第5話 終着

<千早 日照が息絶えるまであと 日>


 「今日こそ千早 日照を助けに行きましょう」

 泉輝が救いたいと思っていた、守ると誓ったはずの彼女の顔をしている目の前の女の子が云う。

 「目の下にクマがありますよ。寝れてないんですか?」

 泉輝の顔を覗き込む。チハヤは心配そうな表情をした。

 ここは深い森の中。日本特有の、雨が降り続く梅雨の季節では珍しい葉漏れ日が目の前の古びた神社を照らしその姿を浮かびあがらせる。無数の草のつるが神社の柱や屋根に巻き付いて何万年前から存在していたように思える。柱には「伊勢神宮」と刻まれていた。

 「今日のご飯ですよ」

 泉輝は目の前の食事など目もくれない。ただ伊勢神宮を眺めているだけで、動かない。

 「もう、しょうがないですね」

 チハヤはおにぎりを崩し紙皿にご飯のように平らにしてスプーンを泉輝の口に運んでいく。泉輝はずっと伊勢神宮を見ていた。しかし、動くことはない。

 千早 日照をラスラハス教会で見失ってから泉輝はほとんど口を動かさなくなった。泉輝の目にはもう何も残っていなかった。

 「それじゃあ……」

 ”行きましょう”

 「今日の夜、出発にしましょう」

 チハヤは少しためらいながらそう言った。


 「ちょっと散歩へ行きませんか」

 反応はない。チハヤは泉輝の手を取って歩き出した。泉輝はそれにつられるように歩いた。

 「すごいきれいですね」

 辺り一面が緑となっている。この緑に住む息する動物たちは突然の来訪者に驚き隠れる。しかしその隠れた場所からその視線を向けてくる。

 近くからなのか遠くからなのか、小鳥が歓迎の歌を歌う。

 「ここに座りましょうか」

 自然にできた大きな平らな石に二人は並んで座る。

 並んだとしても、チハヤが苦しそうな顔をしていることを泉輝は知らない。

 誰も知るはずがない、彼女がする表情の意味を。

 「今度こそ助かりますって」

 チハヤは泉輝のほうを向かずにそういった。

 「ここは日本ですから、千早 日照を救ったらさっさと帰りましょう」

 「そうですね。もんじゃ焼きとか食べたいです。これが終わったら”二人”で食べに行きましょう。だから……」

 「千早 日照を救いましょう」

 

 

 

 「日照……」

 そうつぶやくことしかできない。何もできなかったあのころと同じ目をしている。

 泉輝もまたチハヤのほうを向かずどこまでも続く緑に目を当てていた。


 森を照らし続けていた光は消え、空は星の明かりが見えないほどの曇り空となっていることが見て分かった。昼間にいた森の歓迎者も興味を失ったのか音も聞こえなくなった。

 「行きますよ」

 チハヤが遠くで呼んでいる。しかし、泉輝はそれを眺めるだけだ。焚火を見つめ続けるのみである。

 静かだった森は雨に打ちつけられ音を立て始めた。焚火の火は揺れる。雨が強くなっていくと、火は消えてしまった。

 雨にうたれる中、消えていく火を見ながら、泉輝は思い出した。あの頃の自分自身を。なにもできなかった自分自身を。

 「俺は何も変われない」

 何も見えない空を仰いでいった。自分自身への非難の雨が顔を強くうちつけた。

 「そんなことない」

 いつの間にか目の前に立つチハヤは言った。そのチハヤの姿はいつの日の食堂での日照の姿を脳裏に映し出す。

 「千早 日照を救うために世界中を旅してきました。ほとんど野宿と移動を繰り返し、金がなくなったらそこで働き、食事ですらまともに取れなかったときはほとんどです。千早 日照を救うために何でもしてきました。それが無駄に終わることはありません。たとえ、ことごとく千早 日照をだれかが隠し続けようとも」

 「いつまでも助けられないじゃんかよ」

 力なくうなだれる。重い雨にうたれ、もう空を見上げることすらできない。

 数分の沈黙を雨の音が埋める。

 何も知らない者は今のチハヤが誰なのか、知ることができない。

 「でも、でもっ。そうしないと……」

 

 「

 

 チハヤを見る。雨の中、暗い中、日照の自虐に似た笑みを浮かべている。

 どうしようもなくあきらめて、ただ運命を受け入れた笑みを浮かべている。

 笑みにそぐわない彼女の最後の意思表示の涙が泉輝を鼓動を強く波打たせた。

 ただ無言で突っ走る。もう迷わない。たとえ彼女がまたどこかに隠されようとも、彼女が死ぬ運命にあろうとも、

      ”運命にあらがってやる”

 

 「日照!」

 日照は祭壇の上で横になって目を閉じている。を身に纏い、赤い袴を着ていた。

 祭壇の四隅に灯がつけられていて神社の内部は暗い。内部の広さを把握することができない。灯が届く範囲には日照しかいない。

 「日照!日照!」

 揺さぶっても反応はない。体温は低く、息をしているかわからない。

 呼吸を確認する。浅いが酸素は取り込めている状態だ。

 もうすぐ息絶えることが容易に理解することができた。

 

 「もうすぐ死ぬの神子に何か用か。人間」

 周囲が朝を迎えたように明るくなる。しかし、その光のもとは一点でしかない。たった一つの光が内部を照らした。まさに神々しい存在であることが見て取れた。この世を照らす神だと、この世を照らす陽だと理解できた。

 高い天井。中央に位置する天照大神の絵。その両側にあるステンドグラス。これが伊勢神宮の内部。今まで見てきた宗教的建築物。

 天照大神の絵に覆いかぶさるように日照と変わらない女の子が神のごとき光を放ち降臨した。 

 「我は、天照大神。この世を守護する神である。」

 

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る