第41話 どうか変化を恐れず
「早ければ来月から、サービス料10%加算を考えている」
閉店後。
あらかた片付けが終わって、さて帰るか飲むかというタイミングで由春が切り出した。
キッチンにて、全員揃って上がりの空気になっていたところだった。
今まで閉店業務は三人でやっていたので、四人になれば少し早くなるかというと、そういうわけでもなく。効率化できるなら早上がりのシフトの組み方があってもいいよなあ、などと一人で考えていた伊久磨だったが、藪から棒に何を言い出したのかとまじまじと由春を見てしまった。
サービス料?
概念とは知っていたが、いざ耳にするとあまり現実感がない。
一方で、心愛は頷きながら聞いていた。
「会計のときに気付いたけど、入ってないことにびっくりしたかな。このお店の仕事を考えれば頂いてもいいと思う」
由春も、なんでもないことのように続ける。
「サービス料10%、東京のレストランなら当たり前に頂いている。ここの場所柄、そしてスタッフに未経験者がいることで今まで踏み切っていなかったが、もし従業員を増やすならこれは外せないと思っている」
「タイミング逃すと難しいし、そのつもりなら早い方がいいと思います」
すぐに心愛も同意する。
何も言えないうちにどんどん話を進められて、伊久磨は呆然としてしまった。
幸尚はといえば、渋い顔はしているが、ひとまず何も言う気配はない。賛成か反対か、表情からはわからない。
「伊久磨」
名前を呼ばれる。意見を、という意味か。
少し考えてみたが、まとまらない。
「かなり反発がありそうな気はします。正直言えば、無謀かなと。ただでさえ『高い』イメージなのに、いきなり10%値上げして、お客様が納得するとは思えません。そのくらいなら、料理を値上げするか、グラスのドリンクを百円ずつ値上げするとか、もう少し目立たないやり方で」
姑息なことを言ってしまった。意外にも、心愛は「それも手ではあるわよね」と呟いていたが、肝心の由春の顔を見れば、まったく納得していないのがわかる。
「今、うちの店が予約の調整から当日までの流れでお前が担っている役割はかなり大きい。正直、たかが一回食事するだけで、ここまで細かく打ち合わせをする店はそうそうない。それだけの仕事をお前はしているし、今後さらにしていけばいいだけの話だ」
それだけの仕事を。
咄嗟に、言っている意味がわからなかった。
よくよく考えてみて、自分の話なのかと気付いたか、実感がない。
いや、頭ではわかる。「従業員を増やす」為だし、もっと言えば今は使っていない空間を改築して個室を作ったりと、将来的に店の経営を拡大する為の一歩だ。決して、伊久磨の仕事の話だけをしていない。それはわかる。
だが、料理や飲み物ではなく、形のない「サービス」に対して、まるで商品のように明確な値をつけ、レシートにのせるということ。それは、プレッシャー以外の何ものでもない。
目に見えない。触ることもできない。価値がわからない。そんなものでお金を頂けるのか。
サービス料10%をのせた場合、必ず反発はある。そもそも予約時に説明することから始めなければならないし、とりわけ常連客には今までとの違いを丁寧に、理解を得られるように話す必要がある。業務的にそれは自分の仕事だ。
(驕っていると、受け取られないだろうか)
料理ではなく、サービスで対価を得るというのは、主に接客にあたっている伊久磨が、「自分はそれだけの仕事をしています」と言い切ることでもある。
――パティシエが二人いるなら自分の食い扶持は稼がないといけないわけで
朝に心愛が言っていた言葉が、自分にも重くのしかかってくる。
稼がなければならない。だが、批判も反発もすべて自分が浴びると思えば、正直に言って怖い。
「俺は調理には手を出せないので、いまの自分の仕事を極めるしかないのはわかります。料理を作らずとも給料を得ているわけなので、『それ』が何なのかは突き詰める必要があるかもしれませんが。現状、岩清水さんもゆきも佐々木さんも、調理業務ができる上で俺と同じことができていますよね。ええと……」
何を言おうとしたのか、わからなくなった。
あまり前向きなことではないのは確かだ。
そこはさすがに由春に見切られていて、眼鏡の奥から鋭いまなざしを向けられた。
「馬鹿か。誰もそんな話はしていない」
「わかっているつもりなんですけど」
つい、言い返してしまってから、自分に苛立つ。
きちんと考えればわかる。「それだけの仕事をお前はしている」というのは、認めているという意味だ。
否定しているのは自分だ。
そんなわけない、同じポジションに立てばこの店のスタッフは全員同じことができると。
だが、そうしないのは、他の人間には「取柄」があるからなのだ。
他の三人は自分には出来ないことが出来て、自分にはこれしか出来ない。その差はあまりにも大きい。
「俺がいくら今の仕事を出来るつもりになっても、俺より上の佐々木さんがいて、しかも本職はパティシエだっていうし。仮に俺が今の佐々木さんの年齢まで調理の勉強をしても、同じことができるとは思えない」
「俺はお前が何にこだわっているかわからない。誰もお前に佐々木になれだなんて言ってない。お前は俺が顔を合わせてない客の顔も覚えて、予約名で来店してなくても対応する、いまみたいな仕事をしていればいいんだ。そんなの、気を抜いたらすぐに同じレベルでなんかできなくなる。他の部署の仕事ができないとか、よそ見している余裕なんかない」
「岩清水さんの言っていることはわかります。だけど、それだって特別な技術じゃありません。毎日表に立っていれば誰でもできることです」
売り言葉に買い言葉なんて、冷静ではない証左。
自分で自分が嫌になりながら、由春と睨み合う。
黙って聞いていた心愛が、伊久磨のそばまで歩いてきた。
「ねえ、蜷川くん。自分が一番下で、自分が一番弱い、自分は雑魚なんだみたいな考え捨てなよ。ハルさんはそういう風に君のことを扱っていないのに、そこに一番固執しているのは君だよね。これだけ経営者にたてつく人間が『弱い人間』だなんて、そんな話、私は信じない。仮にもしそうだとしても、君はその『弱さ』で他人を殴り過ぎている。それはね、『強い人』の振舞いだよ。自分を弱いなんて思っちゃだめ。それはずるい」
弱いなんて、言ってない。
というのは言葉の綾で、類することは思っているし、言った。
自分の自信の無さで、オーナーシェフに反発した事実は消せない。
言葉に詰まった伊久磨が許せないのか、心愛はさらに言い募る。
「他人を疑ったり恨んだりしていないで。ハルさんの言っていること、そんなにわかりにくくないよ。『お前のことすげー好きだ!!』って言ってんじゃん。応えればいいと思うよ」
「言ってない」「知りません」
由春と伊久磨が、同時に心愛への異議を表明した。
なぜかきょとんとした心愛は「おおっと?」と言いながら伊久磨と由春を交互に見る。
「言ってるよ? 今日バタバタしていた斎藤様の件、さっき聞いたけどさ。いや~見直しちゃった。予約名で入っているお客様じゃなくて、名前を聞いたこともないお連れ様でしょ。それでそこまで細かく覚えているってなかなか出来ないと思うんだけど。あ、美人さんだからかな~。好みのタイプなのかな~」
「なるほど。そうなのか」
心愛におどけたように言われ、由春にまで煽られ、思い浮かべてはみたが、イマイチぴんとこなかった。
「美人というか……。女性ですね。髪の長い。髪型変わったらわからないかもしれないです。あ、でも声を聞けばわかるかな」
できればあまり男性との組み合わせは変わってほしくないし、次は『このお店初めて』なんて隠さないで欲しい、というのはさすがに悪口になりかねないので胸の中で。
「ニナさんの好みって謎ですよね。好みっていうか、女性観かな。顔とか全然見てる気配ないのに、なんで同一人物だって把握できているかも謎……」
なぜか、珍しく、妙に言いづらそうに幸尚に言われた。
「雰囲気か、仕草かな。あの首の傾げ方の角度見たことある、みたいな」
「マニアック!!」
思いっきり幸尚に叫ばれて、黙る。しかし黙ってばかりいられないので、思わず言い返す。
「人間のどこを記憶するかは人それぞれだろ」
反論したのに、なぜか心愛にまで変な顔をされてしまった。
先程までの深刻な空気はいったいどこへ行ってしまったのか。何がそんなにいけなかったのか。
ちらりと視線を向けた由春には、完全に呆れた調子で言われる。
「お前は、自分が普通じゃないことにもう少し自覚を持て。話はそれからだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます