第260話「トマト味のシャケ……を味わった雌ライオン②」

 海賊や駄牛などの障害を全て排除した私は、急いで負傷した殿下の元へ駆け寄りました。


 そして、血で真っ赤に染まり、力無く横たわる殿下を強く抱きしめ、


「殿下!いやぁ!死なないで!」


 と、生まれて初めて大粒の涙を流しながら私は叫びました。


「むぎゅ!……む、ぐ……ぐるじい……死、ぬ……」


 すると殿下は私の腕の中で苦しそうに呻きました……。


 そのお労しいお姿に私は胸が張り裂けそうです。


 ああ、なんてこと!


 私の所為で……私の所為で殿下が失われてしまう!


 そんなの……絶対に嫌!


 誰か!誰でもいいから殿下を助けて!


 この時、私は人生で初めて何かに縋りたいと思いました。


 神でも悪魔でも牛でも何でもいい!


 どんな対価でも払うから……この人を助けて!


 自分の命でも、他人の命でも、お金でも、必要な物は何でも捧げるから……お願い!殿下を助けて!


 と、私が心の底から祈った、その時。


「……レオニー……息が……できないよ……」


 聞き慣れた声が……私の大好きなその声が……苦しそうに言いました。


「ふぁ!?で、殿下!?申し訳ありません!」


 私は嬉しさと驚きでパニックになりながら、殿下を締め殺さんばかりに抱きしめていた腕を慌てて緩めました。


 なんてこと!私、自分の身体で殿下を窒息死させるところだった……もう、最悪だ。


 でも、腕は緩めただけです。


 私はもう殿下を絶対に離しません。


 それから殿下は空気を肺一杯に吸い込み、呼吸を落ち着かせてから言いました。


「ハァハァ……助かった」


「はわわ……も、申し訳ありませんでした!」


 私は盛大に取り乱しながら、取り敢えず謝罪しました。


「いいさ、レオニー。君が私の元へ戻って来てくれたのだから」


 すると殿下は目を瞑ったまま口元を緩ませ、そう仰りました。


 これを聞いた私は殿下の穏やかな表情とは裏腹に、心が痛みました。


「……お気付きだったのですか」


 私は絞り出すようにそう言うと、仮面を外しました。


「ああ、君の戦い方や動きを見て……途中から何となくそんな気がし始めてね……そして今、私を呼ぶ声で確信した」


 私の完璧な変装を見破るとは……流石は殿下です。


 私が見込んだお方……そして私が愛したお方。


「左様でございますか……流石は殿下、お見事でございます……」


 そして感嘆しつつ、そう言ったところで……。


「はっ!それより殿下!お怪我は!?」


 私は重大な事実を思い出し、悲壮な声で叫びました。


 すると殿下は……。


「怪我?ああ、結構痛むよ……」


 割と軽い感じで言いました。


「そんな!?」


 ですが私はこの世の終わりのような感じで叫びました。


「タンコブになるかもな」


 続いて殿下は冗談ぽく言いました。


 え?え!?


 ということは……殿下のお命は大丈夫?……良かった……。


 ん?でも血が……それにタンコブ?


 殿下の御身に……タンコブ!?


 ダメ!殿下にタンコブ何なんて美しくない!


 そんなものが似合うのはギャグ担当の牛だけです!


 そう思った瞬間に私は叫んでいました。


「今すぐ医者を手配致します!」


「落ち着いてレオニー、ただのタンコブだから」


「ダメです!それに殿下…こんなに血が……」


 そう、目の前の殿下は多量の出血で真っ赤なのですから!


 でもそんな殿下から帰ってきた返事は……。


「え?ああ、これはトマトソースだよ。パスタの大皿を頭にくらってしまってね、お陰で私はトマトみたいに真っ赤だよ、はは」


 という冗談めかしたセリフでした。


 ……。


 …………。


 ………………え?


「……」


 私は暫し沈黙し、それから……。


「殿下ぁ〜」


 嬉しさと安堵でさまざまな想いが溢れ出し、泣き笑いのような声を上げながら、私は再び殿下を抱きしめました。

 

「レオニー!?」


「良かった……殿下がご無事で本当に良かったです!殿下の御身に何かあれば私、私……」


 そして、私は本心からそう言いました。


 すると殿下は、


「心配ありがとう、レオニー」


 と、こんな裏切り者に成り下がった私に、再び微笑んで下さったのです!


 それから私は、


 殿下、好き!


 という想いと同時に現実思い出し、


「いえ、そんな……それに私は……」


 テンションだだ下がりでそう言いました。


 しかし、そんな私に殿下は一言。


「レオニー、何も言うな」


 はぅ!クールな殿下も素敵!


 でも感情が昂った私はさらに続けて言いました。


「しかし!私はよりにもよって殿下に反抗致しました……如何なる処分も謹んでお受けする所存でございます!」


 そう、全ては殿下を信じられなかった私が悪いのだから、当然その報いを受けるべきなのです。


「レオニー……私は全て分かっている」


 すると殿下は静かにそう仰りました。


「!?全てをご存知……くぅ」


 その言葉を聞いた瞬間、私は自分を恥じ、俯きました。


 私は……殿下を侮っていたのです。


 何故気づかなかったのでしょうか?


 殿下ほどのお方なら全てを見通すことなど造作もないことなのだと!


 それから殿下は私の名前を呼びました。


「レオニー……」


「はい、殿下」


 こうべを垂れ、静かに言葉の続きを待つことしか出来ない愚かな私に殿下は……。


「君は……」


「……」


 最後の審判を待つのはこんな気分なのでしょうか?


 どんな時も緊張などしたことが無かった私の身体がブルブルと恐怖で震えていました。


 そして、告げられたのは……。


「君は任務遂行中に敵に捕まり、酷い拷問を受けた上に洗脳されていたのだろう?」


「はい……………………え?」


 殿下の予想の斜め上のセリフに、私は思わず固まってしまいました。


 あ、もしかして殿下は……勘違いをしていらっしゃる!?


「そうでなければ痛いコスプレをして反社会勢力を率いて暴れ回ったり」


「うっ……」


 心に重いものが……。


「私に刃向かったりなど君は絶対にしないと私は確信しているからね!」


「うぐっ!」


 更に心に重いものが!


「あと君の辛い記憶を無理に思い出させたくはないから、今回の件について詳細を語る必要はない。私は君が戻ってくれたらそれで十分だ」


 殿下は無意識に私のメンタルに致命傷を与えた後、私を労わるように優しく笑いかけてくれました。


「え?え!?いや、あの……その…………はい!仰る通りでございます!」


 はぁ、殿下は目を瞑っていても笑顔が素敵!


 ではなくて……よし!


 取り敢えず、流れに乗りましょう!


 もう訳がわかりませんでしたが、私はこのまま行くことにしました。


「やっぱりそうか!」


 私の返事に殿下は明るくそう仰りました。


「はい!流石殿下です!世界一です!」


 私はこの都合よい流れを加速させる為、これまた人生で初めて打算込みでヨイショをしました。


「本当に良かったよー、もし君の自我が残っている状態だったら私は君を断頭台へ送らねばならないところだったからねー」


 続いて出てきたその言葉を聞いた私は、背中に冷たいものが走りました。


「……」


 あ、危なかった……。


 よく考えたら命の危機でした……。


 と、改めて自分の置かれた立場とやらかした罪の大きさに私は内心で震えました。


 すると殿下は口元を綻ばせながら優しく言いました。


「おかえり、レオニー」


 ふぉおおおお!


 心に染みるぅ!


「ただいまです、殿下」


 私は声を震わせながらそう答えたのでした。


 こうして私は無事?殿下の元へ帰参することが出来たのですが……この後、人生最大のハプニングが起こりました。


 まず、


「さてと、いい加減に顔を洗って目を開けたいし、あと是非、君に紹介したい人物が……」


 などと言いながら、殿下がおもむろに身体を起こそうとされました。


 そのまま行くと私と衝突コースです。


 勿論、その動きは普通の人間にとってはいきなり、と感じるようなタイミングでしたが、私にとってはそうではありませんでした。


 なので当然、私ごときが殿下とぶつかるなどあってはならないことですから、普段の私であれば即座に距離を取って回避したことでしょう。


 しかし、今回は違いました。


 私は近付いてくる殿下の美しいお顔を……特にその唇から目が離せず、動けませんでした。


 むしろ吸い寄せられるような感覚すらありました。


 そして、スローモーションのようにそれが近付いてきたところで、私はそっと目を閉じ、そのまま……。


「いるのだが……むぐっ!」


「んん!?」


 唇に柔らかく温かい感触、そして僅かな酸味を感じました。


 これが……キス。


 それはとても……とても幸せな瞬間でした。


 そして、それに続いて本格的にトマトの味と香りがしました。


 これが初めてのキスの味……?


 つまり、私の初めては……トマト味……か。


 ふむ、こう言うのは世間一般ではレモン味だと聞いたことがあるのですが……どうやら私は違うようですね……。


 などなど、幸せ過ぎてぼーっとそんなことを考えていると、


「す、すまないレオニー!これは事故で……」


 吐息を感じられほどの距離にいらっしゃる殿下は、目を瞑ったまま慌ててそう言いました。


 そんな殿下の反応を見た私は思わず不敬にも、何だか可愛い……と思いました。


 こんなことを考えるようになってしまったのはやはり……『初めて』を経験して心に余裕が出来たからでしょうか?


 そして、それから私は熱に絆されたように更に大胆になり、未だに目を開けられない殿下の耳元に顔を近づけて囁きました。


「殿下、『初めてのトマトソース』をご馳走様でした♡」

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