第1話 運び屋の男

「ただいま戻りました。マルカードさん」


男の低いこえが市場に響き渡る。


「お疲れかな」


髭を縦に長く生やし、不気味な眼鏡をかけた中年の男が市場の奥からのっそりと出てくる。


背丈が随分と低い男だ。

この男がマルカードである。

それに続いて筋骨隆々な長身の男たちが出てくる。

晒された胸には淡い紫色の奴隷紋が妖美に刻まれていた。


「商品に欠損はないかな?」


マルカードが男の隣で縮こまっている少年を覗き込む。

絵具を垂らしたような茶髪の髪と鈍く青く光る眼を持った少年だ。 


「はい。何一つとして」


男は淡々としていた。質問されたことを只々返す。

感情というものがおおよそ感じられなかった。


「流石かな。君はいい仕事をするのかな」


不思議な語尾をつけてマルカードは愉快そうに笑った。


「商品をこんなに綺麗に運んできてくれるのは君だけかな。君はボクの商売に大きく影響しているかな。感謝しているかな」


マルカードは長く伸びた髭を手でしごく。


「仕事ですから。当然です」


愉快そうなマルカードとは裏腹に、男は相変わらず無表情だった。

その様子はまるで絡繰りそのものだ。


「相変わらずかな」


マルカードは微笑する。


「では、商品は回収しておこうかな」


マルカードがパチンと指を鳴らすとマルカードの後ろにいた男が一人、少年の手錠を引っ張った。


少年はか弱い力で抵抗するが、誰が見ても勝てるわけがなかった。

抵抗虚しく少年は市場の奥に連れて行かれた。


「それでは。俺は戻らせてもらいます。仕事をまた斡旋していただけると嬉しいです。ではまた」


男は深く頭を下げると、一瞥もせずに出口に向かう。


「ちょちょちょちょ。待ってくれるかな」


「何ですか?」


「いや、仕事がもう一件残っているのかな」


マルカードはズボンのポケットからしわくちゃになった誓約書を取り出した。


「これかな」


誓約書にはアレス村の文字。


「辺境の村ですか」


「そうかな。行って欲しいかな。それは中々の仕事かもしれないかな」


誓約書の概要を見るとそこには『魔女の眷属』と書かれていた。


「行ってくれるかな」


男は物珍しく考え込んだが、暫くして言葉を返した。


「分かりました」


        ✳︎


澄んだ自然の中、その馬車だけ景色と乖離していた。


茶色いベレー帽のようなものを被っている男は、肩から腰のベルトに繋がっているサスペンダーを弄っている。


景色から明らかに浮いているのは男の風貌ではなく、男の引いていた馬車である。

馬車の積荷はどう見ても人を乗せるようなものではない。


牢屋という言葉が最もしっくりくるだろうか。

牢屋自体は綺麗に磨かれているものの不気味な雰囲気は残ったままだった。


男は地図を広げ、丸で囲んだ村までの道筋を指でなぞる。

確認が済むとベレー帽を深く被り、再び馬の手綱を握った。


目的の村は辺境に位置している。村を抜けて更に奥に行けばそこからは他国の領土だ。


馬車の車輪が擦れる音が微かに聞こえる。


森を抜けると、遠くにぼんやりと巨大な壁が見えてくる。目的の村だろう。


回収に時間の指定がなかったか、男は上着の懐から誓約書を取り出して確認する。

商人用と運び屋用で二つ書かなければいけないというのが奴隷売買で面倒なところだ。

男に奴隷を売った経験などないのだが。

誓約書にはなるべく早くと書かれているだけで詳しい時間までは書かれていない。

と言ってもなるべく早くというものも時間指定みたいなものだろう。


「まぁ仕方ないか」


5日前の早朝に街を出発して、やっと着きそうだ。


この仕事に不満はないものの、一度の仕事で酷く疲れるのが難点だ。

文句を言うとしたら馬ではなく、王国騎士団が乗りこなす騎竜に馬車を引かせたいという点くらいだ。

騎竜は貴族でも手を出すのに迷うというほど高いのだから仕方ないが。

王族の権威と財産は凄まじいものだと実感させられる。


今回の奴隷に男はある種の既視感を抱いていた。

デジャヴ、というのだろうか。

いや、それとは少し違うのかもしれない。既視感の正体を男は把握していた。


「魔女の眷属、か」


男は不愉快そうに呟いた。


馬車を進めていっても村の様子は見えない。

荘厳な関所が構えているからだ。

関所が全ての村に作られたのは、つい最近の出来事だった。


王族に仕える最上位の占い師が、魔女が村々を襲うという予言をしたことかららしい。

街だけでなく、村でも奴隷馬車通行手形を見せなければいけないというのが中々面倒なものである。


関所にて銀色の甲冑を着た騎士に止められる。


「奴隷馬車通行手形を」


運び屋は上着のポケットからそれを取り出す。


「確認します」


髭を生やした騎士はそれをしっかりと確認し、頷いた。


「大丈夫です。ようこそ。辺境の村、アルス村へ」


ゴォと土を抉り取るような音がうるさいくらいに鳴る。

既に聞き飽きたような音ではあるが。


村は何か変わった様子もなく、『村』といった感じだった。

小さな家と畑。小さな家と畑。小さな家と畑。


数は数えられる程度だったが、奴隷を売るような血濡れた雰囲気の村ではなかった。

子供が運び屋の眼下を横切っていく。それを追いかけているのかもう一人、子供が横切った。


「あのー」


薄汚れた中年の女性が作ったような高い声で男に話しかけた。

顔は皺が目立っているが、肌自体は綺麗な女性だった。


「あぁ」


「えーと、奴隷の回収に来たんですよね?」


女は少し後ろめたそうに言う。

奴隷を売った罪悪感だろうか。それとも単なる世間体だろうか。


「そうだ」


運び屋は只、淡々と返事だけをする。


女は運び屋の無愛想な返事に困惑しているようだった。

こんな仕事をしている人間が感情豊かだったら、それは表情を張り付けているだけだろう。


程なくして女が口を開く。


「それならこっちです」


案内されたのはとある民家だった。

周りの民家と変わらない。普通の村の民家だ。

壁は白い漆喰が剥がれてレンガが剥き出しになっており、屋根は一枚一枚赤く塗られている。


「どうぞ。お入りください」


家の中も特別なものは何もなかった。

木製の机。椅子。キッチン。クローゼット。

唯一違うものを挙げるなら、あの禍々しい邪気を放っている扉の部屋だろうか。

恐らくはあそこにいる。


「ここです」


女が言ったのはやはりその扉の部屋だった。


部屋の扉を開けると、大胆に地下室への階段が露出している。

むわっと湿った空気が抜けた。


女は顔を顰めたが、運び屋は表情を崩さずに階段を下っていった。

壁の汚れや、所々に張り巡らされた蜘蛛の巣からも劣悪な環境がわかる。

目的の牢屋に近づくたびに鉄と血の混じったような悪臭が強くなる。

その他の腐ったような臭いも容赦なく運び屋の嗅覚を襲った。

それでも運び屋は身じろぎ一つせずに臭いの元に向かっていく。

運び屋はその臭いに随分と慣れていた。


「わ、私は上で待っていますね......」


中年の女は鼻が歪んでしまうほどの臭いに耐えられなかったようだ。


「牢屋の鍵を」


運び屋がそう言って腕を伸ばすと、思い出したように女は急いでポケットから鍵を取り出す。

そして、反射的に鼻をつまむと足早に階段を駆け上がっていった。


勿論、それが普通だ。異常なのは運び屋のほうだ。


臭いのもと。

そこに居たのは死んだ目をしている少女だった。


無残に千切れた、この国では随分と珍しい黒い髪の毛。

鮮血を水で溶かしたような美しくも儚さが残る幼い赤い瞳。

少女の身体に呪いのように纏わり付く、古びた布切れ。

折れてしまいそうな肢体と少女の運命を嘲笑う傷痕の数々。

少女の腕を掴んで離さない手錠は既に少女の血で錆び付いていた。


何年前からこの少女はここに監禁されているのか。それは初めてこの村に来た運び屋には到底わからなかった。


薄暗い地下牢の中で少女の赤い瞳は無機質に光り続けている。


「おい。娘」


男の呼びかけに少女は汚れた顔を上げる。


「お前は奴隷として売られた。これからお前を運ぶ」


男は淡々と無表情のまま、そう言った。

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