第4話 徒労
せわしなく三階から四階建ての低いビルが並んでいる。車道は狭く、一方通行しかできないほどである。どこのビルもたいてい直方体であるが、模様は統一されていない。不思議な模様をしたビルもある。そして少し歩くと電柱が何本か立っている広場に着く。レンガが敷き詰められたような模様の地面があり、何人かの子供がそこでスケボーなどで遊んでいる。
ここはコロンビアの小さな街、イピアレス。エクアドルとの国境に近いところに位置している。セルビアからは遠く離れた、この場所に泉輝とチハヤは再び彼女を救うために足を踏み入れた。
――日照は死んでいません――
ペトログラード大聖堂の一つの空間。千早 日照が完全に壁の奥へ消えたあとただただうなだれている泉輝にチハヤは言った。チハヤは次の居場所ももうわかっているとさえ言った。
――次の場所はラスラハス教会――
次の場所へ行くのにお金がかかった。飛行機でなくともたくさんのお金をためなくてはならない。二人は仕事を始めた。仕事は過酷だった。しかし少しずつ少しずつためていき、ついにラスラハス教会へ行けるだけの金を調達できた。その頃はもう季節も変わり、少し肌寒い風が吹きはじめた。
「待ってろよ、日照」
そう独り言をつぶやく。もう一度、強く彼女を救う決意を示した。
「出発は夜にします」
チハヤは拠点となるホテルの前でそういった。ホテルにチェックインをし、荷物を置く。チハヤは荷物を片付けている間、何度も視線を投げかけてきた。
「そんな辛気臭い顔をしないでください」
「ああ……」
チハヤは心配そうに泉輝を見つめる。泉輝はベッドに座り、手を組み、ただ下を向いているばかりだ。手が少しばかり震える。
“7月2…日の天気は、晴れ…”
スポティツァで買ったラジオが音を発する。
「なんて言っているかあまり聞こえませんね。はずれを引いた感じです」
「ああ……」
泉輝は何も答えない。むしろ答える余裕がない。祈るように組んでいる手が震える。その手を暖かく、優しいもう一つの手が包み込む。
「今度こそきっと救うことができます。泉輝はあきらめなかった。だから千早 日照を救うことができます」
泉輝は顔を上げる。そこにはいつの日か見た、まぶしすぎる笑顔があった。あの彼女が自分を救ってくれた時の屈託のない笑顔。いつの間にか震えも収まり、体全体が息を吹き返す。
「そうだ。今度こそ俺は、日照を救うっ!」
ベッドから立ち上がってそう言葉にした。目の前にいるチハヤとその瞳の向こう側にいるであろう日照に対して。
「はい。それでこそ泉輝です。ご飯を食べに行きましょう」
二人はホテルを出た。空は暗くなりかけており、夕焼けの赤が地平線の向こうに吸収されかかっていた。
「いやー食った食った。もう食べきれねえよ」
「私も少し食べすぎました。あんな安いのにとてもおいしいのでつい」
二人はホテルに戻った。ご飯はほとんど手ぶらでいったが、次は違う。
千早 日照を救いに行くのに必要なものを持つ。懐中電灯や壁を破壊するためのハンマーなどをカバンに入れる。
「では、行きましょう」
「ああ。行こう」
二人はもう一度ホテルを出た。
タクシーに乗り、ラスラハス教会へ向かう。距離は少しあり、3000円程度かかる。
「毎回思うんだが、日照がすぐ死ぬってわけじゃないのにタクシー使ってまで急ぐ必要あるか?その分のお金を食費に…」
「……」
外が暗いため見づらいがよく見ると渓谷のそばを走っている。かすかに滝の音が聞こえる。坂道をある程度上ったところでタクシーから降ろされた。
「ここどこだ」
「ラスラハス教会のすぐそばです」
「何もないが」
「坂道をもう少し上るとあります」
坂道を上る。真っ暗で何も見えない。虫の鳴き声やオオカミの叫ぶ声も聞こえる。
「ここです」
チハヤが立ち止まる。
ラスラハス教会。世界一美しいといわれ、渓谷のはざまに位置する教会。橋が架かっておりその先にそびえ立つのは青く光る建造物。建造物の四方や高くなっている塔は赤い光をぼんやりと反射し、荘厳な存在感を放っている。
正面は時計台のようになっており、時計の部分は菊花紋章のように白く刻まれている。
「ここに日照が」
チハヤの方を向く。チハヤは強くうなずく。
橋を渡る。ランプが均等に橋の両側で光っている。
細長い、教会特有の扉を前にして、泉輝は力強く押した。
単純にして圧倒される空間。天井は高く、シャンデリヤが等間隔で吊り下げられている。ガラス製の両端のステンドグラスから何色にも染まった光が教会の真ん中に差し込む。
長椅子が真ん中の通路を開けるように並んでいる。その通路の先にはやはり天照大神の絵が垂れ下がっている。
「日照はどこだ?」
「確かにここにいます」
辺りを見回す。どこにも見えない。
「日照……日照ぃぃっ!!」
上を見上げ叫ぶ。
「え……」
チハヤも同時に上を向く。そこに千早 日照はいた。一瞬見ただけではわけがわからない。空中に浮いているようにしか見えない。よく見ると千早 日照の手、足は何か見えないものに縛られ引っ張られているように見えた。両手は両方の引く力によって引っ張られ、両足はまとめて縛られ下の方向に引っ張られている。空中で千早 日照は張り付けられてようになっていた。
”ボクが泉輝を守るから、泉輝もボクを守ってね”
「お…おい。どうなってるんだよぉぉぉ!」
悲痛な叫び声だけが教会全体に響く。
「日照を降ろせよぉぉぉ!」
そばにある柱に上ろうとするが届くはずがない。
「早…く…降ろせ…」
嗚咽が漏れる。呻き声がただ静かな夜に響く。
「日照…日照…」
手を伸ばす。決して届かない手を伸ばす。
千早 日照は目を閉じながらほんの少し微笑んでいた。
”ごめんね”
もはや空耳としか考えられらない声を聴いた途端、千早 日照は教会から消えた。
<千早 日照が息絶えるまであと12日>
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