3 星祭りに会いましょう

第15話 一水盈盈

 レストラン「海の星」の食器はすべて、オーナーシェフ岩清水由春いわしみずよしはるの実姉、岩清水和嘉那わかなの手掛けるブランド「和かな」のものを使っている。

 と言うと聞こえは悪くないが、実質和嘉那本人が一人で山奥の工房にこもり、土を捏ねたり焼いたり、たまにガラスを吹いたり捻ったりして黙々と作り続けている。そのため、大変忙しいらしく、比喩ではなく滅多に人里に降りてこない。

 たまたま、前日の定休日に「時間が空いていたので」蜷川伊久磨にながわいくまは由春とともに和嘉那の工房を訪ね、新作食器を引き取ってきていた。

 店で使う分はすでに倉庫に運び終えて検品も済ませているが、販売に回す分は伊久磨の担当となる。

 その日は、エントランスのディスプレイを考えるため、伊久磨はいつもより早く出社していた。


          *


 初夏。虫が入って来るのは頂けないが、冷房を入れるよりは外からの風の方が心地よく、伊久磨はドアを開け放って作業をしていた。

 一枚一枚薄紙に包まれ、丁寧に梱包された食器類を段ボールから取り出して、色合いを見ながら配置を考えていく。

(紫陽花きれいだな)

 涼やかなガラスの皿に紫陽花の絵付けがされた一枚を手に取り、伊久磨はぼんやりと眺めてみた。箱には綺麗な筆跡で「花紺青」と描かれているが、それほど暗い色には見えない。作り主の性格を考えるに「紺青」と「根性」でもかけていそうな気がする。邪推だが。


(見た目は綺麗なんだけど、背景が重要かな。やっぱりディスプレイ思いっきり変えた方が良さそう)

 飾る花やフラワーベースなど、店の雰囲気は、春から初夏へと徐々に手を入れてきたが、販売スペースにはいささか季節感の合わない花の描かれた陶器も並んでいる。ちょうど前の週にたくさん売れてしまったので、在庫品からいくつか間に合わせで置いていたのだが、新作に合わせて全体を調整した方が良さそうだ。


 展示台にしているのは、建築家がデザインしたというマホガニーのサイドボード。ふと、夏に向けてそこから一新しようかなと思い立つ。

 この店の以前の持ち主のもので、おそらく貴重品に違いないアンティークが店の奥の一室に集められている。かねてより、夏になったら漆に蒔絵と螺鈿の施された飾り台を出そうかと思っていたのだ。引き締まった黒が、重厚ながら目に涼しい印象だった。

「たぶんそれ、すごく高い」

 と、オーナーシェフの岩清水由春は言っていたが、使うなとは言われていない。


 台を移動するとなると、一人では難しい。無理して運んで破損するなどもってのほか。

 キッチンに声をかければ男手はあるが、さてどうしたものかと考えたそのとき。


「伊久磨」

 凛と冴え渡った夜気を思わせる、硬質な声に名前を呼ばれた。

 はっと気づいて立ち上がると、光を通すステンドグラスの下、戸口に見知った人影がある。


たたえさん。おはようございます」

 烏の濡羽色とはかくやという、艶やかな漆黒の髪に、黒すぎて青みを帯びて見える瞳の青年。身長はずば抜けて高いわけではないが、品の良い色白の細面と長い手足で、均整の取れた体つきをしている。

 身に着けているものは、きちんとアイロンがけされた白いシャツに細いジーンズで、片方だけ軽く袖をまくり上げた手首に腕時計。文字盤に特徴があり、以前見かけたときに「面白いですね」といったらフランク・ミュラーと言っていたはず。後から値段を調べてなるほどと感心した覚えがある。


「開店前に悪いな。通りがかったらドアが開いているし、姿が見えたから」

「今日は一日オフなんですか」

「朝だけ少し出てきた。最近香織かおりが」

 言いかけて、ふっと形の良い唇に笑みを浮かべる。


 香織というのは、「海の星」とは何かと繋がりのある和菓子屋「椿屋」の若旦那、椿つばき香織のことであり、経営者にして和菓子職人でもある。

 彼を呼び捨てにしている青年は、椿屋の職人、水沢湛みずさわたたえ

 先代が急逝し、店を継いだ香織が何かと行き詰っていたときのこと。

 修行先からひょっこりと戻ってきて椿屋を立て直した、腕は確かな香織の兄弟子だ。

 以来、住人が香織一人となっていた、古くて広い日本家屋である椿邸で同居もしている。

 職場も一緒、住まいも一緒。

 ただし顔を合わせると喧嘩が絶えない犬猿の仲の二人であった。


「香織がどうかしたんですか」

 それほど興味はなかったが、付き合いで先を促すと、湛はにこにこと笑って言った。

「茶道の知り合いの女性から、ウェディングケーキみたいなものを頼まれたみたいで」

「ウェディング羊羹ですか」

 以前ちらりと聞いたときは嘘か冗談かわからないが、そんなことを言っていた。まさか特大羊羹になんらかの飾りつけなんて芸の無いことはしないだろうが。


「何かしら考えてはいるみたいで、ぼんやりしている日が多いから、少し厳しくしておかないと」

「湛さんの少しは少しじゃないですよ。どう見ても即死レベルです」

「まだ死んでないよ」

 殺す気だ。

 涼しい顔はそのままに、湛はくすくすと笑いながら続ける。


「しかしその結婚式が、七月七日らしいんだ。『七夕モチーフとか和菓子屋さんは得意そうですよね!』って言われたっていうんだけど、面白いよね。織姫と彦星って一年に一回しか会えないんだけど。その結婚大丈夫なのかなって」

 言い終えてから、実に鮮やかにあははっと軽やかに笑い声をあげた。

 雇用主にして同居人である香織に「魔王」と言われるゆえんである。


「あの、湛さん、それご本人に言ってないですよね? 織姫と彦星といえば、すごく愛し合っているカップルの象徴ですよ。絶対に別れないイメージで縁起が良いと思いますよ俺は」

 会ったこともない新婚カップルのフォローをする伊久磨に対し、湛は目を細めて言った。

「へぇ。伊久磨も口がうまくなったものだね。今度『海の星』でウェディングなんか受けることがあっても大丈夫そうだ」

「有難いですけど、実際に受けたら従業員が全然足りないので助っ人が必要ですね。椿屋は何人貸してくれるんですか」

「なんでうちから借りるつもりになってるの。育てなさい。あと、もしもの時の為に経験は大事だから」

 そこまで言って、湛は一瞬だけ考えるように視線をさまよわせた。


「……誰一人結婚しそうにないし、結婚式に呼んでくれそうな友達もいない男ばかりだね」

「椿屋のお二人にもそのまま当てはまりますよねそれ。どちらかが結婚なんてことになったら、海の星うちは店を閉めて全員でお祝いに駆けつけますよ。絶対呼んでくださいね」

 力一杯やり返したつもりであったが、湛はすうっと伊久磨の横をすり抜けて床に置いてあった段ボールの元にしゃがみこんだ。

(聞・け・よ)

 頭痛を覚えつつ見下ろすと、湛は、繊細な菓子を扱う綺麗な指先でそっと紫陽花のガラス皿を持ち上げていた。


「『和かな』さんの新作」

「そうです。昨日引き取ってきました」

「並べなくていい。一通り買う」

 即断即決。

(そうだった。このひと「和かな」の大ファンなんだ)

 覆面作家というわけではないが、聞かれたこともないので、女性であることも、由春の姉であることも伝えたことはない。

 ただただ、湛は「和かな」の作品が好きらしい。それだけ好きなら作家のことも少しくらい気にならないのかなとは思うものの、「ここに来れば新作が手に入るならそれで十分」とのことだった。どうも、クリエイターの素顔を知るのを忌避している節がある。素顔を知ろうが知るまいが関係ない。そこに作品があれば、ということか。


 湛も、その毒舌に似合わず、本当にうつくしい菓子を作る。

 作ることに向き合う誠実さには、何一つ嘘がないひとだ、と香織が評していた。声に、じわりと敗北を滲ませながら。


「湛さんすごいですよね。和嘉那さんの新作出る頃合いがわかっているみたい。以心伝心というか」

 偶然通りかかったんじゃなくて、昨日の休日あたりに仕入れに出たんじゃないか、と見越して来たのではないかと思ってしまった。

 湛は名残惜しそうに立ち上がると、「今晩は無理でも、車で来たときに引き取る」と言う。

「一点ものは取り置きしておくので、後でゆっくり確認してください。それ以外は少し店頭に出します。ちょっといま季節感合わない作品も並んでいますし、せっかくの新作なので」

 ここは譲れないとばかりに伊久磨が言うと、湛も深く頷いた。


「そうだな。今晩の食事のときに、見るのが楽しみだ」

 にっこりと感じよく笑う。

「ああ、遠方からお知り合いがいらっしゃるんですよね。ご予約ありがとうございました」

 夜に湛から二名の予約が入っているのはもちろん把握しているので、如才なく答えた。

 女か!? と「海の星」の面々が浮足立つのを牽制する為にか「昔世話になったひとだよ。ご老人だし旅の途中だから優し目の料理で。お酒はお好きな方だけど、たくさんは召し上がらないから良いものを入れておいて」と事前にきっぱり言われており、メニューも打ち合わせ済みだ。


「今支払っておこうかと思ったけど、足が出ないように渡すと勝手に上限までそっちが合わせてくるからね。かえって気を遣われるし、直前にするよ。由春は変なところで器用だから」

 以前の予約で、料理予算一人一万円、飲み物で五千円程度という打ち合わせで、事前に新札の三万円を封筒に入れて渡されたことがある。五千円は心付けのつもりだったのだろうが、由春が料理のグレードをひそかに上げたことに気付かれていたようだ。


「こちらはいつでも構いませんので。今晩お待ちしております」

 何か用事でもあるのか、或いは開店前の立ち話に気を遣ったのか、湛がドアに向かったので、見送りがてら伊久磨は声をかける。

 肩越しに振り返った湛は、おっとりと笑って言った。


「よろしく頼むよ。楽しみにしている」

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