第267話「その後④忖度のし過ぎ」

 シャケが退室した直後、海軍大臣の執務室では……。




 第一王子マクシミリアンが冷たい笑みを残して退室した後も、足音が完全に聞こえなくなるまで扉に向かって頭を下げていた海軍大臣がソファに崩れ落ちるように座った。


 そして水差しからグラスに乱暴に水を注ぎ、一気に煽った。


 数回それを繰り返し、やっと落ち着いたところで額の汗を拭い、ようやく一息付いたところで大臣は呟いた。


「ハァハァ、マクシミリアン殿下とは初めてお会いしたが……凄まじいプレッシャーだった……やはりあの噂は本当だったのだな」


 そして大臣は今、巷で流れているある噂について、それが正しかったことを勝手に確信していた。


 その噂とは『第一王子が停滞したこの国を改革する為、わざと婚約破棄という醜態を演じて表舞台から姿を消し、セシルをはじめとした美姫達や弟のフィリップと共に国内外で力を奮っている』というもの。


 本人が能動的か受動的か、という違いはあるものの大体あっている。


 まあ、あれだけ派手に猛獣達が暴れていれば、噂になってしまうのも当然……いや、必然である。


 そして世間では、やはりこの国を導くのは第一王子である、と思われ始めていたりする……まったく、頑張っているのにつくづく報われないシャケである。


 閑話休題。


「あの堂々した立ち振る舞い、やはり次期国王はあのお方なのだろうな」


 と噂について考えていた大臣はここで、


「それにしても大変なことになった……くっ!ビルヌーブの奴め!何ということをしてくれたのだ!あの無能めが!」


 海軍が未来の国王の不興を買ってしまったことと、その原因を作った人物を思い出して悪態をついた。


「本当なら今すぐ奴をマストから吊るしてやりたいが、殿下の御慈悲で折角内々に処理出来るのだから、大事にはできん。業腹だが、奴は海峡艦隊司令官の任期満了と同時に勇退(という名のクビ)させるのが無難だろう……」


 そして、自らの保身の為に墓穴を掘ったビルヌーブ中将の処遇を決めると、大臣はソファにゆったりと座り直し、再び水で喉を潤した。


「それから殿下のご要望通り速やかに再調査を行ない、海軍の公式見解としてレオンハート艦長の行動に瑕疵は無かったと発表して彼女の汚名を濯ぐ、と。さて、問題はここからだが……彼女の処遇をどうしたものか……」


 大臣は腕を組んで天井を見上げてから、うーん、と唸った。


 因みに、何故彼がここで悩むかと言えば、それは万が一ここで忖度をしくじれば第一王子だけでなく国王やスービーズ公の不興買ってしまう、それはつまり自身のキャリアだけではなく、下手をすれば人生の終わりを意味するのだ。


「では殿下が望まれるレオンハート艦長の新しいポストとは何だ?まず階級については……かなり若いが艦長としての戦歴はそれなりにあるようだし、殿下の推薦でシルバーランス勲章を叙勲するのだから、強引にねじ込むことは出来るだろう。ちょうどビルヌーブをクビにして中将のポストが空くから繰り上がりで少将も一つ空くしな。問題なのは役職か……」


 と、大臣はシャケに言われた訳でもないのにレオノールの昇進を勝手に決め、今度は彼女の役職については悩み出した。


「まず何より大事なのは、殿下が納得されるようなポストであることな訳だが」


 そして、この時点で彼はミスを犯してしまう。


 何故なら、レオノールの人事であるにも関わらず、シャケの思惑だけを前提に考えてしまっているのだ。


 まあ、全てはレオノールの為に張り切り過ぎて必要以上に海軍大臣を脅し付けたシャケが悪いのだが。


「昇進したての海軍少将のポストか……海軍本部でのデスクワークか、小規模の艦隊司令官か、海軍工廠長辺りが妥当だが……彼女は殿下の寵愛を受ける『愛人』という側面も持つのだから……うーん」


 愛する海軍を守る為、長年権力者へ忖度をし続け、いつ間にか忖度のプロと言われるほどになった彼の勘は、どれも違うと言っていた。


「だが、ワシの勘がどれも違う言っている……しかし、あとは艦隊旗艦クラスの大型艦の艦長か、大使館勤務ぐらいしか……いや、駄目だ。艦隊勤務となれば長期間海に出ることになるし、大使館勤務となれば尚更だ。そんなことをすれば殿下とレオンハートの逢瀬を邪魔することになってしまう……」


 しかし、忖度のプロも今回ばかりは盛大に方向を間違えてしまった。


 勿論、彼は与えられた所与の条件の中で精一杯頑張っているだけなので罪はない。


 そう、全てシャケが悪いのである。


「やはり、王宮に近い海軍本部でのデスクワークが無難か……ん?王宮、つまり殿下に近い場所……はっ!」


 ここで悩んでいた大臣が閃いた。


「そうだ!侍従武官だ!そうすれば公務中も殿下が堂々と愛人と一緒にいられる!よし!これだ!これなら殿下も大満足に違いない!これでワシも海軍も安泰だ!」


 そして、完璧な正解を見つけた(と思い込んでいる)海軍大臣は両手を握りしめて、喜びに打ち震えたのであった。




 それから数日後、シャケに知らせが届いた。


 その内容は、レオノールが昇進してシャケ付きの侍従武官になり、彼女を貶めたビルヌーブ中将は海峡艦隊司令官を一月後に勇退(実質的なクビ)することになった、というものだった。


 こうして当事者全員にとって斜め上の結果になってしまい、後日シャケが締め上げらることになってしまったのだが、実は正解は非常にシンプルだったりする。


 なぜなら、海軍大臣が本人に希望を聞けば良かっただけの話なのだから。


 しかし、彼はシャケに必要以上に脅されたショックでその選択肢が頭から抜け落ち、結局最後までそれに気付くことができなかったのだ。


 つまり、シャケがレオノールを愛人だと勘違いさせるような言い方をしたことと、ハッキリ新しい船を用意しろと言わなかった所為で、忖度に定評のある海軍大臣が色々と間違った方向へ忖度してしまう残念な結果となってしまったのだった。


 つまり、繰り返しになるが、全部シャケが悪い。




 場面は再びシャケがレオノールにしばかれているところに戻る。


「……という感じで、昨日君の処遇を聞いた時には手遅れだったんだ。つまり、私はちゃんと海軍大臣に頼んだ(つもりだった)のだけど、奴が私の言葉を勘違いして忖度し過ぎてしまったんだよ……本当、コミュニケーションって難しいよね!」


 王子の身分を明かしたという部分は伏せつつ、事の次第を説明した私は、そうやって綺麗?に纏めようとしたのだが……。


 それを聞いたレオノールは再び怒りをたぎらせ、燃えるような目で私を見ながらブチ切れた。


「お前がハッキリ言わなかった所為じゃねーか!ふざけんな!シャケ野郎!」


「ぎゃあああああ!」




 数分後。


「なぁ、シャケ。昨日知らせを聞いた時点で、他のポストがないか聞いてくれたんだろう?」


 部下達が心配そうに見守る中、出来立てホヤホヤのタンコブをさする私に多少落ち着いたレオノールが言った。

 

「うん、勿論だよ……」


「で、どうなんだ?少し待てば船に乗れるのか?」


「えーと、大丈夫だと思う。今度はちゃんと船に乗れるポストで!って言ったから。ただ調整に時間が掛かるみたい」

 

 当たり前だが将官のポストなんて簡単には動かせないし、数も艦長以上に少ないからな。


「そうか、それならまあいいけど……でも侍従武官なんて堅苦しいのはなぁ。あ、そうだ、今すぐ辞職して船に乗れるまでの間エリザ達と暮らそうかなぁ」


 レオノールは渋い顔で言った。


 そんな彼女に私は苦笑しながら残酷な事実を告げる。


「えーと侍従武官を辞めてもいいけど、その時はそのまま予備役に編入だって……永久に」


「はぁ!?何でだよ!?」


「だって、シュバリエになる式典で父上から直接侍従武官の辞令を受け取ったでしょ?」


「それが何だよ?」


「国王陛下から直々に辞令を受け取っておきながら、その日うちに辞職するような人間がつけるポストは無い、ということだ」


「っ!?」


 私の説明で色々と理解したらしいレオノールが歯軋りした。


「まあ、少将の休職給なら悪くない額だし、引退してのんびりニー……スローライフをおくるのもいいのでは?」


 私は心にも無いことを提案してみる。


「今ニートって言おうとしただろう!?……くっ!いいよ!分かったよ!やるよ!やるしかないんだろう!?」


 よし、人材確保。


 悪いねレオノール、ここも人手不足でね。


 短期間でも優秀な人材にここで働いて貰いたいのだ。


「理解してもらえたようで嬉しいよ」


 私は満面の笑みでそう言った。


「はぁ、仕方ねーな……で、第一王子様はどこにいるんだよ?」


 快く侍従職を受け入れてくれたレオノールは深いため息をついた後、おもむろにそう聞いてきた。


「え?私……じゃなかった、ああ、第一王子ね……えーと……」


 流石に目の前にいるとは言えず、私が答えに窮していると……。

 

「王子様はどこだよ?サイン貰うんだ」


 するとレオノールは、今度は少しソワソワしながら言った。


 それになんか微妙に乙女っぽいような雰囲気が……いや、気のせいだな。


 あとサイン?早速書類の決済か?


 まあ、いいや。


「田舎で謹慎してるんじゃない?」


 私は取り敢えず、その場凌ぎで適当に答えた。


「はあ!?おい、それどう言うことだよ!?アタシは第一王子様の侍従武官じゃねーのか!?だからデスクワークでも嫌々納得したんだぞ!」


「あー……ごめん、それ(半分)嘘で、侍従武官は名目上の肩書きなんだ」


 私はおずおずとそう言った。


「……は?」


 それを聞いたレオノールはポカンとしている。


 そんな彼女に私は素敵な笑顔で明るく告げる。


「実は第一王子付き武官というのは表向きのポスト で、実際は私の元で補佐官的な仕事をしてもらうことになってるんだ……テヘッ!☆」


「え?……シャケええええええええええ!」


 という訳で、有能で凶暴な部下が一人増えたのだった。

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