第3話

 大樹が家に帰ると母親があたふたと出てくる。

「これ、あんた宛の手紙だって。今日の午後に沙苗ちゃんが突然やってきてさ。事情を聞こうとしたら、黒塗りのアルフォートに乗って行っちゃったんだよ。あんたが昨日意地悪をしたせいじゃないんでしょうね?」


 大樹は母親の声がほとんど頭に入っていなかった。アルフォート? 綾戸自動車の最高車種じゃないか? 何であいつがそんな車に乗るんだ? 渡された封筒の表書きには沙苗の特徴的な字で99ポイントの君へとある。自室に入って鍵をかけると震える手で封筒を切る。


『びっくりさせちゃったかな? 顔を見ると決心が鈍りそうなので手紙にしました。この時代に手書きとか味があるでしょ? 前から悩んでいたんだけど、遠くに行くことにしました。当分、綾戸市には戻らないつもりです。色々といい思い出もあるけど、最近はクソみたいなことが多いからね。どこに行くかは秘密です。私が学校辞めたら、あの馬鹿どもも少しは肝を冷やすんじゃないかな。ダイにもこれ以上ちょっかいを出さないことに期待しています。あ、そうそう、昨日のことがショックだったとかそういうんじゃあるよ。せいぜい反省してね。次に会えるのがいつになるのかは分かりませんが、絶許ポイントは残ったままなので忘れないように。私は執念深いからね。今までやられた分はきっちり利子をつけて代えさせてもらうつもりです。複利計算でね。あんなノートつけてて意味がないとか思ってたでしょ? 実はそうでもないんだよね。ということで、再会できるときまで首を洗って待っててね サナより』


 便せんにしたためられた文字が滲む。女子高生がクソとか書くなよ。字も間違えてるし。「代え」じゃなくて「返え」だろ。大樹は悪い冗談だと祈りながら、家を飛び出すと走って沙苗の家に向かう。交差点を曲がって、息せき切って着いてみると当然ながら電気も消えた空き家があるばかりだった。


 ***


 それから月日が流れ、大樹は大学4年生になっていた。


 高校では西川の取り巻きからの嫌がらせは無くなりはしなかったもののなんとか我慢できるレベルに収まる。必死になって勉強をした甲斐あって、なんとか綾戸大学に合格することができた。


 あいつらを見返してやるためにという何の生産性もない動機だったが、その思いの強さは誰にも負けなかった。他県やその他の市から通ってくる生徒もいるために大学では表立って虐げられることはなかったが、綾戸市出身者だけになると相変わらずの地味な嫌がらせが続く。


 4年間もの間、沙苗からは何の音沙汰もなかった。この間にちょっといい雰囲気になった女性もいたが長続きしない。ある日を境に急によそよそしくなって、道端で会ってもそそくさと避けられてしまう。きっと、綾戸市出身の連中にあること無いこと言いふらされているのだろうと思ったが気にしないことにした。


 ちょっとだけ沙苗との約束というか脅しが気になったこともある。晴れやかな笑みを浮かべながら人豚のことを話す女を敵に回してはいけないと本能が告げていた。大樹の知る限り99ポイントは最高得点である。どんな罰を用意しているか分からないだけに怖い。それに手紙にあった、単なる妄想じゃない、という言葉も妙に引っ掛かった。


 就職活動が始まり、アルバイト代で買ったリクルートスーツに身を固めて会社回りが始まる。綾戸市出身者はそれこそ目の色を変えて、肉親から情報を聞き出して少しでも上位の会社に入ろうと必死になっていた。皆が目指すのは綾戸グループの統括をする綾戸ホールディングスだ。


 綾戸ホールディングスは東京にしかオフィスがなく、基本的に綾戸市に居住することは無い。それでも業務でやってくる社員に対してみな畏敬の目を向けた。係長クラスでも事業会社の部長級相手に引けを取らない。実際に権力も持っていた。彼らの作る報告書を基にグループ総裁の綾戸玄造が意思決定するのだ。


 それだけにホールディングスに入社するのは狭き門になる。ここ数年は綾戸出身者が採用されることは無かった。就活にやっきになる人々の鼻息をさらに荒くさせる噂が流れる。なんと玄造が久しぶりに綾戸市を訪問するらしい。しかも、本人が直接面接するというのだ。


 贈答品が乱れ飛び、駅前の繁華街は大盛況となった。誰もがホールディングスに入るのは自分だとばかりにコネを使って運動する。そんな中、大樹は冷静だった。自分にそのチャンスは無いだろうと分析していたし、第一希望にしているのは中華料理チェーンのザナドゥを展開する株式会社シャングリラだった。


 両親の背中を見てきたからか飲食業に興味がある。また、綾戸市で生きていくうえで少しでも社会的地位を上げて両親に恩返ししたいという気持ちもあった。その中で出された答えがシャングリラへの就職希望である。実家の経営へ役に立つことも学べるかもしれないという打算もあった。


 無事に筆記試験に通り、面接会場の桃源郷ホテルの2階に行く。着いてみると今年新卒予定の綾戸市の上級市民で溢れていた。数年前に綾戸秀徳館高校の制服を着て肩で風を切っていた連中や西川と子分の佐藤の顔が見える。太田はどうやらハブられたらしい。佐藤が大樹の姿を見つけて低い声をかけてくる。


「ここはお前みたいなカスがくるところじゃねえよ」

「俺はシャングリラの面接を受けに来ただけだ」

「シャングリラ? ああ。あの中華チェーンのか。今日は全室ホールディングスの面接でいっぱいだぜ。日付を間違えたんじゃねえのか。相変わらずトロい野郎だぜ」


 何度も確認したので見間違えは無いはずと思いつつスマホのメールをチェックする。日付、時間、場所どれも間違ってはいない。

「お前は知らねえだろうけど、今日は玄造さんが来てるんだ。さっき、いい女を連れて歩いているのをちらりと見たぜ」


 余計なことを言ったと気づいた佐藤は慌てて言い足す。

「も、もちろん、玲子さまとは比べ物になんねえけどな。お父さまは今では綾南信金の副理事長だぜ。家柄もいいし、まさに令嬢と言うのふさわしいよな?」

 大樹は相手にしてられないと受付の社員に声をかける。


「あの、忙しいところすいません。株式会社シャングリラの面接に来たのですが……」

 受付にいた女性は、いぶかし気な顔をする。

「ここは綾戸ホールディングスの面接会場ですけど、何かお間違えではないですか」


 冷たくあしらわれて大樹は困惑する。仕方なくメールを送ってみようかとしていると、びしっとしたスーツ姿の男性が立った。

「小島大樹さんですね。お待ちしてました」

 ほっとした大樹が相手を見る。端正な顔立ちの男性だった。スーツの襟のボタンホールにはアルファベットのAを意匠化したバッジが光る。


「私は綾戸ホールディングスで飲食店部門を担当する岩尾です」

「ホールディングスの方ですか? 私はシャングリラの……」

「ええ。ですから、シャングリラも統括しています。では、お呼びするまではあちらの会場でお待ちください」


 なぜか他の就活生と一緒の部屋に入れられて、指定された番号の椅子に座っているが大樹は居心地が悪かった。よせばいいのに佐藤が寄ってきて絡む。

「お前、なんでノコノコとこんな場所まで入り込んでんだよ」

「いや、俺もよく分からない、ここで待てと言われただけだ」


「はっ。毎年いるんだよな。こうやって飛び入りで参加してやる気をアピールすればなんとかなると考えてる恥ずかしい奴が。いやあ、大したもんだ」

 周囲に聞こえるような声で佐藤がわざとらしく言う。

「無駄なことはやめて、とっとと帰れよ」


 大樹に詰め寄ろうとした佐藤に後ろから声がかかる。

「どうしたのかね?」

 さきほどの岩尾という男性だった。佐藤が小ばかにしたように大樹のことをあげつらう。笑みを浮かべて聞いていた岩尾は一言だけ口にした。

「君の名前は?」


 佐藤は相手のスーツの社員バッジを見て急に愛想よく言った。

「綾戸大学4年の佐藤健作です」

「ああ。佐藤君。君はもう帰っていいよ」

「は?」


「耳が悪いのかね。それとも、こんな平易な日本語を理解する頭もないのかな」

「なんだよ。いきなり」

「ああ。君の活躍をお祈りするのも省略させてもらうよ。君は不合格だ」

 佐藤は顔を真っ赤にして怒り出す。


「ふ、ふざけるなよ。面接もしないで」

「面接はしたよ。私が本日の1次面接官だ。さあ、時間がもったいないので消えてくれたまえ」

 後ろに控える職員がボードに挟んだ名簿の佐藤に横線を引くのを確認すると、岩尾は次の就活生に向かって行く。


 今までただの控室だと思っていた面々の顔に緊張が走る。この会場に入れるだけのコネがあるはずの男があっさりと追い払われるのを見るのは衝撃だった。自分は違うと思っていた男女も、岩尾が前に立ち帰るように促すと一様に度を失う。そんな様子を大樹は茫然と見ていた。

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