第14話 欲

暗くじめじめと湿気に満ちたとした密室に運び屋はいた。

腕と脚は鉄の手錠で繋がれていた。


運び屋は咄嗟に理解した。

トージの逆鱗に触れ、半殺しにされたのだ。


なぜこんなものを持っているのかと疑問に思ったが、デイーク家と関係があると思えば納得できた。


この施設は恐らく魔女を収容する所だ。奴隷を閉じ込める牢屋に仕組みがよく似ている。


脱出を試みる。


腹部にハンマーで叩かれたような激痛が走った。実際にはハンマーで叩かれた方がよっぽどマシと言えるものではあるが。


やはり、素の力では鉄の錠は壊せない。奴隷紋の力を使えば可能ではあるが、今は使えなかった。

と言うのは、この部屋は黒魔術が全て封じられているから。


奴隷紋は直接的には魔術ではないものの、黒魔術の傀儡技法を少し用いている。

黒魔術を封じる魔術がかけられているこの部屋で奴隷紋による身体強化は望めない。


運び屋の頭を過ぎるのは、手錠ごと腕を切断すること。同時に運び屋の脳裏に少女を撫でたことが過ぎった。


ならばやはりキーピックしかないのだが、果たして出来るだろうか。この全身に痛みが走る状態で。


やるか、やらないかではない。やるしかないのだ。少女を取り戻す為にはそれしか方法がないのだから。


         *


少女が目覚めたのは感じたことがないほどに寝心地のいいベッドだった。

ヒルト村でのベッドも少女にとっては最高のものではあったが、それすら比べ物にならないほどだった。


「起きたか。調子はどうだ?」


そこにいたのは運び屋を吹き飛ばし、私刑をくわえた男だった。

少女は即座に起き上がり、鋭い目を男にぶつけた。


「......運び屋さんはどこ?」


少女は怒ったことがなかった。何を言われてもただ従うだけ。初めは泣いたり、反抗したりしていたが、それは相手の暴力を加速させるだけであると気付き、殴られても何の反応も示さなくなった。

現実に絶望したのもあるのかもしれない。


今日、初めて少女は怒りを覚えた。


この人間は自分の何を知っているんだと。許せなかった。不器用でも自分のことをしっかりと見てくれていた運び屋を蔑ろにしたのだ。


「君が俺に抵抗があるのは分かる。だけど、運び屋と一緒にいたところで未来はないんだ」


「......」


何も言えなかった。


運び屋は確かに市場に行ったあと、どうなるかは興味がないと言っていた。もしかすると盗賊に拐われたときのようになってしまうかもしれない。


悔しかった。初めて自分を大事にしてくれる人と出会えたのに、それは一時的であるという現実が見えるようになってしまった。


「俺たちと一緒に居れば君の命と健康は保証する。娯楽だって沢山与えられると思う」


ゴラク。

運び屋は与えてくれただろうか。

命があるということを教えてくれたが、それ以上のものは何も無かった。ゴラクってなんだろうか。

命すらないに等しかった少女にとって、ゴラクという不思議なトーンは綺麗な花を見ているようなそんな気分を味あわせてくれた。

しかし同時に、何か薄汚れたものが身体を蝕んでいく感覚が少女は感じていた。


「今までしたことない楽しいことをやらせてやれる」


生きるだけではなく、楽しいこと。

運び屋からパンを貰った時、少女は新しい感情を見つけた。それは楽しいだろうか。少女には分からなかった。

運び屋には色んな感情を教えてもらった。でも、どれがどの感情なのか知らない。


「......何をすれば......タノシイんですか?」


「それは人によって違うだろうね。俺が楽しいと思ってても君は楽しくないと思うだろうから。これから一緒に見つけていこう」


コンコンと扉を軽く叩く音が聞こえた。


「よろしいでしょうか」


少ししがれた低い声が扉の奥から聞こえた。


「あぁ、入って構わない」


「失礼します」


その声と同時に扉が開き、白髪に白い髭を綺麗に生やした皺の深い長身の男が入ってくる。黒いタキシードに身を纏っている。この屋敷の執事だろう。


「朝食が出来上がりました」


いつの間にか1晩渡っていたらしい。


「今行く」


男がそう言うと、執事は深く一礼して部屋を出ていった。


「朝ごはんだ。行こうか」



綺麗に磨かれた木製のロングテーブルにいくつも並んでいる高級そうな椅子。赤いカーペットが引かれ、天井には小さなシャングリラがぶら下がっている。テーブルの周りには2人の執事と3人のメイド、シェフらしき人間が1人立っていた。


「そうだ。自己紹介を忘れていたね。俺の名前はトージ・マリウス。この家は俺の相棒の家なんだ」


あんぐりと口を開けている少女を気遣ってなのかトージは家の説明をしてくれた。


「ふわぁぁ。早いのね」


情けないながらも美麗な声を聞こえる。少女は一瞬にして察した。この人間がこの家の長であると。


「昨日はゆっくり眠れた?」


「......は、はい」


「そう。ならよかった」


女は艶然として笑った。


「その女性はメルノワ・デーイク。ここの家の管理人」


トージが説明する。


「自分の紹介くらい、自分でするわよ」


メルノワはトージを小突く。この2人は随分と仲がいいらしい。


「まぁ、いいわ。さ、座って。朝食の時間よ」


少女の元にも皿が運ばれてくる。見たことない黄色いパンと、謎の甘い匂いを放つ液体。茶色い飲み物。フォークと刃物。

トージとメルノワは食べ始めていたが、少女は何をすればいいのか、分からなかった。


「これは......なんですか?」


「フレンチトーストっていうパンよ。そこのメープルシロップをかけて食べるの」


メルノワは自身のメープルシロップが入った入れ物を持ち上げて示す。


「この剣は?」


「それはナイフ。パンを食べやすいサイズに切るの」


メルノワは紅茶を飲んでから、ナイフを持つ。


「見ててね」


フォークでパンを固定してパンを1口サイズに切る。そして、フォークでそれを刺して口に運んだ。


「じゃあ、やってみて」


メルノワの視線は少女の小さな手に向けられていた。


少女はナイフとフォークを手に取り、メルノワが先程やったようにパンを切る。上手く真っ直ぐ切れなかったが、1口サイズには切る事ができた。


「いいね。その調子」


少女を見る目は柔らかく、何の表情も示さない運び屋とは随分と違った。


パンを口に運ぶ。舌の上で甘さが広がる。運び屋に貰って食べたパンとは、全く味も食感も違った。こちらの方が美味しい。


「......美味しいです」


「そう。よかったわ」


メルノワは満足そうに笑って見せた。


「そういえば名前を聞いていなかったな」


トージが顔を前に出す。


「......名前は......ありません」


そっか、とトージは笑う。


「じゃあ、今日から君はフィーリアだ」


少女の中に不思議な感覚が巡った。

少女はその名前を知っている。

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