It's never too late to have a happy childhood.
第20話 Happy Birthday My dear.
「ちょ、なんで俺呼ばれたの。意味わかんないんだけど」
カウンターの並びの席、伊久磨の横に腰掛けながら、椿香織が眉間に皺を寄せて言った。
風呂上りで寝る間際に着替えて出てきたのか、ブルーと白のストライプシャツにジーンズというラフな服装に、茶色髪を適当に束ねている。
「何飲む? 晩飯は?」
「済ませてる。日本酒適当に」
伊久磨の差し出したドリンクメニューを突き返しながら、ほどよく空いた店内を見回す。
「平日ど真ん中だし、時間も時間だし、こんなもんか」
飴色につやつや光るカウンターに他に客はなく、テーブル席が三つ埋まっているくらいだ。
「お、『亜麻猫』がある。これボトルで。岩清水さん、良いですか?」
伊久磨と由春が最初に頼んだビールはそろそろ空く頃で、ドリンクメニューを眺めながら伊久磨が確認する。
「あまねこ〜? ん〜、まあいいや。好きにしろ」
焼き鳥の盛り合わせからタレの絡んだつくねを手にして、由春が大儀そうに答えた。
その様子を伊久磨越しに覗き込んで、香織は目の前に届いたおしぼりで手を拭きながら尋ねた。
「なんだ。お前の所の大将、機嫌悪そうだな」
去り際の店員を呼び止め、亜麻猫を注文してから、伊久磨はビールを飲み干す。
「ずっとこうだよ。湛さん明日もオフ?」
「そう、あの人休むの半年ぶりくらいじゃないかな。今日も結局工場に出入りしていたし。あっ、そういや昔世話になった職人が遊びに来るって言ってたけど、来なかったんだよな。海の星の予約どうしたんだ?」
「鰹のタタキ!」
由春が声を張り上げて注文を入れた。
「美人と食事して行ったよ。一応聞くけどまだ
「帰ってない。へぇ。湛さんがそういうの気取らせるなんて珍しいな。知り合いに紹介するなんて、結婚近いんじゃない」
ビールを飲み干そうとしていた由春が、むせた。
「大丈夫ですか」
伊久磨はおしぼりを差し出してから背中をさすったが、嫌そうに身を捩って由春はその手から逃れる。
「今日のあれはたまたまだ。何が結婚だ」
「和嘉那さん、今晩実家に帰るって言ってましたけど、帰りますかね」
「おいふざけんな。冗談でもそういうのはやめろ」
言い争う上司と部下を興味深そうに見ながら、香織はにやにやと笑みを浮かべた。
「和嘉那さん? まさか岩清水の姉さんか? 湛さんの相手が?」
「そう。お連れ様がお見えにならなくて、あわやキャンセルってときに、たまたま店内に和嘉那さんがいて。意気投合して食事のあと、夜の帳へ」
「伊久磨。尾鰭つけてんじゃねーぞ!」
「何がだよ。お持ち帰りですなんて言ってない」
「殺す」
拳を握りしめた由春を見ながら、伊久磨は盛り合わせから一串手にして由春の口元に突き出した。
「レバー美味しいですよ」
むぐっと口を開けた拍子に突っ込まれ、由春は口封じ(物理)される。
ちょうど席に届いた亜麻猫のボトルを店員から受け取り、香織が三人分猪口に注いだ。
「なんだ、そんな面白い話があったのか」
「以来このシスコンがずっと機嫌悪いままだよ」
「おい伊久磨! だいたい、あれお前が余計なことしたせいだろうが! あの二人は顔合わせさせなきゃ良かったんだって」
「そうは言いますけど、和嘉那さん、もともと特別コースのお客様にご挨拶にいらしていたわけだし。昨日岩清水さんが予約日時口滑らせたのが敗因じゃないかな」
「いや、予約に合わせていくつか間に合わせてもらう必要があって。やむなく」
敗因と言われれば敗因かもしれないと思い当たったのか、由春の勢いが弱まる。
いよいよ可笑しそうに笑みこぼしながら、香織が猪口に口をつけた。
「このお酒、美味しいね。ラベル可愛いなって思ったけど、海の星でも扱うの」
「どうかな。興味はあったんだけど。ん。確かにすごく特徴ある。果実酒みたいっていうか。岩清水さん、どうです」
「悪くはない」
本当に味わっているのか、かぱっと一口で飲み干してぶつぶつ言う。ラベルを眺めていた香織が、そのまま伊久磨の前に腕を伸ばして注いだ。
「まあ飲めよ。良かったな」
「何がだ」
「うちの
「うるせーよ。水沢に独立されたら困るのお前だろうが」
「ああまあ、そうね。湛さん俺より働くし、高給取りなんで」
「マジかよ。しっかりしろよ椿の若様」
自分越しにやり合う二人に関知せず、伊久磨はのんびりとボトルを受け取って和紙ラベルに描かれた猫を眺めていた。
そのまま、他愛無い話をしながら食事をしているうちに、由春が「おやっさん」とカウンター奥の店主に声をかける。
何気なく顔を上げて、伊久磨は「えっ」と言ったきり絶句した。
「おう、ハッピバースデイ」
「お疲れ様伊久磨。何才になったんだっけ?」
カウンター越しに白い小さなホールケーキを差し出され、両側から声をかけられて伊久磨は凝固する。ややして、ボソリと言った。
「これ、まさかユキのケーキ?」
マカロンや飴細工などで所狭しと飾り付けられている。
「そうそう。デートだから参加しないけど気持ちだけだって」
先に出て、この店にわざわざケーキを持ち込んで預けて行ったということか。
「それは別にデート優先で全然良いけど、オッさんたちでわざわざこんなサプライズ考えてくれたんですか。ありがとうございます」
「オイ、オッさんってなんだよ」
照れ隠しみたいに酒を煽る由春を前に、伊久磨もうまく言葉が出てこない。
香織だけが面白そうにニヤニヤと笑って言った。
「そうだよ伊久磨〜。コイツ意外とマメじゃん? 誕生日に一人で誰もいない家に帰すのが忍びなかったらしいよ」
「椿はペラペラうるせぇな」
遮るように声を上げる由春に構わず、香織は伊久磨にフォークを差し出した。
「甘いもの好きでしょ、食べちゃいな」
一人で? と思いつつ、伊久磨はフォークを差し入れる。横から手を出した香織がパッションピンクのマカロンを摘み上げて、軽く眺めてから口に放りこんでいた。
「あ〜、ユキのケーキだな。あいつ生クリーム美味いよな。甘すぎなくて」
なんと言って良いかわからず、伊久磨は一口食べてから講評を述べる。
「材料が良いだけだ」
横から由春が手を伸ばしてきて、チョコレートプレートを掠め取って行った。
(それを食うのか)
俺の名前とかHappy Birthday とか書いていただろ、と腑に落ちない気持ちで目を向けた伊久磨の目の前で、ぱくりと一口で食べられてしまった。
なんだこいつら結局ひとのケーキ食べているぞ、と思いつつ伊久磨はフォークでもう一口すくう。
誕生日祝い、確かに店ではよく見かけるが、自分については考えてもいなかった。よくよく思い出してみると、前の年は閉店後に店で少し飲んだかもしれないが、ハッキリ覚えていない。
「あ〜あ。最愛のお姉さんが結婚しちゃって、伊久磨にも彼女が出来ちゃったらどうするんだろうね〜このオッさん」
香織が猪口を傾けつつ、にやにや笑って言った。
「水沢が家族になるくらいなら、伊久磨で良かったんだが」
本当に小さな声で由春が呟いた。
その意味を考えかけて、伊久磨はすぐに打ち切った。
「一応言っておくけど、俺は岩清水さんはお兄さんにいらないですね」
あ、義弟かな、と言ってから気づくが特に訂正せずに放置。
「その気持ちを忘れるな。それが今俺が水沢に抱いている気持ちだ」
憎まれ口を叩き、つまらなそうな横顔を晒して、由春は猪口を傾けていた。
(了)
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