Keep your friends close and your enemies closer!

第37話 Hello,my friend.

 理由があって、一時期、和菓子屋「椿屋」の店主椿香織つばきかおりと暮らしていたことがある。


 実は、当時の記憶はあまりない。


 きっかけは、甘い食べ物が好きだったこと。

 和菓子はどうだろうと思い立ち、学生時代、大学から歩いていける距離にあった「椿屋」に通い始めた。

 身長が飛び抜けて高いせいで、パートの女性たちにはすぐに顔を覚えられた。そのうちに、店と工場を行ったり来たりしている、茶髪長髪の和菓子職人と話すようになった。「ねえ。うちのパートさんたちがなんか怖いひとが来るって言ってたんだけど。何してるひとなの? 何食ったらそんなにでかくなるの?」洒脱な口調で相手から話しかけてきた。

 後に、「なんか怖いひとが来る」と噂になっていたのは本当で、用心棒気どりで張っていた、と打ち明けられた。

 それが椿香織との出会いだった。


 とはいえ、店にはせいぜい週に一、二回立ち寄るだけであったし、顔を合わせれば店内の座敷で茶を飲んでいけとすすめられることはあったが、大学生と社会人、特別深い付き合いになるわけもなく。

 関係性に変化があったのは、大学三年の冬。

 仲が深まったというより、均衡が崩れた、という方がしっくりくる。


 その年の暮れ、家族が死んだ。

 両親と妹。三人で乗った車が、冬の山道で転落事故を起こした。

 実家に帰って葬儀をすませ、何かしらやることはやったようだが、覚えていない。誰も帰ってこない実家に留まることができずに、逃げるように一人暮らしのアパートに戻ってきた。

 そこからの記憶がしばらく曖昧なのだ。どのくらいの日数、ぼんやりと過ごしたか覚えていない。


 気が付いたら、夜の雪道で座り込んでいて、

「最近店に来ないと思っていたんだけど、そこで何してるの?」

 キャメルのコートを着込んだ茶髪に声をかけられて、古い日本家屋の椿邸に連れ帰られていた。

 当時そこには、香織の祖父である椿の当主と、香織が二人で暮らしていた。


 何があったの、と聞かれたが、そのときはすでに発声も覚束なくなっていた。

 日常生活も満足にできなくなっており、見かねた香織に「好きなだけここにいていいから。気を遣う相手もいないし」と言い含められて。

 結局、それから一年以上、椿邸で暮らすことになった。

 途中で椿の当主が亡くなり、入れ代わりのように、他県に修行に出ていた香織の兄弟子である水沢湛みずさわたたえが現れたので、生活はずっと三人だった。

 やがて、大学卒業間際、進路をどうするか、という話になったときに、香織が「そういえば」と切り出した。


「何年か前に、この商店街で一年間だけ創作料理屋を開いていた料理人がいるんだよね。店は結構うまくいっていたんだけど、市の空き店舗利用プロジェクトでいろんな若者にチャンスを、ってことで期間限定で閉店してる。そいつの後に店やった奴はすぐにだめにしちゃって、プロジェクトも終了したんだけど。で、その料理人がさ、海外に出ていたらしいんだけど、最近帰国して、今度は市内の洋館でレストラン開くんだって。スタッフ募集中って聞いた。結構クセはあるんだけど、悪い奴じゃないし。伊久磨いくまも椿屋のバイトで接客自体は大丈夫そうだからさ、思い切って働いてみたら?」


 そのときはまだ「海の星」の名前も決まっておらず。

 ひとまず話を聞きにいっただけなのに、古ぼけた洋館をひたすら掃除していた、眼鏡の気難しそうな男に「よし、お前はあっちだ」と出会いがしらに巻き込まれてしまい。

 なし崩しに従業員にされてしまった。

 レストラン「海の星」は、そこから二人で始めた。


          *


「二人でやるかってところに、ユキがぎりぎりで加入して、三人でま~、頑張ってきたよねぇ」

 行きつけの焼き鳥居酒屋のカウンターで、なぜか香織と飲んでいた。

 気付いたら、横にいた。


「なんでいるんだ……? いつからいたんだ?」

 何を飲んでいるかもわからない。銘柄は何か確認したはずなのだが、覚えていない。とりあえず自分が今飲んでいるのは焼酎の水割りである。たぶん。

「はいはい、伊久磨そうやって俺を邪険にしないように。今日あたり、いるかな~と思って」

「ああ。湛さんが椿邸出たから寂しいんだ。飲み相手がいなくて」

「いや~~? あの人とはべつにあんまり飲まなかったし? いないからってどうってことないけど? わかにゃん♡と楽しくやってればいいんじゃないの?」

 早口に言い切ってから手酌で日本酒を猪口に注ぎ、浴びるようにあおっている。


「あ〜マジあのオバサン無理。ほんと無理。可愛くない女の子になんの価値があるんだ」

 左隣の香織に対し、右隣には幸尚。

 舌まで青くなりそうなハワイアンブルーを一気に飲み干していた。


「お前最近付き合い良いけど、彼女は大丈夫なのか」

「ニナさん空気読めない技能試験一級認定します」

「転職することがあったら履歴書に書けるかな、それ」

「書きたいなら認定証くらい発行しますけど『ばっかじゃねぇの?』って言いたい」

 いや、もう言われてる。


「なんだお前ら、『海の星』やめんの?」

 香織が、完全に面白がっている顔で、伊久磨の肩から腕にしなだれかかる。

「熱い重いやめろ」

 邪険に追い払おうとして、ふと動きを止めた。


 ――絶対に膝にのると決めている、暑苦しい猫みたいなひとだよ。どこにいても引っ付いてくるから……


(湛さん。いらない情報ありがとうございます)

 半身に香織の体温を感じつつ、これが和嘉那さんだったらそりゃのろけたくもなるわ、と胸中で猛毒を吐き出した。


「別に今すぐってわけじゃないですけど! なんかハルさん、えっらそうなパティシエのオバサン雇っちゃったんで! オレはお役御免ですかね〜」

 幸尚は、恨み節を炸裂しながら「椿姫」と、カクテルを追加注文。「何それ、俺も」と香織が横から口を挟みつつ、伊久磨にさらにしなだれかかった。


「経験者のスカウト? 岩清水の知り合い?」

「みたいですね。……オバサンではないですよ。若いです。あと、ユキ、『可愛くない女の子になんの価値が』もだめだぞ。コンプライアンス的に。セクハラとかその辺」

「ニナさんなんか初日から超ウルトラスペシャルハイパーパワハラ受けてたくせに」

 言い返されて、伊久磨はとりあえずグラスに口をつける。


「なに、そんなに強烈なひとなの? ていうか、若い女性? ついに男の園に女性現る? 恋は?」

「「有り得ないっっ」」

 幸尚と伊久磨の心とセリフが完全に一致した。

「なんで? 既婚者?」

 香織は特に空気を読むつもりがないのか、あるいは単に面白がっているのか。

 伊久磨は視線をさまよわせつつ、呟いた。


「知らないけど。ただ、岩清水さんがあの人をどう思っているかはわからないかな」

「そっすね。スカウトしてくるくらいだから嫌いではないでしょうし可愛いし、見た目だけ。仕事はできる『つもり』みたいだし? 案外結婚の前触れで、気がついたらマダムにおさまってるかも」


 マダム……。

 思い浮かべて、伊久磨はふっと吐息した。


「この規模の店なら、夫婦でやっている店も多いよな。マダムか……だとすると、一番いらないのって俺だよな」

 ごく普通にその考えに行き着いて、酔いのせいか簡単に口にしてしまう。途端、横の幸尚から、腕に頭突きをされた。


「ところがあのオバサン、パティシエを名乗ってますし、シェフパティシエ第一希望らしいですからね。まず先にやり合うのってオレですよ。あ〜、負けたくね〜。まあ、腕に関しては明日以降ですけどね。何作るのか楽しみにしてるっすよ」

 ガバッと「椿姫」をあおる。いちいち悪酔いしそうな飲み方をするな、と思った。今まであまり一緒に飲む機会がなかったので、気づかなかった。


「なんだろう。だいぶ面白いことになっているみたいだけど、今度予約入れちゃおうかな」

 クスッと笑みをもらしながら、香織は赤い「椿姫」に満たされたカクテルグラスを傾ける。


「ハッ。一人で来たら鼻で笑ってやるっすよ」

 幸尚が、伊久磨越しに挑発するように香織に向かって言う。ぎう、と幸尚の身体が伊久磨に押し付けられる形だ。

 かと思えば、もう一方から香織が「ああそう。じゃあ、ちょっとデートの相手と調整するから」と余裕綽々に答える。何故か伊久磨に寄り掛かったまま。


(やめてくれ……。両側に男だ。どっちを見ても男だ。俺だって、和嘉那さんが良い……ッ)


 悔し涙にくれそうになりながら、いや、人の妻になる女性でそんなことを考えてはいけない、と思った。


 何故かそのとき、今日見たばかりのふわふわでくるくるの柔らかそうな茶色髪が脳裏を過ぎったが、最前までの思考とは差し当たり無関係に違いない。

 ただ、今晩は夢に見そうだな、と思った。


 もちろん悪夢だ。

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