第13話 奴隷

薬草はすり潰して、その液を搾り取ることに意味がある。

独特な匂いを放つその薬は次々に患者たちに提供されていった。


少女は既に渡されていた薬の影響からか、目覚めていた。


「どこか苦しいところはあるか?」


少女はかぶりを振った。


「そうか。ならよかった」


「......運び屋さんこそ、お怪我は......」


「俺は大丈夫だ」


運び屋は少女の頭を撫でてやる。その後、気がついた。何の疑問もなく、この少女の頭を撫でたのだと。


心配はないと安心させたかったのだろうか。よく頑張ったと褒めてやりたかったのか。


運び屋は自らの手を凝視する。


この穢れた掌で撫でていいのか。あの日と同じようにはならないか。


「......も、もっと撫でてください」


「えっ?」


耳を疑った。やはりこの少女は何かが違うのだ。危機管理能力の無さだろうか。愛を味わったことがない。いや、今までの奴隷たちも愛の味は知らなかった。


少女の瞳を見ていると運び屋の頭の中のそんなくだらない憶測は何処かに吹き飛んでしまった。


少女の小さな頭に手を置き、黒色の艶やかな髪の毛を愛撫する。少女は笑わない。だが、心が温かくなるような表情を浮かべていた。


「ありがとう......ございます」


「別に、このくらいいつだってしてやる」


「私......売られてしまうけれど......運び屋さんに会えて本当にうれしいです......」


少し潤んだ目は初めて会った時の乾ききった目とは比べられないほどに輝き、人間らしかった。


「今......その子、なんと言った?」


知っている声が聞こえ、運び屋はふと振り返る。


「売られてしまう?どういうことだ」


「トージ」


目を見開いたその形相には裏切り者への怒りが写っていた。軽蔑を含んだその眼差しには先程までのトージの姿はなかった。


「答えろっ!」


怒りに満ち溢れたその咆哮たる声は部屋の外まで容易に聞こえ渡った。


「俺は......奴隷の運び屋だ」


それを聞き、トージは歯軋りをする。運び屋を見下すその目は鋭さを増していく。


「つまり......」


「この子は奴隷になる子供だ」


トージは運び屋に掴みかかる。剥がそうとするが、運び屋の力では冒険者の力にかなうはずもなかった。


トージに襟を掴まれて、思い切り投げられた。宙に舞った運び屋は受け身の姿勢を取る隙もなく、壁に激突する。

背中に砕けるような衝撃が走る。運び屋が激突した壁はヒビが入り、所々砕けていた。


「ぐっ」


運び屋は歯を食いしばる。恐らく本気で投げられた。


「おい。これで終わりだと思っているのか?」


70キロ以上ある運び屋をトージはいとも簡単に片手で持ち上げる。


「何故、こんなことをする?」


「仕事だからだ」


運び屋の顔面にトージの右の拳が入る。ドアを破壊し、外に吹っ飛んでいく。


「運び屋さん!」


トージの拳には運び屋の口の中の血がべったりとボンドのように塗られていた。


「大丈夫だ。すぐに救ってあげるから」


トージは腕を捲る。血管が多く浮かんだ太い前腕が明らかになる。運び屋のそれとはまるで違った。


「お前に剣は使わない。このまま殴ってやる」


「私情はない。これは仕事だ。買うのは俺じゃない」


立ち上がる運び屋にトージは拳を振るう。鳩尾に拳が入る。鈍い音と共に運び屋は血を口から撒き散らした。

運び屋は低く唸る。


トージは止まることなく、蹲っている運び屋の首根っこを掴み、もう一度顔面に拳を振るった。


「仕事?そんな仕事を認めるとでも?」


トージにとってはどんな理由であっても苦しむ人間を救うのではなく、悪人に加担する運び屋はどう考えても悪人としか思えなかった。


運び屋に覆い被さるようにトージがそこには立っていた。見下す表情を浮かべ、拳を強く震わせている。


「お前は間違いなく、悪だ。信頼していたのに」


勝手な信頼。裏切っていないのに裏切ったなどと喚く。勝手に期待し、それに応えられなかったら悪だとみなす。自分の解釈が全てだと思っている。


「運び屋が悪、か。確かにそうかもな。だがな、何も知らない人間がそれを語るな」


運び屋の胸が紫色に灯る。

その光は淡く、それでいて力強く灯っていた。



「誤解されることはよくある」


ニコラはそう言った。


「レクスなんてやってた人間がどうしてこんな穢れたことやってるんだって。実は奴隷の女趣味だったんじゃないかってな。俺はムチムチのよく食ってる女が好きなのにな」


ニコラの表情は変わらない。永遠に真顔だ。自らの性癖を赤裸々に暴露していてもその仮面は剥がれない。


「じゃあ、なんでこんなことしてるんですか?」


ニコラは当然というように即座に答えてみせた。


「寂しい奴らに少しの間でも居場所を与えてやるためだよ」





ぼんやりとした視界には蒼鉛色の雲が映っていた。左半身が地面に擦られて痛い。手と足は縄で括られているらしい。


唐突に後ろ襟を掴まれて、何かに放り込まれる。

馬の匂いがする。馬車のようだ。


腹部に強烈な痛みが走る。蹴られたらしい。そうだ。負けたんだ。それも圧倒的に。


2本冒険者と魔術師相手ではまるで歯が立たなくて当然だ。


運び屋の薄らとした視界にはトージに担がれた少女の姿が見えた。


「奇跡だな。この子、感染してなかったとは」


「この子は私たちで育てよっか」



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