第292話「シャケ、出張する②」

「おー!久しぶりの潮の臭いだー!テンション上がるぜ!」


 馬車が港町ルーアブルに入った途端、我慢出来なくなったレオノールが勢いよく窓を開け放ち、潮の香りをいっぱいに吸い込んで大きな胸を更に膨らませた。


 彼女はこの一週間ずっと機嫌が良かったのだが、今は更にその上をいっている気がする。


 やはり、この人は煌びやかだが人の憎悪や欲望が渦巻く宮殿よりも泥臭い、いや磯臭い現場が好きなのだろうな。


 何と言っても、今の彼女はとてもキラキラしていて美しく見える。


「〜〜〜♪」


 今も屈託のない笑みを浮かべて窓から身を乗り出している彼女を見ながら、私は素直にそう思った。


 まあ、口に出したらしばかれそうだから勿論何も言わないが。


 それから少し後、私達を乗せた馬車は今夜宿泊予定の宿屋の豪奢なエントランスに滑り込んだ。


 因みに宿は予め父上達によって手配されたこの街一番の高級宿のスイートルームだった。


 しかも見た目だけは極上の美女であるレオノールと同室!


 ……勿論、寝室は彼女とは別だが、不思議と全く残念ではない。


 まあ、同じ寝室、いや同じベッドで寝てもこの人なら絶対何もないだろうが……。


 それから私たちは部屋に荷物を運び込んだり、移動中に片付けた仕事の書類を急送便で王都へ送り返したり、明日の式典の準備などをした。


 そして、やっと手隙になったところで、ふと窓の外へ視線を向ければ、いつの間にか水面が夕陽でキラキラと輝いていた。


「もうこんな時間か……あ、そうだ」


 そこで私はあることを思い出し、今までずっと仕事を手伝ってくれていたレオノールに感謝を込めて、


「レオンハート提督、ご苦労様。今日はもういいから、街へ出たらどうだい?この街には海軍の仲間が大勢のいるだろうし、邪魔な上司無しで楽しんでくればいい」


 そう言ってから寸志の金貨がギッシリと詰まったサイフを差し出した。


 すると彼女はそれを受け取り、


「ん?そうか、ありがとなシャケ!じゃあ遠慮なく仲間と楽しんでくるぜ!」


 と言って背を向けた後、


「……と言いたいにところだけど、今日はやめとくよ」


 再びこちらを向いた。


「え?何で?私に遠慮することなんてないよ?」


 彼女が二つ返事で街へ繰り出すと思っていた私は、少し驚きながらそう言った。


 おかしいな、普段の彼女なら遠慮する筈はないのだが……珍しいこともあるものだ。


 うーん、どうしたのだろう……あ!もしかして……。


「……恋人とデートとか?」


「ふん、そんな訳あるかよ、アタシは海軍一筋だ」


 私が聞くと即座に鼻で笑われた。


「なるほど、愚問だったね」


「まあ、今はな……昔一人だけ心が動いた奴はいたけどな………………あと最近心が動きかけた奴も一人……いや、何でもねえ」


 レオノールは自重気味に笑いながら言った。


「へー」


 ほう、それは意外だ……今は女ジャイ◯ンみたいな彼女も、昔は極々僅かでも乙女な部分が残っていたんだろうなぁ。


「おい、今なんかもの凄く失礼なことを考えなかったか?」


 私がそう考えた瞬間、勘の鋭いレオノールから睨まれた。


「いや、とんでもない、君ほどの女性の心を揺さぶるとは、どれほどの人物かと思ってね」


 私はそう言って肩をすくめて誤魔化した。


 まあ、一応それも本心ではあるのだが。


 このレオノールの心を一瞬でも掴みかけた男とは一体どんな人間なのだろうか?


 同じ海軍軍人とか?ゴリマッチョとか?はたまたどこぞ貴公子とか?いや、彼女とかいてもおかしくないか?……正直、全く想像がつかない。


「おうおう、随分褒めるじゃねーかシャケ」


「本心だよ……それで?差し支えなければ理由を聞いても?」


 私が改めて問うと、


「ん?ああ、そうだったな……一緒にメシ食いに行こうぜシャケ!美味い行きつけがあるんだ」


 彼女はそう言ってニィっと笑ったのだった。




 それから私達は連れ立って彼女の行きつけだと言う、海辺のシーフードメインのレストランに入った。


 そして、冷たいシャンパンで乾杯して喉を潤した後、


「それで……私のような野暮ったい男をプライベートで食事に誘ってくれとは……期待していいのかな?」


 私は明らか冗談と分かるように、わざとらしくレオノールに言った。


「お!お前も遂にアタシの魅力に気づいたか?貢いでくれるのなら大歓迎だ!」


 と、レオノールも私に合わせて冗談で返してきた。


 そして、


「ま、冗談はこれぐらいにして……シャケ……いや、ランベールの旦那、今までありがとな、何だかんだで色々楽しかったぜ」


 ちょっとしんみりしながら言った。


 ああ、なるほど、これは彼女なりのお別れ会ということか。


 泣けるね。


 あと普段ガサツで適当で乱暴な彼女に、こう言う律儀なところを見せられるとギャップ萌えする。


「いや、こちらこそ本当に世話になった、感謝してるよ」


 私もしんみりしながらそう言い、


「あと……申し訳ない、私のミスで約束の船が遅くなってしまって……」


 それから頭を下げた。


 これは彼女が侍従武官になった時からずっと思っていたのだ。


 やはり、人間約束を破るのは良くないからね。


「いや、いいさ……アンタのお陰で姉さんに会えたし、あと宮殿とか、侍従武官とか新鮮だったし、それに……アンタと仕事をするも悪くなかったぜ」


 するとレオノールはそう言って優しく笑った。


 おっかない見た目と普段のガサツさからは想像出来ないくらいに優しい笑みだ。


 やはりレオノールはいい女なのだろうな。


 彼女がその気になれば大半の男は簡単に落とせるだろうに……本人に全くその気がないとは勿体ないことだ。


「そう言って貰えると救われるよ」


 それから私がそんなふうに答えると、


「いいっていいって!気にすんな!さあ、今日はアンタの奢りだし、とことん飲んで食うぞ!」


 レオノールはそう言ってからシャンパンを一気に飲み干すと追加で白ワインのボトルを頼んだ。


 それから、たった今運ばれて来ただかりのロブスターを豪快にへし折ってかぶりついた。


 私はそんな彼女を見て思わず笑みが溢れたのだが、そのワイルドな姿はさながら獲物を貪る雌ライオンのようだった。




 因みにこの日、レオノールは本当に有言実行し、彼女は楽しそうに何軒も私を連れ立れてハシゴしながら飲んで食べまくったので結局、折角の高級宿で寝られたのは、ほんの僅かな時間だけだったりする。

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