第9話 災厄
「ここには入らない方がいいかと思います」
黄ばんだ布で口と鼻を覆っている騎士が必死そうに首を横に振った。もう一人の騎士は苦しそうな表情を浮かべているだけだった。
「伝染病か」
カータ村は汚染の一途を辿っていた。騎士が浮かべる表情はこの村の現状をよく映していた。
「でんせんびょう……?」
「人に移る病気のことだ。この村ではそれが流行っているらしい」
見るだけで病魔が村を包んでいるのが分かる。それほどまでにカータ村から放たれる異様な瘴気とも呼べるものは巨大なものだった。
「迂回した方がよさそうだな」
運び屋としてはこの村で病が蔓延しようが、何人死のうがあまり興味はなかった。それよりもこの村に立ち寄り、少女が感染することが何よりも恐れるべきことだった。
「この辺に村はあるか?」
運び屋の質問に苦しそうな表情を浮かべていた騎士は首を横に振って否定した。騎士の汗ばみ、蒼白となっている顔面は少女に臓器を刺すような恐怖を与えた。
「そうか」
野宿しかないか、と運び屋は憂鬱そうに溜め息をついた。
運び屋の脳裏には森にいた盗賊たちの姿があった。
——あの盗賊たちがただの氷山の一角で更なる人数で襲われたら、対応しきれない。魔法を使う奴はいないだろうが……
「私も……野宿は怖い……です」
少女は振り返った運び屋を上目遣いで見ている。
「分かっている。俺も好きではない」
運び屋はもう一度深く溜め息をついた。
「そ、それでもここには立ち寄らない方がいいです。今すぐこの村から離れるべきです」
騎士は鼻息を荒くしてそう言った。額に溜まる汗は池が作れてしまうほどに恐ろしい量だった。
「お前、大丈夫か」
「だ、大丈夫です……」
息苦しそうに喘ぐその姿は幾ら見ても、病人のそれにしか見えなかった。
騎士は目を虚ろにさせて、甲冑の音を鳴らしながら地面に膝から崩れ落ちた。そして喉が可笑しな音を鳴らし、口から溢れんばかりの鮮血を吐き出した。
「っ!」
運び屋はすぐさま自分の袖を千切り、少女に渡す。そして自分の口と鼻も自らの服で塞いだ。
「鼻と口を強く塞げ」
盗賊の方がよっぽどマシだと運び屋は感じていた。盗賊ならば自らの力でどうにでもなる。しかし病気のように目に見えないものの場合、運び屋にはどうしようもないのだ。
運び屋の持つ医療知識は所詮、応急処置くらいだ。それ以上のものは備えていない。
もう一人の騎士は顔を青ざめながら門を開き、斃れた騎士を持ち上げた。
「早く……逃げてください。ここはもう地獄です」
騎士は酷く陰惨な声でそう言った。
地獄。そう本当に地獄だった。村の姿は運び屋から見ても地獄そのものだった。
「……目を閉じろ」
少女の目を運び屋はすぐさま塞ぐ。こんな現実を奴隷とはいえ、幼い少女に見せるのはあまりにも酷だった。
「……どうなって……いるんですか?」
「見せられない」
地面には血反吐の痕が散らばり、患者たちはベッドが足りず、外にまで進出していた。醜悪な臭いと痛みに打ちひしがれ、漏れる呻ぎ声。家の陰には青くなっていた腕が覗いていた。
「離れるぞ」
血を吐くほどの恐ろしいほどの症状。運び屋とて全く予想だにしていなかった。
潜伏期間がどれほどなのかも分からない。そもそもこの感染症がどこまで広がっているのかすらも分からないのだ。
「……」
何かが地面に倒れる音が運び屋の耳に刺さった。
最悪の事態。運び屋は悪寒と背中に滲む冷や汗を抑えられなかった。
ゆっくりと振り返る。性にもなく、運び屋は恐怖を感じていた。現実を認めたくないと、何年ぶりかに感じた。
鉄格子の中には力なく倒れている少女がいた。
——こんなにも早く!?
感染スピードがこんなにも早いとは思ってもいなかった。今感染して、今発症したのだとしたら予防のしようがない。
しかし、運び屋は不思議に感じていた。
少女は元々最悪の環境で生きていた。感染症に罹っていてもおかしくはないだろう。だが、少女は罹っていなかった。それは少女は魔女の眷属だからである。腐ったものを食べても、環境が最悪でも身体は人智を超えて強い。
つまり、この感染症はただの感染症ではないのだ。
——魔女を殺すためには聖なる力が必要である。それが人間が作り上げた高尚なる力。魔法。その力は魔女を殺すための暴力であり、人間には暴力を持たない。人間には聖となるのだ。魔女だけに顕現し、力を発揮する。ときに剣となり、ときに盾となり、ときに薬となる。それが魔法である。
人間には効かないなど仮初めだ。暴力はなによりも平等だ。誰も肯定も否定も出来ない絶対的事実だ。
魔女に対する暴力という名の全てに対する暴力。
少女が病に侵された。
この病は魔法で出来ているのだ。
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