A little house well filled is great fortune.

第14話 Home,Sweet Home.

「だめだな」

 岩清水由春いわしみずよしはるの一言に、蜷川伊久磨にながわいくまは小さく吐息した。

 自信はあったのだろう、得意満面で皿を差し出していた真田幸尚さなだゆきなおは、さっと顔を強張らせた。


「だめだなって。なんでだめなんですか。だめならだめなりに理由を説明してください」

「考えろよ自分で。なんでも俺に聞くな。だめなものはだめだ」

 胸倉掴めるほどの距離に詰め寄って、幸尚は柳眉険しく由春を睨みつける。

 ピンク髪で、可愛いものが好きで、普段はふわふわと笑っているイメージの幸尚だが、自分の作った皿でぶつかった場合、簡単に引き下がることがない。


「説明できないなら、もっともらしいこと言わないでくださいよ。ダッセェ」

 うん。

 始まったな、と伊久磨は視線を滑らせて仕事を探す。

(シルバー磨きでもするか。いや、下手に凶器になりそうなものは並べない方がいいか)

 そうでなくても、キッチンには刃物や鈍器が豊富に揃っている。

 血を見ないように、二人を見張っていた方が良さそうだ。


 一方、面と向かってダッセェ呼ばわりされたオーナーシェフもまた、完全にブチ切れ三秒前の顔をしていた。


「説明説明うるせえんだよ。作ることで納得させられなかったなら、それが全てだ。『この料理のポイントはここなので、もっとよく味わってください』なんて客に言うのかお前は。料理人は、言葉で説得なんかできねえんだよ。まずいって言われたらそれまでなんだ。甘えてんじゃねえよ!!」

 結局キレたな、と伊久磨は薄笑いを堪えて見守っていた。

 岩清水由春は、案外簡単にキレる。

 そして幸尚も血の気が多いので、当然キレる。


「ハルさんのそういうとこ、ほんとだめだと思うんですよね。料理人に幻想抱きすぎ。言い訳すればいいじゃないですか。言い訳できるのも、謝れるのも生きている人間の特権ですよ!! 現に今オレこうやって『まずいもの食べさせたのは悪かったですけど、どのへんまずかったんですかね?』って謝って教えを乞おうとしているわけだし」

「うるせえな!! 今までの流れのどこにお前から俺への謝罪があったよ! 捏造してんじゃねえよ! 伊久磨!!」

 うわ、きた、面倒くさいな、と伊久磨は反射的に身構えつつ「はい」と返事をする。


「幸尚が何言ってんだか俺にはさっぱりわからないんだが」

 説明できるものなら説明しろ、お前が、ということらしい。

(マジかよ。こういうときの岩清水さんほんとに手がかかるよな)

 幸尚の言っていることが理解できないのだとすれば、完全に由春側の理解力の問題だと思う。だが、そう突っぱねたら確実にこじれるのは目に見えているので、堪えた。

 軽く咳払いして、考えをまとめる。

 この際思いっきりクールダウンしてもらえるような話をせねばと。


「今、現代アートと括られるものの始まりをどこに置くかは諸説あるものの、美術の本を手にしたときにマルセル・デュシャンの『泉』から始める解説は結構ある。それまでの写実的な絵画などとは違って『これは一体なんなんだ。どこが芸術なんだ?』という衝撃を世の中にもたらしたとの意味において。デュシャンはすでに亡くなっているので今から解説を求めることは出来ないけど、現に活躍中のアーティストでも『不可解』と感じる作品を出してくるひとはいるし、場合によっては本人による解説が作品を補完することもある。つまり、生きている人間には、作品を出して終わりじゃなくて、自分自身で言い訳する余地があるんだ。或いはクラシック音楽が流行らないのは何故かという話に、こんな笑い話がある。女子高生が『だってショパンもベートーヴェンも新曲出さないじゃん』と言った、という」

「結論」

 由春に促されて、伊久磨は穏やかを心がけて言った。


「現に生きている人間は、ぐずぐず言い訳する余地があるし、新しいものを作り続けることで過去の天才よりも今を生きる人々に受け入れられる可能性だってある。幸尚が言っているのはそういうことだと思う。生きている者同士、作り手と受け手の間には対話の余地がある。岩清水さんはそこを否定しすぎている。少なくとも、だめだと思ったらだめだと思った理由くらいは伝えるべきだ。意地悪な徒弟制度でもないんだし、こんな小さな店の中で自己満足こじらせられるとこっちはいい迷惑なんだよ」

 口調はおさえたつもりだったが、本音はもれなく吐き出してしまった。

 由春は、一瞬天を仰いでから、深い息を吐き出した。そのついでのように言った。


「配合と温度調節。今のままだと舌触りが悪すぎる。気づけよこの程度」

 憎まれ口は健在であったが。

 それを聞いた幸尚が、ぱっと一気に太陽が出たように表情を明るくした。


「すごいですよハルさん!! やればできるじゃないですか!!」

「うるせええええ!! なんだよそのウエメセは!! なんで俺が!! お前に!! 褒められなきゃいけないんだよ!!」

「褒めて伸ばすって大切ですよ、経営者の基本です!! せっかくだから『成功例』として記憶に刻まれて今後も実践できるよう、印象付けようとしているんですよ!!」

「うるせえ、マジうるせえわ!! だからなんでお前はそうナチュラルにウエメセなんだっつーの!!」

 殺すぞクソガキとか、そろそろ言い出しかねないなぁ、と思いながら伊久磨はキッチンを後にした。


(ユキのあの天然上から目線はなんだろうな……。あいつも「経営者」型なのかな)

 今はまだみんなの弟分ポジションに甘んじている幸尚だが、神経の図太さや性格のキツさ、根性の据わり具合は由春にまったくひけを取らない。

 いつも最終的に由春を納得させるものを出してくるということは、おそらくかなり努力もしている。


 ノーゲスト。

 閉店後の、灯りを落として静まり返った店内を軽く見回して、伊久磨は胸中で呟いた。

 いつまでこの三人でやっていけるのかな、と。



 ランチ用のデザート、豆腐で作ったガトーショコラをその翌日幸尚はきっちりと照準を合わせて作り上げていた。由春のたった一言の忠告で伊久磨にもわかるほどに完成度を上げていた。

「良いな」

 と、由春もその出来を認めた。


 実際にメニューに加えると、糖質制限でヘルシーなデザートとして、テイクアウトの希望が出るほどに好評を博することになる。


 なお、諍いの翌日、二人は前日の険悪さを微塵も感じさせない、いつも通りマイペースな会話で忙しい営業に立ち向かっていた。



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