第303話「シャケ、出張する⑧」
シャケ本人に容赦なく残酷な現実を突き付けられて凹まされたレオノールが、ルーアブル軍港にある工廠の廊下をアンニュイな気分で歩いていると、突然誰かに声を掛けられた。
「おお!これはこれは!この度めでたく第一王子マクシミリアン殿下の侍従武官となったレオンハート少将殿ではないか!」
嫌味ったらしい声の主を見れば、そこには彼女を二度もクビにしようとした初老の男が、傲慢な笑みを浮かべて立っていた。
「げ……これはお久しぶりです。ビルヌーブ中将閣下」
無視する訳にもいかず、レオノールは取り敢えず露骨に嫌そうな顔で挨拶を返すことにした。
だが、その反応を予想していたらしいビルヌーブ中将は気にせずに話を続ける。
「忌々しいお前さんをやっと艦長職からクビに出来たと思ったら、逆に大出世とは全く驚かされる……あの時と同じだな」
「そうですか」
レオノールは出来るだけ関わりたくないので、短く冷ややかに返した。
すると、ビルヌーブ中将は皮肉げな笑みを浮かべながら、より一層嫌味ったらしく告げる。
「ああ、そうだよ!今回もあの時と同じだ!お前は出世し、ワシは冷や飯を食うハメになった」
「……そうなのですか?良かったですね」
正直、自身にとって害悪でしかない元直属の上司の
処遇など、どうでも良かったレオノールが適当にそう言うと、
「ふざけるな!お前の所為でワシは今月いっぱいで旗を下ろす(引退する)ことになったのだ!」
ここで遂に激昂し始めた。
「それだけのことをしたからでは?」
レオノールが冷静に指摘すると、
「何だと!?ワシは艦長職に不適格な部下を解任しただけだぞ!?それにあの時も……十年前だって生意気な士官候補生を教育してやっただけなのに!くそ!」
「……」
レオノールは黙って肩をすくめた。
「貴様……あの時、お前がバカ王子を誑かした所為でワシはあの後、将官になるのが遅れたのだぞ!?上司に媚び、有力者の愚息達を部下に迎え、私がコツコツと積み上げたキャリアをお前は台無しにしたのだ!……あのまま順調にいけば今頃ワシは海軍大臣のポストだって夢ではなかったろうに……それがこのザマだ!」
と、激昂したビルヌーブ中将が一気に捲し立てたところで、
「……おい、今なんった?」
ここまで黙って聞いていたレオノールが低い声で言った。
しかしビルヌーブ中将は気にせず、そのまま叫び続ける。
「お前がバカ王子に股を開いて地位と名誉を手に入れたのと反対に、ワシが悲惨な目に遭ったと言ったの……ぐわぁ!?」
次の瞬間、レオノールがビルヌーブ中将の胸ぐらを掴み、締め上げた。
「くっ!何を……」
「おい、よく聞けおいぼれ。アタシのことは何と言ってもいい……あの人に助けてもらったのは本当で、アタシは無力だったから……でもな、あの人のことを馬鹿にするのだけは許さねー!」
それから射殺さんばかりに相手を睨みつけた後、自慢の美脚を使って膝蹴りを決めた。
「ぐふぉ!?」
鳩尾に鋭い膝蹴りを食らったビルヌーブ中将は、うめき声を上げながら崩れ落ちた。
しかし、かろうじて意識はあり、何とか床に這いつくばった状態でレオノールを睨みながら苦しそうに叫ぶ。
「……はぁはぁ、お、おい!……はぁ、ワシは……まだ現役の中将だぞ!……こんな……ことをして、はぁはぁ、タダで……済むと思っているのかぁ!?」
そう、引退が決まっていると言っても、彼はまだ現役の海軍中将。
そんな相手に手を上げればタダでは済まない……本来ならば。
だがレオノールはそんなビルヌーブ中将を鼻で笑うと、残忍な笑みを浮かべて話し始める。
「アタシはお前みたいに権力に執着したり、それを傘にきて偉ぶったり、弱いものイジメをする奴が大嫌いなんだ……だからアタシは絶対に階級や役職を盾に他人を虐げないと決めてる……」
「……?」
急にそんなことを聞かされた中将は、困惑してポカンとしている。
「でもお前は別だ。てめーみたいなクズに遠慮はいらねーよな?」
「は?何を……うぐっ!」
レオノールは倒れたビルヌーブ中将の胸ぐらを再び掴んで引き寄せ、ドスの効いた声で告げる。
「おい、よく聞けクソ野郎、タダでは済まねーだと?笑わせんな、だったらアタシは誰の侍従武官なんだ?言ってみろよ?」
「っ!」
そこまで言われ、彼はようやく気付いた。
レオノールがシャケに助けて貰ったという点を散々馬鹿にしておきながら、彼女がその権力を後ろ盾にして自分に仕返しする可能性を考えていなかったことに。
だが、それも仕方がないと言えばそうなのかもしれない。
何故なら、それは彼女が自らのバックにシャケがいることを、何があっても今まで絶対に口にしなかったからだ。
彼女は自らの努力だけで大切な人との約束を果たすと決めていたから。
だから何があってもシャケの権威を使って強引に物事を解決したりせず、またどんなに辛くても歯を食いしばって自らの力だけでやってきた。
それこそ今、目の前にいるビルヌーブ中将によって理不尽に艦長の職を解かれた時でさえ、シャケの名前を出すことをしなかった。
だから、彼はレオノールの後見人の名前を忘れていたのだ。
そして今、それを強引に思い出させられた。
と、そんな感じで漸く自らの窮地を悟ったビルヌーブ中将は全身から血の気が引いた。
レオノールはそのまま更に話し続ける。
「それにアタシは王子様の女なんだろ?だったらお望み通り、この後泣きながらテメーに虐められましたって王子様にすがりついてやるよ、満足か?」
「貴様……!」
ビルヌーブ中将は返す言葉が無く、レオノールを睨みながら歯軋りするしかない。
するとレオノールがバカにするような顔で言った。
「さーて、タダで済まねーのは……どっちだろうな?中将閣下?」
ダメ押しでそう言われたビルヌーブ中将は顔を真っ赤にして、
「うっ……く、くそ!覚えてろ!」
と捨て台詞を残してフラフラと走り去って行った。
それを見たレオノールは肩をすくめた後、
「完全にチンケな小悪党だな……海軍軍人ともあろう人間が情けねー……それにしても、これしか黙らす方法が無かったとはいえ、気分悪りーなぁ……はぁ、出来るなら本当に王子様にすがりついて泣きたいぜ……」
そう言って溜め息をついた。
それから、
「こりゃあ今日もシャケの奢りで飲みに行くしかねーな……うん、そうしよ!何て言ったって、アイツはアタシの繊細な乙女心を傷付けたんだし、その償いだ!」
と言って今さっき、すがりついて泣きたい、と言った相手にたかることに決めたのだった。
因みにその日の夜、シャケは久しぶりにゆっくり寝られると気分良く宿屋に帰って来たのだが、直後に戻ってきたレオノールに拉致され、そのまま二日続けて飲みに行くハメになってしまった。
そして翌日、浴びるほどの酒を飲み、更にこれから大好きな姉に会えると漸く機嫌を直したレオノールと、二日酔いと睡眠不足で死にそうなシャケは、レオニーの待つムラーン=ジュールへ向けて出発したのだった。
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