第275話「小悪魔の背伸び⑤小悪魔の涙」

「バーカバーカ」


 リゼ・アネ・ノエの三人が別室に通され、国王シャルルの執務室に一人だけ呼ばれたマリーは現在、厳つい執務机の前で反抗期の子供よろしく絶賛反抗中だった。


 まあ、彼女は実際子供だが。


 兎に角、彼女はすっかり拗ねていてマトモに話をしようとしなかったので、義父であり、国王でもあるシャルルは最も効果的な単語を用いて諭すように言った。


「はぁ……ねえマリー、あまり『お兄ちゃん』に迷惑を掛けちゃダメだよ?」


「ふぁ!?」


 今までそっぽ向き、不機嫌そうに黙っていたマリーがその単語を聞いた瞬間に反応し、鬼の形相でシャルルの方を見た。


 彼女は自分を叱る為に大好きな兄の名前を持ち出されたことに動揺する一方、自分が愛する彼だけには絶対に迷惑など掛けていないという強い自負があったので、激しい怒りが燃え上がった。


 そしてシャルルの言葉を否定すべく、即座にしゃべり出した。


「お義父様!言って良いことと悪いことがあります!」


「というと?」


 言われたシャルルは眉ひとつ動かさずに平然と聞き返した。


「私がいつ愛するお義兄様にご迷惑をお掛けしたと言うのですか!?……まあ、名前を勝手にお借りしましたが」


 と叫んでから、小さく付け足した。


 正直、シャケにとっては勝手に名前を使われただけでも十分過ぎるほど迷惑なのだが、彼女にとってはセーフらしい。


 まあ、シャケは可愛い義妹相手に絶対に怒ったりはしないが。


 因みに移動中マリーはアネットにメンタル的にフルボッコにされて凹んではいたものの、実は心の奥底ではまだまだ色々と納得出来ていなかったので、その分の不満も合わせて今爆発していたりする。


 彼女は賢いがまだ子供だし、頭では分かっていても感情的に割り切れない部分もあるのだ。


「それで?」


 取り敢えずマリーに喋らせるつもりらしいシャルルが、話の先を促した。


 因みに、さっきからシャルルの背後に控える宰相こと、スービーズ公エクトルは鋭い追求をしそうなものだが、今回はシャルルに任せるつもりらしく、珍しく黙って立っている。


 これは彼が親子の問題だと思って介入を控えたのか、自らの娘がマリー以上に暴れている後ろめたさがあるからなのか、若しくは両方なのか、それは分からない。


「確かに今回の遠征は私の独断専行です。でも!お義父様や宰相様、貴族達に国民、それにお義兄様を納得させられるだけの成果を上げたではありませんか!違うとは言わせまんよ!?」


 するとマリーは折角アネットが分からそうとしてくれたことを、全てをかなぐり捨てて言い放った。


「確かにそれも事実ではあるね、一部であり、短期的にではあるけど」


 シャルルは淡々と言った。


「それなら問題無いではありませんか!私の立てた計画は完璧で、実際にその通りに事が運び、十分過ぎるほどの成果があった!それのどこに瑕疵があるというです!?」


 マリーは勢いよくそう言ってデスクをバンバン叩いたが、これにもシャルルは動じず、今度は彼女の目を真っ直ぐに見ながら話し出した。


「では聞くけど、君の気まぐれによって政治、軍事、経済、外交など多くの分野に関わる大勢の人間が動くことになったよね?」


「はい」


「間接的に考えればその数は更に増える。さて、ではそれらが及ぼす影響はなんだろうか?単純に考えればまず彼らの通常業務が疎かになり、国の運営に支障が出る。各分野で問題の対応に時間と人と金を割かなければならないから当然だよね?そして、これは国の安定的な運営を阻害することになるかもしれない、一度安定が崩れると、立て直すのが難しいのは分かるよね?」


 そう、現実はなろう系小説のように簡単ではないのだ。


 え?言いたいことでも?


「むむ……で、でも……」


「更に今回のように複数の大国を、それも十分な準備も無しに無理矢理動かしたけど、これは正直何が起こるか分からない非常に危険なことだ。例えば軍事的なバランスが崩れて別の国の介入を招き、大国同士の大きな戦いに発展するかもしれないし、コモナを滅ぼした結果金の流れが変わり、経済的な混乱が起きて大恐慌になるかもしれない、外交的にランスはちょっとしたきっかけがあれば攻めてくる危険な国だと思われてしまうかもしれない、今回の行動はそういうリスクを多分に孕んでいたんだよ?」


 そして、そうならないように、それらの諸問題を日々頑張って下請けが……もとい、シャケが必死に片付けているのだ。


「え?」


「ハッキリ言おう、マリー、君の火遊びは今回上手く行ったが、それは運が良かっただけなんだ、たまたま計画通りに事が運んだだけ、それに強引なやり方は必ず大きな歪みを生み出すし、その場で上手くいっても後々ツケを払うことになるかもしれない」


 シャルルは容赦なく現実を愛娘に突き付け続ける。


「そんな……」


「あとは……そう、君の無責任さについてだね」


「無責任?」


 マリー怪訝な顔になった。


「コモナ遠征を成功させた君は、何故今ここにいるの?」


「それは現地での事後処理をキチンと終わらせたから……」


「確かにその場での処理は適切にできたかもしれないね、でもあの地域はまだまだ流動的な事柄が多く、長期的に考えればまだまだ不安定だ、しかもそうさせた原因はマリー、君自身なのだから復興やランスとの統合の象徴として王族である君が現地に残って差配するべきだったのでは?」


「で、でも……」


 マリーは反論を口に仕掛けたが、シャルルは容赦なく追い討ちをかける。


「暴れたのは君だけじゃないって?ではセシルちゃんやレオンハート君はどうだい?」


「!」


 賢いマリーはここで彼が言わんとすることを悟り、息を呑んだ。


「そう、君も知っての通り、あの二人も地方で大暴れした、でもマリー、君と決定的に違のは……」


「現地に残って最後まで責任を果たしている、と?」


「流石はマリー、賢いね、そう、その通り。彼女達は自分がやったことには責任を持っている、そういうことなんだ」


「くっ……」


 自らの至らなさを理解したマリーは、愚かな自身への怒りで震えた。


「では最後に最初の質問に答えよう。君の大好きなお兄ちゃん、マクシミリアンはね、マリー……君の起こした騒動を処理する為に、ここ数ヶ月一日の休みもなく、それどころか睡眠時間すら削って働いているんだよ」


「えっ!」


 唐突に告げられた事実にマリーは血の気が引いた。


「私の力が及ばないばかりに苦労を掛けてしまい、大事な息子が日に日に痩せていくのを見るのは本当に辛いよ、マリーはそう思わないかい?」


「そんな……」


 そして彼女は愕然としてしまった。


 なんと言っても、大好きな兄を手に入れる為に頑張ったのに、それがその彼を苦しめる結果になってしまったのだから。


「マクシミリアンはね、可愛い義妹の為ならばと喜んで命を削って働いている……他ならぬ君の所為でね、あー、いや、彼だけではないな、他のスタッフも大勢が似たような状況で必死に働いている、繰り返すがこれは他ならぬ君が作り出した状況だ、これでもマリー、君はさっきと同じことが言えるのかな?」


 シャルルは淡々とそう言うと、マリーに問うた。


「……い、いいえ」


 彼女はそれ以上何も言えなかった。


「これで分かったね?結果が全てを正当化する訳ではないし、政治はゲームではないんだ。そこにいるのは全て血の通った人間なんだよ。だから、強引な手段でどんなに素晴らしい結果を残しても、皆が本当に幸せになれるとは限らないんだ」


「……」


「君は賢い子だからわかるよね?マリー」


 それからシャルルは優しい目になり、穏やかな口調で愛娘に告げた。


「う、くぅ……うぅ」


 マリーはここが限界だった。


 彼女はここまでスカートを両手が白くなるほど強く握りしめ、自らの愚かさを呪いながら懸命に涙を堪えていたが、もうダメだった。


「ご、ごめん……なさい……ぐす……くっ!」


 次の瞬間、彼女は消え入りそう声でそう言うと逃げ出した。


 退室の挨拶も無く、そのまま部屋から走り出た。


 同時に押し殺していた様々な感情と共に涙が溢れでた。


 そして、涙で美しい顔をぐしゃぐしゃにしながら人生で最も無様な姿で廊下を駆け出した直後。


「ハァハァ……ぐすっ……きゃ!」


 足がもつれ、マリーは磨き抜かれた大理石の床に勢いよく叩きつけられる……筈だったのだが。


「おっと」


「……ふぇ?」


 咄嗟に目を瞑り、身を固くした彼女が真っ暗な中で感じたのは硬い床にぶつかる衝撃ではなく、優しく温かい……そして懐かしい感触。


 それから大好きな声が彼女の名を呼んだ。


「マリー、大丈夫かい?」

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