第39話 analyse et explication

「味のバランスがめっちゃ良くて、正直びびった……」

 というのが、幸尚の感想だった。


「ポルボロンはスペインの家庭菓子っていうのかな。日本の店頭で一般的によく見かけて馴染みのある『スノーボール』に似ていますね。あっちはアメリカだけど。その辺はそんなに作るのも難しくないと思うけど、バクラバはモロッコやトルコのお菓子、ブリガデイロはブラジル、ロクムはターキッシュデライトのこと。ナルニア国物語で、白い魔女がエドマンドを誘惑するときに使うお菓子っすね」


 その場では「まあ、悪くないんじゃないですか」とだけ言った幸尚と話す時間を持てたのは、その日のランチの後。

 朝は由春が来て、あまり話す間もなく忙しく業務がはじまった。

 ランチは満席で、伊久磨がディシャップをしながら心愛がホールスタッフとして動いてトラブルもなく時間は過ぎた。休憩でようやく、幸尚の作ったナポリタンを客席で向かい合って食べる運びとなり、朝の振り返りをしてみる。

 言いたいことが溢れて止まらないように、幸尚はとめどなく語った。


「オレ、『絵本や童話で見たあのお菓子・あの食べ物』っていう類の本が好きで結構見るんですけど。『ぐりとぐら』のカステラとか『カラスのパン屋さん』のパンとか、11ぴきの猫がコロッケ作りまくるのとか。まあ、全部好きだけど。誰しもあるじゃないですか。ちなみに、オレの場合、本で読んで、絶対食べてみたいと思ったのってロクムなんすよね。ナルニアです。兄弟とか仲間全部裏切っていいって思うくらい美味いお菓子って、どんなもんだろうって、想像もつかなくて。だけど、日本で普通に生活しているとまず出会わないです。初めて食べたのは親戚のおじさんがトルコ行くって聞いて、どうしてもって頼み込んで買ってきてもらったんですけど……、まあ……美味くはなかったんですよ。日本人好みじゃないとか、お土産品なんてそんなもんって理屈はつけられるんですけど……。椿屋のゆべしの方が百倍マシかなっていう」

「外国の菓子あるあるだな」


 期待したほど美味くないという現象は、特に土産品の場合かなりの頻度で起こり得る。

 それがかねてより気にかけていて、どうしても食べたいと思っていたものの場合、そのがっかり具合といえば、ご愁傷様というレベルだ。


「今朝の、ロクムが。見た目は普通なのに、『うまっ』て感じで……。なんだろうあれ。むしろ見た目が普通なのが怖い。全然期待しないで食べて、そりゃねーだろって。たぶん、あれをうちの店で出したとして、ロクムだと説明してもお客さん納得しないと思う。よそで食べたことがあれば、余計に。あれは『それまで好きじゃなかったものが、本当に美味しいものを食べて、好きになった』とか、そのレベルの思い出になるんじゃないかな……」

 時間は大切なので、幸尚が語っている間、もくもくとパスタを口に運んでいた伊久磨であったが、途切れたタイミングで口を挟んだ。

「絶賛してるように聞こえる」

 途端、テーブルの下で向う脛を蹴とばされた。

 幸尚も思い出したように冷えゆくパスタをがつがつと頬張り、咀嚼して、飲み込んでからグラス一杯の水を飲み干す。


「これが、マカロンだったならなんとも感じなかったと思うんです。有名店のマカロン食べたこともあるからどんなもんか想像つくし、自分でも作るし。だけど……、自分で『これはたぶんそんなに美味しいお菓子じゃない』と決めつけて、研究もしていなかったものを、『作る人が変わればこのくらいうまく』」

 両手を広げて、過剰な仕草で熱弁を振るっていた幸尚がそこで「ううぅ」と呻いてフォークをガランと皿に投げ出した。目を瞑ったまま、天井を仰ぐように顔を上向け、手で覆う。


「作る人が変わればってなんだよ……。オレあのちびっこ認めすぎだろ……」

 蹴られた向う脛は痛いままだったが、伊久磨は素直に感動して幸尚を見つめた。


「お前のそれ、美徳だよ。感情があれだけこじれていたんだから、難癖つけたっていいのに。しかもライバルなんだから、もっと粗探ししてもいいのに。認めるんだ」

 ううっ、と呻き声を上げながら伊久磨に向き直った幸尚は、どことなく情けないような、それでいて吹っ切れたような表情で笑みを浮かべた。


「技術を冒涜することはできないっすよね。それはさすがに、自分もダメになるから」


 思わず、真顔で見返してしまった。

(ゆきのそういうところ、美徳だし、怖いんだよな)

 他人を認める基準がハッキリしているから、上に立ったら容赦ないだろうなという気がする。

 好き嫌いではなく、能力で相手を見るということは、口先の媚びやおだてが全く通用しないということだ。そこに迎合したら「自分もダメになるから」。

 真田幸尚という人間は、堕落の道を選ばない。


「でも! 人間としては全然。オレは可愛くない女は嫌いです」

 言うだけ言って立ち上がると、食べ終わった皿とグラスを持ってキッチンへ引き返していく。

 その後ろ姿を見送ることなく、伊久磨は深く息を吐き出して、背もたれに沈み込んだ。


 幸尚が、研究や勉強をしているのはわかっているつもりだった。だいたい一ヶ月半から二ヶ月サイクルでメニューチェンジしているが、由春の作るコースにきちんと水準を合わせた新作を出してくる。それだけ見ても、パティシエとしての能力があることを疑ってはいなかったが。


 伊久磨にはまったくわからない、見た目にそれほど特徴があるとも思えない菓子の名前を正確に言い当て、背景まで押さえていた。

 勘や経験もあるだろうが、食や職に対する教養の高さが垣間見える。


 由春にも言えることだが「本なんか読まない」とか、そういった発言を冗談でも聞いたことがない。その料理や菓子にはどういう謂れがあって、どこの国でどういった場面で食べられるものか、さらにはどういった本や映画に出て来るまで、押さえるべきことはきっちりと知識として押さえていて、淀みなく出て来る。

 それが、技術とは別に、知識として料理や菓子を作る前提としてあるのは、並大抵の努力ではないように思う。

 特に、幸尚の実力に関しては、これまではどうしても由春と比べてしまっていた手前、過小評価していた感は否めない。

 のびのびと仕事に打ち込んだり、明確なライバルもいる環境なら、おそらく今よりもっと伸びる。


 ――パティシエのゆき君、あの子も相当頭良いよね。


風早かざはやさんは見抜いていたもんな)

 ピンク頭の奇抜な容姿や、斜に構えた言動の向こう側にいる、真田幸尚という人間を。

 自分より年下の同僚を、怖い、と感じた。


 さらに、佐々木心愛はパティシエとして、おそらくかなりの腕らしいということもわかった。

 同時に、ホールに立つこともできるし、伊久磨とは違うものが見えている。


 能力が高いことは喜ばしいことだ。焦ることでも怯えることでもない。

 朝、思いがけず二人で話し込んでしまったように、やりたいことは自分で思っていたよりたくさんありそうで、人員的な拡充で展望は広がる。

(店を大きくするというのが、具体性を帯びて来る)

 考えると、震えるような高揚もある。

 まだ使っていないスペースを客席としたり、店頭販売を始めたり。

 会社としては従業員の休日をもう少し増やすべきだとは思う。由春に代わる人間がいないのでそこは休めないとしても、他の社員はもう少し休みがあってもいいはずだ。

 やることが山積み。


(岩清水さんと話したいかな)

 ふと、思った。

 オーナーシェフの夢を知りたい。この店をどうしたいのか。


 その話し合いは、その日の閉店後、およそ最悪の形で持たれることになった。

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