第11話 「あの日」の

 失敗して、反省して、身内でわかり合ったからといって。

「あの日」のお客様は帰ってこないのである。

 スタッフの入れ替わりが激しい店はさておき、「海の星」のように基本的に顔ぶれが変わらない店であっても、当たり前のことだが、客は毎日違う。

「あの日」の後悔を胸に、「その日」出会うお客様にどれほど丁寧に接したとしても、一度信用を失った客が再び来店することは稀なのだ。


 だからこそ毎日を大切に。

 一組一組、一人一人に対して、間違いが許されない仕事。



 二週間ほど経過していた。

 表面上は何事もなく、日々は過ぎていた。


 開店前、ブリティッシュガーデン風の庭にしゃがみこんでワイルドに伸びすぎた雑草を抜いたり、どこかから吹き込んできたゴミを拾って処分する。あらかた片付いたと、風にそよぐ草花を見回してから、伊久磨は立ちあがってふと空を見上げた。

 吸い込まれそうな青空だった。目に沁みる。手をかざして、ひさしを作った。


(レストランの接客係として、目指すもの、か)

 由春と幸尚は、キッチンで仕込みをしている。

 二人の手は、魔法のように次々と料理を生み出していく。

 伊久磨の手は、何も作らない。

 庇にしていた手を下ろす。

 この先何年もこの仕事をしたとして、一体何を身につけられるのだろう。


 料理を作ることができる二人は、その能力を簡単に示すことができる。

 たとえこの店を畳んでよそへ行くことがあっても、すぐにその実力を買われるはずだ。

 ひきかえ、伊久磨の仕事にはそういったわかりやすい判断基準が無い。

 もちろん、経験者である以上、まったくの素人とは違う動きができる自信はある。しかしそれも、店に立たせてもらって、お客様を前にしなければ満足に発揮できない能力だ。


 それでいて、この店でも、他の店でも、料理を運び、客席の様子を把握する者は、絶対に必要なのである。いなければ店が成り立たない。しかも、誰にでもできるわけではない。現に、料理が良くても接客態度の問題で選ばれない店もあるはずなのだ。

(今まで、岩清水さん一人に寄りかかり過ぎていた。自分の経験の少なさを、あの人がカバーしてくれるのは当たり前だと思っていた。だけど、あの人でも疲れるし、料理がまずいと言われたらムッとするし、間違えることはある。そこは俺がフォローするところだ)


 「あの日」は。

 何が正解だったのだろう。

(ピーク時を過ぎていたら、完売じゃなくても看板を下げるタイミングは確認すべきだよな。ラストオーダー直前に一人客を取ったからといって、それで営業全体のバランスを崩すくらいなら欲張らない方がいい。キッチンの疲れ具合はもっと見ておかないと)

 毎日、頭の中で、どこをどう改善していけるのか考えている。

 苦い後悔は「次」に生かすしかない。「次」は同じお客様ではないけれど。


「よしっ」

 声を出してみた。

 ぐずぐず悩んでいても、時間は待ってくれない。ランチタイムにはお客様が来るし(ありがたい)、夜も予約が入っている(ありがたい)。

 時間が流れ続けているからこそ、間違えて、間違えたことに傷ついても立ち止まってはいられない。

 今日もこの店を訪れるひとに、良き時間を。


 心に決めて、一度店内に引き返そうとしたところで、店の電話が転送される専用の携帯電話がポケットで鳴った。

「お電話ありがとうございます。レストラン『海の星』蜷川です」

 歩きながら電話を受けて、受付カウンターに向かう。

 昼にとれる予約件数、夜の空席、頭には入っているが、ネット予約も含めて確認するため、管理用のパソコンに向かいつつ話を聞いていく。


「本日ランチで遅めのお時間帯ですね。人数は、おひとり様で……」

 声。

 少し焦ったような話し方。聞き覚えのある声と気付き、カウンターの上で開いたノートパソコンの予約画面を見る。

(「あの日」は水曜日だ。ランチぎりぎりの時間の来店だったのは、この近辺で何か仕事をしていて、終わるとそのくらいの時間になる? まさか、この間の飛び込み来店を気にして予約してくれるのか?)

 ランチの混雑予想を思えば、はずれの時間帯の一人客は避けたいと思ったばかりだった。

 独断専行禁止。


「かしこまりました。ただいま確認いたしますので、少々お待ちくださいませ」

 電話を保留にして、キッチンに駆け込む。


「岩清水さん! この間のお客様、いま予約電話くれてる!! 時間帯良くないし、一名だけど、この予約取りたい!!」

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