第5話 宇宙の花びら
最後の花びら餅を配り終え、香織が同時に黒豆のブレンド茶を全員に配る。
花びら餅は、二つに折った丸い白餅にほんのりと紅が透けて見えて、甘煮した牛蒡が左右から飛び出して見える菓子だ。
由春の用意したお品書きには「御菱葩」と記されている。
「本日最後のお菓子に関して、少しだけご説明さしあげます」
綺麗、と言いながらスマホで撮影している女性陣の邪魔にならないように、控えめな声で話し始める。
「
コースの最後ということもあり、腹も満たされているせいか、皆興味深そうに耳を傾けている。
「ところで、このお菓子には秘密がありまして……。お行儀悪いなどと野暮なことは言いませんので、ぜひ餅を開いてみてください」
伊久磨の言葉に従って、ぱらぱらと「手で?」「箸は?」「箸はもうさげちゃったね」などと言いながら数人が折りたたまれている白い餅を開く。
その様子を見ながら、伊久磨は続けた。
「透けて見えていたのは紅色の餅ですが、これは四角い形をしていますね。一説には、中の餅が菱、つまり角をあらわし、外側の白餅で丸を現しているといわれています。実は何故このような決まりがあるのかははっきりわかっていないのですが……、万物を二元論でとらえる陰陽道でいうと天は丸を、地は角を表すとされています。つまり、その二つを内包するこのお菓子は、それをもって合わせて『天地』すなわち『宇宙』を表しているのではないかと」
そういう説もあるというだけですが……、どうぞお召し上がりください、と伊久磨が続けたものの、大体が突然の壮大な雑学に「すごい」という感想を言い合って笑っている。
(いや、普段はここまで料理に蘊蓄もどうかと思うんだけどな……)
気恥ずかしい思いから香織に目を向けると「いいんじゃない」とでも言いたげな視線を流された。
黙って聞いていた院長婦人はにこやかに笑っていたが、院長も目が合うとまんざらではなさそうな顔で「なかなか教養がある」と頷いていた。
*
積もりかけた雪を気にして、いつの間にか由春と幸尚が玄関から表門、駐車場の雪かきに出ていた。
相変わらず、抜け目がない。
いつでも当たり前のように先を行く。
帰るお客さんには、自分の足跡を踏んできてくださいと先導することになるかと思っていたが、そんなこともなかった。
その後、大いに巻き込んだ香織ともども打ち上げとなった。
「何か食いたいものがあれば作るが?」
という料理馬鹿の由春に対し、あきれたように「ピザとポテトとチキンとビール。帰りの運転は伊久磨」と香織は言い捨てて、キッチン横の事務室のソファにひっくり返っている。
出前だな、と由春に言われて伊久磨はスマホを操作してメニューを眺めて、注文をいれていく。
「ゆきも休んでな」
ちょうど片付けを終えた幸尚に声をかけると、ふらふらと事務室に引き揚げていった。
特に意図していたわけではなく、キッチンに由春と二人で残ってしまった伊久磨は少しためらってから口を開いた。
「院長先生、普段は飲まないよな。今日は奥様も『少しなら』ということでお出ししたけど、あれだな。酒が入ると口がすべる性格なのかも」
「そうだろうな。とはいえ、酒の失敗は他人にはどうしようもない。あれが本音だろうし」
「まあ……、『また来る』とは言ってくれていたし、年明けの予約も頂いたから。俺もどうかとは思ったけど、料理は楽しめてもその場限りだが、知識は持ち帰れるから。あれはあれで、院長先生に一矢報いるというよりは、全体的にウケて良かったかも。今の季節店とかデパ地下で『花びら餅』は結構見かけるし『これ、宇宙なんだよ』って帰ってから話のネタになったら面白いかなって」
「『その場限り』」
由春に強い口調で言われて、あ、と思いつつ伊久磨は「料理は芸術にもっとも近く、しかし芸術であってはならない」とうろ覚えの名言を口にして濁しておいた。
それでもなお由春が少しだけ不満そうにしていたので、仕方なく正面切って誉めておくことにする。
「和食で使う片刃包丁は刀の表面が陽、裏側が陰。食材を切るときに包丁の陽の面があたれば陽になり、陰の面があたれば陰になる。大根の場合、皮を丸く桂向きにする場合は陽で、切り落とすときは陰か? デザートに花びら餅を持って来た時点で、先付のふろふき大根はコース全体としてそこから意識して入れてるように思ったんだが」
いぶかしげに、ほんの少しだけ眼鏡の奥の瞳を細めて、由春は珍しくボソボソと言った。
「お前、俺が何か言わなくても、いつもそれだよ。大根と花びら餅からそこまで考察するとか。そういうとこが」
そういうとこが。
(いつだって先を行く岩清水さんに、追いつけるなんて思っていないけど。踏み締めた足跡を俺なりに追ってるよ)
それがいつか、後に続く者への道になると。今はまだそこまでは思えないけれど。
スタッフに失礼なことを言われて怒ったあげくに「行け」とけしかけてしまうシェフへ、思いは声に出すことなく。
目元、口元だけで笑いかけてから、片付いたステンレス台の上に残った椿屋の木箱に歩み寄る。
ひとつ残っていると信じた分はきちんとそこにあり、これは自分の分のはずだ、と遠慮なく手に取ってみた。
料理人や和菓子職人のように偉大なものは何一つ生み出せない掌の上に、宇宙を漂う花びらが一枚ひらりと舞い降りた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます