第3話 興味

「私は.......何処へ.......?」


「喋れたんだな」


「あっ」


奴隷として売られた子供で喋れないのはそんなに珍しくはない。

十分な教育を受けていない。

人とほとんど話さない。

そんな理由があって喋れない奴隷の子供は多い。

しかし、この少女は珍しく喋ることができた。


「奴隷市場だ。お前は奴隷として売られたからな」


運び屋は無表情で前だけをじっと見ている。


「そう.......ですか.......」


鞭に打たれた傷痕が塩を塗ったようにジクジクと痛む。

肩に、胸に、腹に、背中に...........。

顔に打たれなかったのは不幸中の幸いだろう。


「私は.......売られたらどう.......なるんですか?」


「市場で取引される。そこで一ヶ月以上買われなければ殺処分と聞いている」


無論、奴隷商人だって商人だ。仕事として奴隷を売っている。売れない商品はいらない訳だ。


物とは違い、奴隷は生きている。

人間だ。

食費だって最低限のものでも一応は嵩む。

奴隷を保管する場所だって必要だ。


「買ってもらえたら.......?」


「そこからは知らない。買った人間が決めることだ」


「どういうことですか.......?」


「理解能力が乏しいな」


運び屋は不愉快そうにベレー帽を被りなおす。


「奴隷は買った人間によって価値観が変わってくる。当たり前の話だ。ある者は仲間、ある者は玩具、ある者は性対象..................」


少女の体を蝕むように暴力的な言葉が襲う。


「例えば、イカれた拷問狂のサディストに買われたとする。そうしたらそいつはお前を鞭で痛めつけるだろう。例えば、お前を性対象と見た男に買われたとする。そうしたらそいつはお前を慰み者にするだろう。例えば、優秀な冒険者に買われたとする。そうしたらお前に良い食事と良い寝所をくれるだろう」


幸せになるなんて紙一重で、カードの表か、裏か。サイコロを振って奇数が出るか、偶数が出るか。そんなことなんだと運び屋はつまらなさそうに吐き捨てる。


「は......運び屋さんは?」


「俺は次の仕事に行くまでだ。お前が買われた後にどうなろうが興味はない」


少女は俯いた。


今の彼女にはそれしか出来なかった。


「だが」


と運び屋は続けた。


「市場まで、俺はお前の用心棒だ。仕事はちゃんとやる」


先程まで辛辣な言葉を吐いていたその男の言葉は何故か少女にとって温かくなるような優しい言葉だった。


カラカラと車輪の音が鳴る。


唐突に少女の腹が可愛らしく声をあげた。


「あっ」


懐中時計を確認すると既に昼は過ぎている。


「少し何か食べるか」


運び屋は懐から食糧袋を取り出すと、中身を確認する。


中には湿気たパンが二つだけ寂しく入っている。

運び屋は深刻な食糧不足に頭を悩ませた。


地図を開き、近くの村を確認する。


「今日はこの村までだな」


運び屋は食糧袋から無造作にパンを一つ取り出す。

そして、一つのパンを口に咥えると馬車を降りて後ろの牢屋の扉を開ける。

咥えていたパンを途中でちぎり、余ったところを少女に渡した。


「食え」


少女は酷く困惑した。

今まで自分が食べてきた食事はお世辞でよ食事と言えるものではなかったから。


「食べて.........いいんですか.........?」


「死なれたら困る」


運び屋は表情を崩さずにそう答える。


「そ......それでも......」


果たして人間が自分に対して食事を与えようとするだろうか。

死なせてはならないとはいえ、貴重な食糧を渡すだろうか。別にそれじゃなくても、腐った食べ物でもいいじゃないか。


少女はこの奇妙な状況に恐怖を覚えていた。この男は何を企んでいるのだろう。


「食えと言っているんだ。三度目はない」


運び屋は少女にさらに強くパンを差し出す。


「わかりました..........」


少女は恐怖を押し殺して、目の前のパンにむしゃぶりつく。


カビが生えていない。柔らかい。甘い。これが本当にパンなのかはわからない。それでも少女の舌に染み込むこの味には村で食べさせられたあの食事のような邪悪さは全くなかった。


「あっ」


不意に瞼からぽろぽろと何かが頬をつたる。


涙だ。


いつぶりに流したのだろう。

何故か溢れて止まらなかった。


「美味いか?」


少女は何度もしつこいくらいに頷いた。


「そうか」


「カビの生えたパンとか......腐ったものしか食べたことがなくて.......んぐっ」


勢いよく食べ過ぎたのか、喉に詰まり少女は胸を叩く。


「ゆっくり食え。パンは逃げない」


「逃げる.........」


少女は不思議な顔をした。


「どうした?」


「パンに足が生えるのかな.........」


運び屋は変わらず無表情である。


「面白いな」


無表情だが、少し柔らかく笑ったように少女には見えた。


「水は飲むか?」


「欲しい........です」


少女は運び屋を上目遣いで伺う。


差し出された腕には火傷の痕が見えた。


「焼かれたのか」


「えっ?」


「その腕の傷だ」


「そう........ですね」


と少女は自らの腕をまじまじと見ながら頷く。


「抵抗すると、鞭じゃなくて松明を.......腕に当てられました。一生痕が残るからだそうです」


その言葉通り、少女の腕には赤黒い痕が残っている。


「そうか」


運び屋は無愛想にそう答えると、水の入った瓶を少女に手渡した。

少量の水が満タンに入った小瓶だ。


運び屋はその小瓶を腰のポーチに幾つか入れているようだった。


「ありがとう..........ございます」


水の小瓶に色の薄い唇を当て、呷る。


少女がまともな水を飲むというのは久々なことだった。


泥水、どう見ても飲み水ではないもの。それならまだ可愛いものだ。出された水を飲んで死にかけたこともあった。

未だその水に何が含まれていたのかはわからない。わかりたくもない。


「飲んだら、また進むぞ。日が暮れるまでには次の村にはついておきたい」


運び屋は容赦なく牢屋の扉を閉めて、鍵をかける。


「日が........暮れる..........」


少女は呟く。


「お前は朝も昼も夜も知らないのか?」


少女はこくりと頷いた。


「夜は........怖いものだと聞きました........」


村の中年の女が言ったのだろう。


まぁそうだなと運び屋は馬車に乗りつつ、返事をする。


この世界以外に世界があるのかはわからないが、この世界での夜の暗闇への抵抗手段は虚しく乏しい。


光がないというわけではない。街にも村にも灯りはある。


問題は闇に潜む魔物だ。

殆どの魔物は夜行性だ。

夜目が効くのにわざわざ冒険者たちが活動する昼に出てくる必要はない。


「村に着けばある程度は安全だ。魔物が湧かないとは言い難いが」


運び屋は手綱を握ると、馬を歩かせ始めた。


「魔物......ですか......」


魔物、魔獣、上位種だと魔人や魔神だ。

村に現れるのはせいぜい獣が魔素を取り込んだ魔獣が限度だ。


「見たこと........ないです」


「太陽の光を浴びたことのないような奴が、魔物を見たことがあるわけないだろう」


「それもそう........ですね」


少女は表情を変えずに返事をする。


「倒せ.........ますか?」


運び屋が腰にぶら下げていた短剣を見てそう言った。


「まぁ魔獣の群れ程度ならな」


運び屋は軽く鼻を鳴らす。


「強いん........ですか?」


「俺のことか?」


少女は頷いたが、手綱を握って前を見ている運び屋には見えていない。


「そう............です」


運び屋は少し間を空けて、答える。


「お前一人を守れる程度には......な」


運び屋は何かを思い出したように俯いた。

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