When you're looking for a friend,don't look for perfection,just look for friendship.

第43話 undying flower

 白髪でもなく、銀髪でもなく、強いて言えば灰色。


 どういう経緯でそういう色の抜け方をしてしまったのか知らないが、純喫茶「セロ弾きのゴーシュ」の店主しきみの髪は、蜷川伊久磨にながわいくまが初めて会ったときから変わらない。

 灰色。

 ゆるく天然パーマがかった髪に見え隠れする顔立ちは、彫りが深く、どこか見も知らぬ異国を思わせる。

 年齢はさっぱりわからない。

 肌質から二十代に見えることもあるが、日常的に覇気というものが一切ないせいもあって、ひどく老け込んだ印象のときもある。

 まさに年齢不詳。

 コーヒーは美味しい。


 休日。

 普段忙しく立ち働いているせいか、予定がなくても家でじっとしていられず、結局朝一で樒の店に足を運ぶことも多い。

(なんだかんだで、あの人の気の抜けた空気は悪くないんだよな)

 というか、落ち着く。

 もう数年来の顔見知りだというのに、実のある会話はほとんどしたことがない。


 話しかければ会話は発生するが、害にも毒にもならない天気の話のようなものだ。客に関して、名前や外見等から個体識別しているかも怪しい。

 日々来店する客の情報を多角的に頭に叩き込んでいる伊久磨からすると「それでよく仕事になっていますよね……」と、ネガティヴを突き抜けた結果、若干ポジティヴ寄りの意味合いで尊敬する相手でもある。

 さらに言えば、店が閉まっているのを見たことない。

 朝起きて朝食を目的に8時くらいに向かえば、すでに開店している。まったく客が入っていないのにも関わらず。

 樒のやる気のなさを思えば、(前夜から閉め忘れでは。むしろ閉めないから開いているだけでは)という線も捨てきれないのだが。


 しかし、その日は異変があった。

 やる気のない店が珍しく閉まっていた。

 店を開けていることだけが取柄なのに、唯一の取柄を放り投げて店主の樒はさてどこへ行ったのか。

 煤色の木造建築の前で立ち尽くしていると、霧雨が降り始めた。傘は持っていない。

 すぐそばの椿屋にいけば、かつて暮らしていた、勝手知ったる椿邸もあるし、どうにでもなる。

 そうと知りながら、伊久磨はわずかの軒下に身を収めて、人通りも車通りもない街路を眺めていた。

 少しずつ湿り気を帯びていくアスファルト。雨に濡れて緑の香りを立ち上らせる路傍の樹。

 しずかで、どことなく灰色がかって、時間の止まった世界に迷い込んだみたいだ。


「おや」

 どのくらいぼんやりしていただろう、すぐ横まで迫って来ていた樒の声で我に返る。

「おかえりなさい」

 かわすように身を避けて、樒が店の引き戸の中央に鍵を差し込むのを見る。

「いつからいたの。中で待っていれば良かったのに」

「鍵締まってましたけど」

 今まさに鍵を開けている樒の手元に視線を向けると「ああ」と頷かれる。

 姿勢がよくないせいで目立たないが、おそらく樒は伊久磨が知る中で伊久磨の次に身長が高い。並んでも、そんなに目の高さが変わらない。


「今日はサンタマリアは休みか」

 ガタガタと音を立てながら樒が戸を開けて中へ入っていく。続けて足を踏み入れながら、伊久磨は考えつつ答えた。

「『海の星』です」

「そうだった。海の星ステラマリスだ」

 それはそれで正確ではないのだが、気にしたら負けだ。何せ相手は樒だ。


 ウェーブがかった灰色髪で顔は半ば隠れている。身に着けているのは、いつも通りのシャツに茶色のベスト、腰から下にはベストと同系色でもう少し濃い色合いのエプロン。

「どこへ行っていたんですか」

 もちろん店内には他に誰もいない。

 会話している流れのまま、伊久磨はカウンター席に座った。

「川原。町内会有志のゴミ拾い。雨で終わった」

「えっ……」

 樒が世間と付き合っているのが意外で絶句してしまう。


「コーヒーいれるけど」

 オーダーを客に聞かずに勝手に決めてくるような店主だし。いいけど。

「お願いします。樒さん、そういうゴミ拾いとか、人間らしいことするんですね」

 驚いていたせいもあり、ごく普通に失礼なことを口走ってしまった。

 手を洗ってお湯を沸かしていた樒は、げんなりした表情で伊久磨を見る。


「失敗したよ。結構たくさんひとがいてね。知らないオッサンに絡まれた絡まれた。しまいに『兄ちゃん暗いな!!』なんてクッソ明るく言われたよ。相手葬儀屋だって。葬儀屋に暗いって言われる俺って何なんだ」

 怒っている。

 あの樒がいっぱしに怒っている。

(雨も降るな)


「葬儀屋さんは日常的に明るく振舞う機会は多くないかもしれませんが、個人の特性として暗いとは限りませんし。感想は自由でいいじゃないですか」

 あれ、意外とこれフォロー難しいな。

 手早くドリップの用意をしながら、樒は納得いかない様子で唸る。

「だけどさ、仕事で毎日毎日、涙にくれて人生一番真っ暗な客を相手にしているわけだろ。暗い雰囲気を見極めるにおいては一家言あるわけだろ。俺の暗さは葬式レベルなのかって」

 葬式レベル……。

「俺、数年前に家族の葬式出してますけど、自分がどんな様子だったかは全然覚えていないですね。葬儀屋の思い出も、なんだろう。棺桶に高いのと安いのがあるけど、どうせ燃やすし安いのでもそんなに変わらないってすすめてきたことくらいかな。意外と親切だなって思いました」

 家族三人を亡くした大学生相手に、営業をかける気力も湧かなかっただけかもしれないが。


「ああ、そうだ。そうだったね君。それで香織かおりくんが拾ってきたんだった。そのまま椿屋の子になるのかと思っていたら、いまはあれだ。サンタマリアのライオン丸のとこにいるんだった」

 たぶんライオン丸は、オーナーシェフ岩清水由春いわしみずよしはるのことを言っている。

(大体、海の星うち、樒さんの店からコーヒー仕入れているんだし、覚えてほしい)

「ライオン丸は元気にしている?」

 コーヒーの香りはたとえようもなく豊かで、空間を満たしていく。


「元気ですね。いついかなるときもシスコンとしての務めを果たしていますよ」

「シスコン?」

「少し羨ましいです。俺には年の離れた妹がいたんですけど、生きているときにあのくらい素直にシスコンしていれば良かった」


 目の前に、ロイヤルブルーのカップに注がれたコーヒーがソーサーにのせられて届いた。

 胸いっぱいに芳香を吸い込んでから、伊久磨はカップに手を伸ばす。

 そして、ふと樒を見た。

「樒さんもご存知ですよね、『ボナペティ』」

「ああ、あいつがこの店の裏でやってた学芸会みたいな店だろ。若いのががちゃがちゃ集まって、賑わっていたね」

 ……学芸会。学校祭とか、そういうイメージなのだろうか。この人の言葉選びはいつも適当だ。


「そのときのメンバーがいま『海の星』にいるんですよ」

「あそこたしか四人でやってたはずだ。よくあの人数でまわしていたよな」

 さらり、と言われて、カップに口をつけていた伊久磨は一瞬目を瞠った。

 すぐに瞼を伏せて、コーヒーを飲む。

(四人)

 一人、まだ会っていない。

 いつか会うのだろうか。素直に、会ってみたい、と思う。


 ちょうどそのとき、女性客二人が入ってきた。「ゆっくりしてて、トーストでも用意するから」と樒に言われて伊久磨はスマホを眺めはじめる。

 調べものを始めたらつい真剣になってしまい、時間がずいぶん過ぎてしまった。はっと顔を上げて辺りを見まわすと、女性客が会計を済ませて出て行く。なんとなく目で見送ってから視線を滑らせて、戸口の傘立てに赤とピンクの傘が二本残っているのに気づいた。

 立ち上がったのは、反射のようなもの。

「すぐ戻ります」

 樒に声をかけ、傘を手にして戸を開ける。


 光が眩しい。

 すでに雨が上がって、陽射しが注いでいた。

 見回して、女性二人の後ろ姿を見つけて駆け寄る。

「お客様」

 他の呼びかけも浮かばず、つい。

 振り返った二人は、おそらく伊久磨に母親がいたらこのくらい、という年代に見えた。

「傘お忘れですよ」

 仕事中でもないのに、完全に店員のような声かけになってしまう。


「あ、あら、あの……、ありがとう」

 おどおどと見上げてきたのは、おそらく身長のせい。圧倒する気はないので、手渡してさっと身を引く。

「少し降ったみたいですね。水たまりになっているところもありますから、足元お気をつけて」

 軽く言い添えて、踵を返した。

 背中に視線を感じるが、気が付かなかったことにする。

(今のひと、どこかで会ったことあるな)

 「海の星」のお客様かもしれない、と遅れて気付く。そうだったとしても、店のイメージを裏切る振舞いをしたわけではないので良しとした。

 それ以前に、いつから俺は「セロ弾きのゴーシュ」の店員になったんだ、とも思ったが、身体が動いてしまうのだから仕方ない。


 薄暗い店内に戻ったら、「サンタマリア、ありがとう」と樒にのんびり言われた。

「樒さん、取引先の店名くらい正確に覚えましょう。今度からこの店『オツベルと象』って呼びますよ」

 店名にしている童話と同じ作者の作品で、サンタマリアへの呼びかけがセリフとして頻出する童話だ。

 樒はちらりと伊久磨に視線を向けてから、うっそりと笑った。


「悪くないけど、象いないからな、この店」

「セロ弾きはいるんですか」

 樒が笑みを深める。

「弾いてあげようか」

 一拍置いて、伊久磨は小さく笑った。

「ゴーシュは下手なんじゃなかったでしたっけ」

「それじゃあ、トロイメライを君に」

 物語の中でゴーシュが弾く曲かもしれない。

 いつもより親切だ。

 

 樒は店の奥からチェロを持ってくると、適当に客席の椅子のひとつに座って調弦をはじめた。

 やがて、染み入るような音色が溢れ出す。


(トロイメライじゃない……)

 それは、聞き覚えのない曲。

 重く垂れこめた雲の切れ目から射す光のように。

 彼方から語り掛けてくる、たとえようもない優しさと労りに満ちた音。

 心の深いところに触れてくる。脆い部分と、か弱い部分を抱きしめて、もうどこにもいない幻を呼び戻そうとする。確かな強さで。

 祈りを、樒の指と弓が奏でる。


 真冬の山道で、滅茶苦茶になってしまった車の中で、両親と妹はどんな風に死んだのだろう。

 あまり苦しんでいないと良いのだけれど。




 弾き終わった樒に曲名を尋ねると、少し考えてから言った。

「undying flower」

 不滅の花。

 もう二度と弾けないよ、たった今君の為に作った曲だし、もう忘れたからと。


 ひどくやる気のない声で。


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