第16話

「それで、その高梨さんって子にバレちゃったんだ。ドジだね」


 日が暮れた頃に家に帰り、俺は姉に相談した。川原田と武藤のこと、高梨に気づかれてしまったこと、雪乃の過去のこと、とにかく濃い一日で上手く頭の中で整理ができず、説明するのにそれなりに時間を要した。川原田と武藤の話題はそこそこに、姉にとっては新キャラである高梨に興味を示した。


「でも高梨さん、よくそんな話信じてくれたよね。どうやって得心させたの?」

「ああ、まあ、その話はいいよ。それより問題は雪乃だ」


 赤面した高梨を一瞬思い出し、それを追い払うように雪乃の話題を持ちかけた。


「確かに雪乃ちゃん、心配だね。心因性失声症……ってやつだねそれは」

「しんいんせい?」

「精神的なショックやストレスが原因で声が出なくなる病気だよ。双子のお姉ちゃんが亡くなったのが相当ショックだったんだろうね」


 姉はしんみりとした表情で言う。雪乃はそれに加えていじめというストレスもあるのだ。彼女が自分の声を取り戻すには、もう少し時間が必要なのかもしれない。


「碧もお姉ちゃんが事故に遭ったら、きっとそうなるんだろうね」


 当然そうなるだろうという表情で姉は頷く。全力で否定したいところだが、相当ショックを受けることは否めない。


「お互い、車には気をつけようね。あんたは特にだけど」


 何も言い返せず、肩をすくめてみせた。姉は苦笑しながら夕食の準備に取り掛かる。

 長い一日だったなぁ、と深くため息をつき、俺はソファーに寝転がった。



 次の日、教室に入ると川原田と武藤がすでに来ていた。二人は仲直りしたようで、笑い合って話している。吐息をつきながら雪乃のほうを見ると、【よかったね、上手くいって】と優しく微笑んでいた。

 誰にも気づかれないように、俺は小さく頷く。視線を感じ、そちらに目を向けると高梨美晴が俺を見ていた。


【何コソコソしてんのよ。気持ち悪い】


 うるせえな、とは言い返せず、グッと言葉を飲み込んだ。

 その日は一日中、俺は雪乃のことを考えていた。放課後何を話そうか、双子の姉は雪乃にそっくりだったのかな、喋れなくて辛くないのかな、そういったことを授業中に考えていた。



 そして放課後になって、俺はスマホのゲームをしながら生徒たちの下校を待つ。最後まで教室に残っていたのは高梨だった。彼女は俺と雪乃を何度も交互に見ていたが、やがて席を立ち教室を出ていった。

 ようやく二人になったところでゲームを中断し、スマホをポケットに仕舞う。この日は雨降りのせいか、雪乃は窓の外ではなく鞄の中にいつも入れているクマのキーホルダーを手に取っていた。ただ無心で、何も考えずに雪乃はクマを見ている。


「それにしても川原田と武藤、普段通りに戻ってやんの。昨日の騒動はなんだったんだよ、って話だよな」


 沈黙を破って俺は雪乃に笑いかけた。うん、そうだね、と雪乃は振り向かずに心の中で囁く。


「一応今日も他に悩んでる奴がいないか探ってみたんだけど、めぼしい奴はいなかったよ。まあ強いて言えば、誰だったか忘れたけど、現金二万円入ってる財布を落としたって奴がいたな。すげえよな、二万円なんて。俺なんて今財布に三百円しか入ってねえよ」

【私はお財布に八百円入ってるから、私の勝ちだね】


 クマのキーホルダーを鞄に仕舞い、雪乃は自慢げな顔で振り向く。たった五百円俺より所持金が多いだけで、勝ち誇った顔をされてカチンときたが苦笑して大人の対応をしてやった。

 二万円を失うなんて高校生にとっては、いや大人にとっても大事件だろう。しかしそれを黒板に書いたところで財布が戻ってくるわけでもないし、そもそも一人で大騒ぎをしていたのでクラスのほとんどの人がそのことを知っているのだ。雪乃はその話題にすでに興味をなくしたようで、小さく欠伸をしていた。


「そういえばさ、昨日高梨と少し話したんだけど……」


 そう言うと、雪乃は分かりやすく俺から視線を逸らした。その話はしたくない、と言いたげでもあった。


【……美晴ちゃんと、どんな話をしたの?】

「雪乃って、昔は喋れたんだってな。生まれつき喋れないと思ってた」

【……うん、まあね。でも、元々お喋りなほうじゃないから、昔と今とあんまり変わらないと思うよ】

「ふうん。でもさ、誰とも会話できないなんて、けっこう辛くない?」

【そんなことないよ。どっちみち私、友達なんていないし】


 言われてみればそうだな、と思った。それにね、と雪乃は振り返る。


【碧くんとは話せるから、私はそれだけで十分だよ】


 雪乃はにっこりと愛らしい笑顔を見せる。寂しげな笑顔でもあった。


「でもなぁ、やっぱり会話するならお互い声に出して話したいよな」

【そうだよね、ごめん】


 雪乃は俯いてため息をつく。慌てて訂正しようとしたが、先に雪乃の声が頭に届いた。


【もう悩んでる人がいないんだったら、私のことは放っといていいよ。私と仲良くしてるところを誰かに見られたら、たぶん仲間外れにされちゃうと思うから】


 そんなことねえよ! という言葉と同時に俺は立ち上がる。雪乃は驚いて顔を上げた。その目には涙が溜まっていた。


「別に、それくらいで仲間外れとかないから。俺も誰もいない放課後の教室が好きなだけだしさ。お前と話すの、けっこう楽しいし」


 照れ臭くて雪乃のほうは見れなかった。だから、彼女の返事は聞けなかった。

 ややあって、俺は俯いていた顔を上げた。

 雪乃は泣きながら、だけど笑っていた。


【ありがとう】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る