8 直感と理性

第44話 傘を届けただけなのに

 身上書。

 オーナーシェフ岩清水由春いわしみずよしはるに向かい合って座った上で突きつけられて、蜷川伊久磨にながわいくまはひとまずそれを手にしてみた。

 話はさっぱり見えていない。


「米屋だと。娘の婿にお前が欲しいって」

「米屋に知り合いはいない」

 ランチタイムが終わった後。

 郵便物を整理していた由春に事務室に呼ばれた。

 何かと思えば、厚い封書を渡されて理解不能な話が続いている。

 とにかく読め、と言われて伊久磨は腑に落ちない気持ちのまま便箋を取り出して読み始める。


 前略――


 そう始まった手紙には「先日はご親切に傘を届けて頂いて、ありがとうございました」という御礼に続いて、そのとき一緒にいた従姉ともよく話し合った上でこの手紙を書くことに決めた、との経緯がやや回りくどく書いてあった。

 肝心の内容には、手紙の差出人は米屋の経営者の妻であること、成人している娘がいること。犬を飼っていることまで事細かに記されていた。特に娘のこと。店の仕事に励み、地域のボランティア活動などにも積極的に参加しているが、その忙しさのせいか年頃になってもさっぱり自分を顧みる気配がない。親としては、その働きぶりを頼もしく感じつつも、家庭を持って幸せになることも前向きに考えて欲しいと思っている……。

 その細かさたるや、まさに「身上書」以外の何ものでもない。


 つきましては、一度席を設けて娘と会って頂けないでしょうか?

 ご相談の為に、「海の星」に伺いたいと考えていますので、ご予約をお願いします。

 

 その文面に続いて、予約希望の日時が書き込んであった。

 読み終わって、何をどう言っていいかわからぬまま伊久磨は封筒に手紙を戻そうとする。

 何かに引っ掛かった。

 中から、はらりと写真が二枚。いずれも、二十代後半と見られる女性の写真。一枚はゴールデンレトリバーらしき大型犬と公園のような場所でじゃれている姿。もう一枚は、ゴミ拾いボランティアか何かに参加して周囲の人々と笑み交わしている姿。


(宣材……?)


 あまりにも出来すぎな構図に、伊久磨はつっこみも忘れて呆然としてしまう。


「これは……、予約の申し込みということでしょうか」

 だから俺にまわってきてるんですかね、という意味で由春に確認する。

 黒の革張りソファーに身を沈めた由春にはそっけなく返された。


「俺はご婦人に『傘を届けた』覚えはない。手紙の宛名が『海の星 オーナー様』になっていたから一応確認したが、内容は多分これお前宛だ」

 傘を届けた。

 うっすらとだけ思い当たる出来事がある。

 先日「セロ弾きのゴーシュ」で、店を出て行った女性客二人組を追いかけて、忘れ物の傘を渡した。


「まったく身に覚えがないわけではないんですが、本当に『傘を届けた』だけなんですが……?」

 しかも、「海の星」での出来事でもない。

 それなのに、いつの間にか勤め先を割り出されていて、「予約」という断りにくい大義名分とともに娘の身上書と写真を送りつけてくるとは。一体何を考えているのだろう。

 由春に何か目で示されて、ローテーブル上を見ると、五キロサイズの米袋が乗っている。

「社長の娘だぞ。将来は相手かお前が社長だ」

 手紙と一緒に送られてきたのだろうか。差出人の米屋の商品と察するものの、反応に困る。


「なんで傘を届けただけで、米屋からスカウトを受けるんですか。これ……、この米屋の社長夫人? が、どういうわけか俺が娘の相手に相応しいと判断した感じになってますけど。娘さんがどう考えているかもわかりませんし、たぶん俺が何者かもよくわかっていないですよね?」

 手紙の宛名に名前が無いくらいなのだ。

 なんらかの方法で「海の星」のスタッフとは突き止めたのだろうが、「細かい話」はこれから、といったところだろう。

 その状態で娘の個人情報をぶちまけてくるのは「大丈夫ですか」という感想にしかならない。何故そこまで見込まれてしまっているのもわからない。

 傘を届けただけで?


「とりあえず予約は入れられるのか」

「この日ならまだ空きはあったと思いますけど、このお客様何を目的にご来店されるんですか。お見合いの相談ですか。食事は?」

 本人同士の意思はどうなるのだろう。疑問しかない。

 由春はといえば、どうにも親身になって話を聞いてくれる気配もない。


「いいんじゃないのか。ほら、うちで両家お顔合わせみたいな席をやる前に、どっかでそういうのお前自身が練習してきたら」

 水沢家・岩清水家のお顔合わせの件をあてこすられている気がする。

 伊久磨も、なるべくしらっとして態度で言ってみた。


「よそのお店の接客や準備を見学するのはやぶさかではないですけど、お顔合わせしようにも蜷川家なんか俺しかいないんですよ。相手だってそういうの知ったらドン引きだと思いますが」

「いや、面倒なくて良いと思うかもしれない。婿に欲しいみたいだし、しがらみがないのは悪くない」

「そんな犬猫のように気軽に」

「犬は大切な家族だって書いてあったぞ。写真もあったし。結構可愛い」

 その「可愛い」が、ゴールデンレトリバーにかかっているのか、それとも女性にかかっているのか、伊久磨は敢えて確認しなかった。


「とにかく。お客様には申し訳ないですが、迷惑です。女性ご本人ではなく、お母さまからというのもひっかかりますし。ご予約の確認電話は差し上げますが、その場で『ご相談』の件はお断りします。職場まで来られても話すことなんて、何もありません」

「……任せるけど」


 息巻いて言った伊久磨を、面白そうに見ながら、由春は口の端に笑みを浮かべた。




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