6 純度100%ピュアココア

第33話 スイート

 見覚えのない予約が一件、増えていた。

 ランチの終わり頃の時間。すでに満席取り終えていた後に、席の回転を見越しての一名分。


 予約名:佐々木    連絡先:        

 コース:


 パソコンの管理画面に入力された情報は、空きだらけで要領を得ない。

 エントランスに設けられたカウンターでその画面を眺めて、蜷川伊久磨にながわいくまは少しの間考え込んでしまった。


 レストラン「海の星」の予約受付や管理は基本的に伊久磨の仕事であり、提携している予約サイトからの予約を入力するのは伊久磨が行っている。

 とはいえ、他の社員が電話を受けることはもちろんある。画面に入っているということは、オーナーシェフの岩清水由春いわしみずよしはるかパティシエの真田幸尚さなだゆきなおのどちらかが入力しているのだ。

 眺めていてもよくわからず、伊久磨はノートパソコンを開いたまま持ち上げ、足早にキッチンに向かった。


 ふわっと蒸気がくる。

 ランチの仕込みに向けて、二人が忙しく立ち回っていた。

 一瞬躊躇したものの、伊久磨はディシャップ台越しに二人に向かって声を張り上げた。


「今日のランチ、予約一件増えています。一名の佐々木様の予約、どっちがとりました?」

「俺。俺が入れた」

 スープをかきまぜていた由春が顔を上げる。


「情報が少なすぎます。十二時から同じ佐々木様で一件ありますし、できればフルネームを。あと、検索できなくなるので、ご存知なら電話番号。コースは決まっていますか?」

 由春は、ポケットにつっこんでいたスマホを取り出して操作し、画面を表示した状態で伊久磨に差し出した。


 佐々木心愛 090-xxxx-xxxx


 情報を拾って、画面に入力してから、伊久磨はスマホを由春に返す。調理器具以外のものを触ったせいか、由春はさっと手を洗っていた。

(女性名……?)

「読みも」

「ココア」

 簡潔に答えて、冷蔵庫に向かう。思い出したように振り返る。


「料理は俺が適当に作るから、コースは空けておいていい。あと、大丈夫だと思うけど、来たときに席空いてなかったら、待たせていいから。満席とは言ってある」

「わかりました」

 なにぶん、作業が忙しそうだったので、伊久磨はそこで切り上げた。

 由春の個人的な知り合いで、自分で予約を受けてねじこんだということはわかった。キッチンが把握しているのであれば、材料が足りないだとか、準備がないというトラブルになることはないだろう。


 由春は、国内外問わず、色々と店を渡り歩いていたようだし、当然色々な場所に住んでいたはず。知り合いもそれなりにいる。実際、「岩清水シェフ」が店を持ったことを祝して駆けつけたお客様も、これまで何人かいた。

 個人的な知り合いが訪ねてきても何もおかしなことはない。


(佐々木ココア様か……。若い女性のイメージ?)

 見たらすぐにわかるだろうか。

 その時間帯に、女性一人で現れたら、もちろんその予約しかないというのは頭に入っていても、ご新規で初めましての相手だけに顔がわからない。忙しさに追われていたり、会計の流れで声をかけられた場合、うかつに「ランチの受付は終了しています」などと言わないように気を付けねば。


「開店します」

 壁に掛けた時計を見上げて、伊久磨が宣言した。二人から素早く返事がある。

 オープン十五分前。最初のゲストは表で出迎えたい。今日もオープンから予約がフルで入っている。

 パソコンをぱちりと閉じて伊久磨はエントランスへと引き返した。


          *


 レストラン「海の星」は、昼夜ともにコース料理を提供しており、価格帯も気安く行けるファミレスよりは高めの設定である。

 そのせいもあってか、子連れの利用は多くない。


 予約時に子ども同伴の禁止をうたっているわけではないものの、細かく問い合わせがあった場合は、授乳等のスペースがないことや、壊れやすいアンティーク家具が多数あることは伝えている。子持ちのスタッフがいればもう少しお客様視点で何が必要かわかるかもしれないが、今のところ独身男三人、うまくスペース作りが出来ているとは言い難いので、対応できない可能性も伝えている。

 とはいえ、やはり利用数の少なさから、これまでのところ大きな問題になったことはなかったが。


(やられた)

 予約の段階で二名と聞いていた女性名のお客様が、それぞれ一台ずつベビーカーを押して現れて、伊久磨は内心で早くもダメージを負った。


 あくまで食事をするのは大人二人だから、という理屈かもしれないが、断られるのを恐れて、子連れであることを事前に伝えてくれない客はときどきいる。

 店側としては、相談さえしてもらえたら、他の席と少しテーブルを離し、衝立なども置き、お客様同士で気兼ねないように過ごしてもらう工夫をするとか、ベビーカーを置くスペースを周りに確保しておくなど、事前に対策をとれる。

 正直、変に隠して騙し討ちのようにされる方が、困る。


「少々お待ち頂けますか。お席をご用意しますので」

(端の席の予約と入れ替えて、テーブルを離そう。うまく空間を作れば、ベビーカー二台そのままテーブル横につけられるはず)

 ちらりと見てみた印象だが、立って歩くような子どもではなく、本当に赤ちゃん、という感じだ。

 寝ていてくれればそんなに騒ぎにもならないように思う。お客様本人もその心積もりなのだろう。


「予約入れましたけど」

 予約名の方と見られる若い女性が、焦ったのかきつい口調で言ってくる。

「はい。ご予約は確かに。ただ、お子様のことをお伺いしておりませんでしたので。ベビーカーのままお席に進めるように……」

 伊久磨が話している間に、連れの女性に「言ってないの?」と聞かれて「聞かれてないし」という会話を始めてしまう。


(この予約、サイト経由のはず。子どもの入力欄パスしたんだよな。見落とすような作りじゃないし)

 子どもの人数を入れれば、年齢などを入力する項目が出る。

 そういった特記事項のある予約が入った場合は、伊久磨から電話をかけ、子ども向けのコース設定がない旨を伝え、食べられる範囲で何か単品を用意するかなど細かく確認しているのだ。


 それでなくとも、0歳といった年齢の場合は、授乳スペースはないことやおむつ替えも化粧室の簡単な台しかないこと、また店の雰囲気などを伝え、場合によっては「少し遅めの時間にすると、他のお客様を気にせずごゆっくりして頂けるかもしれませんが」と提案するようにしている。以前、子どもが泣いて何度も席を立ち、いたたまれない顔をしている女性の対応をした経験からだった。

 店側として、子どもを拒否しているわけではない。ただし、子ども向けに作っている空間ではないので、快適に過ごすためには工夫が必要だと考えている。

 だから、隠さないで欲しい。それだけなのだが。


「あ、あそこの席がいいな。あそこ広そうだし」

 客同士で話しながら、ふと予約名の女性の方が、エントランスからホールをのぞきこみ、空いている席を指さして言った。

 伊久磨は最大限の笑顔を意識して答えた。

「本日はご予約で満席でして、あちらは人数の多いお客様のお席としてご用意しております」

「席の指定なんかできるの? それも聞かれてないわ」

「お席の御指定は承っておりません。ご人数様とお時間帯によって、こちらで決めさせて頂いております」

「ランチ久しぶりだから。一番良い席がいいな」

 会話……。

(噛み合ってないかも)

 意図的に逸らされているというより、店側の説明がことごとく耳を素通りしているようだ。 

 正直、ピーク時にこの押し問答がすでに、胃が痛くなるほどの時間のロスでしかない。


「お子様も一緒に落ち着いて過ごして頂けるように、少し席の配置を変えますので。お待ちください」

 結局最初の申し出に戻る。

 ここで打ち切って、さっさと用意しないと、とホールに引き返そうとしたとき。


「可愛いーーーー!! 二人ともすごく可愛いですね!! 何か月ですか?」

 ベビーカーに近づきすぎない位置から、赤ちゃんに手を振りつつ、若い女性が声を上げた。


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