家である保護司が連携して、一定の期間、決められた約束事、すなわち遵守事項を守るよう指導監督するとともに、必要な補導援護を行うことによって、その者の改善更生を図ろうとするものである。って書いてあるよ。」

「ますます、分からなくなってきましたわ。」

「要するにだよ。犯罪者は、社会から弾き出されて受け入れて貰えないだろう。」「そうすると、就職ができなくて生活に困って、再び罪を犯してしまう。」

「そうなると、犯罪者本人にも社会にもマイナスだよね。」

「そうさせないために、保護観察って制度を設けて更生と社会復帰を促し、二度と罪を犯さない、犯させないようにする。」

「その一翼を担っているのが民間篤志家の保護司なんだよ。」

「その保護司になるって言うのですか。」

「そう、できるかどうかは、やってみないと分からないけどね。」

「でも、そんなこと。犯罪者を相手に危なくないんですか。」

「今までに保護司が、支援している保護観察者の犠牲になったという話はないみたいだよ。」

「そりゃ不安だけど、やり甲斐はあると思うがなあ。」

「それに犯罪者と言っても刑期がまもなく終わる仮釈放か、刑務所に入れるほどではない罪を犯してしまった人たちが相手だから。」

「私は、反対です。」

「あなたに何かあってからでは、取り返しが付かないでしょう。」

「大丈夫だと思うよ。」

「それに、私に万が一のことがあっても、君が死ぬまで暮らせる蓄えはあるからね。」

「お金の問題じゃありません。」

「まあまあ、冗談だよ。」

「分かった。もう少し考えてみるよ。」


だけど、人や社会に貢献できるって何だか魅力を感じるよな。それで保護司の仕事って何をするのかな。ここに書いてある。何々、保護司の使命は、「社会奉仕の精神をもって、犯罪をした者及び非行のある少年の改善更生を助けるとともに、犯罪の予防のため世論の啓発に努め、もって地域社会の浄化を図り、個人及び公共の福祉に寄与すること」、具体的には、「保護観察官で十分でないところを補い、地方委員会又は保護観察所の所掌事務に従事すること」、つまり、保護観察官に協力して、「保護観察対象者の指導監督、補導援護、矯正施設に収容されている者及び少年院在院者等の生活環境の調整、犯罪予防活動」等が保護司の仕事と書いてある。

保護観察官って、誰。地方委員会とか環境調整って、何。

分からない事がたくさんあるな。そもそも、刑法犯に関わったことがないから分からないことだらけだ。そもそも、更生保護法とか保護司という制度があること自体、この年になるまで全く知らなかった。

本当、別世界の話だよなあ。できたら関わりたくない世界かも。妻の言うように、ならない方が良いかなあ。臭い物にはふたをして、知らぬ半兵衛を決め込むか。人間の一番嫌な所と向き合う覚悟もないし、犯罪者に逆恨みされて殴られたりするのもご免だしね。殴られるだけなら、まだしも、殺されでもしたら大変だ。でも、和尚さん、今までそんなことはないって言ってたな。


「なあ、この前話した保護司の件だけど和尚さんの勧めもあるし、世のため人のためと社会との繋がりも維持できるということで、立候補しようと思うんだけど。どうかなあ。」

「反対です。犯罪者は怖いし、危険だと思います。」

「そんなことないよ。」

「犯罪者も人間だし、助けて貰っている人に危害を加えるようなことはしないと思うぞ。」

「よしんば、あったとしても国家公務員災害補償法に基づいて補償されているからね。」

「だから、前にも言ったけど、お金の問題じゃないの。」

「あなたの身が心配なの。」

「それに、犯罪者を家に上げるのも、会うのも嫌ですからね。」

「危険はないって。」

「それに家で面接をしなければ、母さんや娘と出くわすこともないよ。」

「そうですか。」

「それに、こんなご時世だからいつ再就職できるか分からないしね。」

「このまま就職口が見つからなかったら、どんどん外に出るのが億劫になって娘と同じ引きこもりになっちゃうよ。」

「保護司なら、就職活動をしながらでもできるし、社会との繋がりも維持できる。」

「一石二鳥さ。」

「あくまでも反対です。」

「それでもやるというなら、私は、もう何も言いません。」

「ああ、やるさ。」

「許してはくれないみたいだけどね。」


さてと、保護観察所に保護司になりたい旨を伝えて必要な書類を提出すれば、後は、保護観察所長が保護司候補者として保護司選考会に諮問し、その意見を付して法務大臣に推薦、問題がなければ保護司に委嘱されるというわけだ。まあ、品行方正、これといった問題もないし、資格条件も満たしているから保護司に委嘱されることは確実だな。


保護観察所へ保護司選考に必要な書類を提出して約五ヶ月が過ぎた頃、観察所から採用通知と保護司の委嘱式、研修会の案内が郵送されてきた。

良し、これで粗大生ゴミの身分から解放される。自分の居場所、つまり、やるべきこともできた。相変わらず就職口はないけれど、心のハリというか、人生のハリができた。ようやくメリハリのある第二の人生が送れそうだ。


確か、保護観察所の事務所は、地方検察庁の建物の五階だったかな。あった。ここだ。外観の色が淡い茶で、まさしく四角四面型。なんと重苦しい雰囲気のビルだこと。まあ、官公庁の建物、ましてや検察庁だから仕方ないか。逆に威厳があって、まさしく検察庁らしいな。

駐車場は、ビルの裏手、ここだ。狭いな。さてと、五階の会議室。


エレベーターの扉が開くと直ぐ受付があった。そこで、氏名を告げて会議室に入った。ちょっと早すぎたのか。まだ、誰もいない。

今回、委嘱を受ける新人保護司は、十五名。

厳かに、委嘱式が終わり、引き続き研修となった。

更生保護の沿革・歴史に始まり、更生保護の機構・組織、関係法規、保護観察及び保護司制度の説明、保護司の職務・業務内容とその実施要領など、盛りだくさんの教育を受けた。そんな中で保護観察処分者との面接には、来訪と往訪という手段があり初回面接は必ず来訪、つまり、保護観察処分者が保護司宅を訪問する事になっていると説明を受けた。その後は、月に二回以上来訪・往訪を含めた面接を実施することになるというのである。

これは困った。妻には犯罪者を家に来させないという条件で、私が保護司になることを無理矢理黙認させたのに。これは拙いな。


「あのー、質問よろしいでしょうか。」

「はい、どうぞ。」

「初回面接は、必ず保護司宅で実施しなくてはならないのでしょうか。」

「はい、自宅でお願いします。」

「しかし、家族の者と処分者を会わせたくないし、我が家は狭いですから面接のための個室は確保できません。」

「先輩保護司さん全員が、皆自宅で面接しているとは思えないんですけど。」

すると、別の人が

「私の所も同じ理由で、面接は公民館とかの公共の施設を利用させて貰おうと思っていますが。だめですか。」

「また、どうして自宅ではないといけないのですか。」

「来訪は、原則として保護司宅で実施していただきます。」

「理由は、保護観察者の秘密漏洩防止です。」

「しかし、やむを得ない理由でできない場合は他の場所でも構いませんが、喫茶店とかで周囲の人に話が聞こえてしまうような場所ではだめです。」

「分かりました。でも、来訪にしろ往訪にしろ私どもが住んでいるような狭い地域では、どうしても観察保護者の情報は漏れると思いますが。」

「そこは、保護司自らが気を使っていただき、近所に漏れないように工夫してください。」

「そうすると、私どものような狭い在所でご近所に目立たないようにするには、どっちにしろ自宅や保護観察者宅は避けたほうが良いということですね。」

「但し、往訪については必ず何度か保護観察者宅を訪ね、家庭環境が本人の自立更生に影響していないかを確認してください。」

「本人の自立更生が上手くいかないひとつの原因として家庭環境も考えられますので、よろしくお願いします。」

「分かりました。」

「他に質問は、ありますか。」


この後、質疑応答が続き、最後に、観察官から保護司に立候補した理由を一人ずつお願いします。という質問が投げかけられた。

一五名中、私だけが自分の意志で保護司になることを決めたようである。他の人たちは、父親が保護司で定年の七五歳になったため父の意志を継いでとか。民生委員の友人や地域の推薦で断れなくて、等々、嫌々ながら成らざるを得なかったようである。

ある人は、いよいよ嫌になったら交通違反でもして、保護司の資格要件を破って辞めれば良いんですよ。と言う始末。

これには、観察所の人たちもあきれ顔であった。

このことから全ての保護司の人たちが、好んでこの仕事に就いていないということが分かった。

こうして二回に分けた研修も終わり、晴れて保護司の一員となった。後は、観察所からの保護監察者担当通知の連絡を待つだけとなった。


あれから、月に一回程度の地区保護司会と地方観察所が行う研修会に参加し、保護観察者への対応の仕方も何となく分かってきたような。だけど、自信が持てない。なぜなら、先輩保護司さんの体験を聞くにつれ、一筋縄では人を更生させられないと分かったからである。例えば、道路交通法違反で保護観察処分になった少年の話しがある。彼は、暴走族で犯した罪は信号無視、危険運転などであった。

彼は、暴走行為がどれだけ人に迷惑を掛けようが、それが何で悪いのか全く理解していないと言う。逆に、人に迷惑を掛けて、メディアに取り上げられることを楽しいんでいる。まるで英雄気取りだ。そこが自分の居場所であり生きている証だと言わんばかりに、自己中心的な考えに凝り固まっている。自由という権利の行使にあったては、その行動に対して義務と責任が伴うということをいくら言っても意に介さない。全く反省の態度が見られないということであった。よしんば、悪いことをしていると分かっても、家庭環境が、社会が悪いと責任を転嫁して自分は悪くないと正当化する。言い訳ばかりを言って、ご免なさいという言葉が出てこない。これは、少年に限ったことではない。

人としての道徳通念や倫理観は、どんなに時代が変化しても不変なものである。


数ヶ月が過ぎ、保護観察所から電話で、保護観察者の担当依頼の電話が入った。さあ、いよいよだ。

「詳しい話は、後ほど送付します。」

「担当して頂く事件は、道路交通法違反の少年です。」

「いわゆる暴走族です。」


なんと、先輩保護司がなげいていたのと同じような非行少年だ。どのように対処したら良いものか。取り敢えず、保護観察所からの担当事件の内容が来るまで待つしかない。


数日後、保護観察担当通知書、保護観察事件調査票、保護観察の実施計画が送られてきた。

保護観察事件調査票によると、私が担当する少年、翔太は一九歳で兄弟なし。保観察期間は、一号観察だから二十一歳になるまでの二年間か。両親は健在で二人とも医者、何の不自由もない恵まれた環境の中で育っているな。暴走族に加入したのは十六歳の時、一年浪人して某医大に入学。この事件で退学処分になっている。ほとんど高校に行っていないのに良く医大に入れたものだ。当然、裏口入学かな。

事件内容は、共同危険行為。

初回面接は、来訪(保護観察処分者が保護司宅を訪問)だけど我が家は狭いし、家族が嫌がっているから場所は公民館にするか。

早速、公民館の使用の段取りと翔太君の母親に来訪の日時と場所、息子さんと一緒に来ることを告げた。

面接の日がやってきた。準備のため早めに公民館へ行き待つこと二十分ほど。母親に付き添われた翔太がやってきた。案の定、想像どおりの少年であった。茶髪のロン毛、耳に複数のピアス、ド派手なTシャツ、ケツまでずり下げたすり切れジーパン、何とだらしない格好だ。いっそのこと鼻輪もしたら笑えるのにと思いつつ、これが仮にも保護司の面接を受けにくる者の態度かと憤りを禁じ得なかった。何で親は正そうとしないのか。家庭内暴力があって息子が怖いのか。本当に、私のような新米保護司に自立更生の手伝いができるのか。不安な気持ちが横切った。

ここは、気を取り直して。まずは、定形どおりに私の自己紹介、保護司の役目と守秘義務のことについて話した。

次に、確認のため保護観察処分者の名前と年齢を尋ねると、当人は、そっぽを向いたまま何も答えない。あわてて母親が答えてくれた。そして、保護観察所で言われたことについて聞くと、やはり、本人からの答えは返ってこなかった。再び母親が答えようとするのを制止して、私の方から確認の意味を込めて述べることにした。


「翔太君の保護観察期間は、二十一歳になるまでの二年間。」

「この間は、一般遵守事項と特別遵守事項を守ること。」

「月に二回は、来訪又は往訪に応じること。」

「以上のことを保護観察官から言われたと思うけど。」

「どうかな。」


相変わらず返事なし。


「それでは、遵守事項の確認をするから、今から言うことを良く聞いておくこと。」


私は、一般遵守事項と特別遵守事項について説明した。。


「翔太君、今まで述べたことをしっかりと心に刻んで真面目に生きてください。」「それが罪の償いですし、翔太君のこれからの人生を無駄にしないため絶対に必要なことですから。」

「今日は、これで終わります。」

「次は、来週の金曜日午後七時に、お宅にお伺いして面接をしたいのですが、よろしいですか。」

「はい、来週の金曜日ですね。」

「お待ちしております。」


こうして初回面接は、マニュアルどおりの二十分程度で終了した。

あの態度じゃ、全く反省していないな。というよりも、何も悪い事していないのに何で反省しなくちゃならないのかって感じだな。

それに、保護観察の制度も理解していない。

何で保護観察という制度があるかというと、前科者を増やさないためなんだ。司法の世界では罪を憎んで人を憎まずの性善説の下に、まずは犯罪防止が先だ。奇しくも罪を犯してしまっても自立更生の余地がある者に対しては社会内処遇で立ち直らせる。刑務所に入って前科者になってしまうと、現社会では自立更生するのが非常に難しい。翔太には分からないだろうな。このまま反省もせず、間違った権利や自由を振りかざし、自己中心的な考えや行動をしていると、また、罪を犯すことになる。その時、二十歳を過ぎていれば少年院ではなく刑務所に入ることになるだろう。前科が付くと社会から弾き出され、まともな人生を送れなくなる。だから、ここで立ち直って二度と罪を犯さなければ、彼は普通の人生を送ることができるし、皆がそうなることを願っている。義務と責任を果たして、なおかつ、公共の福祉に反しない中での自由と権利の行使ということについて、理解させることは至難の業だ。

そもそも、何で身勝手な人たちが増えたのか。やっぱり教育の仕方が悪かったのだろうか。


運命の刻


約束どおり午後七時ちょっと前に翔太の自宅を訪問した。お母さんが玄関口で迎えてくれた。すると、翔太は友達に会ってくると言ったきり帰ってきていないという。


「往訪のことは、承知してますよね。」

「もちろんです。」

「出がけに、そのことは言いましたので。」

「それでは少し待ちますか。」

「ところで、ご主人は。」

「申し訳ありません。主人は仕事の関係で出張中です。」


そこで、マニュアルどおり翔太が帰ってくるまで、彼の家庭環境がどんなものかを確認することにした。詳しい事は省略してかいつまんで言うと。

まず、裕福な家庭で両親が忙しくて構ってやれない分、彼が欲しがるものをふんだんに買い与えてしまった。それが愛情と彼の幸せと思って育てたことが、彼の自己中心的な性格や依存心を助長させたようだ。

次に、彼が親の仕事を継いでくれるという本人の意志を無視した過度な期待感が、彼の精神的な重荷となっているようだ。

それから、翔太が構って欲しいために悪さをしたときに本人を叱らずに許し、世間体を気にして取り繕うことに終始したこと。

当然悪さは、いたずらから始まり、どんどんエスカレートして暴走族に加入。そして、今回の事件に至ったのである。

両親、特に父親は息子のことを諦めているようだ。

翔太のことは、一切母親に任せっきりで、母親は大分参っている。

そうこうしている間に、一時間が過ぎた。

母親が、先ほどから何回も携帯で連絡しているが返事が返ってこない。


「それでは、もう帰りますが翔太君が戻ってきたら、今度いつ会えるかを電話するように伝えてください。」

「分かりました。」

「まさかとは思いますが、最後に暴走族の仲間だった人たちに、息子が行きそうな所を聞いてみます。」


母親が電話をすると、以前の暴走族仲間と宮川の河川敷公園で会っているかもしれないという情報がもたらされた。

それは拙い。保護観察期間の特別遵守事項に、暴走族仲間と会ってはならないという項目があった。昔の悪い仲間と縁を切らさないと保護観察処分が取り消され、少年院送致となってしまう。何とかしなければ。


「それでは、その情報が正しいかどうかは別として帰りがけに寄ってみます。」


私は、翔太の家を出た。しかし、現場にいたとしても、どう対処したら良いものか。最初から大変な事になってしまった。そこにいないことを祈りつつ車を走らせた。しかして、他の車がいない河川敷の駐車場に入ると、その駐車場のはずれ、宮川大橋のたもと付近に数台のバイクと四人ほどの人影があった。

どうしようか。人違いかもしれないし、このまま帰った方が無難か。

ところが、意に反して体は、車を出てその集団に向かっていた。まだ、保護司という自覚も責任感も薄いというのに。何が、この恐怖を押しのけて行動させているのか分からない。次の瞬間。


「おーい、そこに翔太という少年はいないか。」と大声で叫んでいた。


すると、四人の人影が素早く動き私を取り囲んだ。その中に翔太がいた。


「翔太君、帰るぞ。今日は面接の日だから。」

「昔の仲間と会ってはいけないよ。遵守事項にあっただろ。」


翔太の表情には、薄笑いの影が宿っていた。


「翔太、このおっさん、誰だよ。」

「俺の保護司さ。」

「おっさん、うざいんだよ。」

「俺のことは、構わずに適当に報告しておけよ。」

「俺が良い子にしてたって書いておけば、何の問題もないわけだろ。」

「そうはいかないよ。」

「君は更生すると誓っただろ。」

「それに、君を更生させなければ私の責任が果たせない。」

「あんな誓約書、ただの紙切れで最初から守るつもりはない。」

「少年院に入れられないために書いただけさ。」

「しかし、」と言おうとした瞬間、後頭部に刺激が走り目の前が真っ暗になった。

時おり、意識が回復し、やめてくれと何度も懇願したが、けたたましい笑い声と、「俺、この骨が折れる音が好きなんだ。」という声が聞こえた。体中のあちこちに燃えるような痛みを感じ、また、意識を喪失した。

混濁した意識の中で、家族の顔が走馬燈のように浮かんでは消えた。

だから言ったでしょう。保護司の仕事大丈夫かって。あなたに何かあったらどうしたら良いのかって。その言葉が頭の中でぐるぐる回っていた。

真っ暗だ。燃えるような痛みも、家族の顔も妻の言葉も、もう、浮かんでこない。虚無の世界だ。

「えっ、私は死んだのか。死んでしまったのか。」


あの時、妻の言うことを聞いて保護司にならなければ、後悔先に立たず。後の祭りか。家族には申し訳ないことをした。しかし、家族は、何とも思わないかもしれない。どんなに愛し合っていた夫婦でも、年をとるにつれて愛情は薄れ夫は生活の糧を稼ぐ者、妻はただの飯炊き、掃除、洗濯女と化し、お互いに同じ屋根の下に住んでいるに過ぎないただの空気みたいな存在となる。我が家も同じようなものだ。

そして、娘は、うるさい親父がいなくなって整斉しているかもしれない。特に、定年後はその雰囲気がひしひしと感じられた。家にいて寂しく辛かった。だからこそ、自分の居場所を求めて保護司という仕事にこだわった。

私は、天国に行けるのだろうか。その前に、天国とか地獄とかがあるのだろうか。死んだらどうなるのか。死んだのに何で意識があるのだろうか。何か変だなあ。死んだら無になるのではないか。

真っ暗闇の中、歩いているのか、止まっているのか、上も下も右も左も分からない。意識だけが存在し肉体はないようだ。やはり死んでいるのだろう。

真っ暗闇の中、遙か彼方に一点のシミのような白い部分が見える。普通はシミといえば黒だけど。ここでは逆だな。そこに行ってみたいけど、遙か遠くに見えるし、上下左右も分からない。この状態で歩くといっても足もないし、どうしたら良いのだろう。あそこに行って、あれが何だか確かめたい。と思った瞬間、目の前にその部分がやってきた。いや、こっちが飛んだのか。

一瞬のうちにトンネルの出口に着いたようで、目の前が明るく開けた。振り返ると、先ほどまでいた暗闇の世界は消失していた。「ここが天国かなあ。」

何だか心が安穏となり、先ほどの恐怖や不安な気持ちはなくなっていた。

「ここは天国だ。」

「死んだら無になると思っていたけど天国はあったんだ。」

「いいえ、ここは天国ではありません。」


唐突に私の頭の中に響いた。どこが頭の部分なのか分からないけど、頭に直接流れ込んできた。

「それじゃあ、地獄。」

「まさか、こんなきれいな風景のある場所が地獄であるわけがない。」

「初夏の北海道は、美瑛の丘みたいだ。」

赤や白、黄色や紫、いろいろな花が咲き乱れ、さわやかな風が頬や髪を撫でて行く。

「あっ、顔もなかったんだ。言葉のあやだな。」

「ここは、天国でも地獄でもありません。」

「私にとってそんなことは、どうでも良いんですよ。」

「私は、無神論者だから。」

「日本じゃ、葬式の時ぐらいにしか宗教の話は出てこない。」

「そう言えば、私の家は真言宗だったな。」

「妻方は浄土宗で仏壇のご本尊は阿弥陀如来だ。」

「私の場合、ご本尊は大日如来になる。」

「元は、同じお釈迦様なのにどうしていろんな宗派ができたのかなあ。」

「あなたの話こそ私にとっては、どうでも良いことです。」

「あなたは、まだ、死んではいないのですから。」

「えっ、死んでない。」

「それはどういうこと。それにあなたは誰、神様、仏様。」

「ごちゃごちゃ言わずに私の話を聞きなさい。」

「やけに、高飛車だな。」

「分かりましたよ。話を聞きましょう。」

「私は、調和と秩序を司る意識体です。」

「あなたが分かりやすいように仏教用語を使って話します。」

「それでは良く聞いてください。」

「ここは、例えて言うなら六界への入り口で、あなたがここに来るのはまだ早いのです。」

「それじゃあ、ここは三途の川、賽の河原ですか。」

「随分、イメージが違うな。」

「賽の河原と言えば、ズバリ、玉石で敷き詰められた川岸、薄暗く重苦しい雰囲気の黄泉の世界で親より先立って死んだ子供たちが、その最大の親不孝の報いを受ける場所。」

「つまり、親の供養ために小石を積み上げては鬼に壊されるという作業を、際限もなく繰り返えしているという場所と聞いていたけど。」

「ここは、全然違うな。」

「そして、六界とは天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界となるわけだ。」

「私は当然、天界に行けるんでしょうね。」

「ちょっと、しょってるかな。でも、これといって悪い事してないしね。」

「あーっ、もう。ちょっと、黙って私の話を聞きなさい。」

「仏教の話は良いから。」

「あなたが理解しやすいように、仏教用語を使っただけで仏教の教えとは関係ありません。」

「これからも、あなたが理解しやすいように仏教用語を使いますが、いちいち、その説明はいりません。」

「先ほども言いましたが、あなたは、今、ここで死ぬ運命ではないのです。」

「しかし、ここにいるということは、死んだんでしょう。」

「ある意味では、そうです。」

「つまり肉体的には死んだのですが、精神的には生きているのです。」

「意味、分かりません。」

「私は魂となってここにきて、これから六界の何処に行くのか裁きを受けるのでしょう。」

「そうではないのですが分かり易くするために、そう言うことにしましょう。」

「それでは、あなたは裁かれて人間界に戻されます。」

「ちょっと待ってください。」

「先ほど、私は肉体的には死んだと言いましたよね。」

「はい、確かに。」

「それじゃあ、魂の器としての肉体がないのに、どうやって人間界に戻ることができるのですか。」

「それは、あの時死ぬべき本来の人間と入れ替わるのです。」

「それは、誰ですか。」

「あなたが、保護司として初めて担当した翔太です。」

「実は、あの場所で彼が死ぬ運命だったのです。」

「そこに、あなたが割り込み、この予期せぬ事態になったのです。」

「ということは、私があそこに行くことは、神よ、仏の世界でも予期せぬでき事だったということですか。」

「あなたは、森羅万象、全てを司る存在ではないのですか。」

「いいえ、違います。」

「しかし、運命は大いなる意思で持って決められています。」

「私の運命も例外ではありません。」

「ところが、あなたの行動は大いなる意思が決めた運命を覆すものだったのです。」

「原因は、今調査中です。」

「どうであれ、あなたをこのまま人間界以外の世界に送ることはできません。」「六界のバランスが崩れ、世界の崩壊につながります。」

「でも、私は彼を犠牲にして人間界に戻ることはできません。」

「だって、考えてもみてください。」

「彼は、二十歳に満たない若者。」

「それに比べて私は還暦を過ぎた老人。」

「腰は痛いし、歩くと膝も痛い。」

「どう考えても、先が長い若者を犠牲にして老人の私が生き延びるというのは、腑に落ちない。」

「あなたの寿命は、八十八歳と決まっているのです。」

「それを変えることはできません。」

「えっ、人の寿命を教えちゃって良いのですか。」

「もちろん、言ってはならないことです。」

「しかし、あなたの場合は例外です。」

「私は、若者を犠牲にしてまで生きたいとは思いません。」

「絶対お断りです。」

「あなたは、死にたいのですか。」

「いいえ、私は死にたくはありませんが、他人を犠牲にしてまで生きたくありません。」

「それに、あと二十数年しか生きられない私としては、前途ある若者を見捨てることができないのです。」

「しかし、彼はあの場所で死んで地獄に行く運命なのです。」

「それを聞いたら、なおさら彼を死なせるわけにはいかない。」

「だって地獄は、六界の中でも最悪の場所だ。」

「あの若さで可愛そすぎる。」

「地獄って針の山とか血の池や灼熱地獄、阿鼻叫喚とありとあらゆる責め苦が待っているところでしょう。」

「仕方がないことです。彼は、それだけの悪行をしたのですから。」

「うそでしょう。」

「彼は、暴走族の一員で、悪い仲間と一緒に道交法違反をしただけですよ。そんな軽犯罪で地獄ですか。」

「それは、あなた方の知り得た彼の犯罪の一部です。」

「彼は、一人であるいは仲間と共に、ゆすりたかり、集団暴行、強盗、強姦、詐欺などの犯罪にも手を染めています。」

「あの場所で、彼が裏切った仲間の恨みを買って殺されるところだったのです。」「全ては、彼自身が蒔いた種です。自業自得なのです。」

「でも、そんな事実は彼の事件調書にはなかった。」

「ただの道交法違反者だ。」

「だからこそ初心保護司の私に、初めての簡単な仕事として観察所が与えたのですよ。」

「考えてもみなさい、そんな単純な罪状なら、どうして、あなたはあの場所で死ぬ羽目になったんですか。」

「私に分かるはずがないですよ。」

「そう、そのとおりです。」

「あなたが、物事の理を乱してしまったのですから。」

「とにかく、あなたは彼の身代わりになって死ぬことはできません。」

「生きたいですが、彼を犠牲にするのは絶対に嫌です。」

「私を地獄でも何でも良いから早く送ってください。」

「でも、彼をこのまま人間界に残しておくことは、ますます犠牲者を増やし死ぬ定めのない人たちや家族が不幸になります。」

「それでも良いのですか。」

「うーん、それも許し難いことですね。」

「彼を地獄に突き落とすことも、彼の犠牲者を増やすことも。」

「事実を知ってしまった以上、どちらも容認できない。」

「どうすれば良いんだ。頭が痛くなってきた。頭はないけど。」

「あなたは、優し過ぎます。運命に逆らうことはできません。」

「分かりますけど、彼を更生させると約束しますから、私も彼も助けてください。」

「それは、できません。」

「死んだ魂は、もう一つの世界に行かなくてはなりません。」

「この宇宙は、二つの世界が同時並行してバランスが保たれています。」

「一つはプラスエネルギーの世界、もう一つは、マイナスエネルギーの世界です。」

「どちらの世界にも仏教で言う六界の世界はありません。」

「六界という概念は、人間が創造した世界です。」

「つまり、どちらの世界も一つです。」

「この一つしかない世界の中で人間は、個人の生き方や生活レベルに応じて六界という世界観を創り上げたのです。」

「例えば、罪を犯し更生することなく一生を終える人たちは、修羅、畜生、餓鬼、地獄界を生きたことになります。」

「一方、普通の人生を送る大半の人たちは人間界、自分の人生に満足して生き抜いた人たちが天界に生きたということになるわけです。」

「これは、物欲的な解釈で、精神的に自分の一生が幸せだったと思う人は、貧富の差や出自に関係なく天界の住人となり、反対に出自も良く裕福な生活をした人でも、自分の一生に幸せを感じられない人は、人間界の住人となるわけです。」

「つまり、人間個人の生き方や考え方で、その人の属した世界が決まるわけです。」

「それを、人間が仏教という世界観で表現したのです。」

「そして、正負どちらかの世界で死ぬということは、もう一方の世界に生まれ変わることを意味します。」

「この二つの世界のエネルギーバランスを保つことが私の仕事です。」

「そうすると、私は幸せな人生と思わずに死んだので人間界を生きたことになり、翔太は今現在、修羅、畜生、餓鬼、地獄の世界に生きていると言うことになるわけですね。」

「翔太の人生は、このままでは悲惨な一生で終わってしまう。」

「私が彼の代わりに負の世界に行きますから、彼には、この世界で更生するチャンスを与えて上げてください。」

「私は、こちら側の世界で十分生きましたから。それに家に帰っても居場所がありません。」

「どうか願いを聞いてください。」

「どうしても、こちらの世界に戻ることを拒否するのですね。」

「どうしてもです。決心は固いですよ。」

「二人ともこっちの世界に留まることができるんでしたら話は別ですが。」

「それでは、あなたの条件を飲む代わりに、こちらの条件も飲んで貰います。」

「どんな条件ですか。」

「私の仕事は、二つの世界の均衡を保つことです。」

「現在、死んだ魂が正の世界に負のエネルギーとなって多く留まり、均衡が崩れ始めています。」

「このままでは、正の世界が膨張し過ぎて両方の世界が崩壊します。」

「何でそんなことになっているのですか。」

「あなたの力で負の魂を強制的に、あちらの世界に送れば良いじゃないですか。」

「それはできません。」

「私は、この世界、あなたたちの言葉で言う賽の河原を離れることはできません。」

「死んだ魂を負の世界へ送り出す仕事がありますから。」

「ところが、死んでここに来るはずの魂が強い怨念や心残り、やり残したことへの執着心などから正の世界に留まってしまっているのです。」

「それが幽霊となるわけですね。」

「実際には、見ることはできません。」

「負のエネルギーという形で人間界に留まっているのです。」

「正・負のエネルギーが均衡を保って世界が成り立っています。」

「こちらは正の世界に分類されます。」

「そこに、負のエネルギーが留まってしまうことは許されません。」

「私が人間界に行って無理矢理連れてくることもできません。」

「ここを離れることができないからです。」

「私がここを離れるということは、宇宙の消滅を意味します。」

「全てが無と化してしまうのです。」

「ということは、あなたは先ほど、自分のことを調和と秩序を司る者といいましたが、本当は全知全能の神様なのですね。」

「いいえ違います。あなたが理解しやすいよう便宜上、そう言っただけで神様ではありません。」

「私は宇宙エネルギー、つまり調和と秩序を司る宇宙意識体です。」

「私は、全宇宙の調和と秩序を維持するために存在します。」

「あなたたちが言うこの太陽系も私の体の一部です。」

「今、この太陽系で調和が乱れつつあります。」

「早急に解決しないと全宇宙が消滅しかねません。」

「そんな大げさな。私には理解できません。」

「全宇宙からしたらこの太陽系は、端の端の、また、端の辺境でしょう。」

「そこで、魂の乱れがあるからといって全宇宙が滅びるなんて信じられない。」

「魂の乱れではありません。エネルギーの不均衡です。」

「人間には、蟻の一穴から堤が崩れるという故事がありますね。」

「あなた方人間の時間意識からすれば、このエネルギーの乱れから全宇宙の秩序が崩壊し、消滅するまでには天文学的数字の時間になりますが、宇宙の時間にすれば、今日、明日の事になります。」

「もう、気が遠くなる話でますます分からなくなりました。」

「そんな壮大な話、私には関係ありません。」

「あなたの時間軸では、確かに関係ありませんが、これから先、連綿と続く時間の中では、今、この時が重要なのです。」

「こうして、この賽の河原にいることさえ信じられないし、理解できないのに宇宙の話ときたら、もっとチンプンカンプン。」

「それで、先ほどの条件って何なんですか。」

「あなたに私の代わりとなって、このエネルギーの乱れを是正して欲しいのです。」

「そりゃあ、無理だ。」

「だって、既に私の体はないし、太陽系を救う力もない。」

「第一、どうすれば、あなたの言う秩序の乱れ、不均衡を直すことができるかも分からない。」

「それに、太陽系とか宇宙の調和とか、ますます無理な話だ。」

「大丈夫です。あなたは、人間界に戻ったら、そんな大それたことを思わずに自由に生きたら良いのです。」

「それとあなたの体になってくれる候補者もいます。」

「翔太の時のように、誰かを身代わりにするのは嫌ですからね。」

「そうですね。あなたの代わりになるのは、人ではありません。」

「誰ですか。」

「お地蔵さんです。」

「えっ、お地蔵さん。」と、ついすっとんきょうな声を出してしまった。

「そうです。以前、あなたが助けたお地蔵さんです。」

「私にはお地蔵さんを助けた憶えもないし、石の固まりのお地蔵さんが人間になれるわけもない。」

「あなたは忘れたかもしれませんが、助けられた方はしっかり憶えていますよ。」

「ほら、意識を過去に飛ばしてみなさい。」

「あなたが北海道の空沼岳に登ったときのことを。」

「ああ、そうだ。」

「私が、まだ雪が残る山道を登っていると、小さなお地蔵さんが谷側の斜面に転げ落ちているのを見つけた。」

「そして、もともと安置されていたと覚しき場所に戻して上げたことがありました。」

「その時のことですか。助けたとか言うほどのものではありませんが。」

「その時のお地蔵さんが来ています。」

「さあ、話してみてください。」

「ちょっと待ってください。」

「お地蔵さんが話すわけないでしょう。石なんだから。」

「いいえ、違います。」

「石には、意思が宿ります。」

「洒落ですか。笑えませんね。」

「私は、あの時の恩を決して忘れません。」

「それに帽子もくれましたね。」

「待ってください。」

「それは、傘地蔵の昔話になぞらえただけで何の意味もありません。」

「それこそ洒落ですよ。」

「そもそも、そんなことで私の体になってくれるというけど。」

「そんな行いをする人は他にもたくさんいたでしょう。」

「なぜ、私なのですか。」

「それは、あなたが初めてだからです。」

「初めてというと。」

「沢に落ちている私を助けてくれたり、自分を犠牲にしてまでも悪人の身代わりになると言ったりする人は、今までにいませんでした。」

「嘘でしょう。私よりはるかに犠牲的精神の持ち主は、たくさんいたはずです。」「例えば、著名な宗教家、名前を言えっていっても、直ぐ思い浮かばないけど。」

「そうだ。」

「日本で言えば、真言宗の空海、天台宗の最澄、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞とか、西洋にもたくさんいたでしょう。」

「その人たちは、皆、天寿を全うした人たちです。」

「役目を果たした人たちです。」

「あなたは、あの時、あの場所で死ぬ運命ではありませんでした。」

「死ぬべき人は、あの少年、すなわち翔太です。」

「その運命を頑なに変えようとするあなたこそが、前代未聞の初めての人間なのです。」

「そうですね。」と地蔵が調和と秩序を司る宇宙意識体に尋ねた。

「はい。」

「だからこそ、あなたの願いを聞いて人間界に戻すことにしたのです。」

「但し、エネルギー、あなたには魂と言った方がよろしいでしょう。」

「その魂の器、つまり肉体が滅んでしまった以上、人間界に戻るには代わりの器が必要です。」

「その器になりたいというこの地蔵の願いを叶えて上げてはどうでしょうか。」「それに、あなたは、翔太が将来、犯すであろう罪を防ぐとも言いました。」

「その約束を果たすためにも人間界に戻る必要があります。」

「分かりました。」

「でも、宇宙のバランスとか秩序とか言われても私には荷が重すぎます。」

「翔太の更生だけに全力を尽くしますが、全宇宙とかの話は私には関係ありませんから。」

「そこの所は、ご承知願いますよ。」

「分かりました。」

「今、あなたが人間界に戻れば、この瞬間の不均衡が是正されます。」

「それだけでも、良しとしましょう。」

「それでは、お地蔵さんと一緒に人間界にお戻りなさい。」

「はい。それでは、さようなら。」


私は、いつもの朝のように目を覚ました。

何か変な夢を見たな。寝覚めが悪いよ。しかし、寒いな。

あれ、夏なのに何でこんなに寒いんだろう。

起き上がると、そこは宮川の河川敷であった。

思い出した。ここは、私が気を失った。いや、死んだはずの宮川大橋のたもとだ。ふと時計を見て驚いた。平成二二年二月二二日、月曜日となっていた。何と二揃いの日だ。何か意味があるのか。

あっ、そうだ、今日は娘の誕生日だ。

そんなことあるはずがない。さっき神様らしき人と話していた時間は、多く見積もっても二十分程度だったのに、どうして六年も経っているのか。時計の故障だな。しかし、待てよ。この寒さは、夏の季節じゃないよな。

すると、頭の中から声が響いてきた。


「賽の河原では一瞬のことですが、人間界では何年も過ぎてしまうのです。」

「今のあなたにとって、時間は何の意味もありません。」

「君は、私に体を提供してくれたお地蔵さんだね。」

「そうです。」

「それにしては、私の体は石じゃない。」

「普通の皮膚だし、つねったら痛い。」

「待てよ。それじゃ、顔がお地蔵さん。」

「それはないでしょう。」

「何処の世界にお地蔵さんの顔の人間がいますか。」

「川面に自分の顔を写して見てください。」

「あれ、ちゃんとした元の顔だ。」

「しかも、六年も経ったのに老けていない。」

「だから、今のあなたには時間の経過は関係ないのです。」

「それって、どういうこと。」

「あなたは、あの時死ぬべきであった翔太の身代わりとして死ぬことを選び人間界に戻ることを拒んだ。」

「素直に受け入れていれば、六年前に死ぬべき翔太が死に、あなたは普段と変わらぬ人生を送っていたはずです。」

「あっ、そうだ。」

「将来、翔太が犯すであろう罪を防いで被害者となる人たちを助けないと。」

「その前に、着る物と食べ物を何とかしないと。」

「寒くて堪らん。」

「大丈夫です。心に念じてみてください。」

「何をだい。」

「今、必要な物ですよ。」

「えーと。冬に適した服装、厚手のズボン、靴下、股引もいるな。」

「上も同じく厚手の下着にワイシャツ、セーターにジャケット、コート。」と念じると、一瞬にしてその服装になった。

「えっ、うっそう。」

「こりゃあ、夢だ。今までのことも、みんな夢だ。」

「私は、まだ、夢を見ているのだ。」

「死んだことも、神様と覚しき意識体に会ったことも、お地蔵さんの恩返しも。」「みんな夢だ。」


目を覚ませとばかりに、ほっぺたをつねった。痛い。


「夢じゃない。」

「それじゃ、食べ物。」

「えーと、焼きそばパンにカツサンド。」

「どうして、こんな事ができるのだろう。」

「あなたが念じることで膨大なエネルギーが発生し、物を作ることができるのです。」

「と言うことは私は超能力者。」

「いや、神に匹敵する存在になったということかな。」

「いいえ、違います。」

「あなたは人間です。」

「私の体を器として蘇ったのです。」

「エネルギーを使うことはできますが、作ることはできません。」

「言っている意味が分からないけど、復活したと言うことでしょう。」

「それなら、何でこんな力が使えるのですか。」

「ただの人間で良いじゃないですか。」

「何もできない普通の人間で。」

「それでは、あなたに託された仕事ができないでしょう。」

「宇宙の不均衡を是正することですか。」

「そうです。」

「言ったでしょう。そんな大それたこと。」

「私にはできないし、どうやれば良いのかも分からない。」

「それは、私にも分かりません。」

「待てよ。子供の頃から夢見てた超能力者になれたということですよね。」

「望めば何でもできる。世界を支配することも。」

「但し、その力は、そういった私利私欲の実現には使用できないと思いますよ。」

「それじゃ、お金と念じても出ないということですか。」

「試しに念じてみよう。」

「やっぱり、出てこない。」

「えーっ、それじゃ、これからどうやって暮らしていけば良いんだ。」

「だって、六年前に死んだ者が家に帰れないし、戸籍も住民票も仕事も住むところもない。」

「天涯孤独の無一文の者が、どうやって生きていけば良いんだ。」

「ホームレス。」

「あなたには、力があります。」

「暮らしには困りません。生きていくための必要最小限の物は、あなたの力で賄えます。」

「誰が、その必要最小限の物を決めているのですか。」

「神様。」

「お金は必要最小限の中に入らないのですか。」

「生きていくためには、絶対必要でしょう。」

「取り敢えず、バイトでも何かの仕事に就いて当座の生活資金を稼がないと。」

「でも、死んだ人間は仕事に就けない。」

「困った。」

「悩んでもしょうがない。」

「難しいことは後にして、まずは家族がどうなっているのか、確認しなきゃ気になってしょうがない。」

「私が死んでから六年、どんな暮らしをしているのか。」


私の家は、五十鈴川支流の河口にある百世帯余りの小さな在所の中にある。

本当に閑散とした老人ばかりの村である。

さて、私の家族は皆元気でいるのか。今日は奇しくも長女の誕生日である。

六年前と全く変わらない在所の風景、静かで行き交う人もいない道。


「待てよ、こんなに堂々と歩いて人に会ったら大変だ。真昼の幽霊騒ぎになる。」

「それは大丈夫です。」

「あなたは元々在所の人間ではありませんし、この村で過ごした期間も少なく目立たない存在でした。」

「ですから、あなたを見てもただの観光客と思うだけです。」

「よしんば憶えている人も他人のそら似と思うくらいで気にも留めません。」

「そうかな、確かに影は薄かったと思うけど。」

「まあ、こちらが知らんぷりしていれば相手も気にしないか。」


お地蔵さんが言ったとおり、二人の人に会ったが、何も気にせずにすれ違うだけであった。


「君のこと、お地蔵さんて呼ぶのは言いづらいから、名前を付けて良いかい。」

「是非、お願いします。」

「名前で呼んでいただいた方が、親しみもありますしね。」

「それじゃ、どんな名前が良いかな。」

「空沼岳で会ったし、私の宗派の開祖が空海だから、両方の空を取ってクウと言う名前にしたらどうかな。」

「それと賽の河原で会った神様じゃなくて、調和と秩序を司る宇宙エネルギーの意識体。」

「感覚的には、女性と感じた彼女にも名前を考えて上げたいな。」

「調和を英語にするとハーモニーだから、ちょっと変えてハモニーとか。」

「それとも、宇宙を意味するコズモスにしようか。」

「どちらかというと、女性の名前らしいハモニーの方が良いかな。」

「私の名前はクウで構いません。」

「ただ、あのお方が、その名前で良いかは。」

「それじゃ、これからクウと呼ばして貰うからね」

「私の事は、名前のジンで。」

「なんかおっさんの呼び名には似合わないけど、よろしく。」

「彼女の名前は取り敢えずハモニーということで。」

「ところで、ジン。家族と直接会うことはできません。」

「それこそ幽霊騒ぎになってしまいます。」

「分かってます。」

「しかし、こっそりと確かめるのは難しいし、間違って出会ってしまったら大変だ。」

「クウ何か良い方法はないかな。」

「それでは、仏壇のご本尊様の目を借りて見ることにしましょう。」

「そんなことできるのですか。」

「はい、今のあなたならできます。」

「どうやって。」

「先ほど、衣服とパンを出したように念ずれば良いのです。」

「よし分かった。」

「でも、道端にずーっと突っ立てるわけにいかないから、どこか人目に付かないところは。」

「あっ、そうだ。舟だめに行こう。」

「あそこには、滅多に人が来ないから絶好の場所だ。」

「ほら、直ぐそこの舟を係留している所。」

「それじゃ、家に行ってみるよ。」

「何かあったら直ぐ呼んで構わないから、よろしく。」


六年経っているけど何も変わってないな。仏壇からでは全部は見えないけど、雰囲気も変わっていないと思う。

おっ、妻だ。ちょうど線香をあげに来たんだな。


「お父さん。あなたが亡くなってから早いもので六年、今年は七回忌の法要をしなくちゃいけませんね。」

「あなたがあんな形で死んでしまってから、我が家は女ばかりの世帯になってしまいましたけど何とか無事に過ごしていますよ。」

「母も相変わらずあちこち痛いと言っていますが、猫の額ほどの畑をすることで何とか頑張って生きています。」

「私も旅館のパートをすることで気を紛らせて生きていますよ。」

「上の娘の命は相変わらずの引きこもりで、心は嫁ぎ先の東京で暮らしています。」

「女四人、これからも天国から見守ってくださいね。」

「特に、ミコのことをよろしくお願いします。」

「ミコは、完全に心を閉ざしてしまっています。」

「あなたが逝ってしまってから私も一時期どうして良いか分からず、ミコに何度も自立するよう強く迫ってしまいました。」

「その結果、ますます引きこもるようになり話もできません。」

「でも、体の方は大丈夫です。私が準備した食事をちゃんと食べていますから。」「ただ、一日中部屋に引きこもっていますので、体力的には衰えていると思います。見た目は六年前より、ちょっと太りましたけど。」

「私も六十を過ぎ、あと何年生きられるか分かりませんが、娘のことが心配で死んでも死にきれません。」

「母も同じで私以上に、孫の行く末を案じています。」

「あら私、何でこんな事話しているのかしら、そうそう早く洗濯物を干してパートに行かなくちゃ遅刻するわ。」


「クウ、うちの家族は相変わらずだ。」

「この六年間、何も変わらない生活をしていたようだ。」

「ばあちゃん、つまり義母のことなんだけど。」

「ばあちゃんも元気でいるし、私の妻と娘も元気で暮らしている。」

「下の娘は東京に嫁いで暮らしているそうだ。」

「娘の花嫁姿を見てみたかったなあ。」

「ただ、長女のミコは、私が死ぬ一年前から引きこもりになってしまい、今も引きこもっている。」

「何が原因か分からず、夫婦二人で育て方が悪かったのかと思い悩んだ。」

「そして、六年前よりますます心を閉ざしてしまったようだ。」

「そうですか。」

「今の私の力で何とかならないものか。」

「ジンの力は乱れた均衡を是正し、調和と秩序を取り戻すために与えられたものです。私的な事には使えません。」

「そうか。」

「ただ見守ることしかできないということか。」

「悲しいな。」

「妻には迷惑ばかり掛けて、家族の問題を全部押しつけて死んでしまったのだから。」

「今さら後悔しても後の祭りだが、この気持ちはどうしようもない。」

「先に逝ってしまって本当にご免。できるなら面と向かって謝りたいよ。」


   生活基盤


「ジン、これからどうします。」

「そうだな、生活していくには、まず、お金と住むところを確保しなくてはならない。」

「待てよ、私は死んだ人間だった。」

「戸籍も住民票も全て抹消されているから働けない。」

「働けないということは、お金が稼げない。」

「お金がないということは、アパートも借りられない。」

「つまり、暮らしていけないということだ。」

「どうすれば良い。」

「さっきは、お金が作れなかった。」

「それじゃ、家はどうか、授かった力で作れるか。」

「無理だと思います。」

「やってみなきゃ分からないよ。」

「ここじゃ、だめだから人が来ないようなところで試してみよう。」


私たちといっても、クウは私と一心同体だから実際は私しかいないのである。私たちは、県営サンアリーナの奥、山側の人気のない場所を探すことにした。在所を抜け踏切を渡り、栄野神社、伊勢安土桃山文化村を通り過ぎ、サンアリーナに入った。アリーナの建物を中心に、駐車場や災害発生時には防災基地となる敷地がある。六年前にはなかった防災基地には、ヘリコプターも離発着できるスペースもあった。また、道路を挟んだ反対側には、ちょっとしたアスレチックや池がある公園もある。今日は平日の冬とあって人っ子ひとりいない。池にカルガモがいるくらいだ。


「クウ、この奥なら誰もいないと思うよ。」

「あれ、この奥にも公園があるらしい。」

「前はなかったと思うけど。」

「立て看板に絆の森と書いてある。」

「絆か。現代に欠けている言葉だ。」

「家族の絆、夫婦の絆、親子の絆、人と人の絆、全ての絆が、今の社会では稀薄になっている。」

「家族はバラバラ、離婚率は結婚率を上回り、親は子、子は親の面倒をみない時代だ。」

「それどころか、子供が親の死を隠して親の年金をだまし取っている。なげかわしい時代だ。」


私たちは、サンアリーナの奥座敷とでも言える小道に入り、絆の森公園への道からはずれて立ち入り禁止の支道へと入った。


「良し。ここなら誰もこないし、家を作るのに適していると思うよ。」

「どうせ作るなら北欧風の家が良いな。良し頭の中でイメージしてみるから。」

「やっぱりだめか。何回やっても無理だ。」

「どうすりゃ良いんだ。」

「困った。ホームレスをするしかないのか。」

「あーっ、困った。困った。」

「クウ、何か良いアイデアはないかな。」

「ふん、全く何の役にも立たない力だ。」

「そんなことはありません。」

「乱れた秩序や調和を是正する時には大きな力となります。」

「ところで、ジン。方法があります。」

「あなたは、死んでこの世に存在しない人間になってしまいました。」

「ですので、この世の人間をあなたのパートナーにすれば良いのです。」

「そりゃ、無理だ。」

「今だって私自身、こうやって生き返ったことも、賽の河原であった出来事も信じられないのに。」

「相棒になる奴にどう説明すりゃ良いのか。」

「キチガイ扱いされて精神病院送りが、関の山さ。」

「私が、ジンの体を離れて他人に移動すれば良いのです。」

「えっ、人の体に取り憑くことができるのかい。」

「但し、誰でもというわけにはいきません。」

「心を閉ざして夢と希望をなくし、自暴自棄になって人生を諦めているような人たちだけです。」

「夢や希望、確固たる信念を持って生きている人には移れません。」

「それに、私は悪霊ではないので取り憑くという表現は不適切です。」

「止めてください。」

「悪い悪い、ご免。」

「でも、現代人は、そんな奴ばかりだから誰でも乗り移れるぞ。」

「但し、知らない奴と組むのは願い下げだ。」

「人間関係が上手くいくか分からない。」

「それは、大丈夫です。」

「私が移るということは、その人の精神を乗っ取るということですから。」

「移った人の自我はありません。」

「ですから、心を閉ざしているような精神的に弱い人しか移れないのです。」

「そうか。それでも知っている人の方が良いな。」

「うーん、そうだ。娘に乗り移るというのはどうだ。」

「ミコは完全に心を閉ざしていると言っていたし、クウが乗り移ればややこしい説明はいらないし、相棒としては打って付けだ。」

「私は構いませんが、彼女に移れるかどうかは彼女の精神状態に因ります。」

「それじゃ、また、家に帰ろう。」


私たちがサンアリーナから帰る途中、戦国時代村を過ぎ信号を渡って二見町美化センターのあたりまで来たところ。


「あれ、救急車と消防車が停まっている。」

「何かあったのかな。」

「拙いな。在所の人に会うと騒ぎになるから、田んぼ道の方に行こう。」


音無山沿いの田んぼ道に入ると、行きなり、目の前にボーっと、人影が現れた。なぜ人影かというと、それは、生きた人間ではなく幽霊だったからである。


「クウ、幽霊だ。」

「真っ昼間に幽霊だ。」

「信じられない。」

「早く逃げないと取り殺される。」

「金縛りで動けない。」

「クウ、何とかしてくれ。助けてくれ。お願いだ。」

「ちょっと、落ち着いてください。」

「忘れたのですか。あなたも死んだ人ですよ。」

「一度は死んだけど、クウの体を貰って生き返った。」

「だから幽霊じゃない。ただの人間だ。幽霊は怖い。」

「ジン、忘れてはだめですよ。」

「彼は幽霊ではなく、精神エネルギー、人間界で言う霊魂ですよ。」

「しかも、賽の河原へ行くことを拒否し、負のエネルギーと化しつつあります。」「さあ、初仕事です。」

「あなたが、この不均衡を調和させてください。」

「クウが言う調和を取り戻すということは、成仏させるということだよね。」

「でも、どうやって。」

「私は、坊さんでもないし修行もしていない。」

「ましてや、お経も知らない。」

「どうすれば成仏させて上げられるのか。」

「あくまでも不均衡を是正することが、あなたの仕事です。」

「それじゃ、授かった能力を使って、えいっ、成仏。」


念じても、何の変化もなく、その意識エネルギーこと幽霊は、悲しげに揺らいでいた。


「だめだ、こりゃ。」

「どうすりゃ良いんだ。」

「やっぱり忘れてる。」

「死んだ人が、この世に留まるということは何か未練があるということです。」「それを解決しないことには成仏しません。」

「つまり、賽の河原に行ってくれないということです。」

「さあ、霊体と話してみてください。」

「分かったよ。」

「でも、幽霊と話すなんて信じられないし、怖いし、第一、説得できるかどうかも分からないし。」

「一昔前のギャル語みたいな言い回しは止めて、さあ、話してみてください。」「説得するのではなく、聞いて上げるだけで良いのです。」

「分かったよ。じゃあ、聞いてみるよ。」

「あー、えーっと、何から聞けば良いんだ。」

「あー、もしもし。」

「えっ、私のことが見えているんですか。」

「それに話もできるのですか。」

「あー、良かった。」

「あなたは、死神、神様。それとも、あの世の人ですか。」

「私は、死神でも神様でもありません。」

「私は、この世の者で、あなたが、あの世の者で、ここは、この世で、あなたは、ああ、訳が分からなくなってきた。」

「ジン、そんなことはどうでも良いことです。」

「話を聞いてみてください。」

「あなたは、どうして死んだのに、この世に留まって天国に行かないのですか。」

「私は、自殺ですので天国には行けません。」

「聞いてください。」

「私は、四十なかばでリストラされ、就職先を探すうちに貯金も尽きました。」「妻からは離婚され子供たちとも離れ離れになり、生きていく夢も希望も失いました。」

「自暴自棄になり、この川で入水自殺しようとあの小さな橋の上で靴を抜き飛び込もうと思ったのです。」

「しかし、水が冷たそうで思い切りが付かず悩んだ末、自殺することを止めました。」

「ところが、靴を履こうとした瞬間、突風が吹いてよろめき、あの低い欄干に足を取られて落ちてしまいました。」

「水の冷たさは予想以上で、心臓麻痺を起こして死んでしまいました。」

「でも、やっぱり死にたくないという気持ちが強く、あの世へは行きたくありません。」

「何とか生き返りたいのですが。」

「あなたは、本当は神様で私を生き返らせるために来たのでは。」

「そうじゃないなら、私とこうして話をしているわけがない。」

「普通の人間にはできないことですから。」

「私も吃驚です。真っ昼間から幽霊に会って、こうして会話ができるなんて信じられない。」

「でも、ある出来事がきっかけで、この能力を授かりました。」

「ジン、自分の事は良いから彼の話を聞いてください。」

「私は、あなたと会話はできますが、神様ではないのであなたを生き返らせることはできません。」

「例え、生き返ったとしても生前の状況は変わりませんよ。」

「生きていく糧がないのですから。」

「それを考えると憂鬱になり、このまま死んだ方が良いとも思います。」

「けど、死んだ今を考えると、どんなに辛い暮らしでも死ぬよりは増し。と言うことが分かりました。」

「生きてさえいれば、人生辛いことばかりではなく楽しいことも沢山ありましたし、これからもそうでしょう。」

「死んでしまえば、全て終わりです。」

「生き返りさえすれば、今度はどんなに辛くても人生をやり直してみせます。」


そう、その意気だ。しかし、まさに後の祭り、後悔先に立たずだ。


「おーい、見つけたぞ。早く引き上げろ。」

「どうやら、あなたの遺体が見つかったみたいですね。」

「救急隊員が人工呼吸をしていますよ。」

「あー、やはり、だめだ。」

「私は死んでしまったのか。」

「待ってください。」

「あなたの体からへその緒みたいなものが伸びていますよ。」

「もしかしたら、あなたはまだ死んでいないのでは。」

「この紐みたいなものを手繰って戻ってみてはどうですか。」

「どこですか。私には紐のようなものは見えませんが。」

「あなたのお腹。」

「そう、へそのあたりから引き上げられたあなたの体まで伸びていますよ。」

「えっ、私には見えませんが紐を手繰るようにやってみます。」


すると、霊体は、彼の体に吸い寄せられるように近づいた。


「本当ですね。」

「紐のような物は見えませんが、手繰る仕草をすると私の体に近づいて行きます。」

「先ほどの決意を忘れずに生きていってくださいね。」

「分かりました。あなたとお話しできて良かった。」

「本当に有り難うございました。」

「もう、二度と死のうなんて思いません。」

「どんなことがあっても、生きて行きます。」

「本当に有り難うございました。」


彼の声は、だんだん遠ざかり、最後の方は聞き取れなかった。でも、彼がこれからの人生を全うしてくれることだけは、確信となって私の心の中に残った。私は、お元気で、と心の中で呟いていた。


「やった。息を吹き返したぞ。早く病院へ運ぶんだ。」


私は、遠ざかるサイレンの音を聞きながら、良かった良かったと、ほっとした気持ちで農道を歩き始めた。


「クウ、一時はどうなることかと思ったよ。」

「これが私の能力ということか。」

「しかし、大した能力でもないな。」

「幽霊じゃなくて霊体と話せるだけで、この力で生き返らせることはできないみたいだ。」

「それに、死んだ人を成仏させることが仕事だったのに、間違って生き返らせてしまった。」

「ジンは、神でも仏様でもないのですから、力で生き返らせることができないのは当然です。」

「それと、負のエネルギーとなって、この世に留まることを防いだのですから、生き返らせることも任務遂行の一手段です。」

「このように、霊体と話しをすることは、あなたの仕事にとって不可欠です。」「しかし、この能力は、実は私の力なのです。」

「えっ、それじゃ、私の授かった能力は、この仕事には何の役にも立たないということですか。」

「そんなことはありません。」

「それに、あなたの力は未知数です。どんな能力があるのか。私にも分かりません。」

「そりゃ、困った。」

「クウが娘に取り憑いたら。」

「あっ、ご免。」

「クウが移ったら私は霊体を見られないし、霊魂とも話ができなくなるね。」

「それだと乱れた調和と秩序を是正する仕事ができなくなる。」

「私が移った娘さんができるようになります。」

「しかし、心を閉ざしているから霊魂、つまり負のエネルギー体と会話することはできません。」

「それにできたとしても人生経験が浅い娘さんには、この仕事は無理です。」

「ちょっと待てよ。」

「霊体を見て話ができる能力がクウのものなら、クウ自身がこの仕事をすれば良いということだよね。」

「そのとおりですが、私は人間界のことは分かりません。」

「それに私も意識エネルギー体ですから、移動手段としての体が必要です。」

「石の地蔵では、だめなのです。」

「ですから、今はジンの体に入って移動しているのです。」

「それもおかしい。」

「だって、この体はクウの身代わりだよね。」

「と言うことは、石の地蔵が私の体になっているということでしょう。」

「でも、ちゃんとした生前の私自身の体になって蘇っているよ。」

「それは、ジンが賽の河原で話したハモニーの力です。」

「そうすると、この仕事は誰でも良かったということですよね。」

「私じゃなくても。」

「ハモニーも全知全能という存在ではありません。」

「全ての条件が満たされて初めて、ジンをこの世に蘇らせることができたのです。」

「条件とは。」

「沢山ありますが、一番の条件はジンが自らこの仕事を理解し、やろうと決心したことです。」

「そして、賽の河原で話したように、ジンが自分を犠牲にしてまでも他人を助けようとした最初の人間だったからです。」

「ましてや悪人を、ですよ。まさしく神が定めし人となったのです。」

「そうすると、娘は、神が定めし命となるわけだ。」

「何か運命みたいなものを感じるね。」

「でも、運命は変えられるよね。翔太の運命は変わった。」

「あなたが、無理矢理変えてしまいました。」

「その結果、私は無理矢理、この仕事を押しつけられた。」

「ジンが、そう望み選んだ結果です。」

「もう、過去には戻れません。」

「さて、ここまで家に近づけば、娘さんに移れるかどうか確かめられます。」

「ジンは先ほどの舟だめで待っていてください。」


クウが私から離れて行ったのを感覚的に感知しながら舟だめに向かうと、私の後方をこの在所では珍しい若い娘が近づいてきた。良く見ると彼女は、引きこもりの我が娘であった。妻がちょっと太ったけどと言っていたが、ちょっとどころではない。ばあちゃんとどっこい、どっこい。いや、もっと太い。


「あっ、拙い実の娘だ。」

「死んだはずの父親だとばれてしまう。」


咄嗟に舟だめに隠れた。


「ジン、大丈夫です。私です。クウです。」

「そうか。移ることができたんだね。」

「それにしても、こんなに早く移れるものですか。」

「ジンには辛いことですが、彼女は完全に心を閉ざしていました。」

「ですから、何の抵抗もなく移ることができました。」

「それじゃ、親父を目の前にしても、何の抵抗もないということか。」

幽霊とも思わないし、当然親父だという認識もないということだね。」

「それに、話もできないということだね。」

「いいえ、意識の底では感じていますが、固い殻を作って心を閉ざしている今は、そんなことはどうでも良いことと思っているようです。」

「クウには、ミコの心が読めるのかい。」

「はい、私とリンクしていますから。」

「それじゃ、この事態について困惑していないのかな。」

「無関心です。」

「ですから、私は難なく移ることができました。」

「例の三無主義か。」

「三無主義と言いますと。」

「無気力、無関心、無感動の三無主義だよ。」

「そうですか。自分の人生を捨てているというわけですね。」

「一度しかない人生を自ら台無しにしているわけだ。」

「もったいない話だけど周りが何と言おうと、本人が立ち直ろうと思わない限りどうにもならないことだ。」

「ミコは、全ての原因を周囲の人や社会の所為にして、この安穏とした生活の中に逃げている。」

「一番楽な生き方だね。生活に困らないし、自由気ままに暮らしていける。」

「そうではありません。」

「彼女自身が一番、このような生活から自立したいと思っていますよ。」

「ただ、どうしたら良いか答えを出せずにどうどう巡りをしています。」

「一番悩んでいるのは、実は彼女自身です。」

「でも、いろいろとアドバイスもしたし、カウンセリングを受けるようにと勧めたが、頑として受け付けなかった。」

「彼女は、社会に出て暮らしていく自信が持てないため、この状態を甘んじて受け入れています。」

「しかし、一方では自分の人生を大切に生きていきたいという切実な思いも持っています。」

「この二つの思いが交錯し、答えを出せないまま責任を転嫁することで、辛うじて精神の崩壊を防いでいるのです。」

「家族だって、この六年どうしたら娘のためになるのか。答えを出せずに悩み続けているんだ。」

「人の精神構造は複雑です。」

「これだ。という特効薬はありません。」

「取り敢えず、現状維持です。」

「そうか。ところで、君をどっちの名前で呼べば良いんだ。」

「どっちでも構いません。」

「それじゃ、今まで通りクウと呼ばして貰うよ。」

「娘の名前で呼ぶのは何か気恥ずかしい。」

「これからの任務遂行上も娘の名前じゃ、やりづらい。」

「娘であることを極力無視して相棒ということで、よろしく頼むよ。」

「分かりました。」

「ところで、クウ、お金貸して。」

「どれくい必要ですか。」

「財布の中には、五千円余りしかありません。」

「取り敢えず。全部。」

「クウは、家に帰って今までどおり引きこもりを続けてくれ。」

「分かりました。ジンは、この後どうしますか。」

「この軍資金を使って、当座の資金を稼いでみるよ。」

「どうやって。」

「クウは、心配しないで良いよ。何とかするから。」

「だけど働けないジンが、どうやって稼ぐのか心配です。」

「調和と秩序を回復する仕事を任された者が、自ら悪いことをすることはできません。」

「罪を犯すようなことはしないから、安心して家でのんびりしといて。」

「はい。」


さて、この五千円をどうやって増やしたものか。手っ取り早いのは、パチンコだな。待てよ。先人曰く、ギャンブルで財を成した者なく、末路は借金地獄のどん底生活ってか。働けない以上、仕方がない。擦ってしまったら、また、クウに借りれば良い。


「良し、このパチンコ屋にしよう。」


国道二十三号線から、ちょっと奥にあるショッピングセンターの隣のパチンコ屋に入った。今までパチンコで勝った試しがないことを考えると、今回もだめかも知れないという思いを断ち切って絶対に勝つと信じて席に座り、取り敢えず二千円を玉に変えた。さあ、勝負。

十分も経たないうちに玉がなくなった。やっぱりだめか。昔、三十分くらいで、三万円も擦った嫌な記憶が甦った。

「賭け事は向いていないな。」

「しかし、今夜の宿泊代を何とかしないと、最低二万円はいるよな。」

「パチンコがだめなら、スロットにしよう。」


また、二千円をコインに変えて、いざ勝負。

当たれと念じてボタンを押す。三枚の絵は、なかなか揃わない。たまに揃うが、コインは徐々に減っている。念じてもだめなら、絵が合うようにボタンを押すタイミングを計ればどうだ。

ジーッ、と回転する絵を見てタイミングを計ろうと試みる。何回がボタンを押しているうちに、最初は回転の速さで絵の模様が見えなかったが、目が慣れてきたせいかゆっくり見えるようになってきた。そのうち一つ一つの回転速度、ボタンを押してから止まるタイミングも違うことが分かった。このことが分かってしまえば、後はこっちのものだ。今度は三十分も経たないうちに、コインが増えてきた。


「拙いな、隣の人が不思議そうな目で見ている。連続して当たるのも変だ。」

「今日は、これくらいで換金して帰ろう。」


法律上、現金に換えることは許されないが、事実上は庶民の楽しみとして警察も黙認している。と言うことで、

「クウ、これはなかば合法的なことで罪にはならないからね。」と心の中でクウに詫びていた。


換金場所は大抵、店の裏手になる。やはり、黙認はされているがおおっぴらにはできないということだろう。


「八万円か。小一時間で、この稼ぎとは。」

「楽して稼ぎたいというギャンブラーの気持ちが分かるな。」

「悪銭身に付かずというけど。」

「こんなに楽して稼げるなら苦労して働くことないよな。」

「世の中には、パチプロと称して一日中パチンコをしている人もいるけれど。」「でも、私は嫌だな。」

「やっぱり、汗水流して働いて稼いだお金で生活して、たまに遊んだり欲しいものを買ったりで、お金の大切さや有り難みを実感したいからね。」

「それに、楽して稼いだお金は、あっという間になくなっちゃうし、そんな生活に喜びが持てない。人生がもったいない。」

「賭け事で財を成さないし、末路は知れたものだ。」

「良し、当座の宿泊代はできた。」


今日は、町内にある旅館に泊まろうと思い歩き始めると、二人組の若者に声を掛けられた。


「おじさん、金貸してくんない。」

「ゲーセンで遊ぶ金がなくてさ。」


俗に言うオヤジ狩りだ。六十年余り生きていて初めてのことに、体は震え恐怖のあまり腰が抜けたように身動きができなかった。

ケガはしたくないし、へたすりゃ殺されかねない。待てよ、一度死んでるけど、二度は死にたくないな。それに、死んだらハモニーとの約束が果たせない。素直にお金を出しても、ただじゃ返して貰えそうもないし、ここは秩序を回復するために、悪いことをしないように説得してみるか。こみ上げる恐怖を押しのけ、絞り出すように声を出した。


「きっ、君たちは、高校生か。」

「れっきとした社会人だよ。」

「仕事はしていないけどな。」

「一日こうやって遊んで暮らして楽しくやっているんだよ。」

「仕事もしないでプラプラしていて、どうやって暮らしているんだね。」

「こうやって、人から金を借りて暮らしているんだよ。」

「文句あっか、おっさん。」

「金を借りるというけど、働きもせず遊んでばかりいる君たちに返す見込みはあるのか。」

「出世払いさ。」

「ごちゃごちゃ言ってないで、痛い目見たくなけりゃ早く金出しな。」


もう一人の方が短気なのか、いきなり私の胸ぐらを掴み殴りかかってきた。

爺、早く金を出せと言いながら、私の顔面めがけて拳を振るった。

私は、咄嗟の出来事で避けることもできず、もろに彼の拳を顔面で受けた。次の瞬間、私ではなく殴りかかってきた若者が、鼻から血を流して倒れていた。

何がどうなったのか。もう一人の若者が、


「くそ爺、だちを良くもやってくれたな。ただじゃ、おかねえ。」

「待て、私は何もしておらん。」

「勝手に、」と言ういとまもなく殴りかかってきた。結果は同じで私は何もしていないのに、二人とも足下に倒れていた。何が何やら分からないまま二人は定番の言葉、「憶えていやがれ、くそ爺。」と捨て台詞を吐いて逃げていった。

私は、くそ爺じゃない。まだ、若いと思いながら、どういうことだろう。確かに殴られたのは私の方であったのに、痛くもなかったし傷一つ負っていない。


「不思議だ。これが力か。」

「そう言えば、スロットマシンの件も普通の人間には無理だ。」

「超人的な動体視力がなければできないことだ。」

「もしかして、これが授かった力か。間違いない。素晴らしい。」

私は、本当に超能力者になったのだ。子供の頃、胸踊らせて読んだエスパーものの本や漫画のようなことができるのか。サイコキネシス、テレパシーやテレポート、空を飛んだりもできるヒーローに。


「待てよ。クウが言っていた私利私欲では使えないと。」

「それじゃ、また、試してみるか。足下にある石ころを見て、動けと念じた。」


動かない。すれ違う人の心を読んでみた。読めない。空を飛べ。飛べない。せめて常人以上の跳躍力はどうか。ジャンプしても、歳にふさわしい高さしか飛べない。やっぱりだめか。当然テレポートも、やるだけ無駄であった。


「やはり、そんな力はないな。」


諦めて家族が暮らす家に向かうことにした。家に着いたときは、既に夜の九時をちょっと過ぎた頃になっていた。あたりは、街灯が少ない所為か、闇のとばりが一層濃くなっていた。

さて、どうやって、娘のクウを呼び出すか。私は、もちろん携帯も持っていないし、玄関から堂々とお邪魔するわけにも行かない。と思い悩んでいるところにクウが家から出て来た。


「あれ、クウ。私が帰って来たことが分かった。」

「それとも、偶然。」

「いいえ、偶然ではありません。」

「ジンと私は、同じ意識体として繋がっているのでジンが帰ってきたことも分かります。」

「クウ、聞いてくれ。授かった力が分かった。」と興奮気味に話し始めると、クウは、私の話を遮って。


「そのことは既に承知しています。」

「先ほど言ったようにジンと私は、一心同体のようなものですから。」

「なーんだ、つまらない。」

「話したくてウズウズしながら帰って来たのに。」

「がっかりだ。」

「少しぐらい聞いてくれても良いじゃないか。」

「それに、力を使ってギャンブルで稼いだお金のことについては、おとがめなしですか。」

「今日は、もう遅いですからジンが考えているホテルに行ってください。」

「それに力が使えたということは、正当性があったということでしょう。」

「とがめはしません。」

「分かった。でも、テレパシーみたいに頭の中でやり取りするのは嫌だからね。」「分かっていても、ちゃんと言葉で伝えるから。」

「それじゃ、これ借りた分返しとくわ。」

「今度は、旅行カバンを貸して女物はだめだよ。」

「手ぶらで夜の九時過ぎに、おっさん一人が泊まりに行くと怪しまれるから。」「それと中身はいらないよ。」

「下着とか、着替えとかのお泊まりセットはコンビニで買うから。」

「家には私の物が残っていないだろうし、残っていたとしても引きこもり中のミコが、そんな物カバンに詰めていたら、これまたおかしいから。」

「分かりました。こっそりとカバンを持って来ます。」


私はカバンを受け取り、旅館街にある唯一のホテルに向かうことにした。


「ジン、今後のことは、また、明日話しましょう。言葉で。」

「おやすみ、クウ。」そして、ミコもと、心の中で呟いた。


途中、お泊まりセットを買いホテルに入った。


「こんな遅くに済みませんが、取り敢えず二泊お願いしたいのですが。」

「構いません。」

「今日は、遅いので夕食はありませんが、明日以降、食事はどうなさいますか。」

「あっ、明日の朝食をお願いします。後、禁煙室で。」

「かしこまりました。ここに住所とお名前をお願いします。」


困った。住所どうしよう。二見の人間がホテルに泊まるはずがないし、そうだ。東京の実家の住所にしよう。ちょうど旅行者風だし、トラブルがない限り住所の照会もしないだろうからな。

案の定、何の疑いもなくチェックインすることができた。

五階の海側角地の部屋であった。一風呂浴びてさっぱりした頃には、もう十二時近くになっていた。暗い海、時々波間に月の光がまたたく海辺を見ながら、先ほどコンビニで買った弁当をおつまみ代わりにビールを飲んだ。このあぶく銭だけでは、この先一週間は持たないと考えながら、長かった今日一日のことを振り返り、これからどうすれば良いのか。調和と秩序の回復、そんな大それたことができるのか。それより先に、と答えを出せないまま、いつしか寝てしまった。

翌朝も冬型の気圧配置で晴れてはいるが、風が強く寒い一日になる。とテレビの天気予報が告げていた。

ホテルのレストランで朝食を済ませてロビーに出ると、ミコ、否、クウが待っていた。親子の断絶で娘との関係をどうして良いか分からず、ミコと呼べない。


「おはよう、クウ。」

「ジン、おはようございます。」

「クウ。向こう一週間、何とかなるお金は手に入ったが、これから先働けない私ではお金を稼げない。」

「クウに働いてもらうわけにもいかない。」

「なんせ引きこもり中のミコが急に働き出すことはできないし、女一人が働いてもたかが知れている。」

「衣食住足りて初めてハモニーとの約束が果たせる。」

「明日の糧もない状態では、仕事にも邁進できない。」

「ジン。推奨はしませんが、当座は昨日の方法でしのぎましょう。」

「しかし、スロットマシンの儲けじゃ、たかが知れてる。」

「ギャンブルで、この力が使えるなら一発勝負で稼げるものが良いな。」

「サッカーくじは6億円だけどシーズンオフだし。」

「宝くじはどうだろう。」

「クウは、家に帰って、また、引きこもりの生活に戻ってくれ。」

「私は、宝くじ売り場に行ってくる。」

「ジン、だけど昨日のように、上手くいくとは限りませんよ。」

「分かってるよ。」

「でも、一気に稼いで生活基盤を確保しないと、これからの任務達成もおぼつかない。」

「これは、私利私欲というよりも、必要経費だから力は使えるはずだ。」


しかし、これは半信半疑の神様お願い的発想でもあった。

私はクウと別れ、昨日のパチンコ屋近くのララパークにある宝くじ売り場に向かった。今度は、お金を持っているのでバスで行くことにした。歩きでは時間が掛かるし疲れる。待てよ。昨日一日歩いて移動したけど、この歳にしてはさほど疲れたような感じはしなかったな。これも力のせいかなと思いつつ、バスの人となって目的地で降りた。

早速、宝くじ売り場に行き、早急に当選発表があるものを探した。

定番の宝くじは、抽選が一ヶ月先で当たっても、一等一千万か。これでは先が長い。待てよ。ロト6は、発表があさって木曜日でキャリーオーバーで最高二億円って書いてある。良し、これにしよう。


「今は、第四百八十五回のロト6の応募期間です。まだ、間に合いますよ。」

「そこに応募カードがあります。」

「マークシート方式で一枚に付き、五通りの組み合わせができます。」

「つまり、一枚のカードで五口申し込めます。」

「分かりました。」


私は、一枚の応募カードを取り頭に浮かんだ14・26・30・33・34・39の六個の数字を選び鉛筆でマークした。ボーナス数字は、19であったが、そこまで完璧に当たるのもおかしいと思い、わざと違う数字にマークした。後の四通りの数字は適当に選んだ。


「これで良しと。」窓口にカードを出した。

「五口ですね。千円になります。」

「当たると良いですね。」とにっこり笑ってくれた。


再びバス停に行こうと振り返ると、行きなり昨日のヤンキーと出くわした。拙いと一瞬たじろいだが、ふたりは私のことなど気にせず通り過ぎていった。

何だ。憶えとけって言っといて、昨日今日の私の顔を忘れている。頭の悪い連中だ。しばらく、彼らの動向を見ていると、どうやら前を歩いている若い女性を付けているようだ。このまま見過ごすわけにもいかず、私も彼らの後を追うことにした。まさか、こんな明るい日中に女性を襲うことはないと思うし、ここは人通りも多い。奴らも手出しはしないだろうと思っていると。何と、その女性は下手なミステリー作家が書いたような物語みたいに、わざわざ襲ってください。と言わんばかりに人気のない路地に入っていった。奴らは、この好機を逃すまいと一気に間隔を詰めた。私も後を追うように一気に走った。

案の定、ふたりは女性を捕まえて恐喝しようとしていた。

「待て。」と私は怒鳴った。

「真っ昼間から何をしているんだ。」

「うっせいな。爺はケガしないうちに、おうちに帰って寝てな。」

「そうはいかん。」

「昨日といい今日といい、お前たちはそんなことをして、ただで済むと思っているのか。」

「済むさ。この国は、未成年には甘いから、ご免なさいと涙一つ流して反省の態度を見せりゃコロッと騙されて許してくれる。」

「今まで何度もそうやって逃げてきているからな。問題ないよ。」

「許さん。その女性を放せ。」憤りのない怒りが込み上げてきた。


昨日のように短気な方が殴りかかってきた。

今回は、冷静に何が起こるのか見極めるために、じっと待ってみた。

彼の拳は、私に届かず、なぜか殴りかかった力が、逆にそのまま彼に作用しているようだ。昨日同様、彼は自分が出した拳の力をもろに受けて倒れた。どうやら、私の周りには、目に見えないバリヤが張り巡らされているようだ。

彼らは、私が昨日のくそ爺であることに、ようやく気付いたようである。


「糞、昨日の爺だな。」

「どうやって俺を打ち負かしているんだ。」

「空手か、少林寺か。」

「訳が分からねえ。爺の手が動いたようには見えなかったぞ。」

「私は、爺じゃない。昨日も言っただろ。まだ、若い。」

「少なくとも君たちよりは体力に自信がある。」

「どんなことをしても私には勝てんよ。」

「何だと。」

「昨日は暗くてどんな手を使ったか知らねえが、今日はそうはいかね。」

「叩きのめして、昨日の借りも返してやらあ。」


彼らは、近くに転がっていた棍棒を取って、二人いっぺんに襲いかかってきた。私は避けもせず、じっとしていた。予想どおり、こん棒は私の頭めがけて振り下ろされたが、次の瞬間、二人とも頭から血を滲ませて倒れていた。


「ちっきしょう。どういうことだ。」

「どうだ。殴られる側の痛みが分かったか。」

「これに懲りて、もう悪いことは止めるんだな。」

「うるせえ。」と今度は棒で、私の腹を打った。結果、そのダメージは本人の腹に返った。彼はゲホッと嗚咽を吐き、痛みで転げ回った。

「もう止せ。何度やっても結果は同じだ。私には勝てん。」

「くそ、爺。憶えてやがれ。」とまた、同じ台詞を吐いて立ち去って行った。この間、襲われた女性は、この立ち回りを見ることなく、早々と逃げて行ったようである。本当に無事で良かった。心に傷を負わなければ良いが、と思いつつ二見行きのバス停に歩きかけると、先ほどの女性が警官を連れて戻ってきた。


「このおじさんに助けられました。」

「本当に有り難うございました。お名前をお聞かせください。」

「神定と言います。」

「当たり前のことをしただけですから、そんなに大げさにしないでください。」「あっ、そうだ。お巡りさん。」

「奴らは、二度と悪いことはしないと約束してくれましたよ。」

「何の被害もなくて良かった。相手は子供だ。」

「あなたも被害届は出しませんよね。」

「はい。」

「分かりました。」

「何の被害もなかったということで、ここは穏便に取りはからいましょう。」

「でも、今後は気を付けてくださいね。」

「ところで念のため、お二人の住所、氏名を教えてください。」


巡査長らしき人が聞いてきた。

困った。既に死んでいる人間に、住所も氏名もないもんだ。

私は、佐藤京子です。住所は・・・です。

次は、あなたですが。と聞いてきた。


ジタバタしても、しょうがない。ここは潔く旅行者を装って。


「名前は、神定 人。」

「神が定めし人と書いてかみじょうじんと読みます。」

「住所は東京都江東区・・・。二泊三日で伊勢見物に来ています。」

「今は、二見のホテルに泊まっています。」

「何かありましたらホテルに連絡ください。明日までいますから。」

「但し、日中は伊勢志摩を見物していますのでホテルにはいませんが。」


「変わった名前ですね。」と言いながら何の疑いもなく、すらすらと手帳に書き込み終えると。


「今日は本当に良かった。

「二人とも何の被害もなく無事で。」

「それでは、佐藤さん。気をつけてお帰りください。」

「神定さんは、良い旅を楽しんでください。」

「分かりました。それでは、さよなら。」

「ちょっと、待ってください。」

「何のお礼もしないで、お帰しするわけにはいきません。」

「家が近くですので寄って行ってください。母も喜びます。」

「いや、お断りします。お気持ちだけいただきますから。」

「これから伊勢参りもして志摩の方にも行きたいので、申し訳ありませんが勘弁してください。」

「分かりました。無理に引き留めはしません。」

「それでは、さよなら。」


あー、良かった。一時はどうなるかと思った。この後、何もなければ私の身元調査もなくこの件は終わるだろうし、私が既に存在していないと判明しても、単なる嘘で事件性がないことから追跡調査もしないだろう。

だけどこれからは気を付けないと、あまり目立たないようにしなくては、特に警察がらみにならないようにしないと後が面倒なことになる。

再びバスに乗り、二見バスターミナルで降りた。

今後のことを話すため、クウにホテルまで来るように念じた。


「クウ、随分時間が掛かったね。大分待ったよ。」

「ジン、申し訳ありません。」

「この体格と今までの運動不足がたたって、歩くのも一苦労です。」

「そうか。それでは仕方がないね。」


精神はクウだけど、体はミコだ。こうして話していても、やっぱり不思議な感じだ。何か照れくさいというか、今まで娘と面と向かって話したことがないから戸惑いを禁じ得ない。


「分かります。割り切る方が難しいと思います。そのうち慣れますよ。」

「話は変わるけど、これロト6の申込みカード。クウが持っていてくれ。」

「もし、じゃなくて絶対に当たるくじだから。」

「あさって抽選結果が出る。」

「最大二億円が当たる。そうなれば、じゃなくてそうなるから、今後のことを計画しないとね。」

「ジンは、これからどうしようと考えていますか。」

「まず、当選金を宝くじの受託銀行に預ける。」

「そのために当選券を換金するときに、口座を開設しなくてはならない。」

「私の身分では、口座を作れない。何せ既に死んでいる存在だから。」

「そこで、クウ、つまり、ミコに口座を作って貰うわけだ。」

「それから、ミコ名義でアパートを借りる。」

「車も買わなくてはならない。二億円あれば、私が死ぬまでどころか、ミコが七十歳になるまで生活できるだろう。」

「ミコの国民年金も口座からの引き落としにしておけば、六十五歳からは年金も入るし、私も働かずに任務に邁進できる。」

「まさに、一石二鳥だ。」

「ジン、当たったらの話でしょう。」

「大丈夫、絶対に当たる。」

「ハモニーから授かった力を信じなさい。」

「これで生活基盤は確保できたが、一つ問題がある。」

「それは何ですか。」

「ミコのことだよ。」

「今まで引きこもっていたミコが、くじに当たったからといって、突然アパートを借りて自立したら家族は変に思うだろう。」

「あり得ないことだ。」

「そのことは、大丈夫だと思います。」

「ミコさんはこの六年間、完全に引きこもっていたわけではありません。」

「時々は家のことをしたり、買い物に行くこともあったようです。」

「それに、何よりも母親が望むことは娘の自立です。」

「但し、本当は地道に働いて自活することを願っています。」

「この場合、親としては好ましいお金とは言えませんが、子供の行く末は安泰で安心すると思います。」

「しかし、クウ。」

「いきなり二億円近くを手にして経済的に問題ないからといって、妻が娘のアパート暮らしを直ぐに許すと思うかい。」

「それに引きこもっていた娘が急に自立すること事態、やはり、おかしい。」

「あり得ない。」

「それは、そうでしょう。やはり、時間が必要でしょう。」

「どれくらい。」

「それは、断言できません。」

「ミコのアパート暮らしが許可されるまで、私はどこでどうしていれば良いやら。」

「娘の紐になってホテル住まいを何日、いや何ヶ月しなくてはならないのか。」「いつまでもホテル住まいもできないし、クウがいなければハモニーの仕事もできない。」

「ハモニーの仕事は急ぎませんが、翔太のことは早急に対処しないといけません。」

「そうだよな。」

「それじゃ、クウは妻の説得を上手くやってくれ。」

「その間、私は翔太のことを調べておくから。」

「それと、このホテルは当初の計画どおり、明日チェックアウトして、もっと安いホテルに移ることにする。」

「二億円が入るといっても無駄遣いは禁物だ。」

「これから先、何が起こるか分からないしね。」

「じゃあ、金曜日の九時に伊勢市役所近くの銀行で。」

「その時は、印鑑と自動車免許証を忘れないようにね。」


私はクウと別れ、翔太のことを調べることにした。あれから六年どうしているかな。まずは、図書館で当時の新聞記事を当たってみることにした。

市立伊勢図書館、六年前の二〇〇四年八月二〇日、私が死んだ日が奇しくも誕生日とは、やはり、何かの因縁か。あった。これだ。随分小さい記事だな。写真すら載っていない。加害者が未成年だから掲載されないのは分かるけど、普通、被害者の写真は載るものだけどな。まあ、返って良かったかな。私が死人だと知っている者が、ごく一部に限られているということだ。それに、六年も経っていれば関係者すら忘れているだろう。

私を襲った連中は、暴走族仲間で三人、皆、歳は一九歳。少年院送致になっている。翔太のことが書いてない。何でだろう。ハモニーは、あの場で死ぬのは翔太だと言っていたのに。翔太のことが何も書いてないのは変だな。他社の記事にも書いてない。仕方ない。翔太の家に行ってみよう。


ここだ。鈴木クリニック。建て替えたのかな。前より大きな医院になっている。流石に、夫婦しての医者は儲かるみたいだ。

間違いない。あれから六年、翔太も二五歳、ミコと同い年だ。何かここにも因縁を感じるな。考え過ぎだろうか。それにしても、道端に突っ立っているわけにもいかないし、こんなご時世だから長くいれば怪しまれる。今日の所は、場所の再確認ということで、一旦ホテルに帰ることにしよう。バス停に向かい歩き出すと、勝手口と覚しき出入り口から一人の男性が出てきた。最初は、その男が翔太だとは気が付かなかった。何せ、茶髪に鼻輪じゃなくて、ピアス、ずり下げズボン、ちゃらちゃらしたTシャツ。そんな出で立ちとは、真っ向から対立するリクルートスーツ風の爽やかな格好である。髪はさっぱりとした短髪、ネクタイこそはしていなかったが、白のワイシャツに濃紺のブレザー、同系色のズボン。よく見ると、やっぱり、二五歳、現在の翔太だ。六年前とは偉い違いだ。想像も付かない。時の流れか。今は、更生したのだろうか。次の瞬間、拙いと思ったが身を隠すところもなく既に目も合ってしまった。ところが、翔太も私のことを忘れているのか、表情一つ変えず何の躊躇いもなしに、その場を去って行った。

良かった。完全に私のことを忘れているようだ。そりゃ、そうだよな。来訪時に一回あったきりだし、宮川大橋での事件で二回目だ。顔を覚える暇もなかったと思う。忘れたというより、憶えていないといった方が正しいだろう。

彼は、ハモニーが言っていたような犯罪者には見えない。

さっきの様子から察するに、既に更生していると思う。そうだとすると、翔太の犯罪による犠牲者を助けるという一つの仕事はなくなったことになる。後は、調和と秩序の是正という仕事だけに専念すれば良いということだ。

この事をホテルに帰ってクウに伝えよう。既に分かっているだろうけど、ちゃんと言葉で伝えたい。と思いつつバスに乗ろうと待っていると、クウからの精神感応を受けた。母親にうつ状態が直りつつあるという印象を与えるために、久し振りに買い物を請け負ったのだが、そのことが仇となり数人の若者に拉致されてしまったとのことである。


「クウ、どういうことだい。」

「私にも分かりません。」

「買い物が終わりショッピングセンターを出たところで拉致され、今は目隠しをされた状態で彼らの車の中にいます。」

「見た目は暴走族風です。」

「心当たりはある。」

「おそらく、昨日、私を襲った奴らだ。」

「今日も彼らの恐喝を邪魔したから、その腹いせだろう。」

「しかし、彼らにどうして私とクウ、この場合は、ミコとの関係が分かったのだろう。」

「不思議ですね。」

「その詮索は後にして、何処に向かっているか分かるかい。」

「いいえ、分かりません。」

「目隠しをされているので、何処へ向かっているのか検討も付きません。」

「それじゃ、彼らの車の特徴やナンバーは分かるかい。」

「はい、それは分かります。」

「目隠しは車に押し込まれてからされたので、乗せられる前にしっかり確認しました。」

「黒のクラウンでしゃこたん、ナンバーは三重33ほの・・・・です。」

「分かった。」

「でも、私一人の力ではどうにもならない。」

「警察に誘拐だと通報しても、こっちの素性を明かさずに匿名では受け合って貰えない。」

「例え、取り合ってくれても警察では間に合わない。」

「どうすれば良いんだ。ミコが危ない。」

「ジン、力を使ってください。」

「この場合は、私利私欲ではないし、人の命が関わっています。」

「人の命と言ったって、私の最愛の娘だ。何かあったらどうすれば良いんだ。」

「私の所為だ。」

「あんなチンピラと関わらなければ、こんなことにはならなかった。」

「ジン、今はそんなことを言っている暇はありません。」

「私は単なる意識体で、ジンのような力はありません。」

「早く助けてください。」

「私は死ぬことはありませんが、ミコは、生身の人間です。」

「私に助けることはできません。」

「どうすれば。」

「神様、ミコを助けてください。」と祈ることしか思いつかなかった。

すると、一羽のカラスが私の足下に飛来し、私の方を見つめ

「私たちを使ってください。協力します。」

「えっ、何か言った。カラスが言葉を喋る。」


喋ったのではなく、直接頭に流れ込んできた。テレパシー。昨日試したときは使えなかったのに。


「これも、あなたが授かった力の一部です。私たちに協力させてください。」

「分かった。お願いしたい。」

「車を探して欲しい。黒のクラウン、ナンバーは、・・・」

「分かりました。」

「クラウンとかの特徴は分かりませんが、色とナンバーさえ分かれば、追跡可能です。」

「それと、拉致された場所は御園スーパー。」

「まだ、五分も経っていない。国道二三号線を走っていると思う。」

「この道路を重点にお願いする。」

「分かりました。付近の鳥にも依頼して探します。」

「クウ、乗ってきた車は何処に駐車した。」

「南側出入り口に近い駐車場に駐めました。」

「ジンが通勤に使っていたパールホワイトの車です。」

「分かった。」

「その車を使って追跡したいけど、当然鍵は君が持っているよね。」

「無理やり鍵を壊せば警報装置が作動して、たちまち車泥棒になっちゃうし、どうすれば良いやらだ。」

「ジン、念じてください。鍵が手元に来るように。」

「そして、スーパーの駐車場に瞬間移動してください。」

「そんなことができるのかい。」

「できると思います。」

「これは私利私欲ではなく人を助けるためですから。」

「分かった。」


生前通勤に愛用していた車の鍵をイメージして、私の手元に来いと念じてみた。すると、鍵はクウのポケットから私の手中に、そして、私は車のある場所に、人目がない場所でテレポートした。


「素晴らしい。一瞬何でもできる全知全能の神様になった気分だ。」


しかし、この力は、私利私欲には使えない。使えたら、全世界を統一し、国境や人種差別、貧富の差をなくし、全人類が皆幸せに暮らせる社会を作りたいと思う。地球は一つ。だが、この力は、そのために授かったわけではなさそうである。調和と秩序を是正するための力なのだ。

この車だ。早速、鍵を開けエンジンを掛けようとしたとき、タイミング良く先ほどのカラスから、今度は言葉ではなく頭の中に直接映像が送られてきた。まさしく黒のクラウン、車体番号も合っている。周囲の景色から、どうやら、私が六年前に襲われた場所、宮川大橋のたもとに違いない。数台のバイクもある。暴走族のようだ。なんでミコが暴走族に誘拐されたのだろう。我が家は金持ちでもないし、ロト六が当たるのはあさってのことだ。奴らに未来が分かるわけもない。、身代金目当てにしてはおかど違いだ。それに暴走族が誘拐を企むのもおかしい。何のために、ミコを拉致したのか見当も付かない。そうこう考えを巡らしているうちに、宮川河川敷の駐車場に着いた。カラスたちにお礼を言いつつ、六年前のことが脳裏に浮かんだ。しかし、今度は何の躊躇いもなく車を降り彼らに近づいた。


「おーい、お前たち。その娘をどうするつもりだ。」


車の三人、バイクに乗ってきたと覚しき三人が、こちらを振り返った。

その中には、昨日、今日と見覚えのある二人もいた。

その二人のうちの短気な方が、開口一番。


「爺をおびき出すためさ。」

「それにしても、こんなに早く来るとは思ってもいなかったがな。」

「何でここが分かったのか知らねえが、そんなことはどうでも良いや。」

「呼び出す手間がはぶけた。」

「私にお返しするのに、その娘は関係ないだろう。」

「それに、何のゆかりもない娘をなぜ拉致した。」

「そんなの知らねえ。」

「お前たちは、私の居場所も知らないし連絡手段もないのに、どうやって私を呼び出すつもりだったのかね。」

「それも知らねえ。」

「俺たちは、リーダーの命令に従ったまでさ。」

「ほう、誰がリーダーかね。」

「ここには、いねえよ。」

「あんたみたいな爺を叩きのめすのに、わざわざ俺たちのリーダーが出張ることもないさ。」

「爺、覚悟しな。この前のようにはいかないぜ。」

「お前たちみたいなのが何人こようと私には勝てんよ。」

「その娘を解放して立ち去りなさい。」

「うるせえ。」

「これだけの人数だ。負けるわけがねえ。」

「よーし、やっちまえ。袋叩きにしてやる。」


彼らは、それぞれに奇声を上げてこん棒ではなく鉄パイプを振りかざして迫ってきた。

私は、たじろぎもせず彼らが襲ってくるのを待った。どうせ奴らは、と思っていると。

「だめです。」

「鉄パイプで殴られては、死んでしまいます。」

「私は、大丈夫だよ。」

「違いますよ。彼らが死んでしまいます。」

「ジンへのダメージが、そのまま彼らに跳ね返ります。」

彼らは、常軌を逸して加減を知りません。」

「本気でジンを殺すつもりです。」

「ジンが直接手を下すわけではありませんが、人が死ぬことには変わりありません。」

「ジンは、若者たちが死ぬことを良しとしますか。」

「良しとはしないが、どうすれば良いのか分からない。」

「徹底的に彼らの攻撃をかわしてください。彼らが疲れ切るまで。」

「分かった。」

「でも、彼らが疲れるまで攻撃をかわしきれるかどうか心配だ。」

「それは、大丈夫です。」

「ジンは、並みの人間ではありません。」

「スロットマシンで鍛えた動体視力と疲れを知らない体力を持っています。」

「スロットマシンで鍛えたとは嫌みだな。」

「でも、やってみるよ。一撃も浴びずに避けまくってみせるよ。」

「私は、高みの見物と洒落込みます。」

「何せ、か弱い女性ですから、後は、よろしくお願いします。」

「良い気なもんだ。」


最初の一撃が、もう寸前のところまで迫っていた。しかしながら、彼らの動きはスローモーションのように見え、難なく避けることができた。後は、同じことの繰り返しで、十分も経たないうちに彼らの体力は尽きた。


「くそっ、爺。」

「なんて素早いんだ。」

「ひとっつも当たらねえ。」

「何でだ。訳が分かんねえ。」

「お前ら。もう疲れたか。」

「その娘を置いて帰るが良いぞ。」

「私は、君たちとは鍛え方が違う。」

「何度やっても結果は同じことだ。私には勝てん。」

「くそ、今度は、車で轢いてやる。」


彼らは、ますます怒りを露わにして三人は車に乗り、三人はそれぞれのバイクにまたがって交互に私目がけて突っ込んできた。同様に避けることができるが、これでは埒が明かん。ガソリンが切れるまで付き合ってもいられない。


「クウ、彼らの車に急ブレーキを掛けるから、吹っ飛ばないように踏ん張っててくれ。」

「分かりました。いつでも良いですよ。」


急ブレーキと大声で叫んだ。できるかどうか半信半疑であったが、やってみると言葉どおり彼らの車とバイクは全車急停止して乗っていた者は、皆投げ出され気を失ってしまったようだ。

私は、クウが乗っている車に近づきシートベルトをちゃんとしていれば、こんなことにならなかったのに、と呟きながらクウを解放した。


「ジン、あんな大きい声を出さなくても。心で念ずれば良いだけなのに。」

「何か声を出した方が、それらしいと思って、つい。」

「だけど、彼らが気が付いたとき、この現象をどう思うでしょうか。」

「大丈夫。」

「こんなことを人に話せばキチガイ扱いされるし、たった一人の爺さんに負けたなんて彼らは口が裂けても言わないよ。」

「さてと、彼らを起こすか。その前にここに集めて説教でもしよう。」


今度は、声を出さずに念ずることにした。すると、てんでバラバラになって気を失っていた彼らが、私の目の前に瞬間移動してきた。

「よし、皆、目を覚ましなさい。」と念じると、彼らは狐につままれたような、狸にばかされたような、素っ頓狂な顔で私を見つめた。

一人が、「くそ爺」と言いかけて口をつぐんだ。訳が分からず、頭が混乱しているようだ。


「お前たち、どうだ。」

「これに懲りて、もう悪いことはするな。」

気を取り直した一人が、「うるせえ。どうにでもしろ。」

「しかし、どうなってんだ。」

「そんなことは、どうでも良いだろう。」

「このまま警察に渡しても良いが、今度ばかりは未成年とはいえ許してはくれないだろう。」

「しかし、その若さで犯罪者のレッテルを貼られたら、これからの君たちの人生は台なしになる。」

「夢も希望もない惨めな人生を、死ぬまで送ることになる。」

「それに、家族も悲しいことになる。」

「そんなの関係ねえ。」

「夢も希望もねえし、家族なんか知ったこっちゃねえ。」

「今日さえ楽しければ、それで良いんだよ。」

「悲しいことだ。こんな生活を続ければ、君たちの将来は真っ暗だ。」

「君たちの行く末は社会の厄介者になり、果てはヤクザか半グレか。」

「犯罪者となって刑務所を出たり入ったりして、地獄のような一生を送る羽目になる。」

「今は、若気の至りで済まされるが、歳を取るにつれて後悔ばかりの人生になる。」

「立ち直りたいなら、この今しかない。」

「ジン、ちょっと良いですか。」

「クウ、何だい。」

「ちょっと、こちらで話があります。」

「分かった。」

「彼らは、負のエネルギーに侵されています。」

「つまり、人間界で言う霊に取り憑かれているということです。」

「分かった。それじゃ、クウを介して霊魂と話してみよう。」

「それでは、彼らに付いている霊体を呼び出します。」

「どうやら霊体は三人です。」

「皆、暴走して交通事故死した者たちです。」

「自分たちが死んだことを知らないで、この世に留まり負のエネルギーと化しています。」

「彼らは夢や希望、信念を持っていませんので、簡単に取り憑かれてしまったのでしょう。」

「それじゃ、死んでいることを悟らせれば、ハモニーのところに行ってくれるわけだな。」

「そのとおりです。」

「では、話してみるよ。」

「君たちは、既に死んでいるんだよ。」とバイクに乗ってきた三人を見ながら言ってみた。

「ジン、そっちではなく。」

「ミコを誘拐した三人の方です。」

「クウ、相手が見えないのでは、話にならない。」

「何とかならんかね。」

「この三人を使って話しましょう。」

「彼らの意識化に隠れて正体を現しませんが、私の力で本人たちの意識を乖離します。」

「後は、霊のみになりますので直接話せます。」

「分かった。やってくれ。」


クウは、目を閉じ瞑想に入ったかのように、その場に立ちつくしていた。


「ジン、話してみてください。」

「君たちは、既に死んでるんだよ。分かるかい。」

「嘘だろ、おっさん。」と昨日一番に、私に殴りかかってきた奴が答えた。

爺から、おっさんになった。

「嘘ではない。周りを見てみなさい。景色が違うだろう。」

「確かに違う。俺は、土曜日の夜中に仲間とバイクを転がしていた。」

「それからのことが思い出せない。」

「なんでここにいるんだ。」

「今日は、平成二十二年二月二十三日の火曜日だ。」

「君たちは、いつ死んだんだ。」

「本当か。俺が暴走した日は、クリスマスの日だ。本当に死んでるのか。」

「そうだ、死んでいる。」

「お前が取り憑いている男の腕時計の日付を見てみなさい。」

「本当だ。二月二十三日になっている。」

「待てよ。おっさん、かついでないかい。」

「俺を騙して笑い者にしようとしてるんだろう。」

「違う。そんなことしたって、何の得にもならん。」

「もっと、はっきりとした証拠を見せてやるよ。」

「クウ、手鏡を持ってるだろう。貸してくれないかい。」


クウから借りた鏡を彼に渡し、自分を映してみるように言った。


「えーっ、誰だ。」

「こりゃあ、俺じゃねえ。」

「そのとおり。今映っているのは、霊になった君が乗り移っている体だ。」

「君の肉体は既に荼毘に付されて埋葬されているよ。」

「納得したら、彼から離れて天国に行きなさい。」

「俺が二ヶ月前に死んでしまったのは受け入れられないが、事実は曲げられない。」

「しかし、俺は悪霊ではないし、こいつに取り憑いて呪い殺したいとも思っていない。」

「第一、人に乗り移って悪さをしようなんて思ったこともない。」

「それじゃ、成仏してくれるかね。」

「このまま、この世に居すわれば、その内悪霊になってしまい生まれ変わることができなくなる。」

「そうなることは、君らも望まないだろう。」

「分かったけど、どうすれば成仏できるのか。」

「それは簡単だ。」

「死んだことを認めれば良いだけさ。心でそう思えば成仏できる。」

「それだけ。」

「そう、それだけ。隣の二人も一緒に。」

「ジン、三人とも旅立ちました。」

「良かった。また、ひとつ任務達成だ。」

「しかし、天国に召されるときは、空からひと筋の光が差し何か穏やかな気分になって、その光に導かれるというシーンを想像していたけど。」

「何の兆候も何事も起こらないなんて拍子抜けだな。」

「ジン、それは映画のシーンでのことで、実際には何の変化もありません。」

「それに、負のエネルギーになっても悪霊になるわけではありません。」

「先ほど、彼も言っていましたが未練や恨み、その他、様々な理由で自分の死を受け入れられない霊が負のエネルギーとなって、この世に留まるだけです。」「悪霊になったり人に取り憑いたり呪い殺すようなことはできません。」

「それに、物語みたいに、霊が動き回ったり、物を動かしたりすることもできません。」

「霊は、この世に残る限り、死んだ場所から動くことはできないのです。」

「それじゃ、良くテレビでやっていた霊現象や悪霊払いは皆嘘なのかな。」

「あながち、全部が全部嘘とは言い切れません。」

「霊魂たるエネルギーを感知し、映像化できる人もいます。」

「私のように。」

「しかし、クウ。君は特別だろう。ハモニーもだ。」

「普通の人間に、君たちのような能力を持っている者がいるわけがない。」

「いるとすれば、私は必要ないはずだ。」

「そのとおりですが、我々のような能力を持っている者は確かにいません。」

「但し、限定的な能力を一時期だけ発揮する者が極まれに現れます。」

「現れる確率はそれこそ天文学的数字です。」

「それじゃ、霊媒師とか悪霊払いとかできる人はいるということだ。」

「はい。」

「但し、先ほども言いましたが、霊、つまりエネルギー自体に悪意はありません。」

「純粋エネルギーですから、人に取り憑いて悪いことをする力は持っていません。」

「じゃ、さっき彼らに取り憑いていた霊は。」

「取り憑いたのではなく、彼らが取り込んでしまったという方が正しいのです。」「夢や希望、生き甲斐、自立心、生きている目的、この世の居場所を失って同じ暴走行為をしている者が、たまたま、この世に留まっている霊の近くを通り、取り込んでしまったのです。」

「ですから、取り憑いたのは霊の意志ではありません。」

「また、霊が人に取り込まれてしまうには、様々な条件が揃わないと起こりません。」

「この条件が揃う確率も極まれです。」

「そうすると、悪霊はいないと言うことになるわけだが。」

「テレビでは災いを悪霊の所為にして払っている場面を映すだろう。」

「あれは皆、嘘になるわけだ。迫真の演技ということか。」

「実際に、彼らみたいに負のエネルギーを取り込んでしまった者から、強制的に霊を払うことはできません。」

「ジンのように話をして納得させないとだめです。」

「しかし、霊を感じる力を持っていても話をできる人はいません。」

「テレビの場面は演技性が高いのですが、霊媒師を含めた集団催眠の状態になっていることもあります。」

「嘘だと一蹴するわけにもいきません。」

「精神的には効果がありますから。」

「それに、負のエネルギーですから、この霊を取り込んだ人は、元々、負の考えや意志を持っていますので、ますます、負の思考になっていきます。」

「災いは霊の所為ではなく、元々本人の負の思考がもたらしたものです。」

「やり方はどうあれ、この負の思考を取り去れば霊自体は、その人から弾き出され、その場に留まります。」

「しかし、私たちからすれば本当の解決にはなりません。」

「どういうことだい。」

「ジンの任務は、この正の世界から負のエネルギーとなっている霊を、ハモニーのところへ行かせることですから人に入った霊を追い出しても、やはり、この世に留まるかぎりハモニーのところへは行きません。」

「おじさん。俺たちを忘れてるよ。」


爺からおっさん、そして、おじさんに格上げになった。


「おっ、君たちのことをほったらかして済まない。」

「今まで見ていたとおりだ。」

「何が見ていたとおりだよ。何がどうしたのか。さっぱり分からない。」

「第一、おじさんとこの娘は無関係だって言ってたよね。」

「それに、霊とか言って誰と話していたのか。全く分からないことだらけだ。」

「上手く説明できないが、たまたま、娘を誘拐した君たち三人に去年亡くなった暴走族の霊が取り憑いていた。」

「それで、あの世の世界へ行くように説得していたのさ。」

「どうだ、何か心が軽くなったような気がしないか。」

「そういえば、何か気が晴れたような感じがする。」

「前より心が軽くなった。」

「おじさんに仕返ししようという気持ちもなくなった。何でだろう。」

「君たちは、負のエネルギーを取り込んでマイナスの考えが増幅されてしまった。」

「後先も考えられずに、復讐心や妬み恨みで心が一杯になり、私の娘を誘拐して仕返ししようとしたんだ。」

「しかし、相手が悪かった。いや、良かった。」

「もし、私たちでなければ、君たちは犯罪者になっている。」

「誘拐と殺人罪。少年院送りは間違いない。だから良かった。」

「何が良かっただよ。俺たちをどうするのさ。」

「どうしようもしない。ここであったことは、お互い水に流して忘れることだ。」「そして、いつもの生活に戻ればよい。」

「但し、もう悪いことはしないで真面目に生きていくことだな。」

「そうしないと、一回限りの人生が無駄になる。」

「世のため人のためもあるけど、まずは自分の人生を大切にすることだ。」

「暴力、嫉妬、恨み、自暴自棄、無気力、無関心、無責任、自己中心的思考といったマイナスイメージの言葉を心から追い出し、夢や希望、自立、生き甲斐、思いやりや優しさ、愛といったプラスをイメージする言葉に置き換えることだ。」「そう簡単なことではないが、できることから始めれば良い。」

「君たちも、今のままの生活で良いとは思っていないはずだ。」

「この機に生活を変えなさい。」

「そうしたいけど、どうすれば良いか分からない。」

「今までも考えてきたが、俺たちのような者を受け入れてくれるところがない。」「社会が悪い。社会から弾き出された俺たちには居場所がない。」

「そうやって、社会と家族や周囲の人の所為にして逃げる。」

「卑怯だ。」

「責任は全て他にあるといって自分を誤魔化す。」

「無責任で依存心丸出しだ。」

「言っておくが、社会から弾き出され居場所を失ったのは、全て君たち自身が悪い。」

「今の境遇を作ったのは全て君たち自身だ。自分から逃げ出したんだ。」

「帰るべき居場所はある。」

「家族が待つ家、仲間のいる仕事場。」

「じっくり考えてみれば、必ず居場所はある。」

「どうしても考えつかなければ、新たに作れば良い。」

「孤独はだめだ。また、負の思考に囚われる。」

「おじさんの話は、難しくて分からないけど、今までの生活を変えたいと思っていることは確かだし、これを機に生活態度を改めてみるよ。」

「そう思ってくれるだけでも、本当、君たちと話ができて良かった。」

「ところで、この子が私の娘と分かって誘拐したのかね。」

「いいや、知らずに誘拐したんだ。偶然じゃないかな。」

「それじゃ、私を誘い出して仕返しすることはできないよ。」

「もし、この子が私の娘ではなかったら、私を呼び出すことはできないからね。」

「そういわれても、あの時は、この子を誘拐することだけを考えて、後どうするかなんてことは何も考えていなかった。」

「今、思うと不思議だ。自分でも分からない。」

「何かに取り憑かれたような。操られていたような気がする。」

「そうか。自分でも分からないのか。」

「さっきは、リーダーの命令だと言っていたが、リーダーとは誰だ。」

「そんなこと言ったっけ。思い出せない。」

「まあ良い。それじゃ、これで、お別れだ。」

「これからの人生、大事に生きてくれ。縁があったら、また逢えるだろう。」

「それから、今日、ここでの出来事は人に言わない方がよい。」

「言えばキチガイ扱いされるし、自分で犯した罪を自白するようなものだ。」

「では、さよなら。」

「分かったよ、おじさん。じゃあ、さよなら。」


連中は、それぞれの車に分乗して帰っていった。


不思議だ。ただの暴走族が、誘拐までして仕返ししようなんてするだろうか。それに、クウが私の娘と知らずにだ。偶然にしては、何かでき過ぎている。後ろで糸を引いている者がいるのか。

「ジン、確かに変ですが、私にも分かりません。」

「答えが出ないことを、いくら考えても仕方がない。私らも帰るとするか。」

「ところで、クウ。私は免許を持っていない。」

「なんせ死んだ人間だ。」

「さっきは、咄嗟の出来事で無免許運転をしてしまったが、警察に捕まらなくて良かった。」

「もし、捕まっていたら、ややこしいことになってミコを助けられなかった。」

「分かりました。私が運転してホテルまで送ります。」


コンパクトカーの所為か、ミコが乗ると車体がグーっと沈んだ。助手席に乗った私がいても運転席の方が沈んでいる。


「クウ。ミコには申し訳ないが、その太った体を何とかしないと。」

「ダイエットして痩せるよう頑張ってくれないか。」

「分かりました。この体型では健康にも悪いし、第一不自由です。」

「思うように体が動きません。」

「健康と体力増進も兼ねてダイエットします。」

「でも、この体型のお陰で、彼らに強姦されなくて済みました。」

「反面、女性としてのプライドが傷ついたようです。」

「この出来事が、ミコのトラウマにならなければ良いと思いますが。」

「心を閉ざしていても、多少は精神的ダメージを受けていると思います。」

「私も心配だが、どうすれば良いか分からない。」

「時が解決してくれれば良いのだが。」

「しかし、ダイエットの件は、よろしく頼むよ。無理やりでも良いから。」

「話は変わるが、クウ。」

「今日みたいな事があっては、今後ミコに協力させるわけにはいかないな。」

「ミコに、もしもの事があってからでは遅すぎる。」

「今日は良かったがこれから先、守りきれないこともあると思う。」

「私は授かった力で守られているが、ミコは普通の人間だ。」

「クウ、ミコから離れて私に戻ってくれないか。」

「そのことについては、ミコ本人が拒否しています。」

「どういうことだい。」

「前にも言いましたが、この引きこもり状態を一番に直したいと思っているのは、ミコ本人です。」

「私という意識体を通して、今までの生活に変化がもたらされたわけですから、自力でできない分、この機会を絶対に逃したくないと言っています。」

「しかし、身の安全は保証できないし、クウに依存しての自立では真の自立にならない。」

「それに、これから先、もっと危険なことが起きるかも知れない。」

「そういうことを全て承知の上でと言っています。」

「もし、今ここで私が離れれば、ミコは、また、以前の引きこもり状態に戻ってしまいダイエットもできません。」

「ミコの立ち直りのためにも、このままの状態で協力させてあげてください。」

「これからは、私も十分に気を付けて危険な状態に陥らないように注意します。」

「分かった。ミコ本人の意志を尊重するよ。」

「但し、二度と危険な状態に陥らないように気をつけて欲しい。」

「もし、また、命に関わるようなことがあったら、その時は私の言うとおりにして貰いたい。約束だ。」

「分かりました。ミコも納得しています。」


ホテルに着くと、ちょうど五時を知らせるメロディーチャイムが鳴った。


「クウ、ありがとう。金曜日の九時過ぎに銀行で。」

「じゃ、また。」


ホテル一階の和食レストランで夕食を済ませ部屋に帰り、のんびりと晩酌(ばんしゃく)をしながら今日一日のことを考えてみた。

霊は純粋エネルギーで、そこには善も悪もない。それに霊には人に取り憑いたり呪い殺したりする力もない。ただ何かの事情があって死を受け入れられずに、この世に留まってマイナスエネルギーとなっているだけだ。その事情を取り除けば、あの世、つまり負の世界へ行ってくれる。マイナスエネルギーと化した霊の事情を取り除くことで、この世の不均衡、地獄化を防ぐことができる。だけど、マイナスエネルギー自体だけでは地獄にならないはずだ。そうか。元々悪いことをしようとしている人間が、極まれにマイナスエネルギーを取り込んでしまい凶悪犯罪を起こしてしまう。その犯罪の犠牲者が増加し、マイナスエネルギーとなってしまう。そして、このサイクルが悪循環となり、この世が地獄化するというわけか。元々は、マイナス思考の人間が悪いのであって霊の仕業ではない。霊自体もしたくもない悪事に荷担させられる犠牲者なのだ。そういう霊の犠牲者を増やさないこと。そして、宇宙の崩壊を防ぐことが私の仕事だ。

時間も遅くなった。今日は、これで寝るとしよう。私は誰に言うでもなく、お休みと呟いた。


今日も、また、冬型の気圧配置で風が強く寒い一日になる。とテレビの天気予報が告げていた。朝食を済ませホテルのロビーで新聞を読んでいると、伊勢新聞の三面記事欄に一昨日の入水自殺未遂の事件が小さく載っていた。記事によると助かったのは奇跡に近く、その主因は水の冷たさで仮死状態になっていたためではないかと書いてあった。本人のコメントとして仮死状態中に見知らぬ人と会い、その人に生き返らせて貰ったということが載っていた。これも、そういう特殊な状態下による彼の妄想であると、簡単に片付けられていた。それで良いんだ。私は縁の下の力持ちで人知れず、この世界の調和と秩序を回復していく仕事を果たさなくてはならない。死んだ人間が、公の場に出るわけにはいかない。寂しく悲しいが仕方がない。ひとりぼっちだ。いや違う。クウがいる。私は一人ではない。クウと二人で、ハモニーから託された調和と秩序の回復に全力を尽くさなくてはならない。それが私の存在価値と生きていく目標であり、唯一の居場所でもある。もし、この仕事がなかったら、生き甲斐もなく、張りのない余生を送るだけの老人になってしまう。最後は、人知れず孤独で寂しい死を迎え無縁仏として処理される。惨めで悲しい最後だ。


チェックアウトしてホテルを後にし、伊勢市駅の近くで安いホテルを探すことにした。JR二見浦駅から列車に乗り伊勢市駅で降りた。バスより安かった。

さてと、どうやって安いホテルを探すか。駅員に聞いてみた。宿泊のことなら、南口を出て右に行くと駅舎の隣に日本旅行の支店がありますから、そこで聞いてみてはどうですか。と教えてくれた。礼を言い、早速、行ってみることにした。そこで、参道沿いにあるビジネスホテルが、この辺りでは安い方であることを教えて貰い礼を言ってそのホテルに向かった。

伊勢市駅南口からまっすぐ伊勢神宮に向かう参道沿いに、二分ほど歩いた所にそのホテルはあった。まだ、午前中でもありチェックインはできない。

そこで、伊勢神宮へ行くことにした。何度行っても厳かな雰囲気は変わらない。

伊勢神宮には、天照大御神の皇大神宮(内宮)と豊受大御神の豊受大神宮(外宮)がある。その他、別宮、摂社、末社を含めると、実に百二十五社となる。

神社の正しい参拝方法は、まず鳥居の前で一礼して御神域に入る許しを請う。そして、参道の中央は神様の通り道であるため、中央は避けて左右どちらかの端を歩く。この際、道の右側を歩くときは右足から、左側を歩くときは左足から鳥居内に入ること。次に手水舎で手と口を清める。順番は左手、右手を清め、左手に水を取り、口をすすぐ。衛生上、絶対に柄杓には口をつけてはいけない。最後に柄杓を立てて残った水で柄を清める。神前に着いたら、賽銭箱に静かに浄財を入れる。決してお金を投げ入れない。鐘がある場合は鐘を鳴らし、二礼二拍手、手を合わせて神様に感謝の気持ちと氏名、住所を伝える。次に我欲的な願い事は避け、神様に誓いの言葉を述べる。最後に一礼する。神様に感謝をせずに、願い事だけを言っても叶わないということだ。また、片参りでも誓いや願い事は叶わない。外宮からの順に両方参拝しなければだめということだ。

古式に則り参拝を済ませて参道を帰りかけると、どこからか声が聞こえたような気がした。気を集中してみると、私を呼んでいるようだ。テレパシーだ。声の誘いに従い表参道を右に折れて、別宮に向かう参道に入った。勾玉池に流れ込む川に架かった橋を渡り、風宮、土宮、多賀宮に通じる広場に出た。冬場の平日早い時間とあってか、人っ子ひとりいない。

「神定人。私の声が聞こえる唯ひとりの人。」

「あなたは、誰ですか。」

「どうして私の名前を知っているのですか。」

「私は、あなたたちが敬う豊受大御神です。」

「しかし、私の本質は、私を敬う大勢の人たちの信仰心から生まれた精神エネルギーの集合体です。」

「あなたもその内のひとりです。」

「名前は先ほど私に参拝した時に、あなた自身が教えてくれました。」

「待ってください。」

「そうすると、あなたは、神様ということですね。」

「違います。あなたが考えているような全知全能の神ではありません。」

「あなたたちの幸せや健やかな人生、栄えが幾久しく続くようにとの願いから生じた精神エネルギーの集合体です。」

「しかし、物理的な影響力は持っていません。」

「人々の夢や希望、願いなどを叶える精神的な手助けをしています。」

「しかし、あくまでも叶うかどうかは本人の努力次第なのです。」

「そうすると、あなたは我々の信仰心から成り立っているわけで、死んだ人の霊ではないわけですね。」

「だから、私の得た力でこうして話ができるということですか。」

「うむ、分からない。」

「ところで、私に何か用があるのですか。」

「いいえ、ありません。」

「じゃあ、何で呼んだのですか。」

「人類が神の存在を意識して信仰心が芽生えて以来、何万年も私は絶え間なく呼び続けていました。」

「そして、ようやくあなたが私の呼びかけに答えてくれたのです。」

「私は人の夢や願いを聞く方で、私から願いや用を頼むことはありません。」

「ただ、話をしたかっただけです。」

「分かりました。」

「でも、テレパシーで話すのはピンと来ませんから実体化してください。」

「申し訳ありません。先ほども言いましたが、私にはそんな力はありません。」

「それでは、私の力で実体化できないか試してみます。」


すると、豊受大御神は、天女のような姿で実体化した。


「大御神は、天女だったのですね。」

「いいえ、私は、皆さんの信仰心から生まれた精神エネルギーの集合体で形はありません。」

「この姿は、あなたの想像から生まれた物のようです。」

「そうか。実体化させるとき子供の頃に見た日本神話の絵本にあった天照大御神の姿をイメージしたため、その姿になったわけだ。」

「美しい。まるで女神だ。この世のものではない。」

「当たり前です。私は、この世のものではありませんし、あなたのイメージから形作られていますので、当然、あなたの理想像として実体化しています。」

「そんなことは分かっています。」

「つい、口から出てしまった言葉ですから気にしないでください。」

「でも、これで話し易くなりました。」

「どうも頭の中での会話には慣れません。さて、どんな話をしますか。」

「私から一つ質問してよろしいでしょうか。」

「どうぞ。答えられるかどうかは、質問にも因りますが。」

「私は、時の移り変わりの中でこの国の信仰心がだんだん薄れていくのを感じています。」

「しかし、最近は上辺だけの信仰心ですが、神社を参拝する人々が増えています。」

「神を信じていないのに我欲的な願い事をするためだけに、以前より多くの人たちが訪れています。」

「なぜでしょう。」

「ふむ、難しい質問ですね。」

「大御神は、どう思いますか。」

「昔は、戦や天変地異があったときには、いつもより参拝者が増えました。」

「しかし、今はこの国には戦争も災害もありません。」

「それなのに参拝者が増えています。他に、考えられる原因は何でしょう。」

「確かに、この国では戦争も大きな災害も起こっていません。」

「強いて言えば、不況で社会が不安定ということが挙げられるかも知れません。」

「それは、どういう事ですか。」

「現代では高齢化が進み若者は、この不況下で就職ができない。」

「それどころか、中年層もリストラされて職を失っています。」

「なんと三百万人以上の人たちが仕事もなく生活に困っています。」

「そこに大きな原因があると思います。」

「リストラとは。」

「会社が一方的に社員を解雇することです。」

「年金暮らしの高齢者や失業者に必要最低限の生活を保障するために税金が必要です。」

「しかし、その税金を払うべき人たちがリストラや就職できないため税収が減ってきています。」

「不況だから会社も人を減らさざるを得ない。」

「仕事がないから金がない。」

「金がないから物が買えない。」

「物が売れないから会社も儲からない。」

「儲からないから社員を解雇する。」

「まさに、負の連鎖になっています。」

「これが大きな原因でしょう。」

「最後の神頼み、神様に頼るしかないのだと思います。」

「そうですか。しかし、神は人々の信仰心から生まれた精神エネルギーの集合体です。」

「人々の祈りや願い事に対し、精神的な拠り所にはなり得ますが、物理的には何の支援もできません。」

「あくまで願掛けをする人たち自身の努力が必要なのです。」

「そうですよね。」

「神様にお願いしたからと言って果報は寝て待っていても手に入りません。」

「神様に祈りお願いすることで、良し、頑張るぞ。と言う気持ちを奮い立たせ自分で努力して願いや希望を叶えるわけですから。」

「しかし、この問題は、個人の努力だけでは何ともならないと思います。」

「国や企業の政策が必要です。」

「例えば、企業が人件費減らしのリストラをせず、相互扶助の観点から資本金の投下や配当金の一時凍結。」

「そして、利益に見合った全社員の給料の減額で、この不況を一丸となって堪え忍ぶのです。」

「そうすれば、収入に応じた税金も取れるし物も買えます。」

「収入がゼロの人が増えれば増えるほど負の連鎖が増長し、いつまでも不況から脱し得ません。」

「おっと、人が来ます。話はこれぐらいにして、今日は、これで。」

「分かりました。今日は有り難うございました。」

「また、お話しできることを楽しみにしています。さよなら。」

「とは言っても、もう、ここに来ることはないと思いますのでこれが最後です。」

「大丈夫です。」

「神社、仏閣など人々の信仰心がある場所なら何処でも逢えます。」

「人々の信仰心は、宗派、場所を問わずエネルギー集合体として一つです。」

「また、お会いしましょう。」

「えっ、どういう事ですか。」

「人が来ますので、ここは、ひとまず、お別れです。」

「あっ、待ってください。」


大御神は、消えてしまった。変である。姿形を取るために私の力が必要だったのに、消えるときは自分の力で消えている。


「それも、あなたの力が成すものでしょう。」

「どうやら、あなたが存在する限り私の実体化は、私の意志で自由にできるようです。本当に素晴らしい力です。」

「どういたしまして。」

「私の力の一部なのに、私に支配されないということですね。」

「それじゃ、本当にこれで、」と頭の中で伝え外宮を後にした。


そうすると、ハモニーから授かった力を自由に使えたとしても、世界征服じゃなくて、世界を一つの宇宙船地球号にできないということだ。だから、負のエネルギーと化した霊を無理やり成仏させることもできないわけだ。納得。

人の信仰心があるところ、神格化した御霊、つまり精神エネルギーが存在するということか。それじゃ、内宮に行って天照大御神とも会ってみよう。片参りでは願掛けも叶わないし、生まれ変わって心機一転。ハモニーから請け負った仕事を頑張って成し遂げるという決意を、日本人の総氏神である天照御大御神にも誓わなくてはならない。両方お参りしないと願掛けが全うできない。

外宮の表参道に戻り、鳥居を出たところで振り返り、一礼して豊受大御神に別れを告げた。内宮行きのバス停は、御幸通りを挟んでちょうど真ん前に在った。内宮行きの次のバスは、毎時五分と二十分で一時間に二本ある。あと五分ほどで来るな。運賃は四百十円。小銭を準備してバスが来るのを待った。都会のバスは一路線一律料金前払いだけど、地方のバスは乗車時に整理券を取って、下車時に整理券の番号に応じた金額を払うシステムだ。所要時間は、約三十分である。水曜日の十時過ぎ。バスは空いていた。


宇治橋鳥居で一礼し、平成二十一年に架け替えられた宇治橋(長さ百一.八メートル)の右側を右足から一歩踏み出し渡った。玉石が敷き詰められた参道沿いに火除橋を渡り右側にある手水舎で手を清める。

第一鳥居を過ぎると右手に五十鈴川御手洗場がある。昔はここで心身共に清めた後、参拝したとのことである。第二鳥居をくぐり、風日祈宮へ通じる参道へと右に折れた。鎌倉時代に攻めてきた元寇に、神風を吹かせて日本を守ったとされる風の神である。ここは、元ヘリコプター乗りの私としては必ずお参りする神様である。


さてと、あまり人が来ないここなら大御神を呼び出しても大丈夫だ。

「天照大御神様」と念じた。すると目の前に大御神が、先ほどより優雅で荘厳な雰囲気を持って現れた。


「神定人ですね。」

「そうです。先ほど外宮でお会いしました。」

「でも、さすが格式が違うというか、豊受大御神より上ですね。」

「いいえ、人々の信仰心から生まれた神は全て一緒です。」

「神の身分に差はありません。」

「外宮でも言いましたが、ひとつの御霊、精神エネルギーの集合体です。」

「ですから、あなたの在所にある江神社の神も、皆同じです。」

「でも、豊受大御神様は、衣食住をはじめとする産業の神様。」

「天照大御神様は、皇室の御祖先であり日本人の総氏神様です。」

「やっぱり、日本の神々の一番上の神様だ。」

「威厳と言い風格と言い豊受大御神より上ですよ。」

「現に、実体化した容姿も格が違います。」

「それは、あなたの主観であり、あなたの想像した容姿として実体化しているからです。」

「あなたの神への差別が、そのまま私の容姿に反映されているのです。」

「そうですか。分かりました。」

「神様は、人の信仰心が神格化された精神エネルギー体ということですから、神々からすればひとつと言うことでしょう。」

「しかし、人たる我々から見れば、やはり、神様は一人ではありません。」

「例えば、七福神。願い事に因って、様々な神様がいます。」

「共通することは、全ての神様が人間の幸福のために存在しているということです。」

「これだけは、間違いありません。」

「そのとおりです。」

「しかし、過去を振り返ると、その信仰心を時の権力者や宗教家が我欲のために利用して人々を不幸のどん底に陥れています。」

「それは、例えば中世ヨーロッパに代表される十字軍や、日本であったオウム真理教の信者によるテロ行為のようなことを指しているのですか。」

「それもそうですが、他にも沢山あります。」

「私たち神は人の信仰心、言わば、善の心から生まれた精神エネルギー体で何の力もありません。」

「人の信仰心を悪用する人間は時代の権力者であったり、人の弱い心に巧みに付け入る才を持っていたりして人々を悪の道へと先導します。」

「しかし、悪用されている人たちは、それが正しいと信じ疑うことはしません。」「それが、本当の不幸です。」

「マインドコントロールされた人たちは、平気で人を殺し罪悪感もない。」

「神様は人の善の心から生まれますが、それを悪用する人間が悪魔となるわけですね。」

「そうです。」

「神はいますが、悪魔はいません。」

「悪魔は、悪い心に染まった人間自身そのものなのです。」

「本当ですか。」

「善の心で生まれた精神エネルギー体が神様なら、悪の心で生まれた精神エネルギー体が悪魔ということになりませんか。」

「その考えは、必然です。」

「しかし、善の心はひとつ人の幸せを願うことですが、悪の心は自己中心的な私利私欲で凝り固まっています。」

「決して一つの精神エネルギー体にはなり得ません。」

「つまり、精神エネルギー体として存在するには、人々の願う心が一つでなければ成り立ちません。」

「当然、我欲で悪い願いは一つの願いに成り得ませんから、精神エネルギー体として存在はできません。」

「例え存在したとしても私たち神と同様、何の力もありません。」

「善くも悪しきも、全て人間の仕業なのです。」

「幸も不幸も、全て人間の努力や考え方次第なのです。」

「貧しくても幸せな人もいれば、逆に富や権力を手にしても不幸な人がいます。」

「全ては、人となりの生き方、人としての生き方が大事なのです。」

「人は社会性の動物です。」

「元来、助け合って生きるようにできています。」

「近年、その本質を忘れ自己中心的な考えや行動、私利私欲に囚われ我欲のままに生きる人々が増えています。不幸なことです。」

「分かりました。」

「神様も悪魔も人に物理的な作用はしないし、できないということですね。」

「全ては、人間個人の問題ということですね。」

「でも、待ってください。」

「今、ここにいる私の存在は、どう説明したら良いのでしょう。」

「私は死んで、宇宙エネルギーの意識体であるハモニーに助けられ、地蔵尊であるクウの体を借りて蘇りました。」

「力を持った全知全能の神様がいるということです。」

「しかも、蘇った私にも、ある程度の力が使えます。」

「その力を使って、こうして天照大御神様を具現化し話もしています。」

「人々の願いや希望から想念として生まれた私と、ジンが会ったハモニーは出自が違います。」

「ハモニーは宇宙エネルギーの意識体ですから、人の想念から生まれたものではないと思います。」

「あなたたち人類が敬う真の神様かも知れません。」

「でも、ハモニーは、自分は神様ではないと言っていました。」

「調和と秩序を司る者と言っていました。」

「私たちが考える神様以上の存在かも知れません。」

「そうですね。ジンがハモニーから授かった力で任務を全うすることを願っています。」

「それは、逆です。」

「神様である大御神様に誓いをたて無事任務をこなしていけるようにと、お願いするのは私の方です。」

「それでは、本社へお参りに行きます。」

「外宮、内宮を参ってこそ願掛けの効果が出るわけですから、滞りなく済ませたいと思います。」

「今日は、有り難うございました。」

「こちらこそ。ジンのおかげでこうして再びお話ができたことに感謝します。」「また、いつでも会いに来てください。」

「人々の信仰が集まるところなら何処でも私と会えます。」

「それでは、今日のところは、これで、また、お別れです。」

「分かりました。それでは、さようなら。」


私は、内宮を後にして、ホテルへ向かうことにした。もう三時を過ぎているからチェックインできる。


抽 選 日


今日が、ロト6の抽選日だ。えーとっ、あれ新聞に載ってないな。ナンバーズ3と4は載っているのに、待てよ。今日が抽選と言うことは、新聞に載るのは明日の朝刊ということか。それに、今日とは言っても朝の八時過ぎじゃあ、抽選するには早すぎる時間帯だ。明日、金曜日の朝刊を楽しみに、今日一日をどうやって過ごそうか。そうだ。翔太のことをもう少し調べてみよう。

町の情報屋と言ったら、やはり床屋さんだな。鈴木クリニックの近くの床屋を探し、散髪して貰うことにした。

床屋の世界も安いチェーン店が進出し、個人営業の店は収入が減っている。何でも安くする価格競争の結果、個人店はどんどん倒産している。新道や高柳の通りは、文字どおりのシャッター商店街になっている。この現象は、日本中のどこでも同じだ。個人店は大型店舗を経営する大企業には勝てない。会社員はリストラで商売人は倒産で、生活できない人たちが急増している。そこに、少子高齢化が生活苦に拍車を掛ける。この現象は、日本一国のものではない。世界的な現象でもある。資本主義社会は、格差を生む。これは当たり前であるが、頑張れば誰でも金持ちになれるのが資本主義である。でも、富が一部の者に集中してしまった現社会では、裸一貫からのし上がることはできない。

どんな才能や手腕があっても、全て企業、つまり、財閥のものになってしまう。

個人で会社を建て、大企業の隙間的産業に活路を見出しても、儲かると分かった途端、大企業が安い価格で参入してくる。結局、中小企業は倒産してしまう。弱肉強食の世界。しかし、自然界の動物は弱肉を食べ尽くさないが、人間は食べ尽くしてしまう。そうなれば、強食者も生きていけなくなることを承知で。                       

人間は貪欲である。お金は、いくらあっても荷物にはならないと金持ちは言う。

しかし、墓場に持っていけない。多額の財産を子孫に残すことは、その子孫にとっては不幸である。お金の有り難さや人の思いが分からない。人間として不幸なことである。一国が発行する紙幣にしろ、貨幣にしろ、乱発はできない。その国の経済に見合った以上の金額を発行すれば、お金の価値が下がり国際的に信用をなくす。人が一人では生きていけないのと同様に、国も一国では、国際社会で存立できない。従って、限られた金銭が一部の資本家や会社の経営者に吸い上げられれば、多くの労働者には回ってこない。そして、労働者階級の革命によって、資本家は倒され社会主義となる。こうして、理想社会主義国家が生まれ、全世界が富を等しく分かち合い、貧富の差がなくなる。しかし、現実に存在する社会主義国家は、旧S国にしろ、C国にしろ、NK国しろ、全て一党独裁の権力を手中に収めた党員だけが、国民から富を搾取している。国民の不満を武力で鎮圧し、人としての最低限の自由も権利すらも認めていない。こうした理想的社会主義にはほど遠いこれらの国は、まず、旧S国が上からの改革で一部資本主義を取り入れR国となり、C国も共産党の一党独裁は変わらないが、経済的には国際社会に門戸を開いた。今なおNK国は、社会主義を隠れ蓑にしたK氏の私物的国家となっている。CもNKも近い将来、市民革命が起こり現政権は倒されるだろう。なぜなら、人の自由と権利を求める心は普遍的なもので、いつまでも武力と恐怖を持って押さえ続けることはできないからだ。それは、歴史が証明している。それを知っているからこそ現在の独裁国家の権力者たちは、ますます国民を武力と恐怖で押さえ付け、市民革命の芽を積むことに躍起になっている。しかし、人間の基本的人権や自由を求める心は、弾圧されればされるほど大きくなり、いつかは革命が起こり民主主義国家となる。資本主義が倒れ社会主義になるはずが、現実にはその逆になる。但し、現在の資本主義国家が、この貧富の格差を放置すれば、やはり市民革命が起こり富の再分配が起こるだろう。しかし、その時は、国としての機能がなくなり国際社会は混乱をきたし、第三次世界大戦が勃発するかも知れない。この事態を避けるためには、政府が上からの改革を実施して富の再配分を図る必要がある。つまり、金持ちから税金を多く取り、福祉を充実させることにある。貧困層の怒りが爆発した市民革命では、政治・経済が混乱して国際的に破綻し、他国に付け入る隙を与えてしまう。下からのハードランディングではなく、上からのソフトランディングが必要だろう。富裕層は反発するだろうが、そもそも、人間は社会性の動物であり、相互扶助が原点にある。それに、富裕層は、旺盛な購買意欲を保持した大勢の人々によって支えられている。その消費者層が生活に困窮して物が買えなくなれば、当然、富裕層も生きてはいけない。自然界では、強食動物は、弱肉動物を食べ尽くさない。

おーっと、床屋さんから、つい、話が大きくなった。

ここの床屋さんにしよう。翔太の病院にも近いし、何かの情報が得られるかも知れない。

髪切り虫。洒落た名前だ。しかし、お客さんがいない。ドアを開けると、白衣を着た初老のご主人であろう人が、待合い用のソファーに座って新聞を読んでいた。

「角刈りでお願いします。」と言いながら、ご主人が案内する散髪用の椅子に座った。

「お客さんは、初めてですね。この辺りでは、あまりお見かけしない人だ。」

「そうです。私は、二見の者です。」

「二見の人が、高柳界隈まで。」

「ええ、好意にしているマッサージ屋さんが、この近くにありまして。揉んで貰った帰り道に、おもしろい屋号に、つい、釣られて散髪しようと思いました。」

「そうですか。それでは、これを機にごひいきにしていただければと思います。」


実に丁寧な仕事をするご主人である。

早い、安い、下手くそなチェーン店とは、流石に違う。バリカンは、最後の生え際の仕上げに使っただけで全てハサミである。それに、初めて角刈りの頭になった。今までは、角刈りの角がなく、いつも丸刈りになっていた。丸い顔の私としては、角刈りにして少しでも四角い顔にして貰いたかった。この四十年余りで、初めて角刈りらしい頭になった。


「流石、ご主人は上手い。」

「若い理髪師にしてもらうと、いつもスポーツ刈りになってしまう。」

「今時は、髪を短くする人が少ないので腕が上達しないんですよ。」

「昔は大工さんとか、角刈りをする人が結構いて腕も上がったもんですがね。」

「そうですね。ビートルズのようなロングヘアーや、人気タレントの真似をした無造作ヘアーじゃ、節操がなくて腕も上がらないですよね。」

「あんな髪型じゃ、技術なんていらないですよね。」

「あれは、あれで、それなりの技術がいるんですが、一過性のもので流行は直ぐ過ぎてしまう。」

「上手になる暇がない。それに、昔ながらの職人気質もなくなり、まあ、こんなもんかで妥協してしまう人が増えました。」

「そうですね。アバウトな人間が増えましたからね。」

「世界の加工職人とまで言われた日本を支えた人たちは、皆引退して伝統は引き継がれなかった。」

「今じゃ、後進のKやC国に負けてしまっている感もありますね。」

「私の所にも、何人かは弟子入りしてきましたが、私らの時代と違って楽して技術を教えて貰おうとするばかりで、積極的に自ら学ぼうとはしない。」

「態度が悪いと指導すると、あー、面倒くさいと辞めていってしまう始末です。」

「このままじゃ、経済立国たる日本の行く末が心配になりますね。ご主人。」

「私にとっては、国の心配よりも、自分の先のことの方が心配ですよ。」

「そりゃ、そうだ。で、跡取りとなるお子さんは。」

「息子がいますが個人店の床屋じゃ、経済的に苦しくて将来性がないと職探しをしていましたが、こんな経済状況では就職口もなく、今は家でゴロゴロしていますよ。私の代で、この床屋も店じまいです。」

「困ったことですね。」

「私の娘も二十五歳になって就職もせず、嫁に行くでもなくニート状態です。」「自分の将来をどうしたいのか、夢もなく時間を浪費しています。」

「自分の人生どうするのかと聞くと、黙って自分の部屋に引きこもってしまう。」「親は、いつまでも生きていないのに親が死んだ後、どうやって生きていくのやら心配です。」

「娘が一生暮らせるお金もないですしね。」

「我が家も同じです。」

「今でさえ倒産寸前の床屋ですからね。」

「居候がいたんでは、店を閉める時期が早まります。」

「その点、この道の角にある大きな病院は安泰ですね。」

「あっ、あの鈴木医院。」

「今でこそ安泰だけど、昔は息子が荒れてね。」

「一時は、暴走族のリーダーになって、良く警察沙汰を起こしていましたよ。」「ところが、大分前になるが、えーと、六年くらい前かな。暴走族仲間と喧嘩して殺されそうになってから改心したのか。今じゃ、孝行息子だ。」

「医大も入り直して病院を継ぐみたいですよ。」

「我が家とは偉い違いだ。」

「あの時、あそこの息子は保護観察中で、保護司の先生が彼を助けようとして逆に殺されてしまった。」

「ドラ息子の身代わりに殺されたようで、ほんと気の毒だ。」

「その話、私も知っています。」

「殺された人は、保護司になったばかりの人でしょう。本当に、気の毒ですね。」「喧嘩相手の暴走族は、殺人罪で少年院送りになったようですが、病院の息子さんは、どうなったのですか。」

「殺された人の事は、よく分からないが、そこの息子は暴走族仲間の暴力の被害者ということで、罪には問われなかったようです。」

「まあ、殺された保護司さんが、殴られている間に逃げて助かった。というところでしょう。」

「その保護司さんに助けられたということで改心したわけですね。」

「ところが、そうでもない。」

「彼は、逃げて警察にも連絡せず、家に帰り何食わぬ顔でいたらしい。」

「翌日、河川敷で死んでいた保護司さんが発見され捜査をした結果、暴走族が捕まり事件の真相が分かったわけで、その間、病院の息子は警察に事情聴取されるまで、普段と変わらぬ生活をしていたそうですよ。」

「自分を助けてくれた人のことなんて、どうでも良いってことなんでしょうね。」「まるで他人事のように、感謝の気持ちもなかったらしいですよ。」

「保護司さんの家族の気持ちを思うと、何かやるせないですね。」

「でも、その事件が切っかけで病院の息子さんも改心し更正したようだから。」「その保護司さんの死も無駄じゃなかったわけだ。家族の人も含めて。」


実際、私は、そう思っている。私の死は、無駄ではなかったと。

散髪も終わり三千六百円の料金を払い、お礼を言って店を後にした。

千五百円底々のチェーン店とは違い実に高い。しかし、値段だけの価値はある。

翔太のことは、これで安心だ。私の出る幕もなく一件落着だ。これから先、全うに生きていくだろう。医者になったら経済的にも地位や名誉も手に入る。暴走族になったことは、一時の迷い若気の至りということで終わる。

私は、ホテルへの道すがら高柳商店街で昼食を取り、途中、月夜見宮に寄った。前にも何回か来たが、平日はいつも閑散としていて参拝する人に会ったことがない。街中にあって荘厳とした静けさを醸し出すお宮である。ところが、この日は初めて他の参拝者に会った。髪の長い女性、しかも一人である。容姿端麗、品格のある美しさを醸し出している。現代の小野小町か楊貴妃かといったところの絶世の美女である。若いが、今時のチャラチャラしたギャルとは雲泥の差がある。つい口をあんぐりと開けて見入ってしまった。一瞬目が合うか合わないうちに、私は目をそらした。見入ってしまったことを恥じたからである。彼女に失礼なことをしたと自責の念に囚われ、その場を足早に立ち去ろうとした。その時。


「ジン。私に参拝してくださらないのですか。」

「えっ、」と言葉に詰まった。

「何で私の名前を知っているのですか。あなたは、誰ですか。」


こんな若い娘さんに、知り合いはいない。しかも、この世の美しさではない。


「むっ、この世・・・、待ってください。」

「もしかしたら、まさか。」

「そのまさかです。」

「ここでは、月夜見の神です。天照大御神でもあり、豊受大御神でもあります。」

「しかし、その格好は、どういう事ですか。」

「それに私は、呼び出していません。」

「この格好は、現代に合わせました。」

「流石に、脚が見えてしまうスカートには抵抗感があって躊躇しましたが、ジーンズならOKですわ。」

「良くお似合いです。清潔感にあふれていて美しい。」

「そんな事じゃなくて、何で呼びもしていないのに現れて、天女の格好をしていないのですか。」

「それが、ジンの力で実体化したときは、ジンの考えが反映されましたが、今日は、私の意志で決めることができました。」

「元々は、人々の精神エネルギーの意識集合体ですから、自由な意志を持っています。」

「ジンのお陰ではありますが、だからといって、ジンの思うとおりというわけではないようです。」

「あくまでも、一個人として自由です。」

「違いますよ。一個人ではなく、一神様の間違いでしょう。」

「あなたは、我々の神様ですから。」

「それにしても、目を見張る美しさ。目立ち過ぎます。」

「普通の格好をしていても、神様の品格を隠し得ない。」

「今日は、もうホテルに帰りますのでここでお別れします。それでは。」

「待ってください。私をここに置き去りにしていくのですか。」

「ここは、神様のお社でしょう。」

「また、エネルギー化すればよろしいのでは。」

「はい。」

「でも、人々の暮らしを実際に、この目で見て体験したいのです。」

「無理でしょうか。」

「そんなこと言われても。神様は、神社の境内から出られないでしょう。」

「ジンと一緒なら出られるかも知れません。」


さて、どうしたものか。神様にお願いされるとは、本末転倒だ。断ったら罰が当たるかも知れない。


「仕方ない。神様、私と一緒に来てください。」

「仕方ないとは、どういうことですか。」

「済みません。つい、口から。」

「私が、迷惑ということですか。」

「そんなことは、決してありません。」

「私にとっては、光栄の至りです。」

「ただ、この世に存在しない者同士が、これから先、どうしたものかと。」

「それに、こんなおっさんが美しすぎる神様と一緒にいること自体が、周りから変に見られる。」

「しかし、他の人は、私が実体化した神とは知りません。」

「いや、分かる人は、分かると思いますよ。」

「それに、この世の美しさではないし、神様に見つめられるだけで、心が光に満たされ優しい気持ちになる。」

「でも、私を神様と思っても、口に出す人はいないと思います。」

「本当に神様がいるとも思っていません。」

「それに、神様が本当に存在していると言う人は、精神が病んでいると思われてしまいますから、決して口には出さないでしょう。」

「もちろん、聖職者は除きます。」

「分かりました。」

「でも、境内を出て実体化が解けたら、その時は諦めてください。」

「それでは、私が泊まっているホテルに行きましょう。」


二人は、鳥居の前で一旦立ち止まり、神様は消えませんようにと、私は実体化が消えて諦めて貰えるようにと、共に願いを込めて一歩踏み出した。


「ほら、消えませんでした。」

「神域の外でも私は実体化していられることが分かりました。」

「ジンの力は凄いですね。」

「違いますよ。神様ご本人の力です。」

「だって、私には実体化を消せない。」

「すなわち、私は最初の切っかけを作っただけで、後は神様自身の意志の力ということでしょう。」

「素晴らしいことです。」

「ところで、ジン。」

「私を敬うのは止めて、普通の一人の女性として扱ってください。」

「しかし、私にとって神様は、神様ですから。」

「神様と言えば、本当は、ジンの方が人々が考える神の力を持っています。」

「それに、普通に接してくれないと、ますます周りから変に思われます。」

「それでは、神様をできるだけ意識しないで、普通の人間として接することに努力します。」

「先ず初めに、神様に人間の名前を付けましょう。」

「天照大御神じゃ、そのまんまだし、そんな名前の人がいるわけもない。」

「どんな名前が良いですか。」

「私には、分かりません。ジンが付けてください。」

「年の差から言うと、恋人でも夫婦でもないし、やっぱり親子と言う関係が一番適しているな。」

「失礼ですが、神様を私の娘にしてもよろしいでしょうか。」

「構いませんわ。その代わり本当の娘ということで接してくださいね。」

「分かりました。努力します。」

「どんな名前が神様に相応しいか。神定・・・

「うむ、神様の神を逆さに呼んで、「みか」ではどうでしょう。」

「すてきな名前です。気に入りましたわ。」

「では、漢字が良いか、ひらがな、カタカナが良いか。」


私は、神定美香、神定みか、神定ミカ、等々とイメージしてみた。やはり、カタカナが良いな。漢字ばかりでは堅い感じがする。ひらがなよりカタカナの方が何だか現代的だな。


「それでは、神様。」

「あなたは、只今から私の娘で神定ミカと言うことで。」

「これからは、ミカと呼ばせていただきます。」

「分かりました。それでは、ご一緒に境内を出ましょう。」


神様は、まっこと楽しそうな笑顔を満面に浮かべて私の前を颯爽(さっそう)と歩き始めた。私は、この先どうなるのかという不安だらけの苦渋に満ちた複雑な思いの顔を満面に浮かべて神様、否、娘のミカの後に続いた。

二人は県道三十七号線を渡り、新道通りを伊勢市駅方面に向かって歩き始めた。


「ジン、戸を閉めているお店屋さんが多いですね。」

「あっ、神さっ、じゃなくて、ミカ。」

「私の事をジンと呼び捨てにするのは変です。」

「そうか、親子だから父上では。」

「あの、時代劇じゃあるまいし。」

「それでは、お父様、パパ。」

「神様に、お父様と様呼ばわりされるのも恐れ多いし、パパじゃ、それこそ、ミカのパトロンで、嫌らしい関係に見られてしまう。」

「お父さんでは。」

「はい、お父さん。」

「そっちの方が、親しみがあって良いと思います。」

「お父さんこそ、親子の話し方には、ほど遠いと思いますよ。」

「他人行儀で。」

「親子になったばかりだから仕方がないですよ。」

「その内に慣れます。」

「ところで、何で戸が閉まっているかというと、以前にも話しましたが、郊外型大規模店舗に客を取られて個人の商店は、ほとんど倒産の憂き目に会っています。」

「そして、これが所謂、シャッター商店街と言ってどこの町でも同様です。」

「親子の会話にしては、内容も言葉遣いも堅すぎますね。」

「あれ。ここは、個人店ではないのに、倒産していますわ。」

「ここは、元百貨店です。」

「見栄交通が経営していましたが、採算が取れないということで退陣しただけで、倒産したわけではありません。」

「同じように駅前にはショッピングスーパーもありましたが、百貨店同様に退陣しました。」

「伊勢市駅前は、寂れるばかりです。」

「駐車場が少ないのと有料だったため、客足が郊外型の方に向いてしまったのが原因だと思いますよ。」

「何せ駐車場は広いし、ただと来ている。」

「それに、安値競争も一つの原因だと思います。」

「お父さん。これが伊勢市駅ですね。」

「列車、バス。」

「人のイメージとしては知っていましたが、実際に自分の目で見るのは初めてです。心がときめきますわ。」


神様であるミカは、本当に大喜びしていた。その無邪気さが、一層彼女の美しさを極だたせていた。本人は気が付いていないだろうが、道すがら、すれ違う人たちが彼女を凝視していた。日本人は普通、じっと見つめることを躊躇う。それが年齢、性別を問わず、全ての人の目が釘付けになっていた。


お父さん。あの「和食」と書いてある看板は、何ですか。

「あれはレストランで、食事を取る所だよ。お腹空いてないかい。」


段々、親子らしい言葉遣いになってきたと思いながら聞いてみた。


「お腹が空くという感覚はありませんが、食べてみたい。」

「どんな味がするのか興味がありますわ。」

「それじゃ、食べに行こう。」


彼女は、行きなり赤信号を渡ろうとするので引き留めて。


「ミカ。信号を守らないと車に轢かれるよ。」

「お父さん。信号のことは、イメージでは分かっていたのですが、つい浮かれて規則のことを忘れていました。」

「気を付けないといけませんね。」

「そうだね。ミカは人々の信仰心から生まれた精神エネルギー体だから、人間社会のことをイメージとしては知っているだろうけど、実際の場面では子供同然ということだね。」

「これからは、ミカの行動にも気を配るよ。」


「二名で禁煙席をお願いします。」と告げ、ウェイトレスの案内に従い席に着いた。ちょうど、昼食と夕食の狭間で客は少なかった。私は、お腹が空いていなかったので、ビールと餃子、おつまみ牡蛎フライを頼むことにした。


「ミカは、何にする。」

「全部食べてみたいけど。」

「それは、無理。」

「どうして、私なら全部食べられますよ。」

「常識的に考えても、普通の人間が全メニューを、いっぺんに食べられるわけがないでしょう。」

「それに、お金の持ち合わせもないしね。」

「普通の女の子の様に、今日の所は一人前で我慢しなさい。」

「はい、お父さん。それじゃ、どれにしようかな。」

「多すぎて目移りしちゃう。」


何か本当の親子って感じになってきたな。と思いつつ。


「決めきれないかい。ミカは、何が好きかな。」

「何でも、嫌いな物はないから、何でも食べてみたい。」

「それじゃ、これなんかどうだい。」と、メニューの和風ステーキ和膳を指さした。「牛肉と刺身が一緒に食べられてお得だよ。」

「今日の所は、それで我慢するわ。」

「他の物は、これから先、いくらでも食べられるよ。」

「今日の所は、これを頼もう。」


早速、テーブルにあるボタンを押し、ウェイトレスを呼んで注文した。

流石に早い。注文して十分余りで出来上がりだ。電子レンジでチンだな。味は望めないけど、安くて早いがモットーだろう。ところが、食べてみると、餃子も牡蛎フライもカリッと揚げられていて、そこそこに美味しい。そりゃ、専門店のようにはいかないが、場末の専門店よりはましだ。


「ミカ、味はどうだい。」

「イメージじゃ、分からなかった本当のおいしさを実感できましたわ。」

「もっと他の物も早く食べてみたい。」

「まあ、ボチボチといきますか。」

「この店は、チェーン店だから大衆向けにできている。」

「その内、専門店に連れて行ってあげるよ。」

「もっと美味しい物が、沢山あるから期待しといてね。」


本当の娘、ミコともこんな風に食事ができたらと思いつつ、代金を払い店を後にした。


「ホテルは、このひとつ裏で外宮への参道通り沿いにあるビジネスホテルなんだ。」

「一緒に泊まるわけにいかないから、今日はここでお別れということで良いかな。」

「はい、お父さん。」

「今日はこれで、また、明日。」

「明日逢えるかどうかは別として、この道を行けば、外宮だから、さようなら。」


妙なことになった。私は、ホテルのベッドに横たわりながら今日の出来事を振り返った。翔太も今じゃ、改心して真面目に生きている。ハモニーから託された一つの仕事は、既に片付いたわけだ。翔太の件は、これで終わるが、神様の問題が一つ出てきた。今日の所は娘と言うことで納得して貰ったが、親子にしては全く似ていない。鳶が鷹を生んだようなものだ。それに、戸籍もない。この世に存在しない者同士。私は大衆の中にとけ込むことはできるが、彼女は美しすぎて目立ってしまう。人の中に隠れることができない。どうしたものか。大人しく神社の中だけにいてくれればよいが、そうはいくまい。彼女の好奇心は、まるで子供のようだ。飽くことを知らないだろう。だからといって、邪険にできない。私には実体化した責任がある。彼女の面倒を最後まで見る責任がある。いつの間にか私は神様を、一人の人間として彼女という呼び方をしていた。


「あーっ、どうしたら良いんだ。悩んでもしょうがない。風呂に入ろう。」


狭いバスタブにつかっていると、昼過ぎに飲んだビールの酔いからか湯船の中で寝てしまった。何やら柔らかい物が、私の体に覆い被さってきた様な感じを受け目が覚めた。ビックリ仰天だ。目の前に神様の顔が、しかも神様は素っ裸で宙に浮いていた。私は、驚いた拍子にしこたま風呂の湯を飲んで咳き込みながら、沢山の水しぶきとともに風呂の外に飛び出した。結果、トイレの床は水浸しとなった。


「神様。なっ、何でここに。」

「どうやってきたのですか。それに何で裸なのですか。」

「早く出て行ってください。」


私は、気が動転していた。昼間の親子関係のことは、すっかり忘れて神様と呼んでしまい、当然、言葉使いも丁寧なものになっていた。


「それは、私が精神エネルギーを実体化した体で、ここが風呂場だからですわ。」

「それは、分かっています。」


私は、我に返り自分も裸であることに思い至り咄嗟に前を隠した。


「大丈夫ですよ。私には男女の意識はありませんわ。」

「この体は、あなたのイメージで女性として実体化しただけですから。」

「神様は、そうでも、私の方は、そう簡単に割り切れません。」

「神様は、女性そのもの。」

「私は初老とは言え、まだまだ、現役の男です。」

「早く、このタオルを体に巻いてください。」

「でも、お風呂は本当に気持ちの良いものですね。」

「疲れが取れますわ。」

「何で神様が疲れるのですか。」

「それに、先ほど男女の意識はないと言いながら、出会ったときよりも女言葉をになっています。」

「それは、あなたが女性として私を実体化した結果、女性の容姿だけでなく思考すらも女性化が進んだのですわ。」

「それなら、神様は生粋の女性というわけでしょう。」

「まあ、些細なことは気にせず風邪を引きますから、一緒にお風呂に入って暖まりましょう。」

「そうは、いきません。」

「第一、風呂が狭すぎ・・じゃなくて、若い女性と一緒に入れません。」

「不謹慎です。」

「私は、もう出ますから、外宮に帰ってくれないのなら、どうぞ、ごゆっくり。」「気が済んだら帰ってください。」

「それでは、お言葉に甘えて、そうさせていただきますわ。」


全く神様は、何を考えているのか、非常識過ぎる。もう少しで私の理性が吹っ飛ぶところだった。神様と、恐れ多い。私の方が、もっと不謹慎だ。

バシャバシャと子供のように湯船で遊んでいるようだ。音がしなくなったので、気が済んで帰ってくれたのかと思い安堵していると。


「お父さん。」と言いながらタオルを体に巻いて風呂場から出てきた。

「お父さん、困ったことに。」


何が困ったかというと、今のこの状況の方が、よっぽど困っている。シングルの部屋に女性そのものの神様と男の私。理性が吹っ飛ぶのも時間の問題か。それとも、神様への信仰心が勝つか。私は冷静さを辛うじて保って。


「この浴衣を着てください。私は、このジャージで良いから。」


着替えている間、今にも消えそうな理性の灯火に、消えないようにと神様への畏敬の念という油を注ぎ窓の外を眺めていた。


「お父さん、困ったことに。」

「ここでは、親子の振りをする必要はありません。」

「昼間もそうだったのですが、親子の振りをしても顔が似ても似つきません。」

「やはり、衆目を集めてしまいました。」

「ところで、困ったこととは。」

「食事後、ジンと別れて寄り道しながら外宮に向かったのですが、鳥居の前あたりに来たら体が薄くなって、今にも消えそうになりましたわ。」

「それは、問題ではないでしょう。」

「もともと、意識エネルギー体に戻るために外宮に帰ったわけですから。」

「困ったことでは、ないでしょう。」

「でも。私の意志に関係なく実体化が消えそうになりましたわ。」

「それで、ジンが泊まっているホテルに戻ろうとしたら、消えかかっていた体が完全なものになりました。」

「それで分かったのですが、ジンから離れ過ぎると実体化が解けてしまうようです。」

「ですから、困ったことではないでしょう。」

「もともとエネルギー体になるために、神宮に帰ったわけですから。」

「私としては、ずっと実体化したままでいたいのです。」

「世間のいろいろな事を経験したり、見たり聞いたりしたいのです。」

「それに、人の体は素晴らしいものです。見たり聞いたり、触れたり、味や臭いを感じたり、寒さや痛みも感じられます。」

「神への信仰が始まって人々の願いが結集し意識エネルギー体となって以来、何万年とこの機会が訪れるのを待っていました。」

「無理なお願いですか。」

「分かりました。」

「神様はお願いされる方で、神様がお願いするのはおかしいです。」

「私のそばにいてください。私の方からお願いします。」

「有り難うございます。」


きらきら輝いている目から涙がこぼれた。


「これが涙ですね。嬉しいときにも涙が出るものなのですね。」


その純粋無垢な涙を見たことで、私の不謹慎な考えは吹っ飛んでしまった。それでも、この狭い部屋に二人きりでは、いつまで理性が持つか。


「その代わり、こういう状況下では、エネルギー体に戻ってくれませんか。」

「こういうとは、どういう状況ですか。」

「つまり、二人きりでひとつ部屋の中にいるという状況です。」

「私は、構いませんけど。」

「私は、構います。落ち着いて眠れませんから。」

「気にしないで、寝てください。」

「私も、眠るという現象を体験してみたいですわ。」

「あのね。神様は、全く分かっていない。」

「こういう状況下では、男はいつまでも我慢できないんですよ。」

「狼になっちゃいますよ。」

「ジンは、狼に変身できるのですか。」

「でも、狼になってどうするのですか。」

「そして、何を我慢できないのですか。」

「夜は、ただ寝るだけのことですわ。」

「だから、あーっ、もう、Hですよ。」


言ってしまった。既に、神様への畏敬の念を本能が凌駕し始めている。


「アルファベットのHがどうかしましたか。」

「分かってください。男の性を。」

「恥ずかしいけど正直に言います。」

「私の理想の女性である神様を抱きたくなるということです。」

「構いませんわ。どうぞ抱いてください。」

「そうは言っても、理性が許しません。」

「あなたは神様が実体化した女性ですから。」

「どうぞと言われて、はい、それでは失礼して、なんていうわけにいきません。」「それに、愛のないセックスは虚しいだけです。」

「ですから、私が理性を失って狼になる前に消えてください。」

「私のそばなら実体化もエネルギー化も自由自在でしょう。」

「分かりました。」

「ジンがゆっくり眠れるように、ひとまず失礼しますわ。」

「それでは、お休みなさい。」

「お休みなさい。」


困った。実際のところ、これからどうやって実体化した神様と付き合っていったらよいのか。何せ、私の理想の女性として実体化してしまった神様である。既に、一人の女性として愛してしまっている。この気持ちをどうしたものか。良い方法が見出せないまま、考えが堂堂巡りをしている内に眠ってしまった。


「ジン、おはよう。」

「おはよう。」と言ってトイレに行った。

「あれ、床が綺麗になっているね。」

「はい、私が掃除しておきました。」

「えっ、神様が掃除。止めてください。」

「神様がするようなことではありません。」

「でも、ジン。私は人間のことをイメージではなく、実際に体験したいのです。」「それに、人間として実体化した以上は、神様ではなく人間として接していただきたいと思いますわ。」

「それは分かりますが、んーっ。」

「それなら、今時の若者のように、人のことより自分中心に行動してください。」

「それはできません。」

「私は、人々の様々な善の心の願いで成り立っていますので、優しさや思いやり、心遣い、気配り、慈悲の思いを断ち切ることはできません。」

「人々のために尽くすことは、私の喜びでもあるのです。」

「意識エネルギー体の時は、ただ見守るだけしかできませんでしたが、実体化した今は違います。」

「ジンのような特殊能力はありませんが、ひとりの人間として尽くしたいのです。」

「分かりました。」

「これからは、神様のことをひとりの女性としてお付き合いしていきたいと思います。」

「しかし、人間の世界は、良いことばかりではありません。」

「人には裏と表があります。」

「善人もいれば、悪人もいます。」

「きれい事ばかりではいかない社会です。」

「でも、私が全力であなたを守ります。」

「大丈夫です。」

「私は、ジンと同じように不可侵ですわ。」

「私を傷つけられる人は、この世界にはいませんわ。」

「人々の夢や希望への願いが失われない限り私は不滅ですわ。」

「えっ、不可侵で不滅ですか。」

「それは、私も同じということですか。」

「たぶん。そうだと思いますわ。」

「そう言えば、暴走族に襲われたとき、彼らの暴力は私には届かず、反対に彼ら自身に跳ね返っていきました。あれが不可侵ですか。」

「私の場合は、危なくなったら、消えてしまえば済むことですわ。」

「そうですね。違った意味で不可侵ですね。」

「ところで、神様。昨日のようにミカと呼んでもよろしいですか。」

「もちろんです。ミカと呼んでください。」

「しかし、親子関係は解消です。」

「どうしてですか。」

「それは、親子にしては、容姿が似ても似つかないからです。」

「私の娘では、鳶が鷹を生んだのと同じです。」

「どう見ても親子には見えない。」

「私が、ミカのパトロンに見られてしまう。」

「俗世間は、そんな見方しかしないでしょう。」

「そこで考えたのですが、仕事上でのパートナーと言うことで。」

「その仕事は、後ほど考えます。」

「その方が良いですわ。親子関係だとジンを愛することはタブーですが、他人となれば好きになっても構わないということですから。」

「ちょっと待ってください。」

「私は、神様に好かれるほどの人間ではありませんよ。」

「でも、既に、ジンが好きになっちゃいました。」

「それは、困ります。」

「あくまでも仕事上の付き合いということで、お願いします。」


実は、私もミカを愛している。しかし、ミカは神様だ。決して愛してはならない存在だ。私は、気を取り直して。


「それじゃ、ミカ。」

「朝食を食べに行きたいところですが。」

「はい。」

「昨日、レストランで食事をしたことで、私にも空腹という感じが分かるようになりました。」

「今日は、何を食べさせてくださいますか。」

「この辺は、都会と違って、朝から営業している店がないから、どうしたものか。」

「ミカ、申し訳ないけど、今朝の食事は、パンで我慢してください。」

「コンビニで買ってきますから、部屋で待っててください。」

「くれぐれも、この部屋から出ないようにお願いします。」

「なんせひとりで泊まっていることになっていますので、人に見られたら厄介なことになります。」

「分かりました。静かにしていますわ。」


「お待たせしました。今朝は、パンにコーヒー。本当、質素で申し訳ない。」

「そんなことありませんわ。とても美味しいです。」

「ただ、私もジンが食べている調理パンとブラックコーヒーを食べてみたいですわ。」

「えっ、女性は甘いのが好きだと思って、ミカには菓子パンとカフェオレにしたんですけど。」

「こっちの方が良かったですか。」

「だけど、もう口を付けてしまって。」

「食べかけたものでは嫌でしょうし、そうだ。」

「もう一個の方をお互いに交換しましょう。どうですか。」

「こっちも美味しいですわ。」

「ミカは、何でも美味しいって言うんですね。」

「何でも、というわけではありません。」

「不味い物は、美味しいとは言いませんわ。」

「さてと、食事が済んだところで、歯を磨きますか。」

「ミカの歯ブラシも買ってきたから、これで磨いてください。」

「歯磨き粉は、この部屋にある一人用を半分個にすれば十分です。」

「でも、ジンも私も歯磨きをする必要はないのでは。」

「どうして、虫歯になっちゃいますよ。」

「私の奥歯はむし歯で抜かれ、ブリッジや金属で被せてあります。」

「歯は大切です。抜いたらもう生えてこない。」

「ほら、」と奥歯が見えるように口を大きく開けた。

「ジンには、虫歯はありませんわ。」

「うそ。」


私は、洗面所の鏡で口の中を見てみた。何で今まで気が付かなかったのか、歯の治療痕がない。全て自分の歯である。抜いたはずの歯もある。そう言えば、生前苦しんでいた腰痛や肩こり、歯痛や痔の痛みも全くない。そうだ、この体は、クウの体だった。石ではないが、完璧な人の体として蘇ったのだ。

ミカに言われて、初めて気が付いた。仕方がないか。いろんな事が起こって、自分の事を顧みる暇がなかった。


「でも、歯磨きの習慣が身についてしまって、それに歯を磨くと口の中が爽やかになります。」

「必要がなくても、ミカもやってみてください。何でも体験です。」


「ほら、歯を磨くと口の中がサッパリするでしょう。」

「サッパリしますわ。」

「これからは、私も歯磨き習慣を身につけたいと思いますわ。」

「でしょう。後は、毎朝顔を洗い、毎日、お風呂に入る。」

「いつも清潔を保つように習慣づけなくちゃいけません。」

「下着は毎日、服もほぼ毎日変えないといけない。」

「ましてや女性は、男以上にね。」


今日は、平成二二年二月二六日(金)、昨日抽選があったロト6の発表の日だ。

先ほど、コンビニで朝食と一緒に買った新聞で当選番号を確認してみた。

クウには、絶対当選していると豪語していたが、自分の授かった能力が発揮できたかは半信半疑であった。それで、つい、大きな声で。


「やった。」と言ってしまった。

「ジン、何がやったのですか。」

「大当たりですよ。大当たり。」

「ですから、何が。」

「ロト6、宝くじが当たったのです。」

「私たちは、億万長者になったのですよ。」

「えっ、ロト6、宝くじ。」

「そう、江戸時代で言えば、富くじ。」

「あんまり奨励はしませんが、少ないお金で大金を狙う賭け事です。」

「お金というものは、本当は汗水流して稼ぐことに価値があるのですが、今の状況では働くことができないし、当座の暮らしに困らないように授かった力でもって、当選番号を予測してロト6を買ったのです。」

「でも、この力は、私利私欲では使えないので、本当に当選するかどうかは半信半疑でした。」

「こうして当選したということは、ハモニーも許してくれたということですね。」「これで、ハモニーから託された仕事に専念できるというものです。」

「ジン、そう言えば、ハモニーからの仕事って何ですか。」

「宇宙の秩序と調和を保つというハモニーの仕事を手伝うこと。」

「つまり、私の仕事は、この世界の不均衡を是正することです。」

「どうやって是正するのですか。」

「ハモニーの言うことには精神エネルギーには正と負があり、生きている魂は正のエネルギーとしてこの世に、死んだ魂は負のエネルギーとしてハモニーがいる賽の河原を通って負の世界へ転生輪廻します。」

「ところが、この地球で死んだ魂が何らかの理由で、負のエネルギーとしてこの世に留まってしまう。」

「それで、正と負の世界の均衡が乱れていると言うのです。」

「この状態を放っておくと、やがて宇宙の崩壊に繋がるということのようです。」「そこで、私が負のエネルギー体である魂と交信して、負の世界に行って貰うよう説得するわけです。」

「説得に応じない魂は、どうするのですか。」

「ジンの力で無理やり負の世界へ送り込むのですか。」

「ハモニーも言っていましたが、精神エネルギー体である魂は、正であれ負であれ自由です。」

「どんな力を持ってしても、その自由を束縛して無理強いをすることはできません。」

「たとえハモニーの力を持ってしてもできないと言っていました。」

「あくまでも、負の精神エネルギー体である魂自らが、あの世へ行くことを納得し、あるいは望まない限りどうすることもできないのです。」

「大変なお仕事ですわね。」

「しかし、この仕事がなかったら生き返った私には、いるべき場所がなくなります。」

「何をして余生を過ごせば良いのか見当も付きません。」

「生きていく意味が見出せなくなり、残りの人生が虚しいものになってしまいます。」

「大変な仕事ですが、やり甲斐はあります。」

「神様にも誓いましたが、どれだけの魂を救えるかは分かりませんが、全力を尽くしたいと思っています。」

「分かりました。」

「それでは、私にも協力できることがあると思いますので、手伝わせてください。」

「でも、神様を危険な目に遭わせるわけにはいかない。」

「既に、私の取った行動が娘のミコを危険な目に遭わせてしまっている。」

「それは大丈夫です。」

「前にも言いましたが、人々が信仰心を失わない限り、私は不可侵で不滅です。」

「それに、魂の救済こそが人々の願いであり、神と崇めれれる私の真の仕事でもあります。」

「ジンの仕事と私の仕事は見事に一緒ですわ。」

「それに、ジンと行動を共にしないと実体化が解けてしまいます。」

「それでは、私の願いも魂の救済もできません。」

「ただ、見守るだけの精神エネルギー体に逆戻りですわ。」

「分かりました。神様であるミカと一緒に仕事をしましょう。」

「嬉しいですわ。ジンと一緒に仕事ができて。」

「それでは、銀行に行きましょう。そこで娘を紹介します。」

「九時にそこで待ち合わせをしています。」

「但し、一緒にフロントを通るわけにはいきません。」

「ホテルを出て呼ぶまでは、消えていてください。」

「分かりました。それでは、また、後で。」


「ミカ。もう良いですよ。出てきてください。」

「ジン、面倒臭いですわね。」

「仕方ありません。」

「でも、帰ってきたらミカの分も部屋を取りますから。」

「そうなれば、いちいち姿を隠す必要はなくなります。」

「それでは、時間も言い頃だから銀行に行きましょう。」


二人は、外宮方向に歩き、県道三十七号線沿いに、市役所、商工会議所前を過ぎ、岩渕町交差点にある銀行に入った。既に、クウこと私の娘は来ていた。


「おはよう。大分待った。」

「おはようございます。ちょうど来たところです。」

「ミカ、これが私の娘、ミコ。」

「クウ、この人は、ミカ。訳あって行動を共にすることになった。」

「ジン、経緯は了解しています。」

「そうか、クウと私はツーカーの仲だった。」

「手間が省けて良いや。早いとこ当選金を貰って銀行に預けよう。」

「それじゃ、クウ。ミコの普通口座を作って取り敢えずは振り込んで置くことにしよう。よろしくお願いするよ。」

「ジン、分かりました。」


「ジン、クウって誰ですか。」

「なぜ、自分の娘の名前を呼ばないのですか。」

「それを話し出すと長くなるけど、待っている間にかい摘んで話そう。」

「クウは、私が北海道で助けたお地蔵さん。助けたお礼に私の体になってくれている。」

「次の質問、なぜ娘の名前で呼ばないのかは、生前は、親子関係がギクシャクしていて上手くいかず話もしなかった。」

「親子の断絶っていうやつ。」

「そして、六年ほど前から娘はうつ状態になり心を閉ざしてしまった。」

「この世に存在しない私がこの世界で仕事をしていくには、どうしてもこの世に存在しているパートナーが必要だった。」

「それで、娘にクウが乗り移り私のパートナーとして手伝って貰うことにした。」「私では銀行に口座を作ったりアパートを借りたり、お金を稼ぐために働くこともできない。」

「しかし、クウが乗り移った娘と直接面と向かうと、何だか昔のギクシャクした関係が思い出されて、素直にミコと呼べなかった。」

「だから、クウの名前で呼んでいる。」

「それに、ミコは心を閉ざしているので、表面には出てこない。」

「でも、娘を巻き込んだことを後悔している。」

「私のために、危険な目に遭わせてしまった。」

「それでは、娘さんをクウから解放して家に帰してあげたらよろしいですわ。」「私が、ジンのパートナーになりますわ。」

「それがだめなんだ。」

「娘がクウを放さない。娘は、これを機に自身の今の状態を改善しようと思っている。」

「クウを解放して家に帰ってしまえば、元の状態に戻り再び閉じこもりの人生になってしまう。」

「そうなることを嫌がっている。」

「自分の人生を何とかしたいと思う心で娘も必死なのだ。」

「それに、ミカも私と一緒でこの世の者ではないからミコの代わりはできない。」「だから、娘を巻き込まざるを得ない。」

「その代わりに、私は娘を全力で守る。ミカも全力で守る。」

「そう言うことでしたら、私もミコをお守りしますわ。」

「ジン、ミカさん。お待たせしました。」

「当選金が大金のため、いろいろ手続きがあって、時間が掛かりました。」

実際に入金されるのは、1週間後です。」

「本当、手続きって面倒臭いですね。」

「クウ、ご苦労さん。額が額だから、そう簡単には行かないと思っていたよ。」

「ジン、これ、キャッシュカード、暗証番号は・・・・の四桁です。」

「私は、通帳を使って必要なときに現金を下ろします。」

「ジンは、カードを使ってください。」

「クウ、有り難う。次は私たちが住むところ。」

「クウ、この場合はミコの住まいも兼ねたところを探さなければ。」

「それと、仕事と足となる車が必要だ。」

「ミコが、以前、目指した漫画家になりたいと言っています。」

「良し、それで行こう。」

「神定プロダクションの結成だ。」

「社長は娘のミコ、私とミカは、社員ということでよろしく。」

「それでは、いっそのこと借家じゃなくて事務所と住居を兼ねた一戸建てを買ってしまおう。」

「なんせ二億弱あるのだから。」


この一ヶ月間は、忙しかった。新築している暇はないから中古の家屋を探し、環境問題に協力してハイブリッド車を購入、プロダクション設立に必要な約款・会社規定の作成、株式会社としての登記の申請など諸々の手続きを全て済ませた。いよいよ、ホテル住まいともお別れして朝熊町のサンアリーナの側にある元結婚式場の洒落た社屋に引っ越した。昨今の不況で結婚式をする人も少なくなり、安価な値で売りに出されていた物件である。中古だけど欧風の一軒家で、周囲に隣接する家屋もなく小高い土地に建てられている。一階が事務所兼アトリエ、二階が住居スペースで四室あるうちの一室を来客用の部屋として、残りの三室をそれぞれの住まいとした。披露宴会場であった別棟の部屋には漫画作成用の事務機器や機材。それに、居住区の各部屋には家具や大画面の薄型テレビ等、暮らしに必要な物、そして光回線を利用したインターネットができるパソコンも設置した。後、ソーラーシステムも備え付けた。何やかやで、お金を使い過ぎて億万長者も、あっと言う間に、残り数千万程度になってしまった。あぶく銭は本当に早くなくなる。悪銭身に付かずだ。だが、当座の暮らしには問題ない。


「取り敢えず、クウは、ここに住まずに通いで漫画の仕事をするように。」

「母さんの許しが出るまでの辛抱だ。それに、自転車で往来できる距離だ。」

「いよいよ、ここを拠点に、ハモニーから託された仕事を本格的に始めよう。」「しかし、何をどうしたら良いのか。」

「ハモニーは普通の生活で良いって言っていたから、まずは、ミコの漫画本の作成を手伝うことにしよう。」


「クウ、ミコは、どんな漫画を書きたいと言っているのかな。」

「ミコは、絵を描くのは好きだけど、漫画のストーリーを考えるのは苦手と言っています。」

「それじゃ、私の好きなSF物はどうかな。」

「ストーリーは、ハモニーに託された仕事を題材にしたらどうだろう。」

「私が死んだ以降の出来事を物語に、漫画を書いたら良いと思うのだが。」

「自主出版だし、締め切りも何も束縛されることがない。」

「売れる、売れないも関係ないし、売上重視のギスギスした仕事をする必要もない。」

「のんびりマイペースでやっていけば良いんだ。」

「ジンの仕事を漫画に書いて大衆に知らせても良いものなのでしょうか。」

「クウ、心配ないよ。読んだ人は、物語が真実だとは思わないよ。」

「現に生き返って、この仕事をしている私自身、いまだに信じられないくらいだ。」

「それに、似たような物語は、今までにも沢山書かれている。」

「漫画が現実と思う人は、誰もいない。」

「漫画は漫画だ。」

「ミコの希望でもあるから、実際に出版するかは別としても、ミコの夢を叶えてあげたいんだ。」

「分かりました。」

「ミコと私は一心同体ですから、今までのこと、これからのこと、全てミコにも記憶として残ります。」

「しかし、漫画にするに当たっては、多少の脚色が必要でしょう。」

「時代背景、場所、登場人物など、全て架空の物にしなければなりません。」

「それじゃ、今までのことを導入部として書いていくことにしたら。」

「ミカと私は、車の免許や本の出版の仕方などを覚えるよ。」

「ミカも車の免許が欲しいだろう。」

「是非とも欲しいですわ。」

「人がすることは何でも経験してみたい。」

「良し、決まりだ。」

「但し、ミカも私も、この世の者ではないから、戸籍を何とかしなくては、この先、何をするにしても不便だ。」

「戸籍は、作れませんわ。」

「私は、人々の祈りから生まれた神としてのエネルギー集合体で家系がありませんし、ジンは死亡して戸籍から抹消されていますわ。」

「そこが問題なんだけど今の時代、何でもコンピューターで管理されているから、役所の電子記録に私たちの戸籍を書き込んでしまえば済むことだ。」

「そんなことできるのですか。」

「このパソコンを使ってできるよ。役所のコンピューターに進入するのは難しいとは思うけど、力を使えば可能だと思う。」


私は早速、堅固なセキュリティーを解除し、かつ、進入した形跡を残さないように、慎重にアクセスして二人の戸籍を書き込んだ。これで住民票も取れるし、印鑑登録もできる。我々もこの世に存在する人間になった。

そして、ミカと私は自動車教習所へ通い、ミコは漫画の原画を描きながらフィットネスクラブに通った。

時が経つにつれミコの体も引き締まり、太っていたときには気が付かなかったが、ミカに匹敵するほどの容姿(親の欲目か)になってきた。また、自分の身は自分で守りたいと、空手、少林寺拳法、太極拳、柔道、合気道、剣道とありとあらゆる武術を修得すべく、市や個人が実施している道場に足繁く通った。そして、それが何と並みの人間では修得できない早さ、かつ、指導してくれる先生をもしのぐ勢いでである。


「クウ。ミコが、これだけ頑張れるのは君のおかげかな。」

「いいえ、私はきっかけを作っただけで、後は全て彼女自身の努力の賜です。」

「しかし、六年もニートをしていたミコが、自分から積極的になったとは思えない。」

「進んで辛いことをする性格ではないし、依存心が強くて考えが甘く逃げてばかりの人生だ。」

「それに、何に増しても運痴な体だ。」

「えっ、彼女がウンチ。」

「あっ、そっちのウンチじゃなくて運動神経がゼロという意味の運動音痴を略して運痴と言うんだよ。」

「そんなことはありません。」

「ミコは人一倍、熱心で積極的、かつ、努力家です。」

「それが本当だとしたらクウは彼女に取り憑く、ウォッホン、じゃなくて、彼女の中にいられないはずだけど。」

「そのとおりです。」

「個人としての信念、夢や希望などをしっかり堅持している人には、私は移れません。」

「したがって、今現在、ミコの中にいられるのが不思議です。」

「普通でしたらとっくに弾き出されているのですが、彼女が放してくれないのです。」

「これも、不思議です。」

私を束縛できる力を持っている人間が、この世界にいるわけがないのですが。」

「でも、ミコにそんな力があるとも思えない。」

「待てよ、その疑問は、ハモニーに会うことがあったら聞くとして。」

「それじゃ、クウは、ミコとの二重人格を持っているということになるのかな。」

「いいえ、私が彼女の中にいる間は、私の意識が優先されます。」

「それを聞いて安心したよ。」

「もし、ミコの人格が表に出てきたら、お互いにやりづらい。」

「何しろ親子の断絶が解消されたわけではないから。」

「心のわだかまりが残っている。」

「お互い気まずくてパートナーとしてやっていく自信がない。」

「だから、今までどおりのクウで良いと思うとほっとするよ。」



「夢か。」昨夜は、いつの間にか眠ってしまい奇妙な夢を見た。

「ミカ、おはよう。」

「旨そうな臭いがしているね。今朝は、パン食だね。」

「おはようございます。」

「はい、トースト、ベーコン、スクランブルエッグ、コーヒーとサラダ。」

「こりゃ、美味しい。そこら辺の喫茶店より遙かに美味しいよ。」

「有り難うございます。作った甲斐がありますわ。」

「そうそう。昨日、変な夢を見たよ。」

「普通、夢って目を覚ますと内容が曖昧で辻褄が合わないし、ほとんど記憶に残らないけど。」

「この夢は起きた後もはっきり憶えているんだ。不思議だね。」

「それって、どんな夢でした。」

「うん。ミカに初めて会ったときのように誰かの呼び声が聞こえた。」

「寝ている時の夢の中だからと思うけどあたりは真っ暗で上下左右、立っているのか寝ているのか分からない状態だった。」

「そう、ハモニーに会う前の暗闇の中と同じだった。」

「そして、その呼びかけに答えると、目の前に丸い物体、真珠玉のように滑らかで銀白色に輝く物体が現れた。」

「その大きさは分からない。」

「暗闇の中にポツンとあって比べる物がなかったから。」

「大きいのか小さいのか。」

「近いのか遠いのか。全く判断がつかなかった。」

「感覚的には、大きい物だと思えた。」

「次の瞬間、暗闇から真っ白な世界に変わった。」

「たぶん、球体の中に取り込まれたんだろうね。」

「不思議と恐怖感はなかった。」

「ミカが以前言ったように、私の体は不可侵という安心感があったから。」

「私を呼んだあなたは誰ですか。」

「そして、ここはどこですか。」

「もしかして、ハモニーのような宇宙意識体ですか。」と実態のない誰かに話しけてみた。すると、

「いいえ、私は意識体ではありません。」

「トランスポーターです。」とどこからともなく答えが返ってきた。

「トランスポーター。それは何ですか。」

「もしかして、UFO。宇宙人。」

「そのような物です。但し、宇宙人ではありません。」

「精神感応方式の移送機と言えば、お分かりになりますか。」

「分かりません。ただ、地球の物でないことは分かります。」

「あなたを作った宇宙人は、どこの惑星の人たちですか。」

「私の創始者は、地球に移住し帰化したあなたたちの祖先にあたります。」

「そして、母星は、この銀河系のほぼ中心に近いところに位置しています。」

「えっ、祖先。」

「銀家系の中心。」

「光の速度でも二万年六千年位掛かる距離ですよ。」

「この移送機は、光より速く飛べるのですか。」

「いいえ、飛ぶのではありません。」

「一瞬のうちに移動します。私の動力源は、精神エネルギーです。」

「それで、精神感応方式って言ったのか。」

「つまり、この船はテレポーテーションで一瞬に移動するわけだ。」

「創始者は、もの凄い文明の持ち主ですね。」

「でも、待ってくださいよ。」

「なぜ、その文明が今現在ないのですか。」

「しっかり受け継がれていたら、もっと素晴らしい文明社会になっていて、SF小説にあるような全宇宙を自由に行き来している世界になっていたと思うんですけど。」

「その文明は失われました。」

「創始者たちは、私たちが属する太陽系が壮年期に入り、母星の最後が近いことを知りました。」

「それで、創始者たちは、まだ文明が発達していない星に移住することにしました。」

「それは、移住先の住民とのトラブルを避けるためです。」

「そして、幾度にも亘る世代交代と現地球人との同化が進み、徐々に精神感応の力が失われて行ったのです。」

「このことは、この地球に限らずどこの移住先でも同じでした。」

「そうなると、私たちの文明は何の意味もなしません。」

「道具が使えないということは、原始時代に戻ったのと同じです。」

「どういうことですか。」

「それに、他の星も同じと、どうして分かるのですか。」

「全ての動力は、精神感応方式で作動します。」

「つまり、創始者たちは精神感応ができなくなり、私たちを動かせなくなったのです。」

「また、精神感応は、惑星間の距離に関係なく瞬時に交信もできますが、この二百万年位前から交信ができなくなりました。」

「このことから、他の星も同じだということが推察できます。」

「創始者の母星も、地球も、そして、どの移住先の惑星も、生物を誕生させる条件を満たした星です。」

「進化の過程と起源は、どの星でも皆同じです。」

「つまり、同じDNAを持ち、同じ形態をした生物、人類が誕生します。」

「そして、銀河系の中心に近い惑星ほど歴史も古く文明もより発達し、人類も進化して精神感応が使える能力を身につけます。」

「地球人も数百万年の後には、進化して精神感応能力を持つようになることでしょう。」

「創始者たちは、精神感応能力を得た結果、その能力を最大限に活かす文明を発展させました。」

「全ての物が精神エネルギーを動力として動くのです。」

「私も精神エネルギーで動きます。」

「ですから、精神感応能力を失えば残念ながらその文明の利器も使えなくなり、無用の長物、ガラクタ同然となります。」

「今の時代も電気という物がなくなれば同じです。」

「そうなると高度な知識を持っていても、この地球では何の役にも立ちません。」「この地球では、知識に基づいた物を造ることができないからです。」

「創始者たちの知識は、年月と共に失われ現代に受け継がれることはなかったのです。」

「移住してきた時の地球は、どんな状態だったですか。」

「気候は今とほぼ同じで、猿と人が別れた頃の時代になると思います。」

「創始者たちは地球の進化に影響を与えないよう大洋上に都市を造り、地球生物との接触を極力避けていました。」

「もしかして、それは伝説にあるムーやアトランティス大陸のことですか。」

「おそらく、創始者たちが海上に造った大陸都市に間違いありません。」

「遠い記憶が伝説として残ったのでしょう。」

「でも、その場所や遺跡を探している人たちがいますが、いまだに見つかっていません。」

「やはり、伝説で架空の大陸だと考えられますが。」

「見つからないわけは、大きな地殻変動で大陸が海底深く沈んでしまったことや、創始者たちの精神感応能力が弱まったため、大陸自体の維持・再生機能が喪失してしまったこと。」

「そして、一万年以上の時の流れが大陸の痕跡を消滅させてしまったことなどが考えられます。」

「その間、海上都市を失った創始者の子孫は、やむなく大陸に移り住み地球人類と同化していったのです。」

「その後、創始者たちの文明は、遙か遠い彼方に忘れ去られ伝説として残ったのです。」

そうですか。」

「今のお話は、通常の人間なら全く信じられないところですが、私はそれ以上の体験をしていますので驚きません。」

「ところで、私を呼び出したわけを聞いていませんでした。」

「呼び出したわけではありません。」

「創始者たちの能力が失われて以来、私の呼びかけに答えてくれる人間を待ち続けていました。」


「ほら、ミカの時と同じだろう。」

「それで、このトランスポーターなる意思を持った宇宙船とでもいえば良いのか。」

「きっと何か私に頼み事があるのだろうと思っていたら、案の定、協力して欲しいことがあると言ってきた。」

「それは、どんなお願い事でしたか。」

「それが、ビックリ仰天。母星に帰りたいと言うんだ。」


「私の呼びかけに答えられるということは、創始者の子孫たちも精神感応能力を持つまでに進化したのですね。」

「もっと、時が必要かと思っていましたが。」

「いいえ、人類は、そこまで進化していません。」

「私は特別な事情がありましてこの能力を授かりました。」

「それでは、あなただけが精神感応能力を持っているということですね。」

「もしかすると、私の仲間もあなたと交信できるかも知れません。」

「しかし、呼びかけに答えてくれたのは、あなただけです。」

「それに、あなたの精神感応能力は、創始者よりも遙かに強いようです。」

「あなたなら創始者の母星アルカスに移動させることができると思います。」

「是非お願いします。」


「どうせ、夢の世界だから気軽に承諾したよ。」


「それで、私は何をすれば良いのかな。」

「私に命令してください。アルカスに移動と。」

「分かりました。アルカスに移動。」


衝撃もエンジン音のような音もしなかった。


「有り難うございます。希望が叶いました。」

「えっ、何の変化もないけど。」

「いいえ、既にアルカスは目の前にあります。」

「この船には、窓一つないから外が見えないね。」と言った瞬間、真っ白だった空間全体が一気に透明になった。私は宇宙の真っ直中に一瞬で放り出されてしまったような感覚に陥りめまいを感じた。そして、目の前には赤茶色の惑星があった。


「目の前の惑星がアルカスです。」

「かつて、創始者たちの生まれ故郷たるアルカスは、地球に非常に似た青い星でした。」

「太陽の膨張により、地表面温度は千度を超えています。」

「マリンブルーの海も、緑豊かな地上も、全て砂漠と化しています。」

「もしかしたら、創始者たちに会えるかも知れないと期待していたのですが。」「これでは、何の痕跡も見出すことができません。諦めが付きました。」

「待ってください。」

「また、誰かが私を呼んでいます。」

「非常に小さい声ですが、この太陽系の一番遠い距離にある星だと思います。」「行ってみましょう。移動。」

「この惑星は、かつては氷に閉ざされていました。」

「太陽の影響で、今では地球と同じような環境になっています。」

「本当ですね。地球と同じブループラネットだ。」

「既に、文明を持った人類がいます。」

「私にも見せてください。」

「それでは、あの町に移動しましょう。」


一瞬にして町の人々の中に移動した。


「大丈夫ですか。他文明に接触して。」

「大丈夫です。彼らには、私たちが見えません。」

「この船は、異次元に存在しています。」

「船から出ない限り、お互いに接触はできません。」

「歴史で習った中世時代の地球に似てるな。」

「容姿は地球人と変わらない。だけど喋っている言葉は地球上にない言語だ。」

「翻訳機に掛けます。リアルタイムで日本語になります。」

「どうやら、野良仕事や狩り、お天気の話とか、日常の会話をしているみたいだ。」

「どんな政治形態を執っているのかな。」

「地球じゃ、このくらいの時代は封建社会で暗黒時代と呼ばれていた頃になるな。地球と同じかな。」

「他文明への介入は、やはり、避けた方がよいでしょう。」

「彼らにとっては、あなたは宇宙人になるわけですから、接触すれば無用なトラブルを引き起こします。」

「そりゃ、そうだ。」

「地球人だってUFOや宇宙人と遭遇すればパニックに陥り、得体の知れない者への恐怖から攻撃的な行動に出るかも知れない。」

「それに、ここに来た目的は君がアルカスに帰りたいと言ったから来たわけで、この人たちと文化の交流をしに来たわけではないからね。」

「ところで、私を呼ぶ声は、あの地球のマッターホルンに似ている半分雪に覆われた山の麓から聞こえてくる。」

「そこに行ってみよう。ジャンプ。」

「何ですか。」

「移動って言葉じゃ、何だか格好悪いでしょう。だから、ジャンプ。」

「分かりました。それでは、移動します。」

「分かってない。」

「この洞窟の中だ。」

「私にも分かります。どうやら創始者たちの遺産のようです。」

「あなたの精神感応によって起動したようです。この山の地下にあるようです。」「一気に移動します。」

「よっしゃ、ジャンプ。」


中央に噴水を配した大きな池、それを一周するロータリーが在る広い空間に出た。ちょうどローマの町並みみたいでここを中心に、放射線状に道路が延びている。


「全ての道は、ローマに続くって感じだな。」

「ここは、創始者たちが生活の場としていた町の中心です。」

「山全体の地下深くに生活の場を求めたのでしょう。」

「この星の進化の過程に影響を与えないために。」

「しかし、誰も住んでいないようですね。」

「ここに移住してきた創始者たちも、精神感応能力を失ってしまったようです。」「地球の状況とは違い、地下に在ったために風化もせずに残ったようです。」

「この町も私も、あなたの精神エネルギーのお陰で動くことができました。」

「感謝します。」

「私は、中央制御室に行きますので、一旦、降りていただき、この町を見学していてください。生活必需品は全てあります。」

「でも、出口がどこだか分からないよ。」と言い終わらないうちに、私は船外に出ていた。船の大きさは、想像していたよりも小さかった。ちょうど大型トラックほどの大きさだった。次の瞬間、船は消えた。船といっても卵をやや平たくしたような形で、銀白色の滑らかな素材で覆われていて窓も扉もなかった。


「出入りもテレポートってわけかな。」


ロータリーから延びる道路が四本ある。町並みは、煉瓦造りのアンティークな建物で間口が広く、大きなウィンドウで開放感に溢れた間取りになっている。ちょうどギルドの職人街通りみたいだ。ここは、地球のファーストフード店に似ている。コーヒーが飲めるかな。試しに入ってみた。カウンターやテーブルがあり、何ら地球の建物と変わらない。人がいないだけだ。さっきトランスポーターが生活必需品は何でもあるって言っていたけど、コーヒーあるかな。と思った瞬間、レトロなコーヒーカップがテーブルの上に出現した。良い香りに誘われ飲んでみると、まさしく地球のコーヒーそのものである。濃くのある苦みと軽い酸味、芳醇な香り。実に美味しい。気持ちが安らぐ味だ。そうか、思えば出てくるのか。それじゃ、イチゴショートケーキ。出てきたケーキとコーヒーを食べながら寛いでいると、カウンターから人が出てきた。


「私は、えーとっ、済みません。無断で飲食しまして代金はちゃんと払います。」


店の人が出てきたのかと思い咄嗟に言ってしまった。相手は、一見、男性なのか女性なのか良く分からなかった。絹のような材質の白いワンピース服で、ビートルズのようなロングヘアー、顔立ちは面長の白人系で全体的にスマートな出で立ちである。


「あれ、あなたは創始者ですか。」

「ここには誰もいないと聞いていましたが。」


彼か彼女か分からない人は、たまりかねたように大声で笑った。


「私、私ですよ。」

「私と言われても創始者に知り合いはいませんし、第一、創始者は、この町に住んでいないはずです。」

「私、トランスポーターです。」

「えっ、トランスポーター。嘘でしょう。」

「トランスポーターは、機械で人間じゃありませんよ。」

「テレポーテーションする移送機でしょう。」

「はい。本体は、あくまでも移送機です。」

「しかし、あなたが話しやすいように人型のコアを複製しました。」

「それでは、あなたは、私をここに運んできた宇宙船の分身ということですか。」

「はい、そうです。」

「でも、以前の私ではありません。」

「創始者の文明は更に発展し、マシーンにも五感や喜怒哀楽、思考能力などを装備させていました。」

「私も生まれ変わりました。ちなみに、この姿は、私の使用者の姿と同じです。」

「何ら地球の西洋人と変わらない。創始者は、皆白人だったのですか。」

「いいえ、地球人と同じ、黒人や黄色人種もいました。」

「前にも言いましたが、どこの惑星でも、全て同じDNAです。」

「基本体型は変わりません。」

「但し、生まれ育った惑星の環境によって、多少の違いはあります。」

「例えば、大きな惑星で発達した人類は、小さい惑星の人類より体が大きくなるとか。」

「重力が大きい所では、より筋肉質になったりとか。」

「その惑星の気候風土に適した体型になります。」

「地球上の生物が住んでいる地域の環境に、適応した特徴を持っているのと同じことです。」

「ところで、ここで食べた代金はいりませんので安心してください。」

「良かった。お金、持っていませんから。払えと言われても払えません。」

「この社会は、遙か昔に貨幣制度を廃止して皆平等で貧富の差もなくなり、人々が生活に苦しむこともなくなりました。」

「学歴や出自で差別されたり、職業選択の制限もなく、自由に働くことができます。」

「逆に、働きたくない人は、働かなくても良いわけです。」

「衣食住、生活必需品等、医療も全て無料です。」

「今の地球では、考えられない社会だ。」

「まさにユートピア、アルカディア、理想郷といったところですね。」

「しかし、そんな社会では、働かない怠け者ばかりになって、秩序や人心が乱れ規範意識や協同精神、公共心が薄れてしまうと思いますが、創始者たちはどんな生活をしていたのですか。」

「貨幣経済から脱却し、安心して暮らせる社会になると精神的余裕が生まれました。」

「すると、人々は怠け者になったり、自己中心的な我欲に囚われたり、妬みや恨みを持ったりすることがなくなりました。」

「そして、自由に職業を選択し、だめなら、何度でも違う職業に就いてやり直していました。」

「起業のために借金する必要もないですから、何度でもやり直して本当に自分にあった職業を見出すことが可能になりました。」

「お金がないから、才能がないから。と言って最初から諦める必要がなかったのです。」

「もちろん、働きたくない人もいました。」

「しかし、そのような人たちは、一日中だらだらと過ごすことに直ぐ飽きてしまい、何かしらやることを見つけ出して暮らすようになりました。」

「趣味や芸術に親しんだり、ボランティアなど人のためになることに生き甲斐を見出していました。」

「しかし、人の本性はどうなります。」

「他人より良い生活をしたいとか、人より秀でたいとか、自分の言いなりに人を動かしたいとか、つまり、持って生まれた我欲、優越感、支配欲や征服欲、闘争心などが満たされないと、人間は何事にも興味を示さずやり甲斐をなくして怠惰になり、向上心や生活意欲を失うことになると思います。」

「それが、ストレスとなり、精神を病む人が出てきたりしませんでしたか。」

「それに、なりたがる職業が偏って成り立たない仕事が出たりしませんでしたか。」

「例えば、きつい、汚い、危険の3K的な仕事に就く人はいないと思いますが。」

「そうは、なりませんでした。」

「なぜなら、人は、それぞれに生き甲斐を見出し、個性を大事に取り入れて満足のいく生活を工夫していました。」

「また、向上心については、どんなジャンルにおいても、人々の競争心を満たすためコンテストや展覧会等を催し、表彰して優劣を競うことに努力していました。」

「ただ、3K的な仕事に就く人が少なかったり、人気のない職業は成り立たなかったりしたことは確かです。」

「そう言った職場には、ヒューマノイドを従事させて人手不足を補いました。」「そして、生活に追われない豊かな暮らしが精神的余裕となり、その結果、十パーセント程度しか使えなかった脳細胞が活性化し、人々は眠っていた潜在能力を使えるまでに進化しました。」

「それが、精神感応です。」

「テレパシーができるようになったということですね。」

「そのとおりです。」

「一部の人はテレキネシスやテレポート、透視もできるようになりました。」

「つまり、超能力を身に付けたのです。」

「私も、超能力に憧れ、その能力を持ちたいと思っていました。」

「けれども、私が読んだ地球の小説では、悲劇的な内容が多かった。」

「超能力者は、人間の本性を丸出しにして私利私欲に駆られ、世界征服を企んだりとその能力を悪事に使って悲惨な最期を遂げていました。」

「創始者たちは、超能力を武器として使い自滅するようなことはなかったのですか。」

「ありません。」

「人は、超能力を持つまでに進化する中で、私利私欲や嫉妬、闘争心など人間の悪心を超越し、能力を武器に使うことはありませんでした。」

「逆に、人間の煩悩を超越しなくては、この能力を得られないということです。」

「なるほど。」


今の地球人には無理だ。人間の本性丸出しで、自己中心的な我欲の固まりみたいなものだから、そんな人たちが超能力を手にすれば小説の内容と変わらず悪事に使い人類は滅亡しかねない。だから、ハモニーは、私に力を与えはしたが、私利私欲では使えないように制限しているわけだ。私も含め地球人が超能力を得るまで進化するには、後、数百万年は必要だろうな。


「話は変わりますが、あなたたちの世界にも、地球と同じ食べ物があったのですか。コーヒーやケーキみたいなものです。」

「はい、ありました。」

「地球文明は、母性が発祥の地と言っても過言ではありません。」

「元は創始者たちの文化ですから受け継がれていく間に、多少、形や味の変遷はあったと思いますが。ほとんど同じものです。」

「それに、注文したときに、あなたからの情報をもとに飲食物を作って出しています。」

「私の情報からですか。」

「はい、フードディスペンサーがあなたから注文をうけた時に、あなたの精神から情報を受け取っています。」

「そう言えば、注文したときに、こんなコーヒーとケーキを飲食したいと想像していた。」

「その情報をもとに作られたから美味しかったわけだ。」

「素晴らしい。あなたも、この食事を作る機械も。創始者たちの文明は、今の地球を遙かに超えたものですね。」

「その文明を我々に提供していただけないでしょうか。」

「それは無理です。創始者たちは、精神感応能力を動力源とするマシーンを作るまでに進化してしまい、地球で言う電気やガソリン、原子力で動く機械は、既に廃棄して再生させることはできません。」

「つまり、地球人類が精神感応能力を使えるまでに進化しないと、私たちマシーンを使うことはできません。」

「持っていても宝の持ち腐れです。」

「当然、分解して構造を解明したり、理解することもできません。」

「ですから、真似して作ることもできません。」

「第一、私たちマシーンは完成した時点で、シームレスになり分解したり、破壊したりすることができなくなります。」

「動力源である精神エネルギーがある限り、自己修復機能が作動し、分解して修理する必要がないからです。」

「ですから、精神感応能力者がいなくなれば、私たちは動力源を失い作動停止になります。」

「そうなれば、自動修復機能も停止して時間の経過とともに消失していく運命になります。」

「創始者たちの文明を持ってしても、永久物を作ることはできませんでした。」「それに、創始者が作る人工物は、全て自然に帰る材質でできています。」

「自動修復機能が停止すれば、時間とともに自然に帰ります。」

「そうですか。今の地球人にとっては、創始者のマシーンを手に入れたとしても、オーパーツとしての謎めいたものにしかならないということですね。」

「それに、全て自然に還りなくなってしまう。残念です。」

「そうですね。地球人が進化して超能力を使える頃には、私たちマシーンは既になくなっているでしょう。」

「しかし、その頃には、地球人類も創始者たち同様に、素晴らしい文明を創出していると思います。」

「今、もし地球人が精神感応能力で創始者のテクノロジーを使えたとしたら、確実に戦争や個々の悪事の道具として使ってしまうでしょう。」

「そうなれば、滅亡への道を辿ることは必然です。」

「私も、そのとおりだと思います。」

「私は、ある事情から超能力を授かりましたが、精神的未熟さから力の使用を制限されています。」

「そんなことはありません。あなたの力は、無限大に近いです。」

「創始者たちは、精神感応能力を使ったあとはひどく疲れていました。」

「あなたは、全く疲れを知らない。」

「どこから、そんなエネルギーが湧いてくるのか不思議です。」

「私にも分かりません。」

「おそらくハモニーの力でしょう。」

「ハモニーは、宇宙意識体で秩序と調和を司る者です。」

「ところで、あなたも擬人化したのですから名前で呼びたいのですが、名前はありますか。」

「私は神定人です。」

「型番で地球の言語にすれば、TRSPTですが、名前になりませんね。」

「ちょっと、無理ですね。私が付けても構いませんか。」

「はい、良い名前をお願いします。」

「そうですね。容姿からすれば、やはり、西洋人の名前が良いと思います。」

「トランスポーターから取って、トランでは、どうですか。」

「良い名前ですね。気に入りました。」

「それじゃ、トラン。」

「私は、ジンと呼んでください。」

「分かりました。これからは、あなたのことをジンと呼びます。」

「私はトランですね。よろしくお願いします。」

「ところで、トランの用は済んだのですね。」

「はい、終わりました。」

「必要な情報はダウンロードしましたし、新しい本体も貰いました。」

「実は、私は消滅寸前の状態でした。」

「精神感応エネルギーを失った私は、太平洋マリアナ海溝奥深くに沈み、あと数年で完全に機能が停止するところでした。」

「ところが、三ヶ月前の二月二二日から私のセンサーが、精神感応エネルギーをキャッチして自動修復機能が作動し始めました。」

「そして、今日、機能が回復し、ジンに合うことができました。」

「しかし、ジンの精神感応エネルギーで復活しましたが完全とはいきませんでした。」

「ですから、無理を言って母星まで来て貰いましたが、母星は既に死の星となり創始者の文明も残っていませでした。」

「私は諦めかけていましたが、再びジンの力で創始者たちの遺跡を発見し、こうしてここに新しい体を手に入れることができました。」

「本当に感謝しています。」

「ジンの側にいないと私は存在できません。迷惑は掛けませんので一緒にジンの仕事を手伝わせてください。」

「もちろん。私もトランがいれば大いに助かります。」

「一緒に仕事をしましょう。よろしく頼みます。」

「それじゃ、地球に帰りましょう。」

「ところで、本体の移送機は何処のあるのですか。」

「本体は、異次元にあります。念じれば本体の中に戻れます。」


「というわけで、本当、リアルな夢だった。」

「ジン、その話は夢ではありませんわ。」

「先ほど見知らぬ人が家にいました。彼がトランですね。」

「彼は、私を見るなり創始者と勘違いされて、私と結婚してくださいと懇願されました。」

「いきなりでしたので吃驚しましたわ。」

「直ぐに断りました。」

「私には、ジンという夫がいますからと言いました。」

「ちょっと、待った。」

「どういう事。夢じゃない。」

「いきなり結婚でミカと私が夫婦、私もミカと一緒になれたらと思うけど。いやいや、今のは取り消し聞かなかったことに。」

「神様と結婚なんて誰が許しても、神様が許さない。」


つい、本音が出てしまい慌ててごまかそうと、妙な表現を使ってしまった。


「あら、ジン。私は、よろしくてよ。」

「あなたが大好きだから、それに、あなたが言うところの神様である私自身が結婚したいと言っているのだから、問題はありませんわ。」


私は、正直ミカと一緒になりたいと思った。しかし、世俗のしがらみで今一歩踏み出すことができない。そこで、話題を変えるためにトランの話に戻すことにした。


「ところで、そのトランは、今、どこに。」

「ジン、私はここにいます。」と隣の部屋から食堂に入ってきた。

「トラン。ミカに会うなり、いきなり結婚とはどういうことだ。」

「創始者と私たちマシーンが契約を交わすときに使う言葉を、日本語に翻訳しようとしたら、間違えて結婚という言葉を使ってしまいました。」

「ちょっと、意味が違っているよ。」

「それに、ミカは創始者じゃないよ。」

「精神エネルギーの集合体が実体化した人間そのものだよ。」

「ミカさんと言うのですか。先ほどは失礼しました。」

「創始者に会えたと思い込み、我を忘れて無理なお願いをしました。」

「ミカさんは、精神エネルギー体ですから私と精神感応ができたのですね。」

「それで、創始者と間違えました。」

「トランさん。ミカと呼んでください。」

「結婚とは、あなたと契約するということでしたか。」

「はい、これからは、ミカと呼びますので、私のこともトランと呼んでください。」

「分かりました。トラン、結婚もある意味、契約ですわ。」

「二人とも、結婚なんて言葉を使うからややこしくなる。」

「ここにいる人は、出自の違いはあるけども、皆、同じ平等な人間ということでいきましょう。」

「ジンの言うとおりですわ。」

「私は、神でもなく精神エネルギー体でもない。」

「そして、トランはマシーンでもなく、皆、喜怒哀楽を持った一個人として対等な人間として暮らしていきましょう。」

「ジンも私を神と思わず一個の人間として接してくださいね。」

「分かりましたか。」

「いや、やぶ蛇だったな。」

「確かにトランは、マシーンとは思わないけど。」

「ミカは、やっぱり神様だ。私にとっては。」

「それは、言行不一致ですわ。」

「男が一端口に出した以上は、厳守してくださいね。」

「武士に二言なし。というわけですか。」

「ジンも、ミカを一個人と認めなくてはいけなくなりましたね。」

「分かりました。認めます。」

「しかし、ミカとの結婚については、保留ということで、やはり、仕事仲間でお願いするよ。」

「ジンは、私を嫌いなのですか。」

「その質問については、ノーコメント。」


本当は大好きなのに、現生のしがらみからは逃げられない。


「ジン。今は、その答えで諦めます。」

「でも、時がきたら結婚してくださいね。」

「結婚の話は別として、トランがここにいるということは、夢でのことは全て事実ということになるね。」

「どおりでリアルなわけだ。」

「ところで、トラン。」

「また、同じ間違いをしないように、先に言っておくよ。」

「まもなく精神感応ができる私の娘がここに来るけど、創始者じゃないからね。」「彼女と契約を交わそうとしないようにね。」

「それと、質問なんだけど、最初に会った私と契約を交わそうとしないのは何故かな。」

「それは、私が男だからです。」

「ジンも男でしょう。男同士は、結婚できません。」

「待てよ。その理由、変だよ。」

「トランの最初の使用者は男で、今の姿はその人に似せたと言ったよ。」

「それに、結婚という言葉を使うのは間違いでしょう。」

「実は、バージョンアップした私は、男性の人間そのものです。」

「ですから、男より女性が好きです。」

「ジンと同じです。」

「ジンがミカを愛しているのと同じです。」

「時を待つ必要はないと思います。今すぐ結婚すれば良いのです。」

「幸いこの建物は元結婚式場だったのですから結婚式を挙げましょう。」

「トラン。質問にちゃんと答えてないよ。」

「問題をはぐらかさないで答えなさい。」

「ですから、単純に私が男だからです。それ以外、何の理由もありません。」

「それじゃ、また、聞くけどね。私と会った時は、まだ、旧タイプで男女の区別はなかった。」

「なぜ、そのときに私と契約を交わそうとしなかったのかな。」

「あの時はジンを地球人と認識し、創始者でないと分かっていたからです。」

「ミカの時は、どうして地球人と思わなかったのかな。」

「それは、ミカが創始者のような高みに達した精神を持っていたからです。」

「なるほど、納得。」

「ミカの心は、博愛や慈悲の精神で満たされていて私利私欲や嫉妬、恨みといったような邪悪な心は全くない。」

「ジン、ミカ。おはようございます。トランも、おはようございます。」

「クウ。おはよう。」

「彼女が、さっき言ってた私の娘、ミコ。」

「複雑な事情があってクウって呼んでいる。神定プロダクションの社長兼漫画家。」

「トラン、よろしくお願いします。クウと呼んでください。」

「クウ、こちらこそ、よろしくお願いします。」

「あなたも、ジンと同じくらい精神感応能力が強いですね。」

「無限大に近い。ミカも同じです。」

「三人とも精神感応能力者で、私としては助かります。」

「変な話ですが、三人とも私の動力源になります。」

「必要なときは、遠慮せず使ってください。」

「ところで、クウもミカも本当に美しい。」

「ミカはジンと、クウは私と結婚しましょう。」

「トラン、いきなり何を言ってるんだ。」

「会ったばかりで結婚なんて認められないよ。」

「ミコだって急な話で面食らっているに違いない。」

「それに、君は、」と言いかけて止めた。

「ジン。それが、ミコはOKです。と言っています。」

「そんな、馬鹿な。」

「会ったばかりだぞ。ミコも何を考えているのか。絶対にだめ。」

「この話は、これで終わり。結婚の話は、お仕舞い。」

「さあ、仕事、仕事。」

「クウとミカは、ほらほら、仕事場に入って漫画の続きを書き始めなさい。」

「トラン、ちょっと、ちょっと。」とトランを私の部屋に呼んだ。

「トランは、何処まで人間に近いのか教えてくれる。」

「私は、人間そのものです。」

「喜怒哀楽、思考能力も個性も持ち合わせています。」

「しかし、結婚となると、その、あの、」

「その機能も備えています。しかし、子供は作れません。」

「ずばり、言うね。」

「創始者の文明は、私の想像以上に発達していたんだね。」

「本体は金属の部分もありますが、私は、人間と全く同じ組成です。」

「健康診断を受けても何の問題もありません。」

「それじゃ、創始者は、神様に匹敵するな。」

「人間を創造しちゃうんだから。」

「正確に言えば、人間もどきです。」

「創始者といえども、人間を造ることはできません。」

「現在の地球の科学力では、私をどう調べても人間そのもので、移送機のコアと見破ることはできません。」

「私と人間の決定的な違いは、エネルギー源です。」

「私は、ジンたちの精神感応能力が動力源ですが、一方、人間は食物です。」

「私も食べる機能を持っていますが、食物から栄養を摂取する必要はありません。」

「もし、ジンたちがいなくなれば、私は機能停止状態に陥ります。」

「なるほど、ミカと同じだ。」

「ミカも私が側にいないと実体化が解けてしまう。」

「そうですか。」

「ところで、話は変わるけど、トランの母星に行ったことが、夢じゃないと言うことは、私たちは、二万六千光年あまりの距離を往復したわけだよね。」

「アインシュタインの相対性理論からすると、光の速度で移動した場合、時間の進行が遅くなり元の場所に帰ってきたときは、移動した距離に応じて何千年、何万年が過ぎてしまうけど。ここの時間は一晩しか経っていないよね。」

「はい、ジンが、昨日寝たときの次の朝です。」

「ただし、銀河の中心にいた一時間十九分四十五秒間、つまり、夜中の二時から三時十九分四五秒の間は、私と一緒でした。」

「移送機での移動には、全く時間は掛かりません。」

「移動先にいた時間が経つだけです。」

「ですから、ジンは地球に帰ってきてから、また、一寝入りして、私と一緒にいたことを夢と思いこんだのです。」

「なるほど、テレポートとは、時間と距離は無視できるというわけだ。」


出 版


「ジン、おはようございます。」

「やあ、クウ。漫画の原稿は、何処まで進んだ。」

「今までの出来事の半分くらいは、書き終わっています。」

「そうか。ところで、ミコは、まだ、出版するかどうか迷っているのかい。」

「自信がないと言っています。」

「それじゃ、大々的に売り出すのは止めて、インターネットで読みたい人だけに売り出すっていうのはどうだい。」

「我が社は利益無視で良いんだから。」

「やって、ダメもとでいこうよ。」

「一歩踏み出さないと、ミコの夢も叶わない。」

「それに、インターネットならペーパーレスでコストも安くできる。」

「読者の反応を見てから製本して大々的に売りだそう。ミコ、どうだい。」

「自信がないけど、それで、お願いします。と言っています。」

「神定プロダクションのブログを立ち上げ、読者が買ってくれるかどうか反応を見ることにしよう。」

「一枚一円でどうだろう。」

「原稿は、三百ページだから、三百円で売ることにしよう。」

「トラン、ブログの立ち上げと原稿の電子書籍化をお願いするよ。」

「但し、現在の地球レベルで、よろしく。絶対に創始者の文明を使わないようにね。」

「ジン。私にとっては、返って難しいです。」

「地球のレベルまで落とすのは。」

「無理は、承知。」

「だけど、この時代に相応しくない方法を使うのは絶対にだめ。」

「分かりました。レベルを原始時代に戻して頑張ってみます。」

「嫌味だね。原始時代はないでしょう。」


「宣伝が足りないのか、余り売れ行きが良くないね。」

「口コミの評判は良いのだから、もっと売れて良いはずなんだけど。」

「ジン。これでは、今まで以上に、ミコが自信を喪失してしまいますね。」

困ったものだね。」

「やっぱり、単行本にして本屋さんの店頭販売にしないとだめかな。」

「インターネットだと一部のマニアに流行るだけで、馬鹿売れとまでは行かないしね。」

「ミコにも了解を取って店先に置いてもらうことにしよう。」


私とミカ、そして、トランはミコの承諾を取り付け、手始めに観光も兼ねて大阪城から道頓堀界隈と通天閣を訪ねることにした。


「それじゃ、ミカ。トラン。車に乗ってくれ。」

「ジン、ちょっと待ってください。」

「私を使えば、時間を掛けずに一瞬で移動できますが。」

「わざわざ、公害をまき散らす不便な乗り物を使うことはないですよ。」

「トラン。そう言うと思っていたよ。」

「でも、このハイブリッドカーは、今の最先端の技術が投入されていて温暖化ガスや窒素酸化物の排出量は、かなり抑えられているよ。」

「まあ、トランにとっては、超クラシックカーとしか思えないだろうけどね。」「それに、一瞬で移動するよりも途中の景色を見ながら、ドライブするのもおつなものだよ。」

「だから、さあ、乗った、乗った。」

「それじゃ、ミカ、助手席に、」とトランがドアーを開けた。

「ジン、もうそろそろ、私に運転させて貰えませんか。」

「この車にも買い物やらで、結構乗って慣れましたわ。」

「それに、カーナビを使えば、道に迷うこともありませんわ。」

「うーん。そうだな。」

「大の男が、女性の運転する車に乗せて貰うってところに、ちょっと抵抗を感じるけど。」

「最近では、そういう光景もよく見かけるから。」

「ここは、ミカに運転してもらうことにするか。トランは、どうだい。」

「私にとっては、地球の慣例はどうでも良いことです。」

「ただ、本当に時間を浪費して車で行くのですか。」

「地球の慣例ときたか。」

「そんな大げさなことじゃないよ。」

「単なる男尊女卑の考えが残る日本人的感覚だよ。」

「まあ。ジンも古い人間ですこと。」

「今時は、男女平等、共同参画の時代ですわ。」

「分かった。分かった。」

「トランも異議なし。ということで、運転頼むわ。」

「任せてください。安全運転に心掛けますわ。」

「それじゃ、ジンは助手席で。トランは、後ろに乗ってください。」

「私は、先に行って、現地で待ってます。二人でどうぞ。」

「だめ、変な気を使わずに一緒に乗った。乗った。」

「絶対にドライブの良さが分かるから、例えどんなに時間を浪費してでも代え難い楽しさがあるよ。」


私たちは、カーナビが示す経路に従って、伊勢自動車道路の伊勢ICから亀山JCTで新名神に入り、名神高速豊中ICで首都高速に折れ最初の目的地である大阪城に向けて出発した。約三時間弱の行程である。トランは不満げな仏頂面をして後部座席に座っている。


「カーナビやETCがあると便利だね。」

「道に迷わないし、料金所でお金を出す煩わしさもない。スムーズに行ける。」

「私なら、もっとスピーディーですよ。時間ゼロ。」

「でも、トランを使ったら、この素晴らしい景色は見られないよ。」

「時間には代え難いね。そうだろ、ミカ。」

「はい、私も、そう思いますわ。」

「トランだって、この景色を見て良いと思うだろう。」

「それはそうですが、時間がもったいない。」

「トランは、随分とせっかちだね。」

「そんなことは、ありません。」

「ただ、経済性を考えてのことです。」

「私は、ジンやミカ、クウが存在する限り永久に稼働できます。」

「したがって、私にしてみれば、時間の浪費は問題外です。」

「ただ、ミコは違います。彼女だけが限られた時間の中を生きています。」

「ミコだけじゃないよ。」

「私だって生き返ったことは生き返ったけど、寿命は八八歳だ。」

「これが、なぜか、私の親父が逝った歳と同じなんだ。」

「不思議だね。」

「その時が過ぎても、ミカが存在し続けられるかは分からないし、ハモニーから任された仕事が終わるか、できなくなったときのクウの立場も分からない。」「だから、トランの存在も、私たち三人の行く末に依存せざるを得ない微妙な立場だ。」

「その時は、その時で、今から心配しても始まりませんわ。」

「皆さん。次の甲南パーキングエリアで休憩しますわ。」

「座りっぱなしで疲れたでしょう。」

「それに、エコノミークラス症候群で血栓症を起こしたら大変ですから。」

「ここらで休憩して手足を伸ばしましょう。」

「でも、ミカ。」

「うちら三人は、常人と違って疲れたり、血栓ができたりはしないよ。」

「生前の私なら、あり得たけどね。」

「まあ、ジンたらデリカシーがないこと。」

「自然現象もあるでしょう。私の口からトイレ休憩だなんて言えないですわ。」「あらっ、言っちゃった。恥ずかしい。」

「ご免。気づかずに皆まで言わせてしまって・・・。ということで休憩しよう。」


今時の娘は、こんな恥じらいは持ち合わせない。ミカが古風なのか、現代人が恥知らずになったのか。当然、日本人が昔ながらに持っていた恥を知る文化の方が正しいに決まっている。現代人は、厚顔無恥で、自己中で、無責任で、卑怯者で、数え上げたら切りがない。嘆かわしい限りだ。ミカが持つ優しさや思いやり、人を慈しむ心、気遣いや自立心を今の人たちは何処かに捨ててしまったようだ。そんなことを考えながら小便をしていると、隣の便器にトランがやってきた。


「あれ、トランも自然現象。」

「はい。私にも生理現象はあります。全く人間と同じです。」

「そうだったね。トランは、単なる機械人間じゃあなかった。人間そのものだ。」「改めて創始者の科学力を認識するよ。」

「その文明を何とか解明して現代に取り入れることができたらと思うよ。」

「無理なことは分かっているけどね。」

「そうですね。」

「私を分解できたとしても、地球の文明力では理解も解明もできません。」

「第一、私を分解できる科学力も今の地球人にはありません。」


今時は、トランのような外国人がいても何ら目立たないが、今の話はちょっとと思いながらトイレを出てみると、ミカがゴミ箱のある場所で見知らぬ二人の女性と話していた。近づいてみると話しているのではなく言い争っていた。


「ミカ、どうした。」

「この人が、家庭のゴミを捨てようとしていたから注意をしていたのです。」

「しかも、ゴミの分別もしていませんわ。」

「こちらの従業員さんも、ゴミは持ち帰ってくださいと言っていますわ。」


確かに、休憩所で物を買って出たゴミとは違い明らかに家庭のゴミで、いろんな物が混ざっていた。しかも、大きなゴミ袋が二つもである。


「他の人たちは、見て見ぬふりですわ。」

「従業員さんの言うことを聞かずに立ち去ろうとしたので、困っている従業員さんの応援がてら私も注意していたところですわ。」

「そうしたら、言い争いになってしまって。」

「奥さん。このゴミは、明らかに自分の家のゴミでしょう。」

「この注意書きにもあるように、高速道路の売店で買った以外のゴミは持ち込み厳禁ですよ。」

「五月蠅いわね。そんなの私の勝手でしょう。」

「ここは自由の国なんだから。」

「それに、ゴミの処理は私らが払っている税金で処置しているんだから、あんたらに文句言われる筋合いじゃないわよ。」

「そう言う問題じゃなくて規則は守らないと。」

「それに、自分ところのゴミは決められたところに捨てないと。」

「当たり前のことでしょう。」

「そうよ。当たり前のことでしょう。」

「だけど、決められたゴミステーションに捨てても持って行ってくれない。」

「だから、行楽のついでにここに捨てにきたのよ。」

「今まで何度もあっちこっちで捨ててきたけど、従業員以外に文句を言われたのは初めてだわ。」

「あんたらに何の権限がるのよ。」

「ゴミは分別して出さなきゃ、そりゃ、持って行ってくれませんよ。それも規則。」

「今時、まじめに規則を守っている人なんていないわよ。」

「そんなことないですわ。現に、貴女みたいに規則を破っていたら、世の中犯罪者ばかりになってしまいますわ。」

「それに、今こうしてゴミを捨てようとしている人は貴女だけですわ。」

「皆が貴女と同じようにしていたら、ゴミ箱はあっという間にいっぱいになってしまいますわ。」

「だから、このゴミは持ち帰って分別して決められたゴミステーションに捨ててください。」

「そうすれば、清掃局の人たちもゴミを持って行ってくれますわ。」

「ほんと、五月蠅いね。」

「面倒くさいんだよ。良いじゃないか。」

「だれも困らないし、このゴミだってあんたらが片付けるわけじゃないだろう。」「黙って見て見ぬふりしてりゃあ良いんだよ。」

「まだ、文句言うんだったら、あんたらで片付けたら。」

「こっちは忙しいんだから、あんたらに付き合っている暇はないわよ。」

「五月蠅い。」

「おい、どうしたんだ。そのゴミ捨てたら行くぞ。」


今度は、この厚顔無恥な奥さんの夫と思しき男が小学生の子供とともに現れた。


「パパ、この人たちがゴミを捨てちゃいけないって私を責めるのよ。」

「あんたら何だい。ここの従業員。」

「従業員は、この人で私らは通りがかりの者ですけど。」

「ゴミ箱にゴミを捨てるなって何の権利があって言ってるんだ。」

「要らぬお世話だ。」と私らを見て一瞬怯んだかのように間が開いた。

私は、ただの中年のおっさんにしか見えないだろうが、ミカやトランについては、彼の目を引きつける物があったに違いない。それが証拠に、私への視線は一瞥でしかなかったが、トラン、そして、ミカ。特に、ミカを見つめている時間の長さは尋常ではなかった。ミカの化粧っ気のない素顔の美しさや内面から醸し出される優雅さを無視できる人間はいない。男女問わず、その美しさと優雅さに圧倒されてしまう。


「パパ、何じっと見つめているのよ。」

「こんな奴ら構わずに無視して行きましょう。」

「まあ、待て、こいつらを懲らしめてからだ。」と私に近づき、私の胸ぐらを掴んで。

「五月蠅いんだよ。文句があるなら腕ずくできな。」と言ってきた。周囲の人たちは、ほら、言わんこっちゃないとばかりにちらちらと見ていた。どうやら、このヤンキーパパは、私が一番弱いと見たのだろう。それに、トランは外国人、ミカは女性、しかも美しく優雅な女性となると、やはり、脅しを掛けるには私が一番と踏んだのだろう。


「その子は、君の子供かね。」

「パパ、そんな爺さん。いつものように、早く片付けちゃいなよ。」

「君は、いつも子供の前で暴力を振るっているのかね。」

「ああ、強さが正義だっていつも言ってるよ。」

「強ければ苛められないし、弱い奴らを従えることもできるとね。」

「そうだよ。パパは、強いんだぞ。」

「ミカ、その子を頼むよ。トランは、奥さんを見ていてくれ。」

「おっさん。随分と落ち着いてるね。」

「どうやら痛い目見たいようだな。剛、洋子。一発ですむから見てな。」


次の瞬間、彼の拳が私の左顔面、目掛けて飛んできた。

私は、ハエでも留まりそうな早さの彼の拳を、いとも簡単に左手で拳ごと包み込み止めた。彼は吃驚して信じられないと言わんばかりに、目を大きく見開いて私を見つめた。彼は右手を外そうと藻掻くが、私の左手を振り払えないと分かると、今度は私の胸ぐらを掴んでいた左手を放し殴りかかってきた。これもまた、私の右手に掴まり動きを止められてしまった。彼は不思議そうな顔をして、身動きが取れない両腕に代わって、私の鼻っ柱に頭突きをしてきた。彼の脳裏には、鼻血を出してぶっ倒れている私の姿が浮かんでいただろうが、実際に吹っ飛んだのはヤンキーパパの方だった。目に目をではないが、頭突きには頭突きをで私は対抗した。当然、元は地蔵尊のクウの体である私の方が頭は硬いし不可侵の体であることも手伝って、結果、彼が吹っ飛んだわけである。そして、喧嘩が始まると周囲の人たちは、とばっちりを恐れてかいつの間にか遠くへ立ち去っていた。

当然、ヤンキーパパの強気の鼻っ柱と自負心は、彼が吹っ飛ぶのと同時に胡散霧消となってしまった。合点も行かず年寄りのくせに自分より強い者に、どう対処して良いのか分からずに吹っ飛んだ場所でへたり込んでいた。


「パパ、何やってんだよ。そんな爺さんに負けるわけないよ。」と駆け寄った息子に対し、五月蠅いと一括して突き飛ばした。その弾みでミカの方に転がり、彼女が抱え起こした。この年寄りに勝てない苛立ちと自分の惨めさや憤りが子供への八つ当たりとなって、我が子を突き飛ばしたのである。


「本当の強さは、喧嘩や暴力で相手をねじ伏せることではない。」

「もちろん、正義でもない。暴力は、暴力を生むだけだ。」

「うるせえ。ゴミを持って帰りゃ、良いだろ。けったくそ悪い爺だ。」

「剛、洋子。ゴミ持って帰るぞ。」

「パパ、負けたからって捨てたゴミ持って帰るのか。あんたってだらしないね。」


ヤンキーパパは、奥さんに小声でほかんところで捨てりゃ良いんだよ。と言っていた。


「パパ、ママ、だめだよ。」

「剛、何がだめなんだよ。」

「この爺さん。めっぽう強くて、俺には勝てん。」

「ここは引き下がるしかないんだよ。」

「違うって、規則は守らなきゃいけないってことだよ。」

「人に迷惑を掛けちゃいけないんだよ。」

「パパとママのやっていることは間違っているよ。」

「自分のことばかりで、人に迷惑ばかり掛けて人として最低だよ。」

「剛、おめえ俺がさっき突き飛ばした拍子に頭でも打ったのか。」

「おかしいぞ。」

「このお姉さんが教えてくれたんだ。」

「本当の強さって喧嘩に勝つことじゃないって、本当の強さは守るべきものを最後まで守りきる力だって。」

「それが、家族であったり、決まりごとであったり、自分の思いや夢であったり、優しさや人を思いやる心だって。」

「本当の強さは、暴力で自分のわがままを押し通すことじゃないんだよ。」

「だから、これからはこんなこと止めようよ。」

「人に迷惑を掛けずにちゃんとしようよ。」

「参ったな。自分の息子に諭されるとはなあ。」

「そうだよ。俺が今まで剛に言ってきたことは、自分の悪さと心の弱さを誤魔化すために言ってきたのさ。」

「悪いこととは知りつつ、そうするほうが楽ちんだ。」

「お巡りに見つからなきゃ何したって良いしな。」

「たかがゴミのポイ捨てやずる込み、信号無視なんか犯罪のうちには入らねえし、いちいち守るのも面倒くさい。」

「周りの連中も、ちょっと凄めば見て見ぬふりだ。」

「ほれ、見てみろ。」

「こいつら以外、皆、逃げてしまっているぞ。」

「だからって、それが正義じゃないし、このおじさんみたいに強い人には、暴力は通じないよ。いつかは、痛い目を見る日が来るよ。」

「そう、それが今日だったということだ。」

「その子の言うとおり、本当の強さや勇気は、喧嘩に強いということじゃない。」「それは、パパもママも承知の上だ。」

「今時、悪ぶっても流行らなし、第一、子供に親の二の前を踏ませたくないだろう。」

「親父と同じ誤った人生を送らせたくはないはずだ。そうだろう。」

「おっさんの言うとおりだよ。」

「自分の弱さを虚勢を張ることで誤魔化してきた。」

「しかし、もう止めるよ。自分の息子に教えられる親じゃ余りにもみっともなさ過ぎる。」

「息子には、全うに生きて貰いたいしね。」

「何より、息子が先に悟ってしまった。」

「もう誤魔化しは聞かない。そうだろう。」

「今度は、本当にゴミを持って帰るぞ。ママも良いな。」

「これからは、家族みんなで全うに生きていくぞ。」

「爺さんたちには迷惑掛けたな。あんたらに会えて良かったよ。じゃあな。」


彼らが去ると何事もなかったように、遠巻きに避けていた人たちの流れも元に戻った。


「本当に、有り難うございました。」

「私一人で一時は、どうなるかと思っていました。」

「おじさん。おでこ大丈夫ですか。」

「大丈夫。ほら、何ともなっていないよ。」

「お地蔵さんのように石頭なんだ。これ本当、嘘じゃない。」

「ミカとトランだけが、このやりとりを聞いて笑っていた。」

「二人にしか通じない冗談である。」

「まあ、何事もなく収まって良かった。」

「私らも先を急ぐので、さよなら。」

「はい、お気をつけて。」


私たちは、再び大阪城を目指して車に乗り込んだ。


「ねえ、ミカ。あの子になんて言ったの。」

「あの短い時間に、どうやって諭したの。」

「あの子、お父さんに突き飛ばされて倒れたのを私が起こしてあげた時、本当の強さは喧嘩に勝つことじゃないってひとこと言っただけですよ。」

「後は、見ていたとおりですわ。」

「すると、父親に言ったことは、あの子自身が日頃、思い考えていたことなんだね。」

「親のやっていることは、初めから間違っていると分かっていたんだ。」

「だけど、怖くて言えなかった。今日、ミカと会って言える勇気が湧いたんだな。」

「そうですね。あの家族は、親に似ず子供がしっかりしているのでもう大丈夫でしょう。」

「これからは、あの子が中心となって良い家族になると思いますわ。」


名神高速豊中ICから首都高速十一号、一号、十三号線を経て法円坂出口で上町筋に下り、大阪府庁の手前を左折して谷町駐車場に車を入れた。首都高は、流石に混んでいた。それでも、下道を行くよりは、早く目的地に着いたと思う。

季節は、初夏。爽やかな風が吹いている。絶好の行楽日和だ。平日とはいえども結構観光客がいる。定年退職した人たちの団体さんだろうか、老人が多い。


「まずは、天守閣に登ろう。入場料六百円。」

「ほらほら、大阪の町が一望できる。」

「大阪湾の方が西、こっちからは、次に行く大阪名物通天閣が見える。」

「こっちは南になる。東の山は、生駒山だ。」

「豊臣秀吉も、この天守閣から町並みを見下ろしていたと思うと歴史の重みを感じるね。」

「素晴らしいですわ。本当に、大きなお城ですわ。」

「でも、この建物は。八十年前に復興され、平成七年から九年に掛けて大改修されたものですよ。言わば、現代建築です。」

「トランは、ニヒリズムだね。もっと感動してよ。」

「物が古いとか新しいとかじゃなくて、この歴史の重みを感じてよ。」

「素晴らしいと思わないかい。」

「歴史が、人々が、連綿と続いて私たちは今こうして生きている。」

「ご先祖様に感謝しないといけないね。」

「トランは、創始者にね。」

「そうか、創始者は私たちの先祖でもあるわけだから、私たちも感謝しないといけないね。」

「私も感謝の気持ちは忘れていません。」

「ただ、現実を言っただけです。」

「私も感無量です。ジンと同じ気持ちです。ミカとも同じです。」

「そうでしょう。」

「それじゃ、見晴らしを満喫したところで次は、階を降りながら見て回ろう。」「このお城は、歴史博物館も兼ねているからね。」

「まずは、七階から。」

「ここは、秀吉の生涯を映像で再現している。」

「五階が大阪夏の陣のパノラマ、三,四階が豊臣秀吉とその時代、二階がお城の情報、一階が大阪城の伝説と謎などとなっているよ。」

「こうやってみると、人類の歴史は戦いの連続ですね。」

「しかも、今現在も一部で戦争をしていますし、テロとの戦いは時と場所を選びません。」

「犠牲になるのは、独善的な大義名分をかざして戦争を起こしている張本人ではなく一般市民です。」

「勝敗のつかない泥沼の戦いです。でも、創始者たちの歴史も同じようなものでした。」

「何度も同じ過ちを繰り返しながら、未来の人たちのために反省し、平和な世界の構築に努力してきました。」

「しかし、この偉業は一朝一夕になし遂げられません。」

「長い年月を掛け創始者たちは高みへと登ったのです。」

「地球人類の社会は、まだ、始まったばかりです。あと、何万年、何百万年単位の年月を経て創始者たちのレベルへと登っていくのでしょう。」

「トランの話は、壮大すぎる。」

「今この一瞬しか生きられない私たちにとっては、理解の域を逸脱しているよ。」「そう言う遙か遠い未来よりも、今このときを大事にして創始者たちの子孫でもある我々地球人類が、高みに登る前に滅びないことを祈るだけだ。」

「あっ、違った。」

「祈るだけじゃなくて、ハモニーから託された仕事を全うして、この世界の滅びの一因を排除していかなければね。」

「ジン、トラン。大阪の象徴と言うべき通天閣に行きましょう。」

「その前に、行きがてら道頓堀界隈で大阪名物「たこ焼き」を食べていこう。


私たちは、大阪城を後にして、道頓堀1丁目にあるコイン駐車場に車を止めた。


「ここからは、運動がてら通天閣を目指して歩くことにしよう。」

「この堺筋通りを行けば通天閣には近道だけど、こっちの御堂筋へ向かった道に行き、途中でたこ焼きを食べよう。」

「ちょっと遠回りになるけどね。」

「そうしましょう。楽しみですわ。」

「しかし、たこ焼きやとお好み焼きのお店が多いですね。」

「トラン、そりゃそうさ。」

「何たって食い倒れの大阪だし、たこ焼きもお好み焼きも大阪の一押し名物だ。」

「でも、これだけ多いとどの店で食べたら一番美味しいのか迷ってしまいますね。」

「先ほど、インターネットで検索してみましたけど、ブログの口コミでは、どの店も優劣をつけ難いです。」

「そうか。」

「人は十人十色だし、好みや主観の違いでいろんな意見があるのは仕方がないよ。」

「一番良い方法は、多種多様な情報よりも、現地現物で見て自分で判断するのが一番だ。」

「どうやって、判断しますか。」

「ほら、見てみて。」

「あそこのたこ焼きの店。長い行列ができてるだろう。」

「あの店にしよう。」

「買えるまでにちょっと時間がかかるけど、美味しい物を食べる前の楽しみの時間ということで我慢して並ぼう。」

「どの位かかるかな。」

「二十三分と五十八秒です。」

「随分と細かい時間ですわね。」

「はい、調理人の数と一人あたりの客が買う平均個数やできあがり時間を総合的に計算すると、今言った待ち時間になります。」

「流石、スーパーコンピュータ。」

「あっ、二人の男が割り込んだので、三十五分と十九秒になりました。」

「まあ、ずる込みするなんて許せませんわ。」

「ちゃんと並ぶように言ってきますわ。」

「ミカ、今度は私が言ってきます。」とトランが彼らの方へ歩き出した。


「大丈夫でしょうか。」

「トランなら、大丈夫さ。」

「それより、あのヤンキーたちが白人のトランに注意されてどう出るかが見ものだよ。」

「あら、ひどい。」

「ジンたらなり行きを楽しみにして、喧嘩にでもなったらトランのことが心配ですわ。」

「トランの心配よりも、あのヤンキーたちの心配をしてあげた方が良いと思うよ。」

「あれ、トランとヤンキーたちが列から離れて、道頓堀の河川敷に降りて行くよ。」

「ミカは、たこ焼き買っておいて。私は、トランの様子を見に行くから。」

「私も行きますわ。」

「大丈夫だって私の出る幕もないし、すぐ片付けて戻ってくるから。」

「そうしないと、また、並ばなきゃならなくなって時間がもったいない。」

「ミカの順番がくる前に帰ってくるよ。」

「分かりました。くれぐれもあの子たちに怪我をさせないでくださいね。」

「了解。」


「しかし、トラン、どう片を付けるつもりなのかね。」

「こんな人が多いところで、喧嘩をしたら面倒なことになる。」

「甲南のパーキングエリアでは、大事にならなかったけど。」

「こんな街中ではどうなることやら。そっちの方が心配だ。」

「あれ、ヤンキーたちが二人から五人に増えている。」

「平日の昼日中からたむろして学校や仕事はどうなっているのかな。」


「トラン、その子たちをどうするつもり、喧嘩は絶対にだめだよ。」

「それに、ミカから、その子たちに怪我をさせないようにとの伝言だ。」

「分かっています。でも、この子たち次第です。」

「デモは、なし。」

「絶対に喧嘩も相手を傷つけてもだめ。周りの人たちにも迷惑だ。」

「ここは、音便に話し合いでいきましょう。」

「おいおい、俺たちをガキ扱いしやがって。変な外人に今度は、おっさんかい。」「随分とコケにされたもんだ。痛い目見んのは、お前たちだよ。」

「まあ、そう言わずに、喧嘩は止めて話をしよう。」

「うるせえんだよ。俺たちに、いちゃもん付けておいて何びびってんだよ。」

「金くれたら、この場は納めてやるから有り金全部出しな。」

「君たちは、日本人の面汚しだ。」

「日本の恥だ。ルールは、ちゃんと守らなければいけません。」

「外人にしちゃ、日本語がペラペラだな。」

「ごちゃごちゃ言ってないで金出しな。」

「そうすりゃ、痛い目見ないで済むぞ。」

「そっちがです。」

「ああ、面倒くせえ。」

「兄貴、早くやっちまって金巻き上げましょうぜ。」


トランの方に四人。私の方に一人が向かってきた。

年寄りには、一人で十分だと見たのだろう。


「トラン。絶対に怪我をさせてはだめだ。」

「分かってます。」


例によって周囲の人たちは遠巻きになって見て見ぬふりではなく、今度は野次馬になってこのなり行きを楽しんでいるようだ。


「あの二人、可愛そう。ボコボコにされちゃうぞ。連中には、道理は通じないよ。」

「あんな連中と関わるから痛い目に遭う。君子危うきに近寄らずだ。」

「誰か、警察呼んでやれよ。」

「そう言うあんたが呼んでやれよ。」

「やだよ。巻き込まれたくないもん。」

「どっちに賭ける。」

「そりゃ、ヤンキーたちだ。多勢に無勢だし、一人は年寄りだ。」

「あの二人に、勝ち目はないね。」

「それじゃ、賭けにならないよ。」


勝手なものだ。野次馬たちは、この喧嘩を楽しんで劣勢な私たちを助けてやろうなんて、これっぽっちも思わない。本当は、ヤンキーたちが劣勢なのだけどね。

あれ、待てよ。何で周りの会話が聞こえるのだろう。この雑踏の中、遠巻きにしている人たちとの距離は、数十メートル離れている。普通だったら聞こえるわけがない。これも超能力。

私は、突っ込んでくるヤンキーに対して道頓堀川が背になるように動き、彼の突進を素早く避けて川に落とした。これなら喧嘩にもならず相手を傷つけずに済む。トランも同じことを考えていたようだ。既に一人が川に落ち、二人目を軽々と片腕で持ち上げ、川に落とそうとするところであった。そこに、ミカが大声で、「お巡りさん、お巡りさん。こっち、こっち。」と言って群衆の中をかき分けてやって来た。すると残った二人は、川に落ちた連中を置き去りに、一目散に逃げて行った。決まり文句の捨て台詞を忘れなかった。


「手前ら、これで済んだと思うなよ。覚えてやがれ。」


なんと逃げ足の速いことと感心していると。


「ジン。話が違いませんか。」

「すぐ戻ってくるはずじゃなかったのですか。」

「ご免。話が長くなっちゃて。」

「なっちゃたじゃ、ありませんわ。」

「たこ焼きが冷めてしまいますわ。」

「あれ、そっちの方。ところで、お巡りさんは。」

「そんな都合良く、近くにいるわけないですわ。」

「じゃあ、嘘。川に落ちた連中も信用して必死に向こう岸に泳いでいるよ。」

「神様が嘘を吐いて良いんですか。」

「嘘も方便ですわ。」

「あのままじゃ、彼らが怪我をしかねませんしね。」

「なるほど、善意の嘘は問題ないですね。」

「あっ、トランも気を付けてくださいね。」

「男性陣は、物事を何でも力で解決しようとする。」

「やっぱり、私が行けば良かったわ。私なら喧嘩はしませんもの。」

「そりゃ、心外だな。トラン。」

「ええ、そうです。私たちだって好きで喧嘩はしません。」

「相手の出方次第です。」

「それにミカ、ミカが行けば喧嘩にはならないけど、オオカミの巣に飛び込むようなものだ。」

「別の意味で直ぐ餌食になっちゃうよ。」


それが論より証拠、周囲の会話の中には、喧嘩が途中で終わってしまった事への落胆や、外人と老人の素早さへの驚きの声以外に、ミカの美しさへの羨望の言葉とか。一部ミカに対する嫌らしい妄想も聞こえてきた。


「あれで終わり。あの二人の方に賭けてれば儲(もう)かったのに。」

「あの娘、綺麗ね。外人の方の彼女かしら、そうだよね。うん、そうね。」

「あんな娘が彼女だったらな。」

「お前じゃ、月とスッポンで無理だよ。」

「今時の茶髪ギャルと違って、容姿端麗と言う言葉が似合う娘さんだね。ばあさん。」

「こんな時代に、こんな娘がいたとは、日本も捨てたもんじゃないですね。」

「あの娘とHできたら、死んでも本望だ。」

「無理、無理。天地がひっくり返っても、絶対にあり得ない。」


「私は、オオカミの餌ではありませんわ。」

「餌っていうのは、言葉のあや。」

「つまり、手込めにされちゃうということ。」

「ジン、手込めとは、また古い。強姦されちゃうということでしょう。」

「トランもストレートに言うね。」

「男って嫌らしい。そんなことばかり考えているのですね。」

「それに、言葉の解説はいりません。私だって分かってますわ。」

「それより、ここから早く離れよう。警官がいないと分かったら、あいつら戻って来るかもしれない。」


いつの間にか、群衆は何もなかったように胡散霧消し、いつもと変わらない街中に戻っていた。

私たちは道頓堀から離れ、たこ焼き屋の前を何もなかったかのように過ぎて元の通りを御堂筋方向へと歩いた。


「この人混みに紛れてしまえば、奴らも追っ手は来れないだろう。」

「この辺で、たこ焼きを食べましょう。」

「他の人たちも、道ばたに置かれたベンチで食べていますわ。」

「そうしよう。だいぶ冷めちゃったかな。」

「大丈夫ですわ。ちょうど食べ頃ですわ。」

「あら、大きなたこが入っていて衣とともに絶妙な美味しさを醸し出していますわ。」

「本当。美味しい。」

「そうでしょう。名物にうまい物なしというけど。」

「大阪のたこ焼きとお好み焼きは、本当に美味しいんだ。」

「今度はお好み焼きを食べよう。」

「似てるけど、また、違った美味しさがあるんだ。」


私たちは、次の目的地、通天閣に行く途中、千日前の老舗でお好み焼きを堪能し、通天閣では、これまた、名物の串カツを食べた。

こうして、この旅の真の目的である神定出版社の初版本「大いなる意思」三百冊の店頭販売の販路開拓も無事終了した。後は、売れ行きを見て今後の会社運営の方針を決定すれば良い。


「本日の目的は、すべて達成できたね。」

「はい、大阪のメジャーな名物も堪能できましたわ。」

「それじゃ、帰りますか。」

「ジン、帰りは私を使ってもらえますか。時間が節約できます。」

「でも、トラン。車はどうするんだい。」

「ここに乗り捨てて行くわけにはいかないよ。」

「こんな大きい物、移送機に乗らないでしょう。」

「大丈夫です。物の大きさは関係ありません。」

「精神感応能力、つまり私のエネルギー源となるジンたちの力の大きさが移送能力を決定します。」

「ジンもミカも、そして、ミコも精神エネルギーは無限大に近いですから、地球ですら移送できます。」

「でも、やっぱり地球文明を使うことにするよ。時間が掛かってもね。」

「当然、トランも一緒だよ。自分だけ先に帰ろうとしないこと。良いね。」

「私も、また、運転したいですわ。」

「それもだめ。帰りは私が運転するよ。」

「ミカは往きに運転したんだから、今度は私の番だ。」

「ミカは安全運転し過ぎ。制限速度ピッタリじゃ、遅過ぎ。」

「なぜですか。道路交通法を守るのは当たり前じゃないですか。」

「それはそうだけど、規制速度のプラス十キロ位は、慣例として出しても許されるんだよ。」

「それに、交通の流れに乗ることも大事だ。」

「流れを乱すと、返って事故を誘発する原因にもなりかねない。」

「それは、どういうことですか。」

「事故を起こさせないためにある法律を守ることが、事故を起こさせる原因になるとは。私には理解できませんわ。」

「つまりだね。これも一人一人のマナーの問題になるんだけど、現代人はせっかちで制限速度を守らない人が多い。」

「そうすると、遅い車を無理に追い越そうとして事故を起こしてしまうことがあるんだ。」

「制限速度を守っている車が事故誘発の一因になってしまうことがあるということだよ。」

「でも、それは、法律を守らない人たちが悪いのであって自己責任ですわ。」

「法律を守っている人に責任はありませんわ。」

「それは、そのとおりで法律を守っている人は罰せられないよ。」

「だけど、自分を無理に追い越そうとした車が目の前で事故を起こしてしまったら、何となく嫌じゃないかい。例え自分に非がなくても。」

「そうですわね。やっぱり、嫌ですわ。」

「そうだろう。だから、流れに乗る速度で走ることが必要なんだ。だけど、そのために自分がスピード違反をしてしまってはだめだけどね。」

「やはり、出してもプラス十位かな。」

「後、追い越し車線がない道路で後続車に煽られたら、車寄せに適当な場所で追い越させてあげれば良いんだ。」

「分かりましたわ。帰りは、ジンにお任せしますわ。」


私たちは、阪神高速1号環状線四つ橋入口から高速に乗り、往路の逆順で帰路に着いた。首都高は相変わらずの渋滞である。


「流石、都会だ。この渋滞を抜けるのに四十分以上は掛かるだろうな。」

「だから、私を使ってくださいと言ったのです。」

「あっ、と言う間なのに。」

「まあ、のんびり行きましょう。急ぐ旅でもありませんわ。」


長い渋滞に巻き込まれて車が止まると、横にバイクが来て窓をコンコンと叩いた。窓を開けて何ですかと尋ねると、携帯電話を無理矢理渡して私たちの車の前に陣取った。何だろうと思っていると携帯電話のベルが鳴った。


「運転中だから、ミカ出てくれない。」と助手席のミカに渡した。

「もしもし、はい。はあ、昼間お会いした人たちのダチの方ですか。」

「それで、はい。前のバイクに付いて来いと言うのですね。」

「でも、私たちは、これから帰るところですので、できましたら、この携帯電話を前のバイクに乗っている人に返して、このまま帰りたいのですが。」

「あっ、はい。」

「それは困りますわ。私たちが従わないと、その子はどうなるのですか。」

「ただじゃ済まない。」

「私たちがそちらの指示に従えば、その子を解放するというのですね。」

「でも、その子は私たちとは何の関係もない人ですわ。」

「指示に従いますから、今すぐ解放してください。」

「それはできない。はい、私たちがあなた方のいる場所に着いたら解放すると。」「分かりました。前のバイクに付いて行きますわ。くれぐれも、その子に危害を加えないでくださいね。」

「ジン、たこ焼き店でずる込みをした人たちからの呼び出しですわ。」

「行かないと見知らぬ女性が、彼らの犠牲になってしまいますわ。」

「なんと卑怯な連中だ。仕方がない。彼に付いて行くしかないようだ。」


バイクの後に付いて本町で左に折れ、阪神高速十六号大阪港線に入った。


「どうやら、大阪港方面に行くようだな。」

「埠頭の人気のないところに誘い出す気ですね。」

「困った。相手が何人いようが、どんな汚い手を使ったとしても、彼らには勝ち目がないのだけど、警察沙汰になったら彼らも私らも困る。」

「私たちは、困りませんわ。」

「だって、私たちに非はありませんもの。」

「そうだけど、警察の事情聴取にどう答える。」

「たった二人で暴走族をこてんぱんにしたことを。」

「通常ならあり得ないし、通常でないことを正直に言ってもキチガイ扱いされる。」

「誰も信用しないし、マスコミ沙汰になっても、また、困る。」

「だからといって、話し合いで人質を返してくれそうにもないですね。」

「ジン。三人でしょう。私も頭数に入れてください。」

「それは、だめですよ。」

「ミカに喧嘩は似合わない。そうでしょう。ジン。」

「そりゃ、そうだ。」

「ミカが彼らに負けることはないけど。神様は参加不可。」

「ジン、神ではなく一個人として卑怯な彼らを許すことはできませんわ。」

「気持ちは分かりますけど血なまぐさいことは、ジンと私に負かせてください。」

「まずは、彼らのいる場所や人数が分かればね。」

「それなら、待ってください。」

「この地域の全セキュリティーシステムに進入してみます。」

「ある程度コンピューターが発達している時代で良かった。」

「私なら簡単に進入して情報を瞬時に見つけ出すことができますから。」

「見つけました。」

「早いね。ほんと、あっ、と言う間だね。」

「今、カーナビの画面に出します。」

「そんなこともできるのですか。トランは、素晴らしい特技をお持ちですわ。」

「はい、どんな電子機器にでも進入し操作することができます。」

「幸いこのカーナビも最新のものですから、デジタル方式で情報を無線でやりとりしています。」

「ですから、こうやって画面に防犯カメラの映像を映すことができます。」

「やっぱり、どこかの埠頭だ。大型のコンテナが山積みになっている。」

「このカメラは、住之江区南港にあるガントリークレーンものです。」

「本来は、コンテナの積み卸しに使うものですが、私が操作して埠頭方向を映し出しています。」

「暗くて遠目ですのでジン達には分かり難いでしょうから、デジタル処理をして見やすくします。どうです。」

「この時間帯にバイクの集団がいるということは間違いないね。」

「車が三台とバイクが十台。人は、二十人か。人質らしい女性は見えないね。」

「車の中に監禁されているのでは、それと、皆、鉄パイプやこん棒で武装してますよ。」

「厄介ですね。ジンが彼らの攻撃を受けたら彼らは大けがをしますよ。」

「それは、大丈夫。」

「彼らは、私に指一本触れることもできない。」

「それに、この時間帯、他に誰もいないから、この出来事を目撃する者もいない。」

「幸いこのカメラも夜間は使われていない。今は、トランが操作して動かしているけど。」

「ということで多少の力を使っても構わないと思うよ。」

「それと、今映し出している光景は、残らないように処置して置いてね。」

「はい、処理OKです。」

「さあ、そろそろ目的地だ。」

「ミカ、申し訳ないけど、ちょっと姿を消しといてね。」

「分かりました。でも、絶対に彼らを傷つけないでくださいね。また、後ほど。」


ミカの姿が音もなく消え、車内は二人になった。彼らに対峙する側の道路端に車を停め歩いて彼らの前に進んだ。リーダーらしき若者が前に出てきた。


「昼間は、俺のダチがお世話になったな。お礼をさせて貰うぜ。」

「お礼が貰えるほどのことはしていないから要らないよ。」

「それより、この携帯と人質を交換しよう。」

「我々が来たら解放すると言ったよね。」

「そんなこと言ったかな。もう一人の超マブいスケは何処にいるんだよ。」

「お前らをメタメタにした後、みんなで回すんだ。楽しみだな。車の中か。」

「ケン見て来い。」

「総長、誰もいやしませんぜ。おかしいな、一度も止まらずに付いてきたのに。」

「そうか、その辺に隠れているんだろ。こいつらを袋にした後で探しゃ良いや。」

「人質は、車の中ですか。」

「ああ、車の中でお寝んねしてるよ。」

「ジン、確かにこの車の中で寝ています。」

「あんたらが勝てば連れて帰りな。負けたら俺たちのものだ。」

「隠れている女と一緒にみんなで回してやるよ。」

「総長とやら、君も男なら対マンでどうだ。私みたいな年寄り相手じゃ不足か。」

「その手には乗らないよ。爺のくせに、めっぽう強いことは知ってるぜ。」

「爺とは、失敬な。私は、六十そこそこだ。まだ、若い。」

「体力も君らには負けん。それに、君たちは卑怯だ。」

「人質を取って武器まで持って、私ら二人に二十人とは。」

「卑怯、喧嘩は何をしたって勝ちゃ良いんだよ。」

「卑怯、ふん、上等だ。」

「情けない奴らだ。」


秋の夜長はつるべ落とし。着いたときは、まだ、辺り一面セピア色に染まっていたが、今は夜のとばりがすっかり下りて黒一色になっている。それでも、埠頭にある昼光色の街灯が、ぼんやりとその周囲を映し出していた。


「それなら、こっちも卑怯な手を使わせてもらうよ」

「ジン、どんな卑怯な手を使うのですか。」

「トラン、私たちは常人でないところが、既に卑怯と言っても過言ではないよ。」

「そう言うことですか。」

「ただし、彼らを傷つけないこと。昼間とった戦法で行こう。」

「分かりました。」


二人は、大阪湾を背にするように動き、彼らを誘導した。


「その手は食わねえよ。昼間ん時みてえに海に落とす気だな。」

「まずは、奴らを取り押さえて動けないようにふん縛ってから袋叩きだ。」

「やっちまえ。」


一人が後ろから羽交い締めに、もう二人が両足を押さえ、最後の一人が前から腰の辺りに体重を掛けてしがみ付いてきた。常人なら押し倒されて全く身動きの取れない状態になるはずだが、何せ二人は常人ではない。


「どうだ、身動き取れねえだろう。今のうちにロープでふん縛っちまえ。」


二人は、羽交い締めにしている一人を難なく振り解き、腰にしがみ付いている一人を五メートルは離れているだろう大阪湾に、後ろ向きのまま両腕で投げ飛ばした。そして、両足を押さえ込んでいる二人も同時に、ひょいと片腕で持ち上げて、これもまた、後ろを振り返ることなく大阪湾に投げ込んだ。最初に羽交い締めにしていた一人は、簡単に外されてしまったことに合点が行かず座り込んでいた。トランの方も同じような状況であった。


「なんて力だ。総長、押さえ込めねえ。」

「しょうがねえ、ふん縛るのは諦めて一斉に行くぜ。」


彼らは、おっ、と気勢を上げて鉄パイプやチェーンを振りかざして襲いかかってきた。二人は、その集団に向かって駆け寄り誰彼構わず手当たり次第に大阪湾に投げ飛ばした。しかも、大阪湾までの距離は全く無視された。

ある者は海に落ちるまでに結構な時間、空中散歩を余儀なくされた。


「あら、貴女は人質じゃなかったのですか。」

「そのカメラで撮影して、どうしようというのですか。」


「えっ、」と一声を発したまま硬直状態になったように、身動き一つしなかった。

度肝を抜かれて吃驚したのか。ミカの美しさに見とれてしまったのか。人質であった女性は暫くの間、ミカをジーっと見つめていた。


「あら、吃驚。貴女は男の子ですね。可愛い。女装姿、良くお似合いですわ。」

「うるせえ。」とボーイソプラノで凄んだ。

「声も、可愛い。あなたも暴走族の仲間。」

「うるせえ。俺は、女扱いされるのが一番嫌えなんだ。」

「それに、子供じゃねえ。」

「ごたごた抜かしてねえで、大人しくしてな。」

「アニキ達が、お前の仲間を袋叩きにしてもうじき戻ってくるからよ。」

「そしたら、お前をみんなで回して。後は、やくざの兄貴に売り飛ばしてやら。」「楽しみだぜ。」

「そうなるかしら、ほら、喧嘩が始まったようですわ。」

「あの二人、あなたのお仲間に怪我をさせなければよろしいのですが。」

「ああ、何、言ってんだ。あれだけの人数に勝てるとでも思ってんのか。」

「はい、あなたたちに勝ち目はありませんわ。」

「バッカじゃねえの。おーと、カメラを回さなきゃ。」

「それで撮影してどうするのですか。」

「後で見て楽しむのさ。お前が強姦されているところもばっちり撮ってさ。」

「えっ、ウソ。あいつら人間か。何て力だ。」

「仲間が、みんな海に投げ飛ばされている。どういうことだよ。」

「彼らは鍛え方が違いますわ。あなたたちは勝てませんわ。」

「こりゃ、だめだ。しょうがねえ。」

「お前だけでも連れてやくざの兄貴に渡さねえと、こっちの首が危なくなる。」「痛い目見たくなかったら、大人しく車に乗りな。」

「このビデオとお前を渡しゃ、兄貴も許してくれら。」

「でも、私は、あなたの言うことを大人なしく聞くつもりは御座いませんわ。」

「うるせえ、ごちゃごちゃ言ってねえで早く車に乗れ。」


彼は、素早く車から降りてミカの手を押さえ無理矢理車の中に入れようとしたが、次の瞬間、彼は車の屋根を飛び越し反対側にすっ飛んでいた。


「痛ててえ。どうなってんだ。」

「実は、私も鍛え方が違うもので。」

「女だと思って優しくしてりゃ、付け上がりやがって。もう、容赦しねえ。」


彼は、手負いの熊の如く、怒りに負かせてミカに向かってきた。

ミカは彼の拳を手で受け止め、次の瞬間、彼の猪突猛進の力を利用して合気道の如く、五十メートルはあろうかという距離を大阪湾まで投げ飛ばした。


「あれ、ジン。偉(えら)い遠くから、飛んできた者がいますよ。」

「これで、最後だ。」と言って見上げると、女性が飛んでいった。ザブーンという音が二つ聞こえて辺りは静寂さを取り戻した。


「あれ、人質の女性じゃないか。どういうことだい。」

「二人とも、ご苦労様。」

「やあ、ミカ。さっき飛んでいった女性は人質だよね。」

「そうですわ。ジン。でも、女性ではありませんでした。」

「彼らの仲間が女装していましたわ。」

「へぇー、すっかり騙されましたね。」

「トラン、騙されましたね。じゃ、ありませんわ。」

「さっき見たとき気付かないなんて駄目ですわ。」

「そうは言いますが、ミカだって彼を投げ飛ばすなんて大和撫子にあるまじき行為で、はしたないですよ。」

「まあ、まあ。二人とも喧嘩はそれくらいにして、トランは彼らの様子を見てくれないかい。」

「ミカは、何があったか話してくれないかい。」

「はい、私は人質を助けようと喧嘩が始まる前に、彼女、いいえ、彼に近づきました。」

「すると彼は、カメラでこの喧嘩の様子を撮っていましたわ。」

「彼らの背後には、暴力団が絡んでいるようです。」

「私を強姦した後、ヤクザに売り飛ばすと言っていましたわ。」

「うむ、ヤクザか。あまり関わりたくない連中だな。」

「ジン。彼らは、全員無事です。」

「皆、泳いで岸壁にしがみついています。」

「その内、自力で上がってくるでしょう。」

「そりゃ、良かった。金槌がいたら溺れてしまう。」

「これで、彼らも頭が冷えて怒りも収まっただろう。」

「携帯電話を彼らの車に置いて帰るとするか。」

「その前に、カメラの映像を消さないといけませんわ。」

「そうだ、トラン。この喧嘩の一部始終が人質に化けていた彼に撮られてしまった。映像を消しておいて欲しい。」

「分かりました。容易いことです。」

「単に消すのは面白味に欠けますので、代わりに教育テレビのお母さんといっしょを入れておきます。」

「まあ、何でも良いけど。この騒動の痕跡が残らないようにね。」


私たちが帰ろうと車に向かうと、背後から異様な声が響いてきた。人間が憎い。人間に復讐してやる。人間は皆殺しだ。その声に促されるように私たちが振り返ると、先ほど大阪湾に投げ入れた暴走族達が何かに取り憑かれたようになって空中に浮いていた。


「まずは、お前たちを血祭りにして全ての人間を抹殺してやる。」


私たちは、あっという間に彼らに取り囲まれてしまった。


「困った。彼らは何かに取り憑かれ操られているようだ。」

「今度は、さっきのようにはいかないな。」

「かといって、彼らを傷付けるわけにもいかない。」

「トラン、申しわけないが、クウを迎えに行ってくれ。」

「私たちだけでは、霊魂と話せない。」

「分かりました。直ぐに戻ってきます。」と言った瞬間、戻ってきた。

「早いね。」

「はい、説明する時間が必要かと思いましたが、クウは全てを承知していました。ですから、私に乗る時間だけで戻ってこれました。」

「クウ、事情は承知のとおりだ。彼らは、何に取り憑かれているんだ。」

「はい。つい最近、この界隈で死んだ動物たちの霊です。」

「どういうことだい。」

「犬や猫のような動物は、人間と違って死んだら無条件にハモニーの所へ行くわけではないのかな。」

「はい、そのとおりですが。この場合、暴走族の怒りの念と動物たちの人間に対する憎悪の念が何かの作用で同調し、この事態に至っていると思います。」

「だからといって、人間が浮いているのは、おかしくないかい。」

「はい、この状態は異常です。」

「動物の霊が人間に取り込まれること事態、絶対にあり得ません。」

「人には、人の霊です。」

「それに、人間と違って動物たちには未練という感情はありません。」

「ですから、動物の霊が、この世に留まることも絶対にあり得ません。」

「不思議です。何か邪悪な波動を感じます。」

「取り敢えず、クウの力で霊魂と彼らを引き離してくれ。」

「それと、私たちにも霊体が見えるようにしてください。」

「はい、みんなにも見えるように霊体を彼らから引き離します。」


動物たちのマイナスエネルギーから引き離された彼らは、地面に落ちた拍子に気を取り戻し、私たちを見るなり例の捨て台詞「くそったれが、覚えていやがれ」を言って蜘蛛の子を散らすように逃げていった。後には、死んだペットたちの霊が塊となって、それぞれの区別が付かない霧みたいな薄ぼんやりとした状態で残った。強い恨みの念の塊である。


「ジン、この状態では、彼らは何もできません。」

「人間に取り込まれた状態でなければ害はなし得ません。」

「取り込んだ人間が、マイナスエネルギーと相まって悪事を働くのです。」

「だからといってこのままにしておくと、また、先ほどの連中のような輩が、このマイナスエネルギーを取り込んで悪いことをしかねません。」

「これから先は、ジンの仕事です。ハモニーの所へ行くように説得してください。」

「しかし、動物と話ができるのかな。彼らには、言葉がないだろう。」

「大丈夫です。ジンの能力を使えば良いのです。」

「分かった。あのもやもやした霧の中に入って話してみるよ。」


ジンの姿が霧の中に消え五分ほど経つと霧みたいなものがなくなり、ジンの土下座した姿だけがその場に残った。


「あの中で何があったのですか。」

「言葉はいらなかった。テレパシーとでもいうのか心で感じることができた。」

「彼らの恨み辛みやらの憎悪の念が私の心に伝わってきた。」

「子猫の頃は可愛いと大事にされたが、いざ大人になると疎まれ大阪湾に投げ込まれた。」

「ある猫は、ブーニャンと持てはやされ間違った愛情の元に太るだけ太らされて人間でいう生活習慣病で頓死。」

「その猫は、元気であちこち行きたかったって。」

「同じような犬もいて、死ぬ前にいっぱい走りたかったって言っていた。」

「引っ越し先が、動物が飼えない借家で捨てられて餓死。」

「つまり、人間のエゴで動物たちの命を持て遊んだわけだ。」

「当の人間たちは、全く命の大切さを理解していない。」

「反省もせず、今も同じ事を繰り返している。」

「しかし、全ての人間がそうではないということを彼らに伝え、私が心ない人間の代わりに謝った。」

「すると、彼らの憎悪は薄れハモニーの所に行くことを素直に受け入れてくれた。」

「それで、土下座をしていたわけですね。」

「彼らの話を聞いているうちに、涙がこぼれて自然と土下座をして謝っていた。」

「心底、命をないがしろにする人間に腹が立つ。みんなもそう思うだろう。」

「はい、そう思いますわ。」

「そう言う人たちは、動物を飼ってはいけませんわ。」

「それじゃ、皆さん。だいぶ遅くなりましたので、今度こそ私を使ってください。」

「それじゃ、トラン。お願いするよ。」

「でも、本当に君の中にこの車も入るのか。」

「大丈夫です。皆さんの精神エネルギーの強さなら地球でも入ります。」

「本当、そしたら地球も移送できるということになるね。」

「はい、そのとおりですが、実際に、この星を移動させたらバランスが崩れ、太陽系の形が変わります。」

「ですから、やってはいけないことです。」

「つまりは、できるけど、できないということだ。」

「さあ、トランに乗って一気に帰ろう。」

「それでは、私の本体へ。」


初めてトランの中に乗ったときは、人が数人入れる位の広さだったが、今は、4人と車1台、余裕の広さだ。


「着きました。」

「乗ったときの時刻と全く一緒で、所要時間ゼロ。」

「私は、もう一働きしてミコを送ってきます。」と言って消えた途端、また、現れた。


「ただいま。」

「お帰りなさい。」

「ちょっと遅い夕食になりますけど、冷蔵庫に有るもので何か作りますわ。」

「その間に、お風呂に入ってください。」

「ミカ、食事の支度は必要ありません。」

「フードディスペンサーで出しますから、皆さん何を食べたいですか。」

「もう、時間も遅いことだし、この際、トランに頼むとしますか。」

「それに、エネルギー源は私たちだしね。」

「ギブアンドテイクといきましょうか。」

「その前に、風呂に入ってさっぱりしてから食事にしよう。」


「トラン。私はビール。肴(さかな)はホルモンで、晩酌(ばんしゃく)といきますか。」

「私もジンと同じ物が食べたいですわ。」

「えっ、ミカ。酒飲めるの。」

「分かりません。飲んだことありませんから。」

「でも、ジンがいつも美味しそうに飲んでいましたから、私も常々飲んでみたいな。と思っていましたわ。」

「じゃ、一緒に飲みますか。酒は一人で飲むより、大勢で飲んだ方が楽しんだ。」

「トランは、どうする。」

「私も、お付き合いします。」

「よっしゃ、おやじ。生ビール大とホルモン三人前。」

「親父って、私のことですか。私は、ジンの父親ではありませんよ。」

「そうじゃなくって、居酒屋のおやじって言うことさ。」

「コックということですね。」

「もう、雰囲気が壊れるな。」

「はい、どうぞ。」

「もっと雰囲気出して、生ビール大、ホルモン三人前、お待ち。とか言ってよ。」

「ジンの拘りは、それくらいにして飲みましょう。」

「分かりましたよ。それじゃ、乾杯。」

「うわ、苦い。こんな物が美味しいんですか。」

「そうだよ。トラン。」

「この苦味と炭酸が、生のホルモンを単純に塩こしょうで炒めたものと良く合って絶妙の美味しさを醸し出すんだ。」

「でも、ジン。お世辞でも美味しいとは言えませんわ。」

「初めは、みんなそうさ。でも、その内に、この美味しさが分かってくるよ。」

「トラン、ビールとホルモンおかわり。」

「まあ、食べるの早いですわ。もっと、ゆっくり食べてくださいね。」

「ビールは、のどごしの旨さを味わうためにゴクゴク飲むもんだよ。」

「口に含んで味わうから、苦みだけがきわだって不味くなるのさ。」

「さあ、一気に飲んでみて。」

「あら、本当。ゴクゴク飲むと美味しいですわ。このホルモンも美味しい。」

「そうだろう。やっとビールの旨さが分かってきたみたいだね。」

「トランも、どう。」

「分かりました。」

「口に含んで舌で転がしていると、苦いだけで美味しくありませんが、喉ごしで飲むと爽やかな味ですね。」

「でしょう。さあ、飲んだ、飲んだ。」

「トラン、私も、おかわり。」

「生大、ホルモン追加。」

「はい、お待ち。」

「おっ、トランも調子が出てきたね。もう一人前、追加。」

「ジン、そんなに飲んで大丈夫ですか。」

「大丈夫。」とは言ったが、大分酔いが回ってきていた。

「ミカは、大丈夫。」

「はい、大丈夫です。最高の気分ですわ。」

「トランは、酔わないの。」

「はい、私の体内に入ったアルコールは、即座に分解されてしまうので、脳が麻痺することはありません。」

「アルコールに限らず、有害物質は全て排除されます。」

「何だ、それじゃ、酒を飲む意味がないな。酔う楽しみがないじゃないか。」

「なんだか、私、歌を歌いたくなりましたわ。」

「残念ながら、家にはカラオケがなかったね。」

「それも、任せてください。私のメモリーには、時代や国、星を問わず全てが記憶されています。」

「今の日本の歌で良いですわ。」

「私は音痴なので遠慮するけど、後は二人で楽しんで。「

「それと、酔いも大分回ったので歯磨いて先に寝るから。お休み。」


こうして、営業初日は何の問題もなかったとは言えないが、本の書店への売り込み自体は上手くいった。後は、売れ行きを待つだけだ。問題と言えば、あの暴走族達はどうしているだろう。ミカの話だと、彼らは地元のヤクザと関係があるようだ。大丈夫だろうか。しかし、何があっても自業自得、自己責任ということだ。だけど、と考えながら、かすかに聞こえるミカの澄み切ったソプラノの声と、テノールのトランの声を子守歌代わりに私は夢の途に着いた。


「おはよう。昨日は何時までカラオケしてた。」

「十二時までですわ。」

「もう大分遅くなったので片付けようとしましたら、後始末も私にお任せください。ってトランが言いますので見ていましたら、フードディスペンサーに食器やら残った物やらを全て入れ、あっと言う間に消失させてしまいました。」

「これじゃ、余りにも便利すぎて食事を作ったり片付けたりするのが面倒くさくなりますわ。」

「トラン。昨晩は時間が遅くてお願いしたけど、普段は通常どおり現時点での文明の利器を使うように心掛けてもらいたいんだけど。どうかな。」

「はい、もちろんです。ジンの言葉に従います。」

「トラン、私たちは、対等の立場での仲間だ。」

「主従関係はないのだから、意見があったら遠慮なく言って欲しい。」

「はい、命のままに。」

「トラン、ふざけてるね。まあ、ミカも同じだからね。遠慮はいらないよ。」

「ところで、昨日は酔ってしまって言わなかったけど、昨日の暴走族、彼らの事が気になって仕方がないんだ。」

「私もですわ。ジン。」

「あの後、彼らは、どうしているのでしょうか。」

「私を戦利品としてヤクザさんの兄貴分に売り渡すって言っていましたけど。」「思惑どおりに行かず手ぶらで逃げ帰ったことが知れれば、ヤクザさんのお兄さん達は彼らをどうするでしょうか。」

「ヤクザに、オや、サンを付ける必要はないよ。」

「まあ、ただじゃ済まないだろうね。流石に殺されはしないだろうけど。」

「彼らが私たちにしようとしたことが、今度は彼らが受けなければならないだろうね。」

「痛い目見るだけで済めば良いが。」

「相手がヤクザとなると、それだけじゃ済まないな。」

「済まないと言いますと、ジン。」

「トランなら、どう落とし前を付けると思う。」

「そりゃ、ヤクザの世界ですから、指の一本や二本は置いてけって言うでしょう。」

「ヤクザ同士ならそうだけど、彼らはまだヤクザではないし、それに子供だ。」

「分かりましたわ。ヤクザさんは、彼らをお金や女性を集める手先として利用していますから、この失態の穴埋めに益々そのようなことを強要するでは。」

「まあ、そんな所だと思うよ。何にせよ、彼らはいつか刑務所行きになるね。」「それでは、彼らが可愛そうですわ。」

「その時は、ヤクザさんも捕まりますよね。」

「おそらく、ヤクザは捕まらない。」

「彼らを盾にして自分たちの手は汚さない。」

「捕まるのは暴走族の彼らだけで、暴力団との関係を確定するだけの証拠がないということで警察も逮捕できないと思うよ。」

「なんて卑劣な方達でしょう。」

「暴力団とは、そう言うものだ。」

「どんな事件を起こしても、組織の中枢に迫ることはできない。」

「末端の手先だけが使い捨ての如く切り捨てられる。」

「旨い汁を吸うのは、組長と幹部だけだ。その幹部でさえいつかは切り捨てられる。」

「どうして、暴力団を壊滅させられないのでしょうか。」

「どうしてかな。トランの創始者達の過去は、どうだった。」

「超古代史には、そのような悪の組織はありましたが、貨幣制度を廃止して貧富の差がなくなり、全ての人類が健康で平和に暮らせるようになった時点で自然消滅しました。」

「なるほど、今の人類は自分たちが造った貨幣経済や自由主義などの制度に縛られ、貧富の差は益々開くばかりだ。」

「そして、その差が、また、身分や学力の差を生んでいる。」

「第二次世界大戦直後の流動的な社会なら、一攫千金を夢見て頑張れば、その努力が報われたが、今の時代は無理だ。」

「どうしてですか。」

「トランの星の歴史を見れば分かると思うよ。」

「はい、歴史記録によれば、資本主義社会は、ある一定のレベルまで発展すると、資本の集中化が進み貧富の差が拡大します。」

「そして、社会は固定化しアメリカンドリームのようなことが、文字どおりの夢物語となります。」

「ゼロから億万長者にはなれない社会です。」

「そして、貧富の差が益々拡大すると、身分や学力の差となって現れ、富裕層と貧困層の二つの社会に別れてしまいます。」

「更に、時代が進むと、富裕層の社会でも貧富の差が出現し、貧困層社会に脱落していきますが、貧困層社会から富裕層に上がることはできません。」

「なぜなら、一国が造れる貨幣は、その国の経済力に比例した制限を受けます。」「当然、そのお金が、富裕層に集中しますので、貧困層社会に流布する貨幣は、当然少なくなる一方です。」したがって、貧困層の社会では、犯罪者が増えます。」

「しかし、富裕層の家は、セキュリティーがしっかりしていて被害を受けません。」

「かといって、コンビニとかの商店を狙っても防犯システムが整備されていて、例え強盗に成功しても逮捕されるのは時間の問題です。」

「そうなると、狙われるのは、貧困層に暮らしている人たちです。」

「貧乏だから暮らしていくために、同じ貧乏人から盗まざるを得ない。」

「被害にあった人たちは、なけなしの金を奪われて、生きていくために同じような罪を犯さざるを得ない。」

「悲惨な社会現象です。」

「貧困層社会からは、絶対に這い上がれません。そして、どこの国でも貧困層の人工が増えるにつれ、国としての経済は破綻し、テロから国家間の戦争へと発展しました。」

「このような事が数世紀にも亘り繰り返されました。」

「戦争の度に大量破壊兵器の開発が進み、それに伴って科学文明も発達しました。」

「原爆はもとより、クリーンな核兵器も開発され、私たちの母星の人口は、四十五億から三億人へ激減しました。」

「たった数百年の間にです。」

「皮肉なことに、戦争に勝つための武器開発が、当時の文明を飛躍的に発展させたのです。」

「そうして、生き残った人たちが数え切れないほど繰り返された戦争の悲惨さから教訓を少しずつ積み上げ、これ以上戦争を繰り返さないために貧富の差を生む貨幣制度を廃止しました。」

「そして、人々が平和で健康に暮らせる社会を創り上げたのです。」

「ただし、この社会も紆余曲折を余儀なくされました。」

「以前、ジンが言いましたように、人の本質である我欲と悪心。人より秀でたい。同じ暮らしじゃ、満足しない。向上心や意欲の低下。依存心の増大。生きていくための目標や夢、希望の喪失。人々は、精神的に弱くなりました。」

「生活不安がなくなる一方で、先ほど上げたことが怠惰な人間を増産し、自殺者や精神的破綻者も生み出しました。」

「しかし、これも一過性のものでした。」

「人々は、気が付きました。」

「それは、以前に諦めていた自分の好きな仕事や趣味をすることです。」

「お金や知識不足で諦めていた仕事や趣味が、今は、誰にでもできるのです。」「しかも、何度でもやり直せる社会です。諦める必要がないのです。」

「そういう社会になって、時代が進むと精神的なゆとりと脳の活性化が進み、精神感応能力が使えるようになりました。」

「能力の出現には個人差がありました。」

「既に、人の本質である我欲や悪心は薄れ、その能力を悪用する考えはなく。」

「むしろ、みんなのために能力を使うことに喜びを感じていました。」

「逆に、我欲や悪心を優先すると、脳の後退現象が起こり能力が失われました。」「おそらく、創始者達が移住した星では、この地球も含めて過酷な環境で生きていくために、我欲や悪心を優先させなければならず、結果、能力が失われたと思います。」

「そして、創始者達の文化も能力も伝承されることはなかったのです。」

「そういうことか。地球人の歴史も戦いの連続だ。」

「現在の地球人口は約七十億、トランの母星より約一点五倍の人口になる。」

「地球も同じ運命を辿るのだろうか。」

「おそらく、同様な歴史が繰り返されるでしょう。」

「人類という種が絶滅する前に、子孫達が戦争の愚かさに気づき、私の母星のように発展することを祈ります。」

「そうなると思いますわ。人は滅亡するほど愚かではないと思います。」

「遠い未来に、トランの星のような文明を発展させると思います。」

「私は、信じていますわ。」

「私も、ミカの考えに賛成するよ。」

「だって、歴史は繰り返されると言ったよね。」

「それは、戦争ばかりじゃないはずさ。」

「文化や文明、そして、先人の教訓など、全ての物も繰り返し伝承されるはずだ。」

「地球人も遠い将来、創始者達と同じ文明を手に入れ、それ以上に発展させると思うよ。」

「そんな時代に生きてみたいけど絶対に無理だ。」

「転生輪廻できれば別だけどね。」

「ところで、暴力団の話しに戻るけど、今の話でも分かるように、暴力団がなくならないのは、人間の本質である我欲や悪心に支配されている人たちがいるからだね。」

「そうです。」

「自己中心的で自分さえ良ければ、人を踏みにじっても何とも思わない。」

「そんな人たちの最後の受け皿が暴力団です。必要悪なのかも知れません。」

「しかし、暴力団が最後の行き場にはならないよ。」

「最後は、刑務所か人知れず葬り去れるだけだ。」

「そんな悲惨な人生で終わってしまう人は、悲し過ぎますわ。」

「そうは言っても自分で選んだ道。自己責任だ。」

「そのことに、彼らは気がつかない。」

「社会や生まれ育った環境の所為にして自分を正当化し反省しない。」

「何度でも罪を犯す。」

「そういう人たちは、自立更生を支援するための社会制度や人々の善意を、利用するだけ利用して感謝の気持ちもない。」

「そして、その支援がなくなると、また、罪を犯す。」

「完全な怠け者になる。その代償が、悲惨な人生というわけだ。」

「貨幣経済を廃止した結果、一時期、その怠け者が増えましたが、罪を犯さなくても暮らせることから犯罪者はなくなりました。」

「いや、やはり、理想社会だ。」

「貨幣を廃止したら、世界が大混乱になる。」

「どのように、混乱しますか。」

「そりゃ、うむ。具体的にどうなるか、分からないよ。」

「私は、学者じゃないから。ただ、今の資本主義や自由主義、社会主義や共産主義、法律や慣習、道徳や倫理観、宗教、ありとあらゆるものに影響して大混乱が生じることは確かだ。」

「そうですね。今の地球では無理です。精神的にも文化的にも未熟です。」

「では、貨幣制度を廃止した時のメリットは、何だと思いますか。」

「最大のメリットは、貧富の差がなくなることだ。」

「その他、需要と供給のバランスが取れて生活不安がなくなる。」

「戦争がなくなる。民族や宗教紛争はなくならないと思うけど。」

「逆にデメリットは、」

「最大のデメリットは、さっき言った社会が混乱すること。」

「向上心や気力、やり甲斐の喪失。怠惰で依存心の強い人間の増加。」

「改めて考えると、デメリットの方が多いと思うよ。」

「それに、そんな社会制度を創り出す能力を持った政府は、どこの国にもないし、現在の独裁国家でも無理だ。」

「そのとおりです。貨幣制度の廃止に至るまでの道のりは長く試行錯誤でした。」

「まず、富める者が経済的弱者を助け、世界を一つにすること。」

「一国一国では、貨幣制度を廃止することはできません。」

「それぞれの地域で、自然や社会環境に適した産業の推進、人や物の流通の自由化、世界規模での役割分担、言語の共通化、長い年月が必要でした。」

「今の地球人が貨幣制度を廃止できるようになるまでには、人類文明の滅亡と復興を何度か繰り返さなくてはならないでしょう。」

「千年、万年、百万年単位の時間が必要です。」

「暴力団の話から貨幣制度の廃止へと話題が飛んだけど、あの大阪の暴走族はどうしているだろう。」

「心配ですわ。彼らの人生が、悲惨なものにならなければと思いますわ。」

「そうだね。」

「小学生の頃から悪ガキで、万引きから始まり、中学で窃盗恐喝、高校で暴走族に入り集団で暴力、強盗強姦等、犯罪がエスカレートし、少年院送りになり家族から見放され、社会の救いの手も利用するだけで更生せず、暴力団の手先となって、或いは、何度でも再犯して刑務所への出入りを繰り返し、年をとって最後は無縁仏だ。」

「この世にいて地獄界を生きたも同然だ。」

「なんと虚しい人生だ。」

「そんな人生を彼ら自身も望んではいないはずだが、なぜ更生しないのだろう。」

「ジンは、彼らの人生もそうなると思いますか。」

「ミカ。全員がそうなるとは思わないけど、彼ら自身が早く気付いて自ら人生を改めようとしない限り、そうならざるを得ない。」

「他人がどうすることもできない。彼らは、何を言っても聞く耳を持たないからね。」

「あの、ジン。」

「何だい、トラン。」

「今話題の連中ですけど、ヤクザの呼び出しを受けていますよ。」

「トラン、どうして分かるのですか。」

「大阪で渡された彼らの携帯電話の通話を記録していました。」

「あっ、それはプライバシーの侵害に当たるぞ。法律違反だ。」

「なんて、堅いことは言わないよ。で、どんな通話。」

「彼らに総長と言われていた男が、ヤクザの事務所に来るように言われています。」

「いつ、どこに。」

「今日の七時、難波千日にあるマンションの三〇四号室です。」

「えっ、今、七時過ぎ、既に彼は事務所にいるということだ。」

「しかし、居場所がよく分かるね。」

「はい、彼の携帯から位置情報を得ています。」

「誰でも携帯を持っている人なら、キーポイントで見つけることができます。」

「GPS付き携帯電話があると聞いているけど、まだ、普及してないよ。」

「GPSはなくても関係ありません。」

「電話会社のコンピューターにアクセスして情報を得て分析しています。」

「それと、事務所には監視カメラがありますので、例によってこのテレビに映し出せます。空いているチャンネルで。」

「どれどれ、地デジの8チャンネルでどうかな。」

「本当、映ってる。」

「ヤクザといったら夜に暗躍するイメージがあるけど、こんな朝に呼び出すとはね。」

「表向きは、経営コンサルタントの事務所になっています。」

「それで、総長も背広にネクタイか。特攻服より遙かに似合ってるよ。」


「おい、女はどうした。」

「この写真の女だよ。」

「こいつは、相当な上玉だ。」

「売り飛ばすにはもったいないと組長が仰せだ。」

「俺の妾にすると言ってるぞ。」

「そうなれば、お前も大出世だ。」

「で、女はどこだ。連れて来てねえのか。おい。」

「あの、それが。」

「何だよ。はっきり言えよ。」

「連れて来てねえなら、ただじゃ置かねえぞ。」

「そっ、それが奴ら、普通じゃねえっすよ。人間じゃねえ。化け物だ。」

「すっげえ力で、俺たち全員、あーっ、という間に大阪湾に放り込まれた。」

「何十メーターもある距離をですよ。」

「それと、はい上がろうと藻掻いていたら、急に意識がなくなり気がついたら、いつの間にか埠頭に上がっていた。」

「頭が混乱して、みんな恐怖のあまり我先にと逃げ出した。だから。」

「何、寝ぼけたこと言ってるんだ。」

「要するに、女はいねえってことだな。」

「どうせならもっとまともな言い訳しろよ。」

「誰がそんな嘘信じるかよ。」

「ドジ踏みやがって、この落とし前、どう付けてもらおうかな。」

「嘘じゃないっすよ。このビデオに撮ってありますよ。」

「ほお、見せてみろ。おい、これをテレビに映してみろ。」

「へい、兄貴。あっしがやります。」

「兄貴、映しますぜ。」

「何だ、こりゃ。教育テレビだ。この後か。」

「あれ、おかしいな。」

「ちゃんと最初から録画したって、リュウの奴言ってたよな。」

「ちょっと待ってください。早送りしますから。」

「何処にも映ってねえようだな。」

「もう、誤魔化すのは止めろ。」

「この埋め合わせは高く付くぞ。」

「まあ、取り敢えず、この女を連れて来ることだな。」

「それから、集金のノルマを上げるからな。」

「そんなの無理っすよ。今のノルマだって果たせないのに。」

「ましてや、この女を連れてくるには、あの二人に勝たないと。」

「絶対、無理っすよ。」「

「じゃ、お前に責任取ってもらうよ。」

「どう、取れば良いっすか。」

「そうだな、この男を始末してこい。」

「ほら、チャカだ。」

「そんな、俺に人を殺せって言うんですか。できねえっすよ。」

「それじゃ、お前に死んでもらうしかないな。」

「勘弁してくださいよ。」

「あの女と金は、何とかしますから。」

「駄目だな。この話を聞いた以上は、お前が死ぬか。」

「こいつを殺るかだ。」

「誰にも言いませんから、勘弁してください。」


「ジン、大変な事になりましたわ。私の所為で彼の命が危ない。」

「別に、ミカの所為じゃないよ。自業自得だよ。」

「だけど、放って置けないね。」

「トラン、この事務所の前にジャンプだ。ミカは、留守番。」

「無理ですわ。ジンなしでは、実体化が解けますので留守番はできませんわ。」

「困ったな。」

「おはよう御座います。」

「おっ、グッドタイミング。クウに留守番を頼もう。」

「分かりました。行ってらっしゃい。」


いちいち説明しなくても良いところが、クウと私の関係だ。


「ところで、ミカ。あっちでは、絶対に実体化しないようにね。」

「昨日も言うことを聞かずに大和撫子ならぬ振る舞いをしたでしょう。」

「約束してくれ。」

「はい、約束します。」

「じゃ、行くよ。トラン。」

「はい。周囲に人目はありません。」

「事務所の出入りを監視するカメラのみです。」

「それじゃ、カメラの細工はよろしく。乗り込むよ。」

「その前に、ミカ絶対に駄目だからね。」

「出てきたら、後でお仕置きするからね。返事なしか。」


ピンポン。


「済みません。会社経営のアドバイスをお願いしたいのですが。」

「営業時間は九時からですので、それ以降に、また、来てください。」とインターホーン越しに返事があった。

「そこのところを何とか。九時以降は、こっちが仕事で伺えませんので。」

「それじゃ、昼休みに来ていただけませんか。」

「それも無理です。」

「ここと仕事場の往復では四十分は掛かります。」

「話をする暇がありません。お願いします。」

「うるせえんだよ。うちは、名ばかりの会社だ。」

「実際にはコンサルタントなんかしてねえよ。」

「今、立て込んでんだ。さっさと帰れ。」

「仕方ないですね。それでは無理矢理、お邪魔します。」

「私がノブを回すと、カチャと言って鍵が外れた。」

「壊す必要がなくて良かったですね。」

「お前たち、どうやって入ってきた。」

「三つの鍵とチェーンを壊したのか。」

「いいえ、壊していません。鍵は開いていました。」

「そんなはずはねえ。この小僧を入れたとき、俺はちゃんと閉めたぜ。」

「若いのに健忘症ですか。」

「んなわけねえだろう。」

「兄貴、こいつらです。俺たちを大阪湾に投げ込んだ奴ら。」

「こいつら、化け物だ。」

「ほう、お前たちか。」

「こいつらを可愛がってくれたのは。」

「良い度胸してんじゃねえか。ここに乗り込んでくるとは、どこの鉄砲玉だ。」

「私たちは、ヤクザとの関係は全くありませんわ。」

「やっぱり。ミカ、出てきちゃ駄目だと約束しただろう。」

「扉の前で返事がないから嫌な予感はしてたけど、ここに来る前に家で約束したじゃないか。」

「はい、約束しましたが、何かのお役に立ちたくて破りました。」

「約束を破って良いわけないでしょう。後でお仕置きだからね。」

「ジン、出てきてしまった以上は、仕方がありません。」

「しょうがないな。」

「おお、こりゃすげえ。写真以上の上玉だ。」

「そっちから来てくれるとは。手間が省けるというもんだ。」

「その子を助けに来ましたのよ。」

「私の所為で人殺しをさせられるなんて放って置けませんわ。」

「何の話だ。」

「その写真の男は、山田組系仁竜会の組長ですね。とぼけなくても良いですよ。」「あの監視カメラを通して一部始終見ていましたから。」

「何だ。うちのカメラから見ただと。そんなことできるはずがねえ。」

「それに、どうしてこの男の素性がわかったんだ。」

「警察の資料から割り出しました。」

「お前ら警察か。」

「外人のお巡りなんて聞いたことねえ。」

「いいえ、警察ではありません。それに、私は日本人です。」

「日本で育ったアメリカ人だな。」

「いいえ、生粋の日本人です。」

「そんなことは、どうでも良いや。」

「察じゃないなら、飛んで火に入る夏の虫さ。」

「このことを知られたからには、生きて返すわけにはいかねえ。」

お前ら二人は、コンクリ詰めにして大阪湾に沈めてやりゃ。」

「この女は、組長に上納だ。」

「そんなことさせませんわ。」

「あのね、ミカ。」

「大和撫子は、お淑やかにしてなきゃ駄目だよ。」

「争いごとはトランと私に任せて、その子を守ってあげないと。」

「分かりました。」

「このヤクザさん達は、ジン達にお任せしますけど絶対に怪我させないでくださいね。」

「何だ。俺たちに怪我させるなってか。」

「随分、舐めた口聞いくじゃねえか。」

「兄貴、こいつら普通の人間じゃないっすよ。」

「うるせえな。」

「こっちには、チャカもあるんだ。」

「それに、こんだけの人数に勝てるわけねえだろう。」

「こいつら片付けたらお前には、きっちり、この男を仕留めてもらうからな。」「その女と隅で楽しみに待ってろ。」

「それでは、お言葉に甘えてこの子と神棚の下で待たさていただきますわ。」

「あなた、お名前は、歳は、いくつ。」

「はーあっ、」


少年は、改めてミカの美しさを間近に見て、圧倒されたように呆けた返事をした。そして、こんな状況下に落ち着き払っている彼女の態度にも納得がいかないようである。


「あっ、俺。一郎、歳なんてどうでも良いだろう。」

「あんた、どうしてここに来たんだ。しかも、ここがよく分かったな。」

「あなたが、私の所為で悪事に荷担させられそうだから助けに来ましたのよ。」「ここが分かった理由は、どうでも良いことですわ。あなたが無事なら。」

「そんな理由でヤクザの事務所に乗り込んできたとは無茶すぎる。」

「ヤクザに関わって、無事に済むわけがねえ。」

「ミカ、その子を頼むよ。

「それと今回は、無傷で事を運べるか分からない。」

「そうだよ。お前たちは、あの世行きさ。」

「でも、その拳銃を撃ったら警察に通報されるよ。」

「しかも、その銃、中国から格安で買った銃じゃないのかな。」

「どうして分かった。」

「当てずっぽう。だけど、そうなら撃つの止めたほうが良いよ。」

「弾がどこ飛んでいくか分からないし、銃自体が壊れるかも知れない劣悪品だ。」

「心配いらねえよ。ここで試し撃ちした時だって警察に通報されなかった。」

「ご近所さん、何があっても無関心だからな。」

「命乞いしても無駄だからな。覚悟しろ。」

「撃たないほうが良いと思うけどなあ。」


彼は、そんなことは構わずに人を殺すことに何の躊躇いもなく、私に向かって引き金を引いた。私は、身じろぎもせずに平然としていた。


「あれ、当たらねえ。それに、殺される人間が何で平然としているんだ。」


彼は、二発目を撃った。先ほどと同様に、弾は天井に飛んだ。


「くそ、こんな近くで撃ってるのに、本当、粗悪品だ。」

「もう、止めたほうが良い。薬室にひび割れができてる。」

「うるせえ。騙されやしねえよ。三度目の正直だ。」


彼は、両手でしっかり拳銃を持ち直して撃った。その瞬間、拳銃は壊れて飛び散った。当然、彼の両手も吹っ飛びはしなかったが重傷を負ったようだ。


「痛え。」

「だから、言わんこっちゃない。早く医者に行った方が良いぞ。」

「うるせえ。こいつら、たたんじまえ。」


事務所にいた五人が、ドスを抜いて掛かってきた。

しかし、一分も経たないうちに、五人全員が気を失って倒れ勝負が付いた。


「どうなってんだ。喧嘩慣れした奴らが、こうも簡単にやられるとは。」

「しかも、あっという間で、こいつらの動きが分からなかった。」

「兄貴、だから言ったでしょう。こいつら、普通の人間じゃない。」

「お前ら、この女を助けたけりゃ大人しくしな。」

「一郎、やるじゃねえか。助かるぜ。」

「お前ら、こいつの言うとおりしろ。」

「一郎君、助けに来た私にナイフを向けることはないでしょう。」

「ヤクザさんの兄貴さんを助けたところで、あなたも殺されるか、殺人を犯すかで何の得にもならないですわ。」

「あんた達は、暴力団の怖さとしつこさを知らない。」

「一度関わりを持つと一生付きまとわれる。」

「それが嫌なら、ヤクザになるしかない。」

「例え、この場をしのいでも組織がなくならない限り逃げられない。」

「大丈夫ですわ。この組は、今日で終わりますから。」

「どうして、そんなことが言える。」

「だって、もうすぐ警察が来ますわ。」

「そして、この組の敵対関係にある暴力団の組長殺害計画が暴かれて、この組は解散せざるを得なくなりますわね。」

「そうでしょう。兄貴さん。」

「うむ、いつ、誰が警察を呼んだんだ。」

「私が、一郎君の携帯を使って通報しました。」

「もちろん、一郎君の名前も使わせていただきました。あしからず。」

「どういうことっすか。携帯はここにあるけど。」とポケットから取り出した。

「本当だ。発信履歴がある。いつ、どうやって。そんな暇なかったすよ。」

「まあ、種は明かせませんけど、事実、一郎君が通報したことで間もなく警察が来ます。」

「君の供述から全てが明かされます。」

「君たちがやらされてたことも含めてです。」

「そして、この組は解散。もちろん、君の暴走族組織もです。」

「この機に、ちゃんと罪を償ってやり直してください。」

「トランの言うとおりですわ。」

「一郎君が暴力団と縁を切る良い機会ですわ。」

「警察に全てを話して罪を償ってください。」

「それと、このナイフはもういりませんわね。私が、処分しますわ。」

「くそ、一郎。こいつらの言うことを聞くな。」

「後で、幹部待遇で組に入れてやるから、女を人質に逃げるぜ。」

「おまえら、動くなよ。」

「兄貴、もうおしまいっす。俺も堅気になりたいっす。」

「この人達の言うことに従って暴走族を止め罪を償って真面目にやっていきたいっす。兄貴、悪く思わないでください。」

「手前、覚えておけ、務所から出てきたら、ただじゃ、おかねえ。」

「ほら、サイレンの音が聞こえてきた。間もなく警察が来る。」

「後は、一郎君に任せるよ。私たちはこれで帰るぞ。」

「ミカ、トラン、帰るよ。」


私たちが部屋から出ようと玄関に行くと、外から警官がドアを開けて入ってきた。私たちは、警官の目には留まらずにトランに乗って家に帰った。


「通報してきたのは、君だね。」

「えっ、あの、玄関で彼らに会いませんでした。」

「彼らとは、ここには君たちしかいないよ。」


ちょうどその頃、気絶していた男達が、よろよろと起き上がってきた。狐につままれたような顔で、何がどうなったのか分からずに警官達を見ていた。


「あっ、はい。電話したのは俺っす。」

「本当に、玄関で人と会いませんでした。」

「何度聞いても、君たち以外は見てないよ。」

「察の旦那。さっきまでここにいて入れ替わりに出て行った連中がいたんですよ。」

「何、寝ぼけてんだ。銃刀法違反で現行犯逮捕。」

「七月六日、七時二十三分。」

「お前らには、まだまだ、余罪があるだろう。」

「とことん絞り出してやるから覚悟しておけ。」

「全員連れて行け。聞きたいことが山ほどある。」

「旦那、本当ですって、監視カメラの記録見てくださいよ。」

「不法侵入した奴らが、銃を撃って逃げていったんですよ。」

「俺たちは被害者で違反は何もしていませんよ。信じてくださいよ。」

「その話は、署でゆっくり聞いてやるから、お前ら全員、豚箱行きだ。」


「ジン、トラン。どうやって、あのヤクザさん達を倒したんですか。」

「ああ、トランに教えてもらった一撃で気絶させる事ができるツボを突いた。」「中国四千年の歴史を誇る気功術というところかな。」

「人差し指一本に気を集中して眉間を軽く突くだけ、力はいらない。「

「気を一点に集中して放つだけで良いんだ。」

「そうだ。トラン。」

「ミカとクウにも教えておいて、相手を怪我させないで倒せる。」

「はい、他にもあるツボ全てを教えましょう。」

「ところで、監視カメラの記録は大丈夫だろうね。」

「はい、大丈夫です。」

「警察が押収したビデオには、一郎君が人殺しを強要されているところと、拳銃の試し打ちをしている場面しか映っていません。」

「私たちのことは一切記録されていません。」

「目撃者も容疑者である組員と一郎君だけです。」

「当然、彼らの言うことは、根も葉もない嘘となります。」

「もちろん、ミカの写真とデーターも処分済みです。」

「完璧ですわ。トランって素晴らしい。」


東京へ


「大阪の本屋さんの売れ行きは、今ひとつだね。」

「そこで、考えたんだけど販路拡大ということで、千葉にある親父とお袋の墓参りを兼ねて東京に行こうと思うんだけど、どうかな。」

「メンバーは。」

「トラン。メンバーは、大阪の時と同じだよ。」

「今度は、二、三日泊まらないと無理だからクウは前回同様、留守番。」

「できたら一緒に連れて行きたいんけど。」

「ミコは東京の祖父母の墓参りに、もう何年も行ってないだろう。」

「でも、母さんがミコの外泊を許すわけないしな。」

「ジン。ミコが是非行きたいと言っています。母親を説得すると言ってますよ。」

「まあ、無理と思うけど、母さんが良いと言ったら一緒に墓参りだ。」

「お父さん、約束だからね。」と、あっという間に事務所を出て行ってしまった。

「クウも一緒に行けたら、楽しい旅行になると思いますわ。」

「ところで、ジン。あんな約束をしても良かったのですか。」

「きっと、お母さんも墓参りに行くと言いますよ。」

「しまった。気軽に約束してしまったけど、トランの言うとおりだ。」

「妻も行くことになるな。こりゃ、困った。」

「何が困るのですか。みんなで行けて楽しい旅になると思いますわ。」

「ミカ。そんな悠長なこと言っていられないよ。」

「妻やばあちゃんが一緒に墓参りすることになったら私が行けない。」

「となると、ミカも行けないということだよ。」

「そうでしたわ。死んでいるジンが家族と一緒に墓参りはできませんものね。」「ジンがいないと、私の実体化も解けてしまいますわ。どうしましょう。」

「絶対、東京へ行きたいですわ。留守番は嫌ですわ。」

「私の正体が分からないように、一緒に行く方法はないものかな。」と悩んでいるところに、クウ、いや、この場合は、ミコが嬉しそうに戻ってきた。

「お父さん。お母さん良いって、但し、お母さんとお婆ちゃんも一緒だって。」

「やっぱり、私が言ったとおりでしょう。」とトランは、鼻高々。

「こりゃ、本当に困った。」

「ところで、さっきから、気になっていたのだが、クウが私をお父さんと呼ぶわけがないよね。」

「と言うことは、今は、ミカの意識が出てきているということかな。」

「クウの意識はどうなった。」

「どうにもなっていません。相変わらずミコの体の中です。」

「但し、ミコの意識を凌駕できなくなりました。」

「ということは、今はクウとミコが、一つの体を共有しているということ。」

「そんなことできないよね。」

「はい。本当ならミコの閉ざした心の扉が開いた時に、当然、私は弾き出されているはずなのです。」

「ところが、ミコの何らかの力で私は引き留められています。」

「私の力を持ってしても、離れることができません。あり得ないことです。」

「クウは、ミコが離さない限り私に戻って来れない。」

「私は、彼女をどっちの名前で呼べば良いんだ。」

「お父さん。私のことはクウって呼んで、私はなるべく表には出ないようにするから。お父さんも私とじゃ仕事しづらいでしょ。」

「そうだな。ところで、ミコは私とのわだかまりはないのかい。」

「なんか、こう話しづらいというか。気恥ずかしいというか。」

「面と向かって話すことに躊躇いを感じるとか。」

「ないと言ったら、嘘になるかな。」

「やっぱり、子供の頃のようには無邪気に話せないよ。」

「だから、普段はクウと一緒に仕事して。」

「それより、クウを私に返してくれないかい。」

「そうすれば、ミコを危険な目に遭わせないで済むし、私も安心してハモニーの仕事ができる。」

「それは、絶対に嫌。」

「まだ、私一人で生きていく自信がないもん。」

「それに、クウを放したら漫画のストーリーを、いちいちみんなに聞かなくちゃいけなくなるでしょ。面倒くさい。」

「自分のことは自分で守るよ。」

「そのために、ダイエットを兼ねて格闘技も覚えたし、トランにも人間の秘孔を教えてもらってるから。」

「しかし、実戦で何処まで通じるものやら。」

「それに、ミコだけが生身の人間だ。」

「いくら技に長けたとしても、素手ならまだしも鉄砲玉には勝てないぞ。」

「分かるけど、それでも、私の居場所はここなの。」

「クウとともに霊を救済し漫画を描くことなの。」

「私がやりたいことを無理矢理止めさせないで、また、以前のように駄目になってしまう。お願い、お父さん。」

「分かった。ミコの考えを尊重するよ。」


私は、子供は親の言うことを聞くのが当然とばかりに、娘達の気持ちを考えずに親の考えを押し付けてきた。言わば、子供を親の従属物のように扱った。そのことが、子供達の心を傷付け個人としての自尊心や自立心も壊してしまった。


「でも、危なくなったら、直ぐに逃げると約束してくれないかい。」

「約束するから、みんなとこの仕事を続けさせて。お願い。」

「分かった。」

「ミコが一人でやっていけるという自信を取り戻すまで一緒にこの仕事を続けよう。」

「嬉しい。これで、私は引っ込むわ。後は、クウよろしくね。」

「あっ、ミコ。墓参りの件が、・・・。駄目です。引っ込んでしまいました。」

「墓参りの問題はどうしますか。ジン。」

「問題を作っておいて逃げたな。」

「もう一つ言い忘れてた。」

「お母さん達は、東京に嫁いだココの家とお父さんの実家にも寄りたいって。」「じゃあ、バイ。」

「言いたいことだけ言って、また、逃げた。どうすれば良いんだ。」

「ジン、簡単です。」

「墓参りと娘さんの嫁ぎ先やジンの実家にはミコ達だけで行って貰い、私たちは別行動で墓参りと東京での営業をすれば良いのです。」

「しかし、トラン。」

「墓参りの件は会社側が提案したことで、ミコだけを連れて行くつもりだった。」「ばあちゃんたちが行くからって、今更会社の人が一緒に行動しないとは言えないよ。」

「そのことは、ミコに上手く言って貰いましょう。」

「例えば、家族水入らずでの墓参りをして貰うために、会社の従業員は別行動にしますとか。」

「ミコの面倒は家族にお願いして、会社の人たちは、後日、改めて東京に営業に行きますとか。」

「どちらにしても、お母さん達は気を悪くしますわ。」

「私たちが行くって言ったせいで、会社に迷惑が掛かったと思い込みますわ。」

「ミカの言うとおりだ。ばあちゃんたちは、必要以上に人を気遣うからね。」

「そうなると墓参り自体がキャンセルになりかねない。」

「となると、みんなで六人。」

「車二台か。ミカとトランは良いけど、私だけが問題だ。」

「面と向かって会えない。幽霊騒ぎになる。」

「さっきも言ったけど、私が行かないとミカも行けない。」

「私だけトランに乗って車に付かず離れずの距離で移動するか。」

「それは可能ですが、そうするとジンは、ずーっと、私の本体から出られませんよ。」

「本体から出てきて間違って家族の人たちに出くわしたら大変です。」

「それも嫌だな。」

「三泊四日くらいで温泉にでも入ってのんびりしたいと思っているのに、ずーっとトランの中から出られないんじゃ、行く甲斐がないよ。」

「それじゃ、変装しますか。」

「変装。かつら被って口ひげサングラス。」

「芸能人ならともかく、いつバレるか心配しながら旅行するのも疲れる。」

「そんな単純な変装ではなく、創始者の技術を使います。」

「外見は全くの別人になれます。」

「ただし、骨格や言葉使い、声音、考え方や行動、性格や癖までは変えることはできません。」

「その点は気を付けてください。」

「年齢は今のままで良いと思います。外見上で、何かリクエストはありますか。」

「そうだな。体型は、筋肉質で細身が良いな。髪型は、」

「顔だけにしてください。体型からは、正体を推し測れませんので。」

「分かったけど、このだぶついたお腹、引き締めてほしかったなあ。」

「髪は七三分け。顔立ちはしょうゆ顔で。」

「要するに目立たない普通の中年男の顔で良いよ。」

「それでは、今時の中年風のありふれた日本人の顔にします。」

「私の本体へ移動しましょう。」


「あら、前の角刈りも凛々(りり)しくて良かったですけど、今度の長めの髪型も落ち着いた感じがして素敵ですわ。」

「ただ、顔立ちは。んっ、ぱっとしませんけど。」

「これで良いの。目立たないようにしたんだから、後は、名前を変えなくちゃ。」

「山田太郎って、どうかな。」

「余りにも、オーソドックス過ぎますね。」

「それじゃ、藤澤はどうだろう。」

「その名前は、本当にありふれていて目立ちませんわ。」

「その名前が良いと思いますわ。」

「それじゃ、決まり。旅行間は、藤澤でよろしく。」


ミコの車に四人、ミコ、妻、ばあちゃん、ミカ。会社の車には、私とトラン。そして、漫画本五百冊。

一泊目は南伊豆にある下賀茂温泉に、二泊目はミコと妻、ばあちゃん組と私とトラン、ミカ組に分かれて、ミコ組は次女ココに会い東京の実家に。次の日に、兄と共に墓参りをして兄を実家に送ってから、三泊目は奥湯河原温泉で合流することにした。私たちは、東京にいる二日間で営業をすることにした。


「おはようございます。」

「初めまして、私たちが神定プロダクションのスタッフです。」

「私は、神、オッホン。藤澤です。よろしくお願いします。」

「こちらが神野、そしてトランです。」

「社長と私たち三人で、この会社を設立しました。」

「神野です。ミカと呼んでください。よろしくお願いします。」

「トランです。よろしくお願いします。」

「おはようございます。社長ってミコのことですか。」

「こちらこそ、娘がお世話になりまして。」

「これからも娘をよろしくお願いします。後、母です。」

「孫が、世話になって。」

「ところで、こちらの外人さんは言葉が通じるのかね。」

「はい、私は日本で育ちましたので言葉には不自由しません。」

「そりゃ、良かった。この年で英語でもないからね。」

「ミカさんは、今時のお嬢さんとは、ちょっと雰囲気が違いますね。」

「大和撫子というか。若いのに、優雅で落ち着いた大人の雰囲気を持たれている。」

「それに、美しい。美しすぎますね。非の打ち所がないという感じですね。」

「お母さん。ミカはね、私と同じ年。」

「あなたは二十五歳といっても、まだまだ、おぼこい子供だわ。」

「それに、トランさんも若くていらっしゃるのに大人で素敵ですわ。」

「お幾つですか。」

「えーっと、何歳に見えますか。」

「そうね。ミコと同じくらいかしら。」

「大当たりです。私も二十五歳です。」

「あの、挨拶はそれくらいにして出発しませんか。」

「経路は、カーナビのとおりで。二台で行きますので、はぐれても目的地の温泉で合流ということで。」

「女性陣は娘さんの車で。男二人は、こちらの車で後ろに付いて行きますから。」


私たちは、それぞれの車に分乗して出発した。約八時間の行程である。伊勢自動車道、湾岸道を経て東名高速、沼津インターを下りて国道一号線、到着予定は午後四時頃となる。ちょうど良い時間だ。ゆっくり一風呂浴びて汗を流した後、食事となる。


「しかし、妻もばあちゃんも、私のことは眼中にないな。」

「何の目もくれないし、話題にすら上がらない。なんか寂しいね。」

「それは、仕方ありません。」

「顔立ちは全くの別人ですから気がつくはずがありません。」

「それに、バレたら大変ですよ。」

「まあ、仕方ないか。ごく普通のおっさん顔だし、ミカやトランのように若くも美しくも素敵でもないしね。」

「どうせなら、格好いい顔にして貰えば良かった。」

「ジン。ひがんでるんですか。良い歳して大人気ないですよ。」

「ああ、そうですか。トランなんか本当の歳言ったら、何百万歳だよね。」

「はいはい、分かりました。すねてないで機嫌直してください。」

「ハイは、一回で良いですよ。あーあっ。男二人じゃ、つまらない。」

「それは、こっちも同じです。」

「こんな原始的な乗り物で時間を浪費するなんて愚の骨頂です。」

「もう、止め止め、愚痴を言うのは、旅は楽しく行きましょう。」

「ほら、トラン。初夏の景色、素晴らしいだろう。風も心地良いしね。」

「真っ暗なマリアナ海溝で百五十七万四千七百八十二年もの間、朽ち果てかけていた私にとっては見るもの全てが、新鮮で素晴らしいものばかりです。」

「それは分かりますが、私の移送機としての存在価値はどうなるのですか。」

「大丈夫。必要な時はトランを使わせて貰うから。

「その時はよろしくね。車、運転してみる。」

「無理です。免許を持っていません。警察に捕まってしまいます。」

「本当は、運転できないんでしょう。」

「違います。車に限らず、全宇宙の乗り物の操縦方法は、全てインプットされています。操縦できないものは、ありません。」

「じゃあ、宇宙は別として地球の乗り物は全て動かすことができるってことだね。」

「はい、全て。」

「でも、免許は持っていませんから、警察に見つかったら大変なことになるので運転はしません。ジンにお任せします。」

「了解。おっ、前の車が刈谷のハイウェイオアシスに入っていくぞ。休憩だね。」


刈谷のハイウェイオアシスは、大きな観覧車と温泉スパも併設するショッピングモールとなっていて、一般道からの利用もできる複合施設だ。


「藤澤さん。藤澤さん。藤澤さん。」

「ジン。藤澤ってジンのことですよ。奥さんが呼んでいますよ。」

「あっ、はい。何ですか。」

「聞こえないのですか。何度も呼んだのに。」

「いえ、考え事をしていたもので、呼ばれているのに気がつきませんでした。」

「大あん巻きいかがですか。美味しいですよ。」

「あ、ちょっと甘いのは苦手で。」

「そうですか。じゃあ、トランさんは。」

「トランと呼んでください。さんはいりません。有り難うございます。」

「ジンたら、このお菓子、本当に美味しいですわ。」

「あれ、藤澤さんの名前は、ジンというのですか。」

「あっ、その、はい。ジンです。」

「どんな漢字ですか。私の死んだ夫もジンです。人間の人の字を使います。」

「私は、単なるカタカナです。」

「そうですか。私の夫も甘いのが嫌いでした。」

「何にでも辛子を付ける人でしたわ。」

「つい、昔のことを思い出しまして、藤澤さんには関係ないことでしたね。」

「いえ、気にしないでください。」

「たまたま、同じ名前だったということですから。」

「ミカ、ジンって呼んじゃだめなのに。ほら、ジンが困っているよ。」

「うっかり呼んじゃった。だって、藤澤さんなんて呼び慣れていないもの。」

「しょうがないな。」

「会社では、スタッフ同士はファーストネームで呼び合うことにしています。」「そうすることによって、仲間意識が醸成され仕事がはかどります。」

「たった四人の零細企業ですから、みんなで協力しないとできません。」

「肩書きはありません。年功序列もありません。」

「そうですか。」

「失礼ですが、藤澤さんは最年長者ですけど、名前で呼び捨てされることに抵抗はないのですか。」

「私が提案したことですし、何の抵抗もありません。アメリカ式です。」

「それじゃ、私のことも名前で呼んでください。」

「でも、会社の人じゃないし、社長のお母さんでしょう。」

「呼び捨てにしずらいな。」

「やはり、神定さんで。」

「分かりました。そのように呼んでください。」

「それじゃ、神定さん。みんな、そろそろ出発しますか。」


「トランは、甘党。大あん巻きは、甘すぎると思うけどなあ。」

「私には、好き嫌いはありません。美味しかったですよ。本当。」

「私は、甘いものはだめだ。」


「ミカさん。」

「はい、ミカで良いです。何ですか。」

「ミカは、年上の藤澤さんを名前で呼ぶことに抵抗はないのですか。」

「はい、ありません。」

「今時の若い子は、そんなもんかね。」

「おばあちゃん。私だってジンって呼び捨てだよ。」

「お父さんと同じ名前で最初は変な感じだったけど、親しみが湧いて話しやすい関係ができたわ。」

「そんなもんかね。わしら年寄りには分からないね。」

「ねえ、ミコ。ミカと言いトランと言い、どのように知り合ってジンさんたちと会社をすることになったの。」

「それはね。たまたま買ったロト6で一等当てたから。」

「そのお金で夢だった漫画家になることを決めたんだけど。」

「どうして良いか分からないので、経営コンサルタント会社を訪ねたんだ。」

「社長がジンで、社員がミカとトランだけ。」

「それが縁で一緒にプロダクションを立ち上げることにしたの。」

「それでは、コンサルタント業は辞めたのですか。」

「いえ、一時休業と言うことで廃業はしていません。」

「ただ、テナントの事務所は引き払いました。」

「今は、経費節約のため会社の二階を住居にしまして私たちが住んでいます。」「もちろん、ミコの部屋もありますが、お母さんの許しが出るまでは、社長だけが通いということですわ。」

「それで、ミコ。漫画は売れているの。」

「売り始めたばかりで、まだ、売れ行きは悪いけど、生活には困っていないよ。」「ジンたちが、大阪に続き東京でも営業してくれるしね。」

「時期にベストセラーになると思うよ。」

「そしたら、私への心配はいらなくなるよ。」

「そうなると良いね。引きこもっていたミコが、こうして立ち直って母さんたちを墓参りに連れて行ってくれるんだから。本当に嬉しい。」

「わたしゃ、いつ死んでも悔いはないよ。」

「ミコが自立できるようになって思い残すことはないよ。」

「そんなこと言わずに、長生きしてね。今度は、私がみんなの面倒を見るから。」

「家族って良いものですね。私には家族はいません。」

「ミカは、ひとりぼっち。家族はどうしたの。田舎はどこなの。」

「田舎は三宅島で、噴火で両親も兄も家も失いました。」

「これは、辛いことを思い出させてしまって。ごめんなさい。」

「いえ、大丈夫です。今は、ジンやトラン。」

「そして、ミコとお母さんたちにも会えて皆さんが私の家族です。」

「寂しいことはありません。」

「そう思ってくれると嬉しいわ。いつでも、家に遊びに来てね。」

「はい、お母さんたちも、会社に来てミコの仕事ぶりを見てあげてください。」

「ミカ、それはだめ。恥ずかしいよ。」

「出来上がった漫画だって見せていないのに。」

「それじゃ、ミコが来て良いって言うまで会社見学を楽しみにしているわ。」


途中、浜名湖サービスエリアで名物のうな重を食べて夜のお菓子うなぎパイを買った。富士サービスエリアで休憩後、沼津インターで東名高速に別れを告げ、私たちは、一路南伊豆に向かった。平日のためか差したる交通渋滞にも巻き込まれずに、無事目的地の旅館に着いた。

温泉旅館は南伊豆町の下賀茂温泉にあり、川と山に挟まれた静かで風情のある老舗旅館である。私たちは、谷の地形を利用して作られた一番高い見晴らしの良い部屋に案内された。角部屋で障子窓の向こうは、谷間を見下ろすパノラマが広がっていた。素晴らしい景色が一望できる。ただ、老舗だけあってエレベーターがなく、最上階へ行くにも全て階段だけであった。ばあちゃんのような老人には、ちょっと辛いところがある。この部屋は女性陣に譲り、男二人は山側の隣の部屋を使うことにした。早速、一風呂浴びて会席料理の夕食に舌鼓を打った。


「ジンさん、良くこの旅館を選びましたね。」

「実は、この温泉は私たちのお気に入りの旅館で東京の実家に行くときは、必ず泊まることにしています。」

「神定さん。私ではありません。ミコが予約したのです。」

「ミコの引きこもりは、会社、つまり、働く居場所ができたことで大部良くなってきていると思いますよ。」

「自信も付いてきたと思いますし、自立も後一歩というところでしょう。」

「でも、独り立ちするのは、まだ、無理。」

「この漫画がベストセラーになれば、自信がつくと思うけど、今は、駄目。」

「やっぱり、みんながいなきゃ。」

「ミコ、ゆっくりで良いわ。」

「そうです。焦る必要はありません。私たちがミコを、バックアップします。」「お母さん達は、安心してミコを見守ってあげてください。」

「そうですね。皆さん、ミコのことよろしくお願いします。」

「ところで、明日以降、私たちは営業のため別行動を取りますが、あさって、奥湯河原温泉で、また、会いましょう。」

「私たちは、もうちょっと飲み足らないのでバーに行きます。」

「私たちは、皆、下戸で飲めませんので部屋でのんびりしますわ。お先に。」

「お休みなさい。」


次の朝、私たちは二手に別れて出発した。ミコ達は、次女の家を経由して私の兄貴の家に一泊し墓参りをするために。私たちは営業のために新宿方面に、それぞれ向かった。


「ミカ、うちの連中は、どう。馬が合いそうかい。」

「はい、ジンの家族は、皆、優しくて、私を家族のように見てくれていますわ。」「私も彼女が、本当のお母さんだったらと思いますわ。」

「家族って良いもんだよ。」

「ミカにとってうちの上さんが本当の母親で、ミコを妹と思ってくれると嬉しいね。トランは、兄か弟で。」

「年齢からいったら、私は当然、ミカの兄貴です。」

「そう言っていただけて本当に嬉しいわ。」

「これからは、皆さんを家族と思いますね。」

「だけど、ジンをお父さんとは思いたくありません。」

「その話は、そこまで、ミカの思うとおりで良いから、どんな形であれ私たちは家族だ。」

「そして、運命共同体だ。これからも助け合って行こう。」


新宿での営業も順調に進みミコの漫画本が店頭に並ぶことになった。


「後は売れ行きを見守るだけだ。」

「今日は、歌舞伎町界隈にあるビジネスホテルに泊まることにしよう。」

「どうして、歌舞伎町のホテルに泊まるのですか。」

「ジンのお兄さん宅に泊まらないのですか。」

「兄貴の家は拙いよ。変装しているとはいえ、つい、ぼろが出ちゃいそうで。」

「心外な。ただの変装とは違いますよ。バレはしません。」

「トランたら、察しが悪いですわ。ジンは、歌舞伎町の繁華街を満喫したいのですよ。」

「そうでしょう。ジン。」

「バレたか。」

「流石、ミカには私の考えが見透かされちゃってるよ。」

「でも、今日一日で営業も終わり、みんなで頑張ったんだからご褒美ということで打ち上げといきましょう。」


私たちは、居酒屋を皮切りに、洒落た雰囲気のショットバー、そして、私は嫌だったのに、ミカとトランに押し切られて苦手なカラオケ店へ。時が経つのも忘れて楽しんだが、私だけは最後のカラオケ店で完全に酔いが醒めてしまった。


「ねえ、ジン。歌って、ジンの歌聞きたいわ。」

「音痴だから、嫌だって言っただろう。私は、聞いているだけで良いよ。」

「ねえ、一回だけ、一回だけで良いから。」

「分かったよ。本当、一回だけだからね。」

「絶対に笑わないと約束してくれ。」

「約束しますわ。」

「トランもだよ。」

「はい、約束します。」

「それじゃ、一人で歌うの恥ずかしいから、ミカとデュエットで定番の銀恋といきますか。」

「まあ、嬉しいわ。ジンと一緒に歌えるなんて。ところで、銀恋って。」

「銀座の恋の物語っていう曲だよ。知らないの。」

「知らないけど、ジンと一緒に歌えるのなら構わないわ。」


よっしゃ、と心で思った。曲を知らないということは、音痴の私と互角だ。恥ずかしさが半減する。しかし、こうしているとミカが神様であるということをつい忘れてしまう。一人の普通の女性と思ってしまう。イントロが流れ私の緊張はピークに達し、酔いはいっぺんに醒めた。歌い終わってほっとしたが、意に反してミカは知らない曲をパーフェクトに歌っていた。神たる所以か、やっぱり、私だけが音痴で浮いてしまった。


「だから、歌いたくないって言ったのに、すっかり酔いが醒めちゃった。」

「大丈夫ですよ。それなりに聞けましたから。」

「トラン。それなりとは、何だよ。フォローになってないよ。」

「こうなったら。もう、やけくそ。ミカとトランの脳みそが糠味噌になるまで歌いまくってやるから。マイク独り占め。」

「それは困ります。本当、最先端のCPUが糠味噌になっちゃう。」

「言ったな。トラン。」と笑い声が弾んだ。


時間もすっかり経ち、夜中の零時を過ぎていた。しかし、不夜城の歌舞伎町界隈は、昼間ほどではないが人の流れは続いていた。ホテルに帰る道すがら私たちがいるにも拘わらず、道端の男達がミカをナンパしようと話しかけてきた。

しかし、ミカに近づく男達は、彼女の清純さに邪心が払われるのか、皆がきびすを返すように家に帰っていった。一方でトランに話しかけてくる女達、しかも、明らかに十代であろう女達がトランを逆ナンパしていた。ところが、これらの女達もミカを見るなり自分たちの行いが陳腐で情けなく、人間としての価値観やプライドを貶めているということに気付かされ反省したのだろうか、早々と立ち去っていった。あるいは、ミカに勝てないと思ってか。


「君たち二人は、この大都会の一、二を争う繁華街にあっても他を圧倒して目立ち過ぎる。」

「居酒屋しかり、ショットバーしかり、この道端ですら注目の的だ。」

「私に興味を示す者は、誰もいない。何か寂しいね。」

「それは、仕方ないでしょう。ごく普通の中年層をイメージして整形していますから、目立たないのが普通です。」

「何か、君たちの引き立て役みたいなもんか。」

「大丈夫ですよ。この旅が終わったら、元のジンに戻しますから、今は、我慢してください。」

「分かっちゃいるけど。もてない男の嫉妬心とでもいうのか、自分に情けなくなるよ。自信喪失ってとこだな。」

「ミカも私も人より秀でたいとかいう優越心や我欲は、全く持ち合わせていません。」

「人間本来の醜い性質とは無縁です。」

「そりゃ、分かってるさ。私自信が、その醜い本質から逃れられない。」

「生まれ変わっても、人は人の本性に囚われる。」

「やはり、煩悩を捨て去ることはできない。」

「ジン、それは自虐的思考ですわ。ジンは、優しく思いやりのある人ですわ。」「決して、醜い本性の人間ではありませんわ。」

「そうじゃなければ、ハモニーがこの仕事を任せるわけがありませんもの。」

「ミカ、ありがとう。ちょっと君たちに嫉妬しただけさ。」

「自分も注目を浴びたいと思ってしまった。大人気ないことだ。反省するよ。」

「ジン、大変。誰かが助けを求めていますわ。」とミカが消えた。

「ミっ、ミカ、どこで。」

「場所を言わずに行ってしまった。トラン、ミカの居場所が分かるかい。」

「はい。ミカもそうですが、ジンやミコの精神エネルギーは無限大に強力です。」「私のセンサーが絶えず皆さんを捕らえています。」

「どうやら、このビルの反対側の路地裏です。」

「良し、走るぞ。」

「私を使ってください。」

「トランを使うほど遠くはないよ。走った方が早い。」


実際は、トランを使った方が一瞬で時間の経過はゼロなのだが、大衆の面前では無理だ。しかし、ミカは、そんなことも考えずに消えてしまった。


「あれ、今ここにいた女神様みたいに綺麗な人、パっ、と消えませんでした。」

「おじさん。飲み過ぎだよ。人が消えるわけないでしょう。」

「そうだよな。こりゃいかん飲み過ぎだ。家に帰って寝よう。」


走り去る私たちの後ろから、そのような会話が、ざわめきとなって聞こえた。


「ジン、大丈夫でしょうか。」

「大丈夫さ。」

「夜中も夜中で、皆、かなり酔っぱらってるから。」

「それに、人間は信じられない光景を見たとき、精神的パニックを避けるために見なかったと決めつける。」

「そうしないと、気が狂ったことになってしまう。防衛本能が働くのさ。」

「それより、ミカだ。いた。」


ミカは、数人の男に囲まれていた。


「あなたたちは、その娘をどうするつもりですか。

「酔っぱらって気持ちよさそうに歩いていたから、もっと気持ち良くさせて上げようと思ってここまで連れてきたんだよ。」

「強姦する気ね。嫌がってるでしょう。」

「五月蝿いな。お嬢ちゃん。」

「人の心配よりも自分を心配しな。」

「こんなところに出しゃばって来るとは、どうぞ、強姦してください。って言ってるようなもんだ。」

「兄貴、この嬢ちゃん。すっげえ、まぶい。女神様見てえだ。」

「俺、こっちの娘にする。」

「そうは、行くかよ。この女は、俺のものだ。」

「兄貴、そりゃないよ。みんなで回そうぜ。」

「うるせえ。こんなまぶい女、お前らにはもったいない。俺のものだ。」

「お前らは、そっちの女で我慢しろ。」


「どうやら、半グレだな。歌舞伎町に巣くうウジ虫どもだ。」

「十人います。ミカ一人で大丈夫でしょうか。」

「大丈夫だけど、神様のミカに暴力沙汰は似合わないよ。」

「こら、貴様ら、警察だ。何やってんだ。大人しくしろ。」

「ジン、それは、臭いですよ。引っ掛かりますかね。」

「あれ、一目散に逃げると思ったのに。」

「刑事さん。俺たちは、何も悪いことはしちゃいないぜ。」

「事と次第によっては、署に来て貰うぞ。」

「ジン、トラン。」

「拙い。」

「あんたの知り合いか。おかしいと思ったよ。」

「外人の刑事がいるわけねえしよ。警察手帳、見せてみな。」

「バレちゃ、仕方がない。ミカの所為だよ。」

「あら、ジンとトランは、どう見間違っても刑事には見えませんわ。」

「演技もいまいちですし、彼が言うように外人の刑事さんはいませんわ。」

「ですから、私の所為ではありませんわ。」

「ミカの言うとおりです。このメンバーで刑事の真似は、無理がありましたね。」

「おいおい、こっちをほったらかしかい。俺たちのこと無視かい。」

「おっ、済まんな。その娘たちを置いて大人しく帰ってくれ。」

「そうすれば、警察沙汰にはしないから。どうじゃ、」

「何が、どうじゃ、だよ。お前ら、このまま、ただで済むと思ってるのか。」

「良い度胸してんじゃねえか。こいつら先にたたんで、後で楽しむとすっか。」

「あっ、ちょっと待ってください。あなた方に勝ち目はないですわよ。」

「何言ってんだ。このアマ、じいさんと外人の二人に俺たちが負けるってか。」

「違います。私もいますわ。」

「女は、すっ込んでろ。可愛い顔に傷がつくぜ。」

「そうはいきません。あなたたちは女の敵ですわ。」

「許すわけにはいきませんわ。」

「ジン、トラン。今回は私に任せてください。手出し無用でお願いしますわ。」「その娘さんを介抱していてください。」

「分かったけど、彼らに怪我をさせないように。慎重にね。」

「あーっ、こいつら何言ってんだあ。いくら何でも女一人に男が負けるか。」

「兄貴、この女の相手は俺が、後はよろしく。」

「あっ、兄貴。」


ミカを押さえ込もうとした男が、素っ頓狂な声を出してその場に崩れ落ちた。


「おい、どうした。お前、サブに何した。おい、サブ。」

「気絶させただけですわ。怪我はさせてません。」

「貴様、スタンガン、持ってるな。」

「そんな物持ってません。あなたたちを相手に武器は使いません。」

「素手で十分ですわ。」

「そちらから来ないのなら、こちらから行きますわよ。」

「言わせておけば、図に乗りやがって。」

「もう女だからと言って手加減はしないぜ。」

「お前ら、みんなまとめて叩きのめしてやら。」


ミカは、私たちの前に立ちはだかり向かってくるチンピラたちを、あっという間に気絶させてしまった。後は、兄貴と呼ばれていた男一人のみとなった。


「くそ、どうなってんだ。あっという間にやられちまうなんて。覚えてやがれ。」

「逃がしませんわ。一人で逃げようなんて卑怯ですわ。」

「男の風上にも置けない人ですね。許しませんわ。」


ミカは、逃げる男の前に素早く移動して、退路を断った。

逃げ場を失った男は、勝てないという悲壮感を顔に浮かべ、破れかぶれでミカに向かって行った。


「彼にとっては、窮鼠猫を噛む心境でしょうね。」

「そりゃ、そうだろう。華奢な乙女が、あんなに強いなんて誰も思わないよ。」「しかし、ミカも自分が神様ということを忘れて、一女性になっちゃってるね。」

「ミカ、気が済んだかい。」

「はい、別に怒りとか憎しみはありません。」

「弱い女性を狙うのが許せないだけですわ。しかも、大の男が大人数で。」

「あいつらは、一人じゃ何もできない弱虫の卑怯者さ。」

「ところで、この娘さん。かなり飲んでるね。」

「私たちが来たことで安心したのか酔いつぶれてる。」

「一人でこんなに飲むわけないけど、一緒に飲んでた連中はどうなったのかな。」「この娘の面倒を見ずに帰ったのかな。」

「私が、交番に連れて行きますわ。」

「ジンたちは、この方たちのことよろしくお願いしますわ。」

「それじゃ、ホテルで。」

「あっ、ミカ、ちょっと。」


ミカは、酔いつぶれている娘を軽々と背に負ぶってさっさと行ってしまった。


「トラン、どうしよう。時期、気が付くぞ。」

「そうですね。私なら、辺境の惑星にでも置き去りしますけど。」

「そんなことしたら、こいつら直ぐ死んじゃうよ。」

「それじゃ、アフリカの大草原、ブラジルの密林、南極のど真ん中。」

「トランは、過激だね。どっちにしろ彼らじゃ生きていけない。」

「そうだ。」

「彼らが二度と強姦をしないように、性欲をなくす秘孔を突けば良いんだ。

「そんな秘孔ある。」

「あります。首の後ろの凹みを突けばよいのです。」

「それじゃ、半分個にして、そっちの五人を頼むわ。」

「こっちは、私がやるから。」

「これで、彼らは、この若さでEDだ。」

「これで、被害者が少しは少なくなるね。さて、気が付く前に退散しますか。」


「ミコ達、遅いですね。」

「こっちは、もう一風呂浴びて一杯飲んじゃったのに、まだ来ない。」

「おかしいですわね。渋滞にでも巻き込まれているのかしら。」

「そうだな。こっちも厚木を抜けるまでに、結構時間食ったからな。」

「はい、新宿から三時間二五分四二秒かかりました。」

「通常なら、二時間も掛からないよ。」

「それにしても、遅いな。もう、五時になる。」

「何もなければ四時前には着いてるはずなんだけど。」

「それに、先ほどからクウを呼んでいるんだけど返事がない。」

「変ですわね。」

「ジンとクウは、テレパシーで繋がっていますから呼べば通じるはずですわ。」

「何もなければ私からテレパシーを使うことはないのだが、呼べばどこにいようと繋がるはずだ。」

「何かあったに違いない。」

「トラン、クウの精神エネルギーをキャッチできないか。」

「はい、できません。恐らく、クウは昏睡状態にあると思います。」

「クウが昏睡状態、それは、あり得ないよ。」

「精神エネルギー体であるクウが気絶したり、昏睡状態になるはずがない。」

「これも推測ですが、クウ自体にはあり得ませんが、人間であるミコにはあります。」

「ということは、ミコが寝ているということかい。」

「それにしたって、クウには関係しない。」

「クウは、寝る必要がないから、待った。」

「今、微かにクウの声が聞こえた。」

「クウ、どうした。今どこにいる。」

「分かりません。何か、家の中のようです。」

「周りが薄暗くて良く見えません。」

「今度は、はっきり聞こえたぞ。」

「私のセンサーもキャッチしました。」

「よし、トラン。ジャンプだ。」

「はい。」


「クウ。大丈夫か。妻とばあちゃんは。」

「私は、大丈夫です。」

「ミコも。それと、二人とも眠っているだけです。」

「どうして、こんなところに。」

「はい、奥湯河原温泉には、早い時間に着きそうなので、時間調整で芦ノ湖を見ていくことにしました。」

「途中、小田原の喫茶店でコーヒーを飲んだところまでは覚えていますが、その後のことが分かりません。」

「どうやら、そこで眠り薬でも飲まされたんだろう。」

「ところで、トラン。ここはどこだい。」

「芦ノ湖高原別荘地の一角にある建物の中です。」

「人間の生命反応があります。私たちの他、この建物には八十人います。」

「それじゃ、トランと一緒に様子を探ってくるから、ミカはミコたちを頼むよ。」「状況が分かるまで妻とばあちゃんは、このまま眠らせておいた方が良さそうだ。」

「何かあったら呼んでくれ。」


私は、トランに乗って建物の中の様子を探ることにした。もちろん、トラン本体の移送機に乗るという意味である。移送機の中は、相変わらずの殺風景な白を基調とした空間があるだけだった。

何か殺風景だね。椅子ぐらい欲しいね。と言った途端に椅子が出てきた。

それでは、透明モードにします。


おーとっ、丸見えだ。とつい咄嗟(とっさ)に椅子の陰に隠れようとしてしまった。トランが苦笑して、ジンと言う前に。


「分かってるよ。この中は異次元だから、外からは見えないって言うんだろう。」「しかし、慣れないな。全周丸見えっていうのは。」

「ジン、見てください。床の間に祭壇があります。」

「どうやら新興宗教のようです。何か、儀式の準備で忙しそうですね。」

「ちょっと、建物の外観を見てみよう。」


私たちは、一瞬に建物を中空から見下ろす位置に移動した。外観は和洋折衷的なコンクリート建てのビルで、屋根がお城風になっている。いかにも宗教団体らしい建物だ。周囲には、他に家屋がなく一軒家だった。


「あそこが玄関だ。看板を見てみよう。」


お城の大手門風の玄関には、大きな看板に天光教と書いてあった。


「まさしく新興宗教だ。何でミコ達が囚われたんだろう。」

「それは、先ほどの準備中の儀式と関係があると思います。」

「良し、さっきの祭壇があった部屋に移動して情報収集だ。」


「クウ、ミカ。ここは、天光教という新興宗教の社だ。」

「それで、私たちは何のために囚われたのですか。」

「教祖様への貢ぎ物というところだな。」

「そんなことが許されるのですか。これは、誘拐ですわ。」

「もちろん、許されない行為だ。」

「信者の人たちは、この行為が犯罪と思っていないのですか。」

「そこが、カルト宗教の恐ろしいところだ。」

「教祖にマインドコントロールされて盲信している。」

「彼らにとって、教祖は生き神様で絶対だ。常識も通用しない。」

「それじゃ、どうしましょう。」

「ここから逃げるのは簡単だが、その代わりに、また、誰かが犠牲になる。」

「私は逃げない。こんな連中、許せない。」

「特に、神の名を語る教祖は、徹底的に懲らしめないと気が済まない。」

「私もミコに同感ですわ。」

「神を語って私腹を肥やし、信者を顎で悪の手先として使う輩は絶対に許せませんわ。」

「このまま、放って置くわけにはいきませんわ。」

「しかし、どうしたものかな。」

「盲信している彼らをマインドコントロールから解き放つのは至難の業だ。」

「ジン、ひと芝居打ちましょう。」

「えせ教祖の化けの皮を剥いでやれば良いのです。」

「どうやって、」

「お母さん達には申し訳ありませんが、このまま眠っていて貰います。」

「それで、ミカを本物の神様に仕立て上げ、教祖と一騎打ちをさせるのです。」

「とは言っても、ミカは本物の神様だよ。」

「これは、失礼しました。」

「どうであれえせ教祖は、本物の神様には勝てません。」

「このまま、彼らの儀式の成り行きに任せ、ここぞと言うときのタイミングでミカが神様として降臨すれば良いわけです。」

「後は、臨機応変に、台本なしで。」

「随分、ぞんざいな芝居だね。上手くいくかな。」

「仕方ありません。時間がないのですから。」

「いよいよ危なくなってきたら、ジンと私が助けに入れば良いのです。」

「その案、賛成。」

「今もさっきも、ミコが言ったんだね。クウ。」

「はい、今回は私の意志より、ミコの意志が勝っています。」

「私は、後方支援に徹してミコを守ります。」

「分かった。でも、ミコ。」

「この先、どうなるか予想も付かない。」

「危険と判断したら、私たちも出演させて貰うよ。」

「分かった。それじゃ、陰で見てて。」


私とミカ、トランは、移送機の中で事の成り行きを見守ることにした。


「まだ、眠っているな。儀式に必要なのは、この若い娘一人だ。」

「ばばあ達は、後だって。じゃ、こいつだけ運ぼう。」


「天照様。」

「入れ。」

「運んできました。」

「起こしなさい。もうそろそろ、薬の効き目が切れる頃だ。」

「はい。おい、起きろ。」

「はあー、あっ、えっ、ここは、どこ。あなた達、誰。」

「何も怖がることはない。大人しくしていれば危害は加えない。」

「君の名前は。」

「何言ってるの。無理矢理連れてきて、あなた達こそ誰なの。」

「わしは、天光教の教祖、天照だ。彼らは、信者だよ。」

「そんな宗教、聞いたことないわ。私を帰して、それにお母さん達は。」

「心配することはない。君らも、間もなく天光教の信者になる。」

「そんな新興宗教、信じるわけないでしょう。私たちを帰しなさいよ。」

「信者になったら返してあげる。さあ、私の目を見て。」


「この男、自分を天照大御神の化身として天光教を興したみたいですね。」

「許せませんわ。宗教を商売みたいに、金儲けの手段に使うなんて。」

「どうやら、ミコに催眠術を掛けて言うがままにあやつる気ですね。」

「そのようだ。」

「信者の前で生き神様としての力を見せるために、ミコに催眠術を掛けているようだ。」

「ミコ、大丈夫ですか。」

「大丈夫。クウが守っている。」

「どんな手段を取っても、ミコの心を支配することはできないよ。」


「はい、天照様。あなたの仰せのとおりにします。」


「ミコもやりますね。催眠術に掛かったふりして、演技賞ものですね。」

「もしかしたら、ミコを巫女に仕立てて、儀式の具にする気かな。」

「おやじギャグは、笑えませんわ。こんな時に不謹慎です。」

「済まん。」

「いよいよ、儀式が始まるみたいですわ。」


儀式の間では、信者達が五十人ほどが畳の上に正座して待っていた。教祖が登壇すると、皆一斉に深々と頭を下げた。


「それでは、今月の例会を開催します。」

「まず初めに、天照様から神のお言葉を賜ります。」

「我は、天照大御神の御心を具現する者なり。」

「皆の幸福を願って止まない大御神様の名代を務める者なり。」

「大御神と我をあがめよ。さすれば、大御神は皆と共にあり、至福の時を与えられん。」

「それでは、天照様にお言葉を賜りたい者は、手を挙げてください。」

「はい、どうぞ。」

「天照様。一生懸命、昼夜問わず働いているのですが、一向に暮らしが楽になりません。」

「どうしたら暮らしが楽になりますか。」

「あなたの信仰心と寄進が足りないために、天照大御神のご加護が得られないのです。」

「もっと精進しなさい。さすれば、救われます。」


「はあ、寄進が足りないから、暮らしが楽にならないって。本末転倒ですね。」

「同感ですわ。」

「多額の寄進を止めれば、裕福になって暮らしも楽になりますのに。」

「そこに、盲信者は気が至らない。」

「第三者は何でと思うだろうが。」

「マインドコントロールされた者は疑問を持たずに、教祖の言うことを信じてしまう。」

「当たり前の矛盾に気が付かない。」


そして、信者の悩み全てが、より一層の信仰心と寄進で解決されるという教祖の言葉に、皆、なんの疑問も持たずに有り難いと手を合わせて拝んでいた。


「人の心は、弱いものですね。」

「そうだね。人生の意義や人として為すべき事、信念、希望や夢を持てない人たちは、生活不安や家庭問題などの解決できない悩みから逃げるために、目先の誘惑に惑わされ易い心の弱みを持ってしまう。」

「カルト宗教は、その心の弱みにつけ込んで精神を支配してしまう。」

「悪魔の囁きに負けてしまうというわけだ。」

「あれ、儀式らしいことをせずに、月例会が終わってしまいましたわ。」

「おかしいな。ただの説教で終わってしまうなんて。」

「これじゃ、トランのえせ教祖の化けの皮を剥ぐ計画が台無しだ。」

「そうなると、今、ミコはどうしているのでしょうか。私のセンサーでは。」

「分かっているよ。クウからのテレパシーで、この建物の地下室だろう。」

「移動します。」


そこは、出入り口が一つしかないコンクリート壁の部屋であった。奥にステージがあり、高級クラブのラウンジ風のテーブルと椅子が十卓あり、各テーブルには、高級酒とオードブルが準備されていた。そして、一つのテーブルに独りずつ、西洋の仮面舞踏会を思わせるようなお面と、ケープを羽織った輩が座っていた。


「ここは、この宗教団体を隠れ蓑にした会員制の高級売春クラブです。」

「どうして、そんなことが分かるんだ。」

「はい、ここのコンピューターとセキュリティーシステムにアクセスして得た情報の結果です。」

「そうか。となると、ミコは彼らの慰みものになるということか。許せん。」

「私も、許せませんわ。」


「それでは、ただ今から入札会を開きます。」


司会者がマイクを通して入札会とやらの開始を宣言した。すると、ステージに九人の女性が巫女の出で立ちで現れた。その中にミコはいなかった。先ほどの教祖が、今度は蝶ネクタイとタキシード姿でステージに上がってきた。


「それでは、お集まりの皆様。」

「お手元のボタンでお気に召しました女性の番号と入札額を入れてください。」「最低入札額は、十万からです。」


「こんなアンダーグランドの世界が本当にあるとは、小説に出てくる架空の世界だと思っていた。」

「しかし、こうして目の当たりにすると、何とも奇妙な世界だ。」

「人間の嫌らしい欲望が凝縮されていますね。」

「ミコ、大丈夫かい。」

「トラン、妻とばあちゃんをミコと一緒に回収してくれ。」

「はい。二人とも、まだ眠ったままです。」

「私は、最後の目玉商品みたい。」

「今出ている人達は、高級コールガールでプロの売春婦よ。」

「皆、同意の上だって。」

「でも、売春は違法だし、女の価値を下げる行為だから許せない。」

「そうだ、法律違反だ。奴らを懲らしめる方法は、何かないものか。」

「あります。」

「彼らのコンピューターには、現在の映像と過去の物が記録されています。」

「この映像をテレビ局や警察のサーバーに送ってしまいましょう。」

「時期に警察が、この教団から送信されたことを突き止めるでしょう。」

「良し、トラン。実行してくれ。」

「後は、警察に任せるとして、我々は退散しよう。」

「この連中、このままで良いの。」

「私がいないことに気が付いたら、証拠も何もかも隠滅されて警察も手が出せなくなるよ。」

「それじゃ、ミコは、どうしたいのかな。」

「警察が来るまで、この連中を引き留めないと、みんな逃げちゃう。」

「でも、警察がここを突き止めるまでには、数日掛かると思います。」

「なんせインターネットは秘匿性が高いですから。」

「どうして、ここの住所も一緒に送らなかったの。」

「単に考えが及ばなかっただけです。」

「それじゃ、ここの住所も添付します。」

「となると、この連中をどのくらい足止めしておけば良いのかだ。」

「はい、県警やテレビ局がここに到着するのは、明朝の四時頃になります。」

「良く断言できるね。」

「はい、各種データーを分析した結果です。」

「そしたら、私がこの連中を片付けるわ。」

「一人じゃ、無理だよ。ここを警備している連中はヤクザだ。」

「じゃあ、ヤクザはお父さんたちに任せて、私とミカでここにいるスケベ親父たちをとっちめてやる。」

「特に、天照はギッタギッタよ。私、さっきの部屋に戻る。」

「ミカは、良いのかい。」

「私も、許せません。ミコに荷担します。」

「女性を物扱いする連中は、ギッタギッタですわ。」

「それじゃ、今から、私とトランで警備している連中を先に片付けてくるよ。」「ミカはミコのことよろしく。危なくなったら直ぐ呼んでくれ。」


「ミカも神様であることを忘れて、人間臭くなってきたね。」

「ジン、警備要員は全部で十四人です。」

「二人一組で行動しています。拳銃を持っています。」

「良し、拳銃を撃つ暇を与えずに寝て貰おう。」


二十分とは掛からずに事は済んだ。気絶している連中を皆、移送機に運んだ。


「ミカ、こっちは、片付いたよ。」

「そっちのほうは、何処まで進んだ。」

「はい、まもなくミコの出番のようですわ。」

「それでは、今宵のメインイベント、天照大御神の化身と言っても過言ではありません。」

「まさに、天照大御神の生まれ変わりです。」

「値は付けられません。さあ、登場です。」


ミコが、巫女姿で登場すると、部屋中がどよめいた。口々に、彼女の美しさを褒め称える言葉を呟いた。


「なんと美しい。是非とも競り落としたいものだ。」

「一千万出しても惜しくない。」

「この世の美しさではない。まさに女神だ。」

「さあ、皆さん。見とれていないで、入札してください。」


「はい、それでは、結果発表します。」

「最前列中央にお座りの紳士が最高値で落札しました。」

「なっ、なんと一千万円越えです。本クラブの最高値を更新しました。」

「あっ、トラン。」

「ミコが映ってるところは、カットね。」

「分かっています。私たちの痕跡は一切残しません。」


ミコが落札者のテーブルに付かされ、接待をするよう教祖かつ司会者である天照から命令されていた。ミコは、催眠術に掛かったふりで天照の言うがままに従った。


「今度は、このお方の言うことを何でも聞くように。」

「君の名前は、」

「天照大御神です。」

「そうか、そうか。強力な催眠術に掛かっているな。」

「それじゃ、一緒にワインを飲もう。」

「ミコ、大丈夫かな。酒飲んだことないから、酔うとどうなるか。」


他のテーブルでも同じように、落札された高級娼婦たちが接待をしていた。十五分くらいたった頃。


「おっさん。どこ触ってんだよ。」

「スケベ爺。もう我慢できない。」


スケベ爺は、びっくりして。


「あれ、催眠術が切れてしまったのかな。」

「天照、天照、と大声で叫んだ。」

「他の連中もその声を聞いて、何事かと集まってきた。」

「天照がまもなく駆けつけ、ミコに再度催眠術を施そうとするが、掛からない。」


「いくらやっても、無駄だよ。」

「私は、催眠術には掛からない。」

「さっきは掛かった振りをしただけさ。あんたら全員許せない。」

「人を品物みたいに売り買いして、売られるあんたらも情けない。」

「女の風上にも置けない。私が、まとめて警察に突きだしてやる。」

「黙れ。お前みたいな華奢な娘一人でどうやって、俺たち全員を警察に突き出すって言うんだ。」

「いいえ、ミコは一人ではありません。」と天から響くような声がして。


「いよいよ、ミカの登場だ。」


「私の化身たるミコよ。」

「私の名をかたるこの輩を懲らしめておやりなさい。」

「よっしゃ、神様からもお許しが出た以上は、あんたらお仕舞いだよ。」

「覚悟しやがれ。」


「ミコも、ミカのように優雅な言葉でしゃべれば、大和撫子で通用するのにね。」


「今のは誰の声だ。それにどこから聞こえた。」


「私は、天照大御神、」と言いながらステージの吹き抜けの天井付近に、天女の姿で現れた。


「おい。こりゃ、夢か。何か仕掛けでもあるのか。」

「酒の飲み過ぎか。幻か。」

「どうやって空中に浮かんでるんだ。」

「しかも、風もないこの部屋で羽衣がたなびいている。」

「しかし、巫女さんと言い、大御神様と言い、本当に美しい。」

「やはり、この世の物じゃない。」

「何、感心してるんだよ。こいつら早く片付けちまえ。」


室内を警備していたヤクザが五人ほど、ミコを取り押さえようと彼女に向かって行った。天照が拳銃で空中に浮かんでいるミカを撃った。

しかし、当たったはずの弾がミカの体をすり抜け天井を打ち抜いた。信じられないと言わんばかりに、全弾をミカに向けて撃ち尽くした。


「無駄です。神たる私を撃っても、」と言いながらミカは天照の前に降りてきた。

「くそ。これは、映像だな。誰かがトリックで映し出した物だな。」

「いいえ、映像ではありません。」

「ほら、と言ってミカが天照の頬を撫でた。」


そのなめらかな手の感触に触れて、吃驚して天照は後ずさった。


「嘘だ。これは、実体だ。」

「本当に神なのか。」

「そうです。」

「あなた方が私の名をかたり悪事を働いていることが許せず、ミコを送って証拠を集めさせたのです。」

「私が自ら罰するには証拠はいりませんが、人の罪は人によって裁かれるのが筋です。」

「私は、介入しますが罰するのはあなた方人間に任せます。」

「既に証拠は揃いました。」

「くそ、そうはいかない。黙って言うことを聞くとでも思っているのか。」と言いながら、ミカに殴りかかってきた。

次の瞬間、天照は宙を舞い、ステージに飛ばされ気絶した。

ミコは、向かってきた五人のうち三人目までは、秘孔を突いて気絶させることができたが、後ろに迫った買春客たちに気がつかずに、両手両足と体全体を取り押さえられてしまった。こうなると、ミコの生身の力では、男たちを取り払うことができずにもがくのみであった。ミコを助けるためにミカは、男たちを片手でひょいとつまみ上げては秘孔を突いて気絶させた。

他の客は、信じられない光景に我を忘れ、逃げることも忘れていた。

自由になったミコが、一つしかない出入り口を押さえ退路を断った。

やっと我に返った客と売春婦たちは、出口めがけて走ったが時すでに遅く、ミカとミコによって皆、気絶の憂き目を見た。そして、私とトランで片付けた連中も、まとめてこの地下室に閉じこめた。


「やあ、これで全員だ。」

「二人とも、ご苦労さん。」

「後は、警察が駆けつけるまで、この部屋に閉じこめておけば、OKだ。」

「さあ、旅館に帰ろう。」

「七時ちょっと前だから、夕食前に一風呂浴びる時間はあると思うよ。」

「旅館には迷惑掛けるけどね。」

「ミコたちの車も忘れずに、トランの移送機に積み込まないと、さあ、出発。」


旅館からちょっと離れた場所にミコたちを乗せた車を降ろし、私たち三人は直接部屋に戻った。程なく仲居さんが連れの到着を告げに部屋に来た。夕食は、無理を言って、お風呂の後にして貰った。


「やっぱり、温泉は良い。特に、一仕事が終わった後は、また、格別だ。」

「でも、ジン。ミカの存在が、あの連中に分かってしまいましたよ。」

「問題ないって、あの連中が警察に捕まって何を言おうと誰も信じないさ。」

「それこそ、精神病院送りになるだけだ。警察が信じるのは、事件の証拠だけ。」

「当然、ミカたちの活躍ぶりは映ってないよね。」

「はい、ミコが登場する前で録画は止まっています。」

「それより、ミコのことだけど、いくら格闘技に長けた腕前でも、多勢には勝てない。」

「さっきも男達に取り押さえられて危なかった。」

「ミカがいなかったら、どうなっていたことやら。」

「やっぱり、ミコを最前線に出すわけにはいかないな。」

「でも、ミコが、後方で大人しくしているとも思えませんが。」


遅い食事は、私たちだけかと思ったら、他に四組もいた。


「私たちだけじゃなくて良かったですわ。」

「風呂上がりのビールが、また、一段と美味しい。」

「私たちに遠慮せずに、どんどん飲んでください。」

「ところで、ミコ、私たち二人とも車の中で眠ってしまったけど、旅館に着くまで目が覚めなかったって不思議ね。」

「小田原の喫茶店でコーヒーを飲んだところまでは覚えがあるのだけど。」

「その後の旅館に着くまでの記憶がないの。」

「そんなに長い間、寝られるわけないのにね。」

「でも、現に寝ていたんだから、不思議でも何でもないわ。」

「その間、こっちは渋滞に三時間も捕まって、芦ノ湖見物どころじゃなかった。」「本当に疲れたわ。」

「私の苦労も知らずに隣で気持ちよさそうに寝ているんだから、益々、苛ついちゃった。」

「そんなに良く眠れた理由をこっちが聞きたいくらいよ。」

「そうね。ミコには悪いことしたわね。運転を代わってあげられなくて。」

「そうよ。おかげさまで、今日は疲れてよく眠れそうだわ。」

「さて、ゆっくり食べてると、旅館の人達に迷惑だ。ごちそうさま。」

「一休みしたら、また、お風呂に行こう。」

「そうですね。ごちそうさまでした。」

「ミコ、話があるから、私の部屋に来てくれ。」

「話って何。」

「今日、危なかっただろ。これから先、危険な仕事は、一切御法度だからね。」

「そんなこと言ったって、私とクウの力が必要でしょう。」

「ああ、ハモニーの仕事には必要だが、今日みたいな事件の時は必要ないよ。」「それに、あの状況では修得した格闘技も通用しなかったろう。」

「多勢に無勢だ。」

「でも、いよいよ危なくなったら、お父さんもミカもトランもいるし。」

「それじゃ、あんな目にあっても怖くなかったのか。」

「怖くなかったと言えば、嘘になるわ。」

「ちょっと怖じ気づいちゃった。」

「そしたら、巧く秘孔が突けなくなちゃった。」

「恐怖が平常心を奪い去り、冷静な判断や行動を阻害する。」

「心の動揺があっては、気を放つことはできない。」

「秘孔は気で突かないと。」

「それに、押さえ込まれてパニックになったから、拘束から抜け出す技もすっかり忘れてしまっている。」

「冷静に対処すれば、素人相手にあんな無様な失態はないはずだ。」

「そんなことは、分かってるわよ。」

「もっと心を鍛えれば良いんでしょう。」と言って自分の部屋に帰ってしまった。

「やっぱり、聞く耳持たずだ。クウの力で何とかできないものか。」

「そう言えば、クウは。」

「ミコの意識が勝って、逆にクウが支配されちゃったんでしょうか。」

「そんなこと、あるはずがない。」


こうして、今夜も何もなかったかのように過ぎていった。

次の朝、早起きして温泉に入った後、テレビを付けると、どのチャンネルでも未明に起きた事件のニュースを流していた。


「本日未明、箱根芦ノ湖高原別荘地に所在する天光教の本山に、警察の捜査が入りました。」

「組織売春の摘発です。」

「この情報は、教団側の内部告発により発覚したものです。」

「売春クラブの一部始終を録画したものが、警察とテレビ各局にインターネットを介して送られてきました。」

「この売春組織は、広域暴力団が関わっており、天光教という宗教団体を隠れ蓑に多額の収益を得ていた模様です。」

「現場と中継が繋がっています。」

「現場の丸山さん、そちらの状況をお願いします。」


「はい、こちらの状況ですが、警察の捜査は、本日未明、四時四十分に開始されました。」

「何の抵抗もなく捜査が進み、容疑者は全員逮捕されました。」

「県警の発表によりますと、地下室にいた容疑者全員が放心状態で発見されたとのことです。」

「その原因は、不明とのことです。以上で、現場からのリポートを終わります。」


「分かりました。捜査の進展がありましたら、また、お願いします。」

「次は、芸能コーナーです。」


「これで、宗教法人を隠れ蓑にした売春組織は壊滅だ。」

「ジン、早起きですね。まだ、朝食には早いですよ。」

「トラン、起こしちゃってご免。」

「でも、昨日の天光教のニュースを見ていたんだ。」

「それに、朝風呂も満喫したよ。早起きは、三文の徳と言うけど。そのとおりだよ。」

「朝食は、7時半だから、まだ、一時間はある。」

「トランも風呂行ってきたら。」

「そうします。」

「ところで、私は疲労とは無縁です。寝る必要もありません。」

「皆さんの手前、寝たふりをしています。」

「ですから、謝る必要はありません。」

「承知。きっと女性陣も朝風呂を満喫していると思うよ。」


「先ほどの組織売春の続報です。」

「容疑者は、皆、女神を見たと供述している模様です。」

「女神は、天照大御神で名をかたった天光教が許せず降臨したと言っているそうです。」

「警察は、何らかの薬物による幻覚で、放心状態も薬物の影響ではないかと見ています。」

「それと未確認情報ですが、買春容疑者である会員の中には、政財界や芸能界関係の人物もいるようです。」


「これは、政財界、業界を巻き込んだ大スキャンダルに発展しそうですね。」

「一大事件ですね。今後の影響が気になるところです。次は、今日の天気です。」


「お帰り、トラン。」

「やはり、ミカのことが話題になったけど、薬物による幻覚ということで片付けられていたよ。」

「彼らの言うことは、あり得ないことだから誰も信じない。」

「そうですか。ところで、風呂を出たところでミカ達に会いました。」

「彼女らも、ちょうど出てきたところでした。7時半になったら、朝食を食べに行きましょう。と言っていました。」

「あと十分くらいあるね。」


こうして、墓参りと東京での営業も終わり私たちは帰路に着いた。


霊の思い

「おはよう、トラン。

「おはようございます。ジン。」

「おはよう。ミカ。」

「おはようございます。ジン。」」

「今朝は、塩鮭、納豆、目玉焼き、味噌汁と昆布の佃煮にしました。」

「美味しそう。」

「目玉焼きは、私好みの半熟の黄身。」

「この黄身に醤油を掛けて、ご飯と一緒にまぶして食べると美味しいんだ。」

「絶品だよ。みんなも試してみて。」

「ジン。本の売り上げですけど、電子書籍が一番で書店での販売は、今ひとつです。」

「この二ヶ月で全体的な総売上は百四十八万円。」

「これから光熱費や材料費、福利厚生費、税金等の必要経費を全部引いた純利益は、七十三万五千二百八十円になります。」

「人件費は引いていません。」

「こりゃ、赤字だ。給料が払えない。」

「純利益は、全てミコの給料に充てても構わないかい。」

「構いませんわ。」

「私たち三人は、元々食物からエネルギーを取る必要がない存在ですもの。」

「私は、人々の祈りが絶えない限り不滅ですし。」

「私は、ジンとミカ、ミコの精神エネルギーで永遠に活動できます。」

「となると、私のエネルギー源は何だろう。」

「食べないとお腹空くし、やっぱり食物がエネルギー源だと思うけど。」

「君たちだってこうして食事を摂っているんだから、やっぱり食物がエネルギー源だ。」

「私らは、普通の人間なんだ。」

「笑い涙し、時には怒る。そう喜怒哀楽を持っている普通の人間だ。」

「そうだろう。」

「そうでしたわ。」

「私たちは、ごく普通の人間として良きパートナーとしてここに存在しています。」

「そこのところを忘れてはいけませんでしたわ。」

「それに、給料がなくても困りません。」

「衣食は、私のレプリケーターで幾らでも製造できます。」

「実質経費は、0円です。」

「それに、当初の蓄えもあるし、生活には困らないよ。」

「それじゃ、この八十三万円余りは、ミコの給料と言うことで支給するからね。」

「はい、きっと喜びますわ。ミコの初給料ですもの。」


「おはよう。みんな。」

「おはよう。ミコ。」

「本の売り上げが出たから、これミコの給料、必要経費を引いて手取りが七十三万五千二百八十円になる。」

「給料明細と現金を確認してここに受領印を押して。」

「わあ、初給料だ。」

「七十万以上あるわけ。本、そんなに売れてるの。嬉しい。」

「残念ながら、売れ行きは今一つだ。」

「それに二ヶ月分の給料だ。神定プロの社長としては安月給だよ。」

「そんなことないよ。」

「全く売れなくて給料貰えないかと思ってたもの。」

「初めて自分で稼いだお金で何を買おうかな。貯金しようかな。」

「貯金は、十分ありますよ。」

「ロト6の賞金が残っていますから。」

「あれは、私の貯金と言うより、会社の運転資金でしょう。」

「この給料が本当の意味で私の貯金だわ。」

「そうだ、お母さんとおばあちゃんに何かプレゼントしよう。」

「それは良い考えですわ。きっと大喜びすると思いますわ。」

「そうだね。今まで居候の身分だったから。」

「これからは、ちゃんと生活費を入れて残りを貯金すれば良い。」

「自分で稼いだお金だ。有意義に使いなさい。」

「そうするわ。お父さん有り難う。」

「ところで、クウは。」

「ちゃんと私の中にいるわ。」

「もうそろそろ、クウを解放してくれないかい。」

「それは、だめ。」

「クウは、私の友達であり先生であり相談相手でしょう。」

「それに、お父さんとの大事な繋ぎ役でもあるからクウは私と一体よ。」

「クウのいない生活なんてもう考えられない。」

「クウは、それで良いのかい。」

「はい、私が離れれば、ミコを守れなくなります。」

「今ならミコに何かあっても直ぐにジンに知らせることができますが、離れてしまえばミコの窮地を知らせることができません。」

「ジンやミカ、トランの助けを請うことができなくなります。」

「この状態がベストだと思います。」

「それに、ミコの不思議な力が私を離してくれません。」

「私の力を持ってしても無理です。」

「人の力が私よりも強いとは全く信じられません。」

「分かった。考えてみればクウの言うとおりだ。」

「箱根の事件の時もクウがミコと一緒にいなかったら助けることができなかった。」

「あっ、そうだ。」

「今日は、名古屋のまさ子叔母さんが腰の手術で入院するから、おばあちゃんを名古屋に送り迎えしなくちゃならないんだ。」

「だから、仕事を休むからよろしくね。」

「お母さんは。」

「お母さんは、仕事休めないって。」

「分かりましたわ。」

「そんなこと、電話で済むことなのに。」

「だって、高速道路を使うから、ここ通り道でしょう。」

「おばあちゃん、待ってるから、じゃあ。」

「何だ。それを早く言えよ。ばあちゃん、待ちくたびれてるぞ。」

「気をつけて、行って来い。」

「行ってきます。また、明日。」

「行ってらっしゃい。」

「今日は、開店休業ですね。ジン。」

「そうだな。」

「そこで、お願いがあるのですが。」

「何だい。」

「マリアナ海溝に行きたいのです。」

「どうして。」

「この地球に移住してきた創始者達のことを知りたいのです。」

「もしかすると、この地球に同胞がいるかもしれません。」

「その手掛かりが海溝に残っていないか調べたいのです。」

「分かった。」

マリアナ海溝と言ったら、地球で一番深い海溝で一万メーター以上ある。」

「今の技術では、人が行けない深さだ。」

「いいえ、記録によりますと、一九六〇年にトリエステというバチスカーフが二名の人を乗せて降下しています。」

「その時の深度が一万九百十六メーターと記録されています。」


「真っ暗で何も見えないわ。」

「灯りを点けます。」

「深度は、一万四千九百五十八メーター五十三センチです。」

「あれ、ここは海中じゃないね。」

「はい。ここは、海溝の下に埋もれた人類が伝説で言うムー大陸です。」

「海溝からの出入り口はありません。」

「しかし、都市らしき遺跡は何もないみたいですわ。」

「そのとおりです。」

「二百三十二万七百四十八万年前に大規模な地殻変動があり、ドームで守られた海上都市は、地殻プレートごとこの海溝に沈み込みました。」

「そうして、洞窟状の空間ができあがりました。」

「自動修復装置が働かなくなると全ては自然に帰します。」

「私自身もジンがいなければ、あと数年で自然に帰るところでした。」

「それじゃ、手掛かりはないんじゃないか。」

「そのようです。」

「ジンやミカの精神感応エネルギーで、私みたいに作動する物が残っていないかと思い来て貰ったのですが無理のようです。」

「何の反応もありません。残念です。」

「折角来たんだから、この洞窟の中を見て帰ろう。」

「結構広いね。やっぱり、都市としての痕跡は何も残っていない。何でだろう。」

「時の流れが全てを自然に帰したのです。」

「そうか、全ての物は朽ちて土に帰るというわけだ。」

「ところで、ここが崩れたら地上に大きな地震が起きて大惨事になるんじゃないかい。」

「大丈夫です。」

「この洞窟が幾ら広いと行っても、地球規模にすれば極小さな穴に過ぎません。」「地盤が崩れることはありません。」

「海上都市自体は日本の面積とほぼ同じでしたが、太平洋に沈むときには殆ど崩壊し、このブロックのみが洞窟状となって残っただけです。」

「もし崩れたとしても、大きな地震にはなりません。」

「ジン、トラン。」

「あそこ。何か光っていますわ。」


光る物体の真上に移動してみると、それは、クリスタル状でほぼ丸に近い物であった。


「何だろうね。」

「はい、スキャンしてみます。」

「どうやら、創始者達が残した何らかのデーターのようです。」

「中身はダウンロードしないと分かりません。機内に転送します。」

「大丈夫かい。」

「はい、私たちに害を及ぼす細菌や生物は付着していません。」

「それじゃ、中に入れて。」

「わっ、クリスタル製のドクロですわ。」

「これ知ってる。」

「古代マヤ王国の遺跡で発見された物と同じだ。」

「確か材質は水晶で当時の技術じゃ、作れない代物だからオーパーツになってるよ。」

「ジンが言っている物は、十九世紀の技術を使って作られた偽物です。」

「マヤ文明の時代でありません。」

「それにここにあるドクロは水晶ではなく純度の高い硬質ガラスで、現在の科学力では傷付けたり溶かしたりすることはできません。」

「ダイヤでも無理です。ですから、こうして朽ちずに残ったわけです。」

「ダイヤより硬いガラス。信じられない。」

「それに、何でドクロにしたんだろう。不気味ですわ。」

「古代人が怖がって触れないようにしたのでしょう。」

「これが本当のオリジナルです。これがモデルとなった伝説もあります。」

「それも知ってる。」

「このクリスタルスカルが十三個あって、全部が一カ所に揃うと宇宙の謎が解けて人類が救われるという伝説だ。」

「そうです。」

「必要なデーターは、ダウンロードしました。」

「中身は全宇宙地図です。創始者達が残した大いなる遺産です。」

「しかし、宇宙は加速度的に膨張していますので、この地図に膨張率を加味した現在の位置を補正する必要があります。」

「へえ、宇宙地図か。」

「となると伝説が真実味を帯びるね。トラン、補正できる。」

「もちろんです。但し、数光年の誤差は生じますが。」

「それでも、宇宙の広さからすればごく僅かです。」

「いつか、移送機を使って宇宙を見に行きたいね。」

「でも、今はハモニーから任された仕事が先だ。」

「トランには申し訳ないが、創始者達の痕跡調査はこれ位にして帰ろう。」

「はい。」


一瞬にして、私たちは事務所に帰った。時計を見ると、私たちが洞窟の中にいた約三時間ほどだけが経過していた。


「ジン、聞こえますか。」

「クウ、どうした。」


クウがテレパシーで呼んできた。


「はい、こちらに来てください。訳は来たら話します。」

「トラン、ミカ。クウが名古屋に来てくれって言ってきた。」

「何かあったんですわ。急いでいきましょう。」

「緊急事態かも知れないから、トランで行こう。」と言い終わらないうちに、クウのいる場所に移動した。マンションの一室である。


「ちょっと、トラン。」

「心の準備ができないうちに移動するのは心臓に悪いよ。」

「ジンの心臓は、そんなにか弱いですか。」

「ジンの心臓は、鉄の心臓、バリケードですわ。」

「ミカも言うね。」

「私の心臓は、バリケードじゃなくてデリケートだよ。」

「トランと一緒にしないで貰いたいね。」

「ジン、そんな話は、後にしてください。」

「おっ、そうそう。」

「クウの話が先だ。どうした。」

「ミコが、このマンションで餓死した子供の霊を取り込んでしまいました。」

「どういうことだい。」

「おばあちゃんが、まさ子叔母さんの見舞いをしている間、手持ちぶさたで病院を出て散歩していたところ。」

「このマンションの三階から鉢が落ちてきて、もう少しでミコに当たるところでした。」

「吃驚してどこから落ちてきたかと見ていたら、そこの店のおばさんが出てきて、また、あの子だね。」

「どうしようもない子だ。」と言うので事情を聞くと。

「このマンションの三〇五号室の子で両親が共働きで構ってやれないせいか、悪戯ばかりして近所に迷惑を掛けていると言うのです。」

「これは、悪戯じゃすまないね。当たったら大けがだ。下手すりゃ、死ぬぞ。」

「そこで、落ちて壊れた鉢を持って、この部屋を訪ねました。」

「良く部屋に入れてくれたね。」

「寂しさを紛らわすために悪戯をして構ってくれる人が欲しかったのですわ。」

「そのとおりです。全く警戒することなく入れてくれました。」

「そして、悪戯を止めるように諭すと、聞く耳持たずで自分の部屋に閉じこもりました。」

「この子は、負のエネルギーを取り込んでいましたが、今はミコの中にいます。」

「そうか、ミコは霊を取り込める能力を持っているからね。」

「すると、閉じこもっている子供は、もう悪戯をしないね。」

「いいえ、鍵っ子である以上、悪戯をして寂しさを紛らわそうとすることに変わりはありません。」

「但し、今回のように人を傷付ける悪戯はしないと思います。」

「それでひと安心だけど、ミコが取り込んだ霊の方をどうするかだ。」

「霊は、母親に会いたいという情念が強くこの世に留まっています。」

「それじゃ、母親に会わせればハモニーの所に行ってくれるね。」

「ところが母親の居所が分からないのです。」

「それで皆さんに来て貰いました。」

「トラン、ここの住所から何か手掛かりがないか。」

「過去のニュースとか、警察の事件を調べてくれないかい。」

「はい、県警のデーターベースにアクセスしてみます。」

「分かりました。事件は、先月の十二日に起きています。」

「ニュースでは、この階の真下に住んでいた二十四歳の母親が、育児放棄で娘を餓死させた事件として報道されています。」

「警察の調書では、この母親は同じ年の無職の男と同棲し、ホステスとして働いていたようです。」

「子供ができるとこの男は逃げるようにいなくなり、女手一つで子供を育てていました。」

「しかし、ホステスをしながらの子育てに疲れ果て子供を置き去りにした結果、餓死させてしまった。という事件です。」

「子供は四歳児で、当初は母親が置いていったお菓子で飢えをしのいでいたようですが、やがて、食べるものが底を突き空腹のあまり新聞紙を食べた痕跡もあったと書いてあります。」

「可愛そうに、二十歳の時の子供か。」

「子供が子供を産んだようなものだ。逃げた男も無責任すぎる。」

「普通、子供ができたら男として責任を取り、働いて家族を養うべきなのに。」「逃げてしまうとは。」

「そして、母親は取り調べ中の拘置所で自殺を図り、現在、一命は取り留めたものの警察病院で意識不明のままになっているようです。」

「この子のお母さんは、今、警察病院にいるということね。」

「早速行きましょう。」

「まあ、待ちなさい。ミコ、簡単に行くと言ったって相手は警察だ。」

「普通の病院みたいにはいかない。」

「それに、昏睡状態の母親にミコが取り込んでいる彼女の子を会わせたところでどうにもならない。」

「まずは、警察病院に潜入して母親の状態を確認しよう。」

「トラン、警察病院と契約している清掃会社を調べてくれ。」

「そこの清掃員に化けて潜入しよう。」

「その役目は、ミカと私がやるわ。」

「清掃員といったら、やはり女の仕事でしょう。」

「ああ、パートのおばさんが多いね。」

「それに、お父さんやトランが清掃員じゃおかしいし、絶対に怪しまれる。」

「分かった。」

「それじゃ、二人に頼むことにして、トラン。」

「早速だけど二人のIDカードと清掃会社の作業服を二人分頼むね。」

「もう、できています。」

「はい。」

「早いね。」

「それとトラン。母親の病室は。」

「この病院の最上階の五号室です。」

「この階は、刑に服している入院患者専用のフロアーです。」

「ところで、ジン。」

「こんな込み入ったことしなくても、私を使って直接病室に行けば済むことですよ。」

「でも、異次元からじゃ、彼女の状態が分からないし、君から出て病室に入ればセキュリティーに引っかかってしまう。」

「その心配はいりません。」

「以前のように、システムに侵入して改ざんすれば済むことです。」

「さっそく、侵入します。」

「ウーッ、プス。」

「ここのセキュリティーシステムは、全て有線のアナログ方式です。

「侵入できません。」

「どういうことだい。」

「監視室で常時、人がモニターを監視しているということです。」

「コンピューターは、一切使われていません。」

「しかも、VHFレコーダー。旧式過ぎます。」

「創始者のテクノロジーを持ってしても旧式過ぎて逆にお手上げか。」

「となると、今までのように、侵入した痕跡を消すことができないということだね。」

「何か不具合が生じても隠せないということだ。」

「それでもやるしかない。」

「ところで、二人は、この階に忍び込めるの。」

「そこは、抜かりなしです。このIDは、この階の清掃担当専任のカードです。」「忍び込むのではなく堂々と入れます。」

「それじゃ、相手は警察だから危険なことはないけど、ばれたら直ぐご用だ。」

「逃げられない。」

「そのような事態になったら、直ぐ移送機に戻すから。」

「但し、人の目の前では無理だから、どこか人目がないところに逃げ込んだ後になる。」

「それに、ビデオに二人の姿が残ってしまうので変装が必要だ。」

「やはり、担当のおばさんになって貰うよ。」

「今日は清掃時間も過ぎたことだし、明日出直そう。」


ミコは、叔母さんの見舞いを終えたばあちゃんを迎えに病院へ、私たちは移送機で事務所に戻った。

次の朝、二人は創始者のテクノロジーで、清掃担当のおばさんに変身していた。

いつも通り、私は朝の散歩を楽しんで帰ると。


「トラン、おはよう。ミカは。」

「外に、二人のおばさんがいませんでした。」

「もしかして、あの二人がミカとミコ。」

「全く別人だ。」

「すれ違いざまに愛想良く挨拶を交わしちゃったよ。」

「今日も良い天気ですね。なんちゃってさ。」

「二人とも意地が悪い。人を騙すとは。」

「ジン、ご免なさい。」

「騙すつもりじゃなくて、ジンが気が付かなければ完璧な変身だ。ってトランが言うものですから。つい。」

「これで完璧ね。お父さん、気がつかなかったから。」

「はい、私がやることに抜かりはありません。全て完璧です。」

「後、二十年過ぎると君たちも、こんなおばさんになるのかね。」

「いいえ、なりません。」

「いつもの清掃員の顔に整形していますから、それに彼女たちは年を取っても今の美しさのままです。」

「それじゃ、そろそろ病院の清掃時間だ。」

「いつもの清掃員の人達は、どうしよう。」

「その心配も必要ありません。」

「二人は、いつもどおりの仕事をしていると思っています。」

「但し、仮想現実の世界ですけど。実物そのままです。」


一同は、移送機に乗って警察病院へ移動した。


「良し、行動開始だ。」

「二人ともよろしく。私とトランは移送機の中で見てるから。」


二人は従業員専用の出入り口から病院内へ入った。二人の後を私たちは、移送機で付いていった。


「次元が異なるから、あっちからは見えないと思ってもいまだに慣れない。」

「変な感じだ。」

「ぶつかると身構えても、お互いにすり抜けてしまう。まるで幽霊だ。」

「移送機はゼロ次元にいます。空間も時間もありません。」

「無の世界です。」

「ゼロ次元じゃ、物体は存在できないでしょう。」

「そのとおりです。」

「移送機で物体をエネルギーに変換させることで、この次元に存在できるようにしています。」

「移送機自体もエネルギー化しています。」

「それじゃ、我々もエネルギー。」

「でも、人間の形として存在しているよ。」

「それは、私たちが精神エネルギー体で互いに実体として認識できるからです。」

「まさに幽霊みたいなものだ。」

「そして、時間も距離も関係ないから、どんなに遠いところでも一瞬に移動できるわけだ。」


「ジン、トラン。聞こえる。」

「五階のフロアに入るドアを解錠するには、このIDカードを差し込んで暗証番号を打ち込まないと駄目みたい。」

「番号分からない。」

「こちらで、番号を打ち込みます。」

「トラン、知ってるの。」

「知りませんが、電子錠だから簡単にスキャンできます。開きました。」

「早い。有り難う。」


「おはようございます。」

「いつも掃除大変だね。」

「いいえ、仕事ですから。」


彼女たちは、いつもどおりに掃除を初めて問題の五号室に入った。


「あれ、昏睡状態で生命維持装置やら何やらで、繋がれていると思っていたけど。普通に寝ているね。」

「ジン、普通に寝ている状態ではありません。」

「クウ、どういうことだい。」

「彼女は、肉体的には完全に回復していますが、精神的には生きる望みを捨て死を望んでいます。」

「その思いが強いため意識が回復しないのです。」

「それじゃ、ミコの中にいる彼女の娘の霊と会わせるにはどうしたら良いんだ。」

「心を完全に閉ざしていますから私の力で母親の霊を分離してミカの体に移動させます。」

「ミカ、彼女の手を握ってください。」


ミカは布団を直す振りをして彼女の手に触れた。母親の霊はミカに移った。


「霊を抜かれた体は大丈夫ですか。死ぬことはないのですか。」

「これは、科学では説明できない現象です。」

「トラン、大丈夫です。ジンの目には見えるでしょう。」

「ああ、見える。」

「五十鈴川の支流で自殺を図った人と同じように、霊と体を繋げている紐状の物が。」

「これが切れない限り、死なないということだ。」

「待てよ。これってクウの力がないと見えないはずだけど。」

「どうやら、ジンにも見える力が付いたのではないかと。」

「それは別としてこれが切れると霊はハモニーの所に行きます。」

「そして、負の世界で生まれ変わります。」

「彼女の霊は、正のエネルギー体ですからミカに移動させることができましたが、ミコの中にいる霊は負のエネルギー体ですからミコのように特殊な能力がないと意のままに移動させることはできません。」

「よし、ミカ、ミコ、引き続き掃除をして最後にトイレの掃除だ。」

「そこには監視カメラがないから、そこでゼロの中に回収するよ。」

「ゼロって何。」

「移送機の名前さ。ゼロ次元にいるから、ゼロって名前にした。良い名前だろ。」


「それじゃ、トラン。二人をゼロの中に入れてくれ。透明モードも解除。」

「ミカ、ミコ。二人の中にいる霊体を出してくれ。」

「そんなことできるの。」

「ゼロの中だからできる。」

「この次元では、私たちは精神エネルギー体でなければ存在できない。」

「精神エネルギー体は、互いに意識化で人の形として認識できる。」

「分かりましたわ。クウ、私の中にいる母親を分離してください。」

「ミコは、自分で分離できるね。」

「できるわ。」


二人に入っていた正負の霊は、分離されてゼロの中で人間の形となって現れた。


「お母ちゃん。お母ちゃん。」と泣きじゃくりながら、娘の霊が走り寄った。

「ご免ね。ご免ね。」


二人は、抱きしめあった。


「会いたかった。会いたかったよ。」

「ご免ね。ご免ね。部屋に置き去りして。」

「お母ちゃんがいなくて、寂しくて、寂しくて、お腹が空いて、空いて。」

「ひなの、ずーっと、ずーっと、扉を見つめて待ってたの。」

「でも、お母ちゃん帰って来なかった。」

「いつの間にか眠ってたのかな。夢の中でお母ちゃんと一緒に、ご飯食べてた。」「嬉しくて、嬉しくて、涙が出て、出て、止まらなかったの。」

「そしたら急に部屋が暗くなって、怖くて目を閉じたの。」

「それでね。次に目を開けてみたら、ここにいたわ。」

「お母ちゃんとやっと会えた。ひなの嬉しい。」

「また、お母ちゃんと会えて。」

「ご免ね。ご免ね。」

「お母ちゃん、悪くない。そんなに謝らないで。」

「お母ちゃんの言うとおりにできないひなのが悪いの。」

「お母ちゃん、ご免ね。」

「ひなの、一生懸命お母ちゃんの言うとおりにしようと思うんだけど上手くできなくて。」

「失敗ばかりでご免ね。」

「ひなのが悪いんじゃないの。お母ちゃんが悪いの。」

「イライラしてひなのに辛くあたってしまったの。」

「たくさん酷いことも言ったわ。」

「幼いひなのにはできないことを言いつけて酷く叱ったりして。」

「ご免ね。もう、ひなのを一人にしないから、一緒に天国に行きましょう。」

「ひなの嬉しい。ひなのも、もう二度とお母ちゃんと離れたくない。」

「でも。」

「ひなのちゃん。ひなのちゃんは、お母さんと一緒に天国に行けないことに、気付いているのね。」

「お姉ちゃん、誰。」

「私は、ミカ。」

「こっちのお姉ちゃんが、ミコ。このおじさんが、ジン。こっちの格好いいお兄さんが、トラン。」

「お母さんも分かるでしょう。」

「ひなのちゃんとは、一緒に天国に行けないこと。」

「どうしてですか。私も死んで一緒に天国に行きたい。」

「あなた達が神様なら、この願いを聞いてください。」

「だめ、お母ちゃん。」

「お母ちゃんは死んじゃだめ。」

「ひなのの分も生きて欲しいの。」

「ひなの、お星様になって、お母ちゃんをずーっと守ってあげたいの。」

「だから、死んじゃだめ。」

「ひなのを置き去りにしたお母ちゃんを許してくれるの。」

「だって、お母ちゃん悪くないもん。」

「何にもできないひなのが悪いの。」

「お母ちゃんが頑張って仕事してひなのを育ててくれているのに、ひなの何のお手伝いもできなくて困らせてばかりで。」

「お母ちゃん悪くない。ひなのが悪いの。だから、お母ちゃんは、生きて。」

「お母さん、分かるでしょう。」

「お母さんは、犯してしまった罪の償いのため、そして、ひなのちゃんのためにも、ひなのちゃんの分まで生きなくてはならないことを分かっていますね。」

「分かっていますが、私がもっとしっかりしていれば、ひなのを死なせずに済んだのに。」

「生きてさえいれば、ひなのの人生はこれからだったのに。」

「私は自分を絶対に許せない。」

「私の人生が最悪なのを、ひなのの所為にしてこの子さえいなければと思ったことが許せない。」

「ひなのの命を絶ってしまった行為が許せない。」

「死んで、お詫びをするしかないのです。」

「でも、ひなのちゃんは、それを望んでいませんわ。」

「ひなのちゃん。ひなのちゃんは、お母さんの期待に一生懸命応えようと、良い子でいようと頑張ったのね。」

「うん、だけど失敗ばかりで、かえってお母ちゃんに面倒掛けちゃった。」

「ひなのはね、自分一人でできることを見せたくて、ひとりでおしっこをしてみたの。」

「そしたら、前は上手くできたのに、あの時は何故かおしっこがパンツに掛かちゃって。それでね。洗濯物増やして、また、怒られちゃった。」

「あの時もイライラしていて、ひなのを酷く叱ってしまいました。」

「ご免ね。考えてみたら、まだ、小さいひなのには無理なことは分かっていたのに。」

「本当は、頑張ったひなのを褒めてあげるべきだったのに。」

「そして、優しく教えてあげるべきだったのに。」

「パンツはね。膝までで足首の所まで降ろしちゃ、おしっこが掛かっちゃうってね。」

「お母さんの言うとおりです。」

「子供は、庇護してくれる親の愛に報いるために、一生懸命頑張るものなのです。」

「ただ、幼いが故に上手くできないのです。」

「親は、そのことを十分理解して例え何度失敗しても褒めてあげ、根気よくどこが拙くてできなかったかを教えてあげなければならないのです。」

「子供は、怒られるともっと一生懸命に頑張ろうと反省しますが、どこが悪くてできなかったのかは分かりません。」

「そして、また、失敗してしまいます。」

「その繰り返しがストレスとなって親子関係をギクシャクさせます。」

「子を嫌う親はいません。もちろん、親を嫌う子もいません。」

「その愛情表現の方法が下手なだけです。」

「怒りに負かせず、じっくり子供と向き合うことが大事なのです。」


私は、このお母さんを諭すというよりも、自分の心にも言い聞かせていた。子供は、親の従属物ではない。私は、養ってやっているのだから子は親の言うことを聞くのは当然だと思っていた。ギブアンドテイク。そんな接し方しかできなかった。そこには、愛がない。結果、娘二人との関係は冷めたものになった。そして、今の状態がある。ミコは、引きこもり。下の子は、東京に嫁いで実家には寄りつかない。でも、私が死んでからは行き来があるようだ。


「ジンさんの言うとおりですが、もう遅い。」

「私は、ひなのに取り返しのつかないことをしてしまいました。」

「どう償えば良いのか分かりません。」

「それは、お母さんがひなのちゃんの分もしっかりと生きていくことです。」

「そうすることが償いです。ここで死を選ぶことは、何の償いにもなりません。」「自分のしてしまった過ちから逃げようとしているだけです。」

「それは、卑怯です。」

「真正面から犯してしまった過ちを見据え、どうやって償うかを考えなくてはいけない。」

「まずは、刑に服し自立更生して人生を全うすることです。」

「それがひなのちゃんの願いであり、ひなのちゃんへの償いでもあるのです。」「人生を全うすることは決して容易いことではないですが、それが償いと思って頑張って生きてください。」

「お母ちゃんは、死んじゃだめ。ひなのが、ずーっと、守ってあげる。」

「だから生きて、ひなのの分も、お願い。お母ちゃん。」

「お母ちゃん、分かった。」

「ひなのの分もちゃんと生きていくから、もう死のうなんて思わないから、こんなお母ちゃんを許してね。」

「うん。お母ちゃん、ありがとう。」

「ひなのお星様になってお母ちゃんを守ってあげるから、ずーっと、ずーっと。」

「お母ちゃん。ひなの、もう行かなくっちゃ。」

「ずーっと一緒にいたいけど、もう行かなくっちゃ。」

「お母ちゃん、元気でね。ばいばい、ばいばい・・・・」


ひなのの体が徐々に消えていった。お母さんは、その体を逝かせまいと言わんばかりにぎゅうっと抱きしめて、娘の名前を何度も何度も呼んでいた。やがて、ひなのの体は、お母さんの腕の中から完全に消えてしまった。お母さんは、今まで抱いていたひなのの温もりを忘れまいと消えてしまったひなのの体が、あたかもそこにあるかのように両腕を胸に抱え込みながら静かに泣いていた。


「お母さん。ひなのちゃんは、お星様になってお母さんの行く末を見守っていてくれますわ。」

「だから、お母さんもひなのちゃんに恥じない人生を送ってくださいね。」

「はい、私は生きて一生、ひなのの供養をします。」

「供養をすることも大事ですが、お母さん自身の人生もこれからは大切に生きてくださいね。」

「はい。皆さん、有り難うございました。」

「よし、クウ。お母さんの霊をミカに移してくれ。」

「分かりました。ミカ、お母さんの手を握ってください。」


ミカが、お母さんの手を取った瞬間、お母さんの姿は消失した。


「それじゃ、病室に戻って彼女の霊を本体に返したら任務終了だ。」

「掃除のおばさんの仕事も廃業といきますか。」


ミカは、忘れ物を取りに来た振りをして病室に入り母親の霊を戻した。すると昏睡状態だった彼女の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。


「それじゃ、ミカ。これで終わったことだし帰りましょう。」

「はい、これでお母さんの意識も回復すると思いますわ。」


「掃除、ご苦労さん。気をつけて。」

「はい、有り難うございます。また、明日。さようなら。」


病院から出てきた二人を人目のないところでゼロに回収し事務所に戻った。


「ひなのちゃんは、この世にいながらにして仏教で言う餓鬼界を生きてしまったわけですね。」

「けれども、誰を恨むわけでもなくお母さんに会って、お母さんが悪くないということを伝えたくて、この世に留まってしまったのですね。」

「だけど、その負のエネルギーが何故上階の鍵っ子に乗り移ったのですか。」

「トラン、乗り移ったのではなく。その子が取り込んでしまったのだ。」

「それは、上階の子がひなのと同じように、親の愛情に飢えているからだ。」

「同じ境遇が、共鳴しあって取り込むことができたのだろう。」

「鍵っ子に、ミコみたいな能力があるということですか。」

「いいや、あくまでも推測だが、なんらかの条件が揃うと能力がなくても負の霊を取り込むことができる。」

「そして、負の思念が増幅され、単なる悪戯が人を傷つける行為にまでエスカレートしてしまう。」

「何か、悲しいね。私たちは、この世に留まった負の霊を成仏させることはできても、現に生きている人たちの負の思念から救ってやることはできない。」

「むなしさを感じるよ。」

「ジンの気持ち分かりますわ。」

「恨みや嫉妬、悲しみ、憎しみ、恐怖、不安、怒りなどの負の思念に囚われて苦しんでいる心を救うのは神様でも無理ですわ。」

「神に祈ることで一時の安息は得られても、負の思念を断つことはできませんわ。」

「自分の力で負の思念を追い出し、醜い心を優しさや思いやり、慈しみ、喜び、希望といった思いで満たさないと。」

「自分で美しい心に変えなければ。」

「そうだね。神様たるミカが言うのだから間違いないことだ。」

「私たちの特別な力を持ってしても人々を善導することはできない。」

「それは歴史が物語っている。」

「例えば、地球の三大宗教、キリスト教、イスラム教、仏教の教えを人類が守り具現すれば、この世から貧富の差や人種差別、戦争や犯罪はなくなっているはずだ。」

「まさにパラダイス、ユートピア、アルカディア、極楽浄土の出現だ。」

「しかし、今の社会は、そうなっていない。」

「それどころか、人類はこの世にいて、さながらの地獄、餓鬼、畜生、修羅界を生きている。」

「それは、仏教の教えにある六界のことですね。実際には存在しない世界です。」「創始者たちの研究では、宇宙誕生時、同時に出来た万物の元である陽子と反陽子は、互いに接すると消滅してしまうため、それぞれの世界に分かれたという説があります。」

「それが、ハモニーのいう正と負の世界に当てはまります。」

「この二つの世界しかありません。」

「六界とは、仏教界の先人たちが現実の生活の場を見て、この世の中を六つの世界観に分けたものです。」

「私もトランの言うことに賛同するね。」

「ハモニーも言っていたけど。六界とは、この世界そのものだよ。」

「犯罪等に走って自分の人生を捨てた人たちは、地獄界。」

「生活苦で明日の糧すらなく不安の中で生きている人たちは、餓鬼界。」

「自己中で自分のことしか考えない人たちは、畜生界。」

「人種差別や戦争をしている人たちは、修羅界。」

「真面目に生きている人たちは、人間界。」

「真面目で自分の夢や希望を実現させている人たちは、天界を生きているということだ。」

「自分がどの世界に当てはまるかは、自分の行動しだいだ。」

「例え、今は地獄界にいても更生すれば人間界に戻れる。」

「逆のこともある。人は、その時々の行いによって六界を行き来するというわけだ。」


カジノツアー


「今日、みんなに集まってもらったのは、他でもない。」

「神定プロダクションの今後の運営について、話し合いの場を設けたいと思ってね。集まってもらったわけだ。」

「お父さん。会社。上手くいってないの。」

「その事については、トランから報告して貰おう。」

「はい、ミコ。本の売れ行きが芳しくなく、運営資金が少なくなっています。」「現在の残高は、一千五百二十三万五千四百五十六円です。」

「この状態で運営すると、後、一年と四ヶ月で会社は倒産します。」

「うむ。困ったものだ。」

「もっと、宣伝すればベストセラー間違いなしだが、その宣伝費も出せない状態だ。」

「このままでは、座して倒産を待つのみだ。」

「そうなっては、ハモニーの仕事もできなくなる。」

「そこで提案なんだが、また、賭け事で運転資金を確保しようと思うんだが。」

「ジン。それは賛成できません。」

「クウ、そうは言っても、背に腹は代えられない。」

「ギャンブルで儲けることは、非合法ではないからね。」

「それは分かりますが、そんなことに力を使うこと自体が非合法ですから。」

「でも、クウ。前回はハモニーも許してくれた。力が使えたことがその証さ。」

「私もジンの考えには反対ですわ。」

「やはり、お金は苦労して稼がないと。人は怠惰になってしまいますわ。」

「私は、ジンの考えに賛成です。」

「このままでは、会社の倒産は必至です。」

「うむ。クウとミカは反対、私とトランは賛成の二対二か。」

「現実問題、このままでは会社は倒産、ハモニーの仕事もできなくなる。」

「この考えは、どうでしょう。」

「トラン、どんな考えだい。」

「はい、現時点で会社を売りに出せば、土地や印刷機等の売却代で少なくとも一億円余りの現金が残ります。それをミコの生活費に充てるのです。」

「そんな事したら私たちの生活基盤がなくなってハモニーの仕事ができない。」

「私たち二人は、大丈夫です。」

「ミカも私も精神エネルギーが尽きない限り不滅です。」

「ジンは、その源です。」

「そして、ミコは、クウをジンに返すのです。」

「でも、私のエネルギー源は食物だよ。」

「お金がなくちゃ、私が生きていけない。」

「私が餓死すれば、ミカもトランも消滅するんだろう。」

「三人で働けば、生活費ぐらい何とでもなります。」

「それに、フードディスペンサーもあります。食事には困りません。」

「ちょっと待って、私は漫画を諦めない。」

「だからプロダクションも売らない。」

「それに、クウも返さない。」

「ギャンブルで資金稼ぎをすることに反対しているのは、クウで私じゃないわ。」

「と言うことは、ミコはギャンブルで運転資金を稼ぐのに賛成なんだね。」

「これで三対二だ。多数決の原理でこの件は、私の考えで行くよ。」

「ミカとクウとしては、納得し難いだろうけど我慢してくれ。」

「これが最後と約束するから。」

「仕方ありませんわ。」

「以前同様、ジンが力を使って賭けに勝てたらハモニーが許したということで私も納得します。」

「ありがとう。ミカ、クウ。」

「ジンは、どんな賭け事で資金を調達するつもりですか。」

「トラン。そのこともみんなで話し合おうと思うよ。」

「まず、提案者である私の計画だが、ラスベガスに行って資金を稼ごうと思っているんだ。」

「何故ラスベガスなのですか。」

「前回、ロト6で当たった時、投資とか、寄付とか、いろいろな勧誘があって、断るのに苦労したからね。」

「日本じゃ、当選者の情報が駄々漏れだ。」

「外国ならそんなには騒がれないだろうし、個人情報も守られると思うから。」

「ラスベガスって、何処にあるの。」

「ミコは、知らないのですか。」

「アメリカはネバダ州の南、ネバダ砂漠にあります。」

「街全体が賭博場になっています。世界一の賭博場です。」

「それじゃ、みんなで海外旅行。」

「残念ながら、ミコは留守番。私とミカ、トランの三人で行ってくる。」

「えーっ、そんなのないよ。絶対、私も行く。」

「無理ですわ。お母さんが許さないと思いますわ。」

「そうだな。行き先が行き先だけに、ますます許可は出ないと思うよ。」

「賭博場なんて胡散臭い連中がウヨウヨいるからね。絶対にだめだな。」

「そんな・・・、それじゃ、私は、お父さんの案に反対。」

「ミカとトランは。」

「ジンの案で賛成ですわ。是非、海外に行ってみたいですわ。」

「私も異議ありません。」

「今度は私も賛成します。」

「えっ、クウの裏切り者。さっきは反対したくせに。」

「ミコ、仕方ありませんわ。」

「おみやげは、ちゃんと買ってきますから大人しく留守番していてくださいね。」

「ジン。ゼロを使って、早速行きましょう。」

「あっ、ちょっと待って。」

「トランはせっかちなんだから。ゼロは使えないよ。」

「私たちはれっきした日本国籍を持っている日本人だから、ちゃんとパスポートとビザを取って飛行機を使って行くからね。」

「そうしないと密入国者になって賭けに勝ったお金を銀行に預けられない。」

「それじゃ、困るだろう。」

「分かりました。ジンの言うとおりです。この場合は、ゼロは使えませんね。」


私たちはミコの反対を押し切って、旅行代理店のカジノツアーに申し込むことにした。ラスベガスは出発当日の午後十六時頃着、翌日から二日間はフリー、四日目に機内一泊で帰途に着く四泊五日の旅である。他のツアー客二十人と一緒に、成田午後発のデルタ航空に搭乗した。


「ミカ、楽しそうだね。」

「ええ、飛行機に乗るのも外国に行くのも初めてですもの。ワクワクしますわ。」

「私も外国に行くのは初めてだけど。」

「これといって楽しく感じるものはないよ。」

「どうしてですか。」

「うむ。どうしてかな。昔から、外国には関心がない。」

「人や言葉が変わるだけで、景観はほぼ同じと思うからだよ。」

「そりゃ、文化や風土の違いに興味はあるけど。そこに、住むならの場合だ。」

「旅行だけじゃあね。興味も沸かない。」

「学校の修学旅行の時だって歴史や宗教に興味がなかったから、覚えているのは旅館で枕投げや布団蒸しごっこをして先生に怒られたことぐらいだな。」

「それに旅行するなら、やっぱり日本だよ。日本が一番好きだ。」

「連休にこぞって海外に出かける人の気が知れない。」

「同じ金を使うなら、国内で優雅な旅行をした方が良いと思っちゃうたちでね。」「それに外国は物騒だ。治安が悪い。」

「特に、アメリカは銃の国で、人種差別が甚だしい。」

「白人は、何の躊躇いもなく平気で有色人種を撃つ。」

「殺すことに罪悪感がないのかも知れない。」

「それは、言い過ぎです。そんなことをするのは一部の白人です。」

「そりゃ、分かっているさ。」

「しかし、トラン。キリスト教を信奉する者の根底にあるものは選民意識だ。」「これを忘れてはいけない。」

「キリスト教徒でもなく白人でもないとなると、どうしても人間として軽く扱われるのも事実だ。」

「それはジンの言うとおりですが、意識は変わりつつあります。」

「歴史からみれば、キリスト教に限らず全ての宗教は他を排斥してきました。」「しかし、これからは違います。分かり合える時代に入ってきています。」

「しかし、真に分かり合える時代は、もっと、もっと先だ。」

「それに、民族の違いは超えられない。」

「人種、宗教を問わず地球人類が平等かつ平和な社会を創造するには、まだ何百万年もの歳月が必要だろう。」

「ジン、いよいよ離陸しますわ。」

「こんな重い物が飛ぶなんて本当、不思議ですわ。」

「本当、これほど危険な乗り物はないでしょう。ミカ。」

「でも、トラン。事故率は自動車よりも圧倒的に低いぞ。」

「そのとおりですが、一旦、事故を起こせば、この飛行機に乗っている百四十五人の命が一遍に奪われます。」

「トラン、離陸前にそんな話は御法度だ。縁起でもない。」

「これは、失礼しました。」

「何事もなく本日の夕方には、ラスベガスに到着することでしょう。」

「そう願いたいね。」


しかし、航空機がハワイ上空を過ぎた頃。


「ジン。」

「なんだい。トラン。」

「ここからの会話は、テレパシーで行います。」

「他の乗客に聞こえては、パニックになります。よろしいですね。」

「テレパシーでの会話は好かんが、そうしよう。ミカもね。」

「はい。」

「この航空機にテロリストが乗っています。」

「えっ、テロリスト。どうして分かった。」

「はい、無線での会話を傍受しました。」

「トラン、この航空機をスキャンして、武器とか爆発物とかがないか調べてくれ。」

「もう既にスキャン済みです。結果は、操縦室に核爆弾があります。」

「どこのテロ組織か。どうやって、核爆弾を持ち込んだんだろう。」

「航空会社の搭乗員なら身体検査を受けずに持ち込めます。」

「コックピットに核爆弾を持った操縦士か。テロリストの狙いは何だろう。」

無線の会話からすると、狙いは何かの施設への自爆テロです。」

「二千一年のグランドゼロの再来か。」

「それ以上の犠牲者が出ます。」

「罪のない人たちを攻撃して何がジハードだ。」

「無差別テロは、絶対に許せませんわ。私が行って止めるように説得しますわ。」

「でも、操縦室は立ち入り禁止で入れないよ。」

「はい、知っています。でも、私なら入れます。」

「この場で消えるわけにもいきませんから、ちょっとトイレに行ってきます。」

「あっ、ちょっと待ってください。操縦室の状況を確認しないと。」

「ミカ、トランの言うとおりだよ。」

「ミカがいきなり現れたら、テロリストがどういう行動に出るか分からない。」「乗客たちのことも考えて被害を出さないように気をつけないと。」

「分かりましたわ。まずは、ゼロに乗って操縦室を偵察しましょう。」

「それじゃ、みんなでトイレに行きますか。」


操縦室の様子は、パイロットが二人、左席の操縦士は死んでいるように身動き一つしない状態で右席の操縦士が一人で操縦していた。


「今は、操縦士ふたりだけで航空機を運航するんだ。」

「昔は、パイロット二人にフライトエンジニアの3人でワンクルーだったけど。」

「それは昔の話で、今はコンピューターが全て実施します。」

「操縦士は、コンピューターのバックアップ見たいなものです。」

「そうか、昔はコンピューターが人間の補佐的存在だったが、今は、逆に人間がコンピューターを補佐する立場になったのか。」

「補佐という言葉より、コンピューターを管理、あるいは、監視していると言ったほうが適切です。」

「あくまでも、コンピューターは機械ですから、命令されたこと以上のことはできません。不測事態への対応は人間しかできません。」

「もしもし、お二人さん。何か忘れていませんか。」

「今は、そんな話をしている時ではありませんわ。」

「左席の人は死んでいません。気絶しているだけですわ。」

「どうして分かるの。」

「私には精神エネルギーを感じることができますから、死んでいたらエネルギーはゼロになります。感じることはできません。」

「そうだった。ミカは、元々は人の精神エネルギーから生まれた存在だ。」

「死んだ人は、ハモニーのところから負の世界、つまり、反物質の世界に生まれ変わるんだった。死んでなくて良かった。」

「そうすると、コパイがテロリストか。」

「コパイとは、なんですか。」

「ミカ、コパイとは、副操縦士のことだよ。」

「キャプテン、つまり正操縦士は、通常左席に座るものだ。」

「それで、テロリストは副操縦士と言ったのですね。」

「そのとおり。たぶんね。」

「トラン、核爆弾は。」

「そのフライト用アタッシュケースの中です。」

「えっ、この黒の鞄。こんな小さい鞄に入る核爆弾があるとは思えないな。」

「これもテクノロジーの賜です。」

「なんか、嬉しくない賜だ。」

「戦争があるたびに新兵器が生み出され、それを元に科学が進歩する。」

「その進歩が人々の生活を便利にし豊かにしてくれる。皮肉なことだ。」

「この爆弾は、時限装置付きです。」

「この時刻からすると、狙いはロサンゼルスと思われます。」

「この程度の核爆弾では、戦術的に小規模の被害しか与えられないと思うんだが、彼らは何を企んでいるのだろう。」

「おそらく、西海岸にある原子力発電所とか、ダムとかを破壊して、被害の拡大を意図していると思われます。」

「そうか、原発を破壊すれば、放射能が西風に乗ってアメリカ全土を汚染する。」

「それを狙っているのかも知れない。」

「どちらにしても、今は、このままにして爆発時刻までに爆弾とテロリストを、ゼロでどこかに移動させよう。」

「どこにしますか。」

「うむ。トラン、この爆弾の製造場所を特定できるかい。」

「はい、ちょっと時間が掛かりますが、爆弾を分析して場所を探し出します。」

「時間に間に合うように急いでくれ。」

「良し、ひとまず席に戻ろう。」


「ジン、場所が分かりました。」

「パキスタンとアフガニスタンの国境付近の山岳地帯です。」

「山を掘って造った工場があります。」

「良し、その場所に行ってみよう。また、トイレに。」

「はい。」


「よくこんな山奥にトンネル工場を造ったものだ。」

「ここは、組み立て工場です。様々な部品があります。」

「そのようですわ。部品には、いろいろな言語が書かれています。」

「ハングル文字や中国語、英語や日本語の物もありますわ。」

「寄せ集めの部品でよく武器が作れるものだ。」

「良し、この工場に例のカバンを移動させよう。」

「ジン、この場所に核爆弾を移動させては、ここの人たちが犠牲になりますわ。」

「しかし、テロリストは許せない。」

「ここで助けると何の罪のない人たちが、また、標的となって大勢死ぬことになる。」

「だからといって、私たちが人を殺して良いという理由にはなりませんわ。」

「確かに、ミカの言うとおりだよ。私だって人を殺したいとは思わない。」

「工場だけを壊して、この人たちを助ける方法はないかなあ。」

「ありますわ。この人たちが信じる神になって降臨し、この工場から離れるように促せば良いと思いますわ。」

「しかし、時間がないぞ。素直に聞いてくれるか分からない。」

「この人たちは、アッラーの神の信奉者ですからアッラーの神になって立ち去るように言えばきっと聞いてくれますわ。」

「アッラーの神は実体がない。成り済ますと言っても。」

「ジン、ゼロをこの時限に現出させ、強い光を放ちアッラーの神が降臨したように見せかけてはどうでしょう。」

「良し。時間がないから一か八かやってみよう。ところで言葉はどうする。」

「ジンが言った言葉をゼロで翻訳させ、工場にいる人たちに聞かせます。」


「神の子らよ。人を殺めることは、我が教えにあらず。」

「我が教えは他を慈しみ、助け合うことである。」

「隣人を愛せよ。貧しき者たちを助けよ。罪を犯すなかれ。」


工場で働く人たちは、この声が何処から聞こえてくるのか。誰が言っているのかといぶかしげに探し始めた。外を見張っていた一人が、天に輝く球体を指し、アッラーの神と言って地面にひれ伏した。この事態に気づいた者たちが次々と工場から出てきた。ある者はひれ伏し、ある者は手に持った軽機関銃で撃ってきた。しかし、いくら撃っても何の効果もないことに気づき諦めたように銃を降ろした。


「お前は、何だ。」

「私は、アッラーの神。ゼロはますます光度を上げた。」


あまりの眩しさに目を眩ませて皆その場にひれ伏した。


「神の子らよ。この工場から立ち去りなさい。」

「武器を作ることは我が意に反すること。」

「この工場を我が力によって三十分後に消滅させる。」

「それまでにできる限り遠くへ避難せよ。」


ゼロは、徐々に光度を下げ、その場から消滅した。彼らは、半信半疑で夢でも見たのか。米軍の仕業かと口々に騒いでいた。


「どうでしょう。これで彼らは、避難するでしょうか。」


ひと騒動の後、彼らは避難する様子もなく元の作業場に戻って行った。


「まあ、無理か。」

「不思議な現象とは思ったけども、アッラーの神とは信じなかったみたいだ。」

「このままでは、この場所を破壊することはできませんわ。」

「何とか彼らに神の力を見せつけないと。」

「見れば信じて立ち去ると思うよ。」

「ジンの力は、使えないのですか。」

「私のどんな力。」

「私の創始者たちの中には、極まれに念動力を使う者がいました。」

「あーっ、テレキネシスね。」

「前に試したけどできなかったよ。」

「もちろん、テレパシーもテレポートも。君たちは除いてね。」

「それは、私利私欲で使おうとしたからですわ。」

「この場合は、違います。」

「罪のない人たちを助けるためですから、ジンの能力が使えると思いますわ。」

「それじゃ、だめ元でやってみますか。」

「トランは、ゼロを使って洞窟内を一斉に明るく照らしてくれ。」

「私は、それと同時にこの一帯に地震を起こしてみる。」

「この辺りは、過去地震が起きたことがない。」

「きっと吃驚して飛び出して逃げていくと思うよ。」


ゼロがトンネル内を昼間以上の明るさに照らし出し、同時に私は半信半疑ながら動けと念じてみた。すると、地鳴りと共に山ごと動いた。自分でも吃驚した。念力が使えるのである。しかも山をも動かす力だ。棚は倒れ物が床に散乱した。彼らは案の定、一斉にトンネル工場から飛び出してきた。ゼロは、彼らの頭上に留まり激しい光を放ったあと、すーっ、と消えた。彼らは畏敬の念をもってアッラーの神をたたえながら山を下りていった。


「ジン、後、五分です。」

「じゃあ、帰って核爆弾をこの工場に移動させよう。」


コックピットにある核爆弾を工場に瞬時に移動させた。トランは、副操縦士を気絶させ正操縦士を覚醒させた。キャプテンは訳が分からないまま気絶している副操縦士が、ハイジャックしたことを無線で管制塔に告げた。


「トラン、操縦室の方は、どうだい。」

「はい、副操縦士を気絶させ正操縦士を覚醒させました。」

「今頃は、訳も分からず管制塔にテロ活動のことを告げていると思います。」


航空機は、何事もなかったようにラスベガス空港に着陸した。しかしながら、直ぐには、航空機を降りることはできなかった。警察の捜査が入り一時間くらい缶詰になった。その頃、地球の反対側では、核爆弾が爆発しトンネル工場は破壊されていた。トンネルが幸いして放射能は外部に漏れることがなかった。ちょっと山の形が変わっただけで大した被害にはならなかったようだ。

私たちが宿泊するホテルにはカジノの施設がある。夕食を摂り、早速、カジノに入ろうとしたが、入り口にはブラックタイオンリーと記されていた。私たちは、お互いのカジュアル姿を見て、これじゃ、だめかとため息を吐いた。

ボーイに貸衣装屋がないかと聞こうと思うが、英語ができない。


「ここは、トランよろしく。」

「分かりましたが、英語くらい話せるように勉強してください。」

「そんなこと言ったって、この六十過ぎの頭じゃ、無理だよ。」

「ミカは、どうですか。」

「私は、習う必要はないみたいです。」

「どういうわけか言葉が分かるし話せますわ。」

「そんな。私だけが、だめなのか。」

「ミカは、全人類の信仰心の精神エネルギー体だから、全ての言語が分かるわけだ。」

「私には山を動かすほどの力があっても、日本語しかできない。虚しい。」

「ジン。すねないでください。」

「このネックレスを付けてください。」

「男がネックレス、冗談じゃない。」

「これは、ただのネックレスとは違います。」

「双方向の翻訳機です。」

「これを付けていれば、相手の話もジンが言うことも相手に通じます。」

「へえ、便利なもんだね。早速、試してみよう。」

「あー、うー、貸衣装屋は、どこにありますか。」

「ホテルのショッピングモールの中にあります。」

「えっ、通じた。」

「それに、相手の言うことも分かった。こりゃ、最高だ。」

「これで、ジンも英語が話せると言うわけです。」

「でも、私は日本語で聞いたのに。」

「ジンが日本語で言った言葉が、そのまま相手の国の言葉になります。」

「英語に限らず。」

「はい、英語に限らずです。」

「でも、ネックレスとは気に入らないな。」

「この場は、我慢してください。」

「デザインは男性用ですから、おかしいことはありません。」

「ジン、似合っていますわ。ダンディーな感じがして、格好いいですわ。」

「ミカにそう言ってもらえて嬉しいよう。それじゃ、衣装を借りに行こう。」


トランと私は、黒のスーツ。ミカは、淡黄色のカクテルドレスできめた。


「ミカ、なんて素晴らしいんだ。美しすぎる。」


私は、心の中で不謹慎な願望に取り憑かれた。本当にミカと結婚したいという許されざる願望に。


「ミカ、本当にこの世のものではありませんね。神のなせる技です。」

「二人とも、嫌ですわ。そんなに見つめられたら照れますわ。」

「ミカ、お世辞でも何でもないよ。そう思っているのは私らだけじゃないから。」「周りを見てごらん。みんながミカを見て感嘆しているよ。」

「恥ずかしいですわ。」

「ちっとも恥ずかしがることなんかないよ。堂々としていれば良いんだ。」

「分かりましたわ。」

「私たちもミカのパートナーとして鼻が高いよ。」

「ただ一つ悔しいのは、私だけが浮いていることだな。」

「世間の目は、ミカとトランはベストパートナーで、私はミカの親としか見て貰えない。」

「子供じみた嫉妬心が湧いてくる。」

「そんな感情は無視して、カジノに行きましょう。」

「トランは良いよね。」

「でも、私はジンが大好きですわ。」

「トランは、パートナーで恋人ではありません。」

「私の恋人は、ジンだけですわ。」と言って、私の腕を取った。

「その話は、それこそ無視してカジノに行こう。」と言いながらも、本当はミカと一生暮らしたいと思っている自分の感情を押し殺していた。


周囲には変な組み合わせに見えていただろう。普通ならミカとトランがカップルとしてはお似合いなのに、親子ほども違う私とミカが腕を組んで歩き、その後ろを若くて颯爽としたトランが付いてくる。実に奇妙な三人組である。


カジノでも、ミカの端正な美しさは群を抜いていた。選民意識の強い白人でさえも、ミカの美しさの前に人種の違いを超えてみな驚嘆していた。


「さてと、私はスロットマシンで運試しといきますよ。」

「私は、ルーレットにします。」

「私は、ジンと一緒にいますわ。」

「ただ見ててもつまらないから、ミカもしたら。」

「はい、私もしてみますわ。」


「今日は、だめだ。」

「私も時々は揃うのですが、これ以上コインが増えませんわ。」

「今日は、このくらいにして残ったコインをコミッショナーに預けて、また、明日頑張ろう。」

「トランは勝っているかな。ルーレットのコーナーに行ってみよう。」

「はい。」


ルーレットのコーナーに、何やら人だかりができていた。


「トラン、どうだい。」

「はい、ジン。一人勝ちです。既に、三十五万ほど勝ちました。」

「三十五万円。」

「いいえ、三十五万ドルです。」

「現在のレートで円に換算しますと、二千七百六十五万円になります。」

「元では。」

「はい、一万円です。」

「やったね。すごい勝率だ。今日の所は、これくらいにして部屋に帰ろう。」

「私たちは、差し引きゼロと言ったところだ。」

「明日は、一攫千金目指して頑張ろう。」


次の日は、午前中からカジノに行って、資金集めに集中することにした。


「このスロットマシン、私の能力が使えないみたいだ。」

「回転速度や絵柄の動きは、前の時と同様に分かるけど、押すタイミングを合わせても揃わない。」

「ジン、この機械は、倍率の高い目が揃わないように機械的に操作されています。」

「トラン、それって違法じゃないの。」

「いいえ、低倍率は出ますので、違法ではありません。遊び台というわけです。」

「それじゃ、台を変えよう。どれにしようかな。」

「この台は、デジタル方式です。」

高倍率が出る確立はかなり低いですが、ジンの力が使えれば目を合わせることができると思います。」

「良し、この台で勝負だ。今日こそ一攫千金を狙うぞ。」

「私は、また、ルーレットの方に行きます。」

「私は、ジンと一緒にスロットマシンで勝負しますわ。」

「単純ですけど面白いですわ。」

「今日は、一日腰を据えて稼ぎまくらないとね。」

「分かりましたわ。」

「あーっ、駄目だ。時々は、揃うけど、段々コインが減ってきた。」

「ミカは、どう。」

「はい。私の方は、適当にボタンを押しているだけですけど、どんどんコインが貯まって行きますわ。ほら、また、当たった。」

「どうやら、神は私を見放したもうたか。」

「いいえ、私は人々を見放しませんわ。もちろん、ジンも。」

「あっ、違う、違う。私を見放したのは、ハモニーだ。」

「ちっとも力が使えない。」

「こうなったら、自力で頑張るぞ。」


こうして、午後も一進一退のゲームが続き、ふたを開けてみると、私はぼろ負け。トランは、ルーレットで九千八百四十万円。ミカは、塵も積もって最終的には、なんと五億五千八百七十四万円になった。私の負け分と元での金額を精算して、約六億四千八百万円の儲けになった。


「取り敢えず、このカジノが提携している銀行に預けることにしよう。」

「明日も、また、カジノにしますか。」

「いいや、余り勝ちすぎても変に思われる。それに六億円余り稼いだんだ。」

「これだけあれば、会社の運営資金どころか、これから先の生活にも困らない。」

「これで充分ですわ。過ぎたるは及ばざるがごとしですわ。」

「それに、力が使えなくて負けてきた時のジンの入れ込みようといったら尋常ではありませんでしたわ。」

「負け分を取り戻すといってコインを借りましたね。」

「通常のジンなら、お金を借りてまでギャンブルをするようなことは、ありませんもの。」

「ミカの言うとおりだ。」

「私は、力が使えず負けが込んできたとき是が非でも使った分だけでも取り返そうと我を忘れてしまった。」

「ここに賭け事の恐ろしさがある。」

「自分だけは、絶対に大丈夫だと思っていたが、完全にギャンブルの罠にはまってしまった。」

「この状態が続くと、ギャンブル依存症になり人生を台なしにしてしまう。」

「そんな輩がウンザリするほどいる。」

「そうです。このカジノの中にもたくさんいます。」

「全財産を使い果たしている人もいます。私には、理解できません。」

「トランにもおいおい、人間の本質というものが分かってくると思うよ。」

「そうですか。」

「私には、分かりますわ。」

「そりゃ、そうさ。ミカは、人々の信仰心から生まれたんだから。当然さ。」

「では、明日の予定はどうしますか。」

「明日は、グランドキャニオンへの観光ツアーに行こうと思うんだが。」

「どうだい。」

「私は、賛成ですわ。」

「せっかくアメリカまで来たのにカジノとホテルだけでは。」

「おみやげ話にもなりませんわ。」

「分かりました。この観光ツアーのオプションに、そのコースがありました。」「私が申し込んでおきます。」

「トラン、よろしく。」


こうして、カジノツアー二日目が過ぎ目的も果たせたことで、三日目は、グランドキャニオンを観に行くことにした。しかし、勝ったお金は外国籍ということでホテル提携の銀行に口座をすぐ作れないことから、一旦、ホテルの金庫預かりとなり預り証が交付された。


「おはようございます。本日も快晴に恵まれ観光日和となりました。」

「皆様、カジノを十分楽しまれましたか。」

「今日は、グランドキャニオンへ皆様をご案内いたします。」


ツアーの添乗員が挨拶と今日の行動について説明し、私たちはグランドキャニオンへと出発した。我々の他に、一緒に来たツアー客と見知らぬ人たちも乗っていた。おそらく、経費削減のために他の観光ツアーと抱き合わせになっているのだろう。


「この景色は、日本では絶対に見られませんわ。」

「ガラス張りで下が丸見えですもの。空中に浮いているみたいですわ。」

「本当に壮大ですわ。」

「自然が創り出した芸術というところだ。」

「私は、こういう高いところが大好きだ。」

「はい、大陸ならではの光景です。長い年月を掛け水の浸食でできた渓谷です。」

「それにしても、このスカイウォーク。折れはしないよね。」

「当然です。床の厚さは、約十センチの強化ガラスです。」

「最大積載人員は一二〇名。橋の先端は、崖から約二十一メートルせり出しています。」

「谷底までは、約千二百メートルです。」

「風速四十五メートル、マグニチュード八の地震にも十分耐えられます。」

「総工費は、約三十億円で二〇〇七年三月二八日から一般公開されています(ウィキペディア)。」

「トランの説明は、添乗員より詳しいね。」

「はい、地球に限らず全てのデーターは、ジャンルを問わずゼロの中に集積されています。しかも自動更新されます。」

「全世界の情報があるということだね。」

「はい。但し、通信機能を有したコンピューターからしか情報を得ることはできません。」

「スーパーコンピューターからの情報はかなり有益です。」

「しかし、スパコンはセキュリティーがしっかりしていて侵入は無理だろう。」

「私にとっては、いとも簡単に侵入できます。」

「当然、その痕跡も一切残しません。」

「常時、全世界のコンピューターと繋がっています。」

「パーソナルからスパコンまで、ありとあらゆるコンピューターに自動接続しています。」

「軍事用のコンピューター、例えばペンタゴンのも。」

「はい、繋がっています。」

「それじゃ、トランが全世界を支配しようとしたら、それこそ、いとも簡単というわけだ。」

「そうですが、私には、そんな支配欲はありません。」

「本当、トランが人間を超越した存在で良かった。」

「ジン、トラン。あそこ。下に降りる小道がありますわ。降りてみませんか。」

「よし、時間が許す限り下ってみますか。」


十五分ほど降りると、後ろから白人の男たちが銃を突きつけ、大人しく付いてこいと脅してきた。突然のことに、訳が分からないまま付いて行くことにした。やがて、小道が車が通れるほどの幅になり、そこには車が二台止まっていた。その一台に私たちは押し込まれ一時間ほど走ったところで車から降ろされた。


「ここには誰も人は来ない。」

「私たちに何か用ですか。」

「随分、落ち着いているな。」

「いいえ、何をされるかと、不安でたまりませんわ。あなたたちは誰ですか。」

「誰でもいいじゃねえか。お前たちがカジノで稼いだ金をこちらに渡して貰いたいだけさ。」

「カードをこっちに寄こして暗証番号を言いな。」

「お金が目当てですか。でも、渡すわけにはいきません。」

「若造が、なめた口きくじゃねえか。言うこと聞かないと、こうなるぜ。」


次の瞬間、有無も言わさずに私は撃たれた。まさか、直ぐには殺さないだろうと思っていたので避けることができなかった。当然、撃った弾は私にではなく撃った本人に当たった。


「うっ。」

「兄貴、誰だ。どこから撃ってきた。くそ、皆殺しだ。」


他に四人の仲間がいたが、一人撃たれたことで私たちの誰かが撃ったものと勘違いし、自分たちが撃たれる前に私たちを殺そうと全員が銃を撃ってきた。

私は、本能的にミカとトランの前に立ちはだかり、彼らの銃弾を一手に引き受けた。当然、彼らの撃った弾は、私には当たらずに彼らに当たった。彼らは訳も分からずに死んでいった。


「ジン、私たちを庇う必要はありませんわ。」

「つい、咄嗟に行動してしまった。彼らには済まないことをした。」

「自分の能力を忘れて本能的に動いてしまった。」

「ミカ、ジンを責めないでください。」

「ジンは、私たちを人間と思っているからこそ、犠牲的精神で私たちを守ってくれたのですから。」

「別にジンを責めているわけではありませんわ。」

「単純に私たちは撃たれても大丈夫だったと言っているだけですわ。」

「まあ、仕方がない。私が言うのも変だが過去には戻れない。」

「こうして、彼らが死んでしまった以上、このままツアーに戻るしかないだろう。」

「そうですね。」

「私たちが関わったことは誰も知りませんし、警察に通報しても私たちの立場が悪くなります。」

「えっ、このまま放置していくのですか。私にはできませんわ。」

「ミカ、ここは我慢してくれ。」

「トランの言うように私たちは関わらない方が良い。」

「なぜなら、彼らはギャングだ。それに、私たちは銃を持っていない。」

「どうやって、彼らを撃ったのか。しかも、彼らの銃の弾で。」

「説明のしようがない。当然、私たちが、殺人者になってしまう。」

「ここは、ゼロに乗って戻ろう。」

「そうです。ジンの言うとおりです。」

「ミカとしては、このまま放置するには納得がいかないと思いますが、このままにして置けば誰が見たって仲間割れの殺し合いに見えます。」

「動機は、ギャングですからいくらでもあると思います。」

「分かりましたわ。人が死ぬということは、悲しいことですわ。」

「それが、例え悪人であってもです。」

「それは、ジンも私も同じです。好きで人を殺す人はいません。」

「彼らは違うよ。人を殺すことを何とも思っていない。」

「特に、有色人種は尚更だ。」

「何の躊躇いもなく撃つ。私たちを撃ったようにね。」

「ところで、彼らの魂がちゃんとハモニーの所に行ったかどうか確かめないと。」「トラン、クウを連れて来てほしい。クウに確かめて貰わないと。」


「クウ、どうだい。霊は残っているかい。」

「いいえ、負のエネルギーは残っていません。」

「全員、ハモニーの下へ行きました。」

「へぇー、素直に逝ったわけだ。」

「この連中は煩悩の塊だから、当然、この世に未練を残して向こうの世界に逝かないと思ったのに。」

「どうやら未練だけでは、この世に留まることはできないみたいだ。」

「他に何かの条件が必要なのだろう。」

「そのようですね。」

「未練だけでこの世に留まることができるなら、この世界は負のエネルギーで満たされてしまいます。」

「トランの言うとおりだよ。そうじゃなきゃこの世は幽霊だらけだ。」

「その条件とは、実はトランの創造主である創始者の血を受け継いだものです。」

「えっ、クウ。それはどういうこと。」

「はい、地球人類が創始者の域に達するには、まだ、何万年、何百万年は必要ですが、その因子は遺伝子情報となって連綿と受け継がれていきます。」

「その因子が目覚めるのは、遠い年月と自然選択により発露します。」

「その時が来れば、人類も創始者と同じ域に達することができます。」

「そうすると、その因子を持ち、かつ、人並み以上の強い未練がないとこの世に留まれないということだね。」

「そのとおりです。創始者の遺伝子情報を継承し、かつ、極端に強い未練がないとこの世には残れません。」

「ということは、今までに説得してハモニーの所へ逝ってもらった人たちは、この二つの条件を満たした者たちということになるね。」

「はい、そうです。」

「創始者の遺伝子を受け継いでいる者は、遠い将来は能力者になるわけだ。」

「そうですが、受け継いでいない遺伝子情報を持っている人たちも、その時代には煩悩から解放され同じ能力を持つことができます。」

「現代人は、煩悩だらけだから創始者の遺伝子情報を持っていても、その能力を発揮できないわけだ。」

「過去に、その煩悩を断ち切って能力を得た者もいます。」

「もしかして、イエス・キリストとかブッダがそうかい。」

「はい、日本にもいます。役のお小角です。」

「なるほど、そうすると現代にも、そういう人たちがいても不思議じゃないね。」

「ジンが、そうです。」

「うそ、私は煩悩だらけの人間だ。昨日もギャンブルに熱くなった。」

「この力は、ハモニーから貰った力で私には自由に使えない。」

「できていたらとっくに世界征服しているよ。は、は、はっ、こりゃ、冗談。」

「そろそろ、自由時間も終わりますわ。帰らないと。」

「お父さん、お父さん。私も。」

「ほら来た。ついに出てきた。」

「私は、幽霊じゃないわよ。出てきたはないでしょう。」

「私もこうして来た以上は、観光させてもらいたいわ。」

「これで帰れとは言わないでよ。絶対に帰らないから。」

「困った。ミコはここにいない存在だ。」

「一緒にツアーに参加できるわけがないよ。」

「ジン、このまま帰すのは気の毒ですわ。仕事だけ押し付けて帰れでは。」

「だけど、負のエネルギーを感知できるのは、ミコの中にいるクウとミコ自身だけだから。」

「ジン、それじゃ、ゼロを使って観光してもらうという手は。」

「分かった。でも、このグランドキャニオンだけだ。約束だ。」

「約束するから、見たら素直に帰るから。帰る時はお父さんに言うから。じゃ。」


私たちは、ゼロに乗ってツアーに戻り、ミコはゼロを使ってグランドキャニオンを見物することになった。何か不安な気持ちを払拭できずにいた。なんせうちの連中は約束を破るのが得意だからである。

案の定、私たちがツアーからホテルに戻って夕日が落ちる頃に、クウから連絡が入った。もちろんテレパシーで、もちろん帰るよって言う連絡じゃなかった。


「ジン、強い負のエネルギーを感知しました。」

「クウ、今、どこ。」

「グランドキャニオンの渓谷ですが、地番はありません。洞窟の中です。」

「どうやら、悪魔崇拝者の連中が儀式の準備をしているようです。」

「ここで生贄になった人の魂が負のエネルギーとなって留まっています。」

「生贄になった人たちの数は、百人近くにもなります。」

その中に、先ほどの条件を満たしたものが一人いたようです。」

「ミコでは説得できません。」

「逆に負の力が強くこのままではミコを守りきれません。」

「分かった。ゼロの中で、その魂と話そう。」


私たちは、ゼロの中で合流した。


「それじゃ、クウ。ミコの中の霊を出してくれ。」

「はい。」


ゼロの中では、全てがエネルギー化されるが、人間同士は人としての形態を取ることができる。


「あなたは、東洋人ですね。どこの国ですか。」

「私は、日本人です。」

「トラン、この人の情報を検索してくれ。」

「はい、既に検索済みです。この人は、遠藤美佐子。」

「三か月前に、この地で行方不明になり捜索願が出されています。」

「遠藤さんですか。間違えありませんか。」

「はい、遠藤美佐子です。私が死んでから三か月が経っていますか。」

「はい、そうです。」

「実は、私は、この悪魔崇拝者たちに輪姦され辱めを受けました。」

「私は屈辱に耐えかねて必死に逃げようとしたのですが、誰かに後ろから銃で撃たれてしまいました。私の他にも大勢の人たちが犠牲になっています。」

「透明モード。結構広い洞窟だな。これが魔法陣か。」

「しかし、こんなことをしても悪魔は出て来ないよ。実際、悪魔はいない。」

「人の心が悪魔化しているだけだ。」

「そのとおりですわ。悪魔はいませんわ。」

「人の負の思念は実体化できるほどのエネルギー体には成り得ませんから、例え、負のエネルギーが凝縮されても、人間の力では実体化は不可能です。」

「ジンのような力がなければ無理ですわ。」

「悪魔崇拝者たちも、そのことは承知でやっているのさ。」

「儀式を理由にして殺人やレイプを正当化しているんだ。」

「なんて身勝手な理屈なんだろう。」

「殺人に限らず犯罪者は自己中心的で相手の身になって考えることはしない。」「自分さえ良ければ、人はどうなっても構わない連中だ。」

「人を踏みにじってでも自分の欲求を満たす身勝手さは悪魔そのものだ。」

「話は変わりますけど、遠藤さんは、なぜ現世に留まっているのですか。」

「はい。」

「あなたたちは誰ですか。」

「あっ、済みません。自己紹介が遅れまして、こちらが、ジン、ミカ、ミコ、そして、私はトランです。」

「今いるところは、移送機のゼロの中です。」

「移送機ですか。ここは、あの世ではないのですね。」

「死んだら、あの世に逝くと思っていましたので。」

「なぜ、この世に留まったかは、私にも分かりません。」

「ただ、殺される時、この人たちに復讐することと家族にさよならを言いたかったという強い思いがありました。」

「でも、魂となった今は復讐心よりも、家族にさよならを言いたいだけです。」 

「そうですか。それなら、後で家族の下へお連れしますので、思いを遂げることができたら成仏してくれますか。」

「約束してください。」

「はい、約束します。」

「それじゃ、ここで待っててください。」

「この連中をこのままにして置くと、また、犠牲者が増えます。」

「こんなことは、止めさせないといけません。」

「ジン、そうは言っても、どうやって。」

「前にトランが考えた芝居を、ここでもやれば良いんだ。」

「但し、今度は天照大御神じゃなくて悪魔だ。」

「だから主役の悪魔は、当然トランだ。」

「なんで私が。」

「白人は、トランしかいない。」

「黄色人種の私では変だし、悪魔は男だからミカやミコじゃ、これまた変だ。」「したがって、トランしかいないでしょう。」

「分かりました。だけど私に主役が務まるかどうか。」

「まあ、悪魔に関する文献を参考にすればOKだと思うよ。」

「だけど、アンテナみたいな角と尻尾を付けた格好は厭ですからね。」

「そうだな。」

「現代版悪魔ということで黒のスーツとズボン、ネクタイで決めれば様になると思うよ。」

「どうせ彼らは、本当に悪魔がいると思っていないし、この洞窟の中はマリファナの煙でいっぱいだ。」

「みんなラリっているから、悪魔の格好なんて気にもかけないよ。」

「トラン、生贄の女性が運ばれてきましたわ。なんで無抵抗なんでしょう。」

「それは、私の時もそうでしたが、薬物の所為です。」

「意識が朦朧としていて体が思うように動かないのです。」

「抵抗できない状態でした。」

「絶対に許せない。女性ばかりを生贄にするなんて私の出番が来たらメッタメタのギッタギタよ。」

「そう興奮しなさんな。」

「この場合は、ミコの出番はないよ。それに悪魔の生贄は女性と決まっている。」

「なんで。」

「悪魔は男だから、ホモの悪魔がいれば別だけど、まあ、いないなあ。」

「ジン、もうそろそろ儀式も佳境に入ってきましたわ。」

「このままでは、彼女が強姦されてしまいますわ。」

「トラン、出番だ。」

「あの魔法陣の真ん中から華々しく登場といこう。」

「分かりました。」

「後、必要なものがあったらテレパシーで言ってくれ。」

「ゼロのホログラム装置でどんどん出すから。」

「分かりました。それじゃ、出たとこ勝負で行ってきます。」

「行ってらっしゃい。助っ人がいる時は、直ぐに呼んでね。」

「だめだ。ミコとミカは、ゼロからでないと約束してくれ。」

「分かりました。約束しますわ。」

「ミコは。」

「分かりましたよ。ゼロから出ませんよ。」

「そう腐らないで、どうせ、ミコの出番はないと思います。」

「それに、この場合は私一人で十分です。じゃ。」


「ちょっと待った。」

「その生贄は私のためのものでしょう。」と言いながら、トランは魔法陣の中央の地面から浮上するかのごとくゆっくりと姿を現出させた。洞窟内にいる三十人のカルト集団がにわかにどよめいた。


「あなたが殺したのでは、その娘の魂は天国に行ってしまい、私の物にはなりません。」

「私が直接その娘の魂を貰い受けましょう。」

「お前は誰だ。」と短剣を振り上げた男が言った。

「それに、実際に殺しはしない。単なるジェスチャーさ。」

「私は、あなたたちが百二十年も待ち望んでいた悪魔です。」

ようやく神の虜から逃げることができ、こうしてあなたたちの召喚に応ずることができました。」

「お前が悪魔。信じられない。悪魔なんているわけがない。」

「悪魔の存在を信じずに過去四世代にわたって、この儀式を行なってきたのですか。」

「爺様の時代ならともかく、この二十一世紀の時代じゃ、誰も信じちゃいないよ。神様だってだ。」

「ほう、それじゃ、この儀式は何のために行なっているのですか。」

「この儀式は、本音を言ってしまえば乱交パーティーさ。」

「集団強姦というわけですか。それじゃ、私が出る幕ではないと。」

「その前に、お前は本当に悪魔か。」

「はい、悪魔です。」

「やっとのことでこの世界に出られたからには、手ぶらで悪魔界に帰るわけにもいきません。」

「来るべき神との戦いに勝つためにも生贄も含めてあなたたちの魂を私のエネルギーとして貰います。」

「お前は何言ってんだ。この儀式を見たからには、生かしちゃおけない。」

「この場で死んでもらうよ。」

「そりゃ、無理だ。私は悪魔だ。人間には殺せない。神だって殺せない。」

「幽閉するのが関の山だった。」

「それだって、永遠には無理だ。こうしていつかは逃げることができる。」

「訳の分からん話は、もう良い。死んでもらうよ。」


一人の男がトランに駆け寄り銃を撃った。確かに銃弾はトランを撃ち抜いた。しかし、トランは何事もなかったように平然としていた。そして、男から銃を取り上げ粘土細工の如くに鋼鉄の拳銃を丸めて彼に返した。そのあり得ない光景で洞窟内はパニックに陥った。ある者は銃でトランを撃ち、ある者は一つしかない出口に逃げようと殺到した。トランが指をパチンと鳴らした。すると出口は、大きな岩で塞がれた。

しかして、カルト集団は更にパニクって混乱し誰彼構わずに四方八方に銃を撃ち始めた。悪いことに、その中には軽機関銃を持っている者もいた。こうなると収拾が付かない。それこそ、地獄の想を呈してきた。


「まずいな。こんな事になるとは思ってもみなかった。」

「トラン、生贄の娘を連れて戻った方が良い。」

「はい。それじゃ、戻ります。」と娘の側に移動しようとした瞬間、トランの動きが止まった。


「皆の者、落ち着きなさい。」


生贄の少女が横たわっている祭壇の奥から重厚な声が響き渡った。

奥の暗闇から黒いとんがり帽子を顔までかぶり、黒のケープに身を包んだ男が現れた。まるで有色人種を虐げているKKK(クー、クラックス、クラン)団のような出で立ちである。


「この男は、悪魔ではない。」

「これ、私の呪縛により身動きができなくなっているのが証拠だ。」

「トラン、どうした。」

「はい、どういうわけか動けません。サイコキネシスのようです。」

「えっ、あのスリーK団の様な格好した男が超能力を使っているということか。」

「この時代の地球人類に超能力が使えるはずがない。」


「皆の者。我が力を持ってこの男の頭を捩(ね)じ切って見せよう。」

「この力こそが悪魔から授かった偉大な力だ。」


「すごい力です。あらがえません。」

「トラン、大丈夫。」と言うなり、ミコがゼロから飛び出し、スリーK団の出で立ちをした男を蹴り飛ばした。途端、トランの呪縛が解けた。直ぐさま生贄の娘の側に行き、ミコ戻りますよと言って消えた。続いてミコもゼロに戻ろうとしたが、今度は、ミコが呪縛に囚われた。


「おおっ、これは、美しい。これこそが、真の悪魔を召喚するに相応しい娘だ。」

「どこから現れたかは知らないが、この娘を祭壇に。」


「すると、ミコの体が宙に浮き祭壇に横たえられた。」


「なんでこうなるのかな。ミカも含めて君たちの辞書には約束という言葉の意味が載ってないのかな。」


「あっ、危ない。」と叫んで、ミカもゼロを飛び出しミコに覆い被さった。


その瞬間、スリーKが短刀をミコ目がけて振り下ろした。如何(いかん)せん短刀は、ミカの体をすり抜けてミコの心臓に突き立てられた。


「えっ、」と私は唸った。


迂闊であった。ミカの不可侵の体の意味を忘れていた。私もゼロを飛び出した。


「ミカ、ミコを連れてゼロに戻ってくれ。」

「でも、ミコは、もう。」

「良いから戻ってくれ。」


私は、我を忘れて怒鳴った。


「貴様、よくも私の娘を。」


「ほう。あの女は、お前の娘か。」

「お前もどこから現れたかは知らんが、今すぐ娘の下に送ってしんぜよう。」


スリーKは、サイコキネシスを使って私の首をねじ切りにかかった。当然、その力はスリーKに作用しねじ切れる前にスリーKは絶命した。その光景を見たカルト集団の生き残りたちは、私に向かって銃を撃ってきた。結果、オカルト集団は全員死亡した。私はゼロに戻った。


「トラン、ミコは。」

「残念ですが、既に。」

「そんなバカな。そんなはずがない。ミコが死ぬなんて。私の所為だ。」

「私は、自分の力におごっていた。油断し過ぎた。なんてことだ。」

「ジンの所為ではありませんわ。」

「私の責任ですわ。私も自分の不可侵におごり、ミカを救えませんでした。」

「あの時、ミコの体を守るのではなく、彼を殴り倒していれば。」

「言わんでくれ。ミカの本質は善であり、慈愛であり当然非暴力だ。」

「ミカの取った行動は正しい。ミカを責めることはできない。」

「全ては、私の責任だ。それに、私は怒りで我を忘れ彼らへの復讐心から銃弾を避けようとはしなかった。」

「私の能力からすれば銃弾を避けるのは容易いことなのに。」

「敢えて避けずに彼らを死に追いやった。」

「ハモニーに会わす顔がない。」

「これじゃ、ハモニーの仕事に関わる資格がない。」

「ジン。」

「クウかい。」

「はい。クウです。ミコは死んでいません。」

「死んでいない。どういうことだ。」

「はい、心臓は停止していますが、脳は生きています。」

「刺されて直ぐゼロに戻りましたので、ミコの時間はゼロの中で停止しています。」

「即ち死んで数秒しか経っていません。止まった心臓を動かせばよいのです。」

「しかし、クウ。」

「心臓発作ならAED(除細動器)を使えば良いが、ミコは心臓を一突きだ。」「心臓事態にダメージがある。どうやって傷を治す。」

「ジンの血液型は。」

「A型。」

ミコは。

「ミコもA型だ。」

「それなら大丈夫。」

「ジンの血液をミコに輸血すれば良いのです。」

「それで治るのか。」

「はい、ジンの再生能力がミコにも受け継がれます。但し、効果は続きません。」「輸血したジンの血液は、いつかは消費されミコ自身の血液に戻ります。」

「それ以降は、ジンの再生能力の力も消えます。」

「分かった。トラン。さっそく輸血の準備をしてミコを生き返らせてくれ。」

「分かりました。でも、輸血の準備はいりません。」

「どういう事ですか。」

「ミカ、私たちがゼロにいるときは、精神エネルギー体ですから輸血のための道具はいらないということです。」

「それでは、どうやって輸血をするのでしょう。」

「はい、ジンとミコのエネルギーを融合して、ミコの血液を全てジンの血液に取り替えます。」

「そうなると、私はどうなる。ミコに血液を全てやったら。」

「まあ、死んでもミコのためなら悔いはない。」

「一度死んだ命だ。それでミコが助かるなら本望だ。」

「大丈夫です。ジンは不滅です。」

「クウの言うとおりだと思います。それでは、ジンとミコを融合します。」


ミコの血液は、全て私の血液と入れ替わった。それでも、私の血液は減ることなく体にも何の変調も起きなかった。


「あれ、スリーKたちは。」

「全滅しました。まるでカルト宗教の集団自殺です。」

「自業自得よ。ところで、私はどうしてここに。」

「確か体が動かなくなって祭壇に乗せられた所にミカが現れた。」

「それから、えっ、うそ、私死んだの。」

「でも、こうやって生きてる。どうして。」

「ミコは、死んではいません。一時的に仮死状態になっただけです。」

「じゃ、創始者の技術を使って生き返ったわけ。」

「いいえ、ジンの輸血で助かったのです。」

「えっ、お父さんの血、やだぁーっ、気もい。」

「気もいは、ないだろう。文字通り血を分けた親子だ。」

「それに、私の血以外では、ミコを蘇生できなかった。」

「これもハモニーから授かった力だ。大いに感謝して貰いたいね。」

「感謝はするけど、ハモニーにね。」

「話しは変わるけど、ミコ、ミカ。ゼロからでないと約束したのに。なぜだ。」

「トランが危なかったから。」

「ミコが危なかったからですわ。」

「分かったよ。」

「君らが子供だったら尻を叩くとこだが。」

「約束は破るためにあるんじゃないからね。」

「もう、何遍言っても駄目か。諦めの境地だ。」

「まあ、ジン。許してあげてください。」

「二人とも、仲間を助けようと思ってしたことですから。」

「トランは、そう言うけど、元々はトランも不死身なんだから助けに行く必要はなかったよね。」

「それはそうですが、ミコも私を人間として扱ってくれていることが分かって私はとても嬉しいです。」

「私は、それだけじゃないけどね、トラン。」

「私は、反省しきりだ。一時の怒りに負かせて人を死に追いやってしまった。」「私が殺したようなものだ。」

「ところで、クウ、彼らは、ハモニーの所に行ったかい。」

「はい、負のエネルギーとなって留まっている者はいません。」

「スリーKは、彼は超能力者だ。残っていないかい。」

「はい、彼もハモニーの下へ行きました。」

「それに、彼は超能力者ではありません。」

「えっ、だけど、あのサイコキネシスは。」

「はい、確かに私もミコも彼の呪縛から逃げられませんでした。」

「あの力は超能力ですが、彼の力ではありません。」

「どういうことだい。」

「彼は、操られていたようです。」

「誰に、どうやって。」

「誰と言っても、人ではないようです。」

「すると、本当に悪魔。」

「ジン、そんなわけないですわ。」

「人でないなら、何。」

「精神エネルギー体です。」

「だから、それが悪魔だろう。」

「悪魔ではありません。ミカが言うように悪魔は存在しません。」

「どうやら、複数の負のエネルギー体のようです。」

「それが、悪魔じゃないの。」

「悪魔は、精神エネルギー体に成り得ません。」

「醜い心を持った人間自身が悪魔です。」

「即ち、悪魔を崇拝する人たち自身が悪魔なのです。」

「そう、人の不幸を顧みずに他人を犠牲にしてでも、自分の欲望を追求する人たちこそが悪魔なのです。」

「ところで、ジン。この娘をどうしますか。」

「トラン、そうだな。」

「あの阿鼻叫喚の地獄絵図みたいな洞窟には返せない。」

「薬物で気が朦朧としている内に、彼女の家に送り届けることにしよう。」

「この娘の家は分かるかい。」

「ちょっと待ってください。」

「地球上にある全てのコンピューターを検索してみます。分かりました。」

「フェイスブックに彼女のプロフィールが登録されていました。」

「家はビバリーヒルズです。」

「財閥の娘か。」

「はい、父親は貿易会社の重役です。」

「そして、彼女はギャンブルを楽しむためにラスベガスに遊びに来ていたところを、カルト集団に生贄として拉致されたのでしょう。」

「但し、彼らの狙いは彼女を殺すことではなく集団強姦するためです。」

「でも、ミコは殺され掛けたよ。と言うより殺された。」

「それは、彼、あのスリーKが操られていたからです。」


私とトランで私たちがいた痕跡は一切残さずに片付け、トランが捻じ曲げた銃も再生させ持ち主に戻した。「立つ鳥、後を濁さず」である。


「待てよ。この娘を家に戻すのは変だ。」

「ラスベガスに遊びに来ているのなら、どこかのホテルに泊まっているはずだ。」「トラン、この娘の失踪届とか捜索願は出ているかい。」

「いいえ、出ていません。」

「すると、この件は事件にもなっていないということか。」

「それじゃ、帰すのは自宅じゃなくホテルだな。」

「トラン、どこのホテルに泊まっているか分かるかい。」

「はい、私たちと同じホテルです。但し、スウィートですが。」

「そりゃ、金持ちの娘だ。エコノミーのわけがない。」

「じゃ、この娘を部屋に戻して、私らも帰ろう。」

「ところで、ジン。この洞窟のことは。」

「このままにして置くしかない。」

「カルト宗教に入信した人たちの集団自殺ということで、いつか発見されるだろう。」

「この娘は、どうなりますか。」

「目が覚めたら、夢でも見たか。あるいは、薬物の所為で事件を覚えているかどうか。」

「少なくとも私たちのことは覚えてはいまい。」

「私たちがここに来たときは、既に放心状態だったからね。」

どっちにしても無事で良かった。」

「それと覚えていたとしても、曖昧であり得ないことばかりだ。」

「言えば気違い扱いされるから、他言はしないと思うよ。」

「言ったとしても、誰も信じない。」

「それと、トラン、うちのトラブルメーカーのもう一人の娘も送り返してやってくれ。」

「何がトラブルメーカーよ。遠藤美佐子さんのこと忘れてるでしょう。」

「おっ、そうだ。遠藤さんのことを忘れるところだった。」

「トラン、遠藤さんの実家まで、もうひと働き頼むよ。」

「はい、それでは、この娘をホテルのスウィートに送り届けて、次に遠藤さんの自宅。そして、ミコの順で行きましょう。」


私たちはトランの計画どおり生贄の娘をホテルに戻し、その後、遠藤美佐子の自宅に直行した。日本は、ちょうど朝の6時を過ぎた頃で、どの家庭でも朝食の支度で忙しい時間帯だった。

遠藤家も、例に漏れず母親は、朝食の支度、父親は仕事へ、弟は学校へ行くための身支度をしていた。


「遠藤さん。私の中に戻すわよ。」

「はい。」


遠藤美佐子を取り込んだミコは、ゼロから出て自宅の門の前に立っていた。

ミコは、チャイムを鳴らした。すると、弟が出てきた。


「おはようございます。私は、美佐子さんの友人です。朝早くから失礼します。」「お姉さんのことで、ご家族の皆さんにお知らせしたいことがあるのですが。」

「あっ、ちょっと待ってて。母を呼んできますから。」

「お母さん、お母さん。お姉ちゃんのことで話したいという人が来てるよ。」と言いながら、家に戻って行った。しばらくて母親が出てきた。


「おはようございます。お母様でいらっしゃいますか。」

「はい、美佐子の母です。あなたは。」

「私は、美佐子さんの友人です。」

「初めまして、今日は、美佐子さんからの依頼で来ました。」

「できましたら家にお邪魔させていただけないでしょうか。」

「どういったご用件でしょうか。」

「ちょっとここでは話し辛いのですが。」

「はっ、はい。それでは、どうぞ、お入りください。」


「朝のお忙しいときにお邪魔しまして申し訳ありません。」

「皆さんに美佐子さんからお伝えしたいことがあるとのことです。」

「君は何を言っているのかね。美佐子はアメリカで行方不明になっている。」

「美佐子はここにいない。君の言い方は変だ。」

「それに、君と美佐子はどういう関係だ。」

「失礼しました。友人です。一心同体の仲です。」

「君は変だ。美佐子は、アメリカで行方不明になっていると言っただろう。」

「ここは日本だ。美佐子に会えるわけがない。」

「何を企んでいるか分からんが、だまされやしないぞ。」

「こっちは忙しいんだ。帰ってくれ。警察を呼ぶぞ。」

「あっ、済みません。いらぬ誤解をさせてしまって。」

「でも、本当に美佐子さんがご家族に会いたがっています。」

「私を信じてください。」

「何が目的だ。美佐子が失踪して三カ月が経つんだ。」

「私ら家族をだまして何が面白い。家から出て行ってくれ。」

「本当に警察を呼ぶぞ。」

「まあ、あなた。そんなに怒らないで。」

「この人のお話だけでも聞いてあげましょうよ。」

「でもな、母さん。話を聞いている時間がないし、信じられん。」

「分かりました。信じて貰えなくても構いません。」

「私の口から伝えるより本人に話して貰いましょう。」

「その方が時間も掛かりませんから。」

「お父さん、この家族をゼロに乗せてあげて、直接、美佐子さんに会わせたいの。」

「ミコ、気持ちは分かるが、彼らにどう説明する。クウは、どう思う。」

「美佐子さんに、ご家族に別れを告げさせて上げると言った以上は、ゼロに乗って貰うしかないでしょう。」

「約束ですから、それに、ミコの口から伝えても御家族は信じない。」

「分かった。どんなことになるか分からんが、約束どおり美佐子さんと御家族を合わせてあげよう。」

「ありがとう。お父さん。それとゼロの中は賽の河原にして置いて。」

「分かった。」


以上は、言うまでもないが、テレパシーでのやり取りである。この能力は、精神感応能力者同士でしか使えない。相手が感応能力を持っていないと通じない。普通はテレパシーといえば、誰の頭の中でも覗ける能力だと思っていたが、そうではなかった。故に、小説に書いてあるようなテレパス能力者の悩みや悲劇は起こらない。


「皆さん、目を閉じてください。美佐子さんがいる所にご案内します。」

「馬鹿なことを言うな。俺たちが目を閉じている隙に何をしようというのだ。」

「あなた、目をつぶったくらいで、この娘さんに何ができるというの。」

「むしろ嘘でもいいから美佐子に会いたいですわ。」

「分かった。一瞬だけだぞ。」

「はい、一瞬で構いません。それじゃ、目をつぶって開けてください」。


彼らは、瞬きするぐらいの速さで目を閉じ、そして開けた。すると眼前の光景は様変わりしていた。家の中から一瞬にしてお花畑の中にいた。爽やかな風と芳しい花の香りの中にいた。


「ここは、どこだ。」

「とても綺麗なところね。」

「わーっ、なんて素晴らしいところだ。ねっ、お父さん、お母さん。ここ天国。」

「天国なわけないだろう。俺たちは生きているんだから夢でも見てるのか。」

「お父さん、お母さん、淳。会いたかった。」

「えっ、美佐子、美佐子なの。」

「はい、美佐子です。お母さん。」

「お姉ちゃん。ここは、どこ。」

「ここは、どこだ。美佐子。」

「はい。それについては、この方たちが説明してくれます。」

「失礼します。突然、このような場所にお連れしまして。」

「故あって身分は明かせませんが決して怪しいものではありません。」

「はじめまして。」

「そんなことより、ここはどこで、美佐子との関係を聞かせて貰いたい。」

「はい。ここは、賽の河原です。」

「賽の河原って何、お父さん。」

「そんなことも知らんのか、淳。賽の河原とは、えっ、そんなことをお前に教えている時じゃない。どういうことだ。」

「文字どおり。ここは本物の賽の河原です。この先の河を渡ると天国です。」

「誠に言い難いのですが、美佐子さんんはアメリカで亡くなられました。」

「嘘だ。姉ちゃんは死んでなんかいない。」

「私も、そんな話は信じませんわ。」

「貴様、美佐子が死んだだと。そんなことが信じられるか。」

「お父さん、お母さん、淳。本当なの。私は、死んでしまったの。」

「この人たちが魂となって現世に彷徨っていた私を助けて、ここに連れて来てくれたの。」

「この人たちが助けてくれなければ、私は成仏できずに永遠に闇の中を彷徨い続けていたわ。」

「この人たちは、きっと神様よ。霊になった私には分かるの。」

「これは夢だ。」

「でも、夢でも良いわ。美佐子とこうして会えて話ができる。」

「私たちは、失礼します。後は、ご家族だけでお話を続けてください。」

「終わりましたら、呼んでください。それでは。」


私たち四人は、彼らの前から消えた。文字どおりスーっ、と消えた。


「彼らは、本当に神様か。」


家族同士の話については、その場にいなかった私たちには知り得ない。どんな話をしたのだろうか。


「ジンさんたち、話は終わりました。出て来てください。」

「はい、美佐子さん。もう良いですか。」

「はい。本当は、もっと話をしていたいのですが。それは許されません。」

「そのとおりです。ご家族には現世での生活があります。」

「ここに留まることはできません。」

「それに、美佐子さん自身も約束どおり成仏して頂かないと転生することができなくなります。」

「そんなことは御家族も美佐子さん自身も望むところではないでしょう。」

「ここは、いつまで経っても名残は尽きませんが、この悲しみを乗り越えていってください。」

「それでは、御家族を現世にお帰しします。また、目を閉じてください。」

「待ってください。美佐子も一緒に。」

「それはできません。死んで魂となった彼女を現世に帰すことはできません。」「それは、彼女自身も望みません。」

「この世に留まることは、彼女を闇の世界に閉じ込めることと同じです。」

「お母さんは、美佐子さんを永遠に苦しめたいのですか。」

「いいえ、そんなことは望みません。」

「それでは、皆さん。目を閉じてください。」


次に目を開けると、彼女の家族は、賽の河原から自宅の居間に戻っていた。


「おい、母さん。俺たちは夢でも見たのか。」

「いいえ、夢ではありません。確かに、美佐子に会い話もしました。」

「僕も姉ちゃんと話した。」

「しかし、だいぶ長い間話していたのに時計を見てみろ。」

「あの娘に促されて目を閉じた時刻と同じだ。」

「それに、娘は一瞬の内に消えてしまったのか。」

「何と不思議な出来事でしょう。」

「そうだな。三人とも同じ夢を見るわけがない。これは、現実だ。」

「だけど信じられない。こんな話は、誰にも言えんな。」

「でも、ラスベガスでカルト集団に殺されたことを警察に言わないと。」

「お父さん。姉ちゃんが可哀そうだ。」

「うむ。しかし、ストレートにこの話はできない。何か良い方法を考えるか。」「お母さんと淳は、絶対、人に話しちゃだめだ。気が狂ったと思われるから。」

「分かりましたわ。」

「分かった。お父さん。」

「なるべく、早く良い方法を考えるよ。」


「それでは、美佐子さん。約束どおりハモニーの所に行ってください。」

「ここと全く同じ風景の場所です。」

「はい、本当に有り難うございました。それでは、さようなら。」

「さようなら。」


彼女は、すーっ、と消えた。


「これで彼女も本望だろう。私らも帰ろう。」


ミコを家に帰し、私たちはラスベガスのホテルに戻った。

私たちは、次の朝、何もなかったようにツアーに戻り、帰国の途に着いた。


火星へ


私たちが帰国した次の朝、テレビニュースを見ていたミカが。


「ねえ、ジン。テレビ見て。」

「なんだい。ミカ。」

「カルト宗教の集団自殺のニュースをしてるわ。」

「おっ、トランも見てみなさい。」

「そのニュースなら、既に現地版で確認済みです。」

「私たちのことは、何一つ掲載されていません。」

「地元警察及びFBI、国防総省のコンピューターにもアクセスして確認済みです。」

「それと現地では、カルト集団の全貌を解明中で当時参加していなかった悪魔崇拝者たちも全員逮捕されたとのことです。」

「その中で、例の生贄殺人のことも判明しています。」

「そうすると、美佐子さんたちの件も白日のものとなるね。」

「はい、既に警視庁も動いています。」

「しかし、これらの事件が、こんなに早くニュースになるとはね。」

「私も早すぎると思い調べました。」

「この事件は、だいぶ前からFBIに内定されていたようです。」

「この地方で外国人の行方不明者が多いことから、FBIが調査をしていたようです。」

「そうか。ところで、トラン。」

「あの時、助けた生贄の娘や美佐子さんの家族のことは、ニュースになっていないのかい。」

「はい、全くなっていません。」

「極秘裏に調査されているかもと思い、日米両国の関係機関を全て調べました。」「当然、個人のパソコンも全部です。何の書き込みもありませんでした。」

「引き続き情報がないか監視を続けます。」

「もう一つの事件も含めてよろしく頼むよ。」

「ちょっとでも我々のことが出てきたら直ぐに対処しないと面倒なことになるからね。」

「はい、地元ヤクザの件も調査済みです。」

「お父さん、おはよう。」


最近は、ミコにお父さんと呼ばれても、違和感を感じなくなってきた。そして、ミコも何の躊躇いもなく私をお父さんと呼ぶようになっていた。一方でクウの存在が薄くなっている。しかし、ミコはクウを私に帰そうとはしない。クウが取り憑くことことができるのは、自分を見失い夢も希望も持たず、自信もなく怠惰で自己中心的で義務と責任を果たさずに、自由と権利ばかりを追求し、目標もなく時間を無為に浪費するような自堕落で自暴自棄になっている主体性のない人間だけである。当然、その逆の生き方をしている人間には取り憑くことはできない。取り憑いた人間が夢や希望、生きがいや目標を見出し、自分の人生を大切にしようと思いだした時点で、クウはその人間から強制的に弾き出されてしまう。

故に、ミコが以前の自堕落で自暴自棄な人生から脱却した時点で、クウは追い出されているはずだが、ミコの何らかの力がクウの力より勝って取り憑いたはずのクウが逆に取り込まれてしまっている。


「あの、ジン。何遍も言いますが、私は悪霊じゃありません。」

「取り憑いたという表現は、正しくありません。」

「あっ、済まない。つい。」

「ついじゃ、済まされませんよ。言葉は適切に。」

「分かったよ。取り憑くじゃなくて移動という言葉を使うから許してくれ。」

「それと、勝手に人の思考を読まないでくれ。」

「クウ、どっちでも良いじゃないの。言葉のあやなんだから。」

「ミコも忙しいね。クウになったりクウと話したり、一人何役だい。」

「良く頭の中が混がらがんないね。」

「それは大丈夫。クウも私も自我はしっかりしているもん。共存OKよ。」

「OKじゃなくて、もうそろそろ、クウを私に帰してくれないかい。」

「それは、やだ。」

「クウ、前も言ったけどクウ自身の力で私の所に移動できないのか。」

「はい、ミコの霊的エネルギーが益々強くなりミコから移動できません。」

「そんなことより、火星に人面岩があるの知ってた。火星人がいるって。」

「それは、古いよ。」

「とっくの昔に、あれは解像度の悪いカメラで撮ったため、光の陰影が単なる丘を人の顔のように見せただけだって。火星人はいないよ。」

「うっそ、私が聞いたのは古いニュース。」

「はい。一九七五年のバイキング1号が撮った写真には、確かに人の顔のように見える長さ三キロ、幅一.五キロの巨岩がありました。」

「でも、一九九六年のマーズグローバルサーベイヤーの高解像度カメラで同じものを撮った写真では、単なる巨岩であることが判明しました。」

「トラン、それ本当。」

「NASAが発表したことで、本当かどうかは行ってみないと分かりません。」「火星人がいると信じている人たちは何らかの理由でNASAが、火星人の遺跡である人面岩の存在を隠蔽しようとしていると言っています。」

「どちらが正しいかは、分かりません。」

「じゃあ、行って確かめてみましょう。」

「おいおい、ミカ。簡単に言うけど、火星までの距離は最接近しても約五百万キロもある。」

ロケットで約六ヶ月か七ヶ月くらい掛かる。」

「ジン、ゼロで行けば直ぐですわ。」

「それに、ロケットなんて私たちには買えませんし、造れもしませんわ。」

「いいえ、ミカ、造れます。簡単です。」

「トランは、創始者の科学力での話をしているのだろう。」

「ロケット、そりゃ、トランにとっては簡単だろうけど現実的には無理だ。」

「一個人がロケットを造って火星に行くこと自体あり得ない。」

「お父さん、何マジなこと言ってるの。」

「ミカの言うとおり、ゼロで行けば良いのよ。簡単でしょう。」

「時間もかからないし、今のロケットより安全確実だわ。」

「ジン、どうでしょう。私も宇宙に出て創始者の痕跡を探したいのですが。」

「そりゃ、私だって宇宙に行きたいよ。」

「最初にトランと創始者の母星へ行った時、機会があったら宇宙を探検したいと思った。」

「だけど、ハモニーの仕事が先だと思って我慢しているんだ。」

「そんなこと言ってたら、いつまで経っても行けないわよ。」

「お父さん。たまの休みということで、人面岩が本物かどうか確かめに行きましょうよ。」

「ハモニーも許してくれると思うわ。」

「それなら良いけどね。私もできることなら、常々ゼロを使って宇宙へ行ってみたいと思っていたんだ。」

「ジン。ハモニーは言っていました。」

「この仕事はジンが好きなように行動すれば良いと。」

「そうだ。」

「ハモニーからこの仕事を請け負った時、そんなことを言われたのを思い出した。」

「思うように生活していれば良いと言われたね。」

「それなら、行きましょう。火星へ。」

「良し、それじゃ、トラン、みんなで行こう。」


一同は、それぞれの思いを胸にゼロに乗った。私は、子供のころからの夢だった宇宙探検。トランは創始者の痕跡の手がかり探し。ミコは人面岩の真実究明。ミカは、子供のよう無邪気な好奇心。

当然、ゼロに乗った途端に火星が目の前に現れた。


「あれ、ミカは。お父さん、ミカが消えちゃった。」

「あれ、どうしてミカは消えてしまったんだ。」

「ミカは、地球人類の信仰心から得た精神エネルギーの集合体が実体化した存在ですから、地球から離れた火星までは精神エネルギーが届かないのでは。」

「それで、実体化が解けてしまったのではないでしょうか。」

「そんな。」

「ミカが来れないなんて、すごく楽しみにしていたのに可哀そうじゃない。」

「お父さん。何とかミカをここまで呼んできてよ。」

「そんなこと言われてもトランが言ったように、人の信仰エネルギーはここまでは届かないよ。」

「私の力を持ってしても無理だ。」

「ジン、そんなことはありません。」

「ジンの力は、無限大です。」

「ジン自身が自分の力を信じてできると念じれば何でもできます。」

「そんなこと言ったって、お金も出せなきゃ、家も作れない。」

「それは、私利私欲から出たことでしょう。当然、叶いません。」

「これは、自分の欲望を満たすために力を使うわけではありません。」

「きっと地球から離れた場所でもミカを実体化できます。」

「信じてミカを呼んでみてください。」

「分かった。ミカを呼んでみるよ。」

「ミカ。」


すると、ミカが現れた。


「あれ、皆さん。どうかしましたか。皆で私を見つめて。」

「お父さん、凄い。できたじゃないの。」

「ジン、何ができたのですか。」

「実は、火星に着いた時にミカが消えてしまっていた。」

「人間の信仰心のエネルギーが火星まで届かないのが原因じゃないか。と言うことで。」

「お父さんの力で宇宙でも実体化できるようにと、ミカを呼んで貰ったんだ。」「そうしたら、ミカが現れた。」

「そうでしたか。良かった。」

「私も絶対火星探検がしたかったですから。それで火星の人面岩は。」

「トラン、この高度からから見ると、本当、人の顔に見えるよ。」

「もっと近くで見てみましょう。」

「あれ、岩というより丘ですわ。」

「なんだ。つまらない。がっかりだわ。」

「絶対、火星人の遺跡だと信じていたのに。」

「ミコ、現実は、そんなものだよ。幽霊の正体見たり枯れ尾花だな。」

「何よそれ。」

「ミコ、それは、幽霊だと思っていたものを良く見ると、それはただの枯れたススキの穂であったという例えから転じて、正体が分かってしまえば大したことではなかったという意味の諺です。」

「そう言うこと、解説ありがとう。NASAの言うことの方が正しかった。」

「それじゃ、期待が外れたということで帰ろうか。」

「待ってください。ジン。」

「火星をスキャンした結果。地下都市の存在を確認しました。」

「地下都市。」

「はい。」

「それじゃ、火星人もいるということね。」

「いいえ、生命反応はありません。廃墟です。」

「地下三十キロに東京ドームほどの空間があります。」

「よし、行ってみよう。」

「真っ暗で何も見えませんわ。」

「今、この都市の中央コンピューターとアクセスしています。だめです。」

「この都市のエネルギーは完全に消滅し、コンピューターも破損しています。」

「何とかならないの。」

「はい、ゼロを照明代わりにします。」


ゼロ本体が光り輝き、都市の全貌が眼前に広がった。まるで戦争で爆撃されたような廃墟になっている。


「これは酷い有様だ、どのくらいの歳月が経っているのだろう。」

「都市としての機能は、完全に消滅しています。」

「大気は、二酸化炭素が主で酸素はありません。」

「それじゃ、外には出られないね。」

「はい、外に出るには、宇宙服の着用が必要です。出ますか。」

「宇宙服があるの。トラン。」

「はい、あります。」

「私、外に出て探検したいわ。」

「しかし、ミコ。見てとおりの廃墟だ。何もないし危険だよ。」

「それより、トラン。中央コンピューターにアクセスして火星人の記録をダウンロードできないかい。」

「はい、先ほどアクセスしたときからロードしていますが、劣化が激しく現在修復中です。」

「ちょっと時間が必要です。その間に、他の都市も見てみましょう。」

「他にもあるの。」

「はい、大きさは違いますが、このような都市が二十ほどあります。」

「各都市間は、チューブで繋がっています。都市ごとに機能が分かれています。」

「この都市は、居住区のようです。」

「居住区を中心に、この他、工場、農産物、レジャー施設など、ジャンルごとに別々のドームが独立してチューブで繋がっています。」

「よし、他のドームも見に行こう。」


しかし、どのドームも廃墟になっていて何も見つけることはできなかった。


「ジン、修復が済みました。」

「完全ではありませんが、何とか火星の歴史が読み取れます。」

「よし、トラン。火星人の情報を出してくれ。」


ゼロは、透明モードから室内モードに切り替わり中央に立体映像が現れた。


「これは太陽系です。」

「水、金、これが地球だね。しかし、青くない。」

「火星が赤くなくて青いし、その側に、もう一つ青い惑星がある。」

「そして、アステロイドベルトがない。現在の太陽系とは明らかに違うね。」

「記憶媒体の劣化が激しく正確には言えませんが、おそらく太陽系が誕生してから四十億年くらいは経っているでしょうか。特定できません。」

「それでも、今から六億年も前の話だ。」

「その頃は、地球は太陽に近すぎて水がない状態だったんだね。」

「あれ、おかしいぞ。地球にはもっと前から水が存在していたと習ったんだがな。確か、三十九億年前くらいだ。」

「はい。地球年表には、そう書かれています。」

「やっぱり。」

「でも、それより問題は、火星とこの惑星だ。」

「火星とこの惑星には、水があり太陽との距離も現在の地球とほぼ同じです。」「この二つの惑星は連星で、ハビタブルゾーンに位置しています。」

「ハビタブルゾーンって何。」

「はい。ハビタブルゾーンとは、宇宙の中で生命の誕生が可能となる環境が生まれる領域のことです。」

「つまり、生命にとって必須とされる液体の水が惑星の表面に存在できるような温度条件を満たす領域ということです。」

「この時代は地球には生命がなく、この連星には生命体がいたんだ。」

「そのとおりです。今の地球人と同じ形態の人類がいました。」

「体の大きさは地球人より小さかったようです。」

「火星自体が地球より小さい分、火星人類も小さくなったんだろう。」

「そのようです。」

「文明は今の地球より発達しており、星間を往来できる宇宙船を持っていました。」

「でも、トラン。この星、今はないわ。どうしたのかしら。」

「はい、ミカ。」

「その訳は、星間戦争です。」

「原因は、人口の爆発に伴う食料不足、エネルギーや資源の枯渇です。」

「互いに自星の繁栄を維持するために、他星を植民地化しようとしたのです。」「戦争は、激烈を極め両星共に疲弊、衰退していきました。」

「人口は激減し、もはや繁栄はありません。」

「残ったものは、憎悪と復讐心や不信感だけでした。」

「どちらも、より強力な兵器を作り相手を滅ぼすことに戦争の意義を見出し、和平への道は閉ざされました。」

「この戦争は、百年続きました。」

「両星共に惑星をも破壊できる兵器を開発し、火星人類が先に使用した結果、この星は蒸発して残った星の残骸がアステロイドベルトを形成したのです。」

「この悲劇は、火星の勝利を意味しませんでした。」

「一つの惑星の消滅が、太陽系内惑星の位置を変えたのです。」

「全ての惑星は、太陽から離れた軌道を公転するようになりました。」

「その結果、ハビタブルゾーンに地球が入り、火星は太陽から遠ざかり、地表では住めない環境になりました。」

「わずかに残った火星人類は、地下に潜ったのです。」

「しかし、この地下生活は続きません。火星人類の滅亡は避けられません。」

「そこで、彼らは、船団をもって地球への移住を敢行したのです。」

「その時には、人口は数千万になっていたとのことです。」

「正確な数字は復元できませんでした。」

「地球に移住した時期は、いつ頃だか分かりますか。」

「分かりません。修復不能です。」

「悲しいことですわ。滅亡する前に和平への道はなかったのでしょうか。」

「何度かあったのですが、相互に疑心暗鬼になって兵器の削減や平和条約は締結されませんでした。」

「悲劇だ。地球でも戦争が絶えない。」

「民族や宗教、主義・思想の違い、そして領土問題、戦争の種はいくらでもある。」

「一部の人間は、これだけの国際社会になり経済も国家間で複雑化し、相互に利益を分かち合っている時代に、その利益を無にするような戦争は起こらないと言っている。」

「確かに一理ある。だが、この星間戦争のように、食糧不足や資源の争奪戦となると話しは別だ。」

「自国が生き残るために、他国を滅ぼす。」

「地球の人口が今の科学力で養っていけるうちは良い。」

「天変地異、それとエネルギーや資源が枯渇してきたらどうなる。」

「それでも戦争はしないと言い切れるか。逆だ。」

「戦争は絶対に起こる。現に戦争をしている国が今もある。」

「将来、地球も、この星の人たちみたいに滅亡しちゃうのかな。」

「ミコ、そうならないように願うしかない。」

「ところで、トラン。星を破壊した兵器は、残っているかい。」

「いいえ、残っていません。」

「設計図は。」

「ありません。」

「そりゃ、良かった。」

「いつかは、人類も火星に人を送れる時代が来る。」

「その時にこの遺跡から惑星破壊兵器が出てきたら、また、悲劇が繰り返される。」

「あっ、お父さん。何か光った。何かいるよ。ちょっと見てくる。」

「待った。」と言う暇もないうちに、ミコは宇宙服を着て外へ出て行った。


「ジン、ミコが危険です。あれは、ガーディアンです。戦闘ロボットです。」

「えっ、戦闘ロボット。ミコ。」


私は、宇宙服を着ずに慌ててミコのいる場所に出てしまった。


「お父さん、宇宙服は。」

「おっ、息ができない。苦しい。」

「ジン、大丈夫です。普通に息をしてみてください。」

「クウ、そんなこと言ったって二酸化炭素ばかりで酸素がない。窒息死する。」「それに、血が沸騰しちゃうよ。」

「大丈夫です。ジンの体は、私の体から蘇生されていますから宇宙だろうが水中だろうが、全く問題なく行動できます。」


私は、ゼロに戻る前に息が絶え二酸化炭素の大気をいっきに吸うはめになった。


「あれ、何ともない。クウの言ったとおりだ。」

「そうでしょう。」

「そうだ。さっきミコが見た物は、戦闘ロボットだ。」

「えっ。」


次の瞬間、レーザービームの連射が二人に目掛けて飛んできた。私は、咄嗟にミコの正面に立ち塞がった。数発が私に、一発がミコの足に当たった。私に当たったビームは、ロボット自身を破壊した。


「ミコ、大丈夫か。」

「足に当たったけど、痛くもない。」

「何、のんきなこと言ってるんだ。宇宙服に穴が空いて空気が漏れている。」

「直ぐゼロに戻って手当てしないと。」


二人は、ゼロに戻った。ミコが宇宙服を脱ぐというより、宇宙服が消えた。


「それで、ミコは一瞬で宇宙服を着て外に出られたわけだ。」

「そんなことより、傷は。」

「あれ、確かに撃たれたのに傷が治ってる。どうしてだろう。」

「そうか、これがお父さんから貰った血の威力ね。私は不死身だ。」

「違いますわ。ジンの血がミコの体内に残っている間は再生能力で直りますが、永久ではありませんわ。」

「いつかは、ミコの血と入れ替わりますわ。その時は。」

「いつまで、再生能力があるのかな。」

「それは、能力の使い方によって決まります。使いすぎれば早くなくなります。」

「それじゃ、大切に使わなくっちゃ。クウ、なくなったときは教えてね。」

「なくなる前に教えます。それと、体全体が破壊された場合は再生できません。」「ですから、くれぐれも無茶をしないように。」

「トラン。なぜ、ガーディアンは起動したのだろう。」

「はい、ゼロの光をエネルギーに変えたようです。」

「なるほど、光エネルギーで動くのか。他にもいるかい。」 

「いません。この一体だけです。不思議です。これ以外は、全て壊れています。」

「六億年の歳月が経っているんだ。動くはずがない。どうして、この一体だけ。」

「その理由は分かりません。いくら保存状態が良くても六億年は無理です。」

「回収して調べてみます。その前に検疫します。」

「既に、ジンとミコは終わっています。害を及ぼす生物は付着していません。」「それでは、地球に帰ります。」


   北海道営業


「せっかく火星に行って大発見をしても、誰にも言えないなんて。」

「仕方ないよ。ミコ。」

「そうですわ。言ってみたところで、気が狂ったとしか思われませんわ。」

「ミカの言うとおりだよ。即、精神病院に入れられてしまう。何の証拠もない。」

「証拠ならあるわよ。あのロボット。トランが回収したガーディアン。」

「無理だよ。あの戦闘用ロボットを人前に晒すのは。」

「そうです。」

「今の人類に火星人のテクノロジーを教えることは、非常に危険です。」

「どうして、危険なの。」

「考えてもみてください。」

「個人も国も、自己中心的で自分の利益、国家の利益を最優先しているこの時代に、高度な科学力、よりによって戦闘マシーンを出してみなさい。」

「答えは決まっています。」

「まあ、戦争になるね。」

「どうして。人はそんなに馬鹿じゃないわ。」

「ミコは、そう言いますが、今も昔も、人類は戦争をしています。」

「兵器も無人化が進みゲーム感覚で人を殺しています。」

「そこに、高度な文明のテクノロジーが、しかも兵器が手に入れば、その技術を使った新たな戦争が始まります。」

「そうかなあ。」

「そうだよ。トランの言うとおりだよ。」

「火星ともう一つの星の歴史を見ただろう。」

「同じ運命を辿るに違いない。」

「だから惑星破壊兵器や設計図がないかを確かめたんだ。」

「もし、残っていたら大変なことになるからね。」

「大変なことって。」

「だから、今の人類が火星のテクノロジーを手に入れたら、地球すら破壊しかねない。大変なことだろう。」 

「残念。話したくってウズウズする。」

「絶対にだめですわ。人にしゃべっちゃ。私たちの存在も危なくなりますわ。」

「そう言うことだ。私たちは、表舞台には出られない。」

「人知れずハモニーに託された仕事をするしかないのだ。」

「ところで、ジン。」

「ミコの漫画の売れ行きも、そこそこ軌道に乗ってきました。」

「そうか。」

「それと、ギャンブルの成果もあります。」

「これだけの蓄えと漫画の印税があれば、もう生活の心配はないな。」

「はい、これでハモニーの仕事に専念できます。」

「とは言っても、いつもどおりの生活だ。」

「ミコは漫画を描き、我々は、増刷と新たな販路拡張の営業だ。」

「書店からの注文も定期的に入るようになりましたので、書店への搬送は運送会社に依頼しないと追い着きません。」

「そうだな。近くに瀬川急便の集配所があったな。そこと契約しよう。」

「はい、私がやります。」

「頼むよ。トラン。」

「次の販路拡大は、札幌にしよう。五年ほど暮らしたことがある。」

「景色は雄大で食べ物も美味しい。特に海の幸が格別だ。」

「私が小学生のころの話でしょう。」

「おう、ミコも覚えているかい。」

「私も是非行ってみたいですわ。」

「もちろんだよ。今度は、みんなで行こう。」

「私、お母さんに言ってくる。じゃ。」

「あっ、ミコ。せっかちだな。」

「いつ行くとかの計画もしなきゃいけないのに。」

「今度は、お母さんもミコだけの旅行を許してくれると思いますわ。」

「そうですね。」

「ひきこもりから立ち直り自立心も生まれ、積極的に社会に出られるようになりました。」

「何より自分の漫画が売れるようになって自信も付いてきたみたいです。」

「その点は、妻も認めて今度の旅行じゃなくて販路拡張の営業に行くことを許すと思う。」

「言っとくけど、旅行じゃなくて営業、つまり、出張だよ。」

「はい、そうでしたわ。旅行ではなく出張ということですね。」

「何か含みがあるね。」

「だって、ジンが景色や食べ物の話をしますから、最高に楽しい旅になると思ってしまいましたわ。」

「実は、私も楽しみなんだ。」

「北海道は今が旬だ。長い冬が終わって、春夏の花が一遍に咲き競う時期だ。」「できたら北海道に住みたいくらいさ。」

「今は、ラベンダーが満開ですわ。」


「お母さん、良いって。」

「母さんとばっちゃんは。」

「お母さんはパートが忙しくて行けないって。」

「それでね、お母さんが行かないなら、おばあちゃんも行かないって。」

「そうか。」

「それでは、四人ですね。早速、ゼロで行きましょう。」

「トラン。」

「言ってみただけです。」

「どうせジンは、いつもどおりに無駄な長い時間を掛けて行くのでしょう。」

「そのとおり。今度の出張は、少なくとも一週間は必要だね。」

「陸路で行くには大変だ。フェリーを使おう。」

「トラン、来週月曜以降でフェリーが予約できるかい。」

「はい、太平洋フェリーは来月まで予約がいっぱいです。」

「新日本海フェリーは、月曜日の深夜便に辛うじてスウィートが一室空いています。」

「そうか、北海道は今が旬だ。高いけど仕方ない。それを予約しておいてくれ。」

「はい、予約完了しました。但し、二人用なので四人は無理です。」

「それじゃ、ミカとミコがスウィート。トランと私は、雑魚寝の・・」

「既に、そのように予約しました。」

「流石、やることが早いね。助かるよ。」

「それと問題が一つあります。時期が時期だけにホテルが空いていません。」

「参ったな。泊まるところがないか。男二人なら野宿でも構わないが。」

「私たち野宿でも構いませんわ。ねえ、ミコ。」

「うん、問題なし。」

「そうはいきません。野宿では、お母さんの許可が撤回されてしまいます。」

「トランの言うとおりだ。」

「野宿の案は却下して行き当たり張ったりで泊まるところを探そう。」

「最悪、テントって手もある。北海道は、アウトドアに最適だ。」

「それも楽しいと思いますわ。」

「良し、決まり。あさって出発するよ。」

「各人、準備よろしく。忘れ物ないようにね。」


私たちは、月曜午前零時三十分発の小樽行新日本海フェリーに乗るため日曜日の午後、舞鶴に向けて出発した。経路は、伊勢道、新名神、名神、中国道、舞鶴若狭自動車道を舞鶴東IC、目的地の舞鶴港である。


「舞鶴港を午前零時三十分発のフェリーだ。全線高速道で約四時間、余裕だね。」

「ゼロで行けば、時間の心配はいりませんよ。」

「分かってるって。」

「でも、途中経路上の景色も楽しみたいでしょう。」

「内地は蒸し暑いけど、北海道は最高の季節だ。」

「内地って。」

「ミコ、忘れたかい。北海道の人は、本州を内地って言ってただろう。」

「覚えてないわ。小学校の一、二年生の頃だもん。」

「そうか、ちなみに沖縄の人は、本土って言うよ。」


途中、高速道路のサービスエリアで二回ほど休憩し。舞鶴市内で夕食後、午後十時過ぎにフェリーターミナルに着いた。


「ちょっと早すぎたね。」

「この新日本海フェリー「はまなす」は、明日の午後八時四十五分に小樽到着です。」

「あれ、そんなもんで着くの。」

「昔は、確か、直江津経由で一日半くらい掛かっていたと思うんだけどね。」

「今は、小樽直行で二十時間十五分です。」


「良し、乗船手続きが終わった。」

「二人は先に船に乗って休んで良いよ。」

「車を船に乗せるのは、トランと私でやっとくから。」

「それに後で二人の荷物も届けるよ。」

「私、フェリーに車、乗せるとこ見たい。」

「私も見てみたいですわ。」

「分かった。それじゃ、みんなで待ちますか。乗船まで後一時間くらいかな。」

「フェリーって大きいですわ。いったい何台積めるのでしょうか。」

「そうだな。トラン、よろしく。」

「はい。トラック百五十八台、乗用車六十六台、旅客定員は七百四十六名、全長二百二十四.五メートル、総トン数一万六千八百十トン、速度三十五ノットです。」

「まあ、そんなところだ。」

「ジン、ずるいですわ。私はジンに聞いたのです。」

「そんなこと言ったって、知らないことは答えられないよ。」

「ノットをキロには換算できるよ。三十五ノットは、約六十三キロだね。」

「ところで、ジン。今回は、本を五十冊しか持ってきませんでしたが。」

「仕方ないよ。車一台に四人とクウ。それに各人の荷物。」

「今回は、いつも見たいに持っていく余裕がない。」

「それで、紀伊国屋書店一本狙いだ。札幌支店に全部売り込む。」

「後は、売れ行き次第で追加注文を待つだけだ。」


「ようやっと順番が来た。さてと誘導にしたがって船に乗せるよ。」

「うわ。本当、近づくと益々大きい。」

「蟻が巣に入って行くみたいに、車がどんどん船の中に入って行く。」

「ミコは昔、フェリーに乗っただろう。忘れたかい。」

「忘れる前に、覚えてないわ。」

「そうだよな。花より団子だもんな。」

「子供の頃は、興味なかったもん。」

「見てみなさい。ああやって何人もの人が携わって車を定位置に固定している。」「しかも、船の重心が偏らないように正確に車の位置を決めて誘導している。」

「適当に載せてるだけじゃないの。」

「いいえ、重心が船の中心になるように積載しています。」

「重心が偏ると船の安定が損なわれ、波の大きさや受け方次第では転覆してしまうこともあります。」

「非常に重要な仕事だ。彼らは、誇りを持って仕事をしている。」

「へえ、そうなんだ。」

「さてと、車から荷物を降ろして客室があるフロアまで上がるよ。」

「車を出すときは、バックするの。」

「いいや、このまま前進し、誘導に従ってUターンさせて降ろすよ。」

「この狭い甲板でバックするのは難しいし、時間が掛かる。」

「出入り口は船尾の一つだけだ。」


「スウィートは、良いね。ツインベッドにバス、トイレ付、ソファーもある。」「しかも、専用テラスがあって眺めも抜群だ。」

「それに比べて、私らはギュウギュウ詰めの雑魚寝だ。辛いね。」

「また明日。朝食は八時頃、お休み。」

「私たちだけが良い部屋で申し訳ありませんわ。」

「しょうがないよ。」

「部屋はスウィートしかなかったし、か弱い女性陣を雑魚寝させるわけにはいかない。」

「気にしないで良いよ。それじゃ。」

「お休みなさい。」

「ジン。どう見ても、あの二人は、か弱くなんかないですよ。」

「承知、単なる言葉のあやさ。」

「男女別じゃないんですか。女性が可哀想です。」

「女性専用もあるはずだけど。混んでるときは、しょうがないか。」

「安さを追求するからには、我慢も必要だ。」

「それに、私たちみたいに個室を予約できなかったのかも知れない。」

「どっちにしても、この時期、北海道は人気の旅行先だからね。」

「混むのは仕方ない。」

「しかし、若い女性一人だけでは酷だと思います。」

「えっ、ギャル。何処。」

「奥に、おそらく大学生でしょう。」

「ほら、茶髪のヤンキーが話しかけています。」

「本当だ。彼女、迷惑そうだね。トラン、助けてあげなさい。」

「はい、早速。」

「失礼します。ここ二人、入れて貰えませんか。」

「駄目だよ。あんちゃん。ここは俺たち三人でいっぱいだ。」

「でも、三人でこれだけの広さは、いらないでしょう。」

「混んでることだし、お邪魔しますよ。ジン、ここ空いてます。」

「図々しい奴らだな。」

「図々しいのは、君らだろ。」

「混んでいるんだから、お互い様に迷惑にならないよう協力しなきゃ。」

「もう十一時も過ぎたことだし、静かに寝ようじゃないか。」

「五月蝿いな。おっさん。いつ寝ようと俺たちの勝手さ。」

「いいえ、君たちの勝手ではありません。」

「ここは公共の場所で、今は寝る所です。」

「他の人たちも迷惑しています。特に、彼女が。」

「あんたら文句あるなら、ちょっと顔貸しな。」

「わしゃ、年寄りじゃけん。」

「若い者は若い者同士で。」

「トラン、彼らに付き合ってくれんかね。」

「急に年寄り言葉にならなくても、私が付き合いますよ。」

「おじさん。あの外人さん、大丈夫。」

「心配はいらないよ。彼、白人だけど日本育ちだから。」

「言葉の話しじゃなくて。」

「ああ、そっち、喧嘩の方ね。それも大丈夫。彼、強いから。」

「ところで、私はおじさんではありません。」と名刺を渡しながら。

「神定 人と言います。名刺にあるように、神定プロダクションの社員です。」「彼もです。」

「私は、神宮司 恵と言います。皇學館大学の一年生です。」

「夏休みで実家に帰る所です。彼、本当に大丈夫でしょうか。」

「大丈夫ですよ。しかし、若い女性が何で、この雑魚寝クラスに。飛行機は。」

「はい、バイクを持って帰るためにフェリーにしたのですが。」

「このクラス以外は、満杯で取れませんでした。」

「仕方なくこのツーリストAクラスに。」

「若くて可愛い女性が一人で雑魚寝とは、危ないですね。さっきみたいな連中。」

「大丈夫です。これだけ人がいれば、彼らも悪いことはしませんわ。」

「それなら良いんですが、これだけ人がいても結構当てになりませんよ。」

「みんな、関わりたくなくて見て見ぬ振りをしますから。」

「そんなことありませんわ。現に、あなたたちが。」

「私らは、超お節介なだけですよ。」

「お節介ついでに私の連れがスウィートに泊っています。」

「あなた一人ぐらいは、ソファーで寝られますよ。」

「フェリー会社には内緒ですけどね。どうですか。」

「いいえ、ご迷惑ですわ。」

「そんなことないですよ。連れも女性ですし心配いりません。ご案内します。」


「いらっしゃい。恵さんですね。」

「はい。どうして。」

「そんなことは、どうでも良いことですわ。さあ、お入りください。」

「それでは、お世話になります。」

「私は、雑魚寝クラスに帰るよ。あとは、よろしく。」

「了解、お父さん。任せといて、じゃあ。」

「神定さん、有り難うございます。お休みなさい。」

「それじゃ、良い夢を、お休み。」

「あの外人さん。」

「大丈夫ですわ。それと、彼は外人ではなく日本人です。」

「名前はトラン。日本生まれの日本育ちですわ。」

「彼、トランさん。大丈夫でしょうか。」

「心配いらないよ。トランに勝てる人はいないよ。」

「彼より強いのは、私のお父さんくらいかな。」

「神定さんがですか。信じられませんわ。」

「あのおじさんが、って言いたいんでしょう。」

「いえ、私は、ただ。」

「人は見かけによりませんわ。ジンは、最強ですわ。」

「そう、ミカの言うとおり。あっ、自己紹介忘れてる。」

「私は、神定 命。ミコって呼んで、彼女は神野ミカ、共に二十五歳。」

「ミカと呼んでください。あなたは、神宮司恵さん。皇學館大の一年生ですね。」

「はい、でも、何で知っているのですか。」

「ここに来る前にメールがあったから。」

「でも、神定さん。いつメールしたんだろう。」

「細かいことは良いから。もう寝ましょう。」

「そうですわ。もうすぐ、出港の零時半になりますわ。お休みなさい。」


「やあ、遅かったね。三十分くらい経ったよ。」

「あれ、彼女は。」

「ミカたちの部屋。ここじゃ、ゆっくり眠れないと思うし、危険だし。」

「しかし。」

「フェリー会社には、内緒。」

「それより、彼らは。」

「はい、話して分かる連中ではありませんでした。」

「私は、車両デッキまで連れられ暴行を受けました。」

「抵抗しなかったの。」

「はい。彼らが疲れるまで、やられている振りをしました。」

「彼らの体力は十分ほどで尽きました。」

「後は、彼らにも殴られる痛みを味わって頂きました。」

「今は、車の中で静かに寝ています。もちろん彼ら自身の車です。」

「寝てるんじゃなくて、気絶していると言うことだね。」

「明日まで目は覚めないでしょう。」

「分かった。私らも寝るとしよう。お休み、トラン。」

「お休みなさい。ジン。」


「トラン、今のビジョン見たかい。どうやら夢じゃなさそうだね。」

「はい、でも今日の午後二時の話しです。」

「未来の出来事か。クウも見ただろう。」

「はい。午後二時に、この船が沈没すると言うことですね。」

「私たちには、未来を予知する能力はありませんわ。」

「それじゃ、みんなが同じ夢を見たと言うことか。」

「それは、あり得ません。」

「四人が同時に同じビジョンの夢を見ることはあり得ません。」

「これは、誰かのビジョンです。」

「クウ、誰のビジョンか分かるかい。」

「はい、神宮司 恵さんのビジョンです。今、彼女は寝ています。」

「トラン、彼女はテレパシストかい。」

「いいえ、今の人類には、精神感応能力者はいません。」

「ただ、彼女の遺伝子は創始者と全く同じです。」

「彼女の精神が煩悩を超越すれば、おそらく創始者と同じレベルになると思います。」

「しかし、今の社会、時代背景では無理です。」

「精神の高みに上ることは不可能です。」

「ということは、我々の精神感応能力が彼女のビジョンに反応したということか。」

「そうだと思います。」

「彼女は、予知能力があってもテレパシー能力は持っていません。」

「しかも、自分自身の危険に係わる限定的な予知能力のようです。」

「限定的とは。」

「つまり、危険の内容が細部まで予知できないこと。」

「また、他人の危険は予知できないということです。」

「私たちが見たビジョンは、午後二時に船が沈没する光景だけです。」

「原因とかの細部まで見ることができませんでした。」

「即ち、彼女自身も漠然とした危険が迫っていることくらいしか分からないのです。」

「それじゃ、防ぎようがないな。」

「船長に言ったって信じてもらえないし。」

「大丈夫です。ゼロに監視させます。沈没の原因が特定できれば回避できます。」

「早めに特定できれば良いが、沈没直前まで分からなかったら対処不能だ。」

「その時は、この船自体をゼロに乗せてしまえば良いのです。」

「それは、最終手段だね。その前に原因を排除しよう。」

「何が原因で沈没するのでしょうか。」

「ミカ、あの沈没の速さからみると、何らかの原因で船底に大きな穴が開いたんだろうな。」

「例えば、機関室や燃料庫の火事、爆弾や魚雷、機雷による爆発とか。」

「船の火事は考えられませんわ。」

「この船の防災設備は完璧です。」

「万一火が出たとしても、自動的に消火され爆発までに至りませんわ。」

「それに、火事が原因では、こんな大きな船が、一瞬に沈没しませんわ。」

「ジン。ゼロでスキャンしましたが、この船に爆弾は仕掛けられていません。」

「それじゃ、残る原因は、魚雷か機雷。」

「機雷って何。」

「ミコ、機雷とは、戦争時に海上封鎖や敵艦を破壊するために、海中に敷設された爆弾のことだよ。接触すると爆発する。」

「しかし、現在、日本海に機雷は存在しない。」

「それに、この平和な時代に、潜水艦から魚雷で民間の船を攻撃してくることも考えられない。」

「本当に彼女の予知夢は当たるのか。」

「何もなく今日の午後が過ぎるのを待つしかありません。」

「警戒はゼロに任せます。」

「頼むよ。」

「それと、彼女への対応だけど何もなかったように普段どおりでいこう。」

「分かったわ。」

「それで、よろしいと思いますわ。」

「それじゃ、後、三時間くらいは寝れるから。みんな、また、寝るとしよう。」

「お休みなさい。」


当然、この会話は、全てテレパシーで行われた。精神感応能力者同士でしかできない。小説にあるように、テレパシーとは、誰彼構わず相手の考えを読むことができると言う品物ではない。彼女の予知夢を見ることができたのは、創始者の遺伝子を全て受け継いでいたこと。彼女の悲鳴に近い恐怖心が余りにも強い精神波エネルギーとして発せられたこと。そして、彼女の近くに私たちが偶然居合わせたことなどが原因だろう。


「おはよう、トラン。よく眠れた。私は、よく眠れなかったよ。」

「枕が変わると眠れないというやつさ。」

「おはようございます、ジン。私には、睡眠は必要ありません。」

「あっ、そうか。トランは、眠る必要がないから、寝てる振りをしているだけか。」

「そう言うジンだって、睡眠はいらないと思いますよ。」

「そんなことはないよ。睡眠は大事だ。所が変わると寝付きが悪くなる。」

「若干寝不足気味だよ。」

「だからといって、体がだるいとか調子が悪いとかはないけどね。」

「そうでしょう。ジンの活力の源は無限です。したがって、私も無限です。」

「しかし、私のエネルギーは何処から来るのだろう。ハモニーからかな。」

「それは、私にも分かりません。」

「ハモニーに会うことがあったら、聞いてみようと思っている。」

「是非、私も知りたいです。」

「それじゃ、ミカたちを誘って食事に行こうか。」


ドアをノックし中に入った。


「おはよう、みんな。食事に行こうか。」

「おはようございます。ジン、トラン。」

「おはよう。お父さん、トラン。よく眠れた。」

「雑魚寝じゃ、熟睡はできないよ。若干、睡眠不足。」

「こっちは、ぐっすり。恵さんを除いてね。」

「やっぱり、ソファーじゃ、眠れませんでしたか。」

「いいえ、ソファーの所為ではありません。」

「嫌な夢を見まして。」

「そう言えば、なんか寝苦しそうに何度も寝返りを打っていましたわ。」

「ねえ、どんな夢を見たの。」

「ミコ、失礼だよ。恵さん、無理に話す必要はないからね。」

「いいえ、聞いていただきたいと思います。」

「これから話すことは、とても信じて貰えないと思いますが、私一人ではどうにもなりません。」

「是非、信じていただいて協力をお願いしたいと思います。」

「協力はするけど、どんな話。」

「はい、実は、この船が、今日の午後二時に沈没する夢を見ました。」

「それは、夢の話しでしょう。現実じゃないよ。」

「いいえ、現実に起こります。」

「正夢って言うやつ。」

「本当なんです。絶対に起こります。」

「ですから、皆さんと一緒に船長さんに言って、最寄りの港に行くよう説得して貰いたいのです。」

「それは、無理ですわ。沈没する根拠が夢では。」

「信じて貰えないでしょうが、私は、危険を感じる能力を持っているのです。」

「本当ですか。」

「信じてください。」

「お父さん。もう知らばっくれるの止めようよ。」

「そうですわ。」

「ジン。彼女が正直に話してくれたのですから、その信頼に応えるべきですわ。」

「分かった。実は、私たちは恵さんの能力を知っているのです。」

「えっ、どういうことですか。」

「こんなことを言ったら、私はキチガイと思われるかも知れないと思いました。」「でも、人の命には代えられません。」

「ですから意を決して言いました。超お節介な皆さんを信じて。」

「その信頼に応えて協力しましょう。」

「但し、船長に言っても無理ですので、この一件は私たちに任せてくれませんか。」

「恵さんは、大船に乗ったつもりで普段どおりにしていてください。」

「絶対に他言はしないように。」

でも、どうやって沈没を防ぐのですか。

「今は、手はありません。もう少し予知能力のことを話してください。」

「はい、この能力を自覚したのは、小学校に入学した頃でした。」

「幼稚園の頃は、何となく危ないなと思って、その場を離れると棚から物が落ちてきたりと。漠然とした予知でしたが。」

「小学生になるとその光景が、頭の中に浮かぶようになりました。」

「それから、自覚するようになりました。」

「但し、自分に降りかかる危険だけです。人の危険は予知できません。」

「最初は、私の側にいれば危険から逃れられると言っていた人たちが、いつからか私を恐れ疫病神扱いして離れていきました。」

「それ以来、この能力を隠すことにしました。」

「そして、小学四年生になる頃には、その能力は消えてしまいました。」

「昨日まで全く忘れていたのですが、夜中に能力が戻ったようです。」

「でも、何の役にも立ちません。」

「昔、危険が迫っていると言っても、誰にも信じて貰えず助けることができませんでした。今日も同じことです。」

「分かりますわ。」

「私も分かる。誰も信じてくれないし、言ってそのとおりになったら事故を仕組んだ犯人にされてしまうかも。」

「そのとおりだ。それこそマスコミの餌食になって面白可笑しく騒ぎ立てられ、最後は災いの元凶にされてしまう。」

「人は、自分にない物を持っている人を嫉妬し排除しようとします。」

「それが超能力となると尚更です。」

「最初は羨望の的になりますが、最後は悪魔の申し子のように言われて葬り去られます。」

「トランの言うとおりだ。」

「歴史的にも西洋の魔女狩りやジャンヌ・ダルクのような悲劇を生んでいる。」

「ジン、彼女らは超能力者ではありません。」

「同じことだよ。」

「超能力者じゃなくても、当時の人たちは自分より秀でた者を嫉妬し、あまつさえ恐怖の対象として排斥したんだ。」

「自己の安泰を図るためだけにね。現代人も同じさ。」

「そうですわ。恵さんの判断は正しいですわ。」

「現に、疫病神と言われた過去もありますわ。」

「そう言っていただいて、とても嬉しいです。」

「いつも、罪悪感に苛まれています。」

「助けてあげたくても、助けてあげられない自分の無力さに。」

「もし、これから先、今日みたいな危険を予知したら昨日渡した名刺の電話に連絡してください。私たちが何とかします。」

「何とかしますと言われても。」

「私たちを信じなさい。今日起こるであろう危険を防いでみせますから。」

「でも、そんなことできるのですか。」

「もし、できなかったら大変なことになります。多くの人が死んでしまいます。」

「大丈夫ですわ。ジンとトランが、必ず船を沈没させませんわ。」

「私たちも恵さん同様、特殊な能力を持っていますから。」

「だから、私たちも恵さんの察知した危険を感じることができたんですよ。」

「どうしても心配ならミカたちと一緒にこの部屋にいれば良い。」

「後は、私とトランに任せてください。取り敢えず朝食を食べに行きましょう。」

「私、食欲がありません。心配で。」

「でも、食事は大事ですわ。少しでも食べておかないといけませんわ。」

「恵さん。ミカの言うとおりだよ。」

「朝食は、その日一日の大事なエネルギー源だ。」

「夕食は抜いても、朝食は絶対食べた方が良い。」

「分かりましたわ。」

「それじゃ、行きましょう。」


私たちは、朝食を済ませて部屋に戻った。


「それじゃ、恵さん。」

「心配でしょうが、私たちを信じてこの部屋で待っててください。」

「原因が分かったら、直ぐに知らせますから。」

「分かりました。」

「お父さん。恵さんのことは任せておいて、船の方はよろしくね。」

「了解、じゃあ。」


警戒はゼロに任せて、トランと私は運命の刻まで船の中を見物することにした。船内は一階から六階まであり、一階から三階までが機関室や車を載せるデッキ、四階から上は、客室や食堂などがある居住デッキとなっている。


「この階は、客室と会議室しかないね。」

「はい。スウィート二室、デラックスAの洋室が三十四室、和室が六室です。」

「ありがとう。詳しく説明してくれて。」

「でも、そんなに詳しく説明してくれなくて良いよ。五階に降りよう。」

「はい、分かりました。五階は、先ほど行ったレストランの他に。」

「そこまで。詳しい説明より百聞は一見にしかずだ。見て回ろう。」

「ここが、フォワードサロンか。進行方向が良く見えて良い眺めだ。」

「海しか見えませんが。」

「真っ青な空と海、真っ白な雲。なんと素晴らしいコントラストだ。」

「感動するね。」

「はい。」

「なんか、気のない返事だね。トラン。」

「こういった絶景は、ゼロで一瞬に移動したんじゃ味わえない代物だよ。」

「それは、分かりますが。私にはどうしても、時間の無駄にしか思えなくて。」

「まだ、そんなこと言ってる。時間を節約するより、一見が大事。次、行こう。」

「それでは、今度は船尾にあるオープンデッキに行きましょう。」

「フォワードサロンも、そうだったけど。これ以上先には行けないんだね。」

「一般人は、客室デッキ以外の場所には出られません。転落防止のためです。」

「なんかの映画にあったように、船首の縁に立って風を感じることができたら最高なんだけどなあ。」

「それは、無理な注文です。」

「分かってるって。次は、私たちにはお馴染みの四階だ。」

「ショップを見たら私たちの雑魚寝部屋で一休みしよう。」


雑魚寝クラスに行くと禁煙にもかかわらず、煙草を吸っている四十代くらいの男性がいた。


「済みません。ここは禁煙ですから、この階の船主方向にある喫煙室で吸っていただけませんか。皆さんが迷惑しています。」

「あっ、済いません。」と素直に言って、彼は喫煙室に向かった。

「すいませんと言いながら、吸ってるよね。」

「ジン、それは、親父ギャグですね。しらけ鳥が飛んでますよ。おお、寒い。」

「トランも大分、地球人の気質が分かってきたようだね。」

「それは、ジンを見ていて学んだことです。」

「余りにも下らない駄洒落ばかりを聞かされていますから。」

「下らないとは、失敬な。これでも、結構、受けは良いんだからね。」

「誰にですか。」

「えーっと。」

「あっ、ジン。昨夜のヤンキーたちがいますよ。」

「本当だ。隅っこの方で大人しくしてるね。トラン、挨拶してきたら。」

「はい、行ってきます。」


「やあ、君たち。昨日は、どうも。元気。」

「元気なわけねえだろう。あっちこっち痛くてよ。てめえの所為だ。」

「まあ、これに懲りて悪さはしないことだ。」

「分かってるよ。大人しくしてりゃ良いんだろう。」

「そういうこと、じゃあ。」

「ジン、彼らは懲りているようです。」

「そうでもないよ。落とし前に、今度は、私を狙っているようだ。」

「爺なら勝てるって、ひそひそ話をしているよ。」

「そうですか。それで、どうします。」

「彼らの思惑どおり標的になってやるよ。」

「彼らが襲いやすいように、単独行動するから、トランはここでゆっくりしてて良いよ。」

「分かりました。」


私は、一人でトイレに行くことにした。すると案の定、彼らも付いてきた。


「おっさん、大人しくしてもらおう。」とジャックナイフを私の背中に突きつけた。

「分かったから、殺さんでくれ。」と、恐怖におののく振りをして彼らに従った。

彼らは、再び自分たちの車がある車両デッキに私を連れて行った。


「儂をどうする気じゃ。」

「あんたの連れの落とし前を付けて貰うだけだよ。」

「金か、金ならやるよ。だから、何もせんでくれ。」

「そうは、行かねえ。もちろん金も頂くぜ。」

「それと奴にやられた分、爺に返してやるよ。」


彼らは、自分たちの車から、鉄パイプや木刀を出してきた。

「刃物は使わねえよ。間違って殺しちゃ拙いからな。」

「ほう、そうかね。気を使ってくれてありがたいことだ。遠慮はいらんよ。」

「矢でも鉄砲でも使ってくれ。君らは、私に勝てん。」

「ほざいてろ。奴には負けたが、爺には負けねえよ。」

「恨むんだったら、奴を恨めよ。なあ、爺。」

「だけど、君たちに言っておくが、私は彼より強いよ。死ぬ気できなさい。」

「それと、私は彼のようにやられた振りはしないから。一撃必殺で倒すよ。」

「何言ってんだ。やられるのは、糞爺、お前の方だよ。やっちまえ。」


「爺、良く避けたな。年寄りにしちゃ、結構、運動神経があるじゃねえか。」

「褒めてやるよ。だけど、次は、そうは上手く行かねえ。」

「君たちに、次はないよ。すでに秘孔を突いてある。但し、手加減をしたよ。」君たちにここで死んで貰っては、それこそ拙いからね。」

「後で厄介なことになる。」

「何言ってるんだ。」

「ほれ君らは、もう動けない。」

「手加減なしだったら、君らはとっくに死んでいる。」

「あれ、体が動かない。」

「その格好で小樽に着くまで立っているんだな。その頃には術は解けるよ。」

「じゃあ。」

「待てよ。おじさん。もう悪いことはしないから、許してくれよ。」

「謝るから術を説いてくれ。頼むよ。」

「本当だな。誓うか。」

「ああ、約束するよ。」

「それじゃ、解いてやるよ。」


最後の男の秘孔を突いて体の硬直を解いていると、最初に解いた男が背後から鉄パイプを私の頭めがけて振り下ろしてきた。私は、それを後ろを向いたたまま右腕で受け止めた。当然、その痛みはその男に跳ね返った。男は、あまりの痛さに鉄パイプを投げ出し、甲板を転げ回った。


「これで、懲りただろう。もう悪いことは、止めるんだ。腕は折れてないか。」

「おい、大丈夫かよ。どうなってんだ。何でお前が痛がってるんだよ。」

「知るかよ。何をやっても爺に勝てない。覚えてやがれ。」


彼らは、常套句の捨て台詞を吐きながら逃げて行った。私が雑魚寝クラスのフロアに帰ると。


「この人です。僕らを襲って金を奪おうとしたのは。」

「えっ、何の話ですか。」

「私は、この船の警備係ですが。この少年たちが、あなたに襲われたと。」

「私がですか。何で私が、少年を襲うのですか。」

「何かありましたか。とトランが近づいてきた。」

「この人は、私の連れですが。」

「外国の方ですか。」

「いいえ、日本人です。私は、日本の国籍を取得しています。」

「私たちは、神定プロダクションの者です。」と言って名刺を渡した。

「こちらは、プロダクションの副社長です。私は秘書です。」

「神定 人です。」と私も名刺を渡した。

「彼らが言うには、あなたが金を脅し取ろうと、彼らを襲って怪我をさせたとか。」

「私がですか。何で私が、この年寄りが、彼らと喧嘩して勝てるわけがない。」「それに、金にも困っていませんしね。」

「そんなこと言ったって、このおじさん強いんだよ。この腕見てよ。」

「確かに打撲傷の痕はあるけど、この傷は何か棒状の物で打たれてるね。」

「この人が、そのような凶器を持っているようには見えないし、どう見ても君たちの方が強そうだ。この人に君たちを襲う動機もない。」

「そうです。」

「逆に、君たちが副社長を襲って金を奪おうとするなら理解できますが。」

「秘書の言うとおりです。」

「金なら、ほら、」とアメリカンエクスプレスのゴールドカードを提示した。

「それに、私が若い人たちに喧嘩を売っても勝てません。しかも、一対三です。」


警備員は、彼らを連れて行った。


「彼らも懲りませんね。」

「全くだ。反省の念が、これぽっちもない。」

「しょうがないですね。」

「ショウガなら乾物屋に売ってるよ。」

「昭和ギャグですね。何度も聞かされて笑えませんけど。」

「寒くなったところで、コーヒーでも飲みに行こう。」


私たちは、十時のコーヒーブレイクを取るために五階のカフェに向かった。


「ジン、トラン。」

「なんだい、ミカ。」

「恵さんが、買い物に行くって言って部屋を出たきり帰ってきませんわ。」

「どのくらい経っていますか。」

「はい、かれこれ一時間ですわ。」

「買い物にしちゃ、長すぎるね。ミカは、心配しないで良いよ。」

「ゼロで探すから。」

「分かりましたわ。ジンたちに任せますわ。」

「トラン。彼女は何処にいる。」

「はい、四階の案内所にいます。行きましょう。」

「よし、コーヒーも満喫したことだし、彼女を迎えに行きますか。」


「あっ、恵さん。こんなところで何か。」

「あっ、ジンさん。トランさん。」

「案内所の人に、船長さんに会わせていただけないか頼んでいたのです。」

「だめでしたけど。済みません。どうしても。」

「分かります。私たちだけで、どうして、これから先に起こる災厄を防げるのか。」

「済みません。どうしても、信じられなくて。」

「当然です。私たちのことを、あなたは知らないのですから。」

「私たちの手の内をお見せしましょう。」

「ジン、良いんですか。」

「良いんだよ。恵さんも、私たちを信じて彼女の能力のことを話してくれたんだから。」

「それでは、恵さん。私たちと一緒に娘たちの部屋に戻りましょう。」

「そこで、私たちのことを話します。」


「恵さん。これから話すことは、恵さんの能力以上に突拍子もないことですから心して聞いてください。」

「はい、何があっても驚きませんわ。それに、聞いた話を人には言いません。」

「とは言っても、本当に信じられない話ですわ。」

「例えば、私が天照大御神と言ったら恵さんは信じますか。」

「えっ、ミカさんが神様。」

「やっぱり、無理だよね。お父さんは死人だし、トランは宇宙人。」

「ミコ、私はゾンビじゃないからね。言い方が悪い。」

「皆さんは、私をからかっているのですか。それとも、憐れんでいるのですか。」

「いいえ、言い方は別として、ミコが言ったとおりです。」

「そして、ミコは霊と話をしたり取り込んだりできる能力を持っています。」

「俗に言う霊媒師みたいなものですよ。百聞は一見にしかずです。」

「実際にお見せしましょう。トラン。」

「それでは、皆さん。恵さんをゼロにご招待しましょう。」

「一瞬で移動しますから驚かないでください。」


「えっ、」と言う間もなく。


「ここは、どこですか。」

「さっきまで部屋にいたのに、家具も何もない真っ白な空間になってしまっています。どういうことですか。」

「ここは、移送機の中です。」

「輸送機。と言うことは、私たちは、一瞬に飛行機の中に。どうやって。」

「輸送機じゃなくて移送機。まあ、飛行機と言えば当たらずも遠からずだ。」

「トラン、説明よろしく。」

「はい、恵さん。驚かずに聞いてください。」

「私は、この天の川銀河の中心宇宙域に存在していた人類によって造り出されたものです。私は、移送機です。」

「宇宙船と言った方が分かり易いでしょう。」

「但し、エンジンのような推進器で動くものではありません。」

「精神感応能力者が放つ精神エネルギーで動きます。」

「精神感応能力者、超能力のことですか。」

「はい、そう理解していただいても構いません。」

「但し、かなり強力な精神エネルギーが必要です。」

「恵さんも超能力を持っていますが、ゼロを動かすほどの強力な精神エネルギーはありません。」

「それでは、このゼロという宇宙船を動かすほどの強力な超能力者は、あなた、トランさんと言うことですね。」

「いいえ、先ほども言いましたが、私自身がゼロです。」

「トランと呼んでください。」

「私のエネルギー源は、ジン、ミカ、ミコたち3人です。」

「よく分かりませんが、トランさん。あっ、トラン。あなたは人間でしょう。」

「いいえ、創始者が造り出した移送機のコアです。」

「但し、人間と変わりません。」

「サイボーグやロボットと言うよりも、創始者の遺伝子情報を元に造り出されたクローン人間のようなものです。」

「理解できません。それで、私をここに連れてきたわけは。」

「はい、私たちのことを知って貰うためです。」

「それは、ジン。お願いします。」

「よっしゃ、ゼロを透明モードにしてくれ。トラン。」

「はい。」


真っ白な空間が、一瞬で透明になった。恵は、驚いて尻餅を付いてしまった。


「ここは、先ほどの部屋です。但し、外側から私たちを見ることはできません。」「ゼロ自体が違う次元にいるからです。つまり、ゼロ次元に存在しています。」

「それでは、船外に移動します。どうですか、宙に浮いているみたいでしょう。」

「ちょっと怖いです。高所恐怖症ではありませんが真下が丸見えでは。」

「それでは、床を出しましょう。これなら大丈夫ですね。」

「はい、真下が見えないと、いくらか安心ですわ。」

「次は、宇宙から地球を見てみましょう。」


フェリーを一周するように眺めてから、一気に宇宙に飛び出した。


「素晴らしいでしょう。テレビで見る以上に地球は青い。」

「信じられませんわ。私たちは本当に宇宙にいるのですか。」

「はい。それでは、国際宇宙ステーションに近づいて見ましょう。」

「月にもひとっ飛びで行けますが、今日のところは。」

「それでは、フェリーに帰ります。」

「これでトランのことは、分かって貰えましたか。」

「トランが宇宙人だと言うことは分かりました。トランとゼロが同じということは、理解できません。」

「私にとってトランは、人間そのものに見えます。」

「そうですね。トランは、生物学的にも医学的にも人間です。」

「創始者の科学力は、私たち人類を遙かに超えています。」

「しかし、創始者たちの惑星は、太陽の膨張により死の星となりました。」

「創始者たちは、移送機を使って全宇宙に移住しました。」

「四十億年以上も前の話しです。創始者の子孫は、全宇宙に散らばっています。」「私たち人類も創始者の子孫です。人類のルーツは、創始者です。」

「次に、私のことを話しましょう。私は一度死んでいます。肉体的な死です。」「私は賽の河原で、調和と秩序を司る宇宙意識体であるハモニーに会いました。」「彼女は、精神的に死んでいない私にクウという地蔵尊の肉体を授け、この世に蘇らせたのです。」

「ある仕事をさせるために。」

「仕事とは。」

「魂の救済です。」

「死んでこの世に留まっている魂、つまり、負のエネルギー体をハモニーのいる賽の河原に送り込むことです。」

「この世に、負のエネルギー体となって魂が留まると、正・負、二つの世界のエネルギーバランスが崩れます。片方だけにエネルギーが集中すると、やがて、一方が膨張しすぎて爆発し、二つの世界は滅びます。」

「無の世界になってしまいます。ちょうど風船を真ん中で、ぎゅっと握りしめた形を思い浮かべてください。」

「二つに分かれた空気が、片方にだけに空気を入れていくと、その内、風船は割れてしまいます。」

「この宇宙も、風船と同じです。正・負、二つの世界のエネルギーバランスが調和していれば、何の問題もありません。」

「ところが、先ほど言ったように、この正の世界に負のエネルギーが留まり、徐々にバランスが崩れています。」

「それを直すのが私たちの仕事です。」

「二つの世界の破滅を救うことをハモニーから託されました。」

「でも、そんな大事な仕事、宇宙意識体であるハモニーさん自身がすればよろしいかと思いますが、なぜ、ジンさんたちに任せるのですか。」

「ハモニーの力は絶大です。私も彼女の一部の力を授かっています。」

「彼女は、賽の河原を離れることができないと言っていました。」

「そして、彼女の力を持ってしても、負のエネルギー体を無理矢理、負の世界に送り込むことはできないそうです。」

「負のエネルギー体といっても個々の意思があり、この世に残りたいという思いを持っている魂を強制的に召還することができないのです。」

「つまり、絶大な力を持っているハモニーですら、意思の自由を奪うことができない。」

「どんな力も、意思の自由を束縛することはできないということです。」

「私たちは、負のエネルギーとなって留まっている霊と話し、説得してハモニーの所に行って貰うのです。」

「そんなお話、俄には信じられませんけど、私の危険予知能力のこともありますので、一概に嘘とは言えませんね。」

「嘘ではありません。本当です。」

「ですから、私とトランを信じて、今日、午後のことは任せてください。」

「絶対阻止しますから。」

「分かりました。お任せします。」

「トラン、安心して貰うために、ゼロの探査能力を見せて上げよう。」

「はい。」


中央に地球が立体映像として映し出された。


「恵さん。見てください。」

「はい。恵と呼んでください。」

「はい、恵。ゼロのセンサーで全ての地域を監査しています。」

「もちろん、宇宙も含めてです。」

「この船に近づくものは、陸海空問わず全て監視しています。」

「この海の中の赤い点は何ですか。」


トランが、その赤い点に触れると、地球の隣に別の立体映像が現れた。


「これは、ロシアの潜水艦です。」

「これは、」

「ご自分で、どうぞ。」


恵は、面白そうにいろんな点に触れて、あちこちに立体映像を現出させた。


「恵、もう良いでしょう。それくらいにして、食事に行きませんか。」

「おっ、もう、そんな時間か。お昼を食べに行こう。」

「分かりましたわ。」

「ミカとミコのことは、お昼を食べて部屋に帰った後に聞いてください。」

「この二人も、いろんな意味で超人だからね。」

「お父さん。いろんな意味って、どういう意味。」

「意味も何も話しを聞けば、恵にも分かると思うよ。」

「恵、これから、あなたのことをメグって呼んでも良い。」

「構いませんわ。」

「それじゃ、みんな、メグって呼んであげてね。」

「了解。私のことも、ジンって呼んで貰っても構わないよ。メグ。」

「でも、呼び捨てでは。おじ様では、どうですか。」

「なんか、年取ったみたいに感じるな。」

「お父さん、歳だもん。」

「気持ちは、若いぞ。やっぱり、西洋式でジンと呼んでくれ。親しみが湧く。」

「分かりました。ジン。」

「それじゃ、食事。」


私たちは、ゼロに船の安全を託して五階のレストランに向かった。


「綺麗な女性二人と一緒に、食事とは嬉しいね。トラン。」

「はい、でも、女性は三人ですよ。」

「ミコは、お世辞でも女性とは言えないよ。女の子だな。」

「何言ってんのよ。私の方が、メグより七歳も年上よ。」

「女らしさって、年齢じゃないよ。メグの方が若いけど、よっぽど女性だ。」

「言葉使いだろ、身のこなしだろう。」

「何を取っても、ミコより年下のメグの方が女性だ。なあ、トラン。」

「私に振らないでください。メグもミコも可愛らしい。」

「ミコは、ちょっと跳ねっ返りなところもあるけど、十分女性らしい。」

「女性らしいとは、何よ。れっきとした、か弱い女性ですよ。」

「どこが、か弱いのですか。列挙してみてください。」

「えーとっ、このお肉美味しいですわ。」

「ミコ、今更、誤魔化して女性っぽくしても、ミカやメグの様にはなれんな。」

「分かりましたよ。ミカたちみたいにしてたら、肩が凝っちゃうよ。」

「地で行くわ。」


私たちは、食事を済ませ部屋に戻った。


「ジンさん。」

「ジンで良いよ。」

「でも、やっぱり呼び捨てにはできませんわ。」

「うちの会社、みんな呼び捨てだよ。私もお父さんのこと、ジンって呼んでる。」

「私のお父さんは死んでるから、地元では、お父さんって呼べないしね。」

「そう言うこと。」

「だから、ジンで。呼び捨てと思わずに、親しい間柄と思えば良いんだ。」

「そのうち慣れるよ。」

「それじゃ、ジン。あなたの能力はどんなものですか。」

「いや、私にも分からない。必要に応じてどんなこともできる力だ。」

「但し、私利私欲が目的での力は発揮できない。」

「一番の力は、不可侵。私に対する攻撃は、全て攻撃してきた相手に跳ね返る。」

「そして、今までに使えた力は、限定的なテレパシー、念動力、地震も起こした。」

「でも、ハモニーの仕事で一番に必要な能力がない。」

「それは、何ですか。」

「霊を探したり、見たり、話したりする能力。」

「その能力は、私が持ってるわ。最初はね。お父さんも持ってたの。」

「それは、私に体をくれた地蔵尊のクウの能力で私のものではなかった。」

「今は、ミコの体の中にいるよ。クウ、自己紹介。」

「はい、私がクウです。ジンに助けて貰った地蔵尊です。」

「助けたうちに入らないよ。」

「沢に転がっていたお地蔵さんを元の場所に戻しただけだから。」

「いいえ、たくさんの人が転がっている私を見ましたが、元に戻してくれたのは、ただ一人、ジンだけでした。」

「今でも感謝しています。」

「私の方こそ、感謝してるよ。体をくれたんだから。」

「それでね。」

「今度は、ミコか。クウの出番、短かったね。」

「私は、漫画家を志望して東京の専門学校に行ったけど、夢破れて実家に帰ってからすっかり自信をなくして心を閉ざしたの。」

「六年余り引きこもってたんだ。」

「クウが、私に取り憑いたことで潜在能力に目覚めた。」

「クウの力は、霊を感じ私たちに見せ話をできるようにする能力だけど、私のように霊を取り込むことはできないわ。」

「クウ自身が霊みたいなものだから。」

「クウとミコの能力は、ハモニーの仕事をする上で不可欠な力だ。」

「霊はね。死んで霊になった場所から動けない。」

「誰かに取り憑かないと移動できないんだ。」

「クウが霊を見つけ、私が取り込んで移動するというわけ。」

「だから、私とクウは、二人で一人前。ずーっと一緒。」

「ミコ、私は人に取り憑きません。いい加減、私をジンに帰してください。」

「それは駄目、クウがいないと私の能力が最大限発揮できなくなるもん。」

「メグ、本当ならクウは、とっくにミコから弾き出されているはずなんだよ。」

「どういうことですか。」

「クウは、心を閉ざした人間にしか移動できない。」

「最初はミコも心を閉ざしていたからクウが入れたけど、普通なら心を開いた時点で自動的に追い出される。」

「だけど、クウがミコの体に入ったことが、ミコの潜在能力を覚醒させるきっかけとなり、今じゃ、その能力がクウの力を上回りクウを離さない。」

「全くです。本来なら、心を開いたミコの中に私は留まれない。」

「私を離してくれれば、ミコを危険な目に遭わすこともないのですが。」

「この状態では。」

「実は、私たちのメンバーでミコだけが生身の人間だ。」

「私、トラン、ミカの三人は不死身だけどミコは違う。」

「しかし、ミコがクウを離さない以上、ハモニーの仕事をする上でミコが必要だ。」

「お父さん。私も不死身だよ。」

「不死身と言っても、ミコのは一時的なものだ。次はミカの番だ。」

「はい。」

「私は、人々の信仰心から生まれた意識エネルギーの集合体です。」

「ジンの力で人間として実体化して貰いました。」

「今では、私の意志で実体化も消えることもできます。」

「以前は、ジンと離れると実体化が解けてしまいました。」

「しかし、先だって火星に行ってきて以来、ジンと離れても、実体化が解けなくなりました。」

「理由は分かりません。」

「火星ですか。」

「はい、メグも宇宙に興味がありますか。」

「それは、もう。宇宙は大好きです。」

「それじゃ、そのうち、宇宙に一緒に行きましょう。」

「話しがずれてるよ。ミカが信仰心の集合体だと言う決定的な証拠を。」

「はい、分かりましたわ。」

「良く見ていてください。実体化を解きますから。」


みんなの目の前で、ミカは姿を消し、再び実体化した。


「本当なんですね。皆さん。私だけじゃなかったんですね。」

「私は、子供の時この予知能力でいじめられました。」

「実家が神社でなかったら、とっくに気が狂うか自殺していたかも知れません。」

「えっ、メグんち、神社屋さん。」

「ミコ、神社屋はないだろう。」

「はい。父は、小樽神社の神主をしています。」

「私も物心つく頃から、巫女として父を手伝いました。」

「子供の頃から、神代の世界に通じていたことで、この能力も受け入れることができました。」

「ああ、それで、名字が神宮司、そして皇學館大学か。」

「当然、神道学科だね。」

「はい、そのとおりです。」

「私も父の後を継いで神主になります。」

「そして、この能力を人々のために役立てたいのです。」

「それは、良い考えだ。これで、私たちのことを信じて貰えるね。」

「はい、お任せしますわ。」

「よっしゃ、大船に乗ったつもりで、私とトランに任せてくれ。」

「文字通りこの船は、大きいですわ。」

「お二人に任せて、私たちは船内を見て回りましょう。」

「そうしよう。部屋に閉じこもりっきりじゃ、つまんない。」

「ジンと私は、ゼロに戻ります。」


私たちは、それぞれの目的を持って部屋を後にした。


「ジン、予定の時刻まで、後三十分です。」

「何か変化はあるかい。」

「いいえ、この船の近くに、他の船舶はありません。」

「当然、この船を攻撃可能な軍艦や潜水艦もいません。待ってください。」

「爆発物の反応をキャッチしました。」

「これは、イルカの群れだね。イルカって暖かいところにいるんじゃないの。」

「いいえ、このバンドウイルカの生息北限は、ちょうど、この付近です。」

「群れの中に一頭だけ背中に高性能爆薬を付けているイルカがいます。」

「イルカの背中に爆弾。いったい、誰がそんな酷いことを。」

「その詮索は、後にしてください。」

「そのイルカが群れから離れてこちらに向かってきます。」

「時間からして、この船が沈む原因に間違いありません。」

「トラン、ウェットスーツを一着、あつらえてくれ。」

「どうするのですか。」

「海に潜って、直接、イルカと話してみる。」

「以前、カラスに協力して貰ったときの様に彼とも話せると思う。」

「分かりました。」

「それじゃ、行ってくる。トランは、引き続き監視体制を、よろしく。」


私は、日本海の海原に飛び込んだ。七月とは言え、日本海の海は、やや冷たさを残していた。


「なんて素晴らしい。」


私は、大海原の波間に頭を出して周囲を見渡しながら、真っ青な空、どこまでも透き通った海に感動していた。


「ジン、景色に見とれていないで早くイルカの所に行ってください。」

「場所は、」

「言わなくても分かるよ。既に、彼じゃなくて彼女とコンタクトしている。」

「雌のイルカですか。」

「そう言うこと、人間で言えば、ピチピチギャルの高校生ぐらいの歳だ。」

「間もなく接触します。」

「見えた。」

「君は、私と話せるかい。」

「ええ、話せるわ。でも、人間と話せるなんて嘘みたい。」

「私は、ジン。君は。」

「君は、って。」

「君の名前だよ。なんて呼んだら良いのかな。」

「名前はないわ。なんと呼んでも構わないわ。」

「分かった。それじゃ、イルカのお嬢さんだから。ルカって名前どうだい。」

「気に入ったわ。」

「それじゃ、ルカって呼ぶよ。私は、ジンと呼んでくれ。」

「ジン、一緒に遊びましょう。」

「その前に、背中にしょってる物、外しても構わないかい。」

「構うも何も、是非取ってほしいわ。泳ぐのに邪魔で、邪魔で。」

「ジン、無理矢理取ると爆発します。」

「今のは、誰。」

「ああ、トランって言うんだ。私の相棒。」

「トラン、ルカをゼロに招待して爆弾を取ってくれ。」

「分かりました。」


一瞬にルカが目の前から消え、一秒も経たない内に、また、現れた。


「わーいっ、邪魔な物が取れた。ジン、一緒に遊ぼう。」

「よっしゃ、何して遊ぶ。」

「競争、どっちが早いか。競争よ。」

「でも、私は人間だ。イルカのルカに勝てるわけがない。」

「でも、どこまで着いていけるか。やってみよう。」

「よーい、ドン。」


私は、吃驚した。意に反してルカに追いつけないどころか、ルカより早く泳いでしまった。


「嘘、私が人間に負けるなんて。」

「私も、吃驚だ。」

「ジン、この爆弾には、バングル文字が刻まれています。」

「KC製か。ルカ。ルカは、何で背中にあんな物を付けていたのかね。」

「私はね、人間に飼われていたわ。」

「それでね、背負っていた物を船の底に付けるとエサをたくさん貰えたの。」

「だから、さっきも大きな船の底に、あれを付けてからエサを貰いに行こうと思ったけど。途中でジンに会って遊んじゃった。」

「それじゃ、お腹が空いただろ。」

「ルカを飼っていた人間の所に行ってエサを貰おう。案内してくれるかい。」

「良いわよ。私、魚を捕るの下手くそで、いつも、お腹いっぱいにならないんだ。」

「それじゃ、案内して。後を付いていくから。」

「ジン、二時を過ぎました。他に、この船を沈没させるような兆候はありません。」

「どうやら、沈没は回避されたようだね。これで、メグも安心しただろう。」

「ところで、ジン。ルカの速度では、目的地まで一日が必要です。」

「フェリーが小樽に着いてしまいます。ゼロで送ります。」

「分かった。でも、海の中を泳いで行くのも捨てがたいな。海は楽しい。」

「泳ぎを楽しむのは後にして、まずは、この爆弾を作った人たちに返しましょう。」

「了解。」

「ルカ、時間がないから、ゼロで君が飼われていた場所に移動するよ。」

「でも、泳いで行かないと場所が分からないわ。」

「それは、心配いりません。」ゼロで海中を進みますから、ルカは、いつも通り海を泳いでいるつもりでいてください。」

「ゼロは、ルカの意識どおりに動きます。」

「この入り江だわ。私は、もう一頭とここを逃げ出したの。」

「もう一頭、やはり背中に例の物を付けてた。」

「うん、付けてた。」

「それでね。彼は、いつもどおり大きな船を見つけて背中の物を船の底に付けに行ったんだけど。」

「船が爆発して彼、死んだわ。悲しくなって、怖くなって、私は逃げたわ。」

「彼が死んだのは、ルカの所為じゃないよ。人間の所為だ。」

「生け簀に十頭いる。ここは、イルカ爆弾の訓練場だな。」

「みんな爆弾を背負ってる。トラン、みんなの爆弾を取ってやってくれ。」

「はい、この爆弾は、金属に接触することで爆発します。単純な構造です。」

「随分、安上がりな魚雷だな。」

「イルカを使うことで、敵に探知されないようにしたのでしょう。」

「イルカを使うなんて絶対に許せん。」

「他にもあるか、スキャンしてくれ。」

「ここだけです。」

「それじゃ、十一個の爆弾を彼らに返そう。」

「弾薬庫は、入り江の一番奥にあるコンクリートで囲まれた場所です。」

「見張りが一名、出入り口の詰め所にいます。」

「弾薬庫が爆発しても見張りが逃げる余裕があるように、一番奥の倉庫から爆発させよう。」

「後は、誘爆を受けて弾薬庫は消滅する。」

「それと爆弾は十一個あるから、人がいない建物といなくなった建物を順次爆発させよう。」

「そうすれば、この基地は、お仕舞い。再利用は不可能だ。」


まず、一番奥の弾薬庫が爆発し、順次誘爆されて別の弾薬庫も爆発した。敞舎にいた軍人たちが総出で消火に当たっているのを確認し、人がいなくなった建物も次から次へと爆発させた。基地は騒然となった。そして、消火できる状態ではなくなり、全員が避難した。


「ジン、爆弾は、未だ三個、残っています。破壊する建物は、残っていません。」

「それじゃ、イルカたちを避難させて生け簀を囲んでいる堤防を破壊しよう。」

「分かりました。」

「ルカ、君は、仲間たちを連れてどこか遠くへ逃げてくれ。」

「分かったわ。みんなを連れて行くけど、後で、また、遊んでね。」

「分かった。じゃ、また。」


ゼロでイルカたちを生け簀から出した後、ルカが、みんなを連れて沖を目指して泳いで行った。


「良し、これで安心だ。」

「残りの爆弾で、この生け簀も使えないように破壊しよう。」

「終わったな。」

「それじゃ、帰りましょう。」

「あっ、待った。私は、泳いで帰りたい。海の中を満喫したいんだ。」

「良いだろう。」

「分かりました。でも、フェリーが小樽港に着くまでには帰って来てください。」

「了解。」


私は、途中。先ほど避難したイルカたちと合流して群れを成して泳いだ。そして、遊び疲れたルカたちと別れ、一路、フェリー目指して帰ることにした。昔は、海の中が不気味で何となく怖かった。例え浅くても足下が見えないと、何か得体の知れないものに足を取られ、海に引きずり込まれるのではないかという恐怖心を抱いていた。だが、今は違う。こうして海中を泳いでいると、様々な生き物たちが私の目を楽しませてくれる。日の光が届かない深海になっても目が見えるし、呼吸をするために海上に出る必要もない。潜水病に罹ることも、水圧に潰されることもない。全てハモニーとクウから授かった能力と体のお陰である。


「そうだ。先ほどは、ルカよりも早く泳げた。」

「どのくらいの速度で泳げるのか試してみよう。」


私は、全速力で海中を泳いだ。するとルカの速度では丸一日掛かる距離を三十分で泳いでしまった。フェリーに追い着いた。なんとトランと分かれて、まだ、一時間も経っていない。ふと気が付くと、スウェットスーツがなくなっていた。丸裸である。


「参ったな。これじゃ、船に戻れない。トラン、聞こえるかい。」

「はい、何ですか。」

「水の抵抗が少ないスーツをお願いしたい。何処かで脱げちゃった。」

「分かりました。でも、そろそろ、船に戻っては。」

「いや、もう少し海の中を見て回りたい。」

「分かりました。」


ゼロに乗るまでもなく、その場で着る手間もなく、スーツが体に張り付いた。


「便利だね。それじゃ、もう一泳ぎ。先に小樽まで行ってて。」

「スピードを出しすぎると、何かあっても避けられませんよ。気をつけて。」

「了解。」とは言っても、やっぱり限界を知りたい。


「あの、トラン。ちょっと来てくれる。拙いことになちゃって。」

「はい。また、スーツが脱げたのですか。」

「それもあるけど、ちょっと。」

「まあ、ジンたら裸ですわ。」

「お父さん、その格好、恥ずかしくないの。」

「ちょっと、何でミカたちも来るの。」

「メグもいますわ。ジンだけ楽しむなんて許せませんから、全員で来ましたわ。」

「ちょっと、ちょっと、みんな後ろを向いて、トラン、スーツ。」

「はい、こっち向いても良いよ。」

「ジンの後ろにあるのは、原子力潜水艦ですね。」

「えっ、原子力潜水艦。」

「そうか、海上自衛隊の潜水艦にしては大きいし、原子力となると日本のものじゃないよね。」

「はい、ロシアのです。」

「えっ、どうしよう。どうしよう。」

「国際問題になってしまう。」

「お父さん。何をしちゃったの。」

「実は、速度を出しすぎて、必至に避けたんだけど、水流に勝てずスクリューに巻き込まれてしまった。」

「えっ、スクリューに巻き込まれて、お体の方は何ともないのですか。」

「メグ、心配しなくて良いよ。クウの体は頑丈だ。」

「体は何ともないんだけど、スクリューが粉々になってしまった。」

「潜水艦は航行不能になっている。」

「間もなく潜水夫が確認のため出てくるかも知れない。」

「このままじゃ、日本の領海侵犯で国際問題に発展してしまう。」

「何とか、この潜水艦をロシア領内に戻さないと。」

「しかし、ゼロは使えません。」

「そうだよね。一瞬に移動したんじゃ。」

「海流を使いましょう。」

「この先、五百メーターほどで、対馬海流がロシア方向に流れています。」

「その海流に乗せるのです。」

「よっしゃ、その手で行こう。私が海流に乗せる。それと、もう一つ問題が。」「衝突した時、声を出しちゃった。そこんところの記録も消去して。」

「だから、速度の出し過ぎに気を付けてと言ったのです。」

「つい、調子に乗って出せば出すだけ速度が出るんで。図に乗りすぎた。」

「申し訳ない。」


私は、一人でこの潜水艦を海流の方向へ押しやった。人間一人が、この大きな潜水艦を動かしている光景は、想像の域を超えて圧巻である。


「海流って、結構早いんだね。もう、潜水艦、見えなくなっちゃった。」

「ジン、もう良いでしょう。ゼロに戻ってください。」

「はい。」

「ジンには、反省を込めて潜水艦内部の監視カメラの映像記録を見て貰います。」


そこには、乗組員のパニック状態が映っていた。


「ジンは、面白がって速度をどんどん上げていったのでしょうが、その間、船内では、ソナー手がパニックに陥りました。」

「その報告内容を聞いてください。」

「でも、私は、ロシア語知らないよ。」

「ラスベガスで渡した例のネックレス、持っていますか。」

「えーと、あっ、あのネックレスね。なくしました。」

「いつ、どこで」

「それが分かれば、取りに行ってるよ。」

「あっ、開き直りましたね。しょうがない。ゼロに翻訳させます。」

「ショウガは、」

「良いです。乾物屋の話しは、笑えません。」

「これを聞いて反省してください。」

「はい。」


「艦長、前方約二十キロ付近に反応あり、速度ほぼゼロ、小さい物体です。」

「魚雷か。」

「いいえ、あっ、待ってください。急に速度を上げ、こちらに向かってきます。」

「魚雷か。」

「いいえ、魚雷にしては、速度と方向が不規則です。」

「それに、付近に艦船はいません。」

「それじゃ、何だ。ソナー手。しっかり報告しろ。」

「あっ、はい。止まりました。いえ、また、動き出しました。」

「信じられない速度です。あっ、ぶつかります。」

「えっ、ぶつかる。」


次の瞬間、艦内にガガーンという音と、船自体が振動し傾いた。


「何事だ。何があった。」

「分かりません。操舵不能です。」と操舵手が報告した。。

「副長、被害を確認して報告。」

「はい、艦長。」

「ソナー手、今のは何だったんだ。敵の攻撃か。」

「分かりません。この付近に、我が艦以外はいません。」

「魚雷やミサイルの類でもありません。」

「進行方向が不規則で、速度も一定せず速すぎます。未知の物です。」

「ソナー手、夢でも見てるのか。もっと、まともな報告ができんのか。」


艦長の余りの激怒にソナー手は、口をつぐんだ。


「本当は、他にも報告することがあったにもかかわらず報告をしなかったのです。」

「どんな報告。」

「余りにも馬鹿げた報告です。」

「それは。」

「ジンが言った。あっ、やっちまった。という言葉です。」

「ああ、スクリューを壊してしまったとき、つい言ってしまった言葉だ。」

「このあり得ない自体に、彼は、完全に正気を失いました。」

「そりゃ、言えないよね。この海の中で、しかも、人が潜れる深さじゃないし。」

「お父さんも、罪なことをしたもんだ。」

「まあ、つい。反省してるよ。」


「艦長、被害ですが、艦内にはありません。」

「どうやら、スクリューが何かを巻き込み損傷したようです。」

「操舵手、どうだ。」

「そのようです。操舵できません。海流に流されています。」

「分かった。右バラスト、注水。傾きを修正。」

「了解。」

「何がスクリューに当たったんだ。潜水夫を出して調査しろ。」

「無理です。この深さと海流の早さでは、潜水夫を出すことはできません。」

「操舵手、日本の領海を出るまで、コース維持。と言っても、流れに任せるしかないな。」

「領海を出たら、浮上して原因を調べる。ソナー手、警戒を怠るな。」

「了解。」


「ジンも分かっていたでしょう。進行方向に潜水艦がいることを。」

「ああ、分かっていたけど。これほど早く目の前に接近してくるとは思っていなかったんだ。」

「正面衝突を避けることができて、ちょっと油断したら潜水艦のスクリューが作る水流に巻き込まれてしまった。」

「避けはしたけど、速度を殺しきれていなかった。」

「あっ、と言う間にスクリューに当たった。」

「それも、これも、ジンの速度違反が原因です。」

「トランの言うとおりだ。本当、申し訳ない。」

「これからは、気をつけるよ。」

「本当ですよ。約束してください。」

「約束する。ソナー手に悪い事した。できることなら直接会って謝りたいよ。」

「それができるのでしたら、スクリューの修理代も弁償しなければいけませんわ。」

「分かったから、これ以上、責めんでくれ。フェリーに帰ろう。」


「ジン。間もなく小樽に入港しますが、困ったことに今晩泊まるホテルが確保できません。」

「どこも満室で予約が取れない。ってとこだろう。トラン。」

「はい、そのとおりです。キャンセルがあればと期待したのですが。」

「予期はしていたが、夜の八時過ぎじゃ、オートキャンプ場も無理だろうな。」

「仕方ありませんわ。車で野宿してはどうでしょう。」

「それじゃ、お父さんたちは車の外でね。」

「か弱い女性陣は車の中で、よろしく。」

「よろしくじゃないよ。ミコ。わしは、もう年寄りじゃ、野宿は体に毒じゃて。」

「私は、構いません。外で良いです。ジンも良いですよね。」

「わしの話を聞いておらんな。わしは老い先が短い老人じゃけに。」

「はいはい、老人のお父さん。分かりました。じゃ、外に寝てね。」

「だめですか。外じゃ、蚊に喰われて眠れないよ。」

「ジン。仕方ありませんよ。車の中は、二人までです。」

「この際、男は我慢です。」

「分かってるって、ほんの冗談。」

「フェリーから降りたら、埠頭のどこか適当なところを探して野宿と行きますか。」

「あの。」

「メグ、何。」

「よろしければ、我が家に泊まってください。」

「いいえ、ご迷惑になりますから。」

「とんでもありません。迷惑だなんて。」

「是非、お泊まりください。父も喜びます。」

「そうですか。」

「はい。既に、実家には電話しました。OKを貰っています。」

「へえ、神社に泊まるなんて初めてだ。」

「これ、ミコ。図々しい。」 

「そんなことありませんから、是非。私も皆様にご迷惑を掛けましたから。」

「迷惑じゃないよ。ねえ、お父さん。」

「分かりました。一泊、お世話になります。但し、我々の特殊能力のことは。」

「分かっています。私の能力も家族には内緒にしています。」


私たちはフェリーを降り、メグのバイクの後を追った。天狗山の山中、樹齢何百年の木々がうっそうと茂る参道と何百段もの石段を登る高台に、その神社は位置していた。もう夜の九時を回っていた。通り一辺倒な挨拶を交わし、夕食、お風呂とで、その夜は過ぎた。

次の朝は、皆、五時に起き、朝飯前のお務めを手伝った。


「昨夜は、暗くて分かりませんでしたが。」

「この神社は、市街と石狩湾の素晴らしい景色が一望できる場所にあるんですね。」

「はい。この眺めは、他では見られません。」

「自慢の眺望です。話は変わりますが、船では娘が大変お世話になったそうで。」

「いや、大したことは。」

「そんなことは、ありません。」

「ヤンキーに絡まれているところを助けて頂いたり、スウィートルームに同室させて頂いたりと。」

「娘が大変感謝していました。私からも、お礼を言わせてください。」

「本当に有り難うございました。」

「あっ、いえ、どういたしまして。」

「それじゃ、朝食の準備もできたようですので、母屋へどうぞ。」

「はい。」


「大変お世話になりました。本当に助かりました。」

「一時は、野宿も考えましたが。」

「大したお持てなしもできませんで、札幌での営業が上手くいくことを願っています。」

「何かありましたら遠慮なく、また、立ち寄ってください。お気を付けて。」

「それでは、お世話になりました。」

「伊勢に来るようなときがありましたら、是非、私どもの会社にも来てください。」

「それと恵さんは、大学が暇なときは、遊びに来てください。」

「遠慮はいりませんから。」

「はい、分かりましたわ。その折は、よろしくお願いします。」

「それでは。」

「メグ、さよなら。」

「お世話になりました。皆様、お元気で。」

「ミコ、ミカ、さよなら。伊勢に戻ったら、また、会いましょう。」

「はい、また、お会いできるのを楽しみにしていますわ。」


私たちは、札幌駅近くにある紀伊国屋書店の営業本部に本を売り込み、今宵の宿泊ホテルを探すことにした。


「どうせなら、すすき野界隈のホテルが良いな。」

「どうしてですか。」

「トラン。分かりません。」

「ええ、分かりません。ミカは、分かるのですか。」

「当然です。」

「私も、分かる。」

「ミコも、ですか。」

「はいな。お父さんは、酒好きでしょう。東京で言えば、新宿歌舞伎町。」

「札幌では、当然、すすき野ですわ。そうでしょう。ジン。」

「ピンポン。やっぱり、北海道に来たら、味噌ラーメン、かに、いくら、うに。」「美味しいものが山ほどある。」

「それを一カ所で満喫できるのは、やっぱり札幌一の繁華街すすき野でしょう。」


私たちは、札幌駅構内にある旅行代理店で、宿泊できるホテルを探して貰うことにした。運良く、すすき野にある西急インホテルにキャンセルがあったらしく、ツインを二部屋取ることができた。


「まだ、チェックインするには早いな。」

「もうすぐ昼だし、まずは、名物その一、ラーメンと行きますか。」

「お父さん。どこのラーメン屋に行くの。」

「そうさな。」

「折角、この駐車場に時間を掛けて入れたんだから、この札幌駅近くで探そう。」「ここを出て、また、駐車場を探していたらお昼を過ぎてしまう。」

「そうですね。見物がてらこの辺を散歩しましょう。」

「そうは言っても当てもなく歩いてるんじゃ、時間の無駄になる。」

「トラン、この辺のラーメン屋をピックアップしてくれ。」

「はい。」

「札幌駅南口から、徒歩で二十分圏内には、七軒の店がインターネットに掲載されています。」

「口コミからは、全日航空ホテル近くのこの店が評判です。」

「良し、そこに行こう。」


「予想どおり、待たないとだめか。」

「言っとくけど、トラン。待ち時間は、計算しなくて良いからね。」

「そうですか。後、三十分は待たないと。」

「言わなくて良いって言ったのに。」

「仕方ありませんわ。待つ分だけ、美味しいという証ですわ。」

「我が家では、並んで待つというのが嫌いなんだよね。お父さん。」

「待つのは気にならないが自分が食べる番になると、待ってる人たちのことを考えてしまって、ゆっくり食べられないんだよ。」

「急いで食べるから味もしゃしゃりもない。」

「前だって舌をやけどしただけで、味なんかサッパリ分からなかった。」

「分かりますわ。その気持ち。」

「唯我独尊、自己中になれる奴が羨ましいよ。」

「仕方ないよ。代々受け継がれてきた神定家の性格だから。」

「私だって人のことを考えずに好き勝手にできる性格なら、引きこもりにはならなかったわ。」

「ミコ、それは、どういうことですか。」

「トラン、それはね。」

「バイトや一時期、勤めた会社で嫌な先輩がいてね。自分の失敗を押しつけたり、平気で新人を私的に使う輩がいるということよ。」

「ミコ。そんな話、一言も言ってくれなかったね。」

「言っても無駄でしょ。」

「あの頃は、お父さんに言っても頑張れとしか言わなかったし、親身になって悩みなんか聞いてくれなかった。言える雰囲気じゃなかった。」

「そうだな。」

「娘たちが小さい頃から一緒に夕食を食べていてもテレビを見ながら食べていた。」

「一家団らんではなくテレビ中心で会話ができる雰囲気じゃなかったな。」

「そうでしょ。みんなが集まる時ぐらいテレビは消してほしかった。」

「嘘だろう。テレビを率先して見てたのは、お前たちだ。」

「気を使って見るなと言えなかった。」

「そうなんですか。」

「いや、そうじゃないな。」

「何を話題にするか分からなくて、テレビを見ることで逃げていたんだ。」

「一家団らんが話題がなく沈黙状態になることを恐れていた。」

「そうかも知れない。」

「でも、幼いときは、そんな大人の考えはできないでしょう。」

「やっぱり、親がしっかり躾をしないといけませんわ。」

「今考えると、躾と甘やかしの境目が分からなかった。」

「自由放任は楽、躾が行き過ぎると虐待、躾と虐待の境目も分からない。」

「要するに、親も子育て一年生、人生一回切り、やり直しが利くなら今度はと思うが、それは無理だ。」

「過去には戻れませんが、過去の出来事を反省してお互いに話し合うことはできますわ。」

「それからでも、やり直せば遅すぎるということはありませんわ。」

「そうだな。こんな話をできるのも、こうやって一緒にいるからできることだ。」「話もせずに離れてしまえば、それっきりだ。一生分かり合えない。」

「そうです。人間は、そのために言葉を授かったのですから。」


そんな話で、待ち時間を費やしていると、我々の後ろに大学生風の若者が四人割り込んできた。


「君たち、割り込みはいけないな。ちゃんと最後尾に並ばないと。」

「おじさんには、関係ないでしょう。」

「おじさんたちの前に割り込んだわけじゃないし、後ろの人たちは何も言ってないんだから。」

「そりゃ、そうだが。だからと言って、割り込みが許されるわけじゃない。」

「じゃ、後ろの皆さん。文句ありますか。」

「ほら、誰も文句ないって。」

「あんたたち、ちゃんと並びなさいよ。」

「みんな怖がって、はっきり言わないことを知ってて我が物顔は許せないわ。」

「おっ、可愛い顔して言うことは言うね。おじさんの娘かい。」

「ああ、私の娘だ。」

「ちょっと跳ねっ返りで困っているが、言ってることは正しい。」

「だから、後ろに並びなさい。十五分とは、待たないだろう。」

「待つのが、かったるい。」

「だったら、何で一番前に割り込まないんだ。」

「別に。」

「はは、一番前は男四人組だからだ。」

「私たちの後ろは、みんな家族で文句言わないと踏んだわけね。」

「男のくせに肝っ玉が小さいのね。」

「ミコ、その言葉、はしたないですわ。」

「良いの。こんな奴ら、まともに話したって、しょうがないわ。」

「さっさと後ろに並びなさいよ。」

「あなたたち、ちゃんと列に並んでくださいね。」


ミコとミカ、言葉使いは正反対だが、美しすぎる二人の女性から社会規範を守るように諭されてしまった彼らは、すごすごと最後尾に移動した。


「ジン、トラン。やっぱり、私たちの方がことを穏便に済ませますわ。」

「たまたまでしょう。いつも、上手くいくとは限らないよ。」

「ミカ、私たちだって、好きで喧嘩をするわけではありません。相手次第です。」

「私は、喧嘩になっても構わないけど。」

「ミコ、だめですわ。暴力では、何の解決にもなりませんわ。」

「暴力は、暴力を生むだけですわ。」


「やっぱり、口の中やけどしただけで味が分からなかった。」

「先に、出て店先で待ってるよ。勘定は自分持ちね。」

「お父さん、私の分も払っておいて。」

「そうは行くかの焼きはまぐり。神定プロダクションの社長が、せこいよ。」

「自前で、じゃ、外で待ってるから、ごゆっくり。」


「お父さん、さっきの連中に路地裏に連れて行かれたみたい。」

「クウが言ってる。」

「やっぱり、穏便には行きませんでしたね。ミコ、私が行きます。」

「いいよ、お父さん一人で十分だから。しっかり残さずに食べて。」

「分かっていますけど。」

「私も助けに行ってあげたいけど、ジンに大きなお世話と言われかねませんわ。」

「分かりました。残さずに食べてから行きましょう。」


「君たち、もうラーメンは良いのか。」

「おじさんの連れに注意されて、ばつが悪くなっていづらくなったし、ラーメンも食べる気がなくなりました。」

「そこで相談なんですけど、おじさん。」

「フランス料理のフルコース代4人分を出しても貰えないでしょうか。」

「何で私が金を出さなきゃならないのかね。」

「当然でしょ。人前で恥じかかせて、僕たちの食欲も損ねました。慰謝料です。」

「君たちは、やくざか。因縁付けて。」

「違います。学生です。」

「学生さんか。こんなことしてたら退学処分になるぞ。」

「大丈夫。おじさんが警察に訴えなきゃ、問題ありません。」

「こんなことして、私が訴えないわけないだろう。」

「それも、大丈夫。おじさんが訴えられないように弱みを握りますから。」

「私には、そんな弱みはないぞ。」

「これから、その弱みを作るんですよ。」

「どうやって。」

「それは、これからのお楽しみです。」

「連れてきました。」

「ミコ。何でここに。」

「ラーメン食べ終わっていないのに、この連中の一人に呼び出されて。」

「他の二人は。」

「ラーメン食べてる途中だったから、一人で行くわって言ってきた。」

「それで、一人で来たわけだ。」

「それが、おかしいんですよ。」

「普通だったら、後二人も一緒に来ると思うでしょう。」

「それが、この女一人だけ行かせて平気でラーメン食べてるんですよ。」

「おじさんの連れは、薄情ですね。」

「ちょっと考えりゃ、この娘が危ないって分かるはずなのに。」

「いいや、薄情なわけじゃないよ。」

「ところで、話は変わるけど、娘を連れて来なければ穏便に金をくれてやろうと思ったけど、連れて来てしまった以上は事は穏便に済まされなくなったね。」

「お父さん。お金をやったからって大人しく帰る連中じゃないよ。」

「そのとおり。警察に訴えられても困るから、おじさんの娘の裸の写真を撮らさせて貰います。」

「ついでに俺たちも楽しませて貰うってわけです。」


彼らの一人が、私にナイフを突きつけ、一人が娘を羽交い締めにし、一人が撮影、もう一人が犯し役となった。


「随分、手際が良いもんだ。」

「こんなに手慣れているということは、同じ様なことを何度もしているということだな。許せんな。」

お父さんは大人しくしてて、彼に怪我を負わせちゃだめだからね。」

「ミコこそ。大人しくしなきゃ。彼らをやっつける気だろう。」

「親子で何言ってるんですか。やられるのは、あなたたちですよ。」

「今までに何人も犯してきましたけど、こんな奇麗な娘は初めてです。」

「股間がビンビンです。」


犯し役の学生がミコの服に手を掛けた瞬間、彼女は羽交い締め役の男の足を踵で踏みつけた。彼が怯んで腕の力を緩めた瞬間に羽交い締めから逃れ、服に手を掛けた男を私にナイフをかざしている男目がけて投げ飛ばした。次の瞬間、羽交い締め役の男に向きを変え、今度は、撮影役の男目がけて投げ飛ばした。あっという間に四人とも気絶した。


「ミコ、投げ飛ばさずに秘孔を突けば済むことなのに。」

「だって、許せないでしょう。何人も犯したって言う話を聞いちゃ。」

「そりゃ、そうだが。どうやら、大怪我はしていないようだ。打ち身だけだ。」

「当然よ。手加減したもの。」

「ジン、ミコ。ことは、既に済んでしまったようですね。」

「あら、ジン。暴力は、いけませんわ。」

「私じゃないよ。ミコの仕業。」

「ミコったら。暴力は、いけませんわ。」

「そんなこと言ったって。それじゃ、私が黙って犯されれば良いって言うの。」

「そんなことになっていたのですか。」

「ああ、トラン。この連中、恐喝、暴行、強姦を繰り返し、被害者の裸や強姦場面を撮影して被害届を出させないように脅迫していた。」

「黙って言いなりになっていたら、私とミコも同様な被害者になっていたよ。」「証拠は、そのビデオカメラに入っていると思う。消しといてくれ。」

「はい、ジンたちの部分は消しときますが、他の被害者が五人移っています。」「女性ばかりです。男は、どうやら、ジンだけのようです。」

「私は、被害者と言うよりも、ミコを呼び出す餌と言ったところだよ。」

「ミコを強姦して、なおかつ、恐喝、脅迫と一石三鳥を狙ったんだろう。」

「卑怯な連中だ。」

「しかし、ミコが来なけりゃ、彼らの要求した金を渡して済まそうと思ったが。」

「だめですわ。そんなことをしても、問題の解決になりませんわ。」

「でも、ミカ。暴力はだめ。話し合いでもだめじゃ、後は逃げるしかないよ。」

「ジン、それも根本的な解決になりません。他の被害者が増えるだけです。」

「トランの言うとおりだ。これ以上の被害者を出さないためには戦うしかない。」

「そうですね。他に解決策がないのでしたら、仕方ありませんわ。」

「ところで、この連中、どうします。」

「そうだな。警察に送り届けよう。このビデオカメラと一緒に。」

「皮肉なものですね。自分たちが訴えられないように撮ったビデオが、今度は彼らの犯罪の証拠になってしまうとは。」

「自業自得、悪い事をすれば、その責任は必ず自分に返る。これ必然。」

「でも、私たちが警察に連れて行ったら事情聴取されて面倒なことになります。」

「だったら、駅前に結構大きな交番があったよ。」

「ガラス張りの交番、そこのトイレにゼロで置いてきたら。」

「ミコのアイデア採用。」

「トラン、ビデオカメラからの中身を数枚印刷して彼らのおでこに張っておこう。」

「交番のトイレに何の前触れもなく唐突に彼らが気絶しているのは、不自然だけど。後は、野となれ山となれだ。」

「警察が勝手に都合の良い解釈を作り出すだろう。」


ゼロで駅前交番のトイレに彼らを届け、用たしに来た警官が彼らを発見したところまで確認してから、私たちは札幌駅前通りを狸小路に向かった。途中、私の携帯にメグから電話が掛かってきたので運転をミカに替わって貰った。当然、車を止めて替わったわけではない。走行中の一瞬の出来事である。もし、この事を見た人がいたとしたら大問題になるだろう。


「はい、ジンです。」

「ジン、大変です。」

「今、狸小路に友達と買い物に来ているのですが、後、十分ぐらいしたら暴走車が何人もの通行人を跳ねて突っ込んでくる光景が、頭に浮かんできました。」「そして、私が轢かれそうになっている女の子を助けようとして、一緒に轢かれてしまいます。」

「分かりました。ゼロで直ぐに向かいますので、どこでも良いですから人目に付かないところに移動してください。」

「はい。」

「ミカ、流石に車ごと消えるわけに行かないから。三人だけで先に行くけど。」

「分かりました。私は、ホテルの駐車場に車を入れた後、合流しますわ。」

「それじゃ。」


今度は、一瞬に人が入れ替わるのではなく、消失してしまった。


「見てた人がいるかな。」

「大丈夫です。」

「何を根拠に自信たっぷりに言えるのかな。トラン。」

「都会人は、すべからく他を気にする余裕も関心もありません。」

「その証拠に、何の騒ぎにもなっていません。」

「まさに、そのとおりだろう。見ていたら吃驚して事故になっているかも。」

「そんな心配よりメグだ。今、どこにいる。」

「はい、ここです。」

「おっ、吃驚した。」

「既に、何人かが犠牲になっています。」

「あの娘です。私が咄嗟に助けようとして二人とも轢かれてしまいます。」

「了解。メグはここで待機ね。代わりに私が助けに行ってくるから。」

「ジン、よろしくお願いします。私では助けられません。」


私は、人目に付かないようにゼロから降り彼女に近づいた。次の瞬間、黒のワゴン車が、まるで黒豹のごとく猛烈な速度で、車の接近に気がついていない彼女に襲いかかった。私は、目にもとまらぬ早さで彼女を腕に抱きかかえ、道の真ん中から端っこに避けた。すると黒豹は、一度狙った獲物は逃さないとばかりに、少女を抱きかかえている私に向かって突進してきた。私は、再び避けた。すると車は、猛烈な速度でハンドルをきる間もなく、アーケードの太い支柱に激突して止まった。


「おじちゃん。誰。」

「通りがかりのおじさん。危なかったね。」

「何が。」

「あれ、気が付かなかった。」

「何が。」

「いや、それなら良いんだ。お嬢ちゃんは、小学生。」

「うん、二年。」

「名前は。」

「美由紀。」


母親が、車の激突音を聞いて店から飛び出してきた。外の光景を見て吃驚して我が子に近づき抱きかかえた。


「あなたは、誰ですか。いったい何があったのですか。」

「私は、通りすがりの者です。車が暴走して何人もの人を襲ったようです。」

「美由紀ちゃんは、このとおり無事です。私は、これで。」


状況が飲み込めずに呆然としている母親を後に、私はその場を立ち去りゼロに戻った。


「ミコ、死んだ犠牲者は。」

「暴走車の運転手を含めて五人。みんな成仏したわ。」

「でもね、お父さん。車の人、暴走してる時は、負のエネルギーを取り込んでいたわ。」

「しかも一人のエネルギーじゃなく数人のエネルギー、はっきり分からないけど。」

「どういうことだい。」

「彼が死んだとき、一瞬にして消えてしまったから。はっきりしないの。」

「ハモニーのところに行ったんだろう。」

「いいえ、ハモニーのところに行っていません。」

「クウ、どういうことだい。」

「負のエネルギーは、この世に何らかの未練があって残ってしまった魂です。」「ですから、その未練がなくならない限り、成仏、つまりハモニーの所には行きません。」

「そのために私たちの仕事があるわけです。」

「そうすると、死んだ彼の魂は成仏して彼に取り憑いた負のエネルギーはここにいるはずだ。」

「それが、さっき言ったでしょ。消えてしまったって。」

「クウ、魂は自ら移動できないよね。」

「そのとおりです。移動するには、人の中に入らないと。」

「でも、ジン。」

「なんだい、トラン。」

「暴走車の彼は、一切、創始者の遺伝子を持っていません。」

「負のエネルギーを取り込む能力もありません。」

「それじゃ、ミコが感じた負のエネルギー、しかも複数の者のエネルギーは、どうやって彼に取り憑き、今、また、どうやって消えたんだろう。」

「それは、私にも分かりません。」

「そうか、クウでも分からないんじゃ、しょうがない。」

「私らの出番がない以上、後は、警察に任せてホテルに行こうか。」

「メグを帰さないと。」


メグを降ろし、私たちはミカと合流した。


「不思議な話ですわね。」

「普通の人が、負のエネルギーを取り込むことは不可能ですわ。」

「そうです。」

「負のエネルギーを取り込むには、負の思考に囚われ主体性をなくし、なおかつ、負のエネルギーが存在する近くを通ることと、何らかの超自然的条件を満たさないと不可能です。」

「これらの条件を満たしたとしても、一人の人間が複数の負のエネルギーを取り込むことは不可能です。」

「ミコ以外は。」

「クウ、そう言えば、前にも不思議なことがあったね。」

「動物の霊が、人に取り憑いた件ですか。」

「そうそう。」

「動物は、怨念や嫉妬とかの負の感情が希薄だから、死ぬと魂は無条件に成仏する。」

「だけど、あの時は、この世に負のエネルギーとして留まり、しかも人に取り憑いた。」

「はい、動物の霊が負のエネルギーとして現世に留まることも、ましてや、人間に移ることも不可能です。あり得ません。」

「あり得ないと言えば、もう一つ。グランドキャニオンの件もです。」

「あの時も複数の負のエネルギーが取り込まれ、あまつさえサイコキネシスも。」

「しかし、現実に起こっている。原因は分からないけど。」

「二度あることは、三度あると言うだろう。これからは、気を付けないと。」

「どうやって、気を付けるの。」

「今度は、ミコか。」

「そうだな。今までは、ハモニーが言ったように、通常の暮らしの中で負のエネルギーと出会い、説得してハモニーの下へ送り出してきたけど。」

「今度からは、積極的に行動してハモニーから託された仕事をしないと。」

「ジン。積極的に行動するとは、具体的にどうしようということですか。」

「例えば、ニュースの死亡事件を元に、検証するというのはどうだろう。」

「ジン、情報源はニュースに限らず、全てのネットワークを使いましょう。」

「私は、全地球の情報網とアクセスしています。」

「トラン、それは良い考えだ。」

「よろしくと言いたいけど。」

「全ての事件を検証していたら、こっちの身が持たないよ。」

「それなら、事件を取捨選択しましょう。」

「どうやって選ぶんだい。」

「そうですね。例えば、大量殺戮や連続殺人を検索条件でふるいに掛けては。」

「良し、そうしよう。プラス奇怪な事件も。」

「絞り込めば、そう沢山はないだろうし、そのような事件を起こす犯人は、負のエネルギーを取り込んでいる可能性が大きい。」

「今までより、効率よく仕事ができると思う。よろしく、トラン。」

「はい。ところで、次の予定は。」

「次の予定は、海の幸を堪能することだよ。」

「お父さん。私、イクラを沢山食べたい。」

「イクラだけじゃないぞ。カニ、ウニ、ホッケ、イカ、マグロ、何でも美味しいぞ。」

「さあ、行くぞ。とは、言ってもどこに行こう。」

「狸小路を歩いてみませんか。」

「ミカの案に、賛成。」

「それじゃ、女性陣の要望に応えて、夕食の時間まで狸小路を散歩がてら歩こう。」

「そうですね。犬も歩けば、棒に当たると言いますから。」


私たちは、狸小路5丁目から1丁目方向へ歩くことにした。7丁目方向は、先ほどの暴走車の事件で慌ただしい状況を呈していた。どうやら女性陣の狙いは、ウインドウショッピングにあったようだ。


「ようも飽きずに、見て回れるものだ。これで何軒目だ。」

「はい、五軒目です。」

「何軒回っても、気に入った物がないのかな。」

「気に入った物はあったけど、即決はしないの。」

「もっと安くて良い物があるかも知れないから。」

「でもね。付き合わされるこっちの身にもなってくれよ。」

「良いじゃないですか。ジン。札幌のファッションは、東京の流行と同じです。」「三重県にはない服飾が沢山あります。夕食まで時間もあることですから。」

「ここは、彼女たちに付き合いましょう。」

「私たちは、その間に食事所を探しましょう。」

「男性向けのお店は結構あったけど、女性向けのお店って少ないね。」


狸小路五丁目から一丁目までの間、なんと彼女たちは十二軒のブティックを巡り、買った物はTシャツ、パンツ、スカートなどなど、バーゲン品ばかりを安いと買いまくって狸小路を満喫したようだ。


「ねえ、お父さん。良いお店あった。」

「それが、男同士なら良い店があったけど、女性同伴となるとね。」

「何だ。見つけてないの。」

「言ってくれるね。」

「あったとしても、こんなに沢山の荷物を持ったまま店に入れないよ。」


私とトランは、彼女たちの召使いのごとく両手に何個も袋を持たされていた。


「それでは、取り敢えずホテルに荷物を置いて、すすき野界隈でお店を探すことにしたら良いと思いますわ。」

「ミカ、簡単に言うけど。こんなに沢山の荷物を持たせてホテルまで歩くわけ。」

「そうですわ。二人とも力持ちで疲れを知らないタフガイですから。」

「そうよ。男二人。弱音を吐かないの。」

「ゼロを使いましょう。」

「トラン。それは、駄目。」

「仕方ない。帰る途中に、良いお店があるかも知れない。」


結局、帰りの道すがらにも適当な店は見つからなかった。


「あれ、気が付かなかったけど、ホテルの隣に良い店あるじゃないか。」

「灯台もと暗しとは、このことですね。」

「荷物を置いて一休みしたら食べに行こう。」


私たちは、ホテルに隣接する西急プラザの二階に有る飲食店に入った。


「今日は、私の奢(おご)りだ。遠慮せずに食べたい物をどんどん頼んで構わないよ。」

「ジン、太っ腹ですね。」

「何言ってんのよ。トラン。出どころは、会社でしょう。」

「ミコ、それは違うな。会社の経費じゃ落とせないよ。」

「昔は、接待費という名目で飲食代を会社経費で落とせたけど。今はできない。」「だから、ここは私の給料から払わなくてはならないんだよ。」

「けじめは、ちゃんと付けないとね。」

「分かった。それじゃ、お父さんの奢りで、私、イクラとカニ。」

「それじゃ、先ずは、刺身の盛り合わせといきますか。それと乾杯に生ビール。」「今日一日で本の売り込みは終わったから、会社の夏休みということで明日からは北海道を満喫しよう。」

「営業部長に賛成しますわ。」

「経理部長のミカは賛成で、社長と総務部長は。」

「私も賛成。」

「総務部長って。」

「トランのことだよ。」

「私が総務部長ですか。」

「そう、会社の夏休みだから、雰囲気出して取って付けた肩書きで呼んだだけ。」

「そうですか。じゃ、総務としても異議なしです。」

「これで各部門、賛成ということで、明日は、九時出発、先ずは旭川経由、美瑛、富良野方面へ行こう。」

「今の季節、ラベンダーが満開だ。」

「その後は、風任せで明日考えることにして。さあ、北の幸を堪能しよう。」


翌日、私たちは、ホテルを出発し、国道十二号線をひたすら旭川へと走った。 


「やっぱ、北海道は広いね。旭川に来るだけで、お昼になちゃった。」

「ジン、時間も掛かりましたが、もう一つ問題が。」

「今日の宿泊場所だろう。」

「はい、市内はどこも満杯です。」

「市内じゃなくて、旭岳温泉で泊まれる旅館がないか検索してみて。」

「お金に制限を掛けなきゃ、何処か空いてると思うよ。」

「ありました。四人一部屋で一泊一人、一万九千八百円。」

「そう高くないけど、一部屋か。」

「二部屋にすると、二万五千円になります。」

「私たちは、一部屋でも良いですわ。ねえ、ミコ。」

「うん、構わないよ。お金は、なるべく節約した方が良いと思うしね。」

「分かった。女性陣が、そう言うなら。」

「それと、ジン。一部屋と言っても二間に分かれています。問題なしです。」

「じゃあ、そこに予約して。」

「はい。チェックインは、十五時以降になっています。」

「まだ、時間あるね。」

「私、この街の動物園、見たい。」

「ミコは、子供ですか。」

「トランは、見たくないの。そんじょ、そこらの動物園とは違うんだよ。」

「私も見たいですわ。」

「私も。」

「ジンもですか。良い大人が。」

「そんなこと言わないで行こうよ。いろんな工夫が凝らされているんだから。」

「トラン、多数決だ。行くしかないよ。」

「分かりました。それじゃ、行きましょう。」


「入園料大人八百円。意外と安いね。千円はすると思っていたけど。」

「ジン、何処の動物園でも千円は取りません。だいたい六百円前後です。」

「そうか。となるとここの動物園は、ちょっと高めかな。」

「その分、他にない工夫が沢山あるわ。」

「さあ、入りましょう。」


「わあ、可愛い。アザラシが、こんな間近に見られるなんて。」

「アザラシにしてみれば、こっち側が動物園かも。人間ウォッチングだって。」

「目と目が合いましたわ。なんて愛くるしい目をしているのかしら。」

「虎や北極熊みたいな猛獣を、普通下から見られないよ。」

「ほら見て、虎の肉球って猫と同じ。」

「そりゃ、そうでしょう。虎も猫科ですから。」

「ほう。この状況が、ペンギンが空を飛ぶということか。」

「本当に、凝った工夫がなされている動物園ですね。」

「そうだろう。トランも来て良かっただろう。」

「はい、地球の動物を間近に見ることができました。ほんの一部ですが。」

「これでひととおりり見たし、時間も良い頃になったから宿に向かうとしよう。」

「ちょっと待ってください。」

「なんだい。クウ。」

「負のエネルギーを感じます。どうやら、あの父娘の親の方です。」

「あの二人は、親子ではありません。他人です。遺伝子が違います。」

「えっ、でも親子ほど年が離れているし、カップルとも思えないけどな。」

「どういう関係かは別として、彼には負のエネルギーを取り込める能力はありません。」

「むしろ彼女の方が創始者の遺伝子を一部受け継いでいます。」

「トランのセンサーに誤りはないから、言っていることは正しいと思うけど。」「どういう関係だろう。年の差カップル、援助交際。」

「お父さん。そんなことは、どうでも良いわよ。」

「狸小路の時と同じように、負のエネルギーは一人の者じゃないわよ。」

「三人いるわね。彼には、負のエネルギーを取り込める能力もないし、ましてや複数の負のエネルギーとなると、ますます無理なことね。」

「私なら取り込めるけど、あのおじさんには無理。」

「どういうことだい。」

「私にも、クウにも分からないわ。」

「ジン。取り敢えず彼らを尾行して、彼に取り込まれている負のエネルギーをハモニーのところへ送り込まないと。」

「クウの言うとおりだ。このまま放って置くわけにもいかない。」

「チャンスを見て負のエネルギーには、ミコの中に移って貰うことにしよう。」

「それなら、簡単よ。」

「私が彼に触れさえすれば、負のエネルギーを私に移せるわ。」

「そうです。ミコの力を持ってすれば、いとも簡単にできます。」

「大変ですわね。一人でミコになったり、クウになったり。」

「ミカも、そう思うだろう。ミコとクウ本人は、混がらないみたいだけど。」

「聞いている方は、どっちが言ってるのか。訳わかめだよ。」

「昭和の親父ギャグ。寒いですわ。ジン。」

「言葉使いで分かると思います。」

「今のは、クウだ。言葉が丁寧。」

「じゃ、私は汚いって言うの。」

「そのとおり。」

「ミコ。ミカの爪の垢を煎じて飲めば、ミコも女らしい言葉使いになると思うぞ。」

「良いの。私は、私だから。それじゃ、彼にそれとなく触れてくるから。」


「あっ、済みません。よそ見して歩いていたもので。」


「負のエネルギー三人分、ゲット。」

「この三人のエネルギーは、大分劣化しています。」

「クウ、エネルギーの劣化って、どういうことだい。」

「はい、人から人へ移るたびに、エネルギーが消費されるということです。」

「つまり、この三人は、違う人に何回か移動したということだね。」

「はい、人は死んで負の世界で生まれ変わる分には、エネルギーの消費はありません。」

「物理学で言うエネルギー保存の法則と同じと考えてください。」

「しかし、負のエネルギーが正の世界に留まるためには、自らのエネルギーを消費しなくてはなりません。」

「人に移るとなると、その消耗は一段と激しくなります。」

「エネルギーを使い切ったら魂はどうなるんだい。」

「その魂は無になり、負の世界に転生することができなくなります。」

「これも、また、宇宙の崩壊を招きます。」

「少しでもエネルギーが残っている内に、ハモニーの下へ送り出さなくてはなりません。」

「そうか、この世に負のエネルギーは、永久に存在し続けることができないんだ。」

「それで分かった。」

「ミコ、何が分かったのですか。」

「だから。そうじゃなかったら、この世は負のエネルギーだらけになってるでしょう。」

「そしたら、ハモニーから託された仕事が忙しくて、こうして旅行なんてできる余裕なんかないはずよ。」

「今まで、どれだけの人が死んで、どれだけの魂がこの世に留まったか。」

「数え切れないでしょう。」

「良し、クウ。この話は置いといて、この三人の話を聞いてみよう。」

「彼らが、この世に留まった理由は。」

「はい。三人とも異常に偏重した性癖への執着が、この世に留まった理由です。」

「偏重した性癖とは。」

「全く許せない。私の手で殺してやりたいくらいよ。」

「ミコ、彼らは、既に死んでるよ。」

「何度殺しても、殺したりないわ。地獄行きよ。ねえ、ミカ、聞いて。」

「はい。」

「一人は、強姦魔。一人は、死姦マニア。もう一人は、幼児猥褻の常習者。」

「三人の犠牲になった被害者は数え切れない。」

「本人たちも覚えきれないほど、欲望のままに罪を犯したと言ってるわ。」

「魂になった彼らには嘘がつけないから、彼らの言うことに偽りはないでしょう。」

「死姦マニアは、当然死刑になったけど。」

「他の二人は、何度も刑務所に入ったけど、出てくるたびに再犯して犠牲者が増えたわ。それでも、死刑にならない。」

「仕方ないさ。現行法では、強姦や幼児猥褻を繰り返しても、死刑にはできない。罪状以上の刑を与えることを禁じている。」

「たとえ殺人でも、永山基準を参考に死刑に値するか否かを判断している。」

「人を殺さなきゃ、死刑にならないなんて不公平だわ。」

「被害者からすれば、殺されたも同然よ。彼女たちの将来を奪った。」

「自殺した被害者もいると思うわ。」

「ミコの怒りは分かるけど、罪を憎んで人を憎まずだ。」

「ところで、永山基準って、どういう基準ですの。」

「ミカ、私もよく知らないんだ。」

「確か、被害者の人数や残虐性とかだったかな。」

「はい。犯罪の性質、犯行の動機、犯行の態様、特に殺害方法の執拗性、ジンが言った残虐性や殺害された被害者の数、結果の重大性、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状といったところが、具体的に示されています。」

「この基準に照らし合わせて、死刑が妥当かを判断しています。」

「基準の話は、それくらいにして、彼らに成仏、つまり、ハモニーの所に行くよう言ってくれないかい。」

「すんなり聞いてくれるとは思わないけどね。」

「いいえ、彼らは素直に成仏すると言って、既にハモニーの下へ行きました。」

「今回は、私の出番はなしか。しかし、どうして素直に成仏したんだろう。」

「私が説得しました。」

「クウが、どうやって。」

「はい。このまま現世に留まれば、あの世で生まれ変われなくなる。」

「今なら、まだ、間に合う。」

「魂としてのエネルギーがゼロになったら、二度と転生輪廻ができなくなることを教えました。」

「そんなこと教えちゃって良かったの。」

「大丈夫です。正から負の世界に生まれ変わる時は、精神エネルギーは純粋な生命エネルギーに変わります。」

「正の世界で生きた記憶や思い出など、全てが消えてなくなります。」

「無垢の赤ん坊として生まれ変わります。」

「負から正への世界に生まれ変わる時も同じです。」

「ですから、問題はありません。」

「そうか、そうやって両宇宙のバランスが取れているんだ。」

「クウ、一つ質問が。」

「何ですか。トラン。」

「エネルギーがゼロになった魂は、文字どおりの無にはならないはずですが、エネルギー保存の法則からすれば、形を変えて残っていると思います。」

「例えば、電気が熱に、熱が光になるなど、元のエネルギーは形態を変えて保存されています。」

「同様に、無となった精神エネルギーは、何に形を変えたのでしょうか。」

「それは、私にも分かりません。ハモニーなら知っていると思います。」

「今度、ハモニーに会うことがあったら聞いてみよう。」

「他にも聞きたいことあるしね。」

「例えば、ミコのような能力がない人が、なぜ負のエネルギーを取り込めたのか。」

「しかも複数の負のエネルギー、それと動物の魂が現世に留まり人に取り付いたわけ。」

「何よりも私たちにハモニーから託された仕事が、ちゃんとできているのか。」「こんなやり方で良いのか聞いてみたい。」

「ところで、先ほどの二人はどこに。何か嫌な予感がする。」

「大丈夫でしょうか。彼が負のエネルギーを取り込めたということは、彼の心が闇に支配されているということです。」

「このままでは、彼女が危険です。」

「負のエネルギーを切り離したことで油断仕切ってしまった。」

「彼の本質は、成仏した三人と同じだ。」

「だから何らかの方法で、あの三人は彼に取り憑くことができたんだ。」

「早く見つけないと。トラン、頼む。」

「既に、ゼロに探索させていますが、二人の情報が少なく時間が掛かります。」

「何か手掛かりは、急がないと。」

「そうだ、この界隈に生息している動物たちにも捜索を頼もう。」

「前に、カラスに手伝って貰ったことがある。」


私は、彼らの容姿を思い浮かべながら、私の願いに応えてくれる動物との交信を試みた。するとカラスは、もちろん。他の鳥たちや猫、犬たちの協力を得ることができた。しかし、やはり手掛かりとなる情報が、彼らの容姿だけでは少なく見つけ出すことができずに時間だけが過ぎた。


「無理か。街の中に消えた二人を捜すのは。協力ありがとう。」

「後は、私たちだけで探すから、みんなは、普段の生活に戻ってほしい。」

「重ねてありがとう。」


私は、協力してくれた動物たちに、礼を言って別れを告げた。


「ゼロでの探索は続けます。私たちは、今日の宿に向かいましょう。」

「それと、霊を取り込んでいた男は、半年前に出所してきたばかりです。」

「罪状は。」

「やはり、強姦殺人です。犠牲者は、何の落ち度もない行きずりの女性です。」「懲役二十年の刑を受けています。同様な罪で三回服役しています。」

「そんなこと、どうして分かったの。」

「はい、ミコ。それは、先ほどスキャンしたときの彼のDNAを、警察庁のデーターベースと照合したのです。」

「彼女、大丈夫かな。」

「出所したばかりだ。直ぐに再犯はしないと思うけどな。」

「そうですね。今頃は、家に帰っているかも知れませんわ。」

「是非、そうあってほしいものだ。しかし、累犯四入だからな。」


私たちは旭岳温泉の湯につかり、ご馳走に舌づつみを打ち明日の行き先を考えたりしている内に、彼女のことを忘却の彼方へと追いやってしまった。


「明日は、ちょっと早めに出て、国道二百三十七号線、通称花人街道沿いに富良野方面に行こう。」

「ラベンダーが真っ盛りだ。本当、奇麗だぞ。内地にはない景色だ。」

「楽しみですわ。」

「私は、花より団子だな。」

「それも、OK。ラベンダーのソフトクリームやじゃがバターもあるし、花の香水とか化粧品も買える。」

「まあ、今の北海道は、女性陣が欲しがる物ばっかりだ。」

「男としては、北海道の雄大な景色がピッタリというところかな。」

「明日の宿泊場所については、私が予約しておきます。」

「トラン、頼みますわ。それでは、お休みなさい。」

「お休み。」


「ラベンダーばかりじゃなくて、ポピーやサルビア、マリーゴールド、ケイト、日々草、金魚草、かすみ草、デージー、春夏の花が一遍に咲き誇っていますわ。」

「ミカ、凄い。花の名前、良く分かるね。」

「女なら、そのくらい知らなくちゃ。」

「じゃあ、お父さん。知ってるの。」

「おれは、男だ。花は、花。木は、木だ。ミコは、男か。」

「男、女は、関係ないと思いますわ。」

「そうです。私は、男ですが、全て知っています。」

「そりゃ、トランは知ってて当たり前だよ。」

「地球ばかりか、宇宙の全てを知ってるんだから。」

「全てでは、ありません。」

「創始者の科学力を持ってしても解明できないことは沢山ありました。」

「例えば、生まれ変われなかった生命エネルギーは、一体何に変わるのか。」

「一つの仮説としては、現在の地球人が提唱するダークエネルギーになるという考え方をする人もいましたが。」

「あの宇宙を膨張させているという力のこと。」

「はい。地球人は、この正体不明のエネルギーのために、宇宙は加速度的に膨張していると考えています。」

「このままだと、原子すらも引き裂かれ、宇宙は消滅します。」

「逆に、減少すれば、今度は宇宙全体が一点に潰れるという説もあります。」

「でも、ハモニーは、正負の世界の均衡が崩れると宇宙が消滅すると言っていたなあ。」

「科学者が提唱しているビッグリップにしても、ビッグクランチにしても、宇宙が消滅する原因じゃないと思うよ。」

「ねえ、ねえ、ビッグリップとか、クランチとかって何。」

「ハンバーガーの種類。」

「違います。」

「先ほども言いましたが、現宇宙はダークエネルギーという未知の物質によって加速度的に膨張しています。最後には、原子すらも膨張して引き裂かれ宇宙は消滅します。これが、ビッグリップ。」

「一方、そのエネルギーがある時点で減少するかなくなることで、今度は引力によってある一点に潰れて宇宙が終焉するという説が、ビッグクランチです。」

「なーんだ。どっちにしろ宇宙は終わっちゃうんだ。」

「どちらも、仮説で証明はされていません。」

「地球人類は、宇宙誕生時には物質と反物質がほぼ同量で対消滅した時に、僅かに反物質が少なかったために現在の宇宙ができたと考えています。」

「しかし、創始者たちは、物質、反物質とも全くの同量で誕生し対消滅を避けるため、何らかの大いなる意思が作用して二つの宇宙になったと考えています。」

「それは、ハモニーが言っていたことと同じだから、創始者の方が正しいね。」「物質世界と反物質世界。イコール、ハモニーが言っていた正負の世界だ。」


私たちは、花人街道沿いにある幾つかのフラワーガーデンを訪ね、次に北の国からのロケ地で有名な麓郷を経て、本日の宿泊場所、然別湖畔温泉に向かった。


「良い部屋だね。」

「本当、然別湖が一望できて素晴らしいですわ。」

「トラン、ありがとう。」

「皆さんに喜んで頂けて良かったです。」

「また、温泉に入ってのんびりしましょう。」

「よっしゃ、夕食前に一風呂浴びよう。と言いたいところだけど。」

「四人で一部屋。」

「はい。一二畳ありますから十分です。」

「部屋の広さじゃなく二間に分かれてないね。」

「私たちは、一緒で構いませんわ。ねえ、ミコ。」

「うん、問題なし。」

「私も女性陣が良いと言っている以上は、一緒で構いません。」

「私は、自信ない。」

「えっ、なんか言いましたか。ジン。」

「声が小さくて聞こえませんでしたわ。」

「自信がないって、どういうこと、お父さん。」

「あっ、何でもないよ。みんなが良ければ、文句ないよ。さあ、風呂行こう。」


「明日は、阿寒湖から屈斜路湖と摩周湖を見て釧路に行こう。もう寝るよ。」

「お休みなさい。」

「お休み。」


「ジン、寝られないのですか。」

「ああ、悶々として寝付けない。」

「しかし、ミカたちは、無邪気な顔して爆睡してるね。」

「こう無防備だと襲いたいという気が削がれる。」

「ジンは、不謹慎です。ミコの前では絶対駄目ですよ。」

「そう言うトランは、ミコとしたいと思ってんじゃないの。」

「それは、私も男ですしミコが大好きです。」

「できたら抱きしめたいと思っています。」

「でも、ミコの気持ちが分かりません。」

「親父の前でぬけぬけと。婚前交渉は、私の目の黒いうちは絶対駄目だからね。」

「ミコが許してもですか。」

「もちろん。結婚するまでは、許せないよ。」

「ところで、そんな話をするために、話しかけたわけじゃないよね。」

「はい、警察無線で昨日の男の情報が入りました。」

「どうやら、警察は出所した彼の動向を追跡していたようですが、半月も経たないうちに見失い全国の所轄を通して探していたようです。」

「まあ、警察も常習犯を手放しで釈放するわけないからね。」

「特に、強姦殺人、幼児猥褻などの性犯常習者は、地域住民には情報開示はしないけど、警察同士では情報交換をして絶えず見張っているよ。」

「但し、その情報網をかいくぐり再犯を繰り返す者がいる。」

「被害者は、増えるばかりだ。」

「今回も被害者が出ました。彼は、職務質問をした警官を殺したようです。」

「主要幹線に検問所を置いたようですが、まだ、網に掛からないようです。」

「あの時の少女は、どうなってるかな。」

「何事もなく家に帰っていることを願うよ。」

「警察無線の内容では、少女の話は出ていません。」

「彼は、旭川署の警官に職質された際、警官の拳銃を奪い彼を撃ち札幌方向に車で逃走したようです。」

「車の情報は。」

「はい。ボンゴを改装したキャンピングカーで番号は、札幌ほ・・・・です。」但し、この番号は、陸運局に登録されている車とは一致していません。」

「偽造です。」

「ゼロの探索結果は。」

「旭川、札幌間の全ての道路と地域をスキャンしましたが見つかりません。」

「ゼロの能力を持ってしても見つからないということは、札幌方向に逃げると見せかけて実は逆方向の名寄か。」

「北見に向かって逃げているかも知れないな。」

「既に、ゼロでスキャンしています。見つけました。」

「国道三十九号線沿いにある層雲峡オートキャンプ場です。」

「なるほど、木を隠すには森の中か。大胆だね。早速行こう。」


ミカとミコも連れてキャンプ場に乗り込んだ。既に、夜中の十二時を過ぎていたが、バーベキューやらキャンプファイヤーで場内は賑やかであった。そんな中心部から離れた人目に付かない一角に、目的の車がポツンと一台だけ駐車していた。彼はせっせとナンバープレートを交換していた。


「取り敢えず私一人で行ってみるから、彼がどんな行動に出るか分からない。」「彼は、人を殺すことに躊躇いはない。むしろ楽しんでいる。」

「分かりましたわ。まずは、ジンにお願いしましょう。」


「あの、手伝いましょうか。」


私は、車にしゃがみ込んでプレートを交換している彼の後ろから、のぞき込む様な形で彼に話しかけた。すると彼は、いきなり私のこめかみに向け拳銃を発砲した。私ではなく、彼が即死した。


「えっ、殺しに掛かるとは思っていましたが、いきなりとは驚きました。」

「トラン、私も思っていなかった。」

「お父さん。彼が死ぬまでは、二人の負のエネルギーが取り込まれていたけど、死ぬと同時に消えたわ。」

「どういうことだろう。」

「旭川で三人の負のエネルギーをハモニーの所へ送ったばかりなのに。」

「また、二人の負のエネルギーを取り込んでいたとは。」

「もう一つ不思議が。銃声を聞いても、誰も来ませんわ。」

「たぶん、みんな銃声だと思っていないよ。」

「花火の音くらいとしか思っていない。」

「なんせ銃声は、映画で聞いたドキュンという音と思っているから。」

「日本人は本物の銃声の音を知らない。」

「本物は、今、聞いたような乾いたパンという音だ。」

「こんなエピソードがある。」

「ある時、ニューヨークの街中でパンという音がした。」

「ほとんどの人が、その場に伏せたのに対して、ある国の人たちだけは、その場に不思議そうな顔をして突っ立っていた。」

「さあ、どこの国の人だ。」

「その話、知ってる。」

「答えは、もちろん、日本人。」

「ピンポン。ミコ、正解。」

「その後も犯人は、警官に銃を数発撃ち、警官は応戦して彼を逮捕した。」

「その銃撃戦の最中でも、日本人だけが立っていたそうだ。」

「流れ弾が飛んできて当たるかも知れないという危機感が欠如している。」

「平和ぼけ。」

「ジン、悲しい知らせがあります。」

「なんだい、トラン。」

「彼女の遺体が車の中に、それと遺体は他にも、冷凍状態で併せて三人です。」

「何てことだ。あの時、もっと注意を払っていれば、こんなことに。」

「ジン一人の所為では、ありませんわ。私たち全員の責任ですわ。」

「そうだよ。お父さん。」

「それに、犠牲になった娘は、他にも二人いる。」

「私たちの力を持ってしても助けられないものは、助けられない。」

「仕方がないよ。」

「それで、犠牲者は。」

「三人とも女性で、十六歳と十七歳が二人。」

「身元が分かるようなものは持っていません。」

「携帯は。」

「はい、プリペイド携帯で契約時の名前や年齢、住所は全て偽りです。」

「三人とも。」

「三人ともです。」

「何て世の中だ。金さえ払えば、未成年でも携帯が持てるとは、許せん。」

「全くですわ。犯罪の温床になっています。許せませんわ。」

「既に、法的規制は整備されていますが、利益優先で徹底されていません。」

「この娘たちは、こんな無責任な社会の犠牲者だ。悲しいことだ。」

「もう一つ、捜索願は出てないかい。」

「既に、照合しましたが、該当者はいません。」

「彼は、なぜ、遺体を冷凍にしているのでしょう。」

「しかも、車を改造してまでも。」

「おぞましい考えだけど、彼も元々から死姦願望を持っていて負のエネルギーが、その願望を増幅させたのかもしれない。」

「本当に、許せない。」

「自分の偏執した欲望を満たしたいだけで、彼女たちの将来を踏みにじって殺すなんて。前の時に死刑にしておけば、この娘たちは、死なないで済んだのに。」

「何が罪を憎んで人を憎まずよ。被害者は、誰を憎めば良いのよ。殺され損ね。」

「ミコの気持ちは、十分に理解できますわ。」

「でも、残念ですわ。彼女と彼の命を助けて上げられなかったことは。」

「ミカ、彼女たちは可愛そうだけど。こいつは死んで当然よ。」

「私もミコと同意見です。たとえ彼が逮捕されても、死刑にはなりません。」

「彼は、過去に三人、今回で三人、計六人を殺害しましたが、前刑については、既に二十年の刑を服し終えています。」

「現行法では、改めて今回の三人の殺害についてのみの裁判になります。」

「例の永山基準を当てはめれば、死刑にはなりません。」

「確かに、死刑にはならないと思うけど、無期刑か前回同様の二十年以上の懲役刑になるはずだ。」

「私も今回については、彼がこのような行動に出て死んだことは、自業自得だと思う。」

「彼については、可愛そうだとは微塵にも思えない。」

「後は、警察に任せるとして、この状態からして警察は、当然、自殺と考えるだろう。」

「となるとナンバープレートの交換作業中の自殺は不自然だ。」

「それでは、偽造プレートを消滅させ、工具も元の位置に片付けます。」

「しかし、何で被害者の遺体を冷凍にして持っているんだろう。」

「本当に死姦マニアになったのかな。」

「普通、犯罪者にとっては証拠の隠滅が第一だ。」

「証拠を持ったまま殺人を繰り返すのは何か不自然だね。」

「他に目的があるのかな。」

「変質者の考えることは、私たちには推し量れません。」

「彼らの気持ちが分かったときは、自分も変質者になったということです。」

「もし、ジンが変質者になってしまったら地球は終わりです。」

「大丈夫だよ。私が変質者になったときは、今の能力は消えてただの変質者だ。」


私たちは、この悲しい結末に、それぞれの思いを胸にホテルに帰った。

そして、目覚めの悪い朝を迎えた。


「夜中の件で、なんだか気が重い。」

「どうしても彼女たちを助けて上げられなかったことが悔やまれる。」

「私も。」

「私もですわ。」

「なんか旅行を楽しむ気分じゃなくなったね。どうだろう。」

「はい。こんな気持ちでは、楽しめませんわ。」

「私は、どっちでも良いよ。クウも同じ気持ち。」

「トランは。」

「私も同じ気持ちです。気分が晴れません。」

「道東へ行くのは、次の機会ということで帰ることにしたらどうでしょうか。」


私たちは、トランの提案に賛成して道東および道央自動車道を、一気に小樽へ向かうことにした。もちろん、お世話になったメグの実家に立ち寄ることも忘れていない。ラベンダーの芳香剤とクッキーを手みやげに。


「お母さん。北海道在住の皆さんに、道産のおみやげで誠に恐縮ですが。」

「そんなこと、ありませんわ。」

「住んでると、いつでも行けるということで、ここ何年も道央へは行ってませんから。」

「有り難く頂戴いたしますわ。」

「そう言っていただけて嬉しいです。」

「先だっては、本当に大変お世話になりました。」

「とんでも御座いません。機会がありましたら、いつでも寄ってくださいね。」

「有り難うございます。その時は、またお願いします。」

「ところで恵さんは。」

「恵は、友達と一緒に遊びに行ってます。」

「そうですか。」

「それじゃ、恵さんに大学に戻ったら、いつでも遊びに来るようにと伝えてください。」

「私たちは、これで失礼します。有り難うございました。」

「さようなら。」

「お気を付けて、お元気で。」


私たちは、往路の逆順で三重に帰った。北海道での連続殺人事件のニュースが報じられたのは、事件発生から、丸二日が過ぎた夕方であった。警察は、犠牲者の数と犯人が自殺したことを発表した。それ以外は、報じられていなかった。


アクエリアス


「やはり、犯人は自殺ということになったか。」

「犠牲になった少女たちの身元は、分かっていないようですわ。」

「そりゃ、ゼロにも分からなかったんだから警察でも無理だ。」

「何で無理なの。お父さん。」

「元々、ゼロは、警察のデーターベースにアクセスして彼女たちの情報を取り出そうとしたが、行方不明者や捜索願届けに彼女たちの情報は載っていなかった。」

「あっ、そうか。情報源が同じだから。」

「そう言うこと。」

「なぜ、ご両親は、捜索願を出さないのでしょう。」

「少なくとも、三晩以上は家に帰っていないわけですから、私なら心配で警察に届けますわ。」

「私もミカと同じ思いです。」

「ミカもトランも正しい。」

「私だって、もし、ミコが三晩以上、家に戻らなかったら何かあったのかと心配で直ぐ警察に行くよ。」

「じゃあ、彼女たちの親は、なぜ届けないの。お父さん。」

「家庭の事情だろう。」

「どんな。」

「親子の断絶、DV、家庭内暴力やらで家族がいがみ合っているとかで、家庭が崩壊していることが考えられる。」

「親は子に無関心、子は親をうやまわず、親子の愛情や優しさ、思いやりもなくなっている家庭だ。」

「例えば母親に向かって、ばばあ金寄こせとか。」

「父親に向かって、あんたの言うことなんか聞くかよ。と平気で怒鳴り散らす子供。」

「親は親で、お前のような子は産むんじゃなかった。いらん子だ。」

「売り言葉に買い言葉。好きで生まれてきたわけじゃねえ。」

「こんな家庭環境だったら。」

「家を飛び出すわ。」

「そうだろう。彼女たちの家庭も、そんな事情があるのかも知れない。」

「悲しいですわ。それでは、彼女たちの身元はいつ分かるのでしょうか。」

「大丈夫。日本の警察は優秀だし、どんなに酷い家族でもこのニュースを見て、もしかしたらと、そのうち警察に問い合わせると思うよ。」

「ジンは、薄情ですわ。そのうちじゃ、彼女たちが可愛そうですわ。」

「ミカの気持ちは分かるけど、情報がないんだから手の打ちようがない。」

「警察もだ。」

「ジン。創始者たちは、生まれると直ぐDNAや血液型の登録を義務化していました。」

「地球人は、登録していないのですか。」

「地球は別として日本じゃ、そんなことはできないよ。」

「どうしてですか。登録していれば、身元不明者はなくなりますよ。」

「それに犯罪者の早期逮捕ができ、かつ、犯罪の抑制にも繋がります。」

「もし、日本政府が登録を義務化しようとすれば、法曹界や教育委員会、宗教団体やマスコミが、プライバシーや個人の自由を侵害するものだと猛反対するよ。」

「どうしてですか。出生届けや戸籍、住民票には、個人情報が登録されているのに、DNAの登録は、なぜ駄目なのですか。」

「どれも同じ個人情報です。」

「そう言われると、そうなんだけど。」

「出生届けとか戸籍は個人の身分を証明するもので、就職したり資格免許を取ったりするのに必要なものだ。」

「でも、DNAは、個人の義務や権利を行使する際には必要がない。」

「指紋も含めて個人を正確に特定できるものを政府が管理することは、戦前の全体主義国家や警察国家への逆戻りをイメージさせる。」

「今の自由主義の精神と相いれない。」

「反対する人たちは、犯罪者の味方なのですか。」

「別に犯罪者の味方をしているわけじゃないよ。」

「国が個人情報を管理することに抵抗感があるだけだ。」

「現に、住民基本台帳の導入時にも、いろんな団体がマスコミを通じて国民に番号を付けて国民の自由を侵害し、国が個人を支配するようなものだとか。」

「個人情報をデジタル化した場合のセキュリティーに不安だとか言って猛反対した。」

「それで、住基台帳への登録は義務ではなくなった。」

「ジンは、申請しましたか。」

「生前は、申請して住基カードを持っていたよ。」

「身分の証明や戸籍謄本などの各種証明書がいる時は、手続きがパソコンひとつで簡単にできて非常に助かった。便利なものだ。」

「これからも簡単で便利な制度を、どんどん導入して貰いたいものだ。」

「何たって役所への届け出や申請手続きは、ややこしい。」

「しかし、パソコンの導入は、使い慣れている人には便利だが年寄りには無理だ。返ってややこしい。」

「老人にもできる簡単なソフトを開発して導入すれば別だけどね。」

「話は変わりますけど、本の売れ行きも徐々に良くなっています。」

「この調子でいけば、会社の経営も問題ないと思われます。」

「良し。それじゃ、インターネットでの販売は終了して当分の間、単行本一本に絞ろう。」

「将来的には電子書籍版も出したいと思う。売れ行き次第だけどね。」

「私、頑張って描くから、みんなも手伝って。」

「私も頑張ってお手伝いしますわ。」

「そりゃ、そうでしょう。これが表向きの仕事なんだし、生活の糧だからね。」


神定プロダクション設立から約半年が過ぎた。猛暑が続いた夏もようやく終わりを告げ、暑さ寒さも彼岸までと言う言葉どおり初秋を思わせる季節となった。


「おっ、メグから電話だ。」

「久しぶり、神定です。今、大学ですか。暇だったら事務所に来ませんか。」

「それどころじゃ、ありません。津波が来ます。」

「えっ、津波。いつですか。」

「明日の午前十一時半頃です。かなり大きい津波です。」

「大学は、高台にありますから津波は大丈夫ですが、そちらの事務所とか平地部は、被害を受けると思います。」

「どうして良いのか分かりません。」

「落ち着いてください。メグは、普段どおりに。私たちで津波を何とかします。」

「ジン。私、信じてますから。」

「分かりました。前回同様、大船に乗ったつもりで。それじゃ。」

「どういうことでしょう。地震もないのに津波とは。」

「テレビを付けてくれ。」

「何も報道されていませんね。」

「ジン、ゼロからです。チリ沖で重力以上が発生しています。」

「一時間二四分三七秒後に、マグニチュード8を超える地震が発生します。」

「メグの予知の方が、実際の地震発生より早かったわけだ。地震に伴う津波は。」

「明日の午前十一時三十二分四十五秒に、日本の太平洋側沿岸に到達します。」

「メグの予知能力もさることながら、まだ起きていない地震の発生時刻や津波の到達時刻まで計算してしまうゼロの能力もすばらしい。」

「トランと二人で現地に行って来る。二人は留守番。」

「はい。」

「トラン、行くぞ。」


次の瞬間、私たちはチリ沖に移動していた。


「どうだい。トラン。」

「はい、地震はマグニチュード8.8の規模です。」

「津波の高さは、三十メーターを超えます。」

「日本に到達する頃には、津波のエネルギーは減衰して十五から二十メータくらいになります。」

「このままだと太平洋沿岸部に、かなりの被害が及ぶな。」

「どうすれば良いんだ。」

「ジンの力で地震の発生を止めることは容易いと思いますが、ここの地殻の歪みを押さえたとしても他の場所に歪みができ、それを押さえても、また、別の場所が歪みます。」

「イタチごっこというわけだ。」

「そう言うことです。それに、地震は地球自体の自然な営みです。」

「ジンが手を下すと地球に悪い影響がでると思います。」

「見守るしか手だてはないのか。」

「それじゃ、津波は。」

「津波を押さえることは、問題ないんじゃないのか。」

「はい、津波は、地球にとっては間接的なことで問題ありません。」

「津波の進行方向から、逆の波をぶつけてエネルギーを相殺します。」

「どうやって。」

「ゼロで逆向きの波を、津波に当てます。」

「しかし、津波が急に消えてしまうのは、不自然だ。」

「それも、大丈夫です。当てる波を小さくして百四十三回起こします。」

「そうすれば、自然に減衰したのと同じように見えます。」

「分かった。」

「但し、津波が全くなくなっては、科学者たちがいぶかしがる。」

「被害のない程度の津波にしよう。」

「はい、分かりました。」

「日本に到達する頃には、一メートルほどになるよう調節します。」


私たちは、南太平洋のほぼ中央に位置するドミニカ島沖、三十キロの水深百十五メーターの海中に移動した。そして、ゼロは、ある一定の周波数の振動を、ある一定の間隔で繰り返した。


「えっ、こんな程度で良いの。」

「はい。」

「この程度の波を百四十回、津波に当てればエネルギーは徐々に減衰していきます。」

「しかも、この程度なら人の目には普通の波と映ります。」

「ごく自然に津波のエネルギーが、移動間に減衰したものと理解されます。」

「なるほど、意図的なものと分からないわけだ。」

「そのとおりです。」

「但し、この様な対策ができるのは、時間的余裕があったからです。」

「メグに感謝しなければならないね。」

「はい。」

「この人間の目には分からないほどの波を、百四十回起こすには八時間四十三分の時間が必要です。」

「えっ、この海中に八時間以上もいなきゃならないのか。退屈だな。」

「ジンは、遊びに行って良いですよ。ウェットスーツも水の抵抗で摩耗したり脱げたりしないように改良してあります。」

「但し、スピード違反は駄目ですからね。」

「分かってるって。じゃあ、南太平洋の海を満喫してくるわ。」

「終わったら教えて。」


私は一人、南太平洋の海原に頭を出してみた。頭上には、何処までも青い空、綿飴みたいな雲が幾つか、その青いカンバスに白いアクセントを刻んでいる。


「うわ、何て素晴らしい光景なんだ。」

「昔、南太平洋の観光写真で見たのと同じだ。」

「あっ、そうだ。ここは南太平洋だったっけ。」と思わず独り言を言ってしまった。


南半球の季節は、春。しかし、赤道付近のこの海域は暖流で、ちょうど良い海水温である。私は、海獣や魚たちと戯れたり名もなき小さな無人島で、日光浴をしたりして時間を潰した。


「もうそろそろ良い時間だ。ゼロのところに戻るとしよう。」


私は、潮が満ちたら海原に消えてしまいそうな名もなき珊瑚礁島を後にし大海に泳ぎ出た。


「待てよ。」

「トランは、だめだと言ったけど、このスーツの性能を確かめないと。」と勝手な理屈をつけて、性能試験をすることにした。


「すばらしい。本当だ。どんなに速度を出しても大丈夫だ。」


また、私は調子に乗ってしまった。


「よし、この付近からゼロのところまで何もないな。一気に行くか。」


すると、超高速に入る前に私は何かに捕らわれてしまった。


「あれ、何もないのを確認したのに。ここは、何処だ。」


一瞬にして水槽のような白い壁に囲われた部屋に、海水ごと取り込まれてしまった。私は、出口を探そうと四方の白い壁に触ってみた。その壁は、柔らかく、それでいて頑丈な材質で作られていた。出口らしきものが見当たらない。力ずくで一気に壊しても良いのだが、この部屋の本体が潜水艦や船だったら無闇に壊すと沈んでしまうかも知れない。と考えていると、次の瞬間、海水がどこからか排水されたのか徐々になくなった。


「やれやれ、空気はあるな。後は出口だ。」


再び出口を探し始めたが、そのうち気が遠くなっていった。次に気がつくと、今度は手術台に縛り付けられていた。しかも裸だ。身動きが取れない。周りを見渡したが人影もなく、天井や壁からメスやら、ドリルやら手術に使うような道具を先に付けた管が伸びていた。どうやら私を解剖しようとしたのか。それらの器材は全て壊れていた。今頃、私をこんな目に遭わせた連中は、慌てふためいているだろう。しかし、困った。彼らに私の存在がバレてしまった。正体不明の彼らは、私のことをどう理解するだろう。宇宙人、サイボーグ、ロボット。理解不能だろうな。しかも、力持ちでこの縛めもいとも簡単に解いてしまう。 


「さてと、私をこんな目に遭わせた連中に会いに行きますか。」

「しかし、会って私のことは、忘れてくれと頼んでも無理だろうな。」

「だからと言って正直に話しても信じては貰えない。」

「ましてや私の秘密を知った以上は、この世から消えて貰います。ともいかないし、どうしたものか。」

「取り敢えず何のためにこんなことをしているのか探ってみよう。」


着るものを探すために窓一つない遺体解剖室みたいな部屋を調べた。服代わりになるようなものがなかったので、仕方なく診察台に敷いてあった布きれを腰に巻いた。


「格好悪いけど、しょうがない。裸で歩くよりはましだ。」

「さてと、テレビカメラはどこかな。」

「しかし、このチューブどうやって遠隔操作してるんだろう。」

「無理に私を解剖しようとするから、みんな使い物にならなくなってる。」

「それに、なんか変だな。誰も私を捕まえに来ない。無人なのかな。」


今度は、ちゃんとドアがあった。

「どうせ開かないだろうな。」と思いつつ扉に近づくと。


「あれ、開いちゃった。自動ドアだ。」

「ここの警備体制、どうなってんの。」


出てみると、緩いカーブの通路になっていて先が見えない。やはり人影はない。そして、通路の両サイドには先ほどと同じ自動ドアの部屋がある。どの部屋にも人はいない。同じような手術室みたいな部屋もあれば、解剖された臓器みたいなものが標本として保管されている部屋もあった。一体こんな部屋が何室あるのだろう。司令室みたいな部屋がないかと全ての部屋を覗いて行くうちに、最初の部屋に戻ってしまった。


「あれ、最初の部屋だ。この廊下を一周したのか。」

「司令室とか事務所みたいな部屋がなかったな。」

「みんな何かの実験室や標本室みたな感じで誰もいない。」

「どういうことだろう。不気味だな。」


「ジン、お待たせしました。」

「おっ、吃驚した。いきなり出てこないでよ。トラン。心臓に悪い。」

「こんなところで遊んでいたのですか。津波の処理は、終わりました。」

「こんなところで遊んでいたとは、心外だな。」

「海を泳いでいたら捕まっちゃったんだよ。」

「それが不思議なんだ。海中に何もなかったから、帰ろうと一挙に速度を出しかけたところを捕まった。」

「本当、この船なのか潜水艦なのか、良く分からないけど、前方に何もないことを確かめて泳ぎだしたんだけどね。」

「これは、地球上の物ではありません。」

「どういうこと。」

「惑星探査機です。」

「無人の探査機です。どこから来たのかは、分かりません。」

「この宇宙船には、製造者の情報は一切ありません。」

「どういうことだろう。」

「おそらく、この船は偵察目的で地球に送り込まれたのでしょう。」

「偵察と言ったら地球の情報収集が目的、何のために。」

「考えられるの二つ、一つは隣人の探索、もう一つは侵略のための情報収集です。」

「アメリカが二十年くらい前に打ち上げたボイジャーみたいなもの。」

「そうですが。この船は、どうやら侵略が目的のようです。」

「どうして、そう思うのかい。」

「まず、見つからないようにステルス技術を使っていること。」

「ステルスと言っても地球のようにレーダー波の反射角を反らして、探知させないというちゃちな物ではありません。

「ジンは、この船が見えなかった。と言いましたね。」

「ああ、見えてたら避けるさ。」

「地球のステルス技術は、レーダーでは捉えられませんが、肉眼では見えます。」

「あっ、そうか。この船は完全に透明だった。すごい技術だね。」

「それに、この船自体の情報が全くないこと。そして自爆システムがあること。」「最大の根拠は、偵察対象の惑星の文明度、生息する生物の種類、弱点などを探査していることです。」

「地球人が打ち上げたボイジャーは、友好が目的で地球の文化や民族、言語、地球の位置などの情報を載せています。」

「友好目的なら、この船にもそういった情報があるはずですが一切ありません。」「それと私が、この船のセキュリティーに進入したことで自爆シーケンスが作動しました。」

「えっ、えーっ、それを早く言ってよ。早く逃げないと。」

「大丈夫です。自爆装置は既に取り除いてあります。」

「爆発することはありません。」

「もし、この船が爆発したら結構な被害が出ると思います。」

「どういうことだい。」

「この海の何もないところじゃ、被害は少ないと思うけどね。」

「いいえ、この船のエンジンは、反物質をエネルギー源としています。」

「地球上で爆発すれば、物質と触れることで膨大なエネルギーを放出します。」「先ほどの津波どころの騒ぎではありません。」

「太平洋に面する海岸は全滅します。」

「ジンが捕まったことは、地球人にとっては不幸中の幸いと言うことですね。」

「不幸中の幸いとは、良く言うね。捕まった身にもなってほしいよ。」

「もう少しで、切り刻まれて標本になっていたかも知れない。」

「そんな心にもないことを、ジンの体は不可侵です。」

「そんな心配は、これぽっちも思ってないでしょう。」

「そりゃ、そうだけど。得体の知れない事態には困惑するよ。」

「それと、この船は火星で出くわしたガーディアンと同じ材質でできています。」

「と言うことは、惑星間戦争で滅んだ人類の物。」

「はい。但し、最近のものです。」

「いつ頃。」

「約五万年前です。」

「そんな昔、最近じゃないでしょう。」

「最近です。宇宙年代からすれば、つい最近のことです。」

「それと、この船が地球に到着したのは、五百年ほど前のようです。」

「大航海時代の帆船が保存されています。それ以前の物はありません。」

「最新の物は、原子力潜水艦からジェット戦闘機、核弾頭ミサイル、スペースシャトルもあります。」

「ジャンルは、主に武器ばかりです。生物として捕まったのは、ジンが最後になります。」

「そんなでかい物、この船のどこに格納されているんだ。」

「現物はありません。全てデーター化されています。」

「この船を送り込んだ人類は、この船からの連絡が途絶えたことで自爆したものと判断するでしょう。」

「この自爆シーケンスが作動する条件には、発見され調べられた時と故障した場合も含まれています。」

「絶対に自分たちの科学力を知られないようにするためでしょう。」

「ジンの情報は、既に送信されています。」

「地球人類の進化の早さに彼らも驚いているでしょう。」

「彼らと言っても、どこの惑星だろう。」

「この船の速度からすると、この惑星は銀河系から最も近いケンタウルス座星域にあると思われます。」

「近いと言っても、四光年以上ある。」

「地球の宇宙船じゃ、片道十万年ぐらいは掛かるぞ。」

「そのとおりです。」

「この惑星の文明は、恒星間航行ができるほど発達しています。」

「つまり、地球のSF小説にあるワープのような航法ができます。」

「でも、その宇宙人、仮にケンタウルス人と呼ぶことにしよう。」

「彼らの文明を持ってしても、地球に人類を送り届けることはできないようだ。」「だって、この船には生命体が乗っていない。」

「そのようです。彼らの寿命も地球人と大差はないでしょう。」

「彼らの技術でも五万年は掛かります。」

「生命体が往来するには、大きな壁となります。」

「この船は、侵略目的の偵察機と言ったよね。」

「はい。」

「それじゃ、ケンタウルス人の科学力を持ってしても、時間の壁を克服できないなら地球を侵略できない。」

「ケンタウルス人自らは無理でも、この船のように機械なら可能です。」

「現に、この船は五万年の歳月を克服して地球にやってきました。」

「でも、侵略が目的なら地球征服後は植民だけど、今のケンタウルス人の科学力でも時間の壁を乗り越えられない。」

「地球人もそうだけど、彼らが地球に到着するまでには、寿命八十年として約六百二十五世代以上の代替わりが必要だ。全く無理な話だ。」

「ジンの言うとおりガーディアンのような戦闘ロボットを使って征服できたとしても、ケンタウルス人自身が地球に来ることはできません。」

「征服の意味がないですね。」

「しかし、この船は、明らかに地球侵略のために送り込まれています。」

「彼らの侵略意図が分からない。情報不足だ。」 

「それでは、情報収集に行きませんか。彼らの目的を探るために。」

「良し、再び宇宙に行こう。ほかの連中には内緒で。特に、ミコにはね。」

「その前に一度帰って津波は大丈夫と知らせましょう。」

「特にメグに教えてあげないと心配していると思います。」

「そうだな。一旦帰ろう。」


私とトランは、津波の心配はないことを告げ、こっそりケンタウルス座に向かうつもりで事務所に帰った。


「やあ、ただいま。」

「ジン、津波は大丈夫ですか。」

「あれ、メグ。どうしてここに、津波は大丈夫だけど。」

「今日は土曜日ですから、大学は休みです。」

「あっ、そうか。南太平洋にいて一日経ったのか。」

「メグの言ったとおり津波は、今日の十一時三十分頃に来るけど。」

「せいぜい一メートル程度だから被害は出ないよ。」

「正確には、十一時三二分四五秒、高さは、三陸沖で九十八センチです。」

「他の太平洋岸では、それ以下になります。」

「まあ、そんなところだ。トランと私は、一日頑張ったんで一休みするよ。」

「そうは、行かないわよ。お父さん。」

「えっ、そうは行かないって言うけど。」

「少しぐらい休ませてくれても良いだろう。」

「そうは、問屋が卸さないの。」

「休むって嘘ついて二人だけで宇宙に行くんでしょう。」

「ネタは上がってんだからね。」

「ジン、もうバレていますわ。クウが話してくれました。」

「いいえ、ミカ。私は話していません。ミコが勝手に私の思考を読んだのです。」

「どっちにしたって、二人だけで宇宙には行かせない。」

「当然、私たちも一緒。」

「しかし、今度の宇宙は、最初から危険なことがハッキリしている。」

「ミコを連れて行くことはできない。」

「あの、それじゃ、私も当然だめですか。是非一緒に行きたいのですが。」

「そのとおりです。メグもミコも生身の人間で、命の保証ができません。」

「私は、再生能力があるから大丈夫。だけど、メグは。」

「ミカと私は不可侵でトランは不死身の体だから問題ないけど、ミコの再生能力は永遠じゃないし、メグは本当、危険予知能力があっても生身だ。」

「クウ、どう。私の再生能力、まだ、切れていない。」

「はい、大丈夫です。」

「ちょっと待て、今の言葉、本当にクウが。何せミコの口一つだからな。」

「はい、私は嘘を付きませんから。」

「いや、参ったな。こんな時は、空気を読んで嘘を付いて欲しかったけど。」

「クウのくせに空気が読めない。」

「私は、どうしてもだめですか。ジンは、約束しました。」

「いつか、一緒に宇宙に連れて行ってくれると。私も一緒にお願いします。」

「メグも連れて行ってあげてよ。私が絶対守るから。」

「ジン、私からもお願いしますわ。」

「何があろうと、メグもミコも私が守り抜きます。」

「私からも、お願いします。」

「トランまで。もう分かったから、メグも一緒に連れて行くよ。」

但し、メグもミコも勝手な行動は絶対にしないと誓ってくれ。」

「うれしいです。絶対、勝手な行動はしません。誓います。」

「私も誓うわ。」


こうして、当初は、トランと二人だけで行く予定が、全員で行くことになってしまった。しかも、メグまでも。


「それじゃ、皆さん。ゼロに乗ってください。」

「トラン、一つ希望があるんだけど聞いてくれる。」

「はい、何ですか。」

「ゼロを宇宙船にしてくれないかな。」

「ジン。ゼロは、既に宇宙船のようなものですわ。」

「ミカ。そりゃ、そうだけど。」

「私が言っている宇宙船とは、SF小説に出てくるようなイメージの宇宙船のことだよ。」

「分かりました。」

「ゼロ自体をジンが言うような宇宙船にはできませんが、創始者が遙か昔に乗っていた宇宙船をモデルに最新のものを造りましょう。」

「どうして、ゼロ自体を宇宙船にできないの。」

「それは、ミコ。」

「ジンが所望の宇宙船は、ゼロが建造する物です。」

「もし、万が一ゼロが、この次元で破壊されるようなことがあったら二度と造ることができなくなります。」

「ゼロの分身でもある私も消滅します。」

「したがって、ゼロ本体を宇宙船にして危険を冒すことはできません。」

「なるほど。ゼロがある限り、いつでも必要な物が創造できるということだな。」

「そのとおりです。」

「それでは、ケンタウルス座プロキシマα星域に移動します。」

「ジン。外を見てください。」


ゼロが透明モードになった。相変わらず、慣れない。いきなり宇宙に放り出された感覚になり、めまいで倒れそうになる。現にメグは透明になった床にへたり込んでしまった。


「メグ、大丈夫ですか。うっかり床まで透明にしてしまいました。」

「うわっ、すばらしい。」

「あの恒星がα星ですね。」

「あっ、済みません。つい興奮しちゃって、大丈夫です。」

「本当に、私たち地球から四光年以上離れた宇宙に来たんですね。」

「はい。それとジンが注文した宇宙船もあります。」

「いや、格好良い。小型だけど流線型で、いかにも宇宙船て感じだ。」

「イメージどおり。」

「ところで、出入り口とか窓とかが全くないけど、どうやって入るんだい。」

「ゼロと同じですが、違いはこの宇宙船が三次元、つまり、私たちがいる場所と同じ次元に存在するということです。」

「ゼロは、ゼロ次元に無の状態で存在し、縦横高さ時間などに代表される次元要素に制約されることはありません。」

「この宇宙船は物質として存在し、三次元及び物理的法則の制約を受けます。」

「あれ、トランの言ってること、良く分かんない。」

「ミコ、簡単に言うと、この宇宙船は、百パーセントの安全が保証できないと言うことだよ。」

「そうだろう。トラン。難しい話は置いといて、早速、宇宙船に移動しよう。」

「分かりました。転送します。」


私たちは、次の瞬間、宇宙船のコックピットに転送された。


「あれ、ゼロと違って椅子がある。」

「それでは、説明します。」

「まず、外の様子が見えるようにします。」

「この船は前後左右はありません。」

「強いて言うなら、この操縦席が向いている方を前方としましょう。」

「どっちに行くにしても、自由自在で慣性力の影響は受けません。」

「UFOと一緒だ。どうやって操縦するの。」

「ミコ、急がずに聞いてください。質問は後で受け付けます。」

「操縦に限らず、全て音声で動きます。」

「音声入力方式ということか。誰でも操縦できるということだ。」

「それじゃ、この操縦席、いらないんじゃないか。」

「ジンも質問があるなら後で聞きますから、静かに聞いてください。」

「音声で動きますが、誰でも動かせるわけではありません。」

「登録された者だけです。この操縦席は、手動で動かすためのものです。」

「そう言う意味で右にある通信システムのパネルもしかり、左のエンジンモニターとコントロールシステムもしかりです。」

「このコックピットは、ジンが考えたとおりに造りました。」

「それでは、船内を案内します。」

「コックピットへの出入り口は、後ろの左右にある二つです。」

「もう一つ右に扉がありますが、何の出入り口ですか。」

「今から説明しようと思っていたのですが、メグもせっかちですね。」

「分かりました。質問は、その都度受け付けます。」

「この扉の向こうは、船長室です。」

「異論がなければ、ジンを船長に推薦します。」

「えっ、私で良いの。」

「私は、トランの方が良いと思うけどな。」

「この船の構造を良く知っているし、宇宙の知識も豊富だろう。」

「いえ、私は船長よりもエンジニアとして、この船のメンテナンスと航行のアシストをします。」

「船長は、やはり年長のジンでお願いしたいと思います。」

「異議なし。私、パイロットやりたい。」

「私も賛成ですわ。」

「よろしければ、私は通信士を引き受けますわ。」

「分かった。」

「ミコがパイロット、ミカが通信士、トランがフライトエンジニア。」

「メグは、どうしよう。メグに武器システムは似合わないし。」

「あっ、ジン。」

「この船には武器はありません。」

「えっ、武器ないの。」

「それじゃ、宇宙人に攻撃されても撃退できないじゃん。」

「反撃する必要はありません。この船は、絶対に破壊できません。」

「それに、武器を持っていたら戦争になってしまいます。」

「宇宙人といっても元は同じ人類です。」

「同胞同士で殺し合うなんて愚の骨頂です。」

「そうだな。それじゃ、メグには何の役職が良いかな。」

「私は通信士を降りますから、メグに通信士をお願いしますわ。」

「私は、カウンセラーとして、皆さんの健康や衛生、食事などを一手に引き受けますわ。」

「でも、私、宇宙語分かりませんけど。」

「それは、心配いりません。」

「この通信機兼翻訳装置を付けていれば大丈夫です。」

「トラン、私たちにはないの。」

「あります。はい。」

「この通信機兼翻訳機。太陽系をモチーフに作ってあってブローチみたいで格好良い。」

「トラン、この通信機の形を私たちのエンブレムにしよう。」


この後、トランの案内で船内の施設を回って再びコックピットに戻ってきた。


「皆さん。先ほど案内した各人の部屋に、船内で快適に過ごすための専用服が置いてあります。」

「着替えて来てください。ジンの分は、船長室にあります。」


「いや、何か恥ずかしいね。体にフィットし過ぎ。」

「だぶついた下っ腹が気になる。」

「女性陣たちの姿に、目のやりどころがない。」

「私は、気になりませんが。」

「お父さん。嫌らしいこと考えてるでしょう。」

「でも、ちょっと恥ずかしいかな。」

「嫌らしいことじゃないよ。若さがはじけてるね。って言いたいだけさ。」

「この服は、創始者の技術で作られています。」

「暑さ寒さ、雨や汗、埃、有害な宇宙線、これ一枚で全ての状況に対応しています。」

「それでは、それぞれの席に着いてください。」

「あっ、ミカ。君には副長を、お願いするよ。私の隣に座って。」

「それじゃ、お父さん。じゃなくて船長、行き先は。」

「発進する前に、行き先を決めないと、トラン。」

「この恒星系のハビタブルゾーンにある惑星をスキャンしてくれ。」

「それと、この船の名前、何にしよう。」

「急には、思い付きませんわ。メグ、ミコ。何か良い名前ありますか。」

「急で無理。」

「私も、何も浮かびませんわ。トランは。」

「創始者たちは、宇宙船に人名を付けていました。」

「人名ね。」

「それじゃ、ガイアは、ギリシャ神話の最初の女神。」

「その他の神々と大地の母神とされている。」

「人類もガイアの血を受け継いでいると言われている。」

「ガイアで決定ね。クウもOKだって。」

「ミコとクウは賛成。みんなは。」

「異議ありませんわ。」

「私も賛成ですわ。」

「私も賛成です。」

「じゃあ、名前が決まったところで、トラン。」

「ケンタウルス座プロキシマ星域には惑星が八個ありますが、人類が生息している惑星は一つです。」

「立体映像を出します。」

「わあ、きれい。地球と同じブループラネット。」

「ミコ、パネルに上から距離、所要時間と方向が出ているでしょう。」

「えーと、距離一億四千九百六十万キロ。」

「方向は、数字が十桁位あるけど、所要時間のところは、何も書いてない。」

「はい、速度は自由自在です。」

「通常速度からワープ航法、ワープは十段階です。」

「速度を指定すれば、所要時間も出てきます。」

「よし、ミコ。先ずは、通常航法で発進。」

「了解、巡航速度、ガイア発進。所要時間二十四時間三十分十二秒。」

「えっ、それじゃ、ガイアの巡航速度は、時速六百万キロ以上だ。」

「ボイジャーは時速約六万キロだから、百倍以上の速さだ。凄い。」

「あのう。」

「メグ、何か。」

「はい、月曜日は大学の授業がありますので明日の晩までには帰らないと。」

「了解。ミコ、ワープ航法に移行。」

「了解、ワープワン、所要時間、五分四秒」

「五分で到着とは、光の速さを超えてませんか。」

「メグ、ワープ航法は、光の速度以上で飛行することだよ。」

「確か、アインシュタインの相対性理論からすると、光の速度は超えられないはずですけど。」

「あっ、そうだ。」

「光速は、宇宙の制限速度で光より早いものはないはずだ。」

「光速に近づけば近づくほど、質量が増すので絶対に光速にならない。」

「したがって、光速を超えられない。」

「アインシュタインの理論は、正しいです。」

「したがって、ガイアは光速以上で飛ぶのではなく、空間をねじ曲げて一挙に移動しています。」

「どういうことですか。トラン。」

「分かりやすく言うと、距離を一本の線と思ってください。」

「その線をサインカーブのような波に曲げて空間を縮めて一挙に飛ぶわけです。」

「波の振幅を十段階に変えて飛ぶ距離を調整しています。」

「それがガイアのワープです。」

「そして、ゼロのように瞬間移動もできます。」

「それとガイアの燃料は、反物質ではなく精神感応エネルギーです。」

「しかも、ジンたち三人のエネルギーは無限大です。」

「そんなエンジン、どんなエンジン。」

「それに、どうやって空間を曲げるんだ。」

「さっき案内していただいた時は、エンジンルームはなかったですわ。」

「実は、ガイア本体がエンジンそのものです。」

「それとガイアは、ジンの希望に沿うようにした結果、機体やその他の箇所は創始者の初期の宇宙船をモデルにして造りました。」

「但し、エンジンだけは、最新のものです。ゼロと同じものです。」

「新たにワープ航法と最新の自動修復装置を組み入れました。」

「それと空間を曲げる技術は、今の皆さんに分かりやすく説明することは無理です。」

「それじゃ、私らはエンジンに乗っているようなものか。」

「そのとおりです。ところで、何でゼロみたいに瞬間移動させないのですか。」

「やっぱり、宇宙空間を飛んでいるという実感が欲しいからね。」

「一瞬じゃ、味わえない。時間に代え難いよ。」

「分かりました。でも、五分もゼロ分も代わりがないと思いますが。」

「気持ちの問題。」

「ジン、あと一分くらいで到着しますわ。」

「良し、ミコ。巡航速度、周回軌道にセット。」

「トラン、惑星をスキャン。」

「ジン、この惑星は、地球とほぼ同じです。」

「大気、自然、生物。」

「違いは、陸の比率が地球より少なく、一つの大陸しかないということです。」

「人類は、文明は。」

「地球人と同じDNAです。」

「人口は、三十二億五四二三万四三七三人で一つの都市に集中しています。」

「文明は、地球より遙かに進んでいます。」

「創始者の文明に近いですが、まだ精神感応能力者はいません。」

「ジン、通信が入っています。」

「メグ、繋いでくれ。」

「スクリーンに出します。」

「私は、アクエリアスの代表を務めるアイリーンです。」

「あなたたちは、どこから何のために来たのですか。」

「私は、ジンと言います。この船ガイア号の船長です。」

「他に、副長のミカ、パイロットのミコ、通信士のメグ、エンジニアのトランです。」

「地球という太陽系第三惑星から来ました。」

「この星域に来た目的は、地球に送り込まれた探査機の調査です。」

「今、その探査機を出します。」


探査宇宙船がガイアの隣に現出した。中型規模の探査船が隣に来ると、小型船のガイアはますます小さく見える。


「それから、直接会ってお話したいのですが、よろしいでしょうか。」

「はい、構いません。どうぞ、こちらに来てください。」

「ガイア、2名転送。」

「あっ、私たちは。」

「留守番。」


「この船に関する記録はありません。」

「本当ですか。」

「本当です。アクエリアスの中央コンピューターへのアクセスを許可しますので、情報をダウンロードして確認してください。」

「ジン。確認しました。この船に関するデーターはありません。」

「疑って申し訳ありません。」

「ジン船長、構いません。実は私たちも太陽系の出身です。」

「今から六億年前の惑星間戦争で私たちの母星セレスは破壊されてしまいました。」

「しかし、一部の人たちはセレスを脱出し、第二の故郷を求めて長い宇宙の旅に出たのです。」

「そして、五万年前にこのアクエリアスに辿り着きました。」

「脱出時には、二十億人以上いた人口も、この地に辿り着いたときには、半分近くになっていたと記録されています。」

「今では、このとおり文明も発達し人口も三十億人以上になりました。」

「この地で平和に暮らしています。」

「やはり、そうでしたか。」

「実は、私たちが火星と呼んでいる惑星で星間戦争があったいうことは知っていました。」

「以前、火星に行ったときに地下都市を発見しました。」

「そして、中央コンピューターにアクセスし、断片的ではありましたが当時の記録を取り出すことができました。」

「あなたたちのセレス星は破壊された後、火星と土星の間のアステロイドベルトという小惑星帯になってしまいました。」

「その結果、星間戦争に勝利した火星も人類が住める環境ではなくなり、火星人は惑星配列が変わって生物が住めるようになった地球に移住したようです。」

「その話は、私たちの記録の中にもあります。」

「おそらく、この探査宇宙船は当時、火星を攻撃するために作られた戦闘ロボット軍団のものでしょう。」

「ロボット軍団ですか。」

「はい。但し、私たちの祖先が造ったものではありません。」

「あの船が先兵だとすれば、いつか、地球を滅ぼすために本隊のロボット軍団が来るということですね。」

「今の地球人では対抗できない。簡単に滅ぼされてしまう。」

「軍団の侵攻を止めてください。」

「申し訳ありません。」

「私たちは、過去の経験から攻撃用の武器は一切持っていません。」

「それに、当時のセレス星で私たち以外の国が造った軍団だとしたら、今の私たちの科学力を持ってしても、その侵攻を止めることはできません。」

「アイリーンの言っていることは、ガイアのスキャン結果からも明らかです。」

「ジン船長、私たちもあなたたちの船をスキャンさせていただきました。」 

「地球は、私たちアクエリアスの文明よりも遙かに進化しています。」

「私たちには、分析、理解できない科学力です。」

「ロボット軍団が攻撃してきても撃退は簡単でしょう。」

「実は、ガイアは地球の宇宙船ではありません。」

「トランの生みの親である創始者の宇宙船です。」

「今の地球の情報をアクエリアスの中央コンピューターにダウンロードして置きます。」

「地球人の文明は、あなたたちから比べれば、まだ原始時代のようなものです。」

「アイリーン代表。今の地球人は、あなたたちの祖先が戦った火星人類とは、何ら関係のない人類です。」

「地球に移住した火星人類は、六億年前に移住してまもなく滅んでいます。」

「創始者のデーターによると現地球人は、一万年前に類人猿から新たに進化した人類です。」

「六億年という歳月が移住した火星人類の痕跡を一切残さなかったのです。」

「私の創造主たる創始者たちが地球に移住した際、地球には知的生物は存在していませんでした。」

「生物の進化を辿る自然選択の結果から、今の地球人類が誕生しています。」

「その後、創始者は地球に帰化しています。」

「ですから、ロボット軍団が復讐しようとして絶滅を目論んでいる火星人類はいません。」

「今の地球人を滅ぼしても無意味です。」

「トラン、それ本当。」

「はい、クリスタルスカルに記録されたデーターですので間違いありません。」

「アイリーン。あなたたちに祖先が残したロボット軍団を止められないなら、私たちが止めても問題はありませんね。」

「はい、問題ありません。無力な私たちに代わって是非お願いします。」

「分かりました。それでは、私たちは帰ります。」

「アクエリアスと地球が、共に平和であらんことを祈ります。さよなら。」

「お気を付けて、さよなら。」

「二名、転送。」


ロボット軍団の探査宇宙船をゼロの中に回収し、ガイアはアクエリアスの周回軌道を離脱した。


「トラン。軍団の現在位置が分かるかい。」

「軍団の位置は、分かりません。」

「それより、お父さん。じゃなくて、船長。」

「なんだい。ミコ。」

「六億年前にセレスが破壊されて、この星に着いたのが五万年前。」

「何か変。」

「「五億年以上も宇宙を彷徨っていたわけ。」

「それに、負のエネルギーがアクエリアンシティーの西郊外に沢山残留しているわよ。」

「ミコが疑問に思うのも当然です。」

「アクエリアスの歴史記録にもセレスを脱出してから、この星に辿り着くまでの間が空白になっています。情報がありません。」

「その話は後にして、トラン。郊外を映してくれ。」


立体映像で郊外の街並みが映し出された。


「この寺院風の建物。沢山の負のエネルギーが感じられるわ。クウはどう。」

「はい、正確には二百十三名です。」

「ミコ、操縦をメグと交代。ガイアは、このまま地球に帰るコースをワープテンで航行。」

「ミカ副長は、地球への帰路上でロボット軍団の捜索。」

「ミコとトランは、私と一緒にゼロで、あの寺院に潜入捜査。」

「了解ですわ。」

「副長、メグの安全を第一優先で。」

「それじゃ、それぞれの任務を全うするように。」

「了解。」


私とトラン、ミコの三人、いや、正確にはクウも入れて四人は、アクエリアンスタイルの服装に着替えて、誰もいない寺院の路地裏でゼロを降りた。


「さて、トラン。この寺院のような建物は何かな。」

「はい、寺院です。日本と同じように、葬儀が主たる仕事です。」

「やっぱり、お寺か。お葬式をするところに、なぜ二百人以上の負のエネルギーが留まっているんだろう。」

「ミコ、それを確かめた上で、魂をハモニーのところに送り出さないと。」

「それでは、お寺を参拝しましょう。」

「ジンとミコは、私の後に付いてきてください。」

「ここの人たちが何か言ってきたら、私が対応しますので決して答えないようにお願いします。」

「アクエリアスの文化や風習を知っているのは私だけですから、疑われるような言動は絶対しないように。よろしいですね。」

「了解。」


この星には国境がなく、人種も多種多様でアメリカに似ている。したがって、私たちが異星人と疑われることもなく自由に行動できた。何があってもトランに任せ、トランのすることを真似して無事参拝を終えた。


「この寺院には、仏像とか十字架とかの象徴的な物がなかったね。」

「はい。この星では宗教は一宗派で、ご神体はありません。」

「次は、ここの地下ね。負のエネルギーが沢山いるわ。」

「しかし、昼間に堂々と地下に入れるかね。」

「大丈夫です。この寺院はどこも出入り自由です。」

「それじゃ、地下室に行きますか。」


地下室は、何もない大きなホールになっていた。


「人の出入りが多くてここじゃ、負の魂と話せないね。どうしよう。」

「私に任せて、取り込むわ。」

「えっ、二百人以上の魂を一遍に取り込むことができるのか。」

「大丈夫。もう取り込んだわ。後は、ゼロに戻って出せば、みんなと話せるよ。」

「良し、寺院を出よう。」


私たちはゼロに戻り負の魂をミコから出した。二百十三名、老若男女を問わず人、人、人である。


「皆さん。こちらに注目してください。」

「ここは、どこですか。」

「私は死んだはずですが。」

「急がないと仕事に遅れちゃう。ここを出してください。」

「皆さん。私の話を聞いてください。皆さんは、既に死んでいます。」

「嘘でしょう。信じられないわ。こうして生きてる。」

「いや、私は死んだ。ここは黄泉の世界じゃ。」

「いいえ、皆さんは死んでいますが、ここは天国でも地獄でもありません。」

「それじゃ。ここは、どこじゃ。」

「はい、ゼロ次元の中です。」

「皆さんは、死んで負のエネルギーとなって現世に留まっていました。」

「このままだと時間とともにエネルギーを消耗し、もう一つの世界に転生輪廻ができなくなります。」

「死んだことを受け入れ未練を捨てて、ハモニーのところに行ってください。」「お願いします。」

「嘘だ。死んでない。それに、俺には未練なんかない。」


この時点で、百十二名が自分の死を受け入れてハモニーの下へ行った。次に死んだことを受け入れられない九十八名が、幽霊のように通り抜けられる自分の体を見て死んだことを納得しハモニーの所に行った。残るは三名となった。


「私は、母性を破壊した奴らを絶対に許さない。」

「奴らをこの手で皆殺しにしないと、死んでも死にきれない。」

「俺もだ。」

「俺も。」

「どうやら、三人とも復讐の虜になって成仏できないようだ。」

「トラン。六億年前の星間戦争の顛末を、この三人に見せてやってくれ。」


「どうですか。あなたたちが言う奴らは、既に滅亡しているのです。」

「あなたたちの母性を破壊した火星人類は、その後は辛酸を舐め尽くして滅亡していったのです。」

「彼らにとっては、自業自得というところでしょう。」

「あなたたちの祖先は戦争に負けはしましたが、アクエリアスに移住し火星人類のように滅亡しなくて済んだのです。」

「もう、復讐する相手はいません。」

「分かりました。復讐する相手が滅んでしまったことで憎悪も消えました。」

「話は変わりますが、みなさんに質問があるのですが。」

「あなた方三人は経験もしていない六億年前の星間戦争の恨みを、どのようにして積もらせていったのですか。」

「それは、学校教育の歴史や星間戦争の悲惨なドラマを見て。」

「いつからか子供心に奴らを憎むようになった。」

「俺は、博物館にもよく行った。」

「奴らの悪逆非道な言動の立体映像や資料も見た。」

「俺は、メディアの他にバーチャルゲームだ。」

「奴らを皆殺しにすることで快感を覚えストレスを解消していた。」

「なるほど、自分たちが味わったわけでもない過去の出来事を幼児期から教え込まれた結果、自分たちの恨みと錯覚してしまったのですね。」

「それじゃ、三人とも納得したわけだから、ハモニーの所に行ってね。」

「さよなら。」

「ありがとう。あんたらに会えて良かった。これで成仏できる。じゃあ。」


こうして全員、ハモニーの下へ送り出すことができた。しかし、大勢の負のエネルギーがどうしてあの寺院の地下ホールに集まっていたのかは、分からず仕舞いであった。


「だって、負のエネルギーになること自体、極まれでしょう。」

「ましてや、一遍に二百人以上となると、天文学的確率が一度に起きてしまったって感じね。」

「ミコの言うとおりだ。あり得ない現象だ。クウは、どう思う。」

「分かりません。これほどの死んだ魂が負のエネルギーになることも。」

「そして、死んだ場所を動けない魂が一カ所に集まっていたことも説明が付きません。」

「地球人とアクエリアンの精神力の違いかも知れません。」

「違いとは、トラン。」

「はい、このアクエリアスも創始者の文明と同じく、貨幣経済を廃止して貧富の差をなくし、誰もが生活不安のない幸せな暮らしをしています。」

「後は、精神的な豊かさによる精神感応能力の発現を待つばかりです。」

「それ故に、地球人類より負のエネルギーとなる確率が高いのでしょう。」

「そうか、精神的な高みの段階に近いのに、過去の星間戦争の恨みを忘れられないために、創始者のようになれないんだ。」

「悲しいことだ。後一歩なのに。」

「ところで、彼女は六億年前に造られたロボット軍団と言っていましたが、この偵察宇宙船は五万年前に造られ、五百年前に地球に来ています。」

「年代的に時系列が合いません。」

「また、セレスを脱出した以降の時間的空白も。」

「この矛盾点は、ガイアにダウンロードしたこの星の記録にもありません。」

「彼らも解明できない問題となっています。」


その頃、ガイアでは。


「ミカ。まもなく、トランが知らせてくれたロボット軍団からの攻撃を受けます。でも、心配いりません。ガイアは無事です。」

「メグ、センサーには、何の反応もありませんわ。」


「前方から、高エネルギーのビームが来ます。ガイアが多少揺れた。」

「本当ですね。だけど本体が見えませんわ。」

「ガイア、敵の本体を補足できないかしら。」

「可能です。スクリーンに出します。」

「あら、ガイアも話せるの。」

「はい。ロボット軍団の連絡用中継機が一機のみです。」

「敵が攻撃してくれたことで位置が補足できました。」

「スキャンした結果、生命反応はありません。」

「既にコンピューターに進入しました。ステルスモードを解除します。」



目の前に、中継機とはいえガイアの万倍もあるキューブ型宇宙船が現出した。


「宇宙船というよりもコンビナート工場みたい。あっ、爆発します。」

「メグ、本当。予知したの。」

「はい。でも、ガイアに被害はありません。」


次の瞬間、ロボット軍団のステーションが爆発した。


「まもなく、爆発の衝撃が来ます。」

「緊急シーケンスによりガイアは現宇宙域から離脱します。」


次の瞬間、ガイアは月の裏側に瞬間移動していた。


「ガイア、中継機は、どうなりました。」

「はい。彼らのコンピューターに進入したことで自爆システムが作動、反物質エンジンが爆発し物質と接触して完全に消滅しました。」

「自動修復装置があっても、私自体が消滅しては再生できませんので緊急避難しました。」

「有り難う。ガイアのおかげで助かったわ。」

「ガイア。ここは、どこですか。」

「はい、メグ。ここは、月の裏側です。」

「地球人に見つからないように、ここに移動しました。」

「そうですね。ゼロと違い、この次元に私たちは存在していますから。」

「地球の科学力でも見つかってしまうかも知れません。」

「メグ、怖い思いをさせて御免なさいね。」

「メグの安全を第一優先に頼まれたのに、危険な目に遭わせて本当に許してくださいね。」

「ミカ副長、謝る必要はありません。」

「私が希望して付いてきたのですから。」

「それに、創始者の科学力を信じていますから。」

「メグの言うとりです。」

「私は、乗組員の安全を第一優先に、行動するようプログラムされています。」

「ところで、あの中継機からロボット軍団の手がかりが掴めましたか。」

「はい、メグ。彼らの本体は、海王星付近にいて地球到達まで約二年の距離です。」

「あと二年、今の地球では、対抗する術がありません。」

「ガイアには武器がありませんし、例えあったとしても戦争はしたくありませんわ。」

「平和的にロボット軍団の侵攻を止める方法を見つけないと。」

「でも、どうやって。」

「ジンたちと相談しましょう。」


「ただいま。あれ、もう月まで帰ってきたんだ。流石、ガイア。早いね。」

「ジン、噂をすれば陰ですわ。待ってましたわ。」

「何かあったんだ。」

「はい。ジンたちと別れて、まもなくロボット軍団の中継ステーションと遭遇しました。」

「彼らのステルス技術は、ガイアでも見つけられなかったのですが、メグの危険予知能力で攻撃を察知できましたわ。」

「そんな危険なことでもなかったのですが、私の能力は皆さんと会ってからどんどん強くなっているようです。」

「それで、その宇宙船は。」

「はい、ガイアが彼らのコンピューターに進入したことで自爆しました。」

「その自爆に巻き込まれないように、ガイアが私たちをここに瞬間移動させたのですわ。」

「その時に得た情報でロボット軍団は、既に海王星付近まで侵出しているようです。」

「地球到達まで、後二年というところだそうですわ。」

「えっ、あと二年。彼らの侵攻を止めないと地球は滅亡だ。」

「トラン、海王星に移動して彼らの侵攻を阻止しよう。」

「待ってください。」

「ガイアのセンサーで彼らのステルス技術を見破れなかったということは、海王星に行っても見つけられないということです。」

「彼らも中継ステーションの情報で、ある程度ガイアの能力を察知したはずです。」

「ミカたちが遭遇した宇宙船のように、今度は、簡単には攻撃してこないでしょう。」

「私も、そう思いますわ。」

「ガイアには武器がないこと、居場所さえ分からなければ、コンピューターへの進入もできないことを知っていると思いますわ。」

「そうか。彼らが攻撃するか、ステルスを解除しない限り見つけられない。」

「やり過ごされたら、なす術がないわけだ。何か、手はないものか。」

「ジン、それに彼らと戦争はしたくありませんわ。」

「平和的な解決策が必要ですわ。」

「私も戦争は、厭です。」

「ロボットとは言え、破壊したくありません。」

「それに、ガイアも言っていましたが、」

「あっ、そうそう、ガイアも話せることを伝えるの忘れてました。」

「ガイアによると自動修復装置があっても、ガイア本体が消滅してしまえば再生不可能だそうです。」

「そうなんだ。ガイアも喋れるんだ。」

「はい、ミコ。私も喋ることができます。」

「それで、ガイアの本体が破壊されると言っていたけど、私たちがいる限りは不滅じゃなかったの。」

「はい、部分的な故障や破壊については、自動修復装置が素早く直しますが、先ほどのような反物質と接触すれば、ガイア本体もエネルギーと化し消滅してしまいます。当然、乗組員も同じです。」

「それで、月まで瞬間移動したんだ。ガイアも不死身ではないわけね。」

「そのとおりです。」

「私と同じだ。」

「私ね。一度仮死状態になって、お父さんの不死身の血を貰って生き返ったけど、私自身が消滅すればガイア同様再生不可能だって。」

「そうなると、今、海王星に行っても軍団を見つけられないばかりか、彼らの宇宙船に体当たりされたら、ガイアもろとも宇宙の藻くずとなってしまう。」

「流石のジンの体もエネルギーとなって消滅してしまうかもしれませんわ。」

「まあ。試す気はないよ。私もミカやメグ同様。戦わずして彼らを説得したい。」

「でも、彼らロボットを説得できると思うの。お父さん。じゃなくて船長。」

「やっぱ、呼び慣れない。」

「分かった。船長とか副長とかの呼び名は、もう止めよう。」

「軍艦じゃないんだから使い慣れた名前だけにしよう。、」

「まあ、ミコの言うとおり説得できるかどうか分からない。」

「その前に、彼らを補足する方法を考えないと。」

「トラン、何か手だてはあるかい。」

「はい、あります。」

「地球で捕らえた探査宇宙船のステルス装置の仕組みを解明して、隠れている状態でも補足できるセンサーを作ります。」

「どのくらい掛かる。」

「分かりません。しかし、軍団が地球に到着する前に完成させます。」

「分かった。今は、地球に帰るしかない。」

「それでは、皆さん。ゼロに移動します。」

「ガイアはどうするの。」

「ガイアで地球に帰ることはできません。UFO騒ぎになりかねませんから。」「ガイアは、この月の裏側に隠しておきます。」

「ガイア、ひとりぼっちで寂しいだろうけど我慢してね。」

「大丈夫です。ミコ。私に感情はありません。」

「そうか。コンピューターだものね。それじゃ。」


「ロボット軍団の動向が気がかりですが、今日は、私も宇宙に連れて行っていただき有り難うございました。」

「礼などいりませんわ。メグも私たちの仲間ですもの。」

「また、いつでも遊びに来てね。じゃ、さよなら。」

「メグ、ロボット軍団のことは私たちに任せてください。」

「私がステルスを見破って見せますから、安心して勉学に励んでください。」

「心配いりません。」

「はい、トラン。お願いしますわ。」

「メグ、津波の件と言い、彼らの攻撃の件と言い、君がいてくれて本当に助かるよ。」

「お礼を言うのは、こっちの方だ。本当に有り難う。」

「ジン、そんなこと。私ができることをしただけです。それでは、失礼します。」

「さよなら。」


夕方のニュースで、チリ沖地震や津波のことを放送していた。


「トランの言ったとおり、津波による被害はなかったようですわ。」

「良かった。ところで、トラン。この津波の件で違う報道や情報はないかな。」「例えば、最初の津波の大きさにしては、日本への被害がないのは変だとか。」

「現時点ではありませんが、継続して情報を収集しておきます。」

「そうしてくれ。」


    類は類を呼び仲間となる


「ジン、新年明けましておめでとうございます。」

「がちょーん。」

「何ですか、がちょーんって。」

「トラン。まじめに聞かないほう良いよ。例の親父ギャグだから。」

「ミコ、分かりました。賀正と言うことですね。」

「いや、分かってるね。トランも親父の域に達してきたね。うん、うん。」

「いいえ、私は親父ではありません。生物学的には、彼女たちと同い年です。」

「だから、まじめに答えちゃだめだって。」

「そうですわ。トラン。」

「まじめに考えていたら、ジンの思うつぼですわ。」

「壺ですか。」

「その壺じゃなくて。」

「話は変わりますが、平成二十三年の年頭に当たっての皆さんの抱負は。」

「ミカ、ホーフは、掛け布団を包むものだよ。」

「ジンは、無視していきましょう。」

「私、今年は、四コマ漫画ばかりじゃなくて、CGにもチャレンジしたい。」

「その願いは、みんなで協力すれば叶いますわ。」

「協力よろしく。」

「そりゃ、ミコに頼まれなくても神定プロダクションは全面協力するよ。」

「起業したからには、会社を大きくすることが責務だからね。」

「それで、ジンの抱負は何ですか。」

「掛け布団。」

「その話は、しらけ鳥が飛んでますわ。」

「お父さん。寒い。」

「そりゃ、冬だから寒いよ。」

「分かった。分かった。」

「そんなに睨まなくても、真面目に話すよ。」

「今年の抱負は、二つ。一つは、ハモニーから託された仕事を全うすること。」

「もう一つは、地球を救うこと。以上、次は、ミカ、どうぞ。」

「私の抱負は、皆さんを含めた人々の幸福を実現することですわ。」

「トランは。」

「私は、人の心を知ることです。もちろん、親父ギャグは対象外です。」

「あれま、親父ギャグを理解しなきゃ、人類を理解できないと思うけどね。」

「クウは。」

「私は抱負というより、これからも皆さんと一緒にいたいという思いだけです。」

「そうか。何よりも絆だね。」

「今年も一致団結、チームワークを持って魂の救済とプロダクションの繁栄を祈願して乾杯。」


「おめでとうございます。本年もよろしくお願いします。」

「あれ、メグ。実家に帰らなかったの。」

「ミコ。その質問より先に、おめでとうでしょう。今年もよろしくお願いしますわ。」

「おめでとうございます。今年もよろしくね。」

「がちょーん。今年もよろしくお願いします。」

「はい、トラン。賀正ですね。そんな古いギャグ良く知っていますね。」

「今年もよろしくお願いします。それと実家には、三十日まで帰っていました。」「大学の冬休みは長いので半分を実家、残りを皆さんと過ごしたくて帰ってきました。」

「おめでとう。メグ。それじゃ、これから内宮と外宮を参拝しに行こう。」

「ジン、だめですわ。」

「先ほど、みんなで乾杯したでしょう。」

「飲酒運転になりますわ。道交法違反ですわ。」

「そうか。みんな飲んじゃったんだ。それじゃ、自転車で。」

「それも飲酒運転ですわ。」

「それに、自転車ないし、歩くには遠いよ。」

「皆さん。忘れていませんか、ゼロを。と言ってもジンがダメというでしょうから。」

「アリーナから神宮までのシャトルバスを利用しましょう。」

「おっ、トラン。良いところに気が付いたね。アリーナまでなら歩いて行ける。」

「私がバイクだけじゃなくて、車の運転ができたら良かったのですが。」

「例え、メグが自動車運転免許持っていたとしても、駐車場はアリーナしかないよ。」

「結局は、アリーナからシャトルバスに乗るしかない。」

「それじゃ、レッツラゴー。」


「えっ、シャトルバスって千円もするの、高すぎる。」

「ジン、間違えました。シャトルバスは、駐車場代込みです。」

「私たちは徒歩ですから、通常のバス停に行きましょう。ずっと安くなります。」

「でも、本数が少ないから待たないとならないね。」

「お父さん。この時期は、臨時便があると思うよ。」

「そうか。」


私たちは、さほど待つことなく、巡回バスに乗ることができた。


「すごい人ですわ。」

「ミカ、自分を参拝するって、どんな感じ。」

「ミコ、私も初めてですわ。どんな気持ちと言われても、妙な気持ちですわ。」

「そりゃ、そうだ。自分に向かって本人が、お願いするなんて絶対ないもの。」


大勢の人たちに紛れて参道をゆっくり歩いていると、巫女装束に身を包んだ女性がミカの手を取って。


「あなた様は世俗の中にいてはいけません。どうぞ、こちらへ。」

「あなたは。」

「あなたたちは、この御方が恐れ多くも天照大御神様で在らせられることを、ご存じないのですか。」

「えっ、あなたは何を言っているのですか。私は、神ではありません。」

「名前は、神野ミカと言います。」

「出版会社勤務のOLです。この人たちは同僚ですわ。」

「いいえ、私には分かります。あなた様は、天照大御神様です。」

「人に化身して降臨されたのですね。この乱れきった世の中を正すために。」

「さあ、こちらへ。」


私たちは、巫女装束の女性に誘われるままに、群衆の列から抜け出した。


「なぜ、あなたたちも付いてくるのですか。」

「私は大御神様だけをご案内申し上げているのですよ。」

「なぜって、彼女が同僚で一緒に参拝しに来た者ですから。」

「参拝して、また、一緒に帰らないと。」

「仕方ありません。一緒にどうぞ。」

「ここで、お待ちください。」


私たちは、一般人には絶対入れない奥の社の広間に案内された。


「ジン、どうしましょう。」

「取り敢えず様子を見よう。」


先ほどの巫女が、三種の神器を載せた三方を抱えて戻ってきた。


「大御神様、神剣、鏡、勾玉を奉納申し上げます。」

「あの、私は神様では、ジン、何とか言ってください。」

「自己紹介します。私は、神定人、彼はトラン。白人ですが日本人です。」

「娘の命、それと彼女は、神宮司恵。」

「えっ、私も神宮司です。私は、神宮司清子と言います。」

「ジン、ちょっと良いですか。」

「なんだい。トラン。」

「この人もメグ同様、創始者の遺伝子を百%受け継いでいます。」と小声で。

「ところで、神宮司さん。なぜ、ミカを神様と思ったのですか。」

「はい、私の家系は代々、この宮に仕えてきました。」

「私が生まれて間もなく曾祖母に抱かれたとき、私の役目を知りました。」

「曾祖母は、私が生まれる一月前から寝たきりで意識のない状態でした。」

「そして、私が物心付く前に他界しました。」

「ですから、このことは誰も知りません。親にも言っていません。」

「親も知らない、その役目って何ですか。」

「それに、どうして分かったのですか。」

「生まれたばかりじゃ、言葉も分からないし分かったとしても、昏睡状態では。」

「やはり、信じて貰えませんね。」

「曾祖母も言っていました。この事は他言無用。絶対に信じて貰えないからと。」「曾祖母の時代は戦争の時代でした。」

「そんな時代であっても、大御神様は降臨なされませんでした。」

「ねえねえ、曾祖母って何。」

「ミコ、曾祖母って物じゃなくて、ひいおばあちゃんのことだよ。」

「あー、そうか。おばあちゃんの母親のことね。」

「ミコ、ちょっと黙っていなさい。」

「さっきの話、もうちょっと詳しくお願いできますか。」

「はい、信じられない話になります。」

「確かに、私は赤ん坊で言葉も知らず目も良く見えない時でした。」

「曾祖母も寝たきりで話もできる状態ではありませんでした。」

「でも、両親から聞いた話ですが、私を連れて病院から帰ってきた時、在宅療養中の曾祖母が、その時だけ意識を回復したそうです。」

「それで曾孫である私を報告がてら曾祖母のベットに添い寝させたそうです。」「曾祖母は、私の手を握り大層嬉しそうな顔をしたそうです。」

「その時、私の頭の中に曾祖母の言葉が流れ込んできました。」

「清子、良く生まれてきましたね。おめでとう。」

「清子には、私ができなかったことを託します。」

「それは、神様を見つけ出し、この世を救って貰うことです。」

「地滅びんとするとき、天より神降臨し、この世を救う。と言う代々伝わる古文書が蔵の奥にあります。」

「長い年月に隠れて忘れ去られていますが、先祖から代々託されてきた役目です。」

「私の時代は、二度の大戦がありましたが、地が滅びることがなかったので、神様は降臨なされませんでした。」

「清子の時代も、そうあって欲しいと願っています。」

「そして、曾祖母は、また、昏睡状態になりました。」

「目からは涙を流していたそうです。」

「その後、曾祖母は私が歩けるようになる前に他界しました。」

「ですから、私には曾祖母の記憶はありません。」

「それ、テレパシーだ。」

「命さん、私もそう思っています。」

「そして、私は曾祖母の言葉をすっかり忘れていました。」

「高校の時、蔵の掃除を手伝っていて、たまたま、古い手箱に入った古文書を見付けるまでは。」

「その古文書には、何て書いてありましたか。」

「達筆な字で沢山書いてありましたが、私には読めませんでした。」

「ところが、ぱらぱらとページをめくると、曾祖母との会話にあった「地滅びんとするとき、天より神降臨し、この世を救う。」この一文だけが読み取れたのです。」忘れていた曾祖母の言葉がよみがえりました。」

「それでも、その時は私自身信じられずに、また、意識の片隅へと追いやってしまいました。」

「だって、神様を見付けろと言っても方法が分かりません。」

「それに神様が降臨するときは、この世が滅びるときです。」

「絶対に神様を見付けることはできないと思っていました。今日までは。」

「分かりますわ。」

「今のお話、誰も信じて貰えないでしょうし、自分自身でも信じられないと思いますわ。」

「それが、今日、ミカ様を見て、あなた様が大御神様と分かりました。」

「どうして分かったのですか。」

「はい。たまたま、今日は元旦。参拝者が大勢来るな。と何の気なく行列を見たとき、ミカ様だけが輝いていました。」

「その時の直感で大御神が、お出ましなさったと確信しました。」

「今も神々しく輝いています。こんな話、信じられませんよね。」

「でも、本当です。私を気が狂っていると思わないでください。」

「思っていません。でも、ちょっと確かめさせて貰っても構いませんか。」


私は、いきなり神宮司清子の手を握ってしまった。怒ったのは本人ではなく娘のミコであった。


「お父さん。いきなり清子さんの手を握るなんて、嫌らしい。離しなさいよ。」

「いいえ、構いません。ミコさん。」


私の心と清子の心が感応しあった。一分も経たないで終わった。


「えっ、そうなんですか。それが事実なら、あなたたちも神様。」

「もしかしたら、ジンさんが須佐王様、命さんは月読様、トランさんが宇宙人。」「そして、恵さんは、私と同じで神に仕える者ですね。」

「清子さんの話は全部真実だ。」

「そして、清子さんも精神感応能力者で、多分、曾おばあさんも。」

「触れることで相手の心と通じ合える能力だと思う。」

「私たちのこと、全てお分かりになりましたわね。」

「はい。」

「但し、勝手に事の内容を解釈しないように。」

「どういう事ですか。」

「ミカが神様であることは正しいけど。」

「私たちは須佐王でもなくれば、月読でもありません。」

「事実を事実として受け止めてください。」

「そうですわ。それと私は、ジンの力で人間として生まれ変わりました。」

「今は、一人の人間として皆さんの幸福を祈っています。」

「今日もこうして来ました。」

「ですから、私を大御神と呼ばずにミカと呼んでくださいね。」

「私のことはミコ、お父さんはジン、彼はトランで良いよ。」

「あっ、後一人、私の中にいるのがクウ。」

「清子さん。初めまして私がクウです。」

「今度は私の方が、この事態を俄に信じられない心境です。」

「それに、ジンさんが言った私の能力ですが、今まで沢山の人たちと接触しましたが、心は読めませんでした。」

「私にはテレパシーはないと思います。」

「人と神様を見分ける能力だけだと思います。」

「名前に、さんはいりません。その力は、もう用済みです。」

「ミカは、先ほど精神感応でお教えしたとおり全人類の信仰心、つまり、膨大な精神エネルギーが実体化した神様です。」

「他に神様はいません。曾祖母から受け継いだ役目は終わりました。」

「それでは、私も、さんはいりません。清子で良いです。」

「それじゃ、清子を縮めてキコって読んで良い。私はミコと呼んでね。」

「構いません。それでは、私も皆さんのように名前で呼ばせていただきます。」

「キコは、テレパスに間違いない。」

「そうでなければ、私と精神感応はできない。しかも、あんな短時間に。」


キコは、一分くらいで今までの出来事、私たちの全てを理解した。


「ミコ、ちょっと試して良いですか。」

「どうぞ。」


今度は、キコがミコの手に触れた。クウのことも分かった。


「本当ですね。ミコの中にクウがいますね。」

「ジン、単ある偶然でしょうけど。」

「地滅びんとするときとは、例のロボット軍団の事を意味しているのだと思いますが。」

「トラン、私もそう思う。」

「キコ、ロボット軍団の侵攻については、私たちに任せて欲しい。」

「他言は絶対しないように。」

「はい、しません。信じて貰えませんし、キチガイと思われるだけですから。」

「それに、信じたとしても今の科学力では彼らに勝てないでしょう。」

「キコ、私たちを信用して普段どおりの生活をしていてくださいね。」

「はい、大御神様。」

「大御神は、止めてください。ミカでお願いします。」

「でも。」

「キコ。私は、一個人の存在として生きていきたいのです。神ではなく。」

「だから、名前で呼んでください。」

「分かりました。恐れ多いことですが、遠慮なくミカと呼ばさせていただきます。」

「そうしてください。」


私たちは、何事もなかったようにキコに私たちの連絡先を伝え、神宮参拝を終えて事務所に帰った。


「ねえ、お父さん。」

「メグと言い、キコと言い、今の地球人にも創始者のように超能力を使える人たちがいるんだね。」

「そうだな。キコもメグも創始者の遺伝子を百%受け継いでいる。」

「ミコと私は、創始者の遺伝子は持っていないけど能力はある。」

「ジンとミコは、創始者の遺伝子を受け継いでいないのですが、ハモニーとの関わりで能力を得たのでしょう。」

「それとキコとメグは創始者の遺伝子そのものですが、力はまだまだ創始者のレベルに及びません。」

「トランの言うとおりだろうな。」

「だけどメグもキコも、どうして能力が発揮できるのだろう。」

「それは、二人とも煩悩に囚われない性格を持っているからだと思いますわ。」

「そうか。二人とも神に仕えるための術を習っているお陰で、凡人が抱える欲望や嫉妬心やらの煩悩に疎くなっているのだろう。」

「より創始者の心に近いわけだ。」

「私も、そうだと思います。」

「但し、私のエネルギー源になれるほどには覚醒していませんが。」

「待てよ。となると、今の地球人でも条件さえ揃えば、精神感応能力を持っている人が、他にもいるということだ。」

「但し、持っていたとしても私のように隠していると思います。」

「メグの言うとおりです。」

「今の地球人では、能力者を受け入れられないでしょう。」

そうだな。前にも話したけど羨望や嫉妬心やらで、忌み嫌われ迫害され殺されてしまうだろう。」

「歴史が物語っている。」


「はい、神定プロダクションです。」

「神宮司清子です。ミカをお願いします。」

「キコ、私です。何かありましたか。」

「はい、本日の参拝者の中に恐ろしい殺人者がいました。」

「私がたまたま参拝者の列を横切ったときに、一瞬ですが感じました。」

「詳しい内容は電話では、こちらに来ていただけませんか。」

「直ぐ行きますわ。前に会った社殿の広間で待っててください。」

「今、その場所から電話していますが、ここは神宮関係者以外立入禁止です。」「入れません。」

「私は、関係者ですわ。ジンたちも一緒に行きますので。」

「そうでした。ここは、ミカのお社でしたね。どのくらいで着きますか。」

「驚かないでくださいね。ほんの一瞬です。それでは、失礼します。」


キコが電話を切った瞬間、私たちは彼女の目の前に現れた。彼女は吃驚して尻餅を付いてしまった。


「あっ、済まない。やっぱり吃驚させてしまったようだ。」と私は、彼女の手を取った。一瞬で事の仔細を承知した。当然、私と精神感応能力で繋がっているミカ、ミコ、、クウ、トランも同様である。


「済みません。吃驚しちゃって、つい。」

「こちらこそ、申し訳ありません。」

「ゼロを使って移動すると言えば良かったのですが。」

「それと、ここは、やはり関係者以外立入禁止区域ですので、ゼロに移動して話しましょう。一瞬ですので今度は驚かないように。」

「はい。」


例によって、ゼロの中は真っ白であった。


「ゼロ、社殿の広間にしてくれ。」


白い部屋が、一瞬で社殿の広間に変わった。


「それでは、詳しい話をと言っても、どこの誰かも分かりませんが。」

「キコ、あなたが感じ取った内容については、私たち全員分かっていますわ。」

「しょうがないよね。人混みの中で誰に接触したのかも分からない状況じゃ。」

「ミコ、ショウガは乾物屋。」

「お父さんの親父ギャグは、無視ね。」

「手掛かりはあります。」

「正体不明の殺人者は、インターネットを利用して殺人を繰り返しています。」「彼は、必ずネットで殺人仲間を募集するはずです。」

「しかし、闇サイトの中から本命を探し出すのは至難の業だ。」

「簡単です。私に任せてください。」

「そうだよ。トランなら、簡単に探せるよ。だけど、どうやって。」

「はい、ミコ。既にサイバー警察が、このネット殺人者を追っているようです。」

「しかし、まだ、真犯人を特定するまでには至っていません。」

「犯人は海外経由でネットを利用しているので、警察が経由国を特定しても独裁政治国家体制のために、それから先は突き止められません。」

「警察捜査の限界です。でも、私に国境はありませし、限界もありません。」

「どこまでも追跡できます。」

「警察のこれまでの情報を手掛かりに真犯人を突き止めて見せます。」

「実に簡単です。」

「もう、分かりました。」

「後は、犯人が動き出すのを待つだけです。」

「あの、犯人が特定できたのでしたら警察に言ってください。」

「そうしないと、また、犠牲者が出ます。」

「キコ、それは無理ですわ。」

「ミカ、どうしてですか。」

「証拠がないですわ。」

「証拠ですか。トランが見つけ出したのでは。」

「はい。」

「しかし、特定した方法が今の地球人には理解できないでしょうから、証拠がないのと同じです。」

「良し、分かった。私たちで確固たる証拠を探そう。」

「キコ、例によって後のことは私たちに任せてほしい。」

「分かりました。お任せします。」

「それじゃ、キコを降ろして事務所に帰ろう。」


「ジン、どうやって証拠を掴むのですか。」

「任せろとは言ってみたけど、どうしよう。」

「私たちが証拠を見付けるのは簡単だろうけど、警察に直接それを持って行くわけには行かない。」

「何で直接、持って行けないの。」

「そりゃ、ミコ。警察と関わると、私たちも事情聴取を受けるだろう。」

「話の中で辻褄が合わないと、こっちまで疑われる。」

「疑われるって、どうして。」

「良ーく、考えてみろよ。」

「私たちのやり方で行くと、現地球人には理解できないところが必ず出てくる。」「説明しようがない部分、つまり、我々の能力のことだよ。」

「そうか。私たちの能力がバレたら大変だ。」

「トラン、警察の情報で殺人の手口とか分かるかい。」

「はい、手口は闇サイトで殺人の協力者を募集し、出会い系サイトなどで犠牲者を物色しています。」

「そして、今までに犠牲者の死体は見つかっていません。」

「うむ。死体なき殺人か。待てよ。」

「それじゃ、警察は、どうやってこの犯罪を察知したんだ。」

「北海道の少女殺人事件の遺留品から、このネット殺人事件の手掛かりを得たようです。」

「ああ、私たちが助けることができなかったあの事件。」

「はい、自殺した彼は再犯する可能性が高いことから、警察は彼を追跡していたことは言いましたね。」

「そうだ。しかし、警察は彼を見逃し再犯を阻止できなかった。」

「そのために、少女三人が犠牲となったわけね。思い出すだけでムカ付く。」

「しかし、あの事件とキコが察知した殺人事件と、どう繋がるんだい。」

「はい、ジン。」

「警察は自殺した犯人の遺留品を手掛かりに、同様な手口で殺人が繰り返されているのではないかとの疑いを持ったようです。」

「それで、サイバーネット警察は、犯罪に繋がりそうなサイトを常に監視していました。」

「闇サイトは、もちろん、犯罪性の高い内容が投稿されていないかなどを常にチェックしています。」

「そんな中で、このネット殺人を確信し捜査しているのです。」

「警察もやるね。少し見直した。」

「しかし、何を根拠に事件性を確信したんだろう。」

「はい。警察は公式発表をしていませんが、ここ数年行方不明者の増加が著しいこと。」

「それが北海道の事件同様、出会い系サイトを始めとするインターネットに関係していること。」

「闇サイトに殺人や大量殺戮をほのめかす投稿があること。」

「そして、その一部が実行されて犯罪が起こっていることなどから。」

「このネット殺人が事実であることを突き止めたのです。」

「しかし、捜査は行き詰まっています。」

「国境の壁というやつか。」

「それでも、警察庁はインターポールと密接に情報を交換しています。」

「インターポールって、何。」

「ミコ、インターポールとは、国際刑事警察機構のことです。」

「国際的な犯罪防止のために、世界各国の警察から結成された国際組織です。」「加盟国は、百九十ヵ国に及びます。」

「それじゃ、私たちの出番はないわけね。」

「ミコ、そう単純には行かないんだよ。インターポールにも国境の壁がある。」

「どうして、国際的で大きな組織でしょう。」

「協力し合えば直ぐに犯人を捕まえられるでしょう。」

「そりゃ、そうだけど。」

「協力し合うにも、国家体制や宗教、民族やらの違いで百%とは行かない。」

「国家間の利害得失も絡む。」

「どういうこと。」

「例えば、去年九月に起きた尖閣諸島沖でC国漁船が、日本の海上保安庁巡視船に体当たりした事件。」

「はい、ありましたわ。確か公務執行妨害で漁船の船長さんたちを逮捕しましたが、裁判所は処分保留で釈放しましたわ。」

「ミカが言うその事件。通常なら釈放はあり得ない。」

「証拠が明らかで起訴できるはずだが、日C国双方の領土問題が絡んで那覇地検は処分保留とした。」

「もちろん、地検は処分保留で釈放したことについて、政治的問題は関係なく地検独自の判断であることを強調していたけどね。」

「通常の国家体制の国であれば他国で犯罪をすれば、その国の法によって裁かれる。」

「しかし、C国は不当勾留と避難して即時釈放を要求、帰国した船長たちを英雄として出迎えた。常識が通らない国だ。」

「どうして、日本はC国の言いなりになるの。」

「多分、太平洋戦争で侵略した国への贖罪と反省の念からくる自虐史観のため、被侵略国に遠慮があるのだろう。」

「ジン、それは建前論です。率直に言うと軍事力の差です。」

「日本は、C国に経済援助の名目で、この三十年あまりで約三兆六千万円を借款し、その間、C国は急速な経済成長を遂げ日本を追い越しました。」

「にも関わらず、今も日本はC国に無償資金協力と技術援助をしています。」

「トラン。それ、おかしいでしょう。」

「何で日本を追い越した経済大国に日本がお金を払うの。」

「おかしいですが、事実です。」

「この間、C国は日本を始めとする他国からの経済支援を利用し、浮いたお金で軍事力を強化してきました。」

「その結果、日本は米国との安全保障条約を持ってしても、C国を押さえられなくなりました。」

「トランの言うことは事実だけど、C国としても戦争は避けたいはずだ。」

「そのとおりですが、C国は日本を挑発することによって、日本側からの偶発的局地戦を起こそうと狙っています。」

「でも、そうなったら局地戦では収まらないと思うけどな。」

「安保を堅持するアメリカを初め西側諸国はC国を批判すると思うよ。」

「ジンの言うとおりですが、欧米諸国はC国を批判はすれども軍事介入はできないでしょう。」

「なぜ。」

「それは、C国が先進諸国にとっては、日本以上に巨大市場だからです。」

「C国はそれを自負しています。」

「プラス、先進諸国にとって安価な労働力を提供してくれる資源国にもなっています。」

「それに、C国は経済的に疲弊した国を経済、軍事の両面から国際的援助という名目を使って直接間接的に赤化を図るでしょう。」

「赤化って、何。」

「他国を共産党の支配下に置くことだよ。」

C国は過去に欧米列強の植民地になっていた。」

「C国としては、今度は欧米諸国のみならず、全世界を赤化してC国の植民地にしたいのかも知れない。」

「最初のターゲットが日本だろう。」

「C国は太平洋に侵出したいが、日本がそれを邪魔している。」

「既に、日本は経済的にも軍事的にもC国の揺さぶりを受けている。」

「実際、C国は日本への自国資源の輸出制限を掛ける一方で、他国資源の独占化を図っています。」

「後者のターゲットは、南、東シナ海やアフリカ諸国です。」

「C国のことは、これくらいにして話をネット殺人の件に戻すけど。」

「インターポールを持ってしても犯人に辿り着けないなら、やっぱり私たちが出張らないといけないな。」

「はい。インターポールは、この事件は国際的な臓器密売組織が関係していると睨んでいます。」

「そして、ネットの発信源がC国国内であることを突き止めましたが、それから先の捜査ができません。」

「どうしてですか。C国はインターポールに加盟していないのですか。」

「ミカ、もちろんC国も加盟していますが、C国政府はそのような犯罪組織は一切ないと言明し、国内での捜索活動を拒否しています。」

「C国は、そういう国だよ。」

「それじゃ、お父さん。私たちC国に行くの。」

「うむ、C国に行って元を絶ちたいけど、確固たる証拠を突きつけてもC国政府が、ちゃんと取り締まるかは疑問だ。」

「まずは、日本にある犯罪組織を警察に壊滅して貰おう。」

「それじゃ、根本的な解決になりませんわ。」

「仕方ないよ。」

「もし、我々がC国に乗り込んで証拠を突きつけても、C国の警察がどこまで取りしまるか分からない。」

「例え、犯罪組織が壊滅したとしても、新たな組織が取って代わるだけだ。」

「でも、日本にある犯罪組織に限らず各国の組織を壊滅すれば、大元の組織も衰退する。」

「インターポールが介入できない政治体制の国々にある組織も壊滅に追い込める。」

「まずは、日本の組織から手掛かりを見付け、後は各国の警察力に委ねるしかないよ。」

「それで、どうやって日本にある組織の証拠を見付けるの。お父さん。」

「んーっ、それが問題だ。」

「ところで。トラン。ネット殺人者の名前とアジトは。」

「はい。名前は田中健二、住所不定ですが、居場所は分かります。」

「それだけ、他に情報はないの。」

「はい、ミコ。」

「彼は、プリペイド携帯で殺人仲間を募っています。」

「彼のメールアドレスと、その時々の携帯電話の発信場所しか分かりません。」

「となると、田中健二という名前も偽名だろうな。それじゃ、潜入捜査だ。」

「潜入捜査って。」

「彼の殺人仲間募集に応募するんだよ。」

「誰が。」

「誰がって、私しかいないでしょう。」

「ジンが、ですか。」

「そう。」

「それと、バックアップはトランに頼む。ミカとミコは、本業の漫画作成。」

「何だ、つまんない。」

「分かりましたわ。何か手伝うことがあったら言ってくださいね。」

「ミカには、ミコの見張りをお願いするよ。ちゃんと仕事をするようにね。」

「分かりましたわ。」


「トラン、ハモニーから託された仕事じゃないけど、知ってしまったからには知らん顔もできない。」

「私もです。」


「はい、これが裏サイトで購入したプリペイド携帯です。」

「本当、嘘の住所に偽名で直ぐ買える。闇ルートは凄い。絶対に足が付かない。」「早速、ネット殺人に応募しよう。」


佐藤健二からの返信が来るまでに、一週間が過ぎた。


「ジン。彼は今、新宿にいます。」

「良し、移動しよう。」


「彼ですね。」

「彼は、メールでコイン駐車場にある一番の車を出すように指示している。」

「私は指示どおりに動くからトランは、彼を尾行して組織の手掛かりを探ってくれ。」


二人は別れた。私は、指示にあったコイン駐車場に行き、車のシャーシー裏側に貼られた鍵を使って車を開けた。運転席には一通の封筒が置かれていた。中には当座の金が十万円と、この車を使って被害者を冷凍保存するようにと書かれた手紙が入っていた。報酬は、一体に付き百万円。車は、冷凍食品を運ぶ営業車に似ている。北海道の少女殺人事件に使われた車のように段が仕切られていた。


「しかし、こんなやり方。金だけ取って逃げちゃえば十万円丸儲けだ。」

「しめしめってか。ちょっと試してみるか。」


私は金だけ取って近くの汚い暖簾が掛かった今にも潰れそうな飲み屋に入った。何せ私の格好は、会社をリストラされ一家離散して一年間、着た切り雀の作業服姿風である。金があっても小綺麗な居酒屋には入り辛い出で立ちだ。酒三合とおでんで二千円ぽっきり。金を払い店を出た。何事も起こらない。


「これぐらいの素振りじゃ、だめか。」

「組織の連中が来ると思っていたが、連中も慎重だな。」

「来れば、何か手掛かりが掴めたかも知れないのに。」


仕方なく私は、組織が用意した車の中で寝ることにした。


「トラン、そっちの状況は。」

「はい、佐藤健二は、単なる繋ぎ役のようです。」

「彼を捕まえても組織の全貌は分からないでしょう。」

「しかし、組織は彼とどうやって連絡を取っているのだろう。」

「こっちもちょっと、揺さぶりを掛けたけど何の反応もない。」

「これじゃ、組織のしっぽも掴めない。」

「組織からの彼への繋ぎも、ネットで行われています。」

「但し、発信源はウィルスに冒され、遠隔操作された不特定多数のパソコンから送られています。」

「しかも、そのウィスルは一回使用されると、自動的に消滅するようにプログラムされています。」

「ゼロでも突き止めることは無理です。」

「私も佐藤健二も手先に使われている連中は、単に金で雇われているだけで組織の人間は、絶対に表立って行動することはないようだ。」

「それとジンが乗っている車は、C国製で盗難車でもなく登録歴もありません。」「つまり、車から得られる情報も全くありません。」

「それじゃ、今、彼を捕まえたとしても、組織のことは分からないということだ。」

「はい。」

「どうしたものか。待てよ。遺憾、遺憾。」

「ジン、何か名案でも。」

「いや、ちょっと危険すぎる。」

「どんな案ですか。」

「私が指示どおりに殺人を犯すことだよ。」

「被害者は、トラン。違法入国した天涯孤独のホームレス外人ってとこかな。」

「それは、名案です。」

「私は、心臓を止めても大丈夫です。何の問題もありません。」

「トランの死人役には問題はないけど。」

「私たちの存在、つまり能力が世間に知られてしまう危険性があるということだよ。」

「その危険性はありますが、今までどおり私たちに繋がるような痕跡を残さなければ何の問題もありません。」

「そりゃ、そうだが。」

「大丈夫です。ゼロは、地球上のあらゆる情報ネットワークと繋がっています。」「このコイン駐車場の監視カメラの映像もしかりです。」

「既に、ジンが特定されないよう映像処理してあります。」

「それと、この車を持ってきた男ですが、やはり、住所不定のホームレスで前科者です。しかし、組織に繋がる情報はありません。」

「分かった。先のことを悩んでも仕方がない。」

「このままじゃ、埒が明かない。」

「早く組織を壊滅させないと犠牲者が増えるばかりです。」

「トランの言うとおりだよ。」


早速、仕事が終わったことを、裏サイトのアドレス(佐藤健二)にメールした。返信メールには、この車を江東区は有明の鉄鋼埠頭にある一番南のガントリークレーンの下に運ぶこと。金は、そこに駐車してある同じタイプの車の中に置いてあること。仕事を続けるなら、その車を使うこと。この一回で辞めるなら車を、このコイン駐車場に戻すこと。と書かれていた。


「このクレーンだな。同じタイプの車もある。」

「死体一つで百と十万か。ぼろい儲けだ。殺人をいとわなければの話だが。」

「北海道の少女殺人事件が発覚していなければ、殺人鬼は三百万円余りを手にし、私を撃たなかったら今でも殺人を続けているだろう。」

「しかし、この国際犯罪組織は、冷凍した死体をどうする気なのだろう。」

「ジン。」

「なんだい。トラン。」

「その一万円札は、偽物です。」

「へーぇ、素人目には分からないけど。ところで、何で偽札と分かった。」

「ゼロのセンサーによると、偽造防止のためのホログラムとシークレット文字、ユーリオン、そして、すき入れがありません。」

「それ以外は、本物と同じです。」

「ホログラムとシークレット文字は知ってるけど。」

「ユーリオンとすき入れって何。」

「ユーリオンは、複写機によるコピー防止機能。」

「すき入れは、紙幣の厚さを一部薄くして偽造紙幣と本物を見分ける方法です。」「一万円札は、すきが三本入れてあります。」

「本当だ。このホログラム角度を変えても、桜と日銀のロゴ、10000の数字が見えない。偽札だ。」

「だけど、他の見分け方については、私には分からない。」

「紙質、絵柄など。これだけ精巧に偽造されていると、ホログラムを見ない限り偽札とは分からないでしょう。」

「普通、渡された紙幣のホログラムをいちいち確認しない。」

「もし、そんな事してたら相手は怒るし、時間が掛かって他の客も怒り出す。」「商売にも差しさわる。」

「もし、ジンが気付かずに、この一万円札を使っていたら大変なことになります。」

「その心配はいらないよ。」

「もともと悪事の代金を使うつもりはないから、場末の飲み屋代は自分の金で支払った。」

「しかし、佐藤健二を始め、他の連中は知らずに偽札を使っているわけだ。」

「その内、警察に捕まるだろうな。」

「彼らが捕まったとしても、国際犯罪組織の事は明らかになりません。」

「北海道の少女連続殺人事件でも、常軌を逸した殺人鬼による単独犯行となっています。」

「彼は、私を殺そうとして自殺扱いになったけど。」

「もし、生きていたら絶対に死刑にして貰いたい殺人鬼だった。」

「もし、彼が生きていたとしても、現行法では、彼を死刑にはできません。」

「そりゃ、そうだけど。」

「奴は発覚していない殺人を含めたら、いったい何人殺しているんだ。」

「三回の起訴された分だけでも七人です。一回目と二回目は、それぞれ二人。」「三回目の北海道では三人です。」

「トータル的には死刑に値しますが、結審された前刑の罪を次刑に加算して裁くことはできません。」

「だから困る。日本には終身刑がない。無期懲役じゃ、いつかは出てくる。」

「罪を憎んで人を憎まずか。」

「自分の家族や友人が殺された人たちの身になったら、そんな言葉は言えない。」「私が撃たれたことは、犠牲者の増加防止になったわけだ。」


そんな話を精神感応でしている間に、指定のコイン駐車場に着いた。私は、車を指定番号の駐車スペースに入れその場を離れた。後は、トランのバックアップに徹するだけだ。


「ゼロ、私を尾行している者はいるかい。」

「いません。」

「それと、監視カメラの映像から、ジンを特定できないように処理をしました。」

「有り難う。」


私は、人目に付かないところでゼロに乗った。


「さて、ゼロ。トランの所へジャンプだ。」

「それと椅子と机。床だけを残して透明モードにしてくれ。」

「暗くて見えないな。」

「それでは、明度を上げます。」

「おっ、これでハッキリ見える。トランは、あのコンテナ船にいるな。」

「トラン、気分はどうだい。」

「気分は問題ありませんが、退屈です。目的地まで我慢します。」

「ゼロ、この船の船籍と目的地、到着時間を調べてくれ。」

「はい、船籍はH港にあるドラゴン海運の運搬船です。」

「目的地はSHで到着予定時刻は、三日後の午後十九時です。」

「三日後。」

「トラン、申し訳ない。一人で船旅を楽しんでくれ。」

「じゃ、三日後の夜七時にSHで、一旦、帰るよ。」

「何か動きがあったら呼んでくれ。急行するから。」

「分かりました。それでは、三日後に。」


「ただいま。」

「あら、ジン。帰りが早いですね。事件は解決しましたか。」

「いいや、ミカ。」


私は、東京での出来事をミカとミコに伝えた。


「それじゃ、お父さん。」

「結局、何の手掛かりもないってこと。」

「今のところはね。トランが死体役で頑張ってくれてるよ。」

「それと、この偽札良くできてるよ。ホログラムが偽造できたら完璧だね。」

「あっ、そうそう、本物のお札は、画像処理ソフトや電子複写機でコピーできないって知ってた。」

「知りませんわ。」

「私も。」

「じゃ、お二人さん。この偽札と本物をコピーしてみて。」

「私やる。あれ、本当だ。」

「偽物はコピーできるけど、本物はコピーできない。」

「どこが違うのですか。」

「おっほん、それはね。」

「ユーリオンて言う識別模様が本物には印刷してあって、画像処理ソフトや複写機でコピーできないようにしてあるのさ。」

「これ日本の会社が特許を持っている技術だよ。日本の技術って凄いだろう。」

「へーっ、凄いね。じゃ、この偽札どうやって作ったの。」

「ミコ、これは精巧な原版があって、最新の印刷機を使って作っていると思うよ。」

「どこで。」

「それも、ネット殺人事件を追って行けば分かると思う。」

「根っこは、国際犯罪組織にある。後は、トランからの連絡待ち。」


「さて、今頃、トランはSHの港に着いている頃だ。ちょっと行ってくる。」

「ちょっと待って、私たちも連れて行ってよ。お父さん。」

「だめ。前にも言ったけど、相手は国際犯罪組織だ。危険すぎる。」

「自分の身は、自分で守れるわ。」

「それでも、だめ。ミカ、ミコの見張り、よろしく。それじゃ。」


私は、ゼロの中からトランを見張ることにした。


「トラン、生きてる。」

「いいえ、私は死人です。生きているわけがないでしょう。」

「そんなに突っかからなくても、三日もほったらかしにしたことは、ご免ちゃい。」

「あっ、その謝り方、本当に悪いと思ってないですね。」

「この役、二度とご免です。」

「そうは言っても、この役、トランにしかできないよ。」

「分かりました。」

「おっ、迎えが来たようだよ。危なくなったら、直ぐ助けるから。」

「大丈夫です。彼らも死人には、手を出さないでしょう。」


同じようなコンテナが、十個。生鮮食品と明記されている。検疫なしで一台の大型トレーラーに積み込まれた。運び込まれたのは、SHの人民公社と書かれた看板がある倉庫立ての建物であった。


「人民公社って、何。」

「住民による生産、消費、教育、政治などの生活全般を取り仕切るために作られた地区組織です。一九七九年に組織は解体されています。」

「それじゃ、この倉庫は現在使われていないということだね。ゼロ。」

「そのとおりです。」

「しかし、この倉庫には地下施設があります。」


トレーラーを切り離した車は、その場を立ち去った。しばらく、何の動きもなかったが、床が突然トレーラーごと地下に降下した。


「ほう。かなり大掛かりな施設だ。」

「トラン。この施設を調べるみるから、もう少し我慢してくれ。」

「はい。」

「ゼロ、この施設の見取り図を手に入れてくれ。」

「既に、コンピューターにアクセスしています。スクリーンに出します。」

「地下三階建てで部屋数は四十室。この一番大きな部屋はに行ってみよう。」

「この部屋は、偽造紙幣を作るところです。」

「ドル、ポンド、ユーロー、元もあります。」

「凄い印刷工場だ。」

「ジン、トランが運ばれた部屋に行ってみましょう。」


「あれ、この部屋、ロボット軍団の偵察宇宙船の中と似ている。」

「間違いない。この部屋は、死体をバラバラにするところだ。何のために。」

「臓器の密売です。」

「この他、この国際犯罪組織は、殺人請負、薬物製造密売、人身売買、紙幣やブランド製品の偽造など、お金になる犯罪を生業にしています。」

「許せんな。トラン。」バラバラにされる前に脱出してくれ。」

「待てよ。死体が一つ足りないと分かったら、この組織がどう出るか。」

「下手をすれば、証拠が隠滅されて元の木阿弥になってしまう。」

「しかし、このままじゃトランがバラバラにされちゃう。」

「問題ありません。バラバラにされても、私は元に戻れます。」

「そうは言うけど、トランがバラバラにされるなんて。私には我慢できない。」

「私は、気にしません。」

「私は、多いに気にする。」

「仲間が切り刻まれるのを黙って見ているのは辛すぎる。」

「それでは、私を使い物にならないようにします。」

「どうやって。」

「簡単です。腐ってしまえば良いのです。腐った生鮮食品は食べられません。」「腐って売れない臓器は、お払い箱です。ゴミとして破棄されるでしょう。」


トランの言うとおり、移植ができない状態の死体は焼却処分になった。彼の他に三人が焼却された。


「可哀想だけど、仕方がない。」

「焼却された三人も含めて臓器密売のために殺されてしまった人は二十五人。」「今も何処かで誰かが犠牲になっている。早く決着を付けないと。」

「トラン、申し訳ない。厭な役を押しつけて、本当に、ご苦労さん。」

「構いません。」

「トランのお陰で組織の手掛かりが得られた。」

「後は、どうやって警察に情報を流すかだ。」

「私たちの関与を疑われないように証拠を突き付けないと。」

「組織のコンピューターにある全てのデーターを、インターポールのコンピューターに送りましょう。」

「無記名の内部告発です。」

「日本の警察じゃ、だめかい。」

「だめです。」

「日本の警察でC国の犯罪組織を摘発しても、C国は動かないでしょう。」

「例え、動いたとしても対外的で表面的な摘発になるだけです。」

「日本は、国際的に外交が下手です。C国に負けてしまいます。」

「根絶はできないということか。」

「はい。それと、この組織の収益が共産党の有力者にも流れています。」

「となると、インターポールでも無理ということじゃない。」

「日本からより、インターポールからの摘発の方が、若干効果が期待できます。」

「それじゃ、組織の一時的な弱体化は図れるけど何の解決にもならない。」

「いいえ、この情報をインターポールに流せば、共産党の存続にも関わる重大スキャンダルになります。」

「共産党の資金源として、この犯罪組織が貢献してきたことは明らかです。」

「そんだったら、日本の手柄になるように情報を流したら。」

「先ほども言いましたが、日本は外交が下手です。」

「外交下手とは。」

「つまり、相手国に気を付かい過ぎて事実を全て言わないか。」

「例え、言っても公式には伝えない。」

「先の大戦で迷惑を掛けたという自虐史観が働き、はっきりと言いきれない。」「言ったとしても、C国に握りつぶされるか。」

「逆に日本のデッチ上げだと言われ、国際的に非難されるのが落ちでしょう。」

「どっちにしても、日本は不利な立場に追い込まれるのか。」

「そうです。日本がこの事実を公にすれば、また、C国国民は日本バッシングを行い、日本の進出企業はデモ隊の標的になります。」

「C国政府も日本への資源輸出や日本製品の輸入に制限を掛けるなど、日本を経済的に揺さぶります。」

「そう言えば、そうだな。過去に何回もやられてる。」

「日本の経済的損失は大きい。」

「ですから、この組織の情報は、全てインターポールに流します。」

「西洋人は、日本人のように、曖昧なことはしません。」

「白黒はっきりさせる民族です。」

「でも、その情報には、共産党の存続に関わる大スキャンダルが含まれているのだろう。」

「インターポールとしても、公にできないと思うよ。」

「今、C国共産党が崩壊すれば、すなわちC国という国がなくなるということだ。」

「C国という巨大市場が崩壊したら、国際経済は一挙に破綻する。」

「それは、先進諸国も望まない。」

「そのとおりです。」

「インターポールは、この情報を公にせずC国共産党を揺さぶるでしょう。」

「インターポールには、日本のような弱みはありません。」

「したがって、公にしない条件で共産党は極秘裏に、この犯罪組織を壊滅させるでしょう。」

「政治的取引が働くわけだ。」

「どんな解決方法にしろ組織が壊滅さえすれば、犠牲者はなくなる。」

「できるだけ早く、インターポールには動いて貰いたいね。」

「既に、非公式な外交ルートを通じて動いています。」

「流石、インターポール、やることが早いね。」

「日本の警察じゃ、こうは行かない。」

「いろいろ根回して、角が立たないような策を協議している間に、一ヶ月以上は掛かると思うよ。」

「その間に、どれだけの犠牲者が増えるか。考えたくもない。」

「それじゃ、事務所に帰ろう。」

「はい。」


「ただいま。ミコは、もう帰った。」

「はい、帰りました。犯罪組織の手掛かりは掴めましたか。」

「もちろん。既に、インターポールが動いている。」

「後は、C国政府の対応待ちだ。」

「ジン、動くのはC国政府ではなく共産党の非公式な特殊部隊です。」

「スパイみたいなもの。」

「いいえ、C国政府の存続を脅かす全ての事態に、対処するために作られた裏の組織です。」

「通称、掃除屋と呼ばれている集団です。決して表には出てきません。」

「掃除屋ね。つまり、暗殺集団ということ。」

「はい。人に限らず、政府の存続を脅かす全ての事象に対処することが任務です。」

「しかし、そんな組織、諸刃の剣じゃない。」

「はい、ですから、彼らは絶対に証拠を残しません。」

「任務に失敗すれば、自分で自分を抹殺します。」

「この二十一世紀に、国のために自分の命を掛ける闇の集団があるとはね。」

「ジン、軍人は。」

「軍人は、自分の命を掛けて国のために戦いますわ。」

「軍人は、公の軍隊に属し、国家正義の大義名分の下に戦う。」

「任務に失敗したからといって抹殺されることもない。」

「軍隊と彼らの組織は一緒のものじゃない。」

「彼らは、闇に生まれ、闇に死す哀れな存在だ。戦国時代の忍者と同じだ。」

「彼らは、幼少期から洗脳され、特殊な戦闘技術を叩き込まれた集団です。」

「現代版の忍者のようなものです。一騎当千の力を持っています。」

「何より死を恐れない。そんな連中が、日本に潜入してきたら空恐ろしいよ。」

「彼らの存在を裏付けるものは、全くありません。」

「ゼロの情報網を持ってしても、彼らの動向を掴むことは困難です。」

「しかし、彼らが動けばその痕跡は掴めます。」

「それじゃ、ゼロに解体された人民公社の倉庫を見張って貰おう。」

「分かりました。」


私たちが、国際犯罪組織の証拠をインターポールに流してから一週間が過ぎた。


「ジン、あの人民公社の地下工場がなくなりました。」

「それと佐藤健二とジンの前に車を使ったホームレスの携帯からの信号が途絶えました。」

「掃除屋が動き出しているということだね。」

「彼らが、ジンの前に現れるのも時間の問題です。」

「何で。」

「ジンは、例のプリペイド携帯を、まだ、持っているでしょう。」

「ああ。」

「彼らは、この犯罪組織に関わった全ての者を抹殺しようとしています。」

「証拠隠滅です。」

「追跡の手掛かりは、犯罪に使用された携帯電話が発する電波です。」

「しかし、あれ以来、この携帯の電源は切っている。」

「電波を頼りにここには来れない。ということは、携帯を使わない限り私を捜し得ない。安心だ。」

「しかし、彼らはジンを見つけ出し、抹殺するまで諦めないでしょう。」

「でも、不可侵のジンは、絶対に抹殺できませんわ。」

「トラン、私のクローンを作ってくれないかい。」

「はい、但し、感情は抜きます。」

「クローンといえども創始者の技術を使うと、人間そのものです。」

「感情を持たせては可哀想です。本当にジン自身が死ぬのと変わりません。」

「せめて感情を与えないのが慈悲というものです。」

「済まない。安易にクローンを私の身代わりに使おうとしたことは止めにする。」

「その代わり私の等身大の人形、人間もどきとでも言えば良いかな。」

「つまり、人形といっても、布や綿じゃなくて私の細胞や臓器を使った人形、言わんとしていることが分かるかな。トラン。」

「分かります。ジンの細胞から培養した皮膚や臓器を使って、ジンの人形を作るわけですね。」

「そのとおり。今の科学力じゃ人間と見分けが付かない。少しは心が痛まない。」


「これで動けば、人間そのものだ。」

「トラン。ジン、そのものですわ。」

「だけど、ジンの身代わりで殺されてしまうと思うと可哀想ですわ。」

「それを言わない。私だって心苦しいんだから。」

「それでも掃除屋集団に私が死んだと確信させないと彼らが死ぬしかない。」

「殺し屋とはいえ、任務失敗で彼らが死なざるを得ない方がもっと可哀想だ。」

「そうですわ。仕方ありませんね。」

「それに、このジンもどきには、始めから命はありませんものね。」

「じゃ、トラン。後は、私が殺されるときに、タイミング良く入れ替えてくれ。」「それと、新宿に移動しよう。」

「私は新宿のホームレスだ。伊勢にいてはおかしい。」

「新宿で佐藤健二の携帯に、また、ネット殺人に参加するとメールを送ってみる。」

「こちらから、彼らの罠に飛び込むわけですね。」

「そう。」

「私が早く彼らに殺されないと、他の誰かが私と間違えられて殺されかねない。」


私は、新宿中央公園で佐藤健二にメールを送った。今度は直ぐ返事が返ってきた。前と同じコインパーキングに、車を取りに行くよう指示された。


「飛んで火にいる夏の虫か。あれ、指定された場所に車がない。」


「突然、プリペイド携帯が鳴った。私は携帯をポケットから取り出して見た。」「ベルが鳴り止んだ。次の瞬間、私は三人の男たちに囲まれていた。」


「警察です。ご同行願いますか。」


私は、おどおどした態度で逃げる素振りをしたが、二人の男に両脇を抱えられてしまった。彼らは、無理矢理、私を車に乗せた。


「私は、何も悪いことはしてません。」

「ただのホームレスです。勘弁してください。」


男たちは無言のまま、私の名前や素性を確かめようともしなかった。


「ジン、その三人は警察ではありません。」

「やはり、そうか。警察なら私の素性を確かめるはずだが、何も聞かない。」

「掃除屋に間違いありません。」

「しかし、言葉に外国人訛りがない。」

「良く訓練されている。三人とも屈強そうだ。」


私は、不安そうな視線を彼らに向け、貧乏揺すりを続けていた。


「あんたら本当に警察かい。私をどうするつもりだ。」

「五月蠅い。静かにしろ。」


催眠液を浸した布を口に当てられた。私は、その液を吸い込まずに眠りに落ちた振りをした。彼らは、とある町の鉄工所の敷地に車を止め、私を溶鉱炉に押し込めた。いよいよ私を殺すつもりらしい。


「良し、火を付けて灰にしてやれ。」

「非情だね。この人たち。生きたまま焼く気だよ。トラン、入れ替えだ。」

「はい、これは、鉄を溶かすための炉です。」

「人間は跡形もなく燃え尽きてしまいます。何の証拠も残りません。」

「そんな説明は良いから、早く入れ替えてくれ。」

「そうしないと彼らが焼け死ぬぞ。」

「はい、はい。」

「あっ、トラン。この前の仕返し。何か、この状況を楽しんでない。」

「そんなこと、ありません。」


私ともどきは入れ替わった。


「あっ、トラン。その顔、笑ってない。やっぱり。」

「済みません。これで、おあいこです。」

「酷いね。トランも、まあ、おあいこか。」

「しかし、佐藤健二たちも同様に殺されたと思うと可哀想だね。」

「彼らは、自業自得です。」

「このネット殺人に関わった人たちは、全員抹殺されるでしょう。」

「それが、彼ら掃除屋の仕事ですから。」

「しかし、後ろめたさが残る。」

「私たちの能力を使えば、簡単に助けられる命なのに。それができない。」

「仕方ありません。」

「私は、犯罪者集団を助けられなかったことより、彼らの犠牲になった人たちを助けて上げられなかったことの方に、より後ろめたさを感じます。」

「そうだな。私も同感だ。」

「私たちの力を持ってしても、これから先、死に行く人たち全員を助けられない。不可能だ。」

「それでも、将来、私たちに関わる人たち全員を最大限に救って上げたい。」

「生きている人の命も、死んだ人の魂も含めて。」

「ジンの言うとおりです。頑張りましょう。」


私たちは、掃除屋集団の任務終了報告を確認後、事務所に帰った。


「ただいま。」

「お帰りなさい。」

「お父さん。上手く行った。」

「首尾は上々。掃除屋は、私を抹殺したと確信している。これで、一件落着だ。」

「でも、ジン。掃除屋さんたちは、どうするのですか。」

「どうするって、ミカ。どういうこと。」

「彼らも殺人集団ですわ。国際犯罪組織と変わりませんわ。」

「このまま放って置くのですか。」

「私も放って置きたくはないけど、彼らに手を出せないのが現実だ。」

「ジンの言うとおりです。掃除屋は、共産党の一機関。」

「つまり、C国政府に守られています。」

「インターポールでも、何処の国でも手出しはできません。」

「掃除屋集団は、一党独裁の偏った正義の名の下に、国家の命令で動いている。」「犯罪組織とは違う。それでも、非合法な手段は許し難い。」

「だからと言って、彼らの存在を公にするわけには行かない。」

「どうして、お父さん。」

「ミコ、考えてもみなさい。」

「例えば、彼らの存在や証拠をネットとかに流したら、C国政府はどうすると思う。」

「えーとっ。きっと、しらばっくれるね。」

「それだけで済むと思うかい。」

「そうですわ。証拠隠滅のために、掃除屋さんたちを抹殺すると思いますわ。」

「ミカの言うとおり。国際犯罪組織は、抹殺されるだけの罪を犯し続けた。」

「けれど、掃除屋は犯罪者集団じゃない。」

「それに、彼らの存在が公になった時点で、彼らは自ら命を絶つだろう。」

「そうなることが分かっているのに、敢えて私たちが手を下して良いものか。」「それを考えても私にはできない。」

「分かりましたわ。」

「私も彼らを死に追いやるようなことは、したくありませんわ。」


月が二つ


「ねえねえ、このニュース見て。」

「ミコ、その話しは知ってるよ。」

「えっ、昨日のテレビじゃ、何も言ってなかったと思うけど。やってた。」

「いいや、やってない。ガイアからの情報として既に承知していた。」

「実際に出現したのは、昨日の午後十一時二十三分十一秒のことです。」

「トランの言うとおり昨日から出現していたけど、ちょうど月の裏側で地球からは見えていなかった。」

「それで、月の裏側のガイアが発見したわけね。」

「そのとおりです。」

「それで、このもう一つの月は、何なの。」

「ロボット軍団と関係があります。」

「えっ、うそ。」

「嘘では、ありません。」

「だって、軍団が地球に到達するのは、少なくとも二年くらい掛かるはずじゃなかったっけ。」

「はい、計算上は、そうでした。」

「どういうこと。」

「それは、トランにも分からないよ。」

「それより、なぜ彼らが突然現れ、しかも攻撃してこないのか。」

「そこんところが分からない。」

「そうですわ。」

「今までの情報からすれば、ロボット軍団は火星との惑星間戦争に敗れた人類が、その子孫を滅亡させるために作られたものですわ。」

「そのとおりだよ。」

「現に、アクエリアスでは、六億年経った今でも火星人類への復讐心を植え付けている。悲しいことだ。」

「ねえ、お父さん。それじゃ、間もなく攻撃してくるんじゃない。」

「それが、ガイアからの知らせでは、あの月と同じくらい大きな宇宙船ではなく、人工惑星と言った方が適切だろう代物は、攻撃態勢を取っていないようだ。」

「どうして。彼らの目的は、過去の恨みを晴らすことじゃないの。」

「どうやら、アクエリアス星のアイリーンに渡した現在の地球の情報が、功を奏したのかも知れない。」

「そうですわ。今の地球人は、当時の火星人類とは全く関係ないですものね。」

「でも、ジン。そうだとしたら、なぜ姿を現したのでしょう。」

「トラン。そこが分からん。」

「恨みを晴らすという目的がなくなったら普通は帰るはずだ。」

「今の地球人と接触しても、彼らにとって得る物は何もない。」

「じゃあ、やっぱり何の関係もない私たちを滅ぼそうとしてるんじゃないの。」

「そうかも知れませんわ。」

「彼らが現れたことで、世界がパニックになっているとニュースが言っていますわ。」

「敢えて攻撃しなくても彼らの存在が原因で、人類は自ら滅びるということか。」

「そんなに人間って馬鹿じゃないよ。」

「私も、ミコの意見に賛成しますわ。」

「しかし、今の人類にとって彼らの科学力は、インパクトが強すぎる。」

「未知への恐怖が先行する。」

「ジンの考えも、ミコの考えも正しいようです。」

「どういうことですか。トラン。」

「はい、ミカ。皆さんの考えの裏付けとして、アメリカやユーロ圏のような先進国は、この未知なる宇宙人からの攻撃を予測して迎撃態勢を準備中です。」

「それと同時に平和的な接触も試みています。」

「どっちにしても、彼らは姿を現しただけで攻撃するでもなし、コンタクトするでもなし。」

「なしのつぶてじゃ、こちら側の恐怖心が増すばかりだ。」

「下手をすれば、地球側から攻撃してしまう。」

「でも、ジン。今の地球の武器じゃ、彼らに通用しません。」

「それは、創始者のテクノロジーを持っている私たちには分かるが、今の地球人の文明では判断できない。」

「攻撃してから分かったんじゃ、後の祭りだ。」

「それこそ、待てよ。彼らは、それを目論んでいるのか。」

「自らの手を汚すまでもないと。」

「待ってください。彼らからのファーストコンタクトです。」

「ガイアからの情報では、全世界に向けてメッセージを発進しています。」

「えっ、ニュースじゃ、何も言ってないよ。」

「ミコ、直ぐにはニュースに流せません。」

「たった今、現在ですから、でも、パソコンで見ることができます。」

「パソコンを付けます。」

「本当、見れた。でも、ロボットじゃない。女の人だ。」


彼女はネットワークに侵入し、全人類に話しかけてきた。しかも、発信先の国の言語を使い、同時に全世界に話しかけている。


「私たちは、六億年前にこの太陽系の第五惑星に住んでいた人類の子孫です。」「私たちには、地球を侵略する意図はありません。」

「あなたたち地球人類も私たちも、元は同じ祖先から生まれています。」

「同じDNAです。私たちは、六億年前に太陽系を離れました。」

「理由は、私たちの母性は、火星と連星を成す第五惑星セレスでした。」

「同胞である火星人類と国益を追求するあまり惑星間戦争に陥り、私たちの母性は火星人類に破壊されました。」

「その結果、私たちは故郷を追われ火星自体も軌道が狂い、ハビタブルゾーン外に出てしまいました。」

「火星人類も故郷を失い第三惑星、地球に移住したのです。」

「はるか昔のことです。」

「私たちは、ある情報から地球に移住した火星人類が地球に移住後、滅亡したことを知りました。」

「しかし、私たち人類のDNAは、長い年月を経て再生を繰り返し今日に至っています。」

「同胞同士、争うことはありません。とは言っても、直ぐに私たちを受け入れて貰うことは無理でしょう。」

「この後、私たちのことを理解して貰うために、国連本部に私たちの代表を送りたいと思います。」

「国連で会議を開いていただき、私たちの訪問を許していただければ地球を観光したいと思います。」

「もし、私たちの訪問を良しとしなければ、私たちは地球を離れます。」

「連絡を待ちます。」


その後、国連では各国代表による会議が開かれた。会議の結果、常任理事国の各国代表がセレス星人との調整窓口となることが議決され、彼らの真の目的がどこにあるのかを探りつつ、彼らのテクノロジーを得たいという思惑のもとに交渉が行われた。国連本部で開催された惑星間会議は非公開で行われた結果、異星人への恐怖は払拭されなかった。それどころか、地球が侵略され滅ぼされるのではないかと言う不安が増すばかりであった。


「ねえ、トラン。あの人たちはロボットでもないし、アクエリアンでもないよね。」

「はい、ミコ。出自はアクエリアンと同じですが、科学力はアクエリアスより遙かに上です。」

「このままでは、彼らへの疑心暗鬼が増大するばかりです。」

「国連は、いったい何をしてるんだ。」

「はい、地球側代表間で彼らの目的が本当に観光旅行だけなのか、それとも侵略が目的なのかと疑心暗記になって決定が下せないようです。」

「しかし、侵略目的なら既に滅ばされているよ。そのくらい素人でも分かる。」「月とほぼ同じ大きさの人工惑星を見れば、科学力の差は歴然としている。」

「でも、お父さん。やっぱり彼らの本心は分からないよ。」

「ロボット軍団のこともあるし、彼らと軍団が関係あるのかないのかも分からないでしょう。」

「良し、我々で調査しよう。」

「どうやって調査するの。」

「ガイアに乗って、堂々と真書面からコンタクトする。」

「地球は創始者のテクノロジーで守られていると誇示すれば、彼らに侵略目的があったとしても、その目的は諦めざるを得なくなるだろう。」

「その話しに、私たちも乗せてください。」

「あれ、メグ、キコ。いつの間に来てたの。」

「皆さんのことだから、絶対に今の話のようになるってキコが言うから。」

「しかし、今日そうなるって、どうして分かったのですか。」

「トラン、それはね。メグが絶対今日、この時だって言うから。」

「おかしいですわね。」

「メグの能力は、自分自身への危険予知で、キコは接触型のテレパシストでしょう。」

「未来を予知する能力はないはずですわ。」

「皆さんとお会いしてから、単なる当てずっぽうが良く当たるようになりました。」

「私も、メグと同じです。でも、こんなにドンピシャとは、私自身吃驚です。」

「まあ、それはさておいて、君たち二人を連れて行くわけにはいかない。」

「理由は、至って簡単。君たち二人は生身の人間。危険すぎる。」

「それでも、私たちもご一緒させてください。この調査に絶対に役立ちます。」

「確かに、君たち二人がいれば多いに助かる。」

「メグの危険予知があれば、事前に危険な状態から逃げることができる。」

「そして、キコのテレパシーがあれば彼らの本心も明白となる。」

「鬼に金棒だ。だけど二人を危険に晒すことはできない。」

「ジン、矛盾しています。」

「私がいれば危険回避できると言っていながら、私たちを危険に晒したくないとは変です。」

「お父さんの負けね。」

「勝ち負けの問題じゃない。どんなに注意しても、間違いはある。」

「二人にもしものことがあったらと思うと二の足を踏むよ。」

「それでしたら、私たちにもジンの血を輸血してください。」

「それは、無理です。」

「トラン、どうしてですか。」

「まず、血液型が一致しないと。ジンはA型。」

「私、A型。」

「私も。」

「でも、お父さんの血、きもいよ。何だか親父になっちゃったような気がする。」

「気持ちだけでしょう。ヒゲが生えるとか、言葉使いが男っぽくなるとか。」

「そうそう、ヒゲは生えてこないけど、言葉使いが荒くなった。」

「ミコ、それは初めからで、ジンの血の所為ではありませんわ。」

「ミカ、それを言っちゃ、お仕舞いだわさ。」

「わたしゃ、死にかけてやむを得ず、お父さんのきもい血を貰ったけど。」

「二人とも本当に良いの。」

「二人が良くても、倫理上、道義上からも健常な二人に輸血することはだめです。」

「したがって、君たちは留守番。」

「ちょっと、キコ。こっち来て。相談があるの。」

「おいおい、二人して内緒話かい。何か悪だくみの話だな。」

「いいえ、悪だくみではありません。」

「一緒に連れて行って貰うための約束事を提示します。」

「私たちをガイアじゃなく、ゼロに乗せてください。」

「それなら一緒に行っても安全です。」

「絶対、ゼロから出ません。私たちも、あの大きな宇宙船の中を見たい。」

「是非、見たいです。」

「前にも、そんな約束を破って死ぬ目にあった奴がいたな。なあ、ミコ。」

「あれ、そんな奴いたっけ。私、とんと記憶に御座いませんわ。」

「私たちは、ミコと違います。」

「約束は守りますから、是非ゼロに乗せて一緒に連れて行ってください。」

「あんれまあ、二人とも私を引き合いに出すなんて、許せませんわ。」

「お父さん。二人を連れて行くのは、お止めになった方がよろしいですわ。」

「あっ、ミコ。変な言葉使いで、私たちの願いを邪魔しないでください。」

「冗談だって。」

「ねえ、お父さん。二人を信じてゼロに乗せてあげて。」

「私からも、お願いしますわ。」

「トランは。」

「はい、ゼロなら安心です。」

「それに二人には、ゼロへ自由に出入りできるほどの精神感応能力はありません。」

「分かった。それなら、一緒に連れて行こう。」


私とミカ、トラン、ミコはガイアに、メグとキコはゼロに、それぞれに別れて搭乗し、もう一つの月なる人工惑星の裏側、つまり地球側からは見えない位置に移動した。


「お待ちしていました。」

「私たちは、国連の代表よりも、あなたたちと接触したかったのです。」

「私は、この人工惑星アクアの代表を務めるアイリスです。」

「直接会ってお話ししたいのですが、こちらに来ていただけないでしょうか。」

「分かりました。一瞬で伺います。」


「素晴らしい。本当に一瞬ですね。アクアにはない技術です。」

「私たちにも使えたらと思いますが、精神感応能力が動力源では無理ですね。」

「私たちを知っているのですか。」

「はい。あなたたちの存在は、アクエリアスから得た情報で知ることができました。」

「また、その中に含まれていた地球の情報から、現地球人が火星人の子孫ではないことも知りました。」

「そして、そのことで一部の人たちに残っていた復讐心も捨て去ることができました。」

「実は、それ以前からも六億年前の惑星間戦争の恨みを、後生の世代に晴らして何の意味があるのかと常々考えていました。」

「そんな気持ちに、あなたたちから得た情報が終止符を打ってくれました。」

「アクエリアスの人たちも同じです。」

「終止符を打ったということは、どういうことですか。」

「はい。」

「何の関係もない世代の人たちを滅ぼすことよりも、友好の絆を築くことの方が、はるかに大切だということです。」

「今の地球人類を滅ぼすことは、私たちのテクノロジーを持ってすれば容易いことです。」

「しかし、そうしたところで私たち祖先の気持ちが晴れるわけでもありません。」「また、新たな悲しみを生み出すだけです。」

「全く、そのとおりです。」

「それでしたら、ロボット軍団の侵攻を阻止していたただけますね。」

「その軍団のことは、アイリーンからも聞きました。」

「しかし、私たちにも軍団を止めることができません。」

「どうしてですか。」

「セレスの科学力は、アクエリアスより遙かに進歩しています。」

「あなたたち同様、私たちにも軍団を捕捉できないのです。」

「彼らのステルス技術は、私たちものとは違うようで見破ることができません。」

「そうですか。分かりました。」

「やはり、私たちで何とかするしかないのですね。」

「申し訳ありません。」

「でも、何かお手伝いできることがありましたら何でも言ってください。」

「協力します。」

「有り難うございます。」

「ところで、先ほど言っていた話したいこととは何ですか。」

「はい。実は、国連代表の国々の方たちが私たちを受け入れる代償に、私たちのテクノロジーを差し出せと言うのです。」

「しかし、地球の科学力では、私たちの科学力を解析することはできません。」「例え理解したとしても、今の人類は自国の利益を優先して他国を欺き、私たちのテクノロジーを戦争に使うことは目に見えています。」

「彼らの要求を鵜呑みにすることはできません。」

「それでは、このまま地球から離れますか。」

「いいえ、離れません。」

「私たちは、これまで沢山の文明とコンタクトしてきました。」

「母性を失った私たちの真の目的は、他文明との接触と融和を目的として長い歳月を掛けて、この人工惑星を築き上げました。」

「私たちは、母性を失った流浪の旅人ではありません。」

「行く行くは、銀河系内の文明を持った人類の統合への架け橋となることが、私たちの使命だと思っています。」

「しかし、今の地球人にあなたたちの科学力を提供することは、返って争いの種を植え付けることになりかねません。」

「そうなのですが、私たちとしてはできましたら地球の人たちと人的、文化的、経済的な交流を通して地球も銀河連合に加入していただきたいと思っています。」

「今の地球人では、無理です。」

「そこで、国連代表団が要求する私たちのテクノロジーを、何処まで提供して良いのか、アドバイスをお願いしたいのです。」

「そうですね。科学は、使う人によって善し悪しが決まります。」

「武器になるようなテクノロジーはいりません。」

「武器に転用できない技術はありますか。」

「あります。環境制御装置はどうでしょう。空を見てください。」

「この球体の中央にある人工太陽の制御と四季折々の環境を創り出しています。」

「すごい技術ですね。」

「しかし、地球が織りなす自然が既にあります。」

「局地的な自然制御なら有効でしょうが、それすらも今の私たちにとっては武器になります。」

「善意に使用すれば、砂漠を緑地化して食糧不足を補うことが可能になりますが、悪意で自然を自由に操れば武器にもなります。」

「お父さん、自然を武器にできるの。」

「ああ、できるさ。」

「例えば、台風や竜巻、気温の急激な変化を起こして自然環境を破壊する。」

「十分、武器になる。」

「そうか。あっ、そうだ。」

「原発から漏れた放射能を除去する装置はないの。」

「あります。あの人工太陽は、核融合反応で輝いています。」

「言わば、太陽と同じ原理です。」

「核融合の際、生じる放射性物質を中和する装置です。」

「これなら、武器にはなりません。」

「大きさを大型車両に積載できるように小型化します。」

「その分、処理能力も制限されますが、原発の放射能漏れなら約一年で除去できるはずです。」

「それなら、OKかも知れません。日本の福島県です。」

「国連を通して提案してみてください。」

「今の地球人類ができる放射能の除去方法は、汚染物質を集めて居住地区から離隔しておくだけです。」

「後は、長い年月を掛けて自然に浄化されるのを待つだけです。」

「その他、世界の原発から出る放射性廃棄物も地下に埋めるだけです。」

「これでは、その内に埋める場所もなくなってしまうでしょう。」

「放射能除去装置は福島のみではなく、将来的には全世界で有効に使われるでしょう。」

「分かりました。」

「でも、私たちのテクノロジーを使うことができても、今の地球人には製造することはできません。」

「仕組みが理解できないでしょう。」

「それなら、将来、理解できるように、セレスのテクノロジーを若い世代に教育してください。」

「もちろん、協力は惜しみません。アドバイス、有り難うございます。」

「これからも、何かありましたら相談に乗ってください。」

「分かりました。」

「今日は、これで帰りますが何かありましたらいつでも呼んでください。」

「それから、私たちの存在は内緒にしておいてください。」

「理由は、私たちは地球人ですが、創始者のテクノロジーと精神感応能力を持っています。」

「私たちの存在が公になれば、地球でハモニーから託された仕事ができなくなります。」

「だから、私たちは、現在の地球文明に影響を及ぼさないように隠れて生きています。」

「ハモニーとは、誰ですか。」

「ハモニーは宇宙意識の集合体で、全宇宙の秩序を司る存在です。」

「そうですか。私たちより優れた文明を持ち、その存在すら知り得ない宇宙意識体と会合したあなたは、いったい何者ですか。」

「私は、ただの人間です。大した存在ではありません。」

「そうですか。あなたへの詮索は、止めましょう。」

「それと創始者のテクノロジーは、地球と私たちの科学力の差以上に、私たちの理解を遙かに超えています。」

「創始者のテクノロジーは、全て精神感応能力に基づいて造られています。」

「セレスの人たちも、そう遠くない未来にその能力が発現すると思います。」

「それでは、今日の所は、これで帰ります。」

「地球とアクアの繁栄を祈ります。さよなら。」

「今日は、有り難うございました。」

「早速、放射能除去装置の無償供与と技術の提供を申し出てみます。」

「さようなら。」


こうして、アイリスと私たちは別れガイアに戻った。


「ねえ、お父さん。アクアの人たちは、本当に地球人への復讐を止めたのかな。」

「私にも、彼女らの本心は分からない。」

「今は、彼女の話を信じるしかないだろう。」

「このアクア星に、武器はありません。」

「えっ、武器がない。どういうことだ。」

「ジン。このアクア星は、防御システムのみで攻撃能力はありません。」

「それじゃ、地球人類への復讐心は本当にないわけだ。」

「だけど、ロボット軍団は。」

「アクア星の人たちは、ロボット軍団を造った当時の子孫ではありません。」

「今の彼らには銀河連合を創るという壮大な計画があります。」

「そのためには戦争という形で他文明と接触するよりも、文化の融和と共生といった関わり方の方が確実であることを、長い歳月と経験のうちに悟ったのでしょう。」

「そんなこと、どうして、分かったの。」

「はい、アクア星の中央コンピューターからの情報です。」

「既に、アクア星の全情報は、私のコンピューターにダウンロードされています。」

「流石、ガイアだ。」

「それじゃ、アクア星のアイリスたちは、本当に地球を攻撃することはないわけだ。安心した。私らも事務所に帰ろう。」


私たちは、ガイアを月の裏側に隠してゼロに移動した。


「あれ、メグとキコは。」

「本当、あきれる。うちの連中ときたら、約束は破るものと決めているのか。」「彼女たちどこへ行ったんだ。」

「トラン、確か彼女たちには、ゼロから出られるだけの精神感応能力はないと言ったよね。」

「そう言ったよね。」

「はい、言いました。」

「それじゃ、彼女らがゼロにいないわけをどう説明する。」

「はい、簡単です。彼女らの能力がレベルアップしたためです。」

「簡単とは、良くも言ってくれるね。」

「ジン、今は、そんなこと言っている時ではないですわ。」

「早く彼女たちを連れ戻さないといけませんわ。」

「何かあってからでは、取り返しが付きませんわ。」

「そうだ。ミカの言うとおりだ。トラン、彼女たち、何処にいる。」

「はい、アクア星のこの位置です。」

「この点滅している赤い二つの点が彼女たちのいるところです。」

「何もなければ良いが、早速、ジャンプ。」


「ここは、アクア星のショッピングモールです。」

「わあ、なんて賑やかなところなんだろう。」

「日本で言えば、さしずめ東京の銀座か新宿、いや原宿。全部まとめたみたいな街だけど、清潔感があってごちゃごちゃしていない。」

「素晴らしいところですわ。」

「区画はきちんと整理され、樹木も豊富で癒されます。」

「本当に賑やかですが、東京のような殺伐観はありませんわ。」

「二人とも感心していないで早く二人を連れ戻さないと。」

「二人はブティックにいる。」

「男には入りづらい。ミカ、迎えに行ってくれないか。」

「私も行く。」


「遅いな。連れ戻すだけなのに時間が掛かり過ぎ。」

「ジン、考えが甘かったようです。ミイラ取りがミイラになってます。」


「二つの赤い点が二つ増え、四つになって移動していた。」


「全く、困った連中だ。」

「私たちも行きましょう。」


「あれ、お父さんたちも来たの。」

「ミコ、あれっ、じゃないよ。危険な目に遭う前に早く帰ろう。」

「ジン、大丈夫ですわ。アクアの人たちは、皆温和で親切ですわ。」

「ミカ、何言ってるんだ。そんなこと分からないだろう。」

「これは、キコからの情報ですわ。アクア星に悪人はいませんわ。」

「どうやら、アクア星の人たちは、精神的な成熟度が高いようです。」

「どういうことだい。」

「はい、アクアもアクエリアス同様、通貨を廃止して格差社会を是正し、個人の生活環境が著しく発展しています。」

「地球人への復讐心を捨てた今、精神感応能力の目覚めは近いと思われます。」「とは言っても、数百年から数千年先の話です。」

「そうか。危険はないと言うことか。」

「ジン、彼らの心の中には、私たちに対する敵愾心はありません。」

「私は、大勢のアクアの人たちと握手をしました。」

「私たちが地球人と知っても、誰も驚きませんでした。」

「その話は置いといて、キコ、メグ。」

「約束は破るためのものじゃないからね。どうして、守らないの。」

「それが、最初は守るつもりでゼロの中からアクア星の街を眺めていたら、いろんな物があって。ファッションや雑貨、食べ物、つい好奇心が抑えられなくなって。」

「どうせゼロから出られるわけないと思って、試しに外に出たいと念じたら出られちゃったわけで。」

「メグ、出られちゃったわけで、なんて言っても、約束を破って良いという釈明にならない。」

「出られたんなら直ぐ戻る。これ常識。」

「はい、それで私たちも直ぐ戻りました。」

「私たちの能力でも出入りが自由なら、今度は、危険が迫れば直ぐにゼロに戻ることができるわけで、それなら危険を回避できるわけですから、問題ないと思い街を見学することにしました。」

「下手な三段論法じゃあるまいし、約束は守るもの。破るためのものじゃない。」

「まあ、ジン。こうして無事なら問題ありませんわ。」

「折角ですからアクア星の社会見学をしましょう。」

「ミカは、のんき過ぎるよ。」

「メグやキコに何かあったら、親御さんになんて申し訳をすれば良いんだ。」

「何かあってからでは遅過ぎる。」

「申し訳ありません。ジンの心配をよそに、約束を破ってしまい。」

「本当に、ごめんなさい。」

「メグ、キコ。約束に限らず、何か危険が予想されたり判断できないときは、私に相談してから行動してくれ。」

「分かりました。今度は、本当に約束します。」

「分かってくれれば、良いよ。」

「それじゃ、アクアの社会見学としゃれこもう。」

「但し、単独行動はしないこと。」

「ねえ、ねえ。みんなお腹空かない。ここレストランみたい。何か食べようよ。」

「地球時間では、ちょうどお昼です。昼食にしましょう。」

「それじゃ、食事にしよう。ところで、アクアの食事私たちの口に合うかな。」

「大丈夫です。同じ祖先、文明から発生しています。」

「地球のものと大きな違いはありません。」

「本当、トラン。それなら、安心ですわ。」


私たちは、店に入り空いているテーブルに腰掛けた。早速、ウェートレスが水を持って注文を取りに来た。


「あなたたちは、地球人ですね。わあ、嬉しい。」

「店長、店長。地球の方たちがこの店に来ていますわ。素晴らしいことですわ。」


間もなく店長が挨拶に来た。


「当店をご利用いただき、本当に有り難うございます。」

「是非、当店のスペシャルランチを召し上がってください。お勧めします。」

「だけど、お高いのでは。」

「高いとは、どういう意味ですか。」

「このアクアでは、お金は一切いただきません。」

「通貨は、遙か昔になくなりました。アクアは貨幣経済を廃止しました。」

「ですから、お金の心配はいりません。」

「あっ、忘れてた。お金いらないんだよね。」

「それじゃ、それください。みんなも一緒で良いね。」


全員、同じものを注文することにした。


「ところで、地球の方たちは、皆アクア語が話せるのですか。」

「いいえ、話せません。実は、この胸のバッジが通信機兼翻訳もしてくれます。」

「えっ、こんな小さな通信機に翻訳機能もあるのですか。」

「地球の技術は凄いですね。」

「あの。実は、地球の技術ではありません。」

「アクア、アクエリアス、地球、そして全銀河の人類共通の祖先である創始者の技術です。地球の文明は、アクアの科学力に及びません。」

「そうでしたか。地球とアクアが仲良くなれることを祈ります。」

「料理が来ました。」

「どうぞ、ごゆっくりお召し上がりください。本当に美味しいですよ。」

「有り難う。それでは、いただきます。」


「前菜にスープ、サラダ。メインディッシュに肉料理、そして、アイスクリームのデザートが出た。


「本当に美味しかったね。地球のものと変わらない洋食だ。」

「メニューには、和食もあります。」

「ご馳走様でした。美味しくいただきました。地球のものと同じです。」

「店長さんたちが、地球で食事をされる機会があると良いですね。」

「地球を訪問することを楽しみにしています。私たちの代表が交渉中です。」

「間もなく、地球に降り立つことができると思います。」

「本日は、ご利用いただき有り難うございました。」

「アクアの観光をお楽しみください。」


「お腹いっぱい。あそこに塔が見えるよ。」

「あの展望台に登ったら、アクアの街並みが一望できるね。お父さん。」

「良し、腹ごなしがてらあの塔まで歩こう。途中にもたくさんの店がある。」

「見たい店があったら入ってみよう。」


「素晴らしい眺めだ。」

「人工太陽がこの球体の中心に位置し、都市や樹木、湖沼などが球体の内側にへばり付いている。」

「ねえ、トラン。普通、無重力状態の空間では、遠心力を利用して重力を作ると思いますが、この人工惑星は回転していないですよね。」

「ガイアも含めて、どうやって重力を作っているのですか。」

「メグ、それは、重力を作る素粒子のお陰です。」

「素粒子。」

「はい、地球では未だ発見されていませんが、名前だけは付いています。」

「それ知ってる。グラビトンだ。」

「そうです。ジン。」

「素粒子が重力のやり取りをすることで、回転させなくても重力を作り出せるのです。」

「この技術は、今の地球人には作り出すことはできません。」

「そうか。」

「だけどグラビトンが、どのようにして物体に重力を与えているんだい。」

「その説明は、素粒子物理学等の専門知識が必要です。」

「そこんところを、素人でも分かるように説明して欲しいんだが。」

「物に質量を与える素粒子。これも地球では、まだ、発見されていませんが地球人は、ヒグス粒子と名付けています。」

「このヒグス粒子とともに、グラビトン粒子が質量に応じた重力を作ります。」「宇宙には、グラビトン粒子もヒグス粒子も豊富にあります。」

「しかし、単体では何も作用しません。他の素粒子とともに、物体を形成しています。」

「グラビトン粒子同士が持つエネルギーを吸ったり、吐いたりすることで重力ができます。」

「この引き合う力を増幅することで、無重力の宇宙空間でも、遠心力を与えることなく、地面に立っていられるのです。」

「トランの説明、ちっとも分かんない。」

「ミコ、早い話が強力な粘着力があって、簡単にはがれる接着剤のような物と考えてください。」

「それに、私たちの体や全ての物質が包まれているのです。」

「やっぱり、分からんな。そんな接着剤あるわけない。矛盾している。」

「やはり、この人口重力の仕組みを簡単には説明できません。」

「まあ、理論は分からないけど、こうして宙に浮くことなく立っていられるのも科学の力ということだ。素晴らしい。」


こうして私たちは、その日一日、アクアの観光、文化と大勢の人たちと接することによって、彼らが温和で屈託がない人々であること。地球人に対する復讐心もないことを確信して事務所に帰った。


「お父さん。あれから五日経つけど、アクアに関するニュース、何にもないね。」

「報道はされてはないけど、アクアからの提案を検討中ってとこだ。」

「提案って。」

「それは、放射能除去装置のことです。」

「それとアクアからの技術者の派遣、文化の交流、技術の伝承などです。」

「アクア星の人たちを受け入れる条件としては、地球に有利な物ばかりだ。」

「それなのに、なぜ、国連はアクアの提案を受け入れないの。」

「受け入れないというより、検討中といったところです。」

「大方、国連側代表国間の利害関係の思惑が一致せず決心できないんだろう。」

「そのとおりです。各国代表は、自国の損得を考えてばかりで、日本に放射能除去装置を渡す提案は呑めないと言っています。」

「あっ、これ。ゼロからの情報です。」

「当然、日本には、この提案について何も知らされていません。」

「残念だ。装置があれば、日本は大助かりなのに。」

「ジン。日本にとっては、そうなのですが、核兵器保有国、つまり、代表団を務める常任理事国にとっては驚異なのです。」

「どういうこと。トラン。」

「ミコ、考えてみてください。放射能除去装置があるということは、核兵器が抑止力にならないということです。」

「良いじゃない。核兵器反対だもん。核兵器を持つ意味がなくなるしね。」

「逆だよ。ミコ。」

「どういうこと。お父さん。」

「よくよく考えてみたら、装置があることで核兵器の抑止力効果なくなる。」

「そうなると、軍事力バランスが崩れ大国間の戦争、そう、第三次世界大戦が勃発しかねない。」

「でも、日本は核兵器持ってないでしょう。」

「だから、アイリスは、日本に装置を提供すると提案したはずよ。」

「そこんところがミソだよ。国連代表団の常任理事国は、全て核保有国だ。」

「A国、B国、F国、R国、そして、Ⅽ国。」

「あっ、そうか。日本に渡すんじゃなく、自分たちが欲しいんだ。」

「そうです。装置を手にした国が、世界を支配できるわけです。」

「それでは、私たち。アイリスに余計な助言をしてしまったわけですわ。」

「あの時は、良い考えだと思ったけど。そうなるな。」

「ジン。また、アイリスが全世界に語りかけています。」

「今度は、各国メディアとインターネットを使っています。」


「地球の皆さん。私は、アクア星のアイリスです。」

「国連代表団との交渉が長引いていますので、私たちに敵意はないことの証明に、今、原発事故の放射能で苦しんでいる日本の皆さんを助けるために、放射能除去装置を提供したいと思っています。」

「この提案を受け入れてくださることを期待します。」


「こりゃ、拙いな。アイリスは何を考えているんだ。」

「国連代表団が他の国から非難されかねないし、そんな提案があると知った日本も黙っちゃいないだろう。」

「それじゃ、ジン。早速、アイリスに会いに行きましょう。」

「よし、行こう。」


私たちは、再びアイリスを訪ねた。


「済みません。突然、お邪魔しまして。」

「いいえ、いつでも歓迎します。ところで、今日は。」

「はい、あなたが発進したメッセージのことで伺いました。」

「何か、拙いことでも。」

「あなたたちからの助言どおり国連代表団に、私たちを受け入れて貰う代わりに放射能除去装置などの提供を申し出ましたが、何の回答もないので私たちへの不信感を払拭するために、メッセージを発進しました。」 

「申し訳ない。私らの助言は間違っていました。」

「どう言うことですか。」

「国連代表団から回答がないわけは、放射能除去装置の所為です。」

「と言いますと。」

「つまり、装置の存在が、核兵器保有国の驚異となっているのです。」

「地球は、この未曾有の大量破壊兵器を持つことで、大国間の軍事力バランスが保たれています。」

「変な話ですが、核兵器が第三次世界大戦勃発の抑止力にもなっているのです。」

私には、理解できません。

諸刃の剣です。使えば人類滅亡、だから世界規模の戦争が起きません。

「それこそ、矛盾しています。」

「使えないなら、持つ必要がないのでは。」

「そうなのですが、持つことによって、持っている国から支配されないようにしているのです。」

「やはり、私には理解できません。」

「要するに、地球人は他人を信用しない生き物なのです。」

「自分さえ良ければ他人を踏みにじっても構わないのです。」

「もちろん、地球人類全てがそうではありません。一部の人間に限られます。」「そして、個人同士の騙し、騙されは日常茶飯事です。」

「しかし、為政者としては絶対に騙されてはいけないのです。」

「国の存亡に関わりますから。」

「私たちの祖先は、六億年前に惑星間戦争で相互に故郷を失いました。」

「今の地球人類と同じような状況だったのでしょうか。」

「分かりました。今の地球人に私たちのテクノロジーを提供するのは止めます。」でも、地球との文化交流は諦めません。」

「私たちは、国連の地球代表団と直接お会いして、銀河連合への参加を促したいと思います。」

「そうしてください。ひとつお願いがあります。」

「何ですか。」

「日本の原発事故で発生した放射能を除去して欲しいのです。」

「装置を地球に渡さずに除去することはできませんか。」

「できます。アクアから直接、放射能中和ビームを照射すれば良いのです。」

「分かりました。地球との直接交渉時に、そのことを提案してください。」


こうして、地球側代表団とアクア側使節団の直接交渉が、国連本部で開催されることになった。しかし、放射能除去装置を渡さずに、日本の放射能汚染地域にアクア星から放射能中和ビームを照射するという提案は、返って仇になった。代表団各国のエゴが浮き彫りになった。それぞれの国が水面下で銀河連合に参加する見返りとして、他国の核兵器を中和ビームで無力化することを迫った。しかし、使節団は各国の要求を全て断った。すると、あろうことかⅭ国が使節団を拘束して宇宙船を拿捕し、アクアの科学力を我が物にしようと企んだ。そして、Ⅽはアクアが地球征服を目論んでいるという虚偽の情報を流し、正義は地球側にあると報道した。


「何てことだ。同じ地球人として私は恥ずかしい。」

「お父さん、アイリスたちを助けに行かないと。」

「そうだな。アイリスたちを助けるために、アクアが地球を攻撃してきたら地球は終わりだ。」

「でも、ジン。アクアには武器がないはずですわ。」

「ミカ。武器は持っていないが、直ぐにでも武器になるものは持ってるよ。」

「取り敢えず、アクア星に行って地球を攻撃しないように頼んでみましょう。」


「まずは、地球人としてお詫びします。」

「私は、アクア星の副代表を務めるアイバーンです。ジン、ご安心ください。」「私たちは、使節団を助けるために武力は使いません。」

「それを聞いて安心しました。」

「でも、アイリスたちをどうやって助け出すおつもりですか。」

「今のところ、有効な手段がありません。緊急に議会を開き検討します。」

「もし、よろしければ私たちに、お任せいただけないでしょうか。」

「どうやって、助け出すつもりですか。」

「はい。私たちには、創始者のテクノロジーがあります。お任せください。」

「分かりました。よろしくお願いします。」

「そう、時間は掛かりません。トラン、よろしく。」

「はい。それでは、行ってきます。」


トランは一分も経たぬうちに、アイリーンたち使節団とアクアの宇宙船を連れて帰ってきた。


「救出完了です。」

「えっ、どうやって。その前に、アイリス代表、ご無事で何よりです。」

「アイバーン副代表、心配をお掛けしました。皆、無事です。」

「でも、監禁された部屋から、どうやってこの執務室に移動できたのか分かりません。」

「それは、ジンたちのお陰です。彼らが手助けしてくれました。」

「創始者の技術を使えば造作もないことです。」

「それは、有り難うございました。ところで、私たちの宇宙船は。」

「はい、格納庫にあります。」

「良かった。今の地球人類に私たちのテクノロジーを提供するのは、時期尚早のようです。」

「私は、同じ地球人として恥ずかしく断腸の思いです。」

「この度のことを心からお詫びします。」

「ジンたちの所為ではありません。私たちの訪問が早すぎたのです。」

「でも、私たちがいらぬ提案をしたばかりに、このような事態になりました。」

「それは違います。」

「皆さんのアドバイスがなかったとしても、地球と交流するためには多かれ少なかれ私たちのテクノロジーの提供は不可欠です。」

「ですから、気になさらないでください。」

「分かりました。」

「ところで、このような事態になってしまって。これからどうしますか。」

「残念ですが、地球との交流は諦めます。地球人類は、まだ、幼過ぎました。」「私たちは、一旦、太陽系を離れ、アクエリアスに向かいます。」

「やはり、そうしますか。アクアとの交流、本当に残念です。」

「地球人類が、もう少し大人になるまで待ちます。」

「そのために、地球軌道にオブザーバーを残します。」

「オブザーバーとは。」

「はい、観察衛星です。」

「地球人類が、宇宙連合への加入が可能なまでに文明が発達しましたら、また、地球を訪れたいと思います。」

「それまで、お別れします。」

「しかし、地球人類が宇宙連合への加入に値するまで、何百年は、いや、何万年、何十万年掛かるか分かりませんよ。」

「それに、オブザーバーを地球軌道に残すことは危険です。」

「今の地球の科学力でも、軌道上の衛星くらいは拿捕できますよ。」

「承知の上です。私たちは惑星間戦争を経て六億年。」

「そして、今、ここにいます。」

「時の流れは気にしません。」

「それに、オブザーバーには、ステルス装置があります。」

「今の地球人には見つけ出すことは不可能です。」

「分かりました。何年掛かっても構わないし、オブザーバーも拿捕されて技術が軍事利用されることもないというわけですね。」

「はい、そのとおりです。」

「時が来れば、私たちの子孫が再び地球を訪問することでしょう。」

「分かりました。それでは、さよなら。」


私たちは、アクア星に別れを告げて事務所に戻った。そして、アクア星は、一瞬の内に消失した。国連代表国は、アクアの使節団、宇宙船、そして、アクア星が一瞬で消えてしまったことに困惑するとともに、改めてアクアのテクノロジーの凄さを痛感していた。まさに、逃した魚は大物だったのである。


「仕方ないよ。今の地球人じゃ、宇宙連合に加入する資格がない。」

「でも、ジン。アクア星の訪問は、無駄ではなかったと思います。」

「トラン、どう言うこと。」

「ミコ、地球人類は、この広大な宇宙で独りぼっちじゃないということが証明されたのです。」

「今後、地球の科学や文明の発達に、大きな刺激となるでしょう。」

「どうして刺激になるの。」

「地球には、地球外知的生命体の存在を証明するためにSETIという組織があります。」

「ボイジャーも、その存在を確かめるためのものです。」

「ボイジャーは分かるけど、SETIって何。」

「SETIとは、地球外の文明を地上から探そうというプロジェクトの総称で、その頭文字を取ったものです。」

「主な活動は、宇宙から来る電波や光の解析です。」

「あっ、そうか。私たちみたいな知的生命体なら電波や光を発信しているから、それをキャッチすれば良いわけね。」

「でも、今までに地球外文明の存在を証明する発見は、ありませんでした。」

「それが、アクア星人の訪問で一瞬にして証明されたわけです。」

「でも、トラン。」

「この宇宙で人類は独りぼっちじゃないと分かったけど、アクア星の人たちは去ってしまった。」

「折角のチャンスを国連代表団は、自国のエゴでふいにしてしまった。」

「勿体ない話だ。」

「そうですね。創始者のテクノロジーは、動力源に精神感応能力を使っていますので、アクアの人たちも含めて今の人類に提供しても全く役立ちませんが、アクアのエネルギー源は、今の人類でも使えます。」

「確かに地球人類は、宇宙進出への大きなチャンスと飛躍的な科学の発達を無にしました。」

「今の地球がアクアの科学力に到達するまでには、数百万年単位の時間が必要でしょう。」

「その数百万年を一挙に短縮できたのに、本当に勿体ない話しだ。」

「でも、ジン。もし、今、地球人類がアクアの技術を手に入れたら、どうなると思いますか。」

「考えようによっては、これで良かった思います。」

「そうだな。下手をすれば、人類が滅亡するかも知れない。」

「どういうこと、お父さん。」

「科学は、使う者によって善にも悪にもなる。」

「未熟な人類が過ぎた科学力を手にすれば、こぞって核兵器より強力な武器を作ろうとするだろう。」

「そして、何らかの原因が引き金となって、その兵器を使用すれば人類は火星のように滅亡の道を辿るだろう。」

「何らかの原因って、何。」

「それは、貧困、民族・宗教の違い、国境の存在、軍事バランスの崩壊、地球規模の天変地異など色々考えられるけど、最大の原因は人間のエゴだな。」

「自分さえ良ければ他人を犠牲にしても構わないという人の本質。」

「それが民族や宗教、国という共同体を形成し、ひたすら自分たちが所属する共同体のみの利益を追求したために、何度も戦争が起きている。」

「過去も現在も、そして、これからも。」

「でも、ジン。そうなるとは限りませんわ。」

「しかし、ミカ。アクアの人たちが、地球との交流を諦めた理由が、まさにそのことを物語っているよ。」


アクア星とその使節団、宇宙船が一瞬に消えたことで、国連代表団は世論の非難を浴びることになった。各国のマスコミは、科学者を初めとする様々な評論家をコメンテーターとして出演させ、代表団の対応を非難した。マスコミは追求の手を緩めることなく、アクア星人の侵略意図が地球側の嘘だったこと。アクア星の使節団を人質にして、彼らのテクノロジーを奪おうとしたことなどを暴露した。そして、地球代表団を務めた国々の関係も悪化した。そして、地球外知的生命体、元は同じ人類とのファーストコンタクトの熱も、ひと月も経たない内に冷めてしまい地球は表面上、普段と変わらない日常に戻っていた。


「熱しやすくて冷めやすい民族性は、日本人だけではないようだね。」

「もう、アクアのことは、ニュースにもならない。」

「仕方ないですわ。アクアの人たちは、地球人に落胆して一切の接触を断ちましたから、ニュースで報道するような新たな情報がないのですわ。」

「ミカの言うとおりです。アクアは、何の痕跡を残さず太陽系を去りました。」

「そうだ。トラン。オブザーバーは。」

「所在不明です。まだ、彼らのステルス技術の解明ができていません。」

「そうか。となると、もしかしたらアクア星も近くにいるかもね。」

「それも、分かりません。」

「しかし、アクア星は、アクエリアスに向かっていると思います。」

「オブザーバーがある以上、アクア星がこの太陽系に留まる理由はありません。」

「おっはよう。お父さん。みんな。」

「おはよう。」

「おはようございます。」

「さて、この最終号を今までの契約書店に発送したら、一旦、神定プロダクションは休業だ。」

「ジン。休業後、私たちは何をして暮らすのですか。」

「ミカ、これからは、ハモニーから託された仕事に専念する。とは言っても、毎日、その仕事があるわけでもない。」

「すべては、ゼロからの情報次第だ。」

「生活費は。」

「それは、心配ない。ミコの漫画の印税と貯蓄がある。当座、困ることはない。」

「それじゃ、お父さん。普段、何をしてれば良いの。」

「だらっ、としてられないよ。」

「そうだな。体の鍛練。特に、ミカとミコ。」

「私は、必要ないと思いますわ。」

「私も。」

「そうは、いかない。」

「特に、ミコ。」

「ハモニーの仕事をしていく以上、今までよりも危険な状況になるかも知れない。」

「いや、なる。」

「だからこそ、これまで以上に、武術を極めて自分の命は、自分で守れるようにならなければ。」

「いつも、私たち三人が一緒で守ってあげられるとは限らない。」

「それと、ミカも人前で消えたり超人的な力を使わずに、相手から身を守る術を会得して貰いたい。」

「分かりましたわ。」

「私は、もう十分に強いし、これ以上、習得することはないと思うわよ。」

「そうかな。一対一なら、確かにそうかも知れない。」

「箱根の事件を思い出してみなさい。それと拳銃には勝てない。」

「拳銃には勝てないけど、恐怖心には勝てるわ。」

「冷静な判断をすることで、危険は回避できると思う。」

「それと、拳銃だって相手次第よ。」

「ミコ、武術の習得に終わりはありません。」

「少林寺拳法、太極拳、空手道、合気道、剣道、柔道、ボクシング、レスリング、フェンシング、テコンドーなど。」

「どの武術も奥が深いものです。極めれば極めるほど、その先があります。」

「二人とも、私が伝授しますので、毎日、一時間で良いので練習しましょう。」

「分かったわ。その代わり、お父さんも参加してよ。」

「自分だけ、のんびりはだめだからね。」

「分かった。それじゃ、私はミカの師匠で、トランはミコを頼むわ。」

「分かりました。」

「それとミコは、引き続きCGの制作も忘れないようにね。」


「あのう。」

「あら、キコ、メグ。久しぶり。」

「今の話、私たちも参加させてください。」

「美容と健康に良さそうだし、かねがね護身術を学びたいと思っていましたから。」

「もちろん。構わないけど、仕事と学校は、どうする。」

「私たちは、夜、稽古に通いたいと思います。」

「それじゃ、稽古は、午後六時からということでどうだろう。」

「それで、お願いします。」

「それと、二、三日、泊めて貰えませんか。」

「どうして、メグ。アパート、どうかした。」

「ミコ。実は、アパートが火事で燃えちゃって。新たなアパートが見つかるまでお願いしますわ。」

「メグ。数日と言わず、うちに下宿しなさい。」ご両親には、私から事情を言って連絡しておくから、遠慮はいらない。ミコの部屋がある。」

「メグ、私、当分、実家を出ないから、どうぞ、使って。」

「でも。」

「良いから、良いから、それに家具付きよ。」

「どうせ火事でみんな燃えちゃったんでしょう。」

「服も、私ので良ければ、使って構わないよ。」

「メグ、遠慮はいりませんわ。」

「今まで、女性は私だけでしたから、メグに住んでいただければ家事を手伝って貰ったり、女性同士の話もできて多いに助かりますわ。」

「是非来てください。」

「これで決まり。」

「ジン、お言葉に甘えますわ。」

「今まで友達のアパートにお世話になっていたのですけれど、彼女の部屋とても狭くて、これ以上、迷惑掛けられません。」

「それに、良いアパートも見つかりませんでした。」

「本当、急に無理言って済みません。」

「全然、無理じゃないって。今日からでもOKよ。」

「本当に、今日からでも良いですか。」

「もちろんだよ。」

「それでは、私が荷物を持ってきます。」

「待った。トラン。ゼロはだめ。」

「どうしてですか。」

「分かってるだろう。」

「分かりません。ゼロなら一瞬です。」

「分かってない。メグは女性だ。」

「男に見られたくないものがある。下着とかね。」

「私は、構いませんけど。」

「トランじゃなくて、メグが構うの。ねえ、メグ。」

「あっ、はい。自分で持ってきますわ。」

「バッグ一つ分しかありませんから、バイクで取って来れますわ。」

「あのう。私も下宿させてください。」

「えっ、キコも、どうして。」

「新人巫女に寺社寮を渡さなければならないのです。あと一月が期限です。」

「そう言うことなら、どうぞ、どうぞ。」

「ジン、安請け合いはだめです。部屋がありませんわ。」

「あっ、そうか。」

「ミカ、ジン。大丈夫です。部屋は直ぐ作ります。」

「後一月しかないけど、大丈夫かい。」

「はい、時間は掛かりません。」

「二階を居住区、一階に居間とキッチン、バス・トイレ。」

「そして、後ろの工場を稽古場に作り替えます。」

「あっ、そうか。トランは、創始者のテクノロジーを使う気だね。」

「はい、見ててください。」

「あっ、トラン。」

「人数も増えたことだいし、バスとトイレは男女別にしてくださいね。」

「ミカ、分かりました。」


皆の目の前で、一瞬に間取りが変わった。


「この創始者のテクノロジーが今の地球人にも使えれば貧困も飢餓もなくなるし、地球も一つになれる。」

「だけど、動力源が精神感応能力だ。」

「その能力を得るには、精神的高みに到達しなければならない。」

「今の人類には、到底無理だ。」

「メグとキコの力では、まだまだ、ゼロの動力源にはなり得ません。」

「そうですか。使えたら生活に不自由しないのに。」

「それは、だめですわ。犯罪ですわ。道徳や倫理上の観点からも許せませんわ。」

「ミカ、冗談です。そんなこと、しません。」

「そうだよな。考えてみたら、ゼロに会った時点で気がつけば良かった。」

「ゼロでお金を作れば、わざわざラスベガスまで行く必要がなかったわけだ。」「今からでも遅くはない。これで当座の暮らしどころか、一生安泰だ。」

「って嘘。」

「お父さんの冗談は無視して、これで二人とも住めるね。」

「メグだけでなくキコも、これで女性が三人。」

「これからの皆さんとの生活が楽しいものになりますわ。」

「ジン、賑やかになりますね。」

「なあ、トラン。賑やかさを遙かに通り越して騒がしくなるぞ。」

「なんせ、女三人寄れば姦しだ。」

「あら、そんなこと、ありませんわ。私たち皆、大和撫子ですもの。」


こうして、神定プロダクションは一時休業となり、メグとキコを迎え、新たな尋常でない日常生活が始まった。


   因(いん) 縁(ねん)


「ジン。夕食中、唐突(とうとつ)ですが。」

「保護司としての最初で最後になった担当事件で、ジンを殺害した主犯格の少年が、明日、和泉学園を退院します。」

「ねえ、トラン。殺人を犯した少年が学校を退院っておかしくない。」

「普通、少年院でしょう。」

「ミコの言うとおりです。実は、和泉学園は少年院です。」

「ですから、卒業ではなく退院と言うことになります。」

「そうか。学園って言うから、つい学校かと思っちゃった。」

「でも変だな。七年前に一六歳だったから、今年で二十三歳だ。」

「確か、少年院の入院期間は二十歳の誕生日までか、入院から二年かの、どちらか長い方だよ。」

「そうです。十六歳で入院すれば、二十歳になるまでの約四年間。」

「十九歳の場合は、二十歳の誕生日までに約一年ですから、二年間となり二十一歳になる年で退院となります。」

「しかし、犯した罪状により規定の期間を待たずに退院する場合もあれば、殺人の主犯格である川島誠也のように、最長の二十三歳まで入院する場合もあります。」

「それじゃ、他の二人は。」

「はい、彼らは、それぞれ二十歳の誕生日に退院しています。」

「ジンが黄泉の世界から帰ってくる三年前です。」

「退院後の二人の足取りは掴めません。」

「親元には帰っていないのかい。」

「はい。それぞれの親は事件後、転居して子供の引き受けを拒んでいます。」

「退院式は、明日の九時からです。」

「どうするかな。」

「お父さん。彼の退院を祝福してあげようよ。」

「良し、他の二人は私が蘇る前に退院してしまって、祝福してあげられなかったから、川島誠也だけでも。」

「だけど、直接は無理だから、遠目からだ。」

「それでも、構わないと思いますわ。私たちの心の問題ですから。」

「待ってくれ。遠目で見守るのは、私だけで良いよ。」

「私の事件だ。一人で行くよ。」

「でも、私とクウが行けば、彼の中に負のエネルギーが存在しているかどうか分かるよ。」

「分かった。一緒に行こう。」


翌日。私とトラン、ミカ、ミコの四人は車ごとゼロに乗り込み、和泉学園の門の外で待機することにした。


「ジン、そこの農業用水用の池に通じる道路なら人目に付きません。」

「良し。そこから門の前に行こう。」

「ここが、門だ。交差点で駐車できないな。」

「ジン、このアパートの道路を挟んだ反対側に車が止まれる路側帯がありますわ。」

「ちょうど、学園の門が直視できる位置で、他の車も駐車してるから問題ないな。」


私たちは、学園の門から約五十メートル離れた道路脇に車を止め、彼が出てくるのを待った。


「彼ですね。」

「そのようだ。制服を着た教官に見送られている。」

「誰も迎えに来ていませんわ。寂し過ぎますわ。」

「誰も迎えに来ないのは、自業自得だ。仕方がない。」

「ところで、ミコ。彼に負のエネルギーを感じないかい。」

「感じるどころか、彼は負そのものだわ。」

「負、そのもの。どういうことだい。」

「ミコの言うとおり、正のエネルギーが感じられません。」

「と言うことは、クウ。」

「彼は死んでいると言うことか。あり得ない。」

「死んではいませんが、負のエネルギーが正のエネルギーを凌駕しています。」「言い換えれば、正しき心が悪しき心に食い尽くされています。」

「全く良心というものがありません。」

「そんな人間がいるのか。どんな人間にも一抹の良心は、あるはずだ。」

「お父さん。彼は悪魔みたいな心の持ち主よ。」

「このままでは、彼はもっと凶悪な犯罪を起こすわ。止めないと。」

「止めると言っても、どうやって。」

「私が、彼に触れて負のエネルギーを取り除くわ。」

「ミコが、それは危険だ。」と言っているうちに、ミコは車を降りて彼に近づいて行った。


「おっ、姉ちゃん。この辺の人。めっぽうマブイじゃん。俺と遊ばない。」と行きなり、ミコに抱き付いてきた。その瞬間、彼女は負のエネルギーを自分の中に移動させようとしたが、できなかった。


「嫌らしい。離しなさいよ。」


ミコは、彼を引き剥がそうとするが、なぜか彼の力に抗えないでいると。


「貴様、その子から離れろ。」と行きなり、どこからか中年の男が現れ、彼の脇腹をナイフで刺した。彼は平然とした態度でミコから離れ、刺した男を払いのけた。そして、自身に刺された刃物を抜き取り、へたり込んでいる男の首に突き刺した。その男は断末魔の声を上げ、ほぼ即死状態で成仏した。


「しまった。もっと楽しんでから殺せば良かった。失敗した。」

「あんた。なんて酷いことを。殺すなんて。」

「奴が先に俺を殺そうとしたんだ。正当防衛だよ。」

「お巡りさん。お巡りさん。」

「五月蝿いな。黙れよ。」

「やっと務所終わって出てきたところに、ご都合良く犯してくださいと言わんばかりに、俺の目の前に現れたお前が悪いんだ」。

「大人しく一発やらせろや。」

「バッカじゃない。あんたみたいな人殺しの言いなりになるわけないでしょう。」

「まあ、良いか。抵抗されるほど、こっちの性欲も満たされるわ。」

「変態。」

「変態、結構。いただくぜ。」と彼が突進してきた。ミコは、気を集中して秘孔を突き、彼を気絶させた。この騒ぎを聞きつけた先ほどの教官たちが、門の方へ走ってきた。


「拙い。トラン、ミコを回収。」


「あれ、かわい子チャンは。」

「お前、川島。何をした。」

「何って、美人のお姉さんと話してたんだけどな。どっか行っちゃった。」

「何を寝ぼけたことを言っている。この男を殺したのは、お前か。」

「ああ、こいつが先に俺を刺してきたんだ。ほら。正当防衛だ。」と脇腹を見せた。

「正当防衛。この果物ナイフで刺されたくらいじゃ、死なんぞ。」

「何が正当防衛だ。」

「そんなこと、知ったこっちゃねえ。こいつが先に刺したんだから正当防衛さ。」

「退院したばかりで殺人を犯すとは、現行犯で逮捕する。」

「五月蝿いな。」と手錠を掛けようとした教官の首を、いとも簡単にへし折った。


「この骨が折れる鈍い音が、何ともたまんないね。」


彼をねじ伏せようとした屈強そうな教官も、あっと言う間に殺られてしまった。


この異常事態に、官舎から大勢の人たちが出てきた。

彼らは川島誠也を取り押さえようとしたが、常人ならぬ力で皆投げ飛ばされた。


「なんて力だ。これだけの人数でも取り押さえられない。」


教官たちは、彼を遠巻きに囲みスタンガンを撃った。しかし、一瞬は怯むが気絶しない。


「なんて奴だ。スタンガンも効かない。」

「このままじゃ、犠牲者が増えるばかりだ。」

「銃の使用もやむを得ん。拳銃を持って来い。」


しかし、この間に、彼は教官たちの囲みを突破し、行方をくらました。彼の犠牲者は、最初に刺された男を含め、死亡者五人、重軽傷者十二人にも及んだ。しかし、この事件は、報道管制が敷かれたのか、ニュースにはならなかった。


「ミコ、彼と接触しても負のエネルギーを移動させられなかったとは、どういうことだ。」

「私にも分からない。クウも分からないと言ってるよ。」

「それに、秘孔を突いて気絶させたに、あんなに早く気がつくはずがないわ。」「何か変。」

「確かに、彼は異常だ。スタンガンも効かないし、何より常人の力じゃない。」

「そう。私の技を持ってしても、彼を引きはがすことができなかった。」

「不思議ですわね。彼は、普通の人間でしょう。」

「はい、川島誠也は、ごく普通の人間です。創始者の遺伝子は全くありません。」「ですから、彼の能力じゃ負のエネルギーを取り込めませんし、ましてや、ミコへの移動も阻止できません。あり得ないことです。」

「どういうことだろう。クウは、どう思う。」

「はい、おそらく彼の負の心と取り込んだ負のエネルギーが、百%イコールと言うことでしょう。」

「正の心が全くないことから、彼の心は百パーセント負の心です。」

「ですから、ミコの中に移動させることができなかった。」

「もし、移動していたら彼の心は空になります。」

「すなわち、肉体も死ぬと言うことです。」

「しかし、負のエネルギーしかない人間は、こちらの世界では既に死んでいると言うことじゃないか。」

「そのとおりです。生きた屍です。」

「彼がどのようにして、負のエネルギーを取り込むことができたかは不明ですが、人間の負の心と負のエネルギーが百パーセント共鳴し合うと、常人でない能力が発揮されるのかも知れません。」

「しかし、彼をこのまま野放しにしておくと、新たな犠牲者が増える。」

「トラン、彼の居所が分かるかい。」

「分かりません。彼は退院したばかりで、携帯電話などのデジタル機器を持っていません。」

「また、この付近には、監視カメラも設置されていません。」

「今のところ、彼の居場所を突き止める手段がありません。」

「そうか。後は、警察無線の傍受と彼が何処かの監視カメラに映るのを待つしかないか。」

「私とトランはゼロの中で、ミカとミコは事務所で待機だ。」

「えーっ、私も行くよ。」

「だめだ。ミカ、ミコと一緒に帰ってくれ。」

「分かりました。ミコ、帰りましょう。」


ミコは渋々ミカと一緒に帰った。


「発見しました。関西空港、第二ターミナルの国内線タクシー降り場の監視カメラに映っています。」

「良し、ゼロ。移動。」


「済みません。お客を降ろしたら、直ぐに移動をお願いします。」

「運転手さん。聞こえないのですか。」

「わっ、死っ、死んでる。」


川島誠也を降ろしたタクシーの運転手に声を掛けた空港警備員は、彼が死んでいるのに気付き悲鳴を上げた。


「あの男が、殺したに違いない。警察を呼んでくれ。」と、もう一人の警備員に言いながら、川島誠也の行く手に立ちはだかった。


「あなたが殺したのですか。」

「ああ、そうだよ。金払えって言うから、金ないよって言ったら、警察呼ぶから待ってろって五月蝿くほざくもんで、面倒くさいから首の骨をへし折ってやったんだよ。」

「文句あっか。ごたごた言ってると、お前も殺っちまうぞ。」と川島誠也は、警備員の胸ぐらを掴んだ。恐怖した警備員は、とっさの勢いで胸ぐらを掴まれた腕を警棒で叩いた。骨が折れたような鈍い音がしたが、川島誠也は意に介さず、警備員を十メータほど投げ飛ばした。彼は気絶した。


「ああ、腕にひびが入ったよ。どうしてくれんだよ。」

「この代償は、お前たちの命と引き代えだな。覚悟しろや。」


川島誠也は、腕の痛みなど全く無視して気絶している同僚を介護している警備員にゆっくり近づいて行った。


「私とトランは、遠巻きにしている群衆にまぎれ込み、監視カメラの死角になる最前列に位置していた。」

「そして、二人はテレパシーで話し合った。」


「ジン、どうします。これだけの群衆の前では、手の出しようがないですね。」

「そうだな。監視カメラの目もあるし、表だっては動けないな。」

「どうでしょう。彼を挑発して人気のないところに私が誘導しますので、そこでゼロに収容しましょう。」

「どうやって。」

「簡単です。ジンは、タイミングを計ってゼロに戻っておいてください。」

「了解。」


トランは、川島誠也の頭めがけてコインを投げつけた。


「痛えな。誰だ。俺にコインを投げつけた奴。」と言いながら警備員のことは忘れたかのように彼は振り返った。


「人殺しだ。」とトランは叫んだ。すると群衆は、ざわめき立ちながら蜘蛛の子を散らすように、川島誠也から逃げていった。トランは、逃げるタイミングを逸したような仕草をして彼に再度コインを投げつけて逃げた。


「お前か。外人の癖して良い度胸してんじゃねえか。」

「俺にたて突いた奴は生かしちゃおかねえ。」と怒りにまかせて追っかけてきた。トランは、監視カメラの死角を突いてジグザグに走って逃げた。


「あいつ、馬鹿だな。こんな人気のないところに逃げ込みやがって。」

「いいえ、私は馬鹿ではありません。」

「あそこでは、あなたの犠牲者が増えるばかりです。」

「だから、ここまで誘い込んだのです。」

「あなたこそ、馬鹿です。怒りにまかせて、こんな所まで付いてくるとは。」

「そうかもな。あの警備員にしろ。俺のことを馬鹿にしたような目つきで見ていた連中にしろ。」

「この手で皆殺しにするつもりだった。」

「こんな所に追い込んで、お前一人殺しても何の快感にもならない。」

「けどよ。お前を殺った後に戻って好きなだけ楽しむわ。」


川島誠也は、トランの顔面を殴った。しかし、倒れないトランを見て吃驚し、殴る蹴るを繰り返した。それでも動じないトランを投げとばそうとしたが、投げ飛ばせない。


「どういうことだ。お前、人間か。」

「あなたこそ、常人ではないですね。」

「腕の骨が折れているのに平気で使っている。痛みはないのですか。」

「それと、力もゴリラなみですよ。」

「ああ、痛みは感じないし、折れた骨ももうすぐ治るだろうよ。」

「そう言うお前こそ人間じゃない。」

「人間です。なぜ、そのような体になったのですか。」

「答える義理はないね。」

「分かりました。あなたの魂に直接聞きましょう。」


「トランと川島誠也は、ゼロの中に移動した。」


「お帰り、トラン。」

「ここはどこだ。さっきまで倉庫の後ろにいたのに。」

「ここは、ゼロ次元の中です。」

「ゼロ次元。何だそりゃ。俺に分かるように言えよ。」

「君に分かるように説明できない。私にも理解できないんだ。」

「そんなことより君の中にあった負のエネルギーは、君と完全に分離したので私たちの質問に答えてくれないかな。」

「質問の内容によるよ。」

「まず、君の中にあった負のエネルギーのことなんだけど、どのようにして取り込んだのかね。」

「それについては分かんねいけど、俺が学園の門で教官と別れた直後、頭の中に誰かが話しかけてきた。」

「どんな話でしたか。」

「ああ、これからどうするのか。って言うから、俺をこんな目に遭わせた連中に仕返しをすると答えたんだ。」

「すると、どんな方法で、と聞いてきた。」

「そりゃ、もともと殺しが好きだから、仕返しに殺したる。と答えた。」

「そしたら、誰とも分からない声は、人を殺すたびに君に力を授けよう。と言ってきた。」

「まずは君に人なみ異常の体力を上げよう。」

「最初は、務所暮らしが長かった所為で幻聴が聞こえてきたと思った。」

「そこに、あの男が現れ、その前にかわい子ちゃんもいたはずだけど、知らないうちに消えてた。」

「そして、刺された。しかし、痛みはなく、しばらくして傷は治ってた。」

「教官たちを殺した。幻聴なんかじゃなかった。俺の欲望を満たすたびに力がみなぎった。」

「それこそ一石二鳥だ。追ってくる警官を手当たり次第、殺した。」

「空港に来るまでに何人殺したか覚えていない。」

「そう言えば、銃でも撃たれたが、俺は死ななかった。俺は不死身だ。」

「なぜ、空港に行ったのかね。」

「そりゃ、飛行機をハイジャックして都庁に突っ込むためだよ。」

「どうして都庁なんだね。それと、そんなことをしたら君も死ぬだろう。」

「頭の中の声が、お前は死なないし都庁に突っ込めば大勢の人間が死ぬ。」

「そして、お前の力は、無限のものになる。と言った。だからさ。」

「分かった。これから、君を先ほどいた場所に帰す。」

「但し、君の中にあった負のエネルギー、おそらく君の常人ならぬ力の源であろう代物は、もうなくなった。」

「君は、並の人間に戻った。だから、警察に出頭しなさい。」

「おっさん。あほか。俺は警察になんか行かないよ。」

「俺は、好きな殺しを続けて、また、不死身の力を手に入れるよ。」

「早く元いた場所に戻せよ。」

「警察に行くと約束してくれなければ、帰さない。」

「ジン、大丈夫です。」

「彼が警察に行かなくても、先ほどの場所に間もなく警察が来ます。」

「力をなくした彼を戻せば、逮捕されるでしょう。」

「そうか。じゃあ、戻そう。」

「俺は、逮捕されないね。警官なんか蹴散らしてやるさ。さあ、戻せ。」


彼は、建物を背に警察に取り囲まれた。


「痛えよ。くそ、腕が。」

「大人しく投降しなさい。」

「うるせい。捕まえたけりゃ、そっちから来な。」


警官たちは、彼の常人ならぬ力と銃でも死なない体に近づけば、既に殉職した同僚のように殺されてしまうと思い、遠巻きに囲むだけであった。」


「そっちから来ないなら、こっちから行くぜ。」


川島誠也は、一人の警官めがけて走り出した。その警官は恐怖のあまりに無駄だと分かっていても拳銃を撃った。すると、他の警官たちも、堰を切ったように拳銃を撃ちまくった。無駄な行為と分かっていても、あの化け物から同僚を自分たちを守りたいという一心で撃ちまくった。すると、彼らの意に反して川島誠也は、倒れ悶死した。一斉に安堵の空気が声となって漏れ出た。


「安心した。」

「良かった。生きてて良かった。」

「彼が本当の化け物だったら、俺たち皆殺しになってたろうな。」

「これで、同僚も浮かばれる。ほっとしたよ。」

「だけど、前は銃で撃たれても平気で逃走したのに、今回は。」

「わしにも分からん。検死待ちだ。」

「ひとつ言えることは、神様が味方してくれたと言うところかな。」

「この世に不死身の人間はいない。本当に良かった。」


あちらこちらから、助かった。良かった。との声が怒濤の如く溢れ出した。警官たちは、死を覚悟してここに来たのだろう。本当は、死への恐怖と逃げ出したい気持ちを、警官であると言う責任感と市民を守ると言う義務感で抑え込み、乗り越えてこの現場に来たのだろう。


「彼は、ジンの忠告を聞きませんでしたね。」

「もう、不死身じゃないということを。」

「彼は、完全に負の心と化していた。」

「人を信じ慈しみ、相手を思いやる優しい心は、完全に消失していたのだろう。」「それでも、一片でもプラスの心があればと期待した。悲しい結末だ。」

「ところで、この負のエネルギーをハモニーの下へ送り出さないと。」

「クウとミコに来て貰わないと、私たちだけでは対応できない。」

「分かりました。」


「お父さん。だから言ったでしょう。初めから私たちを連れて行くようにって。」

「その話は、済んだことだ。クウ、この負のエネルギーは、人の形にならない。」「どうしてだい。」

「はい、この負のエネルギーには、意思がありません。」

「したがって、人の形になり得ません。」

「意志のない負のエネルギー。それは、あり得ない。」

「もともと、何らかの未練とかの意志があって、この世に留まるんだから。」

「ジンの言うとおりです。」

「しかし、この負の精神エネルギーには意思がありません。」

「純粋な負のエネルギーとなっています。理由は、分かりません。」

「それじゃ、話もできない相手をどうやってハモニーの下へ行かせるんだ。」

「簡単です。ゼロから出してあげれば、自動的にハモニーの下へ向かいます。」「この世に留まりたいという強い未練がないのですから。」

「そうか。」


私、トラン、ミコとクウは、意思のない負の純粋エネルギーをゼロから降ろし事務所に帰った。


「ただいま。」

「お帰りなさい。彼は、どうなりましたか。」

「ミカ、警官に撃たれて死んだよ。悲しい結末だ。」

「えっ、彼は不死身ではなかったのですか。」

「負のエネルギーと彼の完全な負の心が同一化していた時は、常人ならぬ力と不死身の肉体になっていた。」

「しかし、ゼロの中で負のエネルギー体を彼から分離した時点で彼の特異な能力は失われた。」

「ミコの力で移動できなかった負のエネルギーを、彼から引き剥がすことができたのですね。」

「ああ、ゼロの中では、全てのものがエネルギー化する。」

「彼と分離させる事は簡単だったが、離れた負のエネルギー体には意思はなかった。」

「それは、おかしいですわ。」

「そのとおりだよ。強い未練の意思がない魂は、負のエネルギーとなって留まることはできない。」

「クウにも、理由が分からない。不思議だ。もう一つ不思議なことがある。」

「何ですの。」

「彼、川島誠也は、常人だ。創始者の遺伝子は皆無だ。」

「したがって、負のエネルギーを取り込むことはできないし、この世に負のエネルギーとなって留まることもできなかった。」

「その彼が、負のエネルギーを取り込み、常人ならぬ能力を手に入れている。」

「本当に、おかしな話ですわ。」

「おかし過ぎる。」

「今回の事件に君たち女性陣を連れて行かなかったことは正解だ。」

「ジンの判断は、正しいです。」

「彼の能力は、殺人を繰り返す毎に強力になっていました。」

「最初に、ミコが抱きつかれたときの力の比ではありませんでした。」

「そうだ。トランだから彼に対抗できたが、ミコたちには無理だ。」

「どうして、彼にそんな能力が備わったのでしょう。」

「クウが言ったように、意思を持たない負の純粋エネルギーと彼の完全なる負の心が合体したことによって、強靱な肉体になったと考えられる。」

「ただ、彼には創始者の遺伝子がないことから、負のエネルギーを取り込む能力はない。」

「何らかの外的要因が作用し、彼の中に負のエネルギーが取り入れられたと考えるのが自然だろう。」

「ジン。そう言えば、彼は、言っていまいしたね。」

「和泉学園の門を出たところで、頭の中で誰かに話しかけられたと。」

「テレパシーかも知れません。」

「私たちの他にもテレパシー能力を持っている者がいるのでしょうか。」

「ミカ、私たち同様の能力を持っているのなら、ゼロが探知するはずだ。」

「ゼロが探知できないということは、私たち同様の精神感応能力とは異質なものではないかと推察します。」

「トラン、異質なものとは。」

「私にも分かりません。」

「そうか。どんな能力であれ、その持ち主を突き止めないと、同様なことがこれからも起きる可能性がある。」

「お父さん。前にもあったよ。創始者の遺伝子を持たない人が、複数の負のエネルギーを取り込んでいた事件。」

「ああ、北海道での事件だね。」

「そうでしたわ。狸小路での車の暴走と旭川の少女殺害事件。」

「二人とも偏執的考えの人たちだったけど、負のエネルギーを取り込める能力は持っていなかった。」

「それなのに、彼らの中には、複数の負のエネルギー体が存在していたわ。」

「最初の事件では、本人が死ぬと負のエネルギーは彼の体から消えた。」

「普通は、そのまま残るはずなのに。」

「旭川の時は私が取り込めたけど、川嶋誠也の時は駄目だった。」

「やはり、第三者の関与が疑われるね。私たちとは、異質な能力の持ち主。」

「負のエネルギーと悪い心を持った人間を利用して何かを企んでいる。」

「目的は分からないが。そうなると、大阪湾での動物霊が人に取り憑いた件も、その第三者が糸を引いているように思われる。」

「そう考えると、暴走族がお父さんに仕返しするために、親子と知らずに私を誘拐したことも納得が行くわ。」

「誰だろうね。裏で糸を引いている人物は。」

「誰かは分かりませんが、悪意の持ち主であることは間違いありません。」

「トランの言うとおりだと思いますわ。」

「そうだな。全ての事件に共通することは、人を殺すことだ。絶対に許せん。」「これからは、この卑怯な人物、人を手先にして人殺しをさせる悪魔みたいな人間を捜し出すことも、ハモニーの仕事と併せてしなくちゃならない。」

「できるだけ早く見つけ出さないと犠牲者が増えるばかりだ。」

「しかし、ジン。どうやって探し出しますか。」

「分からない。何の手掛かりもない。」

「ただ言えることは、今の人間にミコのような負のエネルギーを取り込める能力はないと言うことだ。」

「但し、これからは、ハモニーの仕事の中で負のエネルギーを取り込んだ人間が現れたら、即ち悪魔のような卑怯者が関わったということだ。」

「そこから、手掛かりを探すしかない。」

「クウと私の力が絶対不可欠ね。」

「ミコを危険に晒したくはないが、負のエネルギーを取り込めるミコの力は、ハモニーの仕事をする上で必要なものだ。」

「クウだけの力では、負のエネルギー体と話はできても移動させることができない。」

「そうでしょう。私がいたから、ひなのちゃんをお母さんに合わせて成仏させてあげられたのよ。」

「そうだな。」

「しかし、これからは、川島誠也のような得体の知れない能力を持った者も現れるだろう。心配だ。」

「心配しても始まらないから、稽古始めましょう。」


数日後、川島誠也の事件が報道された。民間人二名と警察官九名が死亡、重軽傷者が二十名にも及ぶ被害が出たことは、単独犯の犯罪史上にも残る凶悪事件である。との内容であった。そして、一人の民間人の被害者は、犯人の川島誠也に妻と娘を強姦の上、殺害された被害者の夫であった。家族の無念を自分の手で晴らしたかったのだろうと、とあるコメンテーターが話していた。そして、これだけの被害を出し、犯人を逮捕できずに射殺した大阪府警の不手際を糾弾していた。


「ただいま。」

「お帰りなさい。メグ。」

「キコが帰ってきたら、稽古を始めますわ。」

「あっ、そうだ。」

「今日からミカとミコが教官になり、メグとキコを指導してくれ。」

「教えることも、良い稽古になる。私とトランは、教官を引退するよ。」

「分かった。じゃあ、私はメグと組むわ。」

「ミカは、キコをよろしくね。」

「分かりましたわ。お任せください。」

「私たち、先に稽古するわ。メグ行きましょう。」

「はい、ミコ。よろしくお願いします。」

「キコが帰ってくるまで、夕食の下ごしらえをしておきますわ。」


霊魂探し


「暇だね。退屈だ。定年後の生活に戻ってしまった感がある。」

「負のエネルギーに関連した情報はないかい。」

「ありません。通常の事件や事故の情報は、いくらでもありますが。」

「そうか。」

「ところで、ジン。」

「なんだい。」

「ゼロの検索条件では、川島誠也のような特異な事件がなければ上がってきません。そう言う事件は、そうそうある物ではありません。」

「そりゃ、そうさ。」

「彼みたいに生きながらにして、負の心しかない人間は極まれだろう。」

「ましてや、ミコのように負のエネルギーを取り込める能力者もいない。」

「はい。」

「おそらく、負のエネルギーから意志を除去し、常人にそれを移すことができる能力を持つ者も、川島誠也のような人間を捜し出すのに時間が掛かっているのでしょう。」

「で糸を引く卑怯者。彼は、ゼロが反応しない異質な能力者だ。」

「ミコとは正反対の能力。ミコは、霊魂を自分に取り込めるけど、人には移せない。」

「もし、彼が私たちと同じ精神感応能力者だったらゼロで探知できますが、反面、ゼロを使われてしまう危険性があります。」

「だけど、トランもゼロも物事の善悪を判断し、悪事には荷担しないだろう。」

「はい。」

「それに、創始者たちが精神感応能力を得たのは、そうした悪い考えから解放されたからだろう。善の心でしか創始者のテクノロジーは動かない。」

「あっ、そうか。」

「我々の精神感応能力は善で、人を殺す目的で能力を使う卑怯者は悪だ。」

「そこが、質の違いか。」

「でも、ジン。悪の心を持った者は、精神的な高みの人間になれませんわ。」

「そうだよな。悪の心じゃ、能力者になれない。」

「分からんな。この問題もハモニーに会う機会があったら聞いてみよう。」


「メグ、キコ。上達したようだね。体力、気力ともに十分だ。」

「はい、これも皆さんのお陰です。」

「それじゃ、シミュレートしてみよう。」

「ゼロ、夜道、痴漢男。」


道場が暗くなり、人通りのない夜道に変わった。


「さあ、どっちが先。」

「私。」

「メグが先ね。プログラム開始。」


メグは、行きなり痴漢男に後ろから抱き付かれた。吃驚した彼女は、渾身の力で痴漢男を十メーター先のコンクリート屏に投げ飛ばしてしまった。


「凄い、私。」

「メグ、凄いじゃないよ。過剰防衛だ。」

「彼はホノグラムだから良いけど、本物の人間だったら重傷どころか、打ち所によっては死んでいるかもしれない。」

「あっ、済みません。つい、力が入りました。」

「君たちの力は、常人のものではない。」

「力を得た者は、その力をコントロールしないといけない。」

「投げ飛ばさずに抱き付かれた腕を振り解き、秘孔を付いて気絶さるだけで良い。」

「それで十分だ。次は、キコ。」

「ゼロ、場面変更。人気のないビルの路地裏、強姦、二人。」


場面は変わった。


「姉ちゃん。可愛いね。俺たちと楽しまない。」

「お断りです。」


秘孔を突いて逃げようとしたキコは、二人に捕まり押し倒されてしまった。


「プログラム停止。」

「あれ、秘孔を突いて気絶させたはずなのに。」

「気の集中が足りなかったのです。逃げることに気を取られすぎた結果です。」

「トランの言うとおりだ。」

「気功術は、気を集中して秘孔を正確に突かなくては効果がない。」

「冷静沈着さが求められる。」

「人は恐怖や焦り、躊躇、誤判断などで冷静さを欠いてしまう。」

「せっかくの技も活かせない。」

「分かりました。」

「君たち二人は、学ぶべきことは全て習得している。」

「後は、実践経験を積み重ね、いかなる状況下でも習得した技を使えるようにすることだ。」

「ゼロが作るシミュレーションは、多種多様です。」

「二人が実際に試したい場面を音声入力で作り出せます。」

「また、お任せコースもあります。難易度も自由自在です。」

「過去の犯歴もシミュレートできます。」

「トラン。ちょっと試しても良い。」

「どうぞ。」

「ゼロ、箱根の事件、私が買春客に取り押さえられた所から開始。」


ミコは、一瞬で巫女装束になり、床に横になった。そこにホノグラムの男たちが現れ、横になったミコを押さえ込んだ。


「あん時の場面か。」

「メグの場合と同じように、不意を突かれたミコが技を発揮できずに、ミカに助けられた場面だ。今度は、抜け出せるかな。」


次の瞬間、折り重なるように、ミコを押さえ込んでいた中年太りの四人の人山が崩れ落ちた。


「ミコ、凄い。どうやったの。この二人は、ゆうに八十キロはあると思うけど。」

「前は焦ちゃって、もがけばもがくほど男たちの体重と力で身動き取れなくなった。」

「でも、今回は冷静に気を集中して放ったわ。」

「だけど、取り押さえられていたのに、どうやって秘孔を突いたの。」

「突いてないよ。私の全身から気を放っただけ。」

「人間の能力は、未知数です。」

「そのとおり。」

「例えば、脳。人は、脳細胞の一割も使っていない。」

「持てる能力を最大限引き出すことができたら、人類も創始者の域に達することができると思う。」

「気も集中力を鍛えることで、より強力になる。秘孔を突く必要もなくなる。」

「私たちもミコみたいに、できるようになるかしら。」

「なります。そのためのシミュレーションホノグラムです。」

「後は実践経験を積むだけです。いつでも好きなときに使ってください。」

「トラン、有り難う。でも、一人ずつしか使えないの。」

「いいえ、何人でも同時に使えます。」

「また、複数の場面を設定しても、その場面ごとに空間が仕切られます。」

お互いに邪魔になることはありません。」

「また、二人で一つの場面も設定できます。」

「ゼロは、いかなる条件にも対応します。」

「それと安全装置がありますのでホノグラムで、実体化した人物などによって傷つけられることもありません。このとおりです。」


トランは、いきなり私を投げ飛ばした。それも力一杯である。通常なら私に加えられた危害は本人に跳ね返る。しかし、私は、壁にぶつかる前に空中で停止していた。


「このとおりです。」

「何が、このとおりだよ。トラン。」

「いきなりで吃驚した。しかも手加減なしとはね。」

「ジン、良く言いますね。」

「私の動きなんか、簡単に封じ込めることができるのに、わざと投げられましたね。」

「バレてた。」

「まっ、この装置なら安全だ。」

「だけど真剣に取り組まないと、いつまで経っても上達しないからね。」

「二人ともあらゆる場面を想定して練習に励めば、気功術も上達するから。」

「直ぐに、ミコのレベルに追いつくよ。」

「分かりました。頑張ります。」


「いよいよ暇だね。やっぱり、負のエネルギーが関係してそうな事件も起きない。待ちの商売をしていても、埒があかんな。」

「お父さん。待ちの商売って何。」

「私たち、プロダクションも休業中だし何の商売もしていないよ。」

「それに、埒があかないって、どういう意味。」

「例えだよ。」

「つまり、商売人は、お客が来るのをただ待っていても儲からない。」

「儲からなければ商売は発展しない。」

「転じて、何もしないと何も進展しないということだ。」

「特異な事件が起きるのを待っているだけじゃ、ハモニーから託された仕事が達成できない。と言うことで待ちの商売は止めて、こちらから打って出ようと思う。」

「どうするの。」

「霊魂探しの旅に出るというのは、どうだろう。」

「何の当てもなく探すのは、時間の無駄です。」

「でも、トラン。」

「犬も歩けば棒に当たる。と言うじゃないか。」

「それに、負のエネルギーは、その場から移動できない。」

「何らかの条件が重なって人に取り込まれる事はあったけれど、ミコや例の卑怯な能力者が関与しない限り普通は、その場に留まったままだ。」

「そう言った負のエネルギーを探し出して、ハモニーの下へ送り出さないと任務が全うできない。」

「ジンの言うとおりです。」

「人に取り込まれて事件を起こす負のエネルギーは、一部です。」

「大半の負のエネルギーは、死んだ場所に留まっています。」

「そうだろう。クウが言うんだから間違いない。」

「でも、犬も歩けば方式は、トランの言うように非経済的だ。」

「何か良いアイデアはないかい。」

「そうだ。お父さん。」

「都市伝説とか、心霊スポットとか調べたら。」

「どうやって。」

「インターネットがあるでしょう。」

「それは、良い考えですわ。」

「ミカも、そう思うでしょう。」

「だけど、闇雲にインターネットで探しても情報が多すぎるし、がせネタばかりだ。信憑性が問題だ。」

「それは、ゼロに任せてください。」

「負のエネルギーが、関与している確立が高いものをピックアップさせます。」「その中から皆で協議して、これは、というものを選び出せば良いと思います。」

「まあ、犬も歩けば方式よりも、そちらの方が多くの負のエネルギーを見つけ出せそうだ。」

「まずは、やってみよう。効果が出なかったら、また、考えれば良いや。」


「これなんか、どう。テレビでもやってたよ。」

「どれどれ。ああ、廃墟となった病院に出る幽霊の話しね。」

「テレビで良くやる定番だな。」

「その時の番組を、パソコンのモニターに出します。」

「幽霊自体は撮れなかったけど、霊現象見たいな物が映っていますわ。」

「ミカ。これやらせだよ。」

「この番組の出演者やスタッフの中に、クウやミコのような能力を持った者がいれば別だけどね。」

「このおばさん。霊媒師でしょう。」

「私のような能力を持っているかも。」

「いいえ、持っていません。」

「創始者の遺伝子は、一切ありません。純粋な地球人類です。」

「純粋な地球人類ってどういうこと、トラン。」

「それは、創始者が移住した惑星には、もともとその惑星で生まれた人類と、創始者との混血、そして、創始者の遺伝子を全て受け継いだ人類の三タイプがあります。」

「この番組に出ている霊媒師は、百パーセント、純粋地球人類です。」

「でも、トラン。ミコも百パーセント、純粋地球人類だけど。」

「ミコは、クウとの関わりから能力が発現しました。」

「私も、ハモニーから能力を貰った。」

「要するに、純粋地球人類でも何らかの外的作用によっては、能力者になれると言うことだ。」

「そのようです。川島誠也も負のエネルギーと同化していたときは、超人的な力を発揮して不死身の体になっていました。」

「もしかしたら、霊媒師を除く出演者かスタッフの中に、メグやキコのような「創始者の遺伝子を、百パーセント受け継いでいる人がいるのかも知れない。」

「この画像に映っている人たちは、全員純粋地球人類です。」

「それじゃ、スタッフにいる可能性があるな。」

「早速、テレビ局に行ってみよう。」

「ねえ、お父さん。メグとキコも誘って良いかな。」

「良いけど、学校や仕事で行けないんじゃないかな。」

「電話してみるわ。」


「ただいま。」

「あれ、メグ。今、電話しようと、うそ、キコも。」

「ただいま。」

「噂をすれば影ね。メグ、キコ。」

「偶然じゃ、ありません。」

「私たちは、ジンに呼ばれたような気がして来ました。」

「私は呼んでないけど。」

「偶然でも、何でも良いや。」

「今から負のエネルギーを探しに、東京のテレビ局に行くんだけど一緒に行かない。」

「無理だろう。学校や仕事が。」

「ジン。午後の授業は、全て休講になりました。」

「私も、今日は非番です。」

「しかし、偶然もこれだけ重なれば、もう必然だね。じゃあ、皆で行こう。」


私、トラン、ミカ、クウとミコ、メグ、キコの六人はゼロに乗り込み、お台場にあるテレビ局に移動した。私たちは、お台場公園の人目のない所でゼロから降りた。


「後は、歩きだ。」

「私、来たついでに自由の女神も見たい。」

「おいおい。観光しに来たわけじゃないよ。」

「ジン。私も見たいですわ。」

「ミカも。」

「それじゃ、多数決で決めよう。」

「えっ、私を除く全員。分かりました。私も賛成だ。」

「寄り道、決定ですね。」

「トランまでも、おなご側に付くとは。」


「もっと小さいかと思っていましたけど。」

「本物には負けるけどね。」

「さあ、もう良いでしょう。テレビ局に行くよ。」


「あの、済みません。ちょっと、お話しよろしいでしょうか。」

「私は、近藤タレント養成所の者です。」

「私たちですか。」

「はい。あなたたちは、既に業界の方ですか。」

「いいえ、違いますわ。」

「私と彼女は神定プロダクションの者で、彼女は神主、もう一人の彼女は学生さんですわ。」

「神定プロダクション。聞いたことありませんが。」

「神定プロダクションは漫画制作の会社で、私たちはタレントじゃないわよ。」

「嘘でしょう。あなたたちは、四人グループの歌手か、女優さんでしょう。」

「とても一般人には見えません。」

「四人ともこの雑踏の中で、ひと際目立っています。」

「どうやら、私たちは無視のようですね。」

「私はともかく、トランまで無視とは。」

「ジン。」

「なんだい。キコ。」


キコがテレパシーで話しかけてきた。


「この人、女性の敵です。」

「どういうことだい。」

「彼は、タレント志望の女性を言葉巧みに騙して無理矢理アダルトビデオに出演させています。」

「彼の犠牲者になっている女の子が沢山います。」

「私たちに声を掛ける前に、既に一名の高校生が自分から事務所に行っています。」

「許せんな。事務所の場所分かるかい。」

「私が聞いてみる。」

「ミコ、頼みます。」

「近藤さん。私、タレントになるのが夢なの。興味あるな。どうすれば良いの。」

「今でもよろしければ、会社のスタジオに案内しますが。」

「あっ、ちょっと待って、今すぐは無理よ。」

「後で行くから、この名刺の場所で良いの。」

「その場所は事務所の住所です。スタジオのある場所は、ここの住所です。」

「分かったわ。」

「来る時は、私の携帯に電話をしてください。私が案内します。」


「参ったな。二つとも、でたらめな住所だ。彼も慎重だな。」

「私に任せて。彼に電話して案内して貰うから。」

「仕方ないか。危険だけど、早くスタジオを見付けないと。女子高生が危ない。」


「彼からの指示で、先ほど声を掛けられた場所で待つことになった。」


「一人だけですか。」

「他の連中は興味ないって、私一人だけだけど構わないでしょう。」

「はい、問題ありません。早速、案内します。」


ミコは、促されるままに彼の車に乗り、とあるマンションの一室に案内された。この間、トランは警察のコンピューターから彼の情報を引き出していた。


「ジン。彼は警視庁湾岸署の生活安全地域課にマークされています。」

「そうか。内偵中というところかな。となると、彼を尾行している刑事がいると思うけど。」

「いません。」

「なぜだ。内定しておきながら尾行しないとは。」

「理由は分かりませんが、このマンションを見張っている者もいません。」

「それじゃ、我々が証拠を警察に提供しなくちゃな。」

「どうやってですか。」

「うむ。分からん。」


「近藤さん。このスタジオ狭すぎない。レッスン、どうやってするの。」

「レッスンなんか必要ないよ。」

「どういうこと。」

「甘い誘いに騙されて、のこのこ付いてきた自分を恨むんだな。」

「お前が、この二人にレイプされる所をぶっつけ本番で撮影する。」

「だから、稽古なんかいらねえんだよ。お前は、良いAV女優になれるぜ。」


隣の部屋から二人の男が出てきた。


「ひぃえー、こいつ。すっごくマブイ。」

「今まで何十人と犯ったけど一番マブイよ。」

「どれどれ、本当だ。さっきの女子高生も可愛かったけど。」

「こいつが一番だ。マブ過ぎるぜ。」

「俺一人でレイプするから、お前一回休んでろ。」

「そんな。」

「次は、俺だ。サブは、最後。」

「ちょっと、あんたら私を回す気。冗談じゃないよ。」

「それに、さっきの女子高生って誰よ。」

「お前には、関係ねえよ。」


ミコは、彼らの隙を見て隣室のドアーを開けた。


「彼女に何したの。死んでるの。」

「気絶しているだけだ。大事な金づるだから殺すわけねえだろう。」

「金づるって、どう言うことよ。」

「さっきも言ったけどよ。お前たちには、AV女優として金を稼いで貰う。」

「ふざけないでよ。あんたらの言いなりになんかならないわ。」

「無駄だよ。警察に訴えたり、俺たちの言うことを聞かなきゃ、レイプシーンをインターネットに流す。」

「一生台無しになるか、AV女優として金を得るか、選ぶのはお前らだ。」

「どっちがお得かは、考えれば直ぐ分かる。」

「あんたら卑怯よ。女の弱みにつけ込んで。」

「こんな事して許されると思ってるの。」

「許されるとは思ってねえよ。太く短く稼ぐんだよ。」

「どうせ察に捕まっても、二,三年の刑だ。」

「務所を出た後、荒稼ぎした金で遊びまくるのさ。」

「女を食い物にした金なんか、直ぐ無くなっちゃうわよ。」

「無くなったら、今度は振り込め詐欺でもするさ。」

「どうやら、真面目に働く気はないようね。」

「あったりめえだよ。汗水流して苦労してられかっよ。」

「一生、楽して暮らすのさ。」

「人を犠牲にして自分だけ良ければって言うわけね。」

「呆れる。同情の余地なしね。」

「お前の同情なんかいらねえからよう。俺たちのために一生懸命働いてくれや。」

「サブ、そいつを押さえ込みな。俺が服ひんむいて、一発ぶち込んだるからよ。」

「よっしゃ、いよいよぶちかましたるわ。まずは、兄貴から、どうぞ。」


サブと呼ばれた茶髪のヤンキーは、ミコを押し倒そうとしたが、次の瞬間、ミコに投げ飛ばされて壁に頭を打って気絶した。


「お前、強いな。だけど、次は、そう巧くいかねよ。」

「近藤さん。二人がかりでいきましょう。」


ミコは、正面から来る近藤を正拳突きで、後ろから来るもう一人のヤンキーを足で蹴った。二人とも悶絶して床にしゃがみ込んだ。


「くそ、可愛い顔してやるじゃねえか。素手じゃ、敵わねえな。」


近藤は、ドスを抜いた。ヤンキーの若造もナイフを構えた。


「大人しくしな。痛い目見るぜ。」

「あーらっ、どうかしら。痛い目見るのは、どっちかな。」


ミコは、二人の目にも止まらぬ速さで、ドスとナイフを手刀でなぎ払い投げ飛ばした。


「痛ててえ。こりゃ、無理だ。強すぎるよ。」

「本当、容姿からは、思いもつかない強さだな。」

「けどよ。そこまでだ。大人しくしないと、この女子高生がどうなるかな。」

「ケン、今のうちに、そいつを縛り上げろ。」

「大人しくしてろよ。手こずらせやがって。」


ミコは、縛られても縄抜けをする技を持っている。


「やっと、大人しくなった。これからが、お楽しみだ。」


近藤が、ミコの服に手を掛けて引きち切ろうとしたとき、気絶していたサブがむっくり起き上がった。」


「近藤、お前。俺が先だ。先にやらせろ。」

「サブ。どうした。近藤さんに、そんな口聞いて、ただじゃ済まないぞ。」

「うるせえ。」


近藤より小柄なサブが、いとも簡単に近藤を投げ飛ばした。


「サブ、どうしちまったんだよ。近藤さんに、直ぐ謝って許して貰えよ。」

「もう、遅いよ。サブ。俺に手を掛けた以上は、ただじゃ、おかねえ。」


次の瞬間、近藤はドスをサブの脇腹に立てた。

サブは意に介さず自分に刺されたドスを無表情で抜き、その光景に呆然としている近藤の首に突き立てた。サブは、恐怖の余り逃げ出そうとするケンの退路を絶った。


「サブ、どけよ。どうしちまったんだよ。」

「サブは、ケンの胸ぐらを掴み宙に持ち上げた。」

ケンは、床から浮いた足をばたつかせ持っていたナイフで、何度も何度もサブを突き刺した。それでも、顔色一つ変えずに、ケンの首をもう一方の手でねじ曲げた。彼は、体を痙攣させて絶命した。


「次は、姉ちゃんの番だ。殺す前に楽しませて貰うよ。」

「あなた、負のエネルギーと同化してるね。川島誠也と同じだ。」

「ゼロ。彼を。」と言うより早く、サブはマンションのベランダから飛び出した。次の瞬間、ミコはゼロの中にいた。


「お帰り。ミコ。」

「やはり、意思のない負のエネルギーです。」

「トラン、彼、サブは。」

「あの状況では、負のエネルギーを分離するのが精一杯でした。」

「助けることは、できなかったの。」

「はい、彼は既に致命傷を負っていました。」

「負のエネルギーによって生かされていたのです。」

「彼から負のエネルギーを分離しなければ不死身ですが、それでは、彼の犠牲者が増えるばかりです。仕方のないことです。」

「しかし、ミコもクウも、負のエネルギーを感じなかったのかい。」

「私もクウも最初から、この部屋に負のエネルギーを感じていたわ。」

「でも、ちゃんと意思を持ったエネルギーだった。」

「ここで彼らにレイプされ彼らの言いなりにならずに、警察に行こうとして殺された人の霊。」

「私もクウも彼らを懲らしめてから、犠牲になった彼女の霊の話を聞こうと思っていたの。」

「こんな事になるんだったら、先に取り込んでおけば良かった。油断したわ。」「だって、彼らは常人で能力を持っていなかったから。」

「やはり、ゼロのセンサーに掛かりません。」

「いったい誰なんだ。」

「負のエネルギーから意思を奪い、人をして不死身の殺人鬼に変えてしまう悪魔のような能力を持った奴は。」

「ジン、ちょっと解せないことがあります。」

「トラン、何が。」

「はい、川島誠也の場合は、彼自身の心が百パーセントの負で、意思のない負の純粋エネルギーと合体した結果、不死身の殺人鬼となりました。」

「でも、彼、サブの心は完全な負ではありませんでした。」

「それで、完全な不死身とならずに、致命傷を負っていたのか。」

「もし、彼が負の純粋エネルギーを持って殺人を繰り返していたら、どうなるのだろう。」

「推測の域を出ませんが、川島誠也もサブも完全な不死身の殺人鬼になっていたと思います。」

「ところで、女子高生は、大丈夫かな。」

「はい、気を失っていたことで、あの惨劇を見ずに済みました。」

「後は、警察に保護されるのを待つだけです。」

「後は、この現場を警察にどうやって知らせるかだな。」

「その必要はないですわ。」

「ベランダから飛び出したサブさんの遺体を、通行人が見つけて警察に電話したようですわ。」

「そうか。私らができるのは、ここまでだ。」

「それじゃ、テレビ局の見学に行こうか。元へ、調査に行こう。」

「ジン。やはり、そうでしたか。」

「トラン、やはり。とは、どうやはりなんだい。」

「考えてみれば、番組の出演者やスタッフの中に霊能力者がいるかどうか調べるより、廃墟になった病院に直接行った方が早いはずです。」

「バレた。」

「あら、トラン。私は、最初から分かっていましたわ。」

「自由の女神のレプリカを見に行きましょう。と言ったとき、わざとらしくジンだけ反対したでしょう。その時、確信しましたわ。」

「そのとおり。どうせ遊びに行くんなら、メグとキコもと思って誘ったんだ。」「ただ、運良く二人とも休みになっているとまでは思わなかったけどね。」

「それなら、最初から素直に遊びに行こうと言ってください。」

「それがね。この年になると、素直に遊びに行こう。って言いづらい。」

「子供じゃあるまいし、良い歳してって笑われそうでね。」

「誰も、笑いませんわ。」

「そうだよ。お父さん。」

「遊びながらハモニーの仕事ができたら一石二鳥でしょう。」

「現に、少女の霊を成仏させることができたじゃない。」

「後は、テレビ局を見学して、それから、廃墟になった病院に行けば良いわけでしょう。」

「それじゃ、皆、レッツラ、ゴー。」


私たちは、見学コースの順路に従いテレビ局の内部を満喫した。この間、何度もトランと四人娘たちは、芸能人と間違われ写真やサインを求められた。私と言えば、その都度、彼らのマネージャーに間違えられ、番組出演の交渉を持ちかけられた。


「まいったな。何度も同じことを説明するのに疲れたよ。」

「いっそのこと、本物の芸能人になった方がましだ。」

「それ、グッドアイデア。お父さん。五人でボーカルユニットを組んだら。」

「ミコ、本気にすんなよ。冗談だからさ。」

「私は、マジに本気よ。」

「無理だよ。」

「ジンの言うとおりです。」

「メグとキコは、それぞれ職業を持っています。」

「それじゃ、三人のユニットは。」

「ミコ、ジンは。組むなら、四人のユニットですわ。」

「お父さんは、それこそ無理。だって、超音痴だもん。」

「うむ。当を得てます。」

「トラン。それを言うなら、的を射てますだよ。」

「あっ。そんなことは、どうでも良い。」

「歌手になるって、ミコが考えてるほど簡単じゃない。と言うことだ。」

「どうして。」

「スターを育てるのに、どれだけのお金が掛かるか。」

「それでいてトップになれるのは、ほんの一握りだ。」

「才能や美貌だけじゃ、トップになれない世界だ。」

「そうか。」

「それでは、皆さん。見学も終わったところで、廃墟になっている病院に行きましょう。」


私たちは、ゼロに乗って神奈川県にある廃墟の病院に移動した。


「あんたら、テレビ局の人。」

「君たち、モデル。何処の局の取材。」

「違います。テレビの取材でもありません。」

「テレビの影響力って、凄いですね。」

「本当ですね。」

「メグ、キコ。私たちは、マスコミに踊らされやすい民族だ。」

「本当、私らもミーハーだね。あの人たちと同じ。」

「いいえ、ミコ。私たちは違いますわ。」

「負のエネルギーを探すという目的がありますわ。」

「あの人たちは、単なる遊びで来ているだけですわ。」

「それじゃ、早速、中に入ろう。」

「あれ、おじさんたち。後、一時間ぐらいしないと暗くならないよ。」

「明るいうちに入ってもつまらないでしょう。」

「暗くなったら俺たちと一緒に探検しない。」

「いや、私たちは肝試しに来たわけじゃない。」

「本当に霊が存在するかを確認しに来ただけだ。」

「おじさんたち、霊がいるって本当に信じているの。」

「君たちは、信じてここに来たんだろう。」

「まさか。霊なんかいるわきゃないよ。」

「あたいは、信じてるよ。」

「うそ。マジ。テレビで有名になった場所で肝試し。遊び、遊び。」


「何組かのミーハー族を尻目に、私たちは廃墟に入った。」


「お父さん。中を見るまでもないよ。」

「ここには、負のエネルギーは存在してない。」

「そうか。じゃあ、帰ろう。」

「あれ、中に入らないで帰るの。明るいのに中の様子にビビった。」

「そんなんじゃないわよ。この廃墟に霊がいないことが分かったから帰るの。」

「本当は、怖いんでしょう。六人もいて、みんな怖がりなんだ。」

「まあ、そう思って貰っても構わないよ。」

「だけど、暗くなってから君たちがこの廃墟に入るときは、怪我をしないように気をつけて欲しい。」

「大丈夫。そんなドジしないよ。」

「それでは、お先に失礼するよ。」


私たちは、廃墟に通じる直線道路を背にして最初の交差点で左に折れ、人目がないことを確認した後、ゼロに乗った。


「あれ、あの人たち、もういないや。」

「モデルさんみたいな彼女たちと、一緒に写真撮りたかったのにな。」

「でも、変だな。車の音もしなかったし、第一、この道一直線だ。」

「こんなに早く走れるわけがない。消えちゃったみたい。ま、良いか。」


「ねえ、お父さん。ゼロからの情報ないね。」

「やはり、マスメディアにある超常現象は、ゼロの分析結果からすると全て偽物なんだろう。」

「廃墟の病院、しかりだ。あれ以来、ゼロの審査、辛くなったんじゃないかな。」

「退屈。暇を持て余しちゃう。漫画のストーリーも思い浮かばないし。」

「取材旅行したいな。」

「どこに行きたい。」

「どこでも良いわ。」

「それじゃ、ジンと同じです。犬も歩けば方式になってしまいます。」

「でも、トラン。当てのない旅も、おつなものだと思うけどな。」

「非経済的で時間の無駄です。」

「こうして、何事もなく一日を過ごすのも非経済的で時間の無駄使いだ。」

「ただいま。」

「お帰りなさい。二人とも一緒。」

「ええ、実は二人で考えたことがあって、夕食後に皆さんに相談しますわ。」

「お帰り。もう、そんな時間。何もしなくても時間は過ぎるものだ。」


「ごちそうさまでした。」

「ところで、帰ってきたときに言っていた相談って何。」

「ミコが言ってたユニット結成の件なんだけど。」

「私たちもやってみたいと思うの。」

「キコたちも賛成してくれるの。」

「はい。」

「キコもメグも、スターを目指すなんて夢の、また夢。叶うはずがないよ。」

「君たちをスターに育て上げる資金もないしね。」

「今からオーディションを受けるって歳でもないし。」

「アイドルなんて十代の若者が一度は抱く夢の夢だ。」

「ジン。私たちが考えてるユニットって、アイドルになることじゃないんです。」

「ほとんど、お金が掛かりません。」

「お金が掛からないって、どう言うことだい。」

「ボランティアのコーラスユニットです。」

「大学のコーラス部が、いろんな施設に行って歌を披露してるという活動を聞いて、これだと思いました。」

「どう言うこと。」

「ただ闇雲に負のエネルギーを探すより、私たち五人でいろんな施設に歌を歌いに行くのです。」

「そうすれば、行く先々で人を元気にできるし、負のエネルギーも探せます。」

「演奏とか、マイクとかは、どうするの。作詞作曲は。」

「そんなもの一切いりません。」

「どうして。」

「歌う歌を学校唱歌や童謡にすれば作詞も作曲もいらないし、コーラスだけにすれば楽器も演奏もいらない。」

「大きな声で歌えば、スピーカーもいらない。」

「どうでしょう。ジン。これなら、そんなにお金を掛けずに済みます。」

「メグ、キコ。素晴らしい考えだけど、問題が多くて具体性に欠けている。」

「はい。そこで相談なんですけど、まず、この考えに賛成していただけますか。」

「私、賛成。アイドルになるより人の役に立ちたい。」

「メグたちの考えは、素晴らしいと思う。」

「私も賛成ですわ。」

「不遇で恵まれない人たちを励まし、勇気付け元気にしてあげられる最高の方法ですわ。」

「私は、ジンに会うまでは人々の夢や希望の精神的な拠りどころとして。」

「ジンの力で実体化してからは、少しでも人の役に立ちたくハモニーの仕事をお手伝いしています。」

「これからは、キコとメグの言うように、もっと積極的に人々の役に立てたらと思いますわ。」

「トランは。」

「私も賛成です。」

「まさしく、一石二鳥です。」

「ジンの言う犬も歩けば方式よりも、もっと有意義な時間の活用ができます。」

「トランの言い方、なんかとげがあるね。」

「そんなことありません。ジンの考え過ぎです。」

「そうかな。それはともかくとして、私も賛成するよ。」

「神定プロダクションを新たなエンターテイメント会社として立ち上げよう。」

「ジン。元々、神定プロダクションは、漫画を含めた総合企画会社として登録されています。」

「あれ、そうだっけ。」

「確か、お父さんが届けを出すとき、総合企画会社で登録していたわ。」

「そうだった。新たに手続きする必要がないってことだな。手間がはぶけた。」

「ボランティアでするのに、会社は必要ですか。」

「メグ、会社として活動した方が相手も安心する。」

「どうしてですか。」

「社会は、ただより高いものはないと考える人が多い。」

「今の世の中、ギブアンドテイクだ。」

「何をして貰うにしても無料だと言うと、途端に何か裏があると警戒されて断られる。」

「逆に、いくらかでも出演料を貰えば、相手は安心して話に乗る。」

「それも、個人としてでは信用されない。会社としての肩書きが必要だ。」

「そうなんですか。」

「そこで、具体的な話しになるが、ミコが言うようにユニットは、トラン、ミカ、ミコ、キコ、メグの五人で良いと思う。」

「私は、歳だからマネージャーをするよ。」

「お父さん。歳と言うより。」

「みなまで言うな。問題は、キコとメグだ。」

「二人の何が問題なの。」

「キコは、神職。メグも将来は神職を目指す学生。」

「神定プロダクションの社員にはなれない。」

「かといって、歌手のバイトなんて聞いたこともない。」

「それに、二人の休みが合わないと五人が揃わない。」

「私たちは、ボランティアで良いです。」

「それと、私たちがいないときは、トラン、ミカ、ミコの三人で歌えば良いと思います。」

「でも、私、やっぱり五人揃って歌いたい。」

「それは、問題ないよ。」

「だって、スターになってお金をいっぱい稼ぐことが目的じゃないから。」

「二人が言うように、恵まれない人たちを元気づけて上げたいだけだから。」

「ミコの言うとおりですわ。」

「この企画を考えた二人抜きでは、意味がありませんわ。」

「分かった。スケジュールの調整は、私に任せてくれ。」

「後は出演先だけど、まずは、刑務所の慰問はどうだろう。」

「刑務所ですか。」

「そうだよ。キコ。心が負に染まっている人たちが多い場所。」

「負のエネルギーを探すのに打って付けだ。」

「お父さん。慰問って何。」

「苦労している人や不幸な人を慰めて見舞うこと。」

「トラン、解説ありがとう。」

「刑務所の人たちは、自業自得で不幸な人になってるけどね。」

「こういう人たちを歌で励まし、勇気づけ元気にしてあげることで、彼らの自立更生を促せたらと思うよ。」

「でも、刑務所。怖いです。」

「キコ、私も。」

「だけど、危険を予知したら皆さんに知らせます。」

「二人は、私たちが守る。絶対、危険な目には遭わせない。」

「緊急事態が起こったときは、ジンと私が対応します。」

「その時は、女性陣はゼロに避難してください。」

「そんな事態になってゼロに避難した後は、絶対にゼロから出ないと約束して貰いたい。」

「私らに何があっても、助ける必要はないから。」

「でも、二人が危なくなったら。」

「メグ、私らは不死身だ。」

「分かりました。決してゼロから出ません。」

「キコとメグは、約束を守ってくれると思うけど、問題はミカとミコだ。」

「心配しないで、お父さん。私たちも守るわ。」

「これが、眉唾ものなんだ。この約束、何度破られたことか。」

「ジン、信用してください。約束は守りますわ。」

「まあ、信用できないけど、信用して、早速、今日から五人は毎晩、歌の練習。」「私は、刑務所に限定しないで慰問先を探しとくよ。」


テレビ局の見学から意外な方向に発展したものだ。まさか、ミコの漫画を制作するために立ち上げた神定プロダクションが、文字どおりのタレント業に携わるようになるとは、神様も予期しないところだ。メンバーには本物の神様がいるけど、この企画巧く軌道に乗るのか心配だ。


   コスモスデビュー


「お父さん。私たち、ほとんどの学校唱歌と童謡、覚えたよ。」

「ハーモニーも、ばっちりです。プロの歌手も顔負けです。」

「トラン。それが、出演料がいるなら結構です。と断られるばかりだ。」

「それでは、原点に戻ってボランティアでは。」

「そう思って、まずは、五人とも揃う今度の日曜日に、日赤病院を慰問することにした。」

「主に、入院している子供たちが対象だ。」

「病院の玄関ホールで午前十時三十分から十一時三十分までの約一時間、もちろんボランティアだ。」

「問題ありません。元々、ボランティアで歌うつもりでしたから。」

「申し訳ない。いくらかでも出演料が入れば、バイト料も払えるのだが。」

「気にしないでください。アイドルを目指しているわけではありません。」

「そうですわ。私たちの歌で、子供たちの心が癒されれば満足ですわ。」

「それじゃ、曲数はこの十曲を基準に。」

「後は、子供たちの様子を見ながら合間を取って、話をしたり聞いたりして一時間以内で終了させるよ。」


「皆さん。おはよう。今日は、お母さんも一緒に私たちの歌を聴いてください。」

「これから、歌う歌と歌詞は、皆様のお手元にあるパンフレットに載っています。」

「学校唱歌や童謡、流行歌もあります。」

「皆様も、ご一緒に歌ってください。」

「その前に、自己紹介します。私はトラン。」

「ねえ、お兄さんは外人、どこから来たの。」

「私は、日本人だよ。」

「うそ、外国人でしょう。私たちと違うもん。」

「顔は外国人だけど、日本生まれの日本人だよ。君の名前は。」

「私ね。美姫、六歳。」

美しい姫って書いて美姫ちゃんか。大きくなったら何になりたいの。」

「お医者さん。私みたいな病気の子を直してあげたいの。」

「そうか。偉いね。」

「美姫ちゃんなら絶対なれるよ。」

「だから、早く元気になれるように、先生や看護師さんたちの言うことを聞いて頑張るんだよ。」

「うん。」

「私は、ミカ。皆さんよろしくお願いします。」

「美姫ちゃん、よろしくね」

「お姉さん。とってもきれい。」

「ありがとう。美姫ちゃんも、とっても可愛い。お人形さんみたい。」

「私は、ミコ。これから、私たちと一緒に楽しく歌を歌いましょう。」

「私は、キコ。よろしくお願いします。」

「私はメグ。よろしくね。」

「お姉さんたちは、何てグループ。」

「まだね、グループの名前ないの。君は。」

「僕、翼。お姉さんたち、とってもきれい。テレビで見たことないけど。」

「私たちは、プロの歌手じゃないの。みんな歌が大好きだから歌うの。」

「翼君も歌、好き。」

「僕も好きだよ。」

「それじゃ、知ってる歌があったら、一緒に歌ってね。」

「うん、僕も歌う。そんでね。僕、ヒーロー戦隊になって、みんなを守るんだ。」

「凄いね。翼君。」

「ヒーローになるんだったら、まずは、病気を治さないと。」

「うん。僕、頑張って痛い注射や苦い薬も我慢する。」

「翼君、偉い。これから、もっと頑張れるように一緒に歌おうね。」

「うん。」

「それでは、一番と二番の二曲を、続けて歌います。」


トランの司会と指揮で、五人の初ステージが始まった。一曲目は、杉本竜一作詞作曲の「この星に生まれて」、二曲目は。井上陽水作詞作曲の「少年時代」を披露した。


「一曲目の「この星に生まれて」をご存じの方。」

「やはり少ないですね。」

「この歌は、NHKの生きもの地球紀行のエンディングテーマです。」

「歌手のHARUKAさんが歌ったものです。」

「二曲目は、井上陽水さんの歌です。」

「大人の人たちは、ご存知と思います。知ってますか。」

「それでは、皆さん。ご一緒に、もう一度歌ってみましょう。一、二の、はい。」


こうして、歌と話。そして、お母さんたちと子供たちを交えての合唱は続いた。「手のひらを太陽に」、「ふるさと」、「負けないで(ZARD)」、「紅葉」、「夏の思い出」と七曲目を歌う頃には、残すところ十分となった。この間、子供たちばかりか、大人の患者さんや看護師さんたちも歌声に誘われて集まっていた。

動くことのできない患者さんや忙しい職員さんたちも、微かに響く遠くの歌声を聞き共に口ずさんでいた。


「もう時間も迫りました。」

「最後に、全員で「それいけアンパンマン」の主題歌を歌いましょう。」


「本日は、お忙しい中、私たちの拙い歌をお聴きいただき、誠に有り難うございました。」

「本当に、有り難うね。」

「みんなも病気に負けないで、早く良くなってくださいね。」

「こちらこそ、有り難うございました。皆さんの歌で心が和みました。」

「あの、済みません。」

「時間も押し迫っていますが、もう一曲、アンコールお願いできますか。」

「もちろんですわ。私たちの歌でよろしければ、喜んで歌いますわ。」

「何か、リクエストがありますか。」

「カーペンターズのシングを英語でお願いできますか。」

「はい、それでは、歌わせていただきます。」


また、歌いに来てください。本当に素晴らしい歌声でした。何か、こう気分が爽やかになると言うか、心が澄み切ると言うか。」

「日頃のストレスから解放されました。」

「子供たちの心も体も癒されたと思います。」

「あなたたちのコーラスは、本当に素晴らしいです。」

「皆さんの目を見てください。」

「普段、ふさぎがちな目が、今は、輝きを放っています。」

「あなたたちが、プロの歌手じゃないなんて信じられない。」

「そうですわ。あなたたちなら直ぐにトップクラスのユニットになれますよ。」

「お母さんたち褒めすぎですわ。でも、そう言って頂けて本当に嬉しいですわ。」

「お子さんたちが一日も早く治って退院することを願っています。」

「今日は、これで失礼します。さようなら。」


「初日にもかかわらず大成功だ。お疲れさん。」

「私、最初、あがっちゃった。」

「ミコも、私も足ガクガク。」

「私も、最初、声、うわずちゃった。」

「上がらなかったのは、トランとミカだけか。」

「いいえ、私もドキドキでしたわ。」

「ジン。上がるとは、どういう現象ですか。」

「頭に血が上って体が硬直したり、ボーとっなったり、みんなが言うように声がうわずったり、足がガクガクしたり、心臓がドキドキしたりすることで、人によって反応が違う心の現象のことだよ。」

「でも、頭に血が上ったら、脳に致命的損傷をもたらすと思いますが。」

「本当に、血が頭に行くわけじゃないわよ。」

「上がっちゃうのは感情の問題だから。」

「そうですか、ミコ。私には、理解できない感情です。」

「ところで、君たちのコーラスは、本当に素晴らしい。」

「手前味噌で言ってるわけじゃないよ。お客さんの反応を見ていたら分かる。」「君たちの歌声に、観客全員が引き込まれていた。」

「本当に、心に響くものがある。」

「お父さん。手前味噌って、どんな味噌。美味しいの。」

「ミコ、本物の味噌じゃないよ。」

「自画自賛。自分で自分を褒めること。」

「昔、味噌を自分で作っていた時代、その味噌を互いに自慢し合ったことからできた四字熟語だ。」

「この場合、私が仲間の君たち五人を褒めていることが当てはまる。」

「へぇー、手前味噌ね。」

「だけど、お父さんだけじゃなく、お母さんたちにも褒められたから手前味噌じゃないってことね。」

「そうだな。」

「しかし、今のアイドルたちは、口先だけで歌っているから心に響くものがない。詩も薄っぺらだ。」

「でも、ノリは良いよ。」

「しかし、心の琴線に触れて感涙に耽ったり、元気付けられるものが少ない。」

「そうですわ。聞いてて心地よいものが、余りありませんわ。」

「どんな歌も、歌い手の心がこもらないと、だめと言うことですね。」

「そう、メグの言うとおり。」

「君たち五人の歌には、心がこもっていた。」

「だから、聴衆を魅了することができた。」

「歌に新旧はない。良い詩は、時代を越えて残る。」

「話は変わりますが、私たちのユニットに名前が必要です。」

「そうです。翼君にグループの名前聞かれて困りました。」

「それ、メグたちで考えて欲しい。」

「若い連中が考えた方が、今風の名前にもなる。」

「分かりました。キコと一緒に考えてみます。」

「それじゃ、よろしく。」


こうして、五人の初ステージは大成功に終わった。そして、五人の歌声の効能は、聴衆を魅了し心を和ませ優しい気持ちを醸成し生きる勇気を与えた。そうそう、彼らの歌声は、奇跡を人知れず起こしていた。それは、救命救急センター内で起こっていた。ステージが始まった頃、救急車で搬送されてきた男性が、心肺停止状態になったため、強心剤の投与、除細動器等、あらゆる手を尽くしたが、心電図モニターの波形は一直線のままであった。


「だめか。十時四十六分死亡を確認。」と言ってドクターは、集中治療室のドアーを開けて出て行った。すると、同じ一階ホールで歌っていた五人の歌が治療室内にも聞こえてきた。


「ドクター、ドクター、戻ってください。」

「モニターを見てください。心拍数が上がっていきます。」

「どう言うことだ。良し、治療を再開するぞ。」

「なんでだ。理由が分からん。どうして蘇生したんだ。こりゃ、奇跡だ。」


こうして、救急車で担ぎ込まれた男性は、十八歳の若い身そらで死への旅立ちから帰還した。彼は、暴走族仲間と水上ボートのスピードを競ってコントロールを失い、海に投げ出され溺れて死んだ。


「君は、奇跡だ。一度は、危なかった。奇跡的に回復した。」

「はあ、奇跡ですか。俺、良く分かんないけど。」

「綺麗な花畑の真ん中にいて誰か呼んでるような声の方向に歩き始めたら、反対の方から歌声が聞こえてきた。」

「その歌、聞いてると清々しくて爽やかな心地よい気分になって、何か懐かしい歌だったな。」

「だけど今は、思い出せない。」

「それで、その歌を口ずさみながら最初に呼ばれた方には行かずに、歌声が聞こえる方に向かったんだ。」

「そしたら、この病室にいた。ありゃ、夢だったんだな。そうそう夢だ。」

「歌。歌ね。」

「まさか、彼女たちの歌のことかな。」

「そう言えば、治療室のドアーを開けたら、彼女たちの歌が部屋まで入ってきた。」

「まさかね。ありっこない。」

「まあ、若いから回復も早い。精密検査の結果が出たら退院だ。」

「先生、ありがとう。俺、命拾いしたよ。二度と、あんな馬鹿なことしないよ。」

「そうだな。これからは、命を粗末にしないで。真面目に生きなくちゃだめだ。」「そうしないと、また、死ぬような目に遭うぞ。次も奇跡が起こるとは限らない。」

「俺も、そう思う。死ぬ目にあって気がついた。人生一回きりだ。」

「親が離婚して生活苦から養護院に預けられ、普通に暮らしている家庭が羨ましかった。」

「夢も希望も持てないどん底の生活を社会が悪いと恨み、暴走族に入って世間の人に迷惑を掛けることで鬱憤を晴らしてた。ざまあ見やがれってね。」

「そんなことして、楽しいのか。鬱憤が晴れるのか。」

「ちっとも楽しくなかったし、鬱憤も晴れない。」

「確かに仲間と暴走しているときは、煩わしい現実を忘れることができた。」

「でも、そん時だけだ。状況は何も変わらない。虚しさが残るだけだった。」

「むしろ、状況は、悪くなる一方だ。」

「確かに暴力や犯罪は、子供の悪戯とは違う。若気の至りでは済まされない。」

「そうだよな。先生の言うとおりだよ。」

「こんな事を繰り返していたら、俺の人生台なしだ。」

「刑務所を出たり入ったりで、最悪の人生になっちまう。」

「今の気持ち、どんなことがあっても忘れちゃ駄目だ。」

「それと悪い仲間とは縁を切りなさい。二度と付き合っちゃ駄目だぞ。」

「分かってるよ。どうせ上辺だけの友達だ。友情なんかありゃしない。」

「簡単には、賊から抜け出すことはできないけど。俺、頑張る。」

「母親んとこ帰って、ちゃんと真面目に働いてみるよ。」

「そうしなさい。私も応援するから、頑張りなさい。」

「先生、ありがとう。」


彼女たちの歌声の奇跡は、彼だけではなかった。死の淵を彷徨っていた他の患者も呼び戻し、免疫力を向上させ病気が原因で気分が滅入ってる人たちの気持ちをも高揚させた。そんな効用が彼女たちの歌声にあったなんて、当の本人たちには気づきようもなかった。


「メグ、良い名前、考えついた。」

「私たち五人の名前の頭文字を取ってMKTはどう。」

「頭文字。」

「そう。ミカ、ミコ、私、キコ、トラン。三人のMとキコのK、トランのT。」

「四十八人はいないけど、良いと思うよ。」

「ミコ。やっぱり、AKBのイメージ。」

「私は、エンジェルハーツとか、エンジェルスターとかも考えたんだけど、女性のイメージが強くて、トランには合わないかなって感じ。」

「私は、構いません。天使は、もともと男の子ですから。」

「MKTがだめなら、ハーモニーファイブは。」

「私、エンジェルハーツが良いな。」

「私は、どれも良い名前だと思いますわ。ジンは、どれを選びますか。」

「私は、ハーモニーファイブーだな。」

「でも、既に別のコーラスグループが使っていますし、ギフトショップやパチンコ店の名前にも良く使われています。」

「MKTは、アメリカのホモグループを指す場合もあります。」

「せっかく考えたのに、どれも使えないなんて残念です。」

「それじゃ、メグとキコばかりに押しつけないで皆で考えよう。とは言っても、今直ぐは思い付かないだろうから。」

「思い付いたら、いつでも提案するように。」

「分かりましたわ。」

「ところで、次の日程と場所が決まったよ。今度の土曜日午前十時から十一時。」

「刑務所だ。」

「刑務所ですか。」

「メグ、大丈夫だよ。この刑務所には、重罪犯はいない。」

「主に、初犯者を多く受け入れている刑務所だ。」

「私も怖いです。」

「メグもキコも、心配無用。何があっても、私が守るから安心して。」

「ミコもミカも含めて女性陣は、危険なことに首を突っ込むことは絶対厳禁。」

「でも、お父さん。私は、大丈夫だよ。」

「驚異的な再生力と格闘技に長けているし、気功術も完璧にマスターしてるよ。」「向かうところ敵なしね。」

「その自信過剰が命取りになる。初心に帰って武道の心を会得しないとだめだ。」「真の強さは、技に長けてるだけじゃなく心の修養も必要だ。」

「むしろ技は、二割で心が八割だ。メグもキコも同じだよ。」

「技だけ会得しても心は、まだまだだ。」

「良く分かんない。」

「メグとキコは、神道を学んでいるから分かるだろう。」

「はい。でも、実践するとなると、まだまだ煩悩が多くて。」

「煩悩って、何。」

「大晦日に除夜の鐘を突いて、百八つの煩悩を祓うって言うやつ。」

「そのとおりです。」

「もともとは、仏教の教義の一つで心身を乱し悩ませ智慧を妨げる心の作用、心の汚れを意味します。」

「煩悩、つまり、人間の諸悪の根源は、貪欲、瞋恚、愚痴の三毒とされています。」

「トランの説明。ますます、分からない。三毒って、何。」

「それは。」

「あっ、トラン。仏教の解説は、もう良いよ。」

「話が長くなるし、話せば話すほど難しくなる。」

「要するに、負の言葉を連想すれば分かるはずだ。」

「負の言葉って、例えば、妬み、嫉み、恨みとか。」

「自己中も負の言葉になるかな。」

「それもそう。他には。」

「我欲、強欲、傲慢、差別、残虐、無知、無関心、無気力、無責任。

「どれも、ミカが嫌いな言葉だね。」

「怒り、怖れ、焦り、悲しみ。」

「まだ、沢山あるけど、思い浮かばない。」

「メグ、そのくらいで良いよ。」

「まあ、簡単に言うと、平常心を奪い、冷静な判断や行動を妨げる原因となるものを、仏教では三毒と言うんじゃないかな。」

「貪欲と愚痴は、何となく私にも分かるけど、瞋恚は分かんない。」

「瞋恚とは、怒りや憎しみと言った感情のことです。」

「それと、仏教で言う愚痴とは、無知の心、愚かさを指します。」

「ミコは、既に瞋恚を体験してるだろう。」

「えっ、私。」

「いつ体験したっけ。お父さん。」

「箱根の事件。」

「あの時は、まさに、怒りと取り押さえられたことでの恐怖感で、冷静さを失い適切な判断と行動ができなかった。」

「でも、今は、大丈夫。ホノグラムで訓練したから。」

「どんな状況でも対処できる。」

「ホノグラムは、ホノグラム。安全装置があることで、やはり、実戦とは違う。」

「ミコ、メグ、キコの三人の強さは、常人に対しては十分以上ですが、例の意思を持たない純粋負の霊を取り込んだ人間には、対抗できません。」

「トランの言うとおりだ。」

「したがって、女性陣は危険な状態になった場合は、即ゼロに避難すること。」「良いね。特に、ミコ、約束だ。」

「分かった。約束する。」

「それと、この刑務所には地元のコーラスグループが、何回か慰問に行ったけど何事もなく皆の歓迎を受け、かつ、感謝されて帰っているよ。」

「地元のコーラスって。」

「津市にある「うたおに」って言う合唱団。」

「変な名前ですね。歌の鬼で「うたおに」ですか。」

「メグ、『うたおに』て、一緒に歌いましょう。と言う伊勢の方言です。」

「鬼のおにじゃないわけですね。キコ。」

「はい、歌いましょうを伊勢弁では、うたおにーと伸ばして言います。」

「ホームページによると、文字どおりの鬼という言葉にも掛けているようです。」

「それじゃ。次は、刑務所。歌の練習をよろしく。」

「前回どおり管理面は私が調整しておくから、練習怠りなくお願いするよ。」


「さあ、明日だ。」

「今回は、成人の男性ばかりだ。」

「しかも、罪を犯した人たちだ。」

「落ち込んでいる心を和まし、彼らを勇気付ける曲を選んだんだけど。」

「仕上がりは。」

「お父さん。心配しないで、バッチリだから。」

「あのう。」

「何、キコ。」

「グループの名前ですが、コスモスはどうですか。メグと一緒に考えました。」

「コスモスは、日本では花の名前ですが、英語では秩序ある統一体としての宇宙と言う意味になります。」

「まさに、ハモニーから託された仕事そのものの意味にもなります。」

「メグ。それは、ぴったしだ。素晴らしい名前だ。」

「ジン。それと、花言葉からもコスモスをグループ名にしたいと思いました。」

「キコ、どんな花言葉。」

「はい、ミコ。コスモスは一般的には、乙女の純潔や真心となります。」

「また、花の色は五色あって、色ごとに花言葉が違います。」

「メグ、お願いします。」

「白は、美麗、純潔、優美。」

「赤は、調和、愛情。」

「ピンクは、愛情。黄色は、野生美。」

「黒と言うかチョコレート色は、恋の終わりとなります。」

「ふーん。ヒーロー戦隊風に言えば、君たち五人は、さしずめ、悪と戦うコスモレンジャーだな。」

「へーぇ、そう考えたら、私的には、赤は、ミカ。」

「ピンクは、メグ。」

「白が、キコ。私が、黄色。」

「黒は、もちろん。黒一点のトラン。どう、合ってるでしょう。」

「ミコ、ぴったり過ぎですわ。」

「私としては、恋の終わりと言う花言葉は、全く合っていません。」

「トラン、仕方ないですわ。女性に黒は、似合いませんもの。」

「でも、ミカ。」

「トラン、我慢しなきゃ。紅一点の逆の黒一点なんだから。」

「分かりました。でも、ジン。」

「となると、ジンは敵役の悪の権化、デーモンキングと言ったところですか。」

「おいおい、私に悪役は似合わないよ。」

「私は、コスモレンジャーの隊長、コスモキングと言ったところだな。」

「おちゃらけは、それぐらいにしてユニット名は、「コスモス」で決まりだな。」


私たちは、二台の車に分乗して公演開始の一時間前に刑務所に着いた。


「こんな街の中にあるの。」

「刑務所のような施設は、普通、郊外にあると思っていたけど。」

「周りは、住宅ばかりね。」

「ミコ。建った当時は、施設周辺は田んぼの方が多かったのですが、人口が増えて現在のようになりました。」

「ふーん。この辺の人たち、刑務所の近くに住むのに抵抗がなかったのかな。」

「周辺環境より実利を取ったんだろう。」

「どういうこと、お父さん。」

「憶測だけどね。家賃や住宅購入費が安いとか、通勤の便がよいとかの理由だ。」

「さあ、門衛さんに言って、庶務課の加藤さんに取り次いで貰おう。」


私たちは、加藤さんに案内され、まず、事務室で最終調整を実施した。


「今日は、慰問に来てくださって有り難うございます。」

「参加者は、刑務官を除き四五六名です。」

「一部の受刑者は、訳あって不参加です。」

「参加者は、九時五十分には、全員体育館に集合します。」

「後十五分ほどしましたら、体育館にご案内します。」

「それまでに、準備することはありますか。」

「いいえ、ありません。私たちの商売道具は、この五人の声のみです。」

「楽器や拡声器は使いません。」

「ところで、今日歌う歌詞は、配ってありますか。」

「はい、既に、椅子の上に置いてあります。」

「有り難うございます。」


「ねえ、お父さん。刑務所内に負のエネルギーは感じられないよ。」

「クウも感じないって言ってるよ。」

「だけど、刑務所内は負の心で埋め尽くされているわ。」

「そうか。意に反したか。」

「意に反したって。」

「刑務所なら負のエネルギーが存在していると思ったんだが。」

「どうして。」

「犯罪者は、ミコが感じたように負の心に満たされているだろう。」

「そんな人たちが収監されている刑務所なら、当然、負のエネルギーを取り込んでいる人たちがいると思った。」

「ジン。残念ながらこの刑務所内には、創始者の遺伝子を持っている者はいません。」

「したがって、負のエネルギーを取り込める能力を持った者もいません。」

「分かった。」

「ハモニーの仕事はないけど、今日は刑に服している人たちを励ますことに徹しよう。」


体育館の舞台袖から、聴衆者を見ると誰一人の私語もなく、静かに椅子に腰掛けていた。全員の目は死んでいる。活気というものが感じられない。まさに、負の心に満たされた人たちの集まりである。体育館内の雰囲気は、何か澱んだ重苦しい空気が充満し、その場にいるだけで気が滅入ってしまう。


「さあ、みんな。出番だ。」

「この重苦しい空気を吹き飛ばしてくれ。」

「彼らの負の心を払拭させ、生きる希望と夢、自立更生への堅い決意を呼び覚まそう。」


「皆さん。おはようございます。私たちは、コーラスグループのコスモスです。」今日は、皆さんと一緒に歌を歌いに来ました。よろしくお願いします。」


「トランが、開口一番、朝の挨拶をしたが、誰も無表情で何の反応もなかった。」「ただ、ミカたち女性陣を見るなり、静かな体育館にどよめきの声が漏れた。」


「すっげえ美人、一発やりてえ。」

「あの子可愛い、犯しまくりたい。あの男私好み。」

「刑務所じゃなかったら、俺たちみんなで回してやるのによ。本当、残念だよ。」


彼らのげすな考えが声にもならないほどの声で、私の耳に聞こえた。当然、ミカとトランも聞いたに違いない。しかし、他の三人は、どうだろうか、


「私は、リーダーのトランです。白人ですが、日本生まれの日本人です。」

「今日は、私たちの歌を十曲ほど披露しますが、もし、知っている歌がありましたら、一緒に歌ってください。」

「歌詞は皆さんが持たれているパンフレットにあります。」

「それでは、歌に入る前に、四人の女性たちにも自己紹介して貰います。」

「私は、ミカです。おはようございます。」

「本日は、皆様とともに歌を歌って、少しでも元気になっていただけたらと思います。よろしくお願いします。」


どよめきが、大きくなってきた。次の瞬間、ピーッと警笛が吹かれ、静かにするように刑務官からの指導が入った。


「私は、ミコ。おはようございます。」

「今日は、皆様とともに楽しい時間を過ごせればと思います。」

「私たちの歌を聴いてくださいね。」

「私は、メグと言います。おはようございます。」

「皆さんと一緒に元気に歌いたいと思います。一緒に歌ってくださいね。」

「私は、キコです。おはようございます。」

「私たち五人、一生懸命歌いますので、皆さんも一緒に歌を歌って覚えてください。」

「歌を歌うことは、素晴らしいことだと思います。」

「今日は、よろしくお願いします。」


早速、私たちは、歌とトークを混じえて「贈る言葉、いい日旅立ち、少年時代、時の旅人、この星に生まれて、ふるさと、負けないで、コスモス、ジュピター、トゥモロウ」と十曲を披露した。最初は、聞くだけの囚人たちも、トランや彼女たちに促されて、一緒に歌い始めた。彼らの死んだ目には輝きが戻り、重苦しさを醸し出していた一人一人の憂鬱な心も、嵐が去り徐々に雲間から差し込む太陽の日差しの如く晴れわたっていった。


「ジン。」

「クウ、なんだい。」

「ミコは、今、歌に集中していますので、気が付いていませんが、純粋負のエネルギーが唐突に発生し、懲罰房にいる囚人に取り憑きました。」

「分かった。クウたちは、そのまま続けてくれ。」

「ゼロ、例の計画を実行するぞ。」

「ジン、了解。」


懲罰房の囚人は、いとも簡単に数カ所あった鉄扉を蹴破(けやぶ)り、体育館の扉も大きな音とともに破壊した。出入り口にいた刑務官を有無も言わさずに殺した。体育館内は、殺戮の場と化した。


「それじゃ、私が時間稼ぎをしている間に、彼を殺人の手先に使っている卑怯者、例の悪魔を探し出してくれ。」

「分かりました。できるだけ時間を稼いでください。」


「君、止めたまえ。」

「なんだ。てめえ、わざわざ殺されに来たのか。その望み叶えてやるよ。」


彼は、尋常でない早さと力で私を壁に投げつけた。壁が凹(へこ)んでしまった。私は、彼のなすがままに、数回投げ飛ばされた。私への攻撃が彼に跳ね返っているのだが、そのダメージすらも意に介さずに彼は攻撃の手を緩めなかった。」


「ほう、人間にしては頑丈だな。これなら、どうだ。」


彼は、私の首を締め上げた。彼の脳裏には、私が宙に浮いた足をばたつかせて絶命する姿があった。しかし、彼の思いとは裏腹に、私は涼しい顔で私の首に掛けられた彼の腕を簡単に解いてしまった。今度は彼との力比べになった。


「爺。俺の力と対等に渡り合うとは、てめえ人間じゃねえな。」

「私は、人間です。そう言うあなたこそ人間じゃないですよ。」

「それに私の力は、こんなもんじゃありません。」

「あなたが、どれだけ負のエネルギーを取り込もうと私には勝てません。」

「それと、今のあなたの姿を見せてあげましょう。」


私は、彼を片手でヒョイと持ち上げ、体育館に付きものの姿見の前に運んだ。


「ほら、見てみなさい。今の自分の姿を。」

「えっ、これが俺か。まるで地獄の赤鬼だ。」


彼の体は、返り血を浴び服が赤く染まっていた。そして、彼の形相は殺人鬼、文字どおりの鬼の顔となっていた。


「だけどよ、姿なんてどうでも良いよ。」

「人を殺せれば、本望さ。俺は、もっと人を殺したい。」

「そうは、させません。」


私は、気を放った。彼は、気絶した。


「ゼロ、何か手掛かりを掴めたかい。」

「残念ながら。」

「仕方ない。彼は時機に目を覚ます。」

「意思のない純粋負のエネルギーと分離して、現実の懲罰房に返してくれ。」

「分かりました。」


「お父さん。何処へ行ってたの。慰問は、無事に終わったわよ。」

「ちょっと、野暮用。」

「ジン、ちょっと手を拝借。」

「あっ、キコ。だめだよ。」

「分かりました。」

「ジンは、純粋負のエネルギーを持った人と戦っていたのですね。」

「えっ、私、気が付かなかった。」

「ミコは、歌に集中していて気がつかなかったからクウが教えてくれた。」

「だけど、いつ、どこで戦ったの。」

「君たちが、三曲目を歌っているときに、ゼロが作ったこの刑務所のホノグラムの中で。」

「ジン、なぜホノグラムを作ったのですか。」

「それは、純粋負のエネルギーを取り込んだ殺人鬼の犠牲者を出さないようにすることと、陰で糸引く例の悪魔を探し出すためだよ。」

「だけど、一番は、君たちとこの施設内にいる人たち全員の命だ。」

「えっ、私たちとこの人たちのためですか。」

「そうだよ。人の命に軽重はない。」

「例え犯罪者でも。ましてや、君たちは尚更だ。」

「それで、悪魔の手掛かりは掴めましたか。」

「結構、時間を稼いでゼロに探して貰ったんだけど、手掛かりなしだ。」

「やはり、私たちとは異質な能力者のようです。」

「ジンに時間を稼いで貰いゼロのセンサーをフル稼働させましたが、手掛かりは掴めませんでした。」

「あれ、トランも、お父さんの計画知ってたの。」

「もちろんです。ゼロと私は一心同体です。」

「あっ、そうだった。忘れてた。」


こうして、刑務所の慰問も無事成功させ、悪魔の仕掛けた大量殺戮も未然に防ぐことができた。だが残念ながら、その正体を掴むことはできなかった。


「ジン。」

「トラン、なんだい。」

「ユーチューブに私たちの動画がアップロードされています。」

「えっ、どれどれ。本当だ。」

「あれ、本当だ。誰が、出したの。お父さん。」

「ジンでは、ありませんわ。もちろん、歌っていた私たちでもありませんわ。」

「じゃ、誰が。」

「この動画の背景からすると、三重県立国児学園です。」

「おそらく、学園の職員と思われます。」

「ユーザー名から投稿者の特定はできません。」

「しかし、困るな。勝手に出されちゃ。肖像権の侵害だ。」

「早速、国児学園に抗議して動画の削除を依頼しよう。」


「しかし、学園には該当者がいなかった。」

「次に、ユーチューブに事情を説明して投稿動画の削除依頼と投稿者の所在を問い合わせた。」


前者の依頼は叶えられたが、後者の問い合わせは、個人情報漏洩防止法により登録者が守られていること。また、既に登録解除がなされているとの回答があった。


「ゼロでも、だめかい。」

「はい、投稿者が使用した端末機が、スマートフォンまでは突き止めましたが、契約書の住所氏名はでたらめです。」

「通信会社もずさんだな。営業成績と売り上げ重視ってとこかな。」

「きっと、通信会社も被害者ですわ。」

「ミカの言うとおりです。契約者の信用調査は、確実になされているはずです。」

「そうか。騙しの手口が、かなり巧妙なのだろう。ゼロでさえ追跡できない。」

「動画は削除され、大きな問題も起きていません。」

「投稿された動画には、こちらの情報が含まれていなかったのが幸いだった。」

「情報って、何。」

「電話番号とか、住所、プロダクション名とか。こちらを特定できる情報だよ。」

「そうか。」

「でも、なぜ、私たちが歌っている動画をインターネットに流したんだろう。」「意味が分からない。」

「本当です。自分を特定されないよう苦労してまで、あの動画を流した目的が分かりません。」

「そうだな。あの動画は、私たちを誹謗、中傷するような内容ではなかった。」「何の実害もない。本当、意味ワカメだ。」

「ジン、意味ワカメって何ですか。」

「トラン、ここは真面目に聞かずに、軽く聞き流すところですわ。」

「そうだよ。トラン。今時、全然受けない昭和の親父ギャグなんだから。」

「そんなことないぞ。」

「今でも十分受ける。現に、トランには受けたぞ。」

「どこが。寒くて凍え死にするわよ。お父さん。」


しかし、数日後、この無断投稿動画の影響が出てきた。


「もしもし、そちらは、神定プロダクションですか。」

「はい、どちら様ですか。」

「はい、失礼しました。」

「私どもは、ハニーミュージックエンターテイメントの佐藤と言う者ですが。」「そちらに所属のコーラスグループ『コスモス』のレコード制作の権利を、我が社に譲渡していただきたくお電話をしております。」

「その件に付きましては申し訳ありませんが、お断りしております。」

「コスモスは、ボランティアのグループです。」

「それは、勿体ない。彼女らは絶対に売れます。」

「貴社でデビューさせる気持ちがないなら、是非とも私どもにお任せください。」「お願いします。」

「お断りします。コスモスのメンバーもデビューする気はないと言っています。」

「分かりました。今日は、これで失礼します。」

「参ったな。これで何件目だ。」

「五件目です。コング、ボンダイ、デワンゴ、アイベックス、ハニーです。」

「どれも、大きな会社ばかりだ。」


このコスモスデビューに関する件は、神定プロダクションに留まらず個人的なアプローチへと発展した。それでも、彼らにデビューする気がないことを知ると、今度は神定プロダクションへの攻撃となった。


「それなら、なぜユーチューブに動画を流したんですか。」

「あれは、私どもが投稿したものではありません。調べれば分かることです。」

「既に、調べてあります。でも、貴社の仕業でしょう。手が込んでますね。」

「疑い深いですね。」

「いや、事実ですよ。」

「神定さんは、無料の宣伝方法としてインターネットを利用したんでしょう。」「誰かを使ってやらせた。この業界では、禁じ手ですね。」

「佐藤さんの考えどおりなら、とっくに私どもでデビューさせていますよ。」

「しかし、何度も行っているように、コスモスはボランティアのコーラスグループです。」

「レコードを出すことはありません。もちろん、メジャーデビューもです。」

「その言葉、信じてますよ。それじゃ、失礼します。」

「失礼します。」

「メジャーデビューか。なんか惜しい気もするけど。メグ、キコ。どう。」

「私は、気がありません。先祖代々の小樽神社を守っていきます。」

「私も、メジャーデビューには興味ありません。」

「私は、別のことで迷っています。」

「別のことって。」

「神であるミカと一緒にハモニーの仕事を手伝うか、神職を続けるか。」

「キコ、私たちの仕事は、非常な危険をともないます。」

「できましたら、神職を続けた方が良いと思いますわ。」

「でも、天照大御神であるミカの降臨を仰いだ今、曾祖母から受け継いだ私の仕事は終わりました。」

「私としては、大御神であらせられるミカの下で、お手伝いできたらこの上もない喜びなのですが。」

「神職を辞めてしまったら生活ができません。」

「それでも、ミカと一緒にハモニーの仕事を手伝いたいと言う気持ちの方が強いんです。」

「実は、私もです。」

「父が元気でいるうちは、小樽神社を手伝うことになっていますが、皆さんとお会いして以来、ずっと考えていました。」

「ハモニーの仕事を手伝えたらと。」

「メグもですか。でも、この仕事は危険ですわ。」

「ジン、何とか諦めるように言ってください。」

「ミカの言うとおりだ。ハモニーの仕事は、危険すぎる。」

「本当は、ミコもこの仕事から抜けて貰いたいが、クウの能力と併せてミコの能力も欠かせないものになってしまった。」

「私は、大丈夫よ。お父さんのきもい血で、不死身だもの。」

「きもいは、余計だ。それに、不死身になったわけではない。」

「驚異的な再生能力を得ただけだ。」

「それも、体全体が消滅した時は再生不能だ。蘇らない。」

「ミコは、仕方ないとしてもメグとキコはだめだ。」

「ハモニーの仕事を手伝って貰うわけにはいかない。」

「でも、ジン。コスモスの活動で、既に仕事を手伝っています。」

「それは、そうなんだが。うむ。」

「今までどおり私たち二人は、危険な状態になる前にゼロに避難しますわ。」

「それでも。あっ、そうだ。」

「メグは学校があるし、キコは今の仕事を辞めたら生活できないだろう。」

「したがって、今までどおりコスモスの活動だけを手伝うということで納得して貰いたい。」

「君たちの気持ちは、非常にありがたいけど。今のままで我慢してくれ。」

「分かりました。」

「でも、他に何か手伝えることがありましたら、遠慮なく言ってください。」

「その時は、お願いするよ。」

「キコも、それで良いだろう。」

「はい。」


数日後、日課のジョギングで二見美化センターを時代村方向へ走っていると、黒のワンボックスが前から走ってきて、私の横に止まり男が三人降りてきた。


「あの、済みません。道に迷ってしまって。」

「鳥羽に行きたいのですが、この道で行けますか。」

「鳥羽ですか。この道は、やめたほうが良いです。」

「行けないことはないですが、道が狭くて大きな車は通り抜けるのに苦労します。」

「戻って最初の信号を左に曲がってください。有料道路ですが、確実に鳥羽に行けますよ。」


私は、いつの間にか三人に取り囲まれていた。


「何ですか。」

「一緒に車に乗ってください。抵抗しても無駄です。」

「無駄かどうかは、やってみないと分かりません。」


男たちは、私の両脇を抱え込み無理やり車に乗せようとしたが、私がいとも簡単に彼らの腕を振り解くと、意外と言う顔をして間を広げた。


「ほう。その構えからすると、あなたたちは。」

「どうやら、あなたの方も多少の心得があるようですが、大人しく車に乗ったほうが痛い目を見ずに済みますよ。」

「そう言われても、何をされるか分からないのに、はい、そうですかと大人しく付いて行くわけにも行きません。」

「それに、人違いしていませんか。」

「間違いではありません。あなたには死んで貰います。」

「殺されると分かった以上、ますます付いて行けません。」

「それに、なぜ、私を殺そうとするのですか。」

「それでは、冥土の土産にお答えしましょう。」


すると、急げと言う言葉が車の中から発せられた。


「ボスが、駄目だと言っています。それでは。」


彼らは、人を殺すことに何の躊躇も示さずに襲いかかってきた。一瞬に片が付くはずだった。しかし、私は、彼らの攻撃を全てかわした。


「あなたを見くびっていました。」

「あなたを倒すには、奥義を駆使して全力でいかないと無理のようです。」

「覚悟してください。」

「覚悟も何も、私が殺される理由が分かりません。」


彼らは、有無も言わさず見事な三位一体の奥義を繰り出してきた。私は、彼らの凄まじい攻撃と言っても、私の目にはスローモーションのように見えるのだが、その攻撃をかわしながらも彼らの素性を考えていた。彼らの強靭な体と技を持ってしても、私を倒すことができずに彼らの体力は消耗していった。一方、私の体力は、全く衰えを知らなかった。業を煮やした連中のボスと思しき者が、車中から銃を撃った。弾は、確実に私の頭を撃ち抜いた。しかし、死んだのは、私ではなくボスの方だった。事の次第が飲み込めない彼らは、ボスが撃たれたことで、私の仲間が銃を持って加勢に来たと思い込み、素早い動作で車に乗り込み逃げていった。私は、何事もなかったようにジョギングに戻った。


「ただいま。」

「お帰りなさい。」

「ジンを襲った連中ですが、彼らは中国を拠点としていた国際犯罪組織を闇に葬った掃除屋です。」

「私たちのことが、バレたのかな。」

「そのようです。情報源は、おそらくコスモスの動画でしょう。」

「しかし、私は裏方で動画には映っていない。」

「狙われるのは、トランの方だろう。」

「なぜ、ジンが先に襲われたのかは分かりませんが、彼らの狙いは明らかに私とジンです。」

「二人とも死んだはずの人間です。」

「しかし、他人のそら似だろうと彼らにとっては、私たちの存在が危険だと思ったのでしょう。」

「しかし、無茶苦茶だな。似てると言うだけで殺しに来るとは。」

「掃除屋の組織は、どんな小さなリスクも全て排除する決まりなのでしょう。」「そうすることで、組織を維持しているのです」。

「となると、私とトランばかりか、彼女たちも狙われる可能性があるな。」

「そうか、動画を流した奴の狙いは、これかもしれない。」

「どういうことですか。ジン。」

「ミカ、動画を流した奴は、自分の手を汚さずに私たちを殺そうと企んでいる。」

「なぜ、私たちを。」

「私たち、人に恨まれるようなことしてないよね。ミカ」

「そうですわ。私たちは、何も悪いことはしていませんわ。」

「キコも私も、覚えがありません。」

「例の悪魔に違いない。」

「彼が企てた大量殺人計画を私たちが三度も邪魔した。」

「確証は取れませんが、自分の手を汚さずに事を企てる手口は似ています。」

「でも、トラン。」

「それだったら、こんな回りくどいことしないで例の純粋負のエネルギーを取り込んだ鬼を、直接送り込んだ方が早いんじゃないの。」

「ミコの言うとおりです。」

「しかし、悪魔は三度の失敗で私たちが何らかの方法で、純粋負のエネルギーを人から分離できることを知りました。」

「そうか。私たちに鬼を差し向けても無駄ってことね。」

「腑に落ちないことがある。」

「腑に落ちないってどう言う意味。お父さん。」

「納得がいかない。合点がいかない。」

「つまり、彼の行動の意味が分からないと言うことだ。」「

「そうですわ。私たちと同じような能力を持ちながら、純粋負のエネルギーを悪用して大量殺戮を行う目的が分かりませんわ。」

「それと、私たちをターゲットにするより、鬼を大量生産して殺戮させた方が効果的だと思いますが。」

「メグ。そうだよね。あっちこっちで鬼が出たら、私たちだけじゃ無理だよね。」

「それも、腑に落ちない点だ。なぜ、彼はそうしないのか。」

「彼は、なぜ、複数の鬼を持って殺人を企てないのか。」

「そして、大量殺戮の狙いは何か。」

「何よりも彼の正体は誰なのか。彼を捕まえさえすれば、全ての疑問は解ける。」

「それに、早く捕まえて彼の企みを阻止しないと犠牲者が増えてしまいますわ。」

「何はともあれ、掃除屋が動いている以上、これからは気を付けないと。」

「危険な状態に陥ったら、直ぐにゼロに避難してください。」

「特に、メグとキコは、危なくなる前にゼロに避難してくれ。」

「それが、人前だろうがどこでだろうが構わない。命の方が大事だ。」

「分かりました。私は、危険予知能力がありますので大丈夫です。」

「心配なのは、キコです。」

「そうだな。キコは、接触型のテレパシストだからな。」

「大丈夫です。私の能力も皆さんとともに暮らすようになってからレベルアップしています。」

「相手に触らなくても、ある程度の距離なら気を集中すれば、心の声が聞こえます。」

「それと、武道をマスターしてから殺気も感じることができます。」

「ゼロのホノグラムで修行をつむごとに、気は研ぎ澄まされていきます。」

「そうか。それでも心配だ。相手は殺人集団だ。手段を選ばない。」

「トラン、キコをガードする何か良い方法はないかい。」

「ゼロに常時、監視させます。危険な状態になったら、直ぐに助けられます。」

「それが良い。キコ、どうだい。」

「お断りします。」

「どうしてですか。」

「トラン、そりゃ、女の子だもの。」

「私は、構いません。」

「トランは、構わなくてもね。キコ。」

「はい、私は、恥ずかしいです。」

「分かりました。」

「それでは、ガイアで使ったコミュニケーターを常時、身に付けておいてください。」

「危険を感じたら、直ぐに連絡をお願いします。」

「分かりました。」

「はい、メグにも。」

「有り難うございます。」

「それと、コスモスの活動は、無期延期とする。」

「キコとメグは、人気のない所に絶対近づかないように。」

「できたら、余暇は二人で行動するようにお願いしたい。」

「分かりました。休みが同じ日は、メグと一緒に行動します。」

「メグ、構わないかしら。」

「もちろん。キコと一緒なら楽しいもの。」

「私も仲間に入れて、それとメグが休みじゃないときは私が付き合うよ。」

「私もいますわ。」

「ミカとミコも一緒なら心強いです。」

「それじゃ、お休み。」

「お休みなさい。」


「ところで、ジン。掃除屋の拠点は、四日市港に停泊中の上海汽船がチャーターしたパナマ船籍の貨物船です。」

「こちらから打って出ないのですか。」

「トラン、打って出てどうする。彼らを殺すのか。そんなことはできない。」

「また、彼らに殺されるのは、どうでしょう。」

「私たち二人だけならそれも手だが、彼女たちに死んで貰うわけにはいかない。」

「そうですね。彼女たちの居場所がなくなってしまいますね。」

「困ったものだ。彼の思惑どおりだ。」

「打つ手がない以上、成り行きに任せるしかありません。」

「問題は、メグとキコの二人だ。絶対に守らなければならない。」


彼らの行動は、素早かった。翌日の昼に掃除屋から電話が事務所に掛かった。


「はい、神定プロダクションです。」

「そちらのお嬢さんを一人預かっています。」

「返して欲しければコスモスの他のメンバーとともに、今夜八時に四日市コンテナターミナル埠頭に来ることです。お待ちしています。」

「トラン、キコが掠われた。私の精神感応能力でも連絡が取れない。」

「メグは大丈夫か。」

「どうやら、キコは、気を失っていると思われます。」

「でも、コミュニケーターで位置を特定しています。」

「キコは、どこに囚われている。命に別状はないのか。」

「大丈夫です。脈拍、血圧、心拍数、その他、身体に異常はありません。」

「キコは、眠らされています。」

「場所は、彼らが指定した埠頭に停泊している上海汽船のコンテナ船です。」

「そうか。良かった。しかし、絶対守ると言って守れなかった。何てことだ。」

「ジン。自分を責めるより、まずは、キコを助けないと。」

「そうですわ。八時にみんなで助けに行きましょう。」

「ミカ、申し訳ないが女性陣は連れて行かない。トランと私だけで行く。」

「それに、今夜の八時なんて悠長なことは言ってられない。」

「今すぐ奇襲を掛ける。トラン、行こう。」

「はい。」


「ジン、この船です。船のバラストタンクの一部を隠し部屋にしています。」

「コンテナ船って結構でかいな。それじゃ、行くよ。」

「待ってください。中の状況を確かめないと。」

「この船は、船員二十名のフィーダー船です。」

「コンテナ船としては小さい方です。」

「隠し部屋は船底の中央にあり、出入口は船底にある隠しハッチのみです。」

「中に、男が五人います。」

「全員が掃除屋かい。」

「いいえ。二十名の船員は、国籍や素性が登録されています。」

「しかし、隠し部屋の五名については、何の記録もありません。」

「私を襲った連中だな。隠し部屋の様子を見てみよう。」


隠し部屋は、各人の居室とボスの部屋、会議室のような部屋に仕切られていた。


「キコがいます。やはり、いや、毒薬を飲まされています。」

「えっ、毒薬。そんな馬鹿な。眠っているわけじゃないのか、遅かったのか。」

「遅効性の毒薬です。今なら大丈夫です。ゼロに収容します。」

「良かった。これで、キコは安心だ。」

「さて、掃除屋をこのままにしておくわけにはいかない。行くぞ。」

「彼らは、会議室みたいな部屋に集まっています。行きましょう。」


「トラン、何でドアをノックする。これじゃ、奇襲にならない。」

「でも、礼儀でしょう。」

「こんな連中に礼儀はいらないよ。ほら、鍵掛けられた。」

「問題ありません。失礼します。」


トランは、鍵の掛かった鋼鉄製の重い扉を、普通にノブを回し開けた。


「鍵を閉めたのに、どうして。」

「お前たちは、どうやってここに来た。」

「出入り口は、この部屋のハッチしかないのに、お前たちはどこから入った。」

「あり得ない。」

「どうして、ここが分かった。」


彼らは、口々に疑問を投げかけてきた。次の瞬間、我に返ったように拳銃を私たちに撃った。トランは銃弾を弾き、私を撃った者は死んだ。冷静沈着な殺し屋集団でも、この事態には冷静さを失った。


「さて、残ったのは、あなた一人ですね。」

「お前ら不死身か、化け物か。」

「いいえ。化け物は、あなたです。拳銃の弾に撃たれても死なない。」

「そうさ、俺は不死身だ。お前らも奴に不死身の体にして貰ったのか。」

「奴とは、誰ですか。」

「違うのか。奴のことは、俺も知らん。」

「最初にお前を襲ったとき、お前の仲間に撃たれて俺は死んだ。」

「その時、奴の声が聞こえた。生きたいですか。と、」

「もちろん、生きたいと答えた。」

「そして、不死身の体になった。お前たちは違うのか。」

「違います。時間稼ぎは良いですよ。」

「掠った女は、もう助からない。お前たちもここで死ぬが良い。」


部屋は、一気に海水で満たされた。私たちも彼も死なない。そして、次の瞬間、三人ともゼロの中にいた。純粋負のエネルギーと分離した結果、死んでしまった彼だけを先ほどの部屋に戻した。」


「仕方ありません。彼は、ジンを最初に襲ったときに既に死んでいたのです。」「純粋負のエネルギーによって生かされていただけです。」

「トラン、大丈夫だよ。キコを殺そうとした奴らに同情はしないよ。」

「ただ、掃除屋との戦いは、これで終わったわけじゃない。」

「はい、これからも私たちを狙ってくるでしょう。」

「ところで、キコは。」

「大丈夫ですが、毒の所為で内臓器官が一部壊死しています。」

「創始者の科学力を駆使してもだめなのか。」

「はい。解毒はできますが、壊死した細胞は蘇生できません。」

「ミコの時のように、私の血と入れ替えたらどうだろう。」

「ジンの血なら細胞の再生も解毒もできます。」

「しかし、キコも驚異的な再生能力を持った体になってしまいます。」

「命には代えられない。それに、キコがこんな目にあったのは私たちの所為だ。」

「分かりました。ジンとキコを融合させて血を入れ替えます。」

「あれ、ジン、トラン。」

「ここは、ゼロ。」

「何があったか覚えていないのですか。」

「えーとっ、神前で祝詞をあげていたんですけど、何でゼロの中に。」

「覚えていないなら、それで良いよ。」

「え、教えてください。何があったかを。」

「実は。」

「トラン、私が話すよ。実は、キコ。君は、掃除屋に拉致された。」

「それで、トランと私が助けに来た。無事に救出完了だ。」

「でも、どうやって。私、十分気を付けていました。」

「彼らもプロの集団だ。手口は分からないけど、現に拉致されてしまった。」

「仕事中は、彼らも手出しはしないと油断した。本当に申し訳ない。」

「謝らないでください。ジンの所為ではありません。」

「しかし、私に関わらなければ、こんな危ない目には合わない。私の所為だ。」

「いいえ、私が自分で決めたことです。」

「どんな危険なことがあっても私は皆さんと一緒にいたいのです。」

「分かった。それじゃ帰ろう。」

「その前に、助けてくれたお礼です。」


キコは、私にハグした。私は、年甲斐もなく心がときめいてしまった。


「キっ、キコ、冗談は良子さん。年寄りをからかっちゃいけないよ。」

「えっ、私、死にかけたのですか。それに、私の血、全部ジンの血ですか。」

「と言うことは、私もミコと同じ不死身の体になっちゃったと言うことですね。」

「キコ、もう離れなさい。これ以上、抱き付かれていると照れちゃうから。」

「それに、不死身じゃないよ。この事は、黙っていようと思っていたのに。」

「なぜですか、こんな素晴らしいこと。有り難うございます。」

「それは、キコが死ぬような恐ろしい目に合ったことを覚えていないなら、無理に説明しない方が良いと思った。」

「それに、ミコのように私の血に入れ替わったことを気もいと思うかも知れないだろう。」

「そんな。気もいなんて、決して思いません。」

「それより、助けていただいて感謝します。」

「礼なんかいらないよ。キコを危ない目に合わせたのは、私だ。」

「それこそ、ジンの所為だなんて思っていません。本当に有り難うございます。」

「キコには、隠し立てできないな。」

「それと、再生能力を試そうと思っているようだけど、無理に体を傷つける必要はないよ。」

「虫歯、治ってるだろう。」

「本当、治ってる。歯が痛くて医者に行くか迷っていました。嬉しい。」


数日後、何事もなかったかのように、四日市港に停泊していた船がコンテナを満載して出港した。それから、掃除屋の動きは何もなく一週間が過ぎた。


「どういうことだろうか。私たちのことを諦めたのかな。」

「おそらく、ジンと私が人違いだと結論を出したのでは。」

「でも、組織の存続を脅かすどんな小さなリスクも排除するという掟は。」

「それは、私の推察で本当にそんな掟があるかどうかは分かりません。」

「それに、彼らは全滅し、目的を果たせなかった。」

「組織としても再調査し、考え直したのでしょう。」

「私たちを排除するリスクの方が、遙かに高いと言うことに。」

「でも、掃除屋は、そんなことで諦めるかな。」

「国際犯罪組織の臓器売買に加担した老人と死体役の私を、顔が似ていると言うだけで殺そうとしましたが、ジンが余りにも強すぎたこと。」

「日本に送り込んだ彼らが全滅したこと。」

「この二点からしても、その時の二人ではないと考えたのでしょう。」

「そうか。」

「あん時の老人が、武術の達人でスナイパーの仲間がいる私と同一人物であるわけがない。と思ったんだな。」

「それに、日本で銃を使用する者は、警察か犯罪者しかいません。」

彼らは、ジンを犯罪組織のボスと判断したのでしょう。」

「しかも、かなり大きな組織だと。」

「どうして、私が大きな犯罪組織のボスに勘違いされたのかな。」

「その理由は、二つあります。」

「まず、工作員が全滅したこと。」

「二つ目は、ジョギング中の老人を常時、スナイパーが守っていること。」

「この観点から、彼らは判断したものと推察されます。」

「私の強さは、関係なしかい。」

「それは、考慮外でしょう。」

「但し、彼らが私たちと戦ったとすれば、ジンの力が強大過ぎて組織の壊滅は火を見るより明らかです。」

「彼らが撤退したことは、偶然とは言え賢明なことでした。」

「それに、彼らにとって私たちが犯罪組織の一員であれば、掃除屋の存在を訴えることはないと判断したのでしょう。」

「訴えられるわけがないって。」

「そうです。私たちが犯罪組織なら、彼らは絶対に安全だと踏んだのでしょう。」

「そりゃ、そうか。犯罪者が犯罪者を訴えるわけがないからな。」

「掃除屋との一件は、これで安心だと思いますが引き続き警戒します。」

「そうしてくれ。」

「トランの読みは当たっていると思うが用心に越したことはない。」


一難去って、また、一難である。今度は、マスコミの取材申し込みが殺到した。コスモスの活動は、無期の休止中であることを丁寧に説明して全て断った。


「参ったな。掃除屋は諦めてくれたようだけど、マスコミの攻勢は執拗(しつよう)で困る。」

「断るのに一苦労どころか、二苦労、三苦労だよ。」

「仕方ないよ。お父さん。」

「それだけ、コスモスがマスコミに注目されたということでしょう。」

「そうですね。」

「一旦、インターネットに流出してしまったら、完全に削除するのは無理です。」

「しかし、この騒ぎが落ち着くまでは、ハモニーの仕事もできない。」

「全面休業だ。」

「いっそのこと、プロダクションも一時休業にしましょう。」

「ミカの意見に賛成。そうすれば、マスコミも直ぐ諦めるよ。」

「そうですね。日本人は、熱しやすく冷めやすい民族です。」

「一ヶ月も経たないうちに、コスモスの存在も忘れ去られるでしょう。」

「そうするか。でも、暇になるな。」


ペテルギウス


「良し、これで会社関係の一時休業手続きは全て終了だ。」

「後は、ほとぼりが冷めるのを待つしかない。」

「お父さん、ほとぼりって何。」

「ほとぼりとは、漢字では熱湯の熱と書いてほとぼりと読ます。」

「でも、熱をほとぼりなんて読まないよ。現に、熱の字にそんな読みないもん。」

「ミコの言うとおりです。ほとぼりで入力しても熱の字に変換されません。」

「当て漢字だろう。」

「要するに、熱という文字に人々の感情や関心、興奮と言った言葉の意味を持たせ、それが冷める。」

「つまり、世間の関心や興奮が失せるという意味になるわけだ。」

「みんなの感心が冷めるまで待つということね。」

「そう言うこと。」

「話は変わるけど、休業中にガイアで宇宙に行きたいと思っているんだけど、どうかな。」

「私も行く。」

「私も行きたいですわ。」

「私たちも賛成。」

「それじゃ、メグとキコの休みが合う今度の月曜日に行こう。」


「この服、体にフィットしすぎて恥ずかしい。」

「あっ、キコは初めての宇宙だね。」

「はい。ですから、ちょっと怖いです。この宇宙船、大丈夫ですか。」

「私は、完璧な宇宙船です。ガイアと呼んでください。」

「皆様の安全は、私が保証します。」

「ガイアの言うとおりだよ。」

「この船は創始者のテクノロジーで造ってあるからね。」

「難しい話は、後にして。さあ、出発しよう。」

「お父さん、どこへ。それに、どうしてお父さんだけ普段着なの。ずるいよ。」

「ちゃんと下に着てるよ。みんなも宇宙服の上に好きな服を着れば良い。」

「但し、服の下には、絶対にこの宇宙服を着ておいてください。」

「人体に悪影響を及ぼす宇宙線や素粒子、ウィルスなどから体を守ります。」

「分かったわ。トラン。それに、この宇宙服は下着より快適ですわ。」

「そう、何日着ていても汚れないし、汗臭くもならない。」

「これ地球で売り出したら大儲けなんだけどね。」

「それは、無理です。地球に存在しない繊維で作られています。」

「それに、この服は下着ではありません。」

「どんな環境にも。そう、暑さ寒さにもこれ一枚で対応できます。」

「トラン、冗談。本気にしないで。」

「ところで、どこに向かいますか。ジン。」

「ペテルギウス。」

「ペテルギウスって、オリオン座の向かって左上にある赤い星ですね。」

「おっ、メグ。良く知ってるね。」

「私、子供の頃から宇宙に興味があって勉強しました。」

「確か、地球から六百四十光年離れている恒星です。」

「そのとおり。死に行く太陽だ。」

「星も死ぬの。」

「ミコ、星も死にます。私たちが見ている星は、全て恒星、つまり太陽です。」「太陽は歳を取るにつれて膨張し、表面の温度が下がり赤くなります。」

「ペテルギウスは、まさに死に行く太陽です。」

「それで、ペテルギウスが、今も存在しているか確かめたいんだ。」

「お父さん、確かめてどうするの。」

「どうしようもしないよ。単なる好奇心。」

「なんせ、ペテルギウスが、今、爆発したとしても、地球人がその現象を知るのは六百四十年後だ。」

「太陽が爆発すると、どうなるのですか。」

「キコ、良い質問だね。メグ、よろしく。」

「はい、爆発するといろいろな物質を宇宙にまき散らし、ブラックホールになったり、白色矮星や褐色矮星になります。」

「そして、まき散らされた物質から、新たな星が生まれます。」

「実は、ありとあらゆる物は、超新星爆発によってばらまかれた素粒子からできているんだ。人間もだよ。」

「素粒子って何ですか。」

「それは。」

「トラン、話が難しくなるし、時間も掛かるから説明は良いよ。早速、行こう。」

「ミコ、ワープテン、発進。」


「流石に、でかい。」

「直径が、私たちの太陽の一千倍、体積は十億倍です。」

「私たちの太陽系に置き換えたら、木星の軌道まで入ってしまうほどだ。」

「ジン、安全確保のため、これ以上は近づけません。」

「現在位置、ペテルギウスから二十八億七千五百万キロ。」

「ミコ、有り難う。ほぼ太陽から天王星の距離です。」

「流石、メグ。良く知ってるね。」

「大き過ぎて一面、真っ赤です。」

「キコの言うとおりだ。これじゃ、分からない。」

「五十億キロの距離まで離れよう。ミコ、ワープスリーで後退。」

「あっ、ペテルギウスが爆発します。」


その時、ペテルギウスが超新星爆発を起こした。ガイアは、嵐の中の木葉の如く吹き飛ばされた。


「ガイアは、大丈夫ですか。」

「キコ、心配無用です。十分な安全距離を確保していましたから。」

「それより、皆さんは大丈夫ですか。」

「みんな大丈夫だ。船内は無慣性状態だから、あれだけの衝撃を受けても何の問題もない。」

「創始者の技術力は素晴らしいものですわ。」

「ところで、凄い爆発だったな。ガイア、現在位置は。」

「はい、ペテルギウスから一光年の距離です。」

「一気に、一光年も吹き飛ばされたのか。」

「はい、ワープ航法と超新星爆発の影響です。」

「メグ、この後、ペテルギウスはどうなるの。」

「はい、キコ。科学者たちは、中性子星になると考えています。」

「中性子星。ブラックホールになるんじゃないの。」

「ミコ、キコ。私もそこら辺のことは、良く分かりません。」

「私が説明しよう。」

「お父さん。大丈夫。」

「任せない。」

「今の地球では、太陽の大きさを基準に恒星の終わり方が、異なると考えられているよ。」

「我らが太陽の質量の二十倍を超える恒星は、五百万年くらいでブラックホール。」

「八倍から二十倍程度だと一千万年くらいで中性子星。」

「太陽程度だと百億年くらいで白色矮星。」

「太陽より小さい恒星は、一千億年くらいで褐色矮星になる。」

「ちなみに太陽より小さい恒星は、超新星爆発を起こさないと考えられている。」

「矮星って、どんな星。」

「それは私にも分からんが、太陽の燃えかすみたいな星のことじゃないかな。」

「正しくは恒星でありながら、極小さい星のことを矮星と呼んでいます。」

「トラン、ありがとう。」

「どっちにしろ、恒星の寿命が尽きて小さくなった星を指すと思うよ。」

「しかし、この現象が地球に届くのは、六百四十年後だ。」

「私たちは、ラッキーでした。星の終わりに立ち会えましたから。」

「ジン、救難信号をキャッチしました。消えました。」

「ほんの一瞬でしたが、明らかに助けを求める信号でした。」

「ガイア、発信源を探知してくれ。」

「はい、発信源は、方位150451、距離一億五千四百五十万キロです。」

「スクリーンに出せるかい。」

「はい。大規模な宇宙船団です。」

「中央に位置している船は、火星の地下にあったものと似てるね。」

「こっちの方が大きくて同じようなものが十隻もある。」

「その周りの宇宙船は、おそらく船団の護衛艦だろう。」

「どうします。」

「メグ、あの船団と通信してくれ。」

「ジン、ちょっと待ってください。私、危険を予知しました。」

「メグ、彼らが攻撃してくると言うこと。」

「ミコ、違います。」

「彼らの武器で私を破壊することはできません。」

「じゃあ、何が危険なの。」

「彼らを追っている得体の知れないものが、ガイアを飲み込んでしまうビジョンが見えました。」

「飲み込まれたガイアは、機能を失い私たちも死にました。」

「えっ、得体の知れないもの。」

「ガイア、メグが言っている得体の知れないものをスクリーンに出してくれ。」

「褐色の雲のようなものです。明らかに船団を追っています。」

「船団の護衛艦が攻撃していますが、効果がなく雲に飲み込まれていきます。」「ガイアの分析結果が出ました。」

「あらゆるエネルギーをエサとして生きている生命体です。」

「あれで、生命体。」

「はい、意思はありません。創始者は、日本語で言う混沌と言っていました。」

「その混沌、呼びにくい。英語のカオスにしよう。カオスに対抗する術は。」

「ありません。彼らの攻撃は逆効果です。」

「カオスにエサをやっているようなものです。」

「唯一の対抗手段、逃げることです。」

「その事を彼らに教えないと護衛艦の乗員が無駄死にだ。」

「それに、攻撃のエネルギーを吸い取って雲が大きくなっている。」

「良し。メグ。船団とコンタクトだ。」

「チャンネルをオープンします。」

「こちら、ガイアの船長、ジンという者です。」

「あなたたちが攻撃している褐色の雲は、あらゆるエネルギーをエサとして生きている生命体です。」

「攻撃を止めて撤退してください。」

「こちら、移民船団の総司令官ガゼル将軍です。あれが生命体ですか。」

「はい、データーを送ります。」

「分かりました。攻撃を中止し、全艦撤退させます。」

「それと、カオスは動きが鈍いですから、全速力で逃げれば大丈夫です。」

「ですが、既に全速力を出しています。逃げ切れません。」

「ジン、彼らは、ワープエンジンを持っていません。」

「このままでは、カオスに追い着かれてしまいます。」

「そうなったら、彼らは全滅だ。彼らを助ける良い方法はないか。」

「あります。私たちが囮になってカオスを船団から引き離します。」

「ガイアのエネルギー量は無限と言っても良いでしょう。」

「何せジンが源ですから。」

「そうか。カオスは、絶対ガイアに食らい付いてくるな。」

「その後はどうする。ペテルギウスに落とします。」

「どうやって。」

「超新星爆発を起こしたペテルギウスの近くまで引っ張って行けば、後は、ペテルギウスのエネルギー欲しさと爆発後に収縮に向かう引力によって自ら落ちていくと思います。」

「良し、その手で行こう。トラン、船団とカオスの間に割って入る。」

「エサに食い付いてきたらペテルギウスまで引っ張って行くぞ。ガイア、発進。」

「ガゼル将軍、私たちが囮になってカオスを引き離しますから、その隙にできるだけ遠くに逃げてください。」

「でも、あなた方は大丈夫ですか。」

「大丈夫です。全く問題はありません。私たちへの心配はいりません。」

「ジン。カオスがガイアを見つけて、こちらに向かってきます。」

「良し、エサに食らい付いた。」

「ガゼル将軍。こちらの思惑どおりカオスは、ガイアを追ってきました。」

「今のうちに逃げてください。」

「後は、ペテルギウスの引力圏まで引っ張って落とします。」

「分かりました。あなたたちに感謝します。本当に助かりました。」

「また、後でお会いましょう。」

「はい。後ほど、お会いできるのを楽しみにしています。」

「それでは、通信終了。」


「何度やっても同じです。」

「これ以上、ペテルギウスに近づこうとするとカオスはガイアを追ってきません。」

「本能で危険を察知しているのでしょう。」

「ここでカオスを離したら、また、船団に向かうだろう。どうすれば良いんだ。」

「ゼロで一気に運ぶことはできないのか。」

「できません。カオスをゼロに載せると、どんな事態が起こるか分かりません。」「カオスがゼロの無限のエネルギーを得てゼロ次元内で膨張しつづけたらどんな事態になるか。最悪、次元が崩壊し宇宙が消滅しかねません。」

「それじゃ、この次元で膨張し続けたらカオスはどうなると思う。」

「それも、予測ができません。」

「ですから、ガイアをカオスに食べさせないように、ここまで引っ張って来ました。」

「目の前にぶら下がったエサ目当てに追ってきたカオスもここまでしか追って来ない。」

「良し、私を針の付いたエサにしてカオスに食べさせよう。」

「魚釣りの要領でカオスをペテルギウスの引力圏内まで引っ張り込む。どうだ。」

「無謀です。ジンの不死身の体が通用するか。」

「例え通用してもジンのエネルギーを吸って無限に膨張し続けたら、この次元も消滅しかねません。」

「大丈夫だよ。ペテルギウスに落とすまでに、後ちょっとだから。」

「分かりました。ホノグラムで実験してみましょう。」

「けん引ビームだと、カオスにエネルギーを取られて途中で切れてしまうのか。」

「トラン、頑丈なロープならどうだ。」

「はい、創始者が開発した繊維で編んだロープなら軽くて丈夫です。」

「ワープ速度にも耐えられます。」

「良し、これなら切れない。」

「収縮し始めたペテルギウスの引力圏内に入るまでに、カオスはさほど膨張しないだろう。この魚釣り作戦で行こう。」


「ジン、大丈夫ですか。」

「クウから貰った体は素晴らしい。」

「本当だったら人の形を維持できずに生命エネルギーとなって消化されてるはずだけど何ともない。」

「カオスの中は真っ暗闇だ。ところで、カオスの状態は、どうなってる。」

「はい、膨張し続けて月ほどの大きさになっています。」

「もうすぐペテルギウスの引力圏に入ります。」

「あっ、ちょっと待ってくれ。負の精神エネルギーの存在を感じる。」

「でも、カオスに意思はありませんし、ジンは負の精神エネルギーを感知出来ないはずです。どうして分かるのですか。」

「膨大な負の精神エネルギーだ。」

「今までにカオスの犠牲になった人間たちの魂に違いない。」

「きっと、カオスは生命エネルギーを消化できても精神エネルギーはできないんじゃないかな。」

「カオスの体内に閉じこめられている。」

「このままペテルギウスに落としたらカオスとともに消滅しちゃうだろう。」

「ジン、その負の精神エネルギーを捕捉できますか。」

「できるみたいだ。何十億人分の魂だ。皆、救済を求めている。」

「クウやミコのような能力を持たない私でも彼らの一丸となった強い思いが聞き取れる。」

「それでは、カオスが恒星に落ちる前にジンと負の精神エネルギーをゼロに回収します。」

「頼んだよ。」


月ほどの大きさに膨張したカオスを点にも満たないガイアが引っ張っている光景は圧巻である。


「ジン、これ以上近づくとガイアもペテルギウスの引力圏から脱出できなくなります。」

「分かった。まずは、負の精神エネルギーをゼロに移動してくれ。」

「分かりました。同時に、ジンもガイアに転送します。」

「遺憾。カオスが落ちていかない。どう言うことだ。トラン。」

「カオスの質量とペテルギウスの引力が、ちょうど均衡したために落ちずに上空に留まりました。」

「しかし、カオスのエネルギーが消耗され質量が減少すれば、カオスはペテルギウスの引力圏から離脱してしまいます。」

「ここまで来て元の木阿弥か。どうしたら・・・、」

「良し。ガイア、私をもう一度カオスの内部に転送してくれ。」

「それは、できません。ジンの安全が保証できません。」

「牽引ロープを付ければ別ですが。」

「分かった。牽引ロープを付けるから転送してくれ。」

「でも、ジン。また、カオスに戻ってどうするのですか。」

「私のエネルギーをもっと吸わせてカオスを膨張させれば、質量が増大して今度はペテルギウスの引力から逃げられないはずだ。」

「分かりました。転送します。」


カオスは、ジンのエネルギーを吸収して月の二倍ほどになった。


「これだけ大きくなれば、カオスもペテルギウスの引力から逃げられないだろう。」

「ガイア、転送してくれ。」

「えっ。ガイア、お父さんを転送できないって。」

「はい。このままでは、カオスと共にガイアもペテルギウスに落ちます。」

「トラン。全員、ゼロに避難。」

「だめです。ゼロに移動できません。」

「超新星爆発の影響で、次元に一時的な歪みが出ています。」

「ガイア。私の牽引索を切断して緊急脱出シーケンスを作動。」

「だめ。お父さんが死んじゃう。今の命令は却下。」

「ミコ。このままでは、みんなも助からない。ガイア、シーケンス発動。」

「だめ。」


ミコは、大声で言った。しかし、ジンとガイアを繋ぐロープは切断された。ジンは、カオスと共にペテルギウスに落ちて行った。


「ガイア、何てことするの。私、絶対ガイアを許さない。」

「ジン。私も行きます。私をジンところに転送してください。」

「ミカ。それは、できません。乗員の安全が最優先されます。」

「もちろん、ジンも含めてです。牽引ロープを切ったのは、私ではありません。」「ジン自身です。ジンとの通信も途絶えました。」

「お父さん。」

「ジン、応答してください。だめです。」

「なぜ、転送できなかったのですか。」

「分かりません。カオスが、ジンを離さないようにしたのかも知れません。」


船内は、重苦しい空気に包まれた。不死身のジンも体全体が消失してしまえば蘇ることはできない。


「みんな。心配しなくても大丈夫だよ。私は不死身だ。」

「今は、私の力でカオスをペテルギウスに落とさないと。」

「カオスの容積を増やしても質量は大きくならないことが分かった。」

「お父さん、生きてるの。」

「ああ、生きてるよ。但し、カオスの中にいる。」

「牽引ロープを切ってもカオスは、落ちていかなかった。」

「ガイアでは、カオスがペテルギウスの引力に引っ張られる距離まで近づくことはできない。」

「それで、私がカオスをペテルギウスまで引っ張って行くことにする。」

「大丈夫、カオスが消滅したら直ぐ帰るから。」

「トラン。これから先の話は、君だけとの精神感応だ。黙って聞いてくれ。」


「はい。」

「私の体は、カオスと共に消滅するかも知れない。」

「そうなったら、ハモニーの仕事は辞めて貰いたい。」

「この仕事は、元々はハモニーが私一人に託したものだ。」

「彼女たちの仕事ではない。続ける必要もない。」

「もし、彼女たちが私の意志を継いで続けようとしたら、辞めるように説得して貰いたい。」

「彼女たちの命が一番だ。」

「私がいなくなってもミカやミコの精神感応エネルギーで、トランは生き続けられるだろう。」

「最後まで彼女たちの面倒を見てやってくれ。約束だ。」

「大分、カオスも小さくなってきた。もうすぐ消滅するだろう。」

「後のことは、頼ん・・・。」

「ジン、ジン。」


ジンの精神感応も途絶えた。


「ジン、生きているのね。私もジンと一緒に。」

「だめだよ。ミカ。きっと、また、会えるから。」

「ジンを信じて待ちましょう。」

「でも、なんでお父さんは自分でロープを切ったんだろう。」

「私たちを助けるためです。」

「カオスは、消滅しました。」

「ガイア、お父さんは。」

「ジンの反応はありません。精神感応能力も探知できません。」

「どう言うこと。お父さんが死んじゃったって言うの。」

そんなことあり得ませんわ。ジンは不滅ですわ。」

「ジン、答えて。」

「ガイア、お父さんを捜して。きっとどこかにいるはずよ。」

「死んでなんかいない。」


ジンからの返事はなかった。再び船内には悲壮感が漂った。そして、ガイアのセンサーを持ってしてもジンの行方は探知できなかった。



第一部 おわり

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