第13話 手の中の星

 サクッとナイフを入れて、一口。

 食べる瞬間は、見ないつもりだったけど、見てしまった。

 ちらっと目配せを受けて、お呼びですか? と。声に出さずに控え目に尋ねてみるが、どうもお呼びらしい。


「今日はいかがですか。シェフ、だいぶ緊張していると思いますけど」

 隠し立てせずにあけすけに尋ねると、北川はふふっと笑いながら伊久磨を見上げた。

「いやあ、美味しいね。マンボウの唐揚げなんて初めて食べた。これなんだろう、衣が変わってる」

「柿の種を使っているんです。新潟の」

「お菓子の柿の種? 言われてみれば確かに」


 料理の細部は、最初から説明する場合と、聞かれたときに答える場合、伊久磨の中では自然と分けられている。

 ものすごく興味津々で、なんでも意欲的に聞いてくれる女性グループには細かく話すこともある。逆に、会話が弾んでいるカップルの席などは説明を最小限にすることも。サービスに差をつけているのではなく、相手が一番必要としているものに対応した結果だ。

 北川の席では、簡単に料理名程度にとどめた。結果、興味を持って聞いてくれて、会話の糸口になった。一人客だし、他の客もいないので会話をするのはやぶさかではないのだが、料理を運んだタイミングで長々と話し込んで、最初の一口を食べる前に冷めてしまっては元も子もないと。


「前も思ったんだけど、皿も綺麗だね」

 今日のメインに使っているのは、水彩画のように淡く椿が描かれた粉引き皿。

「『和かな』という、若い作家さんの作品です。『海の星』の料理に合わせて作ってくれているんです。エントランスに販売用も何枚か並べていますし、受付カウンターの花瓶も同じ作家さんです」

 ときどき聞かれるので、伊久磨も特に調べに戻ることもなくすらっと答える。

 ブランド名「和かな」は、岩清水和嘉那わかなの作品。新作を卸すときや打ち合わせに時々「海の星」を訪れる。由春の姉である。文字数多めの強そうな字面だが、実際強い。

 その後も、少し話をして、デザートまで食べ終わってから、北川は席を立った。


「今日はとても美味しかったよ」

「シェフに伝えさせて頂きます」

 由春を呼ぼうか呼ぶまいか、悩んでいるうちにカウンター前まで来てしまう。

 できれば自分だけではなく、オーナーシェフに見送りもして欲しいと思う反面、由春も北川も変に刺激したくないという思いもあり、結局一人で見送りとなった。玄関を出て、表門まで歩きながらまた少し話をする。

(次も……)

 気に入ってもらえたのであれば、またのお越しをお待ちしておりますと言いたい。ものすごく言いたい。

 言いたいことは言ってしまえ。言わないよりは全然良い。何しろ、気持ちが伝わる確率が跳ね上がる。


「またお近くにお越しの際は、ぜひ。お時間帯は今日くらいになりますか」

「そうだね。開店早々一人客で席を埋めても申し訳ない。お酒を頼むわけでもないし」

「そこまで気を遣って頂かなくても。食べたいときにどうぞ。最近はたしかに満席になることも多いので、今日のようにご予約を頂いた方が確実ではありますが」

 ピークの時間帯、飛び込みの客は断ることもままある。このお客様は断りたくないなと思いながら少しくどい説明をしてしまった。

 ちらりと見上げてきた北川は、笑いながら「なるほど。また来るよ」と言って、門を出て行った。

 頭を下げて、後ろ姿を見送ってから、伊久磨はしばらく放心していた。


 また来てくださいとお願いして、また来ると言われた。

(すごく良いお客様だ。逃さなくて良かった……)

 本人が言うように、一人だし、お酒を頼むわけでもないし、客単価が高いわけでもなく、もちろん売り上げに対して劇的に「良いお客様」ではない。

 それでも。




 安堵して店内に引き返すと、由春が最後の席を片付けていた。

「俺がやりますよ。シェフは休憩していてください」

 まだウロウロしていたのか、さっさと寝ろ、と。言葉にこそ出さなかったが、お盆を奪う。

 おとなしく奪われた由春であったが、何か言いたげに伊久磨を見上げてきた。

 胡乱げに見返しながら、伊久磨はつい言ってしまった。


「……挨拶くらい出てくれば良かったのに。料理、褒めてましたよ」

「必要ない。伊久磨のお客様だから」

 変な言い回しだなと、眼鏡の奥で妙にキラキラしている目を見ると、由春は口の端を吊り上げてにやりと笑う。

「俺の料理じゃない。お前の顔見に来たんだよ、あのお客様」

「見ても面白いもんじゃない」

「まあ、面白くはない。見どころは身長くらいだな」

 言ったことを全肯定されたのに、腑に落ちない気分になりながら、伊久磨は「俺のお客様……」と呟く。

 

「この間、帰り掛けにぐずぐず言っていただろ」

 そこ見ていたのか。

 恥ずかしいような、いたたまれないような気分になって軽く睨んでみたが、すでに由春は背を向けていて、追いかける形になった。

「そうですね、ぐずぐずは言いました。岩清水さんの態度に納得がいってなかったから」

「そうだな。お前がぐずぐず言ったから、また来る気になってくれた。予約も電話で声聞いただけですぐにわかったんだろ。それで実際に来店して、食事して、帰り掛けどうだった。また来るって言っていたんじゃないのか」

「言ってました」

 キッチンに入って、お盆にのったカップ&ソーサーを洗い場に置いて振り返ると、由春と目が合った。


「なんですか」

「ありがとな」


 さっと背を向けて、忙しない足取りで休憩室に戻っていく。

 呆気に取られて見送ってから、伊久磨はシンクに寄りかかった。

(俺のお客様? 料理じゃなくて?)

 摩訶不思議なことを言っていた。見ても全然、全然面白い顔でもないし、面白いトークをしたわけでもないのに。

 岩清水由春の料理目当てに来る客はたくさんいる。むしろそれ以外の何があるかと思っていた。

 自分は表に立っているが、黒子のようなもので、いざとなったら取り換え可能な部品の一つのような感覚がずっとあった。それなのに。

 伊久磨は、手を開いてぼんやりと見つめた。


(俺も「海の星」の一員で良いのだろうか)

 ずっと手が届くことなどないと思っていた星が、実は手の中にあったような落ち着かなさで、伊久磨は手を握りしめた。零れ落ちて、消えてしまわないように。




 それ以降、平日昼間の遅い時間帯にときどき来店するようになった北川が。

 悪天候など、やむにやまれぬ事情で予約が立ち消えた日にも姿を見せては、店の売り上げに貢献してくれるようになる。

 「伊久磨のお客様」が、店の窮地を支えてくれるのは、この後のお話。

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