第42話 油断していると

「全員、やりたいことが多すぎるんだよなぁ……」

 というのが、本日のオーナーシェフの感想らしい。


 一時的に大変嫌な空気になりながらも、「サービス料10%は良いとして、デザートワゴンの件は」「オレはもう少しデザート作る方に集中したい。ケーキ販売したい」「ケーキは賞味期限が気になるけど、販売はもう少し拡充したい」などと言い合っているうちに、由春が音を上げた。

 その挙句、思い出したように言い出したのだ。

「そーいや、佐々木の歓迎会考えてなかった」と。

 心愛に殴り掛かられていた。


 かくして翌日が定休日ということもあり、撞球室という、現在「海の星」ではもっとも使いようがない部屋に集まって、なぜかビリヤードを始めることになってしまった次第である。

「なんでこの部屋遊ばせてるんですか。信じられない。個室にして個室料一万円にしましょう」

 心愛が部屋に入るなり声を上げた。


「それも以前からときどき話題にはしていたんですけど、単純に人手です。個室料一万円は言い過ぎにしてもある程度のまとまった人数の予約や、かなり気を遣った食事の席を取ることになるわけで。それこそ接待とか、両家お顔合わせのような」

 言いかけて。


「うわっ」


 いきなり、伊久磨が声を上げた。

「なになになになにっ!? ゴキブリでもいたっ!?」

 驚きまくった心愛が飛び上がって、近くにいた伊久磨の腕にしがみつく。

「ゴキブリはまずいでしょ。古い建物だけど、飲食店だし」

 しらっとして冷ややかなまなざしをくれながら幸尚が言う。

 なお、オーナーシェフは「飲み物と何か食べ物」と言いながらキッチンに引き返していた。

 その姿がないのをいいことに、伊久磨は声を潜めて言った。


たたえさんから予約受けていたの、岩清水さんに言ってない」

「ええっと。なんだ……思い出します。いまなんか変な話の流れだった」

 伊久磨の呟きを受けて、幸尚はビリヤード台に腰を預けると、目を瞑って考え込む仕草をする。

「いまの話の流れ? 接待とか両家お顔合わせ?」

 飲み込めていない心愛が、伊久磨の腕から離れながら繰り返す。


 しん。


 沈黙。

 沈黙につぐ沈黙。

 あらー……? と、心愛も口元を手で覆って声を発さないようにしながら二人を見比べていたが。


「なにこの雰囲気……。まさかハルさんの元カノとか、今でも好きな女性のお顔合わせとか?」

「はい、ビンゴ。合ってる。合ってる!!」

 幸尚が思い切りよく認めて大いに頷いていたので、伊久磨が慌てて訂正した。

「語弊がある。正しいけど、恋愛的な意味じゃなくて。お姉さんです」

「あの男病的なシスコンっすよ。あれ、知って……ました?」

 上司の性質を勢いよく暴露してから、幸尚は伺うように心愛を見る。

 一方、「まあ」と言っていた心愛は目を輝かせて二人を見た。


「そうだったの……? お姉さんがいるとは聞いたことがあったけど、そうだったんだ」

 どう見ても、感心頻りといった様子である。もう少し正確なところを言えば「いいこと聞いた」という顔をしていた。完全に、悪い顔だ。

 伊久磨と幸尚の間に、微妙な空気が流れる。

 口火を切ったのは、幸尚だった。


「そもそも、どういう繋がりなんです? なんでハルさんから声かかったんですか」

「なんで……。そうね、わたし最近まで東京で働いていたんだけど、実家がこっちで戻ってきたの。それで、たまたまハルさんがお店開いているって聞いて、『行ってみたいです』って連絡したら、『それは働くって意味でいいのか』って」

 あー。

 と、男二人でさらに色々、言うに言えない空気になる。


(わかりすぎて何も言えない……。目に浮かぶ)

 飲みながら「マダムの座を狙っている」などと勝手に言いたい放題した前夜のこと、大変申し訳ないという気持ちでいっぱいになった。


「岩清水さんとは、古い知り合いなんですか」

「うん、古いっていうか。ハルさん、何年か前に、一年間だけ市内の商店街でお店を持っていたことがあって。その頃私は調理師学校の生徒だったんだけど、平日夜と土日ランチでバイトしていたのよね。『ボナペティ』っていうお店。知っているかもしれないけど」

 幸尚にちらりと視線を向けられて、伊久磨が話の流れを受ける。


「風早さんも働いていたんですよね」

「あ、夏月兄さん知ってるの? わたしは東京で何回か会ってるけど。あれ……?」

「この間店に来たんです。帰省のタイミングで岩清水さんに捕まったって言っていたので、普段は東京だと思います」

 言いながら、だとすれば由春と、夏月と、心愛は椿屋の椿香織つばきかおりとも知り合いなのだろう、と理解する。

 そこに自分の知らない時間が流れていたのだと知りながらも、なぜか以前ほど胸が締め付けられる感覚が無い。

 手に入らないものへの憧憬が、薄れている。

(さっきまでアホみたいに喧々囂々していたせいかな。まだ気が立っていて、簡単に落ち込まないだけかもしれないけど)

 幻みたいな過去より、今はこの先の未来が気になって仕方ない。


「ハルさんのお姉さんのお顔合わせかあ……。ということはハルさんの御両親もいらっしゃるのよね。楽しみだなぁ。シェフから挨拶とかするのかなー。どういう料理にするつもりだろう。考えれば考えるほど面白過ぎる。ね、その予約いつ」

 ごとん、と嫌な音がして、ドアにワインの瓶を打ち付けながら由春が現れた。

 お疲れ様です! と幸尚が声を上げる。明らかに楽しんでいる。


「何か先に飲んでいたらいいんじゃないかと思ってだな」

 由春が、感情が留守になっている声で言った。

「すみません。一人で運ばせちゃって。手伝います」

 つい話し込んでしまっていたのを申し訳なく思いながら、伊久磨がワインを受け取る。

「ハルさん、わたし帰り車だからノンアルコール」

 心愛は容赦なく注文をつけていた。


「お顔合わせ……の、話に、聞こえたんだが」

「はい。水沢家と岩清水家の。いま仮押さえしている日があって、オーナーシェフに確認して貸し切りにしちゃおうと思っていたんですが」

 しれっと言った伊久磨に対して、由春は陰々滅々とした調子で答える。


「オーナーシェフって俺のような気がするんだが」

「そういえばそうでした。どうでしょうか。平日の夜ですし、無理して他に何席かとるより、特別コース六名様で貸し切りでいいでしょうか」

「特別コースってなんだよ。鍋でもつつかせておけよ」

 どう見てもやる気がなさそうで、投げやりに言う由春に、伊久磨はにこにこと微笑みかけた。


「湛さん、鍋の取り分けすごく上手いですよ。和嘉那さん惚れ直しそうですね」

 ずるずる、と由春がその場に沈み込む。


「えっ、なにこれ。シスコンってこういうこと? ちょっとカッコ悪すぎてびっくりなんだけど」

 聞こえる音量で心愛が正直な心情を述べ、幸尚が腹を抱えて笑い出す。

 二人の気持ちはわかるものの、しゃがみこんだ由春が大変憐れだったので、伊久磨もしゃがみこんで顔をのぞきこんでみた。

 まるでなぐさめるように、優しく。


「ついでに、予約の候補日湛さんに伝えたときに、飲み物の打ち合わせをしたんですが、和嘉那さんアルコールNGだそうです。料理に酒使うときも煮切ってアルコール飛ばしておいて、と言っていました。前にそういう予約受けたことあるんですけど、あのときはたしか女性が妊娠……」


 おめでとうございます!! と幸尚が声を上げるのを背中で聞きながら、伊久磨もついに堪えきれずに噴き出した。

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